虹を描く人   作:散髪どっこいしょ野郎

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if
林檎の匂い


 ある一定の季節になると、ぼくの鼻腔は林檎の匂いを感じ取る。或いは、死の匂いだったのだろうか。

 

 

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 生きている意味が分からなかった。両親の遺産を食い潰し、細々と息をしているだけの木偶の坊。

 

 それでもこの体は破滅に向かいながらも生命としての機能を果たそうとしている。なら、なにかしら生きる理由というものがあるのだろう。

 

 救いを与えるだけが神様ではないと思う。この運命に向かい合うぼくのことも、きっと見守ってくれている筈だ。

 

 

「ねえ」

 

「?はい。なんでしょう」

 

「キミ、誰?」

 

 

 そんな中、トウカイテイオーさんと出会った。

 

 可愛らしい子だなと思った。ウマ娘は見麗しい子が多いのは知っているが、それにしても美少女と言って差し支えないレベルで完成された容姿だった。

 

 

「ぼくは、松江彼岸です。松江とも彼岸とでも、好きにお呼びください」

 

 

 ぼくの病気はもう治しようがない。ならば、この人に残りの人生を捧げるのも悪くない。

 

 

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 何回も読み返した本。絵本や小説、ひいては自由閲覧可能の医学書まで、この病院の活字は読み尽くしてしまった。要するに、暇だった。

 

 

「やっほー、来たよ、彼岸」

 

 

 そんな退屈な日常は、彼女の登場で色づき始めた。

 

 話を聞くのが好きだった。ぼくの知らない世界を垣間見ることができるようで。

 

 

「はあ、はあ、はあ……」

 

「……大丈夫?」

 

 

 話を聞く時は決まって屋上で。そこに向かうまで何度も息を切らすが、歩みは止めず。

 

 ウマ娘が羨ましかった。体を動かすスポーツはできないから。

 

 だけど何故だろうか。テイオーさんに対しては嫉妬心は湧かなかった。同じ病院に通う仲だからか?

 

 

「彼岸はどうしてずっと病院にいるの?」

 

 

 今までは誰にそう聞かれても薄笑いを浮かべて誤魔化してきた。しかし何故だろうか。テイオーさんには事実を伝えたい自分がいて。

 

 生まれつき病弱で、治しようがない病気に罹っている。病気についてははぐらかしたが、ぼくはそんな身の上話を当たり前のように教えてしまった。気を遣わせるのは何よりも忌避していたことなのに。

 

 テイオーさんはぼくと違って輝ける場所にいる光の住人だ。ぼくが引きずり込むようなことは、あってはならない。

 

 

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「松江さん、採血しますよ~」

 

「はい」

 

 

 病院の職員さんには感謝している。日夜問わずぼくのために奔走してくれているから。

 

 

「はーい、しばらく抑えてくださいねー」

 

「はい。ありがとうございます」

 

 

 本当は注射も点滴も苦手だ。そう思ってしまうのは、ぼくに感謝が足りてないからだろう。

 

 そういえば、テイオーさんも注射は苦手だと言っていた。そんななんでもないような共通点に喜びを見出す自分は果たして醜いのか?

 

 

「松江さん、なにかいいことありましたか?」

 

「最近よくお見舞いに来てくれる人がいて」

 

 

 心から彼女のことを思うのなら、関係を絶つべきなのかもしれない。だがそれ以上に、今の彼女を一人きりにするのはもっとマズい。

 

 

「あー、あのウマ娘さんですか?」

 

「有名な方なんですか?」

 

「トウカイテイオーさんといったら無敗の二冠を達成したウマ娘。レース界隈では超有名人なんですよ?」

 

 

 ことレースについては疎いぼくだがテイオーさんはそんな有名なのか。なんだか嬉しいような寂しいような。

 

 

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「気になる?」

 

「え?」

 

「ぼくに連絡する人がいない理由。聞きたい?」

 

 

 どうしてぼくはこんなことを言い出した?スマートフォンを持っていないかと聞かれたから?そんなの理由にならない。

 

 今になって、ぼくのことを知ってほしいとでも思ったのか?散々関係を断ち続けてきたくせに。

 

 ぼくはいずれ死ぬ。悲しみを背負わせたくないから、誰とも仲良くなろうとは思わなかった。筈が、テイオーさんとの邂逅で何が変わった?

