本編
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拝啓 調へ
成人おめでとうデース!
今日は調の成人を祝うために、
久しぶりにみんなが集まるデス!
場所は今や人気店、おばちゃんのお店
『お好み焼き居酒屋ふらわー』デス!
ケツ洗って待ってるデスよ!
──────
「切ちゃん、相変わらず変な手紙……」
手紙を読んだ1人の少女『月読調(20)』は、クスリと笑いながら夕焼けの寒空を歩く。
人類の命運を賭け、神の一柱と戦ったあの日から5年──世界は以前とは比べ物にならない程の平和に包まれていた。
とは言っても、バラルの呪詛の問題は未だ未解決であり、人類同士での紛争はまだまだ存在する。その紛争の中では、パヴァリア光明結社の残党が金銭や権力目的でばら蒔いた『アルカ・ノイズ』の召喚石が利用されている。
彼女を含む6人の少女たちは、世界各地を飛び回り、紛争の解決と召喚石の回収に日々勤しんでいる。その結果、手広く活動するために単独での行動が増え、互いに顔を合わせる機会も少なくなってしまっていた。
「着いた……」
リディアン音楽院の最寄り駅から徒歩十数分、5年前は商店街の一角でしかなかったお好み焼き屋『ふらわー』。それが今は大きな看板を掲げ、彼女の来店を心待ちにしている。
カラリと扉を開けると、穏やかな照明が彼女の目を照らし、暖かい空気が頬を撫でる。
細めた目をゆっくりと開くと、そこには多くの人が入り乱れ、活気に満ちていた。
「いらっしゃいませ、おひとり様で?」
「あ、いえ……その」
外の寒さと、店内の熱気の温度差に言葉を詰める。
「おや、もしかして調ちゃんかい?」
その時、焼き場の近くから馴染みの声が聞こえる。声の主はお好み焼き『ふらわー』のおばちゃん、現在は『店長』と呼ばれるその人だった。
店長は調の対応をしていた従業員に指示を出し、他の仕事へと向かわせる。
「おばちゃん、お久しぶりです」
「随分大きくなったねぇ。ほら、連れの5人は奥の個室だよ。早く行ってやんなさい」
調は店長に頭を下げると、挨拶もそこそこに奥へと案内される。調はペコリと頭を下げて、奥の個室へと歩みを進める。
閉じられた
ハイテクスニーカー、豪華なパンプス、かかとが高いヒール、大人びたブーツ、そして……昔から変わらない緑のクラシックシューズ。
どれが誰のものかハッキリと分かってしまうと、調は少し感傷に浸る。
少し気はずかしい、何を話そうか、などを考えながら、息を整えて個室の襖をゆっくりとスライドさせる。
「調ちゃん、20歳おめでとーう!!」
「デース!」
パパンッ、と小さなクラッカーが2発、部屋に響き渡る。
驚いた調の目に映ったのは、栗色の癖毛が特徴の女の子『立花響(22)』と特徴的な語尾の女の子『暁切歌(21)』が、クラッカーを持って自身を祝ってくれている姿だった。
何もリアクションを取らない調のせいか、それともいきなりサプライズを披露した2人のせいか、しん、と個室は妙な空気感に包まれてしまう。
「あ……えと……響さん、お久しぶりです。切ちゃんも、久しぶり」
「う、うん調ちゃん……久しぶり。トホホ、こりゃ大失敗……」
「デース……調、久しぶりに会えて嬉しいデース……」
珍妙な空気の中で発した調の言葉に、挨拶をしながらガックリとうなだれる2人。その後ろから小さな影がやってきて、2人の首根っこを掴み上げる。
「おいバカ共、今日の主役がビビってんじゃねぇか。だからアタシはやめろって言ったんだ」
彼女は2人をズルズルと元の席に戻した後、再び調の元へと歩み寄る。
「久しぶりだな」
「お久しぶりです、クリス先輩」
そう呼ばれた彼女は『雪音クリス(23)』。銀色の髪と特徴的なツインテールがアイデンティティの少し小柄な女の子である。男勝りな性格だが、実際にはとても繊細で優しい。今はS.O.N.Gの名の下、バルベルデ共和国の復興支援の指揮監督を行っているとのことだった。
「……お前、ちょっと身長伸びたか?」
クリスは怪訝な表情で、調と自身の頭に手を交互にかざす。
「は、はい。確かこの前の健康診断では156cmと言われました」
「ごじゅうろ……!?」
その言葉を聞いたクリスは、少しの間石のように固まってしまう。しばらくした後に、ま、まあアタシの方が先輩だしな! と言い聞かせて心を落ち着かせ、再び調に声をかける。
