雪音クリス
年齢:23歳
好きな物:アンパン×牛乳
苦手な物:素直になれない自分
嗜むお酒:果実酒(ロックorストレート)
魔弓の聖遺物『イチイバル』のシンフォギア装者。男勝りで一匹狼を装っているが、誰よりも繊細で優しく、そして寂しがり屋な性格。両親を内戦で失うという壮絶な過去を有している。故に、誰よりも家族愛を大切にしており、バルベルデ共和国の孤児たちや、S.O.N.G.所属のシンフォギア装者たちを、家族のように愛している。態度にはあまり出さないが、周囲にはバレバレである。若干ネガティブ思考気味な自分が嫌い。
母方の血筋の影響か、かなり酒には強い。甘口の酒が大好きで、特に果実酒を愛飲している。トッキブツ組では唯一の酒類強者なので、勘定や送迎は大抵彼女の仕事である。
外伝1話.同窓会後:雪音クリスの場合
時は遡り1週間前──。舞台はバルベルデ共和国支援施設。そこに建てられたサッカースタジアムの観客席の最前線で、雪音クリスは試合を眺めていた。
「ふーっ……」
スタジアム、 とは言ったものの、コートの一辺に数列のベンチと日除けが置かれた程度の簡素なものだ。彼女はそこでタバコを一吸いし、ゆっくりと煙を吐き出す。この時間が、彼女にとって唯一の休憩時間だ。
「スタジアム内は全面禁煙よ、クリス」
「初めはソーニャお姉ちゃんが勧めてきたんじゃねぇか……」
クリスの後ろから注意の声が聞こえる。声の主は『ソーニャ・ヴィレーナ』、何年も前からクリスの両親の決意に賛同し、支援施設を支える立役者の1人だ。
クリスは悪態をつきながらも、携帯していた灰皿に吸殻を入れてポケットにしまう。ソーニャはその隣に立ち、目の前で起こる試合を眺める。
「もっと下がれ!」
「そいつを止めろ!」
「行け、ステファン!」
相手と味方の声が入り乱れる戦いの中で、よく聞く名前が響き渡る。その名前を聞いたクリスは顔を上げ、より試合に集中する。ボールを持つのは、あの日よりもずっと身長も体格も大きくなった昔馴染みの青年『ステファン・ヴィレーナ』だった。
彼は相手選手の包囲網を軽やかなテクニックで躱し、ゴールキーパーとの一対一までこぎつける。そして、近距離で放たれた強烈なシュートはキーパーの反応を許さず、ゴールネットを揺らした。
得点の笛と共に、奥にある黒板の点数が訂正される。その次には試合終了のホイッスルが鳴り、選手全員の動きが止まった。
試合結果は2対1、先程の1点でステファンの所属するチームの勝利が決定したのだった。
チームメイトは最後の特典を決めた彼を讃え、寄り集まって盛り上がる。
最後まで試合を見たのは初めてかもしれない……と、クリスは少し微笑みながら、チームの勝利を喜ぶ。そんなことを考えている時、隣のソーニャは立ち上がり、手を振って彼の名を叫んだ。
「ステファン! こっち、こっち!」
ソーニャの呼び掛けによってステファンは2人の存在に気づく。すると彼はチームメイトに声をかけ、その場を離れて2人の元へと走ってきた。
「姉ちゃん、来るなら来るって言ってよ……!」
「仕方ないじゃない、今来たところなんだから、ね? クリス?」
「おう、さっきのすげー良かったぞ」
ソーニャの言葉に、クリスは相槌を打つ。その言葉にステファンは少し顔を赤らめ、恥ずかしそうに頭をかいた。
「なあ、足はもう大丈夫なのか?」
「うん、だいぶ馴染んできたよ。日本の技術の進歩は凄いね、もう本物の足みたいだ」
クリスの問いかけに、ステファンはそう答える。6年前、あの日の事件によってステファンは右足を失った。しかし、もう一度サッカーをしたいと強く願い、日本の最先端技術を使用した義足を現在使用している。技術の進歩とは目まぐるしいもので、5年前は機械的だった義足も、今や普通の足と見分けがつかない。本人曰く触られたりすると、その感覚もあるようだった。