 

 何はともあれ、ぼくは話してしまった。両親がいないこと、親戚と縁を切ったこと。

 

 

「彼岸はすごいね」

 

 

 ぼくは何もすごくない。こんな、生きることを諦めている人間に成せることなど何も無い……と思ってはいるが。この世界に存在を許されている以上、なにかしらの価値はある。筈だ。

 

 

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「それでね、結局菊花賞には出られなくて、三冠ウマ娘には、なれ、なくて……」

 

 

 ぼくの目の前で俯くテイオーさん。見ているだけで心が締め付けられる。何故彼女がこんな思いをしなければいけないのか。

 

 その運命を全てぼくが背負えたらいいのに。怪我も挫折も、もうとっくに慣れているのだから。

 

 

「うぅー……。やっぱり悔しいよ~!悔しい悔しい悔しい!」

 

 

 その感情は正当なものだ。走れなかった。勝負の舞台に立つことすら叶わなかった悔しさは、ぼくごときが推し量れるものではない。

 

 ぼくにも何かできることはないか。そう打診すると手を握ってほしいと言われた。

 

 

「ぼくの手、冷たくない?」

 

「ひんやりして気持ちいいよ」

 

 

 噂には聞いていたがウマ娘の体温は人間より少し高い。冷え切ったぼくの手に染み渡っていくようだった。

 

 

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「……ねえ、神様っていると思う?」

 

 

 屋上でいつものように会話をしているとそんなことを聞かれた。

 

 神様がいるかどうか。長年議論されてきた問題だが、ぼくは胸を張って『いる』と言う。

 

 確かに、全てを救ってくれる都合のいい神様なんてものはいない。そんなものが存在するのならこの世界はとっくに壊れている。様々な因縁の糸が絡み合うことで存在する事象を『現実』と呼ぶのだから。

 

 それでもこの世に神様はいる。テイオーさんと出会わせてくれたのだから。

 

 ぼくがそう言うと、彼女は物憂げに目を伏せた。

 

 

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「完治したんだ。おめでとう、テイオーさん」

 

 

 彼女の怪我は無事完治した。心から喜ばしく思う。

 

 これで、ぼくとテイオーさんを繋ぐものはなくなった。今までと同じだ。ぼくを置いて飛び立ってい──

 

 

「これからも、たまにキミの所に行っていい?」

 

「もちろん」

 

 

 ……意外だ。もうぼくの所に来る理由なんてないと思っていたのに。

 

 

「じゃあさ、いつか……彼岸の体調がよかったら、一緒に遊びに行かない?」

 

 

 ……更に意外だ。ぼくと外出しても、楽しめるか怪しいというのに。

 

 ……テイオーさんと遊びに行けたなら、きっと心から楽しいと思えるだろう。まだ未定の約束なのに、胸を弾ませている自分がいた。

 

 

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「あの、さ。明日……一緒に遊びに行きたいんだけど……大丈夫?」

 

「大丈夫だよ。体調も比較的安定してるし。届け出出さないとな……」

 

 

 その日はすぐにやってきた。

 

 

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 私服を着るのは久しぶりだ。いつも病衣しか着てこなかった身からするとおしゃれというものはどうも縁遠く思えて。

 

 

「あっ、彼岸ー!」

 

「ああ、テイオーさん」

 

 

 手を振りながら駆け寄るテイオーさんに会釈を返す。

 

 

「じゃ、行こっか!」

 

「……本当にいいの?」

 

「へーきへーき!ボク、ウマ娘だから!」

 

 

 此方に背を向けしゃがむ──要するにおぶさる体制をとるテイオーさん。確かにぼくの徒歩は時間がかかる上に余計な心配をさせるリスクがある。だからといって男が少女の背に体を預けるのはどうにも……

 

 とまあ、そんなことを暫時考えたが意を決してご厚意に甘えることにした。視線を感じないわけではないがテイオーさんの背は小さいのに妙な安心感があった。

 