「ま、まあなんだ。お前も久しぶりにアタシらに会うんだ。積もる話もあるだろうが、先に挨拶だけでも済ませちまいな」
そう言葉をかけて、クリスは後ろに控えるメンバーに親指を向ける。そこに居たのは、ある時にはぶつかり合い、そして認め合うことが出来た歌姫と、常に自身の隣に立ち、導いてくれた母のような存在の2人だった。
調はまず、近くにいる世界的アーティストに声をかける。
「お忙しい中ありがとうございます。翼さん」
彼女の名は『風鳴翼(24)』。6年前からトップアーティストとして活躍し続けており、今なおその名声に衰えはない。そんな雲の上の存在となった上、しばらく顔も合わせていないことも相まって、調は少し緊張してしまう。
「なに、堅苦しい挨拶はよしてくれ。私たちは共に世界を救うために歌った戦友だ。環境や
会食では皆、堅苦しい言葉遣いばかりで疲れるのだ。もう少し気を抜いて話してくれてもいいものを……と、翼は半ば愚痴のような物を吐き出す。
(翼さん、なんだか昔より柔らかい雰囲気になった気がする……)
調は相槌を打ちながら、頭の中で翼の変化を感じ取っていた。5年前よりも笑顔が自然で、愚痴の中にも日々の楽しさや面白さを感じ取ることが出来た。これは、同じく感情表現が苦手な調だからこそ、汲み取れたものなのかもしれない。
「おっと、済まない。私ばかり話してしまったな。私の挨拶はこれぐらいにして、彼女の元に行ってやってくれ」
そう言って翼が目を向けた先には、長いピンクの髪をまとめた女性『マリア・カデンツァヴナ・イヴ(27)』が母のようなほほ笑みで待っていた。
調も、どことなく子供らしく駆け足で寄りながら、彼女の元へと腰をかける。
「久しぶりね、調」
「マリア……元気にしてる?」
「ええ、今はエルフナインと共に聖遺物の研究を進めているわ」
活力が少し抑えられたのか、5年前よりも少し落ち着いた雰囲気になっていた。調がマリアに対してだけ、少し心配めいた声をかけたのには理由がある。
マリアは1年前にシンフォギア装者を引退したのだ。原因は、年齢による適合率の頭打ち、度重なる
彼女もいつかこうなることは覚悟していたようで、それ以前から研究所でエルフナインと共に聖遺物の研究に着手しており、そのままの流れでエルフナインの研究助手をやっている。
マリア自身も後悔がない訳では無い。だが、いつまでもクヨクヨするのは、立花響にガングニールを奪われた時にやめると決めた。その言葉を守るために、今も影でシンフォギア装者たちを支えている。
マリアの隣に座った調は、なんだか照れくさそうに彼女に身を寄せていく。
それにマリアは何となく気がついたのか、両手を広げて調を優しく抱きしめた。
「お花の匂いがする……」
「あら、素直になったわね。調」
「うん……」
調はマリアの胸に顔を埋める。まるで母を見つけた娘のように頬を擦って甘える。
マリアは調の頭に手を乗せ、髪をとかすように頭を撫でる。
「髪、下ろしたのね。似合ってるわ」
「うん、私もマリアみたいな綺麗な髪の毛にしたくて……」
「ふふ、随分嬉しいこと言ってくれるじゃない?」
2人の暖かい雰囲気に、周りの人々も心を暖める。
何分とも何時間とも感じる抱擁で、2人は互いの孤独と喪失の傷を癒し合った。
「あーっ! 調だけマリアに抱っこされててずるいデス! 私も混ぜるデスよーー!」
「マリアさんだけズルいです! 私も調ちゃん抱っこしたい!」
どのぐらい経ったのだろうか、完全に忘れ去られていたバカ2人……もとい、響と切歌がようやく目を覚ましたのである。元気が戻るがいなや、2人は抱擁し合う2人に突撃して4人で団子のように合体する。
(く、苦しい……でも……)
中心にいる調は、3人の圧力に若干苦しくなる。しかし、なんだか久しい感覚に少し安心もしていた。
「あなた達、調が苦しそうだわ。一旦離れてあげなさい」
「おお、大丈夫デスか、調?」
「ごめんねー、急に飛びついちゃったりして……」
マリアの一言を皮切りに、響と切歌は力を緩め、一旦傍から離れる。ホッ、と調は一息ついた後、2人に顔を合わせて軽く頭を下げる。
「改めて、お久しぶりです。響さん、切ちゃん」
「また会えて嬉しいよ、調ちゃん!」
「デスデス、デース!」
響の言葉に相槌を打つかのように、切歌は独自の言語を発する。この2人は調にとって、太陽のような存在である。
