ブルーアーカイブ短編集   作:肋骨肋

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鬼方カヨコを貫くのは

 私に向けて差し出された無防備な顔。託された右手がひどく汗ばんでいる。普段なら気にも留めない空調の音がやけにかまびすしく鼓膜を揺らすのを感じる。私は今から、彼女に消えない傷を刻むのだ。

 

 

 

 

 

 妙に忙しない1日だった。元々連邦生徒会に提出しなければならない書類が溜まっていただけでなく、各学園からの要請もいつにも増して多かった。やれ不良が暴れているだとか、銀行が襲われているだとか。

 ひっきりなしに鳴るシャーレの電話に、先生として答えないわけにはいかない。キヴォトスのあちこちを駆け回り、愛すべき生徒たちの安寧な日々のために尽力していた。シャーレに当番の彼女を置き去りにして。

 

 鬼方カヨコ。便利屋68の課長である彼女との付き合いは長く、個人的にとても頼りにしている生徒である。

 顔が怖く近寄り難いので誤解されやすいと彼女は言うが、その内面は他人を気にかけ慮り、常に冷静な判断を下すことのできる頼もしい女の子である。連合作戦の折ではオペレーターとして非常に助けられた。こちらがつい甘えすぎてしまうほど優秀な生徒だ。時折、生徒としての距離感を忘れてしまうほどに。

 

 そんな彼女が今日の当番だった。早朝より挨拶を交わしたのも束の間、要請に応えるため私は彼女に簡単な引き継ぎのみで業務を任せ、オフィスを飛び出しキヴォトス中を奔走した。

 現場の対応中も心の片隅には彼女の姿があった。折を見ては彼女にモモトークを送り業務に支障がないか確認していた。優秀な彼女のことだ。きっと丁寧かつ迅速に業務を処理してくれているだろうとは思っていたが、どうにも申し訳なさが拭えなかった。彼女からの返答は想像通りのもので、安心と焦燥を感じずにはいられなかった。

 

 どうにかオフィスに戻った頃には夜の帳が落ちかけていた。夕焼けの橙色が夜の闇に同化せんと黒ずんでいく。彼女に対する感情は肥大するばかりで、一刻も早くその姿を拝みたいと歩を進める速度も加速していく。

 執務室の扉の前に立つ。心拍数が上がっているのを感じる。上がった息を整えるために深呼吸をするが、果たしてこれがただその目的を達成するためだけであるのかは定かではない。早く会いたいと願っていたはずなのに、いざ扉一枚を隔てて彼女に近づくと躊躇いを感じるのはきっと贖罪の念があるからに他ならない。私が抱く緊張もきっとそのせいだ。そう言い聞かせ、私はドアを開けた。

 

「ただいま、カヨコ。ずっと空けちゃってごめんね」

 

 平静を装い彼女に謝罪する。彼女は私の使っている物の真隣のデスクで作業をしていた。私の帰還に気づき、こちらを振り向く。振り向き美人、などという単語が脳裏に浮かび、そしてかき消した。

 

「おかえりなさい。気にしないで、それが先生の仕事なのは分かってるから」

 

 彼女は困ったような微笑みと共に応える。デスク周辺を見渡すと、今朝の時点で山のように積んであった書類がその標高をほとんど削られていた。

 

「すごい綺麗になってる……」

 

「私に分かる書類は片付けておいたよ。かなり溜め込んでたみたいだけど……無理してない? 大丈夫?」

 

「ありがとう! 本当に助かったよ、溜め込むのはいつものことだから大丈夫!」

 

「……それは大丈夫じゃない気がするけど」

 

 しかし申し訳ない。一日オフィスを開けた挙句、溜まりに溜まった仕事を片付けさせてしまった。先生として情けない。どうにか感謝を伝えたい。

 

「改めてごめんね、カヨコ。手伝ってもらうどころか任せきりになっちゃって。どうにか恩返しできればと思うんだけど、どうかな?」

 

「恩返し?」

 

「そう。なんでもいいよ、やりたいこと、欲しいもの。今日の謝罪と感謝を伝えたいんだ。どうかな?」

 

「そんな気にしなくてもいいのに。して欲しいことか……」

 