「そっか、なら良かった……てか、またデカくなったんじゃねーか?」
クリスは安堵した後、そう呟きながらステファンの頭に手を伸ばす。6年前は彼女よりも少し背が低い程度だったというのに、今では背伸びをしても頭頂部すら見えない。身長は180cm後半といった所だろうか。
その他にも、肩幅も大きくなって、腕も太くなった。指先は節っぽくなり男性としての成長を感じられる。
「ったく、一丁前にデカくなりやがって。アタシの方が先輩だってのに……」
クリスは文句を言いながら、ステファンの体をベタベタと触る。彼女は徐々に赤くなる彼の顔を知る由もない。
「お、俺もう行くから……じゃ!」
「あ、おい……!」
むず痒くなったステファンは、クリスの手を払いのけてそそくさとチームの元へと戻っていく。隣のソーニャがクリスの肩にポン、と手を置き、やれやれと言った表情で呆れ笑いをする。
「今のはクリスが悪いわ。あの子も男の子だもの」
「あ、そっか……」
その言葉を聞いて、自分の行動があまりにも無遠慮であることに気づいたクリスは、少し顔を赤くする。
クリスにとってステファンは、面倒を見るべき弟分だ。しかし、今はもう彼女より体も大きく、力も強い。独り立ち出来る立派な男になっていた。それに気づいたクリスは、嬉しいような寂しいような、恥ずかしいような感情が渦を巻く。
「ま、とにかく立派になってなによりだ」
「そうね、あの子好きな子も居るみたいだし……」
「なんで今その話題になるんだよ……」
「ふふっ、別にー?」
ニヤついたソーニャの言葉に疑念を感じながらも、ステファンに想い人がいることに少し驚きを隠せないクリス。そっか、アイツももうそんな歳なのか……と少し寂しい気持ちが強くなる。
「もう、そんなに経っちまったのか……」
あの日から5年──バルベルデ共和国に来て3年の月日が、いつの間にか経っていた。
成人してすぐ、S.O.N.G.の人々と距離を取るかのようにこの国に来たクリス。もちろん、彼らに感謝がない訳では無い。ただ何となく、心の奥に眠る『何か』が居心地を悪くしていた。その『何か』には、彼女自身も未だに気づいていない。
アタシはこのままでいいのだろうか? 何もしなくていいのだろうか?
という考えが、頭の中を支配する。グルグルと巡るネガティブな思考回路、昔からの悪い癖が再発する。
「ねぇ、クリスは? 好きな人とか気になってる人、いるの?」
「へぁ……!? な、何言い出すんだ藪から棒に!」
その思考を吹き飛ばすかのように、ソーニャがクリスに問いかける。その顔はイタズラを仕掛ける姉のように、ニヤニヤとした意地悪な笑顔だった。
案の定、上擦った声を出して顔を赤らめるクリス。しかしその言葉が、彼女にあるものの存在を思い出させる。
おもむろにポケットに手を入れたクリスは、1枚の紙を取り出した。
それは、数日前に届いた月読調成人祝いの招待状だった。
クリスはその紙を見て少し顔を歪ませる。
「そういえば、明日にはここを発つんでしょう?」
「ああ……でも、なんだかなぁ……」
行きたくない、訳では無い。調は大切な後輩で、成人という一生に一度しかないイベントを蔑ろにしたいとは思っていなかった。
だが、この同窓会に参加するということは、必然的に『あの2人』とも出会うことになる。嫌いという訳では無い。しかし、2人を見てモヤモヤとする自分自身を理解した時、それがたまらなく嫌だった。
「あら、やっぱり日本に気になってる人がいるのね」
「は、はぁ!? な、なんだってんだよマジで!!」
