私は恋をしています。
燦々と身勝手に降りしきる陽光が生み出す猛暑に、私の身を焦がすのは太陽か恋心か。
正義実現委員会に所属して数ヶ月が経ち、日々の訓練や業務もようやく慣れてきました。元々引っ込み思案で臆病な私が治安維持組織に入ることになった切っ掛けであり原因の彼女は、今日も私達の指揮を執ってくれています。
仲正イチカ先輩。
さらさらの黒髪を靡かせ、私達の先頭に立つ彼女。校則違反者と対峙する彼女は今日も凛々しく、あの日と変わらない、吸い込まれるような綺麗な眼で私を覗くのです。
トリニティ総合学園に入学して数日たったある日、私はブラックマーケットの不良に誘拐されました。
右も左も分からない、少し大きめのお嬢様学校の制服を着込んだ私は、彼女らの絶好のカモだったらしく、助けを求める間もなく連れ去られてしまいました。
うらぶれた廃墟と人生で初めて目の当たりにした不良。今まで会うことのなかった人種である彼女らと、これからどうなってしまうのかという未知への恐怖。向けられた銃口に怯え、言葉を発することもできない私の心の中は、届くはずのないSOSを叫び続けました。
誘拐されてから何時間か何十時間か。ひたすらの恐怖は時間感覚を狂わせ、全てを忘れて意識を落としたくなりますが、縛られた手足の痛みがその救いを奪っていきました。
トリニティとの交渉が上手くいっていないのか苛立つ不良たちの怒号。彼女らの怒りが同じトリニティ生である私に向かうのはある種当然のことで、鳴り響く発砲音と共に放たれた弾丸が私の身体を痛めつけます。
思わず漏れだした悲鳴を彼女らは気に入ったらしく、笑い声と共に私を撃ち続けました。
そんな時でした。私が運命の出会いを果たしたのは。
突入してきた真っ黒の制服の軍団。突然の出来事に反応もできず拘束されていく不良達。何が起こったのか分からず、私を助けに来てくれたのだとようやく理解した頃に、完璧な指揮を執り作戦を見事に成功させた彼女が、私の拘束を解いてくれました。
「もう大丈夫っすよ、遅くなって申し訳ないっす」
そう言いながら私の拘束を解き終わった彼女にお礼を言おうとしますが、解放された安心感からかこぼれ落ちる涙に邪魔されて、言葉を紡ぐこともできませんでした。
不意に暖かな感触に包まれました。嗚咽する私を見かねてか、彼女が私を抱き寄せたのです。頭に触れるしなやかな手の感触。私はされるがままに彼女に重心を預け、彼女はただ私にもう大丈夫、と囁き、撫で続けてくれました。
彼女の胸の中で安心しきった私は、数分の後ようやく感謝の言葉を述べることができました。
「お礼は要らないっすよ。貴方が無事で本当に良かった」
抱き寄せてた腕を緩め、私に向き直りそう言う彼女の眼。微笑みと共に開かれた彼女の群青色はまるで私を包む空のようで。今日初めて見る彼女のその眼に、私はすっかり魅了されてしまったのでした。
それから私は、彼女を追い求めるように正義実現委員会に入部届を提出し、熱烈な懇願の甲斐もあり彼女の下で働くことになりました。
瞼を閉じれば浮かぶ彼女の姿。
始めは敬愛だと思っていました。私を助けてくれた人。絶望の廃墟から救い出してくれた人。そんな彼女に好意を持つのは当然で、彼女の役に立ちたい。彼女の助けになりたい。ただそれだけだと思っていました。
ただ、この胸の中に渦巻く感情はどうにもそれだけでは無いらしく、彼女を想うことで煮え滾る熱の篭った愛は、恋愛のそれと相違ないと気づくのに時間はかかりませんでした。
私を助け出した際のあの眼。私に向けられたあの群青色の眼。彼女に見つめられるだけで私の鼓動は高まり、脳は機能しなくなります。頭の先からつま先まで彼女でいっぱいになり、私の全てを投げ出して彼女に捧げたいとまで思ってしまうのです。
我ながら重症だと思います。ただ、この愛情に身を任せてしまってる自分もいて。彼女を想うこの気持ちが私の動力源となって、今の私を生かしているとまで考えてしまいます。彼女が私に振り向いてほしい。その一心で正義実現委員会の活動も頑張れるのです。
きっと彼女にとって私は数あるうちの一人の部下で。そんなことは分かっているけどいつかはきっと。彼女の隣に立つその日を願い、今日も私は安全装置を外し、照準を定め、標的を撃ち抜くのです。
そんな日々を過ごしていたある日、私達の元にとある大人がやって来ました。シャーレの先生。私が初めて会う大人の男性です。今日は訓練の様子を見に来てくださったらしく、イチカ先輩が応対しています。
少し痩せたその身体にスーツを纏い、疲れを滲ませた顔から、それでも曇ることの無い信念をその眼に宿している人。
聞けば、最近になって知ったのですが、私の救出作戦にも一役買っていただいたみたいです。イチカ先輩から連絡を受けた先生は、シャーレの権限で私の位置を特定してくださったらしく、そのことに対して私はまだお礼を言えていませんでした。
私はいつかのお礼を先生に述べるべく、彼とその隣に立つイチカ先輩の元へ歩いて行きました。楽しげに談笑する二人の元に近づき、先生へと話しかけようとしたその瞬間、私の声帯は震えることなく固まってしまいました。
私は気付いてしまったのです。先生を見つめるその眼。あれ程恋焦がれたイチカ先輩の眼が、私に向けてくれた群青色の眼が、私がイチカ先輩へと向けるそれと同じ恋情を宿していることに。