響は常に先頭に立ち、全ての状況を打開してきた人々の希望の光──あの時握ってくれた手の温かさを、調もまだ覚えている。現在はS.O.N.Gの装者職員として、最も手広く活動をしているらしい。最近では、1ヶ月で10の国を回ったと聞いた。
だというのに、全く疲れている様子を見せずに動き回る。彼女のバイタリティは一体どこから湧き出てくるのだろうと、調は少し疑問に思った。
「響さん、さっきはせっかく祝ってくれたのに、反応出来ずにすみません。でも、とても嬉しかったです」
「なーに、喜んでくれたらそれでいいのだよ! 私こそ、急にクラッカー向けちゃってごめんね」
軽くさっきのサプライズについて、お互いに弁明をする。
「じゃあ、さっきはちゃんと出来なかったから、もう1回抱っこさせて!」
次に、響はにこやかな笑顔をしながらおもむろに手を広げ、抱擁の準備を始めた。
調も若干の戸惑いがあったが、ゆっくりと響の元へと近づき、ギュッと抱きしめる。
「調ちゃんあったかいなぁ。それになんだかいい匂いがする」
「響さんも、暖かくて……それに、シトラスの香り? これってもしかして、制汗剤?」
「はわーっ!?」
調の一言に、響は急に奇声をあげて距離を取る。そして、間髪入れず自身の体を嗅ぎだした。
「あのー……今日ちょっと遅刻しそうでしてね。このままじゃまずい! って思って駅からダッシュでここに来たんだけど、ちょーっとばかり汗ばんじゃってさ……その、臭くなかったですかね、調さん?」
その言葉の直後、調はもう一度響に抱きつく。
「臭くないですよ。制汗剤の匂いも含めて、響さんらしい匂いがします」
その言葉を聞いて、響はよかったー、と胸を撫で下ろす。しばらくの抱擁の後、隣に来たもう1人のサプライズ係の女の子が目に入る。
響も気がついたのか、抱擁をやめ、調を彼女の元へと差し出した。
「切ちゃんも、サプライズありがとう。反応できなくてごめんね」
「私も調が喜んでくれたのが分かったから、それで良いのデス!」
切歌はF.I.S時代から苦節を共にしてきたパートナー。調を最も近くで照らす、天真爛漫な女の子だ。お気楽そうに見えて1番の常識人で、いつも暴走する調の制御をしていたのが切歌だった。
「最近調子はどうデスか?」
「私はボチボチ頑張ってるよ。切ちゃんは?」
「大学生活は楽しいデスが、レポートとテストが地獄デス! あの時みたいにクリス先輩に教えて貰えないし、毎日が机との戦いデス!」
現在切歌はS.O.N.G直轄の大学に所属しており、日々のレポートやテストに悪戦苦闘しているようだ。
調もS.O.N.G直轄の大学に所属はしているが、切歌とはしばらく顔を合わせていない。理由は、調は関東支部の大学、切歌は関西支部の大学に在籍しているからだ。
5年間は平和だったが、また以前のような大事件が起こらないとも断言できない。迅速な対応をするためにも、日本に定住している2人を別々に配属することは仕方の無い事だった。
「でも大阪は楽しいデス! この前、たくさん荷物を持ったおばあちゃんを手伝ったら、お礼でたこ焼き貰ったのデス!」
他にも、八百屋のおじちゃんのワンちゃんと遊んでたら、大根サービスしてくれたり、落し物届けたら飴ちゃんくれたり……やっぱりいいことはするもんデスなぁ。ハッハッハ、デース! と、腰に手を当ててわざとらしく高らかに笑う。
「それに、関西弁もマスターしたんデスよ! コホン……調はん、成人おめでとさん! 今日はウチらの奢りやから、たっぷり飲み食いしていきや! ……デス!」
「「「「「おおー……」」」」」
関東や海外育ちばかりの装者達には、それがエセ関西弁なのかどうなのかを見抜く術は無い。しかし、結構板に着いた言葉遣いに、5人とも感嘆の声を上げ、パチパチと拍手をする。どうもどうも、と切歌は額に手を当てながら頭をペコペコと下げる。
S.O.N.Gの本部は関東にある。日本に住む知り合いの中で、ただ1人関西在籍の切歌の方が寂しくしているのではないかと思っていたが、それは調の杞憂だったようだ。
向こうでの生活も、案外上手くいっているらしい。
「大体、挨拶も終わったみたいだな」
「はい」
後ろからクリスが声をかける。調は振り返って頷いた。すると、クリスが手に持っていたメニューパネルを彼女に渡す。そこには、アルコールと書かれた大人の飲み物たちが記されていた。
「じゃ、最初にドリンク決めてくれ。アタシらはさっき注文したからさ」
そう言ってクリスは調を席に座らせ、自分の席へと戻っていく。