招待状を覗いたソーニャが、少し笑いながらクリスの悩みに横槍を入れる。またネガティブ思考を吹き飛ばされたクリスは、ソーニャを怒鳴りつける。
「否定はしないのね」
「そりゃあ……オメェ……」
耳まで赤く染まったクリスの顔。それを見たソーニャは茶化すのをやめ、クリスを優しく抱きしめる。
バクバクと鳴っていたクリスの心臓は、ゆっくりと元の心拍数へと戻っていく。
そこでようやく理解した、あの感情は嫉妬なのだと。とある少女が、自分ではなく別の女の子に惹かれ、その少女も、その子のことがどうしようもなく好きだということを。
そこに自分が割って入る隙など何処にも無いという虚しさから来るものだと言うことを、ようやく理解した。
「ダセェな、アタシって……」
理解したが故に、余計に己の行動に嫌気がさしたクリス。この調子では、調の同窓会に参加しても雰囲気を悪くしてしまうかもしれないと考え始める。
同窓会を欠席しようかと思ったその矢先、ソーニャは抱き締めるのをやめ、いつもとは違う真剣な表情をクリスに向ける。
「クリス、この同窓会には絶対に行きなさい」
「な、なんだよ急に……?」
「なんでもよ。私は日本にいる人と貴方が、どんな関係を築いてているかなんて到底分からない。でもね、貴方が逃げるようにバルベルデに来た理由はきっとここにある」
ハッ、とクリスは目を見開く。どうやらクリスの心情は、ソーニャにはバレバレだったようだ。
「だから、向こうで自分と向き合って……その人と向き合って、自分の心に折り合いをつけて来なさい」
「でも……向き合うったって、どうすれば……」
「別に面と向かって声をかけろ、なんて言わないわよ。貴方なりでいいの。大丈夫、もし失敗しても、貴方には私たちもいる。だから恐れないで、頑張ってきなさい」
ソーニャは迷うクリスにそう言って、彼女の頭を撫でる。
それと同時に、クリスの目からホロホロと大粒の涙か流れ出す。ソーニャはその涙を救いながら、彼女に母のような、姉のような笑顔を向けていた。
「もう、相変わらず泣き虫ね。クリスは」
「うるせぇ……うるせぇよ、バーカ……」
これが、同窓会1週間前の雪音クリスの物語──。
☥
「……ん」
舞台は現在、同窓会の翌朝。障子から入る光が目に入り、クリスは寝ぼけ眼で目を覚ます。
周りの景色は和風一色。畳に障子、蛇のようにウネウネした文字の書かれた掛け軸があるあまり飾りのない、見慣れない部屋だった。
「ん……ふぁ〜あ……」
クリスは敷布団から起き上がり、大きなあくびと背伸びをする。ここはどこなのだろう?
(確か昨日は、酔ったバカと先輩を引きずった後、先輩のマネージャーに車で迎えに来てもらって……ダメだ思い出せねぇ)
酒に強いとはいえ、酔いと心労のダブルパンチを受けたクリスは、昨夜のことをすっかり忘れていた。思い出そうと唸っていると、障子の奥に影が現れる。
「よう、クリス君。昨日はよく眠れたか?」
昔よく聞いた野太い声、その主は障子を開けず、クリスの方に問いかける。
「その声、オッサンか? ここは……」
「風鳴家総本家の一室だ。かなり疲れていたようだったからな」
「……てか、いつまでそこに突っ立ってんだよ。早く入ってきなって」
声の主を即座に見抜いたクリスは、部屋に入ることを許可する。ゆっくりと障子を開けたその先に居たのは、5年前よりも少し白髪の増えたS.O.N.G.の司令官『風鳴弦十郎』だった。
現在は司令官と風鳴家当主代理の2足のわらじで忙しくしているという。
「オッサンってば着物が似合わねー」
「言うな、俺自身が1番理解している。だが、代理とはいえ家の顔だ。着ない訳にはいかん」