 まず初めに向かったのは映画館。内容は難病で別離する恋人たちの物語。

 

 正直複雑な気持ちだった。ぼくには恋人はいないが、近い将来テイオーさんとは死に別れることになる。彼女は悲しんでくれるだろう。それに喜んでしまっている自分に、虫唾が走る。

 

 次に行った場所はカラオケ。ウマ娘ということでウイニングライブも行うテイオーさんの歌を聞いてみたかった。

 

 それからも彼女の背に寄りかかりながら様々な所を歩いた。もうそれだけで十分すぎるくらいだったのに、お土産のぱかプチまでゲットできてしまった。

 

 

「ばいばーい!」

 

「……さよなら」

 

 

 ……死を、受け入れていた筈なのに。

 

 今になって、生きたい、なんて。

 

 

 

 

 

 

 

──────────────────────

 

 

 

 

 

 

 

 ボクといて、彼岸は楽しそうにしていた。だからこそ不安だった。

 

 別れ際、彼岸が見せた涙が気になって仕方なかった。

 

 

 

 

 

 

 

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「彼岸は、ボクに走ってほしい?」

 

 

 彼女の身に降りかかる不幸は、一度では足りなかった。

 

 骨折。アスリートとして致命的な傷痕。

 

 それでも足を進めるか、止めてしまうかは外野のぼくが決められる問題ではない。

 

 だとしても彼女の意思がどのようなものになろうとぼくはそれを尊重するつもりでいる。無責任に希望を見せておいてしらばっくれる外道にはなりたくない。

 

 

「それはぼくが決められることじゃない。だけど君がどんな選択を下そうと、ぼくは君の意思を尊重するよ」

 

 

 そう伝えると、テイオーさんは黙りこくってしまった。

 

 それから時はあっというまに過ぎていき、ぼくの病気もそれに伴って進行した。

 

 

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「彼岸」

 

「お、よく来たねテイオーさん」

 

 

 表面を取り繕うのは思っていたより簡単だった。痛みも苦しみもあったがぼくにはテイオーさんの寄る辺となる責任がある。誰に課せられたわけでもない使命だが、ぼくがそうしたかった。

 

 彼女はぼくに依存している。深く根ざしたそれは、もう執刀のしようがなかった。ぼくの病気と同じように。

 

 ……嫌だな。死にたくない。彼女の添え木となっていたい。そんな願いは届くわけもなく砕け散っていく。

 

 生きたい(死にたい)。でも、それは無理だ。

 

 

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「……彼岸」

 

「テイオー、さん?」

 

 

 一瞥しただけで分かる。いつもの彼女とは明らかに異なっている状態だった。

 

 

「先生は……もう今までのようには走れないって言ってて……」

 

 

 三度目の骨折。それもかなりの重傷。ウマ娘とってそれは、何よりも大きな枷。

 

 

「もう……ボク、は、無敵でもなんでもなくって……」

 

 

 痛ましい。哀れみではなく、純粋に悲しかった。今誰よりも辛いのはテイオーさんだ。

 

 

「うう……っ、うぅぅぅう……っ!」

 

 

 ぼくの胸に頭を押しつけて泣き伏せるテイオーさん。ぼくは撫でてやることもできず、空を仰いだ。

 

 ぼくは、なんて無力なんだろう。

 

 

「……ねえ、彼岸」

 

「……なに?」

 

「ボクがどんな道を選んでも、ついてきてくれる?」

 

「ぼくの命でいいのなら」

 

 

 こんなぼくにも差し出せるものは、もうこの命ぐらいしかない。

 

 

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「治、る……!?」

 

「あくまで可能性ですが」

 

 

 立て続けに舞い込んできた幸運。凄腕の執刀医がこの病院に配属され、加えてぼくの病気を治せる可能性が付随してきたというではないか。

 

 手術はかなり難しく命を落とす危険性もあるが、それさえ乗り切れば健常者とまでは行かずとも生命活動を継続できるとのこと。

 

 費用は両親の遺産から出せる額だが、ぼくには一つ憂いがあった。

 

