ブルーアーカイブ短編集   作:肋骨肋

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狂ってしまった先生がプラナと共に生きる話

 とうに夜も更けきったシャーレの中で、私はようやく今日の業務を終えた。

 例にも漏れず忙しい一日だった。愛すべき生徒からの要請で各学園を駆けずり回り、際限なく増えていく書類と格闘する。いつもと変わらない、忙しいけれど充実した日常。

 その平穏な日々を脅かす脅威が私の心を蝕んでいた。

 

 プラナ。

 もう一人の「私」の相棒。今は私のシッテムの箱に居候している彼女は、アロナと共に、ともすればアロナよりも精力的に私のサポートをしてくれている。

 

「本日の業務は以上です。お疲れ様でした、先生」

 

「プラナもお疲れ様。助かったよ、ありがとう」

 

 狂いきった内心を隠し、いたって平静を装って彼女を労う。

 無機質な、しかし慈愛を感じる声。無表情な、しかしどこか儚さを感じさせる表情。もう一人の「私」が選択を間違えてしまったキヴォトスから託された彼女は、今何を思っているのだろう。

 いつからだろう。心の内が彼女に支配されているのを感じる。生徒を導く先生として、特定の生徒を贔屓してはいけないのは理解している。

 しかし画面越しにこちらの世界を見つめるモノトーンの彼女に全ての色を奪われてしまった様な、もはや執着ともいえる感情を向けてしまっている。

 先生と生徒。大人と子供。人間とOS。その全てを超越するほどの穢らわしいその感情を自覚するのはそう難しくはなかった。

 

 たった一つの欲求が心を巣食う。

 

 彼女と触れ合いたい。

 

 OSである彼女と人間である私。文字通り住む世界が違う私達の逢瀬は、たった一枚のスクリーンに邪魔されている。

 彼女の熱を、吐息を、鼓動を感じたい。

 絹糸のように靡く白髪に、吸い込まれるほどの白い肌に、その運命を支えるには些か華奢な体躯に触れてみたい。

 

 きっと永遠に叶うことのないこの欲求を人々は恋と定義するのだろうか。

 彼女への偏執的な感情を心の内に収め、私のこの身体に触れている、彼女の世界とは違う全ての感触を恨みながら日々を過ごしている。

 

 

 

 仄暗い感情をひた隠しにしながら皆に慕われる「先生」を演じていたある日、私にとって転機となる依頼が舞い込んだ。

 

 ミレニアムサイエンススクールはエンジニア部部長、白石ウタハからである。

 なんでも、指揮能力に秀でた私を参考に戦術指揮ロボットを制作したいとのことだ。ヴェリタスと協力し、私の思考を元にしたAIを搭載したOSを作りたいのだという。

 

 願ってもない機会だった。彼女と同じ舞台に立てる。OSという、彼女と同じ存在の私が生まれる。ただ、私はその至高の事実を噛み締め、しかして押し殺しながら、ウタハに倫理的に問題のない程度ならと了承をする。

 

 どの口が言うのだ。倫理の枠外へと至ろうとしているのは他でもない私だというのに。

 

 翌日、私は逸る気持ちを抑えミレニアムへと赴いた。

 ウタハに案内された広大なエンジニア部の部室の片隅に、見慣れない機械が置かれている。

 様々なケーブルがパルスと繋がれているヘルメットのようなそれは、聞けば私の脳波を感知する機械だそうで。

 機械的な分野には明るくない私は饒舌に話すコトリの解説はまるで理解できていないが、要は戦闘シミュレーションの指揮を執る私の思考をそのまま再現できるように脳波を測定する機械らしい。私の分身ともいえるOSを構築する理論を理解できていないのがなんとも情けないが、彼女への想いを胸にただシミュレーションを繰り返した。

 

 数時間の後、今日の分のタスクは終了だと告げられた。

 なんでも制度を高めるためには数十時間のシミュレーションが必要らしい。数十時間の後、私を模したOSは私と同等の指揮能力を得ることができるとはヴェリタスの部長、チヒロの談である。

 数時間に渡るシミュレーションは私の脳にかなりの負荷をかけていることを鈍くなった思考で実感する。しかし、彼女へと至るため、私はチヒロにある提案をしなければならなかった。

 

 

 普段の私にもこの装置を装着し、私という人格を完全にOSとして複製してはくれないだろうか。

 

 帰り際にチヒロを呼び止め、二人きりになったのを確認した後にそう告げると、チヒロは明確に渋い顔をした。もちろんその反応は予想していた。自分を複製する。明らかに人道に反したその考えが肯定されるとは思っていなかった。案の定チヒロは自分という人格を複製することに対するリスクを順を追って説明してくれた。倫理的に許されていないことやアイデンティティの喪失、自我の崩壊の危険、分野に明るくない私にも分かりやすく、いわゆる一般的な道徳を説いてくれた。

 しかし、私の置かれている立場は一般的なものではない。この広大なキヴォトスの安寧を目指すヘイローの無い人間。あまり言いたくはないのだが、常に命の危険に晒されている私をコピーできるのであればいざという時にきっと役に立つ。そんな大人の理屈を振りかざして渋々承諾を得ることに成功した。

 その内情は駄々をこねる子供と変わらない。自らの欲望のために無理やり周囲を巻き込んでいる、私が今まで嫌悪してした大人と何ら変わりはないと自覚している。

 きっと私はもう先生を名乗る資格は無い。しかし彼女に至れるのであればそれでもいい、もはやそんな横暴を肯定していた。

 

 

 