そう言いながら、弦十郎はクリスの隣に座って彼女の頭に手を置く。
「元気そうでなによりだ。あの日俺以外には挨拶もなしに飛び立った時には、全員心配してたんだぞ」
「それは……ごめんなさい」
「何、理由は聞かないさ。子供はいずれ1人立ちをして、勝手に強くなっていきやがる。それに口を出すのは、大人のすることじゃない」
その言葉を聞いて、クリスは少し安堵する。その表情を見て弦十郎も安心したのか、立ち上がってクリスを外に案内することを決めた。
「クリス君、朝食の準備がある程度出来ている。俺は今から食べるが、一緒に食うか?」
その言葉を聞いて、クリスのお腹がキューッと可愛らしい音を鳴らす。少し恥ずかしがりながら、クリスはこくりと頷き、弦十郎の後をついて行った。
「オッサン、今日は仕事大丈夫なのかよ?」
クリスの記憶では、弦十郎がS.O.N.G.の本部から離れていた記憶はあまりなかった。故に生まれた疑問を、彼に投げかける。
「S.O.N.G.は今日は非番だ。
雑務は『
「さて、この部屋だ。クリス君はそこに座って待っていろ」
「お、おう……」
弦十郎はそう言ってクリスを座らせると、2人分の食事をテキパキと準備し始める。クリスは弦十郎の意外な特技に目を丸くしていた。
「オッサン、料理なんてできたんだな……」
「ん? ああ、最近のアクション映画で料理で戦うヤツがあってだな。そこにある朝食がどうも美味そうで、再現してみたくなっただけさ」
その言葉を聞いて、クリスは目がジットリとした呆れ顔に変わる。
(ホント、このオッサンなんでもありだな……)
「ほら、出来たぞ!」
弦十郎の行動力に若干引き気味のクリスだったが、目の前に出された料理を見て、思わず感嘆の声を上げてしまう。
献立は、だし巻き玉子、焼き鮭、ナスの揚げ浸し、玄米入りのご飯にシジミの味噌汁となっていた。
「頂きます」
「あ……い、頂きます」
料理に見とれていると、弦十郎は向かいの席に座って手を合わせ、先に食べ進める。それにつられるようにクリスも箸を取り、料理に口をつけ始める。
「……う、美味っ!」
「お、そうか。まだまだあるから、遠慮なく食えよ」
だし巻き玉子はフワッと優しい味で、焼き鮭は香ばしく強く舌が目覚める美味さ、ナスの揚げ浸しは濃いめの味付けでご飯とも合う。そして極めつけはシジミの味噌汁。二日酔いという程では無いが、深酒にやられた体には、これ以上ないほどに染み渡る。
相変わらず作法は凄まじく悪かったが、弦十郎は何も言わずにクリスの食事を見届ける。
「……ご馳走様でした」
「おう、お粗末さま」
「片付けはアタシがやるよ」
「そうか、助かる」
しばらくして、クリスは朝食を終え、食べ終えた食器をシンクに持っていく。流石に自分の汚したテーブルと食器を洗わせるのは忍びないため、クリスは後片付けを買って出た。
☥
「なあオッサン……」
「なんだ?」
時刻は昼過ぎ──昼食は弦十郎が映画を借りるついでに買ってきた弁当を食べ、現在は牛乳とアンパン片手に2人で借りてきた映画の鑑賞会を行っている最中だった。
「アタシが言うのもなんだけどよ……仕事しなくていいわけ?」
ちょうど映画のエンディングが終わり、弦十郎がグッと背伸びをして問に答える。
「5年経ったが、お役所仕事は性に合わん。自分勝手なお
「へぇーっ、オッサンにも出来ねぇモンってあんだな……」
「お前なぁ、俺のことなんだと思ってるんだ?」
クリスの驚いた声に、弦十郎は呆れ声で彼女の方に顔を向ける。その顔を見て、しまった、とクリスは目を背けて知らんぷりをする。
「そ、そういや先輩は? 一緒に運ばれたんなら、先輩もいるはずじゃ……」
沈黙に耐えられなくなり、クリスは朝から思っていたことを口にする。
