ブルーアーカイブ短編集   作:肋骨肋

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内海アオバの聖域

 今日も目が覚めてしまった。疲労と共に願った昨晩の私は相も変わらず裏切られたことを鬱陶しく差し込む朝日が証明する。

 微睡みを支配するのは世界に対する失望感だけ。けたたましく鳴り響くアラームはそんな感情と格闘するために1時間早めにセットしてある。

 自らの体温で暖められたこの150cm×210cmの布団の中だけが私の聖域で、1歩踏み出してしまえば外界が私にもたらすのは意地の悪い試練だけで。ただでさえ小さいそれを更に小さく折りたたんだ身体は全くもって動かせず、撒き散らされる騒音を止めるボタンを押すために外界へ手を伸ばすこともできずにいる。

 

 自然に止まるアラームと空気の読めないスヌーズ機能の作動を何回か繰り返した後、私は意を決して布団を捲りあげる。肌に触れるひんやりとした空気はこの頃私に手心を加えてくれているらしく、突き刺すほどのそれでは無い。もう一度私の聖域に潜り込みたい欲求と、精神をすり減らしながら社会へ溶け込まなければならない義務感の間で葛藤が始まる。きっと傍目に見れば微動だにせず寝惚けているように写るのだろうが、私の心をリングにして幾度とない激戦は今日もゴングを打ち鳴らす。

 いっそ欲望のまま前者が勝ってくれればどんなに楽になれるだろうと思案するも、今日もまたディフェンディングチャンピオンは防衛に成功し、私は立ち上がらされるのであった。

 

 いつも通りの攻防を繰り広げること一時間。そう一時間。なんて無駄な一時間。今日もまた急いで身支度を済まさなければならない。なけなしの義務感で顔を洗い歯を磨く。着心地の良いパジャマを脱ぎ捨ていやに堅苦しいシャツを着てジャンパーを羽織る。首を絞めるとそのまま殺されそうな気がするから首元のボタンは開けリボンを緩く締める。

 今日もまたくだらない一日が始まる。日々をただこなす私は死んでいないだけのリビングデッド。いつか観たパニックホラー映画に出てくるゾンビと何が違うのだろうか。思考をしなくていいだけ彼等の方が楽かもしれない。そんな詮無いことを考えてるのも現実から逃避したいという本能の表れだろうか。玄関の鍵を閉め、私は今日も無為な一日を消化し始める。

 

 通学には電車を使う。私が整備した車両に乗ることもしばしばあり、きっとそこにやり甲斐を感じるのが健全な人間なのだろうが、私の感情のベクトルは頑として動かない。

 正常に運行するのが当たり前、保守点検業務とはそういうものだ。当たり前を維持し、イレギュラーが発生すれば糾弾される。そこに賞賛はなく、それで自尊心を満たせるほど私は立派な人間ではない。

 生きる意味を考えるだけ無駄なのだ。全てを諦め、なるべく自分が傷つかない選択肢を選び続けて残酷な世界の端っこの方で小さくなってやり過ごす。それ以上何をしろと言うのだろうか。

 

 揺れる車両に気分がより沈んでいくのを感じていると、携帯が通知を受け取りブルーライトを放出しているのに気付く。修復依頼か、車両に不備でもあったのか、はたまたどこかの無法者が線路でも爆破したのか。いっそのこと隕石でも降ってきてくれないだろうか、そうしたら学校も休みになるのに。携帯を覗き込み目に飛び込んできた情報は、そんな憂鬱を吹き飛ばす人物からだった。

 

『お疲れ様、アオバ。希望してくれていた当番だけど、明日欠員が出ちゃって。お願いできないかな?』

 

 先生。先日の事件から知り合った大人。こんな私に真摯に向き合ってくれる、明日に希望を持たせてくれる人。彼のことを想うだけでこの悪辣とした世界も悪くないんじゃないかと錯覚させてくれる、愛すべき危険。

 

『……も、もちろんです! 私なんかで良ければ、ぜひ……!』

 

 先生に会える。たったそれだけでまとわりついていた憂鬱が胡散するのを実感する。我ながら単純だと思うが仕方がない。この世に対する不満も彼によって晴らされる、そんな気さえしている。

 そんな先生が頼ってくれた。欠員補充、というのが多少引っ掛かりはするが、逆を返せば非常時に頼られるほど私を信頼しているということかもしれない。いいコンビかもね、彼は私にそう言ってくれた。あの時は私の仕事を彼に手伝ってもらった。今度は私が彼の助けになるんだ、そう意気込み私は目的地に着いた電車を降りた。