「これが大人の飲み物……」
調はそう呟き、しばらくメニューパネルと睨めっこをする。しかし、彼女はつい先日20歳になったばかりの新米大人である。ワイン、ビール、カクテル、ウイスキー、焼酎……ロック、ストレート、ソーダ、水割り……何が何だかさっぱりで、うーんと脳内で頭を抱える。
「調、どれにしようか迷ってるの?」
「うん、文字だけじゃどんなものか分からなくて……」
「そうね、ならこの辺りはどうかしら?」
隣にいたマリアはそれにいち早く気づき、お酒初心者でも飲みやすいカクテル系を指さして勧める。調はその助言を聞き入れ、自分でも味の想像がしやすそうなカシスオレンジをタッチして注文した。
「ありがとう、マリア」
「どういたしまして」
感謝の言葉を伝えられたマリアの顔は、優しく微笑んでいた。
数分後──装者6人が注文したドリンクが一斉に運び込まれる。様々な形のグラスと、様々な色の酒が彼女らの特徴を如実に表しているようだった。
「では、今日の主役の月読に乾杯の音頭を取ってもらおうか」
一通り酒が全員に渡り、一旦の落ち着きが生まれると、翼が周りを静止するように声をかける。その一言で、先程までザワザワとしていた空気感が嘘のように静まり返った。
そして皆が、月読調のいる席に目を向ける。
場の空気に流されるように、グラスを持って調はゆっくりと立ち上がる。しかし、このようなことが行われるなどと想像もしていなかった彼女は、あの……えっと、と言葉が出てこない様子だった。
「調、別に堅苦しく考えなくていいのデスよ。今思ったこと、感じたことを言葉にすればそれで良いのデス」
隣から聞こえた親友からの励ましに、調はスッと息を吸って言葉を綴り始める。
「えっと……今日は皆、私の為に集まってくれてありがとうございます。こんなふうに祝ってくれる友人と出会えたこと──そして今日、またもう一度集まれたことをとても嬉しく思います。皆との久々の再開に、乾杯……!」
「そーしーてー!」
と、響が席から大声を上げる。酒の入った大きなジョッキを上に掲げながら、調べの音頭に続けるように言葉を連ねる。
「調ちゃんの、成人祝いに乾杯だーっ!」
せーのっ!
「「「「「おめでとう(デス)!」」」」」
その瞬間、調の脳内に楽しかった5年前の記憶がフラッシュバックする。感極まって涙を流しそうになるが、必死に堪えて前を見る。
「ありがとう!」
その顔には、誰もが羨む満点の笑顔が浮かんでいた。
「さあ、飲むぞ食うぞー!」
「バカお前、頼みすぎだっての!」
早速メニューパネルを取り合う2人。
「翼、最近のライブはどう?」
「ああ、前よりもいい意味で力が抜けていると、緒川さんに褒められたよ」
世間話に花を咲かせる2人。
「調、今日はたくさん楽しもうデス!」
「うん、切ちゃん」
そして──最愛の親友と、久々の再会を喜ぶ2人。
日は完全に沈み、星空と雪が空を覆う。
装者たちの同窓会は、まだ始まったばかりである。
☥
入店からどのぐらいの時間が経ったのだろうか。
食事もひと通り終わり、各自が酒やツマミを頼んでチビチビと飲みながら喋る時間がだんだん長くなっていた。
「風鳴先輩がビール飲むなんて、初めはちょっと意外だったぜ」
「そうか?」
卓の右側では、クリスと翼が酒の話をしていた。
なんでもクリスの中では、翼はオシャレなバーでワインやウイスキーを嗜んでいるというイメージがあったかららしい。しかし実際には、イメージとは真逆の黒ビールを飲んでいたのだ。
「昔は、今の雪音が想像しているような酒の趣向ではあったな。ちなみに今もワインは好きだ。だが、去年独国でのライブのパーティで出たビールに感銘を受けてな。それ以来よく飲むようになったのだ」
なるほどなぁ、とクリスは納得の声を上げる。
「それにしても雪音は強いな。梅酒のロックももう5杯目だろう?」
「ん、そうか?」
「そうだろう、全く顔にも出てないぞ。私の印象では、雪音は軽めのカクテル数杯で酔いつぶれるものかと思っていたからな」
舐めてもらっちゃ困りますよ、先輩。と、雪音は得意げに鼻を鳴らして周りに目を向ける。笑顔溢れる空間に、雪音はなんとも言えない感傷に浸っていた。
「この光景、昔のアタシに見せても絶対に認めなかっただろうな」
「そうだな。過去の私自身に、今の私が人の輪に入って酒を飲んでいるなどと言っても、戯れ言だと吐き捨てていたかもしれん」