「翼か? アイツは朝起きた途端、カンカンの緒川に引きずられて行ったぞ。本人は二日酔いで大分嫌がっていたが、羽目を外しすぎだとコッテリ絞られていたな」
「うへぇ、あの先輩がねぇ……」
クリスの知っている風鳴翼像では、品行方正を通り越して不器用なまでのクソ真面目、怒られることはあれど、しっかりと反省する堅物のイメージだった。ここ数年で少し性格が変わったのは、クリスも何となく察していたが、まさかここまでとは……と、引きつった顔をする。
「全く……昔は昔でどうしようもないヤツだったが、今の方が断然手がかかるなアイツは」
「そりゃご愁傷さま」
弦十郎は頭をボリボリと掻きながら、翼への不満を口にする。しかし、その声色には不満ばかりが詰まっている訳では無い。今まで自分に蓋をしてきた風鳴翼が、ようやく本心をさらけ出せるようになった今の世界に、そして彼女の幼い笑顔に喜びを感じているのだ。
それは、クリスも感じている事だった。
「クリス君はどうなんだ? 悩みでもあるんじゃないか?」
「へっ……!?」
弦十郎からの急なストレートボールに、クリスは驚きの声を上げる。どうやら彼にもバレていたらしい。クリスは顔を赤くしながら、弦十郎を睨みつける。
「ど、どうして分かったんだよ……?」
「そりゃ、お前よりちっとばかし大人だからな」
「いつまでもガキ扱いすんじゃねぇ」
弦十郎の答えに悪態をつきながら、口の中に牛乳を流し込む。弦十郎は、そうだな、と微笑みながらクリスの正面に腰かける。
「俺みたいなオヤジには話しづらいことか?」
「そうだな……」
クリスの悩み、それは恋──そして嫉妬。これを親子ほども離れた年の差の異性に話すことは、少し躊躇われることだった。だが、意を決したのか、クリスはパック内の牛乳を飲み干して口を開ける。
「好きな人が……いるんだ」
クリスは俯きながら、ポツポツと語り始める。
「その人は、一人ぼっちで冷たくなっていくアタシに初めて笑顔を向けてくれた人で、普段は大人しいけど、誰よりも優しい……そんな人だ」
クリスの告白に、弦十郎は目を背けず真摯に耳を傾ける。
「でも、その人にはもう隣に立ってるヤツが居て、アタシが付け入る隙なんてどこにも無かった……その人の笑顔が、アタシ以外の誰かに向けられていることが嫌だった」
あれが初恋だって気づいたのは、ほんの数日前だった。でも、その気持ちに気づいた頃には、2人とアタシの間にはどうしようもない差が既に開いていた。そして、今までしてきた行動や、そんなことを考えるアタシ自身がたまらなく嫌いになっちまっていた。
「なぁオッサン、アタシはどうしたらいーんだろうな?」
泣きそうになるクリスを尻目に、弦十郎はうーん、と唸り声をあげる。
「……何かと思えば恋愛相談と来たか。そんなのをよくオヤジに話す気になったな」
「な、アンタが話せって言ったんじゃねーか!? ほら、アタシは話したぞ! オッサンの意見聞くまで、絶対ここから離さねーからな!」
弦十郎のデリカシーのない言葉に、クリスはカンカンに怒りながら扉の前にふんぞり返って、出口を占拠する。弦十郎も、これは参ったと言わんばかりに手を挙げて軽く息をついた。
「分かった。だが、俺とお前では世代も違う。それに、俺の家庭事情は知ってるだろう? 恋愛観だって、あまり参考にならんかもしれんぞ?」
「それでもいーんだよ。オッサンだって、恋の1つや2つ、したことが無いとは言わせねーぜ?」
「そりゃまあ、なかった訳では無いがな……」
俺には一族──特に『
「妻を娶っても、幸せに出来るとは思えなかった。愛する人にまで、風鳴の呪いをかけたくはなかったからな」