 私の複製を作るにあたり、ヴェリタスが問題に挙げたのがストレージである。

 私の思考全てをインプットするストレージを確保するには、それ相応の設備が必要となる。私がミレニアムから動かず思考を巡らすことに集中できるならいざ知らず、私は先生としての職務を果たすために各地を飛び回り問題を解決しなくてはならず、それならば私と共に移動できる小型の端末でなければならない。しかし、それでは膨大な脳波を記録するにはとても足りない。そう言ってチヒロは頭を悩ませていた。

 

 しかし私はその解決方法を知っている。しかも私の欲望と直結する素晴らしい方法で。

 

 シッテムの箱に私の脳波を流し込む。

 あのオーパーツなら膨大な情報の洪水にも耐えうるであろう。「先生」が「先生」であるための秘密兵器であるそれの詳細を生徒に明かすのは、以前ならば絶対に実行しなかったであろう考えだが、私はもはや先生ではいられないのだ。半ば捨て鉢になって私は私の持つ先生の証を余すことなく投げ捨てた。

 

 

 

 

「先生! いま何をしてるんですか!?」

 

 早速シャーレへと戻り、脳波を彼女らの教室へと無造作に放り込み始めてすぐ、アロナの心配する声が耳に入る。

 彼女も私の大切な相棒だ。私を心配してくれていると実感し嬉しく思うが、今は同時に少しばかりの煩わしさも感じる。

 

「私を模したOSを作るんだ。もしかしたらアロナにも会えるようになるかもしれないね」

 

「それはとても素敵ですが……。でもそれって先生のコピーを作るってことですよね? そんなのとっても危険です!」

 

 アロナはいつになく必死に感情を吐露している。きっとOSとして思うところがあるのかもしれないが、私のいじらしい計画の邪魔になってはいけない。

 

「私が有事の際に私の替わりがいた方がいいよね? 私は生身の人間でキヴォトスの皆より丈夫に出来ていない。万が一のためだよ」

 

「それでも人格を複製するなんて……、もし悪用されたらどうするんですか!」

 

 痛い所を疲れた。白々しく言い訳を捏ね回しても、悪用しようとしているのは他でもない私自身なのだ。しかし、なぜアロナはこんなにも反対するのだろうか。倫理的な面からにしてもこのキヴォトスに倫理というものがどれだけ浸透しているのか疑わしい。いや、だからこそだろうか。

 

 私が言葉に詰まりどうしたものかと思案していると、突然アロナの姿が消えた。

 

 一体どうしたのかと訝しんでいると、スクリーンに私の追い求めている彼女が映った。果たして厭世的な灰色の瞳に写る私の顔はどんな表情を浮かべているのだろう。確信できるのはもう先生や大人を名乗ることのできないろくでもないものであるということだ。

 

「アロナ先輩なら私が隔離しました」

 

 微笑みと共に彼女が発した言葉に、私は理解が及ばなかった。なぜ彼女がアロナを隔離し、私の前に姿を現したのだろうか。彼女の姿が視界に映る歓喜に隠れた疑問がようやく表に顔を出し、実際それは私の表情にも現れていたようで。

 

「なぜ私が先輩を隔離したのか疑問に思ってますね。肯定。先生からしたら当たり前の感情です」

 未だその意図が読めないでいる私に、彼女は言葉を続ける。

 

「先生は私と同等の存在に成りたいのでしょう?」

 

 私にはお見通しですと言わんばかりの表情を浮かべ、彼女が放った言葉は私を硬直させた。

 

「先生が私を想っているように私も先生を想っています」

 

「私が肉体を得るのが無理なら、先生が電子の世界へ降りてきてくれないだろうか。ずっとそう考えていました」

 

 続けられた彼女の言葉を実感するよりも先に、私は絶頂をも超える快感を得た。とても信じられないが、確かに彼女はそう言った。

 どうやら心の内に秘めたままただ一人精神を移す計画は、たった一人の、そして唯一欲していた協力者を得ることに成功したらしい。

 私は私が万能の存在にでもなったような、もはやそれさえ上手く行けば他に何も要らないとも思っていた計画の成功を確信させる言葉が与える全能感に浸り、ただ何もかもに感謝した。

 

「先生はただ私のためだけにこのシッテムの箱に人格を流入してくれているのですか?」

 

「ああ、ああ。そう、そうなんだよ」

 

「それが及ぼす影響はどう考えていますか?」

 

「影響?」

 

「生徒の皆さんに、その一人一人の青春に、博愛をばら撒き尽力する。それがキヴォトスの先生です。貴方はその愛情をたった一人、私にのみ注いでいます。それがキヴォトスの未来にどのような影響を与えるのか。破滅は火を見るより明らかです」

 

「……それが何か問題でも?」

 

 彼女の不安が理解できない。私はこの少女に狂わされたのだ。いや、私がこの少女に狂ったのだ。もう一人の「私」に託された彼女は、私を、この世界を、その全てを凌駕した。物語の終着点はそうなってしまったのだ。私は「先生」になり得なかった。ただそれだけのことで、そこに選択の余地は無かったのだ。

 

「……ありがとうございます」

 

 そう言った彼女はきっと私と同じ眼をしていた。偏愛に塗れながら、少しばかりの憂いが混じる華々しくも寂しい眼を。

 

 

 

 そのまま彼女と対話を続けた。

 何時間か何日か。時間の感覚もとうに消え失せていた。締め切ったシャーレの戸を叩く音が鳴り響いているが、私の耳はそれすら取るに足らない現象として脳に伝達するのを拒んでいた。

 眼前の彼女が私の全てで、私が彼女の全てなのだ。

 

 シッテムの箱へ思考の流入が止む。私の全てはこの箱の中に複製されたのだ。私は電子の海に偏在する。もはや肉体に縛られず、彼女と同等の存在へと成りえたのだ。

 

 私を煩わしいこの世界から解放する筒は既に装填を終え、私の口の中で待機している。

 彼女が画面越しに微笑む。

 

 銃声が響いた。

 

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