虹を描く人   作:散髪どっこいしょ野郎

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虹を描く人

 目覚まし時計の煩音に顔を顰めながら起き上がる。同室のマヤノも同時に起床し、しょぼくれた目をパチパチと瞬かせながら洗面所に向かった。

 

 

「おはよーマヤノ……」

 

「んー……」

 

 

 ボクたちは基本朝に弱い。半覚醒状態の脳を活性化させるために冷水で洗顔する。

 

 

「今日もリハビリ?」

 

「うん。行ってくるね」

 

 

 歯を磨き終え、松葉杖をつきながらボクは部屋のドアを開けた。

 

 

「…………」

 

 

 寮の広間に出るまですれ違ったウマ娘の何人かに同情のこもった視線を投げかけられた。正直やりづらい。

 

 備え付けのテレビでは朝のニュースがやっていて、ちらりと意識を向けるとボクについてコメンテーターが何事かを話しているのが聞き取れた。

 

 ボクはトウカイテイオー。無敗の二冠ウマ娘。

 

 

──────────────────────

 

 

 休日ということもあってか病院には人が多く、咳き込む声が断片的に聞こえてきた。

 

 病院まではトレーナーが付きっきりだ。リハビリ中も不安げな表情を浮かべている。それもそうだ。この怪我が菊花賞までに治るか、結構ギリギリな部分がある。

 

 

「はーい、こっちまでゆっくり歩いてくださーい」

 

 

 職員さんの言葉に従い手すりにつかまりながらゆっくりと移動を行う。まだ体重を全てかけることはできない。

 

 

「お疲れ様です。今日はここまでにしましょう」

 

 

 焦りが無いと言えば嘘になる。ボクの夢、三冠をかけた勝負に出るか出られないかの瀬戸際なんだから。

 

 ボクの夢は、無敗の三冠ウマ娘になること。皐月賞と日本ダービーは制覇した。後は菊花賞を残すのみ。

 

 だけど、日本ダービー後に骨折が発覚。否応なしにリハビリ生活を強いられることになってしまった。

 

 

「ハァ……」

 

 

 思わずため息がこぼれる。本当はもっと走りたい。ボクはウマ娘なんだから。

 

 怪我は多くのスポーツ選手が悩まされてきた問題だけど、どこかで『自分は大丈夫だろう』という驕りがあった。その見通しが甘かったことを今になって思い知らされるなんて。

 

 

「お疲れ、テイオー。俺は主治医の先生と話すことあるからちょっと待っててくれ」

 

「うん……」

 

 

 トレーナーを待つ間暇だったから待合所前でテレビを見ていた。辺りに座っている人はやっぱりどこかしら病んでいる人が多い。

 

 知らない大人たちが喋っているだけの報道番組は見ていて退屈だった。だけどそれ以外にやることがあるわけでもない。

 

 手持ち無沙汰に視線を宙に浮かべて、刹那、目を奪われた。

 

 

「…………っ?」

 

 

 目線の先にいた、点滴を繋げながら歩いているその人。

 

 その横顔が綺麗だと思った。女装すればそのまま女の子に見えるのではないかと思うくらい華奢で美形だった。

 

 思わず立ち上がる。

 

 

「ねえ」

 

「?はい。なんでしょう」

 

「キミ、誰?」

 

 

 誰って、こっちから先に声をかけたのに。ボクは何を考えているんだろう。

 

 

「ああ、ボクはトウカイテイオー。見れば分かると思うけどウマ娘だよ」

 

 

 いきなりの邂逅で戸惑っている様子だったけど、ボクの自己紹介を聞くとどこか納得したように微笑んで、

 

 

「ぼくは、松江(まつえ) 彼岸(ひがん)です。松江とも彼岸とでも、好きにお呼びください」

 

「じゃあ、彼岸。キミはいくつ?」

 

「今は十五歳です」

 

「ボクと同じじゃん!いいよ敬語使わなくたって」

 

「……じゃあ、よろしく。トウカイテイオーさん」

 

 

 彼岸は微笑みを崩さない。その表情を見ていると一切の悪感情が削ぎ落とされていくようにも感じた。

 

 

「トウカイテイオーさんは……リハビリ?」

 