 

 

 

 

 

 結論から言えば今日も今日とて碌でもない一日だった。立て込んでた整備作業に加え上からの無茶振りとも言える車両修繕も舞い込み、思いを馳せる明日がなければ逃げ出したくなってしまうほど惨憺たる日だった。まあ結局逃げ出したことなどないのだけれど。

 すっかり暗くなった帰路の途中でコンビニ弁当を買って手早く夕食を済ませ、アラームをいつも通り、しかしいつもと違う理由で余裕を持った時間にセットし、眠りについた。

 明日の朝はゴングは鳴らない。先生に少しでも釣り合う為、念入りに身支度をするのだ。

 

 

 

 

 

 翌日、私はシャーレの執務室の前に立っていた。家を出る前に何度も確認した自分の姿。普段は作業の邪魔になるからと控えていたメイクも慣れないながらに施した。シャーレへと向かう道すがらもガラスに写る自分を事ある毎に見回し、それでも拭えない不安を押し殺す。スマホのインカメで最終確認を済ませ、浮かれ気分を抑えるために軽く頬を叩き、私は執務室のドアを開けた。

 

「お、おはようございます。先生、今日はよろしくお願いします。私なんかが役に立てるか分かりませんが、精一杯がんばりますけど……」

 

「おはよう、アオバ。急な当番でごめんね、今日はよろしく」

 

 私に向かって微笑む彼の姿が目に入るだけで、気分が高揚するのを感じる。口角が上がっていくのを抑えられない。ああ、今日を迎えられてよかった。彼のために訪れる朝が毎日だったら、どんなに素晴らしいのだろうか。

 

「早速だけど書類整理から手伝ってもらっていい? この所立て込んでて」

 

「は、はい!」

 

 彼に手解きを受け、彼の隣のデスクで作業を始める。PCを覗き込む彼の顔は真剣そのもので、見蕩れてしまい手元が疎かになるのをどうにか制御する。

 シャーレの業務は膨大で、たかだかハイランダー内の業務であっぷあっぷしている私と違い数多の学園の数多の生徒と向き合い教えを説く彼の負担はいかほどだろうか。私には想像もつかないが、私のそれとは比較にならないくらいのは確かだ。

 

 心地良い時間が流れる。時折彼に業務の質問をして、彼が答えてくれる。あとは彼のタイピング音と空調の音が響く、そんな空間。無言の時間も気まずくない、まるで世界に私と彼しかいないのではないかと錯覚する、そんな空間。

 

 山のように積み上がった書類の半分ほどを消化した頃だっただろうか、唐突に彼の携帯から着信音が鳴り響いた。

 

 

 

 

 

「誰だろう。あれ、ノゾミだ」

 

 不穏な名前が彼の口から放たれる。ただの直感ではあるが、また碌でもない案件のような気がしてならない。そもそもその名前にいい思い出がないので当たり前ではあるのだが。

 

「うん、うん、え!? 本当に!?」

 

 彼の声色が焦りを孕んでいるのが分かる。ハイランダーで何かあったのだろうか。表向きの態度はどうであれ意外と職務には真面目な彼女が先生を焦らせるのには、それ相応の理由があるのではないか。背中に冷や汗が伝うのを感じる。

 

「うん、丁度いるよ。じゃあスピーカーにするね」

 

 今日は聞くことのないだろうと思っていた声が、彼のスマホから響く。

 

『あ、アオバ? 今シャーレにいるの?』

 

「は、はい。と、当番ですけど……」

 

『ちょうど良かった。ゲヘナの路線でハイジャックが起きてさー、なんやかんやあって2両ほど爆発で吹っ飛んだんだよね。ダイヤも滅茶苦茶だし事後処理もやんなきゃだしで先生借りるね。手が足りないからアオバはハイランダーに戻ってぶっ飛んだ車両の修理よろしくー、なるべく今日中に終わらせてね。最悪だよね、パヒャッ!』

 

「……ということらしくて、私はとりあえずノゾミの所に向かうね」

 

 理解が追いつかない。いや、理解はできても現実を認めたくないだけなのだろう。先程までの夢のような時間は本当に夢だったのだろうか。私の隣にいた先生はジャケットを羽織り外に出る準備を粛々と済ませている。

 結局こうなるのか。いつもそうだ。この腐り切った現実は私から希望を奪うばかりだ。先生と2人きりで過ごす何よりも尊い時間は、無情にも終わりを告げた。

 