 彼女はあごに手を当てて悩む。

 

「じゃあ明日先生の手を借りたいことがあるんだけど、空いてる?」

 

「もちろん! 何をすればいいの?」

 

「……それは明日まで秘密。じゃあまた明日シャーレに来るね。よろしく」

 

「うん。今日はありがとね」

 

 見送る彼女の背中に生える片翼は、心無しか跳ねている様に見えた。

 

 

 

 

 

 翌日、昨日のカヨコの助力の甲斐あって早々に本日のタスクを終えた私は彼女を待っていた。それにしても遠慮がちな彼女のお願いとは一体どういうものなのだろうか。なんにせよ半ば強引ではあるが引き出した彼女のお願いなのだ。全力で遂行しよう。

 そう彼女に思いを馳せている間にも約束の時間が近づき、そしてオフィスのドアが開いた。

 

「こんにちは、先生。今日はよろしくね」

 

「うん。昨日は結局教えてもらえなかったけど、今日は何をするの?」

 

「えっと、先生にはこれを使ってほしくて」

 

 そう言って彼女は鞄の中に手を入れる。几帳面な彼女の鞄はよく整理されているのだろう、目当てのものはすぐに見つかったらしく私の前に差し出される。

 

「……これは?」

 

「ニードル。先生、ピアス、開けてよ」

 

 彼女に手渡されたビニール包装のそれを前に、私は答えに窮してしまう。なんでもすると言った手前断るのも忍びない。

 しかし同意の上とはいえ、彼女に傷を残す行為はどうしても躊躇ってしまうし、何より他人にピアスを開けた経験など無いのだ。手順も分からないし医療に明るい訳でもない。失敗してしまった時のことを考えると、どうしても返答に逡巡してしまった。

 

「カヨコ、それは私じゃなくてもっと慣れてる人にやってもらった方が……」

 

「先生は私に恩返ししたいんだよね? 私は先生に開けてほしい。これが私のしてほしいこと」

 

「でも、もし粗相があったらと思うと……。あまり詳しくはないけど、ピアスの穴って塞がるまでかなり時間がかかるんじゃない? 私のせいでカヨコに傷を残したくないんだ」

 

「……だからこそ、開けてほしい。そう言ったら、先生は困る?」

 

 彼女は私との距離を縮め上目遣いでこちらを覗く。普段の彼女からはおよそ想像のつかない、年相応の甘えるような目線。きっと意図してこちらを籠絡せんとするその表情。子供と大人の境目、モラトリアムの一撃に私は抵抗する術もなく絡め取られてしまい、動揺を隠さんとする努力も虚しく言葉を震わせるしかなかった。

 

「えっと、やり方を教えてほしいな。その、ピアスを開けた経験はないから」

 

「もちろん。よろしくね、先生」

 

 そう言って彼女は微笑む。我ながら先生としての道を踏み外していないか心配になるのは、自分の意志が薄弱なのか、彼女の妖艶な雰囲気に当てられたのか、あるいはその両方だろうか。

 てきぱきと用意を進める彼女に対し、私は滲む汗によって緊張をまざまざと実感した。まっさらな私の耳とは対象に、彼女の耳には黒い金属製のリングが数多く輝いている。きっとその一つ一つに思い入れがあり、彼女の大切な思い出なのだろう。そこに新たに加わる1つが彼女にとって、そして私にとっても軽いものであるはずはない。彼女が私に託してくれたその意味を改めて考えずにはいられなかった。

 

「準備できたよ、先生。じゃあまずは消毒してくれる?」

 

 そんな私の内心を知ってか知らずか、彼女は準備を終えて私に背を向けて座っていた。私は彼女の言葉に頷き、震える手を抑えようと努力しながらガーゼに消毒液を染み込ませる。

 

「えっと、どこに開けるの?」

 

「ここの、耳の付け根のとんがったところ。トラガスって名前なんだ」

 

「分かったよ。じゃあ消毒するね」

 

 彼女の背中側から手を伸ばし、滑らかな耳へガーゼを這わす。ガーゼ越しに彼女の体温が伝わる。これは必要な手順なんだと心に言い聞かせないと、背徳的な行為をしているのではないかと錯覚してしまうのは何故だろうか。ポニーテールに結われたことで露出している彼女の耳は透き通るように白く、私に付いているそれと同じ器官なのか疑うほどに美しく感じた。