「そうなんだよー。足が折れちゃってさー」

 

 

 心のどこかで『なんとかなる』と思い込んでいた。だからこんなカミングアウトも平気な顔でできた。

 

 

「テイオー、そろそろ行くぞー」

 

「あっ、ちょっと待っててー!」

 

 

 たわいない会話に耽っていると、いつの間にか話し終えていたトレーナーから声をかけられていた。

 

 彼岸とはまだ初対面。そんな踏み込んだ話をしたわけでもない。なのに、ボクの心は再会を望んでいた。

 

 

「ねえ彼岸。また、会いに来ていい?」

 

 

 そう言うと、彼岸は変わらず微笑みながら「もちろん」と答えてくれた。

 

 何故かは分からないけど、その日はそう遠くない気がした。……って、リハビリに来る以上当たり前のことなんだけど。

 

 

──────────────────────

 

 

「やっほー、来たよ、彼岸」

 

「ああ、いらっしゃいテイオーさん」

 

 

 フルネームで呼ばれるのはなんだか堅苦しいからテイオーと呼んでもらうことにした。

 

 病室のベッドの上で佇む彼岸は、それだけで一枚の絵になりそうな程綺麗で、儚げだった。

 

 面会時間はそこまで取られないため話したいことがある時は一緒に病室の外へと繰り出す。病院内かつ歩ける状態ならどこをほっつき回っていても問題は無いらしい。

 

 

「はあ、はあ、はあ……」

 

「……大丈夫?」

 

 

 彼岸の体は脆く、少し歩いただけで息切れを起こすレベルで虚弱だ。屋上に向かう最中何度も立ち止まって休憩した。本当はおぶさりたかったけど生憎ボクの両手は松葉杖で塞がっている。

 

 

「……あんまり無理してボクに付き合わなくてもいいんだよ?」

 

「いや、これはぼくがそうしたいだけだから」

 

 

 どんな時も彼岸は微笑みを崩さない。温和な雰囲気は毒気が抜かれるぐらいに柔らかく、和やかな視線は心を解きほぐした。

 

 

「じゃあ、今日も聞かせてくれる?トレセン学園のこと」

 

「うん。まずはね──」

 

 

 彼岸はボクの語ること全てを興味深げに聞いている。学校に通えてないからなのか、巷の流行りや娯楽を何も知らないでいた。だからボクもつい熱を上げて話すようになって。

 

 

「彼岸はどうしてずっと病院にいるの?」

 

 

 言ってから、しまったと思った。こんなデリケートな問題、おいそれと聞けるわけがない。

 

 

「あ──ごめん。言いたくなかったら言わなくても」

 

「大丈夫だよ。そんな聞かれたくないことでもないから」

 

 

 滔々と話し出す。曰く、生まれつき体が弱くて、更にはとある病気にかかっていることで病院から離れられない……だそうだ。

 

 

「ごめんね。辛気臭い話しちゃって」

 

「いやいや、ボクから聞いたことなんだから、キミが謝る必要はないよ」

 

 

 ……聞きながら少し嬉しいと思ってしまった。彼岸について知られたことが増えたのが、どうしても喜ばしくて。

 

 

「……それでね、話は戻るんだけど、カイチョーはすごくって──」

 

 

 ボクの一語一句を興味津々に聞く彼岸。誰かと仲良くなるのは得意だけど、こんなに伸び伸びと話せた相手はそうそういなかった。

 

 

──────────────────────

 

 

「~♪」

 

「テイオーちゃん、なんかいいことあった?」

 

「え?なんで?」

 

「鼻歌歌ってたから」

 

 

 寮の食堂で日替わり定食を食べていると、友達からそんなことを聞かれた。

 

 最近ボクは焦っていた。菊花賞に向けて早く治さないとと急かされるようにリハビリに取り組んで、精神的に大きな負担になっていた。

 

 だけど彼岸との時間だけはそれを和らげてくれた。話しながら焦って話しながら解消して。さながら薬物に依存する患者のように。

 

 

「新しく友達ができたんだ」

 

「へー!よかったね!あ、済んだお皿持ってくよ」

 

「いいの?ありがとう」

 

 

 食べ終わった皿を代わりに返していってもらう。こんな風に片足が使えないと不便なことが多い。

 