かつて、人との関わりを拒絶していた2人が互いに笑顔を向ける。
恐らくこの幸福は、寸分の狂いで存在しない幻想になっていたのだろう。そう考えると、あの日の自分たちの手を取り合ってくれた立花響には、感謝してもしきれない。そう2人は言葉にせずとも、同じことを考えていた。
「クリスちゃん……」
その時、ツンツン、とクリスの肩をつつく指が現れる。
「ん、なんだ?」
「ちゅーしよ!」
「な……!?」
そう言いながら振り返ると、そこには前のめりになりながら唇を尖らせる感謝の対象が、ふざけたことを抜かしていた。
その言葉に、クリスは冷水をかけられたかのように驚く。
しばらくして意識を取り戻したのか、響の脳天にげんこつをお見舞する。
「痛ーい! 酷いよクリスちゃーん……」
「オメーがバカなこと抜かしてるからだろうが、このバーカ! てかなんだこのジョッキの量!? お前どんだけ飲んだんだよ!?」
響の傍にあったのは、空になったハイボールの大ジョッキがゴロゴロと転がっていた。
この惨状に、酒ですら染まらなかったクリスの顔は、呆れと憤りと羞恥で真っ赤に染まる。こういうことには、未だに耐性がないようだ。
「翼さーん、クリスちゃんが私の事ぶちましたー……」
「おおよしよし、大丈夫か立花? 痛かったな? ……コラ雪音ェ! 後輩に手を上げるとはぁ、何事かぁ!?」
「なんでアンタも相当出来上がってんだよ!? たかだかビール1杯だろうが!」
クリスの暴力に翼は叱責する。しかしその言葉は、明らかに呂律が回っていなかった。風鳴翼──酒の趣向は広いが、究極と言っても過言ではないほどの下戸だったのだ。
それも、他人への悪ふざけが加速する方面での下戸である。今の状況も、明らかに響が悪いと分かっていながら、クリスが困る姿を見たくて響の味方をしている。
「それに、アンタも出会ったばっかの時はこのバカに思いっきり剣振り回してただろーが! それはいいのかよ!?」
「む、確かにそうだな。立花はどう思う?」
「忘れましたぁ! でも、今は仲がいいからいいんじゃないでしょうかぁ?」
「だそうだ」
翼はそう言いながら、クリスに向けて得意げな笑顔を見せつける。クリスはその笑顔にプルプルと震えながら耐えていたが、しばらくしてついに怒りが爆発してしまった。
「
クリスの悲痛な叫びが夜に響く。天然2人の面倒を見る彼女の苦労は、今も昔の変わらないものであった。
ちなみに響は、後日クリスにキスを迫ったことを『小日向未来(22)』に報告され、しばらく口を聞いて貰えなくなってしまったというのは別の話。
報告した犯人はもちろん、翼である。
☥
「初めてのお酒はどうかしら、調?」
トッキブツ組がどんちゃん騒ぎを始める少し前。初めて酒を飲んだ調に、マリアが感想を求める。
「美味しい……んだけど、ジュースの方が美味しく感じる」
私ってやっぱり子供なのかな? と、少し落ち込む調に、マリアはクスっと笑いかける。
「やっぱり皆最初はそう思うのね。別にその感覚は間違ってないと思うわ」
「私も最初はお酒よりジュースの方が好きだったデス!」
マリアの言葉に続けて、切歌も自身の体験を述べる。
「調、別に今すぐにお酒を飲めるようになる必要なんてどこにもないのよ。私も初めはお酒なんて……って思ってたわ。でも、周りのみんなが楽しそうに飲んでいるのを見ると、自ずと飲めるようになるものよ。周りの雰囲気も含めてこそ、お酒は美味しく感じられるの。まずは周りの雰囲気を見て、酔うということを覚えていきなさい」
その言葉に、うん、と調は返事をする。
しばらく食事を進めていくと、徐々に周りの雰囲気も柔らかくなって行くのを感じる。それをお酒が助けているのだと、少しずつだが理解し始める。そこで調自身も酒を口に含む。カクテルの甘さとアルコールの独特な風味が鼻に抜け、自分が飲んでいるものは酒であると改めて認識する。
その雰囲気にゆっくりと酔い始め、心の奥から楽しさが溢れ出てくるのを感じた。
「マリア、お酒って楽しいね」
「ふふ……初めてにしては上出来ね。これは未来の酒豪かしら?」
などという下らない冗談交じりの会話すら、酒というフィルターを通すことで楽しさが倍増する。調は今までの人生とは違う刺激に、徐々に魅了されていった。
そのまま飲むペースが徐々に早くなっていく。初めはカクテルばかりだったが、徐々にサワーやビールといった、甘さの少ないものも口に入れ始める。