 

「次はどうするの?」

 

「開ける場所にマークするの。はい、これ」

 

「これは?」

 

「アイライナー。私がいつも使ってるやつだよ」

 

 手渡された見慣れない円柱のキャップを外す。筆を思わせるそれを彼女の耳元に寄せる。

 

「もう少し根元の辺り、そう、そこ」

 

 鏡を見ながら彼女にマークをつける。必然的に彼女の横顔を覗くような形になり、その整った横顔にしばし見蕩れてしまっていた自分にはっとする。どうやら彼女には悟られずに済んだようだ。

 

「それじゃあいよいよ本番だね。これを後ろに当てて」

 

「消しゴム?」

 

「そう。貫通させたあと安定しやすいから。ニードルはこれ」

 

「これ、曲がってない?」

 

「狭い場所だから干渉しないように曲げたんだ。じゃあ、一思いに開けちゃって」

 

 落ち着いて私に身を任せる彼女とは裏腹に、私の心臓は早鐘を打ち始めていた。私の右手に握られたこの針先で彼女の耳を貫く。教師としてあるまじきその行為に背徳感すら感じる。滲む手汗を自らのズボンで拭い、大きく深呼吸をした後に私はニードルに軟膏を塗って握り直し、彼女の耳に付けられたマークに針先をあてがった。

 

「……じゃあ、開けるね」

 

「うん。お願い」

 

 私は覚悟を決め、指先に力を込めた。軟骨を貫く感触が右手に伝わる。

 

「……んぅっ!」

 

 押し殺しきれなかった彼女の声が響く。いやに妖艶なそれは大人としてあるまじき思いを抱かせる。脳内で反響する彼女の声と、想起する下劣な欲望。

 そんな内心を隠すように後ろで抑えていた消しゴムごとニードルを抜去ると、赤く腫れた彼女の耳にはシルバーのピアスが残されていた。

 

「……変な声聞かせてごめん。抑えられなくて」

 

 キャッチを閉める私に、彼女は頬を軽く染めながら謝る。まさかあらぬ感情を抱いていたなどと悟られるわけにはいかない。卑怯な大人は表情を取り繕って微笑んだ。

 

「大丈夫だよ。それより仕上がりはどう? 上手く開けられた?」

 

「……うん、ばっちり。真っ直ぐ開いてるし、位置もずれてもない。ありがとう、先生」

 

「それならよかった。……その、痛かったんじゃない?」

 

「痛みはあったけど慣れてるし……」

 

 彼女は耳元へと向けていた目線をこちらへ向き直し、妖しく笑う。

 

「それに、この痛みが続く間は先生のことを思い出せるから」

 

 ああ、私は彼女から逃れる術を持たないのだろう。私に向けられる笑みはどうしようもないほど魅力的で。彼女に釘付けになる私の目線。彼女から目を離すという選択肢は最初から無いのかと錯覚する。赤く染まる彼女の耳から目を離せない。自らが開けた彼女の穴を見て浮かび上がるこの感情はきっと罪悪感だけではない。

 

「コーヒーでも淹れるよ。カヨコも飲む?」

 

 感情の爆発に耐えられそうもなく、私はそう切り出した。

 

「うん、貰おうかな。ブラックでお願い」

 

「分かったよ」

 

 足早にキッチンへと逃げ込む。未だ右手に残る感触を忘れようとするも、うまくいかない。彼女の軟骨を貫き、漏れ出た嬌声。耳から離れることはない扇情的な声色は私を内側から犯していく。忘れろ。私は先生で、彼女は生徒なんだ。それ以上の関係を求めるのは間違っている。忘れろ。彼女の信頼は先生としての私に向けられたものだ。そうでなくてはならないのだ。例え彼女の真意が分からずとも、そうでなくてはならないのだ。私から彼女へ向ける好意は、先生としてのものでなくてはならないのだ。だから、忘れろ。忘れてくれ。

 

 

 

 

 

 ……それなのに。




ストックが尽きました。

これからは書き上がり次第投稿します。
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