 自室に戻ってからベッドにダイブした。マヤノは今日寮のテレビで映画を見ているから、しばらくは戻ってこない。

 

 ……なんか、彼岸といる時より帰ってからの方が時間の流れが遅い気がする。

 

 そういえばスマートフォンは持ってるのかな。LANEの友達登録をしておかなきゃ。

 

 

──────────────────────

 

 

「スマートフォン?持ってないけど」

 

「え!?だ、誰かと連絡取る時はどうしてるの?」

 

「連絡取り合うような人はいないしいいかなって」

 

「じゃ、じゃあ入院中は何してるの」

 

「外を眺めたり……本を読んだり」

 

 

 連絡を取り合うような人がいない。また地雷を踏んでしまったかと周章狼狽していても彼岸はいつも通り佇んでいて。

 

 それにしても不思議だ。両親ぐらいなら電話だってするだろう。まさか……虐待とかネグレクトを受けてるとか?いや、だったら長期間の入院なんてさせないか。

 

 連絡を取り合うような人がいない……つまり……

 

 

「気になる?」

 

「え?」

 

「ぼくに連絡する人がいない理由。聞きたい?」

 

 

 目の奥から心の底まで覗き込まれるのではと錯覚する程に艶麗な視線。思わず息を吞んだ。

 

 言葉が出てこなくて首肯する。ボクの知らない、彼岸のヒミツ。怖さよりも好奇心よりも好感による知識欲が勝った。つまり、もっと彼岸のことを知りたかった。

 

 

「ぼくの両親はぼくが産まれてすぐに亡くなっちゃってね。親戚の人は遺産目当てだったから仲介人の人に縁を切ってもらったんだ。その結構莫大な遺産のおかげでぼくは今入院生活を送られているって感じかな」

 

「…………」

 

 

 ということは、彼岸はずっとひとりぼっちで過ごしていたということだ。ボクとは違って縋れる家族がいない中で。

 

 

「彼岸はすごいね」

 

「テイオーさんと比べたら劣るよ。()()()()()()()()()()()()()?」

 

 

 ……なんだろう。その言葉のどこかに、何かが引っかかるような微かな違和感が。

 

 その真意を探るよりも早く、話はいつものものに戻ってしまった。

 

 

──────────────────────

 

 

「……ダメかー……」

 

「……すまない、テイオー」

 

 

 菊花賞には間に合わなかった。ボクの夢は呆気なく絶たれてしまった。

 

 復帰は来年。……受け入れたくないなー……。でも、これが現実。

 

 

「……何か……何か、してほしいことはないか?俺にできることならなんでもするから」

 

 

 トレーナーは悪くないのに、贖罪の機会を求めるようにボクの返事を待っていた。してほしいことかー……。

 

 

「彼岸に会いたいな」

 

「ヒガン?病院にいた子か?」

 

「そう」

 

「分かった」

 

 

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「それでね、結局菊花賞には出られなくて、三冠ウマ娘には、なれ、なくて……」

 

 

 拳を握り締める。悔しさや悲しさが交互に押し寄せてきて、前を向けなかった。

 

 

「……話してくれてありがとう、テイオーさん」

 

 

 彼岸はボクを正すわけでも否定するわけでもなく、ありのままの感情を受け取ってくれた。

 

 

「うぅー……。やっぱり悔しいよ~!悔しい悔しい悔しい!」

 

 

 そこで今日初めて彼岸の顔を見られた。悼むように眉をひそめ、沈痛な様子でボクを見ている。

 

 

「何か、ぼくにできることがあったらなんでも言って」

 

「……トレーナーと同じこと言うんだね」

 

「?」

 

「あーいや、こっちの話」

 

 

 たとえ三冠でなくなったとしても、ボクには目標がある。

 

 カイチョーみたいなウマ娘に、そして無敗のウマ娘になりたい。今はそれに縋っている。

 

 

「じゃあ、手、握ってくれる?」

 

「それぐらいでいいのなら」

 

 

 組んで差し出したボクの両手を、彼岸の細い指先が包み込む。その体温は冷たくて、されど骨まで染み渡るような温もりがあった。

 

 

「ぼくの手、冷たくない?」

 

「ひんやりして気持ちいいよ」

 