「調、凄いデスね。私が初めて飲んだ時はここまで飲めなかったデスよ。大丈夫なんデスか?」
「うん、ちょっと頭はふわふわするけど、今のところは大丈夫かも」
切歌の心配の声をよそに、調は4杯目を飲み切る。隣にいるマリアも少し驚いている様子だった。
「そうね。最初の発言は冗談交じりだったけど、どうやら本当に酒飲みの才能がありそうだわ」
そんな会話をしていると、トッキブツ組が例のどんちゃん騒ぎをしだす。
その声は少し離れたF.I.S組にもはっきりと聞こえるほどだった。その中には、クリスのSOSの声も含まれている。
「マリア、頼む助けてくれ! 先輩もバカも調子づいて手に負えねぇ!」
「全く……分かったわ。少し待っていて」
マリアは頭を抱えてため息をつく。そして調に顔を向けてトッキブツ組を指さして反面教師にするよう教育していた。
「いい? あれがダメな大人の例よ。ああいう風には絶対なっちゃダメ。いいわね?」
マリアはそう言い残し、チェイサーを抱えてトッキブツの天然組に突撃する。一瞬で3人を引き剥がして、響には大量に水を飲ませてトイレに行くよう促し、翼には正座させて叱りつけていた。
その隣でクリスはぐったりと横たわっている。
「これが、酒が暴く大人の本性……恐ろしい」
そう呟きながら調は、マリアの席にあったある物に目をつける。それは、黒いとっくりと小さなおちょこであった。とっくりの表面には日本酒、と白く彫られており、少し暖かい。調がそのとっくりを傾けると、中身はまだ半分ほど残っているようで、液体の動く感覚が手に伝わる。
なんデスかこれは? と、切歌はとっくりの口に鼻を近づける。その直後、ぎゃわ〜ッ!! と声を上げて後ろにしりもちをついた。
「マリアはこんなのを飲んでいたのデスか!? は、鼻がおかしくなりそうデス!?」
切歌は鼻をつまみながら、涙目でとっくりを指さす。そんな彼女を尻目に、調はおちょこに日本酒を注ぎ、香りを嗅ぐ。
「し、調……本当に飲むんデスか?」
「……うん、試してみるよ切ちゃん」
ツン、としたアルコールの香りが彼女の鼻を刺激する。しかし、不快だとは思わなかった。そのままの流れでおちょこを口に運び、日本酒を口内に一口流し込む。
「……ほっ」
口に含んだ瞬間の、鼻に抜ける強い香りと酒の味わい。飲み込んだ瞬間の、喉がカッと熱くなるような感覚。飲み込んだ後に腹で巡り、内側から上がっていく体温……それぞれ初めての刺激を一気に受けた調は、ただ一息つくことしか出来なかった。
そして、今まで平気だったというのに、ついに臨界点に達したのか調の顔が徐々に赤く染まり初め、目がトロンと据わっていく。
「調? 大丈夫デスか……?」
切歌は心配そうに、調の肩に手を乗せる。すると、調はその手を握りしめて自分の体に巻き付ける。
「切ちゃん……」
「オヨーーッ!?」
調は完全に出来上がってしまい、甘えるように切歌の体に肢体を絡める。そのまま切歌に馬乗りになるように、調はマウントを取った。
「切ちゃん……なんだか私、ドキドキが止まらないの。ねぇ……好き、大好き」
「ひゃあっ……!? ダ、ダメデスよ調! ここにはまだ皆が……」
調はそう言いながら抱擁を強くし、耳や首筋にふっと息を吹きかける。その甘い声に切歌は力が抜けてしまい、調にされるがままにされそうになる。
「あなた達、一体何をやっているのかしら?」
その寸前で、頭上からよく聞いた冷ややかな声が降り注ぐ。2人が見上げると、そこには目元に影を作った、怒りを隠すように張り付いた笑顔のマリアが居た。右手には空のチェイサー、左手には首根っこを掴まれた翼がぐったりと横たわっている。
翼の顔が真っ白になっている。相当こってりと絞られたのだろう。
その姿を自分たちの未来と捉えた2人はスっと酔いが覚めていき、その流れのままマリアに土下座を敢行した。
もちろん、許されなかった。
☥
かくして、シンフォギア装者の同窓会は幕を閉じた。トッキブツ組は完全再起不能となり、翼とクリスは緒川さんに無理を言って送迎を依頼。響は仕事帰りの未来が拾って帰ることが決定した。
あの後バッチリと叱られた切歌と調は、マリア所属の研究所でシャワーを浴び、仮眠室で一緒に休むことになった。
あの頃は向かい合って眠ることが当たり前だったというのに、久々に同衾をした彼女らは背を向けあって眠っていた。