恋する乙女のそれは私と同じで見まごうはずもなく、しかしその視線の先に映るのは先生で。私は思考はショートし、ただその場に立ち尽くすばかりでした。
やめて。そんな表情で、その眼で、私以外を見つめないで。毎日毎日想い続けた彼女が私の中で崩壊する。なんで、どうして私じゃないの? 貴方の視線を独占しているのは、どうして私じゃなくて先生なの? 貴方に見つめられる、それだけで私は幸せだったのに。もう貴方の眼を、吸い込まれるように魅了されてしまった貴方の眼を、直視できない。それが何より悲しいの。
それからのことはあまり覚えていません。気が付くと私の身体は自宅のベットの上で。とめどなく流れる涙を拭くこともできずに、ただシーツに染みを作るばかりでした。運命の出会い、運命の人、そして訪れた失恋。私の小さな体躯には収まりきらない気持ちが溢れ出て、涙となってこぼれ落ちる。
もし神様がいるのなら、今すぐ私を消し去ってください。そう願って目を閉じても嫌に覚醒した意識は私を夢の世界へ逃してくれず、無慈悲に朝はやってくるのでした。
今日も空気を読まずに照りつける太陽を睨む。人の気も知らないで猛暑を演出するそれから隠れながら、皆が過ごす日常へと溶け込んでいきます。
教室の扉を開き、掛けられるおはように愛想良くオウム返しをして、自分の席へと座る。人生で初めての失恋を他人に悟られないよう、方々に挨拶を済ませ、まるでいつもと変わらない、呑気な私を演じる。私のせいで友達の皆を傷つけたくなかったから。そして何より、この感情は私だけのものにしたかったから。
「少女よ、何か悩んでいるようだね」
突然声を掛けられる。驚いて横を向くと、見知った顔が私を覗く。
柚鳥ナツちゃん。私のクラスメイトで、いつも哲学的な言葉を紡いでは伝わったり伝わらなかったりする女の子。
私の心の内を見透かすかのような言葉に動揺が隠せない。涙の跡とこさえた隈はコンシーラーで隠したはず。
何も言えないでいる私にナツちゃんは言葉を続けます。
「気を悪くさせたならごめんね。ただ、親しいクラスメイトが健気になけなしの愛想を振り撒く姿は精神衛生上よくなくて」
どうやら私が悩んで落ち込んでいるのは、この不思議なクラスメイトにはもうとっくにバレているようで。
そのことに対して私の感情はほんの少しの怒りと、それを凌駕して有り余る程の安堵に染まりました。自身の感情すら読めていなかった私は、やはり正常な状態では無いのでしょう。
初めての失恋は私の感情のキャパシティを大きく超えて、最早限界だったみたいで。やぶれかぶれに救いを求めるが如く、事の顛末と折り合いを付けられていない自身の感情を眼前の少女に殆ど無意識の内に吐露していたのでした。
「君は、他人が何を考えてるか分かるかな?」
話を聞き終えた彼女は、私に向かって問い掛けました。私は何を聞かれているのでしょうか。他人が何を考えているか。そんなの分かるはずがありません。何より今、唐突にそんな問いを投げかけてきた彼女の考えが読めないのですから。私が面食らって何も答えられずにいると、彼女は言葉を続けます。
「当然、分からないだろう。それが出来るのはエスパーと呼ばれるまやかしの存在だけだしね。じゃあ自分が何を考えてるかは分かる?」
相変わらず関係の無い問に思われるそれに、私は肯定の言葉を返します。
「そうだろうね。自分の思考は自分だけのもの。それは全人類の持つ権利で、掟。君だけじゃない、私もイチカさんも、先生もみんなそうなんだよ」
何を伝えたいのか分からない彼女の言葉に、私は困惑してしまいました。きっと表情全てで困惑を表現しています。
「君が愛しく思っているイチカさんも、その恋敵で憎く思ってるであろう先生も、みんな平等に思考をしながら生きている。君と変わらない、わりと普通のことを考えながら生きているんだよ」
そう言い終えると彼女は満足げな表情をし、そんな君に贈り物をしよう、と言って私に一粒の飴玉を渡しました。やはり要領を掴むことのできない彼女の言葉を消化する前に始業のチャイムが鳴り、私は解釈に勤しみます。
彼女は私もイチカ先輩も先生も、等しく考えていると言いました。みんな割と普通のことを考えていると。私の危機を救ってくれた尊敬する先輩も、様々な実績を抱えるみんなが称える大人で、今はだからこそ憎まずにはいられない先生も、普通のことを考えていると。
私と同じような、人間関係で悩み、自分がもっと素晴らしい人だったらと悩んでいる、そんな私と同じことを考えている。しかしそうは思えません。
ですがナツさんはそう言い切りました。眠たげながらどこか芯のある眼で私を見据え、それが当たり前のことであるかのように言い切りました。
もし本当にそうなのであれば。憧れの先輩も、素晴らしい大人も、私のような些細な悩みに打ちのめされながら生きているとしたら。
もうそうだとしたら、私は既に彼女の隣に並べているのではないか。そんな考えが頭をよぎります。私も彼女もただの恋する乙女なのだから。
私は彼女に貰った飴玉の袋を空け、きらきら光るそれを口の中に放り込みます。
「……甘。」
人工的ないちご味のそれはとても甘く、きっと私はこの味を忘れることはできないでしょう。