 

 応援してくれてるのは彼岸も同じだ。今はそれに報いることを考えよう。

 

 

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「やっほー彼岸ー」

 

「よく来てくれたね、テイオーさん」

 

 

 リハビリやトレーニングの後に彼岸の元へ向かうのがすっかり習慣づいていた。

 

 読みかけの本を閉じ、立ち上がる彼岸。それに倣ってボクも部屋を出た。

 

 彼岸はいつもボクに合わせてくれる。自分のしたいことは二の次で、自我を出してきたことは一度も無い。……無理、させてないかな。

 

 

「はあ、はあ、はあ……」

 

「やっぱりボクがおぶっていくよ。怪我も治りかけてるし」

 

「ダメだよ。万が一ということがあったら、きっと後悔する」

 

 

 話はいつも屋上で。不安定な体調に鞭打って、ボクたちは上がっていく。

 

 

「……ふう。やっぱりここはいい風が吹くなあ」

 

「ふふっ、お疲れ」

 

 

 ベンチに腰掛け、いつも通り会話を始める。学園であったことや世間のニュースなどなど、多種多様な話をする。

 

 

「……ねえ、神様っていると思う?」

 

 

 話の流れで抽象的な話題になった……ううん、嘘。ボクが聞きたくなったから聞いた。

 

 

「いるよ。きっとぼくたちを見守っている」

 

「ボクの脚は、治してくれなかったのに?」

 

 

 少し意地悪な質問になってしまったのに、彼岸の表情に揺るぎは無かった。

 

 

「それでもこの世に神様はいる。君と出会わせてくれたんだから」

 

「……断言するんだ」

 

 

 そう言った彼岸が、妙に眩しく見えた。

 

 

 

 

 

 

 

──────────────────────

 

 

 

 

 

 

 

 ぼくのような人間にも価値はきっとある。だって、この世界に生まれてこられたんだから。

 

 

 

 

 

 

 

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「お疲れ様でした。もう本格的にトレーニングを始めてもよろしいかと」

 

「「ありがとう」ございました」

 

 

 この時をずっと待ちわびていた。やっと普通に走れる。

 

 主治医の先生にお礼を言って、その足で彼岸の元に向かった。これからトレーニングが厳しくなるから、今までのように会えなくなる。

 

 

「完治したんだ。おめでとう、テイオーさん」

 

 

 いつもの微笑みを前に言葉が詰まる。この笑みを見てると声が出せなくなってしまう。

 

 

「これからも、たまにキミの所に行っていい?」

 

「もちろん」

 

「じゃあさ、いつか……彼岸の体調がよかったら、一緒に遊びに行かない?」

 

 

 そう言うと彼岸はきょとんとした顔でボクを見て──表情を綻ばせた。

 

 

「うん。行こう。ぼくでいいなら」

 

「じゃあ、約束!ほら、小指出して!」

 

 

 指切りげんまん。彼岸は約束を破るタイプじゃないから、いずれ行けると思う。

 

 

──────────────────────

 

 

「ハァッ、ハアッ、よし……!」

 

 

 手応えあり。復帰戦の大阪杯は無事一着だった。このまま無敗で突き進む。

 

 そういえば、彼岸はボクのレース見ていてくれてるのかな。スマホを持ってないって聞いたし、受付にあるテレビからでしか情報を得られていないだろう。

 

 ……別に、見られていないからといって何かボクに影響があるわけじゃない。観戦は自由だし、レースそのものが嫌いな可能性だってある。……だけど、やっぱり見ていてほしいなぁ……。

 

 

「……っし」

 

 

 今ボクにできることは彼岸に恥じない自分でいること。シャキッとしよう。いつ見られてもいいように。

 

 

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「それで……って、聞いていますの?」

 

「……ぁあ、ごめん。なんだったっけ」

 

「もう。しっかりしてくださいまし。これはあなたのためでもあるのですわよ」

 

 

 天皇賞・春に向けて。最大の敵にして無二のライバルであるマックイーンと一緒に、ボクはトレーニングをしていた。

 

 得られたものは大きい。この調子で行けば、地の果てまで走っていけそうだ。

 

 体は絶好調。なのにどこかぼーっとする。白昼夢の中にいるみたい。

 

