『聖なる使命』
その朝、オスカルは酷く夢見が悪かった。
「ありえん、あんな夢を見るとは私は狂ったか?」
ベッドで仰向けになりながら、目を覚まして真っ先に口から出た言葉は否定だった。
否定せずにはいられない。よりにもよって自分が反乱軍にくみしてバスティーユを攻撃し戦死する夢だった。たとえ夢だろうと、代々王家を守り続けた誉れ高き武門ジャルジェ家の跡取りにあるまじき醜態である。
ベッドから起きて、窓ガラスを鏡に自分の姿を見る。肩にかかるかかからないかのブロンドの巻き毛にサファイアの瞳、中性的な顔立ちの十代の少女。紛れもなく自分だ。悪夢のなかの自分は三十代になっていたし、髪ももっと長く背中まであった。
「いまは1770年5月16日、私はオスカル・フランソワ・ド・ジャルジェ、今日はマリー・アントワネット様がフランスにお着きになる大事な日だ。よし、私の気が触れたわけではなさそうだ」
ただの夢だ。私が袖を通すのは近衛の赤い軍服だ、断じて衛兵の青いそれではない。フランス一の軍人となるべく男子として育成され、立派にその期待に答えてきた。六人姉妹の末妹として生まれたが、私はれっきとした跡取り息子なのだ。いずれは父上のようにブルボン王朝を守る将軍となる。反乱だの革命だのに力を貸すはずもない。ないのだ・・・
・・・もし・・・もしも、本当に野菜クズが少し浮かぶ程度のスープの食事しか取れない平民が溢れ、兵士が栄養失調で倒れるようなことがあったら、そうなってしまったら・・・ひょっとしたら自分の心にも王室への反抗心が芽生えるかもしれない。
だが、それは馬鹿げた妄想だ。我がフランスはヨーロッパ屈指の大国であり、文明国だ。そんなことはありえない。
夢にしては長すぎた、そして実感がありすぎた、それはいささか気になるが、あんな悲惨な未来がフランスに降りかかるはずもないのだ。もし万が一あるとしても、イギリスで三度目の革命が起きるのが先だろう。そうに決まってる。
「それに父上が私に『結婚して跡継ぎを産め』などと仰るわけがない。兄弟のように育ってきたアンドレが、私を女として見て、あまつさえ手籠めにしようと押し倒すことなど起きるわけがない。この私がスウェーデン人に恋してドレスを着て踊ることなどありえない」
ましてや私の方からアンドレを誘って婚前交渉などあってたまるものか。
馬鹿な考えが脳裏にこびりついて離れない。これは私の未熟ゆえか、さっさと頭を切り替えて、仕事を始めよう。
「ありえない、ありえない、ありえない」
国王陛下と王太子殿下のお待ちになるコンピエーヌへと向かうマリー・アントワネット様の馬車を、近衛の軍服に身を包み、白馬に騎乗して護衛しつつ、私はそう呟かずにはいられなかった。
任務のさなか無駄口などあってはならないが、幸いなことに歓声と花火のおかげで同僚たちには気づかれてはいないようだ。
長きにわたるフランスとオーストリアの対立に終止符を打ち、同盟を結び、両国の王室が親戚になる。そのために我がフランスの王太子妃となるべくおいでになったマリー・アントワネット様は実に愛くるしいお方だった。
輿入れ前の宣伝が華やかすぎて、かえって本物を見て幻滅するのでは?などと懸念したこともあったが、それはとんだ杞憂であった。絵にも描けない美しさとはアントワネット様のためある。
それだけなら何の問題もなかった。
馬車の中のマリー・アントワネット様は、悪夢の中で見たお姿そのままであった。いや、お姿だけでなく仕草も声も衣装も全てそのままだ。
お顔立ちだけなら肖像画で見たのだから、夢そっくりでも不思議はない。しかし、知りようのない声や仕草や衣装までなぜ夢と一致することがあろうか?
ましてや街道に集まった民衆すら、その歓声すら夢そのままなど、偶然にしてはできすぎである。
ありえない、あれは悪夢などではない。ならば、考えられることはひとつ。そうか、あれは啓示だ。
そうなのですね。主よ。
お怒りなのですね。国王までもが淫蕩にふけり、公然と妾を侍らせ、神をないがしろにしているこの国に‼️
お嘆きなのですね。神の教えを伝え広めるべき聖職者まで堕落したフランスに‼️
嗚呼、それでも慈悲深き貴方はけして我らをお見捨てにはならないのですね。悔い改める機会を下さった。そうなのでしょう。
私を『預言者』となさるのですね‼️
ノアに箱舟を造らせたように‼️
モーゼに海を割らせたように‼️
私に奇跡を起こせと‼️
フランスを救えと‼️
そうお望みなのですね。しかと拝命いたしました。いかなる困難と試練と誘惑が待ち受けようと、必ずや聖なる使命を完遂してご覧に入れましょう‼️