 テイオーさん。彼女にこの命を捧げるつもりだったのが、生き延びるという選択肢も生まれてしまった。

 

 生きたい(死にたい)生きて(死んで)彼女と添い遂げたい(もう楽になりたい)

 

 

「…………あ」

 

 

 そこで初めて、ぼくは恋心を自覚した。

 

 

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「彼岸」

 

「ああ、よく来てくれたね、テイオーさん」

 

 

 これまでとは面構えが違う。何かを決意したような、強い姿。……なんだ。ぼくがいなくても、彼女は立ち上がることができてるじゃないか。

 

 

「次の有馬記念。ボク、絶対に勝つから。だから見ていてほしいんだ」

 

「──分かった。必ず見届けるよ」

 

 

 踵を返すテイオーさん。余計な重荷を背負わせるわけにはいかない。だから、手術の件は秘匿して──

 

 テイオーさん。

 

 

「ん、何?」

 

「…………あ」

 

 

 しまった。声に出てしまった。いや、今からでも遅くはない。なんでもなかったと言って誤魔化せばいい。さあ、

 

 

「少し、話がしたいんだ」

 

 

 ……ダメだった。ぼくは手術のことを話してしまった。

 

 

「……まず聞きたいんだけど、彼岸の病気って命に関わるものだったの?」

 

「ごめんね。隠してた」

 

 

 怒らせてしまっただろうか。しかし彼女の纏う雰囲気には怒気は見当たらない。

 

 

「彼岸は優しいね」

 

 

 薄く笑いながらテイオーさんはぼくを見る。何故か照れくさくて、ぼくの頬は上気した。

 

 

「じゃあ、約束。ボクはもう諦めないから、彼岸も諦めない」

 

 

 小指を絡める。そして覚悟を決める。体を覆う不快感も、心を蝕む孤独も、今だけは無いものとして考える。

 

 指が離れていく。名残惜しく思いながらもその手を離すと、

 

 

「……わ。テイオーさん?」

 

 

 優しく抱きしめられていた。そのままの姿勢で彼女は言葉を綴る。

 

 

「絶対に、奇跡を起こすから」

 

「……うん」

 

 

──────────────────────

 

 

 手術予定日までまだ時間はある。故にテイオーさんのレースを見届けることもできた。

 

 

「……かっこいいな、テイオーさん」

 

 

 思わずそう独り言ちるぐらいに、初めて見たレースは熱い何かがあった。

 

 そして彼女は奇跡を起こした。そこまで見届けてから、ぼくの意識は暗転した。

 

 

 

 

 

 

 

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 手術も近いだろうし面会謝絶になってるだろうなとは思っていた。

 

 それでも一目彼岸を見たくて、病院に足を運ぶ。

 

 

「……入るよ」

 

 

 看護師に案内され彼岸の所へ向かう。病室は空いていた。一言断ってから入ると──様々な管に繋がれている彼岸がいた。

 

 

「ひ、がん……?」

 

 

 おかしい。手術予定日まではまだ時間があった。なのになんで、こんな、

 

 

「松江さん、手術予定日より早くご体調を崩されて、緊急手術になったんですよ」

 

 

 極限まで感情を押し殺した看護師の言葉に相づちも打てず、ボクはただ彼岸を眺めていた。

 

 

 

 

 

 

 

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「ここは……」

 

 

 気がつくと暗闇に包まれた道に立っていた。

 

 その先には二方向に別れた分岐点。片方の道は先が見えない程暗く、もう片方の道では初めて見るけどどこか懐かしい人たちが待っている。

 

 漠然と、ぼくは死に向かっていた。

 

 テイオーさんはぼくに価値を与えてくれた。何もできないと思っていたぼくにも、背を預ける場所になるくらいのことはできると教えてくれた。

 

 ぼくを待つ人の所へ歩く。

 

 虚勢で誤魔化してきたけど、生きるというのは大きな苦痛を伴う。もう、ぼくが生きたとて、何になるというのか。

 

 余殃でもあったなら、その方が諦めもつく。だがこれは誰が悪いわけでもなかった。

 

 神様はきっといる。ぼくを見守り続けている。だから、ぼくがどんな選択をしても罰を与えてくれる。

 

 テイオーさんはぼくが死んだら悲しんでくれる。それだけで、なんかもうよくなってしまって。

 

 ……ぼくは、死にたかったのか?両親の顔も知らないで、学校にも碌に通えなくて。

 

 足掻いて足掻いて、その弥終(いやはて)がこれなら、ぼくの命に、意味は──

 

 

 ──彼岸……!