 とりあえずはマックイーンとの勝負に集中。……そういえば、明日と明後日休みだったっけ。

 

 

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「あの、さ。明日……一緒に遊びに行きたいんだけど……大丈夫?」

 

「大丈夫だよ。体調も比較的安定してるし。届け出出さないとな……」

 

 

 よかった。彼岸は痩せてるし少し歩いただけで息切れするけど、ボクがおぶっていけば問題は無い。

 

 そうと決まればどこに行こう。あんまり負担にならない所にしなきゃ。ゲーセン……は行けないだろうし、カラオケ……も歌そんな知らなさそうだし。

 

 

「どこか行きたい場所ある?」

 

「テイオーさんがいつも行ってる所がいいな」

 

「……結構疲れるよ?それでもいいの?」

 

「誰かと遊びに行くのは初めてだから。君とならきっとどこでも楽しめると思うんだ」

 

「えーそれじゃボクも自重しないよー?」

 

「いいよ。テイオーさんの行きたい所がいい」

 

 

 それは優しさなのか思考放棄なのか分からないけど、遊ぶと決めたんだから、思いっきり楽しまなきゃ。

 

 

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「何度も言うようだけど、辛かったらいつでも言ってね?」

 

「うん。ありがとう、テイオーさん」

 

 

 自重しないとは言ったけど、流石にプランぐらいは立ててある。

 

 まず初めに向かったのは映画館。内容は難病で死に別れるカップルの物語。ボクはちょっとだけ泣いたけど彼岸は難しい顔をしていた。

 

 次に行く所は決めてあったけど彼岸たってのお願いということでカラオケに変更。主にボクが歌ってたけど意外と彼岸も曲を知っていた。

 

 後は当てもなくぶらぶらしたり、ショッピングモールを物色したり。

 

 外を歩いている時はボクが彼岸をおぶっていたから視線はそれなりに感じた。まあ、レースでこの程度の注目は慣れているからなんてことないんだけど。

 

 

「はぁ……遊びに行くのってこんなに楽しいんだね」

 

「でしょ?」

 

 

 よかった。そこまで特別なことはできなかったけど無事楽しんでくれたみたいだ。映画を見ている時以外はずっとニコニコしていたし、今回の試みは成功と言っていいだろう。

 

 

「あ、ぬいぐるみ……」

 

「?ああ、ぱかプチのこと?」

 

 

 最後に寄ったゲーセンで珍しく欲しいものでもあったのか、ボクの背を降りて歩いていく彼岸。目線の先にはボクやカイチョーのぱかプチが。

 

 

「欲しいの?」

 

「……こういうの、初めてだけどお金そんなに持ってきてないから……いいかな」

 

「一回ぐらい試してみようよ。操作方法はボクが教えるからさ」

 

「……じゃあ、一回」

 

 

 百円玉を投入しボタンを押す彼岸。基本的な説明だけして後は任せてみることにした。

 

 

「「おお……」」

 

 

 思わず二人して感嘆の息が漏れる。それもその筈、一気に五体も出てきたんだから。

 

 

「「ああ……」」

 

 

 だけど、受け取り口に向かう中で一体また一体とこぼれ落ちていく。最終的に残ったのは最初に掴んだボクのぱかプチ一体だけだった。

 

 

「……ゲット」

 

「よかったじゃん。えへへ、ボクのぱかプチなんだから大切にしてよね!」

 

「……ありがとう。今日のことは、ずっと忘れない」

 

 

 満面の笑み。ああ、来てよかった。

 

 

──────────────────────

 

 

「ハーッ、ハァッ、ハァッ……」

 

 

 呼吸、が、乱れる。ボクの、着順は……五。

 

 天皇賞・春。距離適性の差なんて、言い訳にならない。ボクはマックイーンに負けた。……これで、無敗でもなくなった。

 

 そして──

 

 

「っ?」

 

 

 足に、違和感。

 

 

──────────────────────

 

 

「また骨折かあ……」

 

「…………テイオーさん」

 

 

 不幸中の幸いか、容態は比較的軽いものだった。これならまだ先を目指せる……けど、

 

 ……今のボクに、目指す先なんてあるの?