 

 

 

 

 最低最悪に気分が沈みこんだ私は、道中の記憶も無いまま気が付けばハイランダーに到着していた。

 車庫に収められている見るも無惨な車両は昨日整備したばかりのもので。ただでさえ憂鬱な気分が更に落ち込むのを感じる。私がいくら仕事をしたところで結局はこうなるのがオチだ。今から作業を始めても終わるのはいつになるか分からない。諸行無常とはこのことだろうか。

 

 車両は天井が吹き飛び、むしろよくここまで持ってこれたなと感心するほど酷い有様だった。叩いてどうこうのレベルなんかとうに超えている、プランBを実行するしかない状態である。

 車輪は吹き飛び車軸は折れ曲がり、形を保っている部品の方が少ない。配線も切れ切れ。比喩ではない涙が目に浮かぶ。今頃先生と二人で休憩がてらお茶でも飲んでいたはずなのに。目元を袖で拭い、私は工具箱を開けるのだった。

 

 

 

 

 

 車両の下から這い出て油まみれの身体をタオルで拭う。あれから何時間だったのだろうか。作業が終わる目処はまるで立たない。外を見ると夜の帳はとうに落ち、星々が無駄に輝いている。

 疲労がもたらす倦怠感は肉体的なものと精神的なもので二乗になっている。帰りたい。早く私の聖域に逃げ込みたい。先生と一緒にいたかったのに。頭の中はそればかりで、注意が散漫になるのも仕方なかった。

 車軸を新品に取り換え車輪を取り付けようとボルトに掛けたその時、嵌りが悪かったのか車輪が私の足元に落ちた。

 鈍痛が走る。もう、もう、限界だった。持っていたスパナを放り投げ、その場にしゃがみ込む。

 

「なんで、なんでこんな、うぁあ、あぁ!」

 

 涙が溢れる。しゃくり上げる声はとめどなく、誰に聞かれるでもないのに喚き散らす。助けて。なんで私ばかりこんな目に。もういやだ。たすけて、だれか、せんせい。

 

「アオバ! どうしたの!?」

 

 声が、聞こえた。私の求めていたその声が。

 

「せ、せん、せい?」

 

 いま私が求めていたたった一人の人。助けを求めたその人が、何故だかそこにいた。泣いている私の姿を見て一目散にこちらに駆け寄ってくる彼はなにより私のことを心配してくれている。何故そこにいるのか分からないが、彼は確かにそこにいる。私は泣き止むことができず、しかし涙の理由はまるで違っていた。

 

「何かあったの!? 怪我しちゃった!? 大丈夫!?」

 

 慌てふためく彼に対して、私は言葉を紡ぐことができない。早く彼を安心させなければ。また迷惑をかけてしまう。ただ彼の声がもたらす安心感が私に泣き止むことを許してくれなかった。

 

 泣き続ける私を見かねて彼は膝立ちになり、私の頭に手をやる。

 

「一区切りついたからこっちに来たんだ。頑張ってるアオバを手伝おうと思って。大丈夫だよ。できることがあれば遠慮なく言って」

 

 彼は作業に忙殺される私を何となく察したのか、頭を撫でながらそう言ってくれた。ああ、これだから彼に惹かれるのだ。ずるい。ずるいよ。こんなことされて、希望を持つなという方が酷ではないか。まるで彼の手から私を操縦するエネルギーが注入されているかのように、私は無意識に欲望のまま言葉を吐いていた。

 

「……えっと、ぎゅって、ただ抱きしめて、ほしいんですけど……。あ、でも油の匂いが、やっぱなし、なにも聞かなかったことに……」

 

 不意に彼に包まれる。汚れや涙で崩れたメイクに塗れた私を、彼は気にせず抱き寄せた。鼻腔を彼の匂いが満たす。安心しきった私は彼に体重を預ける。彼の体温と私の体温が混じり合う。まるで最初から一つの塊であったかのように、内海アオバなんて最初から存在しなかったかのように、私と彼は融合する。離れることなど露ほども考えられない。先生。愛しい人。私の明日。きっとこの腕の中だけが私の聖域で、ただそれはいつか失ってしまうもの。あなたの目に映る私は、ただの生徒の一人だと分かっている。それでも。それでいいから。今はもう少し、このままで居させて。

 

 

 

 

 

 涙はまだ止まらない。

 




アオバちゃんぶっ刺さりました
なんやこの子
先生おらんかったらどないするん?
護らな(使命感)
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