しばしの沈黙が、茶の間に流れる。しばしの時が流れ、神妙な空気の中でクリスは会話を続けた。
「……大人だな、オッサン。アタシにゃ真似出来ねーよ」
「何、あれこれ理由をつけて、単に逃げるのが上手くなっただけだ。本当は、ただ愛する自信がなかっただけかもしれん。だが、それを大人になったというのは、少し寂しいとは思わないか?」
弦十郎の言葉が、クリスの胸に突き刺さる。逃げるのが上手くなっただけ……そう、大人になってお金も手に入って、どこにでも行けるようになって、様々な手段が増えた結果、その人と向き合うことから逃げていた自分に気がついた。
嫉妬する自分が嫌で逃げたんじゃない。単に怖いから、拒絶されたら自分の心がどうなってしまうか分からないから、自分を理由にその人から逃げていただけだと気がついた。
『その人と向き合って、自分の心に折り合いをつけて来なさい』
ふと、出発前のソーニャの声が頭をよぎる。日本に来た理由、それは月読調の同窓会に参加することだった。しかし、クリスにはもう1つ、成すべきことがあって日本に戻ってきた。
「そうだな、アタシは逃げてばっかりだ……」
それを思い出した彼女は立ち上がり、茶の間の襖に手をかける。
「行くのか?」
「ああ、ありがとな、オッサン。おかげで目が覚めた」
クリスは茶の間から飛び出し、玄関に並べられたヒールを履く。弦十郎はその後に草履を履いて、玄関に出る。
「お前も随分変わったな、クリス君」
ソーニャとは真逆の言葉をかける弦十郎に、クリスは足を止める。彼女は風鳴邸の方向に向き、手を振る弦十郎の方向に軽く手を挙げる。そしてすぐに、彼女は遠くへと走り去っていく。
「全く、青春ってのは眩しいもんだ……」
ジジイの忠告が届いたことに安堵した弦十郎は、グッと背伸びをして家に戻る。そして、自分も逃げずに残った仕事に取り掛からねば……と、自室の扉を開けるのだった。
☥
『もう、相変わらず泣き虫ね。クリスは』
『お前も随分変わったな、クリス君』
2人の言葉が、クリスの脳内を反復する。変わらないアタシ、変わったアタシそのどちらもが本当のアタシ。
(ならば、アタシの変わらない初恋も、変わってしまった嫉妬も……全部アタシだ。もう嘘はつきたくない。例えなんと言われようと、アタシは自分の心に負けたくない。玉砕上等、当たって砕けろだコノヤロー!)
頭の中で自分に喝を入れ、クリスはとあるマンションの一室へと足を運ぶ。昔から何も変わらずに、そして自分の記憶が正しければ、ここにはその人がいる。クリスは息を整えて、数度の深呼吸の後にチャイムを鳴らす。
ピンポーンと、音が響き渡った後に、はーい、穏やかな声が聞こえる。ガチャリ、と扉を開けた先には愛しのあの人が顔を覗かせる。
「あら、クリス? 昨日ぶりだね、どうしたの?」
昔から変わらない後ろ結びの大きな白いリボンと、薄紫のワンピース、見慣れないメガネをかけた女性──それは『小日向未来』だった。
「その……あの……」
と、クリスはドギマギとしていると、ある異変に気がつく。
「なあ、いつも飛びついてくるあのバカは?」
それは、クリスが訪問してくるやいなや、飛びついてくる立花響の存在がない事だった。
その話した途端、未来の頬がプクっと膨れてそっぽを向く。
「知らないっ、どこかで道草でも食べてるんじゃないかしら?」
クリスは、あ〜っ、と声を上げる。どうやら響がクリスにしたセクハラが、誰かの手によって未来にまで届いてしまったようだ。その結果未来を怒らせて、響が家から叩き出されたのだろうと結論付ける。
幸か不幸か、妙に冷静になったクリス。響もいない今がチャンスと言わんばかりに、攻勢に出ることにした。