 

 

「彼岸は、ボクに走ってほしい?」

 

 

 走る理由を他人に任せ始めたら危ない。分かってはいても、聞かずにはいられなかった。

 

 

「それはぼくが決められることじゃない。だけど君がどんな選択を下そうと、ぼくは君の意思を尊重するよ」

 

 

 それはつまり、逃げても()()()()()許してくれるということ。

 

 彼岸の優しさは、甘い甘い毒だった。

 

 

──────────────────────

 

 

「彼岸」

 

 

 それからというもの、ボクは頻繁に彼岸の元へ通うようになった。負担にさせてしまっているという後ろめたさはあっても止めることはできなかった。

 

 

「彼岸」

 

 

 彼岸はいつも穏やかにボクを出迎えてくれる。晴れの日も、雨の日も。

 

 

「彼岸」

 

 

 困ったように笑う彼岸が好き。その『好き』が違う意味合いに変わっていくことを、ボクは知らなかった。

 

 そして、時はゴウゴウと流れる。

 

 

──────────────────────

 

 

 ジャパンカップは勝ったけど、天皇賞・秋と有記念はボロボロ。

 

 疲れた。努力って、こんなにキツいものだったっけ。

 

 そしてなにより、また骨折。

 

 

「……彼岸」

 

「テイオー、さん?」

 

 

 診察を受けた足で病室に入る。前を向けなかった。もう、このまま沈んで消えてしまいたかった。

 

 

「先生は……もう今までのようには走れないって言ってて……」

 

 

 ボクより辛いのはそっちの筈なのに、彼岸はベッドに座りながらボクの話を聞いている。

 

 

「もう……ボク、は、無敵でもなんでもなくって……」

 

 

 とめどなく滴り落ちる涙。夢の残影。全てこの両手から消えていく。

 

 

「うう……っ、うぅぅぅう……っ!」

 

 

 彼岸の胸に頭を押しつけて泣き咽ぶ。

 

 ごめんね。もうボクは、帝王でもなんでもない。

 

 

「……ねえ、彼岸」

 

「……なに?」

 

「ボクがどんな道を選んでも、ついてきてくれる?」

 

「ぼくの命でいいのなら」

 

 

 ……ああ、この人は。生きることをとっくに諦めているんだ。

 

 諦めよう。そうすれば、ボクも楽になれる。

 

 

 

 

 

 

 

──────────────────────

 

 

 

 

 

 

 

 頑張れとは言わない。立ち上がれとも言わない。苦しいなら、辛いなら、ぼくに全て背負わせてしまえばいい。そうすればぼくにも、生きる意味は見つけられる筈だ。

 

 

 

 

 

 

 

──────────────────────

 

 

 

 

 

 

 

 ふらふらと学園を歩く。すれ違う子に心配と同情のこもった視線を投げかけられる。もう今は何とも感じない。

 

 色んな子から引き止められた。でもこれ以上足掻けない。ボクは引退する。してしまおう。

 

 

『テイオーさんは、あたしの憧れなんです!』

 

「……っ」

 

『テイオーのあんぽんたんー!』

 

「……なにさ。みんなして。」

 

 

──────────────────────

 

 

「引退ライブをやらないか?」

 

 

 トレーナーからの案には賛成だった。少しでも貰ったものを返したかった。今のボクにできることはもうそれぐらいしかない。

 

 ……最後くらい、胸を張って()ろう。彼岸はきっと終わりまでついてきてくれる。

 

 

──────────────────────

 

 

 最後の引退ライブ。ボクは精一杯の笑顔で歌って踊っていた……のだけれど、

 

 

「……え?」

 

 

 背後のモニターに映る、一人のウマ娘の走る姿。ボクが無理だと言った相手。

 

 ──気持ちいいぐらいの大逃げだった。ボクは声を出すのも忘れて、立ち竦む。

 

 

『これが諦めないってことだぁあああああ!!!』

 

「────あ」

 

 

 勝っちゃった。無理だと、不可能だと思っていたのに。

 

 

「やめないでトウカイテイオー!」

 

 

 きっかけはその一言だった。会場にいた誰かの一言を皮切りに、色んな人たちが口々にボクの再起を望んでいた。

 

 

「……トレーナー」

 

 