 

 

 ……この声を知っている。……呼ばれている。

 

 そういえば、約束したっけか。でももういいじゃないか。彼女は奇跡を起こした。それだけで十分すぎる程のハッピーエンドじゃないか。

 

 

 ──彼岸……!

 

 

 本当は、意味なんて無いと思っていた。ぼくの生涯にそれらしき理由は無いと。だけど、トウカイテイオー。君と出会えた。

 

 ふと目の前の二人を見ると、穏やかに微笑みながらぼくを見つめている。きっとぼくがどんな選択をしようと受け入れてくれる。

 

 

 ──彼岸……!

 

 

 だけど、それでも、なのに、

 

 

「……生きたいな……」

 

 

 呼ばれている。応える力は残っている。なら、生きるしかない。

 

 振り返って通ってきた道を見やる。しかし、通ってきた筈の道がない。

 

 それでも、生きなければ。

 

 何か、何かないか。もう一度先へ進む何かが。

 

 思案しながら体全体で足掻く。それでも、沈んでいく。

 

 ……生きたい。生きたい、生きたい!

 

 

「────あぁああぁぁぁああっっ!!!」

 

 

 そしてぼくの背に、翼が生えた。

 

 

「……行ってくるよ。()()()()()()

 

 

 斯くして、ぼくは飛び立っていった。

 

 

──────────────────────

 

 

「……う、あ」

 

 

 強烈な喉の渇き。見慣れた天井。

 

 

「彼岸っ!!」

 

 

 鬼気迫った様子で必死に呼びかける人。ぼくはそれが誰だか知っていた。

 

 

「ボクだよ!分かる!?」

 

 

 顔が動かせなかったため視線で頷く。

 

 ぼくは、生きている。

 

 

──────────────────────

 

 

「長い間お世話になりました。ありがとうございました」

 

「いえいえ。お大事にどうぞ~」

 

「本当におめでとう、松江さん!」

 

 

 あれから、ぼくは生まれて初めて退院することができた。体は虚弱なままだが、もう今までのように病床に伏せるようなことはなかった。

 

 退院した足でとある場所に向かう。その場所でテイオーさんと待ち合わせていた。

 

 

「テイオーさん」

 

「彼岸……彼岸ー!」

 

「うわっ、とと」

 

 

 あれからぼくは頻繁に抱きしめられるようになった。その度に彼女はぼくが生きていることを喜んでくれる。

 

 

「……そろそろいい?」

 

「……もうちょっとこうしてたいけど、何?」

 

 

 ぼくたちがいる場所は、トレセン学園近くの高台。この体でここまで来るのにかなり時間がかかったが、彼女は辛抱強く待ってくれていた。

 

 伝える言葉は決めてある。ぼくが獲得した唯一のもの。

 

 

「テイオーさん。ぼくは、あなたが好きです」

 

「……ッ!」

 

 

 ようやく離れたと思ったら再度抱きしめられる。嫌というわけではないしここにはぼくたち以外誰もいないが少し恥ずかしい。

 

 

「……ボクも。ボクも、キミが大好きだよ。彼岸」

 

 

 これから先、ぼくを待ち受けるものは決していいものばかりではないだろう。ある程度の学力はあるとはいえ学校には通えてなかったし、体は脆い。

 

 それでも、生きる理由が、意味が、目的が、価値が見つかった。

 

 生きることを諦めない。ぼくもまた、そう決意した。

 

 

「……これから先、どうしようかな」

 

「ボクがいるから。だから、きっと大丈夫だよ」

 

 

 互いの鼓動。生きている確証。深く瞑目してから、遥か先に思いを馳せる。

 

 春風が吹きすさぶ。ぼくたちの憂鬱を攫っていくように。

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