「な、なあ小日向……!」
「どうしたの、クリス?」
「で、デートしないか?」
クリスはそう言って、目を瞑りながら未来に手を差し伸べる。
その言葉に、未来は少し動揺する。少しの間を置いて、未来は震えるクリスの手を取り上げた。触れられた瞬間、心臓から音が聞こえそうなほど大きな脈が、クリスの全身を振動させる。
こうして、クリスの人生初デートが始まるのだった。
☥
「クリスから誘ってくるなんて、こんなに珍しいことあるんだね」
「そ、そうだな……」
ギクシャクとするクリスとは真逆に、未来は終始ニコニコと笑顔を絶やさない。そんな笑顔を横目で眺める。今、この笑顔はアタシのものだと、ちょっとした優越感に浸る。
「それで、クリスはどこに連れてってくれるの?」
「あ……」
クリスはようやく思い出した。デートにはプランが必要なのだと。しかし、行き当たりばったりで特攻を仕掛けたクリスには、そんなものなど存在しない。故に、デート序盤にいきなりつまづく大チョンボをやらかしたのだった。頭を抱え、その場に立ち止まってしまうクリス。そんな姿を苦笑いして見る未来は、周囲を見渡し、ある店を見つける。
「じゃあクリス、ここに行こう!」
「あ、おい! ちょっと待っ……!」
それは、アクセサリーの専門店だった。未来はクリスの手を取り、彼女の制止も聞かず店内へと駆け込んでいく。中はファンシーな小物が沢山並んでいる。クリスのイメージにピッタリで、未来の選択は的を射ていた。
「あ、あそこいいかも!」
「おい、ちょっと待てよ!」
未来は店に入るやいなや、一角にある薔薇のアクセサリーコーナーに足早に向かっていった。こういった少し強引なところが、響に似てきているとクリスは感じる。
「クリス、後ろ向いて」
「強引だな……もう」
そう言って未来は、クリスに背を向けさせ、ツインテールの髪飾りを外す。そして、元の左右の位置に薔薇の束の花飾りを取り付けた。
「うん、似合ってる」
「そ、そうか……?」
未来の言葉に、クリスは無条件で嬉しくなる。鏡を見ると、右に大きな薔薇が2本、左に小さめの薔薇が3本と左右非対称だったが、それもなんだか味がある。と、クリスは頬を赤らめる。
「気に入った?」
「ま、まあ……」
「じゃあ買ってあげる」
未来の言葉に、クリスは驚きを隠せない。デートに誘ったのは自分なのに、プレゼントをしてくれると言うのだから。どうして、と聞く前に未来は振り返って答える。
「だって久しぶりにクリスと沢山話せて嬉しいんだもん。それに、この5年間、誕生日祝ってあげられなかったでしょう? 1ヶ月以上遅れたけど、これは私からの誕生日プレゼントだよ!」
ペロッと舌を出しながら、未来はカウンターに髪飾りを持っていく。そんな小悪魔な仕草も、クリスの心を射止める。
会計が終わってすぐ、未来はクリスに花飾りを取り付け、再び店内を歩き回る。ああ、アタシはどうしようもなく彼女のことが好きなことを、気付かされるデートだと考えながら、クリスは心の底から楽しんだ。
☥
「あーっ、楽しかったね、クリス!」
「お、おう。すげー楽しかった」
時刻は夜、既に日も落ちている。2人は中央にある噴水に腰かけて、互いに今日という日を語り合った。アクセサリーショップを出た後は、一緒に夕食を食べて、軽く酒を飲んで、カフェに行って、観覧車に乗って……まるで本当の恋人のように過ごした1日だったと、クリスは思った。
そんな語らいの時間もあっという間に過ぎ、街の街頭が2人を照らす。
「そろそろ帰らなきゃ……響が心配する」
未来の言葉を聞いて、クリスの胸がズキン、と痛む。その言葉を残した未来は、その場を去るために立ち上がろうとする。
「待って!」