 トレーナーを見ると、必死の形相でボクに呼びかけている。

 

 ……みんな、みんな信じている。ボクが勝つことを。

 

 走、れるのかな。ボクは、まだ──

 

 

──────────────────────

 

 

「彼岸」

 

「ああ、よく来てくれたね、テイオーさん」

 

 

 次にここへ来るのは、勝ってからと決めた。

 

 

「次の有記念。ボク、絶対に勝つから。だから見ていてほしいんだ」

 

「──分かった。必ず見届けるよ」

 

 

 いつもと変わらない微笑み。次に会う時は、お互いに笑い合えるように。

 

 

──────────────────────

 

 

 ごめん、彼岸。キミを逃げ道にした。手を伸ばすことを、踏み出すことを恐れてこの昂りが見えないふりをした。

 

 でもこれは全て、ボクだけの痛みだ。

 

 走りたい。遅いかな。今になってこんなことを言うのは。でも今のボクには、支えてくれるみんながいる。

 

 目標は定めた。なら、それに向けて打ち込むのみ。

 

 タイムは微妙。足運びは今までのように行かない。けど、それが諦める理由にはならない。

 

 そうして走っていると、マックイーンが繋靭帯炎に倒れたとの話を聞きつけた。

 

 

──────────────────────

 

 

「……マックイーン」

 

「……テイオー」

 

 

 雨が降るコースで、座り込む親友。ボクは──

 

 

──────────────────────

 

 

 迎えた本番、有記念。挫けてきた。何度も折れた。でも、ボクは証明する。ボクだけの輝きを。

 

 

『スタートしました』

 

 

 ゲートが開く。年末の大一番ということもあり、今回のメンバーは凄まじい面子だ。

 

 駆ける。これまでの練習、思い、紡いできた全てを注ぎ込んで。

 

 

『先頭、やはりメジロパーマーが行きました』

 

 

 苦しかった。ここまで這い上がってくるまで、多くのものを犠牲にしてきた。

 

 

『第四コーナーを回りまして──』

 

 

 ボクの脚は、ボクだけが作ってきたものじゃない。今ならそれがハッキリ分かる。

 

 

『更に、トウカイテイオー!久々のトウカイテイオー!』

 

 

 天才と呼ばれていた。自分でそれを疑いもしなかった。だけど初めて挫折を知って、レースの現実を思い知って。

 

 

『さあ、一コーナーから二コーナーに上がっていく、十四人であります』

 

 

 そして──彼岸。キミと出会った。

 

 

『先頭の、メジロパーマーは、早くも三コーナーのカーブを切っていきます!』

 

 

 もう負けない。自分にも、他人にも。一着は譲らない。

 

 

『残り四百メートル!ビワハヤヒデが先頭か!』

 

 

 苦しい。それでも、

 

 息が切れる。それでも、

 

 やっぱり今までのようには走れていない。それでも、

 

 キミがいたから走れた、なんて、そんなことを言うつもりはない。ツインターボ師匠が背中を押してくれて、マックイーンに奇跡を起こすって誓って。

 

 それでもキミは、ボクにとって──

 

 

「シイッ────」

 

 

 大好きな人。ボクの一番かっこいいところを見てほしい人!

 

 もう情けないボクは終わり!これが、ボクの全部!

 

 

「ハアアアアァァアアッッッ!!!」

 

 

 足を回せ!前を向け!この魂は、まだ動いている──!

 

 

『トウカイテイオーだ!トウカイテイオーだ!トウカイテイオー!奇跡の復活!』

 

「は、あっ、は……」

 

 

 ……勝った。

 

 

「──ありがとう」

 

 

 風に呟く。誰に向けての感謝なのかは、今のボクには分からなかった。

 

 

──────────────────────

 

 

「それじゃ、俺はここで待ってるよ。後は若いお二人でってヤツだな」

 

「ありがとね、トレーナー」

 

 

 いつも通り彼岸の病室に向かう。話したいこと、言いたいことが山ほどある。まずはなにを語ろうか。

 

 

「……え?」

 

 

 彼岸の病室は、体調不良による面会謝絶になっていた。

 

 どことなく胸騒ぎがする。いや、大丈夫だよ。この前まで普通に話せてたんだから。きっと大丈夫。

 