同窓会の最後の最後に、あのような事件が起こってしまった以上、互いに意識してしまうところがあったのだ。しかし、2人とも徐々にいたたまれなくなり、ついに彼女らは口を開ける。
「「あのね……」」
しかし、同じタイミングで振り返った上で同じ言葉を発してしまい、またお互いに沈黙を作り出してしまう。しばらくは2人ともモジモジとしていたが、ついに片方が、その均衡を破った。
「あのね、切ちゃん。急にあんなことしてごめんね……切ちゃんのこと、傷つけちゃった……」
それは、調の方からだった。酔ってたとはいえ、親友に襲いかかってしまったことを悔いているのだ。
「そんな事ないデス、悪いのは私の方デスよ!」
切歌は調の手を握り、首を振りながらそう発言する。
「分かってたんデス……調が私の手を取った時に、ああなっちゃうんじゃないかって……その時すぐに手を離して、水を飲ませたりして落ち着かせてあげれば、調も傷つかなくて済んだんデスよ」
でも……と、切歌は言葉を詰まらせ、少し俯く。しばらくして、覚悟を決めたように調の目を見て真摯に答え始めた。
「調も言ってたじゃないですか。お酒で暴かれる本性があるって……だから、もうお酒が飲めるようになった調が、いつかどこかで、私以外の誰かにあんな顔を向けるんじゃないかって思ったら……」
なんだかモヤモヤして、嫉妬して……それでわざと力を抜いて、襲われちゃったんデス。わざと調に傷つけてもらうように仕向けて……調を傷つけて……最低デス。
そう言いながら、切歌は目尻に涙を浮かべ、調の手を強く握る。
震える切歌の手に、調はそっと手を添えて優しく包み込む。すると、手の震えはパタリと止み、切歌は驚いたように目を見開いて調を見る。
彼女の瞳に映った調の表情は優しく、まるで天使のようだった。それでいて、風呂上がりの火照った頬と据わった視線が、まるで人を誘惑する小悪魔のようにも見えた。
その表情に、切歌はドキリと胸を高鳴らせる。
「切ちゃん、教えてくれてありがとう。でもね、やっぱり謝らなきゃいけないのは私なの」
「で、でも……」
実はね、私もなんとなく分かってたんだ。
その言葉をクッションに、調は淡々と自身の気持ちを吐露する。
「私の事が本当に好きなんだなって……今の切ちゃんになら、何をしても許してもらえるんだって、思っちゃったの。それに、私も切ちゃんになら、後で何されても平気だもん」
でも、それに甘えて結局私も切ちゃんを傷つけちゃった……。
お互い様だね、と調は呟き、そうデスね、と切歌は返す。
「私たち、とんだ悪い子デスね……」
「そうだね切ちゃん。ダメな大人の典型例、マリアが怒るのも当然の事かも」
そう言いながら、2人はお互に顔を見合せてクスクスと笑い合う。
「でも、これからいい子になればいいんデス。私と調なら、きっとなれるデスよ」
うんうん、と頷きながら切歌は調にそう語る。
すると、調はある言葉を、細めた目で切歌を見つめながら呟いた。
「……切ちゃんは、悪い子な私は嫌い?」
その言葉に、切歌は頭を金槌で殴られたような衝撃を受ける。妖艶な調の笑顔に飲み込まれそうで、怖いのに目が離せないでいた。
理性を取り戻すため、グッと目を閉じてプイッ、と調から顔を背ける。
「それはずるいデスよ、調」
「あはは、ごめんね切ちゃん」
そう言いながら、2人は繋いだ手の指を絡めて優しく握り合う。その瞬間、2人の心臓がドクン、と大きく高鳴る。
「じゃあ2人で仲良くいい子になろうね」
「そうデス、いい子になれば、これから先はもっと楽しくなるはずデス!」
2人はベッドの中でそう誓う。
普段の声色で話しながらも、2人は直感的に感じ取っていた。ああ……もう私たちは、元の関係には戻れないんだな──と。
そして重くなるまぶたに身を委ね、仲良く眠りについたのだった。
☥
2人が眠りについた数十分後、カラカラと音を立てて仮眠室の扉が開く。そこに居たのはマリアとエルフナインだった。
「よく寝てますね、マリアさん」
「そうね、どうやら仲直りしたみたい。ありがとうエルフナイン、無理言ってごめんなさいね」
いえ、他ならぬマリアさんの頼みですから。と、5年前よりも低い声……かつてのキャロルによく似た声でエルフナインは返事をする。声だけではない。身長や体型も、ファウストローブを纏ったキャロルと瓜二つなまでに成長していた。かつてのキャロルのボディを10歳前後だとすると、現在は15歳程度だろうか。