噴水の縁から離れかけた未来の手を、クリスは強く掴み取る。その顔は耳まで赤くなり、俯いて目元が見えなくなっていた。未来は唖然とした表情をしたが、次にはもう一度噴水に腰かけ、クリスの手を握り返す。
「
「クリス……」
クリスが初めて呼んだ下の名前、これにどんな決意が込められているかは、想像にかたくない。未来も何かを察したのか、何も声をかけなかった。クリス自身から出る言葉を、一言一句聞き漏らさないために。
「なあ、未来……アイツの所に行かないでくれよ。アタシのそばに居てくれ……アタシは、お前が好きなんだよ、好きで好きでしょうがねーんだ! だから……だから……」
クリスの言葉が詰まる。これが、彼女なりの精一杯の告白だった。彼女の頬から涙が滴る。それに答えるかのように、空からは雪が降ってきた。
「クリス、顔を上げて……」
未来の言葉に、クリスはゆっくりと顔を上げる。未来の手には真っ白なハンカチが握られていた。そのハンカチを、クリスの頬へと当てる。彼女の涙が染み込んだハンカチは、うっすらと色を濁らせる。
未来は涙を拭き終わった後、握られた手をクリスの顔の前に持ってきた。そこにあるのは、クリスの手に付けられた赤い手袋。これは5年前の誕生日に、未来と響から貰った誕生日プレゼントだ。5年も経っているというのに、ほつれや汚れもほとんど見当たらない。
「この手袋、大事にしてくれてたんだね」
「当たり前だろ……! お前らからのプレゼント、大事にしないわけねぇじゃねーか!」
「嬉しいな……そんなに想ってくれてたなんて」
「ああ、大事に想ってる! アイツが未来を想う気持ちよりも、アタシの方がずっとずっと大きいって、そう言える! だから……」
その言葉を聞いた未来は、クリスの手を握りしめ、重なった手に額を当てる。そしてそのまま、クリスの告白への答えを返した。
「でもね、ごめんなさい、クリス……」
答えは、NOだった。分かっていたはずなのに、憤りが止まらないクリスは怒号を挙げそうになる。
「なんで!?」
「クリスが言う通り、響が私を好きな気持ちよりも、クリスが私を想う気持ちの方が大きいのかもしれない。でもね……」
私は、クリスが想う気持ちよりも、ずっとずっと響のことが好きだって──愛してるって断言出来る。
「だから……ごめんなさい」
「あ……う……」
未来から出た曇りなき言葉に、クリスは言葉を詰まらせる。分かっていた結末、当然の未来。なのにどうして、こんなに心が痛むのだろう。でも、何故かクリスの心は、モヤが晴れるような感覚に包まれる。
「そっか……そうだよな」
折り合いを付けたのだ。今の自分と、過去の自分、そして──これからを生きる未来の自分と。
(当たって砕けた結果が、最前の未来を作り出すとは限らない。でも、アタシはこの決断に後悔はしていない)
「じゃあ、1つ約束してくれよ。未来」
「うん……」
「あのバカのこと、絶対に幸せにしてやれよ……しなかったら、許さねぇからな」
霞のようなクリスの声に、未来はコクリ、と小さく頷く。そしてクリスの手を離し、ゆっくり帰路へとついて行った。その間に、彼女は一度もクリスの方へ顔を向けることは無かった。
後悔なんて……できるものかよ。
「さようなら、アタシの『初恋の人』……」
こうして雪音クリスの、約7年に及ぶ初恋は幕を閉じたのだった。
☥
「5本の薔薇、か」
アタシもだよ──と、クリスは噴水のたまり場に写った自分の髪飾りに答える。
そして、全てを終えたクリスは携帯電話を手に取り、1人の男に電話をかけた。
「ああ……オッサンか? 今、時間大丈夫か? ……うん、ああ、全部終わったよ……それでさ、来週の便なんだけどよ……」