 

「……タイミングが悪かったのかな」

 

 

 その問いに答えてくれる人はいなかった。

 

 そして、

 

 彼岸が亡くなったと知らされたのは、その数日後だった。

 

 

──────────────────────

 

 

「…………」

 

 

 ボクは部屋に閉じこもっていた。マヤノや他の人たちには心配させちゃって悪いなとは思うけど、外に向かう気力が湧かなかった。

 

 葬式が数日後にある。それに参列しなければ彼岸の死はどこか遠くの与太話として片付けられるのでは、なんて絵空事を妄想したりもした。

 

 でも、彼岸は死んだ。

 

 

「テイオー?起きてる?」

 

 

 ドアが開く。そこにいたのは寮長、フジキセキだった。

 

 

「…………」

 

 

 無反応のボクを見て(かぶり)を振ってから、フジはボクに何かを手渡した。

 

 

「実はね、松江彼岸くんからこれを渡すように頼まれてたんだ。私は中身を聞いていないけど、君にはきっとこれが必要だろうと思ってね」

 

 

 それだけ言って出て行った。

 

 

「…………」

 

 

 ボイスレコーダー。しばらく迷ったけど再生ボタンを押した。

 

 

『あ、あー、もしもし、聞こえてる?聞こえてるよね。こういうのはお約束だから先に言っておきます。君がこれを聞いている時、ぼくはもうこの世にいません』

 

 

 改めて死を突きつけられ、ボクは呼吸が浅く速くなっていくのを感じながら一時停止した。

 

 ……よし、続きを。

 

 

『まずは、ありがとう。嬉しかったんだ。君がぼくに話しかけてくれたことが、何よりも嬉しかった』

 

 

 初めて出会った時のことは今でも覚えている。とっても綺麗だった。

 

 

『君と出会うまでは、自由に走れるウマ娘が羨ましくてレースを見る気にはならなかった。でも初めて見た君のレースは刺激的で、胸が熱くなった。改めて言わせてもらうけど、有記念、優勝おめでとう』

 

 

 ……見てくれてたんだ。最後まで。

 

 

『本当はね、死にたくなかったんだ。せっかく君と出会えたんだから、色々やってみたいこともあった。今までは傷つけたくなかったから、誰とも深く関わろうとは思わなかった。……でも君は、こんなぼくにも優しくしてくれた。君は、ぼくにとっての永遠だ』

 

 

 少しだけ、救われた気がした。貰ってばかりだったボクにも彼岸に渡せるものは確かにあったと、言ってもらえた気がして。

 

 

『最後に。ぼくは陰険で残酷な人間だ。ぼくを失う君に、苦しんでほしいと願ってしまった。だけど大丈夫だよね。もう君は、ぼくがいなくても走り出せる。ごめんね。それじゃ、さよなら』

 

 

 再生、終了。

 

 

「なんでだよぉ……っ。なんで、キミだけが、こんな……!」

 

 

 その手に触れたい。ぎゅっと抱きしめてほしい。でも、もうここにキミはいないから。

 

 ……部屋を出よう。みんなにこれ以上心配させるわけにはいかない。彼岸の葬儀にも、出たい。

 

 

──────────────────────

 

 

 後で聞いた話だけど、彼岸の体に巣くう病魔はもう治しようがない程深く強いものだったらしい。

 

 彼岸は、自分が辛いのはひた隠しにしてボクに寄り添い続けてくれていた。

 

 

「……バイバイ」

 

 

 彼岸の棺にはあの日二人で手に入れたぱかプチが。それを見た瞬間、これまでの思い出が鮮明に蘇ってきて。

 

 

「…………ッ!」

 

 

 瞳の奥から熱い涙がせり上がるのを感じる。もう、全部遠い。火葬されていく彼岸を最後まで見送ってから、ボクはただひたすらに落涙していた。

 

 

「…………また、いつか」

 

 

 葬儀が終わって、途方に暮れるように宙を見上げる。憎らしい程晴れ渡っている空には、虹がかかっていた。

 

 

 

ブラックジャック級にすごい先生がなんとかしてくれるハッピーエンド分岐

  • 書いてくれ 必要だろ
  • これ以上は蛇足や 投稿を止めるぞ
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