「お2人は本当にこのままで良いのでしょうか? 人間がお互いの身体を求め合うことは、最大の愛情表現であるはずですが……」
「私も、この2人がお互いを本気で想っている事は理解しているわ。でもねエルフナイン。気持ちに折り合いをつけないまま、ただ闇雲に関係を進めても、いい事は何も無いのよ」
これは、状況は違えど、フィーネとして活動していた時、なんの覚悟もしないまま闇雲に戦場を駆け巡っていたマリアだからこその発言だった。
「そうなんですか、僕もまだまだですね。5年間の研究で、人間の事は既に調べ尽くしたつもりなんですが……」
何が足りないんだろう、とエルフナインは腕を組んで喉を低く鳴らす。マリアはそこに割って入るかのように言葉を述べた。
「そうね、あなたに足りないものは、一言で言うと経験じゃないかしら? 今まで会ってきた人たちの中で、この人だけはどうしても譲りたくない──ずっと一緒にいたいって思えた人は居た?」
「そ、それは……その……居る、のでしょうか?」
エルフナインは言葉を選びながら、マリアの方を見る。あやふやな回答にマリアは少し首を傾げたが、疲労と睡魔に襲われてそこまで深く考えることは出来なかった。
「う〜ん……! 私もそろそろ寝ようかしら。エルフナイン、私が言った人がもしもあなたに居るのなら、『その人』からたくさんの事を学びなさい。ただ研究するよりも、『その人』はたくさんの事を教えてくれるはずよ」
マリアは大きく伸びをした後、おやすみなさいとエルフナインに言葉を残し、部屋を後にする。
「僕は……僕は……」
静まり返った仮眠室前の通路で、エルフナインは自問自答を繰り返す。答えは出ない。初めての経験だった。何度問いかけても出ない答えに、エルフナインの頭はショートを起こす。
次の瞬間には、脳裏に浮かんだあの人の元へと駆け出していた。
「マリアさん!!」
『その人』──マリアに追いついたエルフナインは膝を抱えながら息を整える。マリアは大丈夫? と腰をかがめてエルフナインと目線を合わせる。その瞬間、エルフナインは勢いよく顔を上げ、マリアに真剣な眼差しを向ける。
「マリアさん、僕はあなたが好きです! 誰にも奪われたくない、あなたとずっと一緒にいたいんです!」
彼女の鬼気迫る言葉に、マリアは戸惑いを見せる。
「エ、エルフナイン? どうしたのよ急に……」
この際だ、全部言ってしまおう。僕の気持ちの全てをこの人に……と、エルフナインは真実を語り出す。
「僕は、マリアさんがシンフォギア装者を引退する2年前に、手が足りないから聖遺物の研究を一緒にしませんか、と言いましたよね?」
「ええ……そうね」
「実はあれ、嘘なんです。本当は人手が足りないなんてことはありませんでした。でも……」
LiNKERの製薬は僕がほとんど行っています。だから誰よりも早く知っていたんです。マリアさんがいつか、シンフォギア装者を引退することになってしまうということを。装者をやめてしまえば、マリアさんはどこか手の届かない遠くの場所へ行ってしまうのではないかと。
僕は恐ろしい不安に駆られ、気がついた時には声をかけていました。
徐々に明かされる真実に、マリアは困惑しながらもエルフナインの話を真摯に聞いていた。
「そうして僕の研究室に呼び込むようになってからは、毎日がとても幸せでした。でも、しばらくして、僕の中のドス黒い感情が、徐々に心を支配するようになっていったんです」
これでマリアさんが装者を引退したとしても、僕の研究所に繋ぎ止めることが出来る……いや、むしろ引退してくれれば、彼女の笑顔は僕だけのものになる……と。
このどうしようもなく独りよがりな感情が、マリアさんの言う『その人』に向ける独占欲なのだとしたら、僕はその問いに対してこう答えるしかないのです。
「僕はマリアさん、あなたを愛しています。と」
その一言を聞いて、マリアはスっと立ち上がり、顔を隠すように背を向ける。
「ありがとう、エルフナイン……お互いに折り合いを付けたら、また話しましょう」
そう言い残してマリアは、自室のベッドへと足を運ぶ。
自己の全てを告白したエルフナイン。話すことに必死なばかり、マリアの赤く染った耳を見逃していた。
これが恋だと自覚したエルフナインもまた、ドキドキと胸を高鳴らせ、この独りよがりの恋を証明するために研究室へと向かう。
歪んだ恋の形もまた、当人にとっては正しい恋の形なのである。
こうして、それぞれにとって長い同窓会の夜は幕を閉じたのであった。