なんか同時期に入会したノリと勢いで「一緒にオリンピックで金メダル取ろうぜ!」って約束した友達が加速度的に成長してて約束を守れそうにないんだが 作:送検
ユキチャン先輩にとって、俺の成長速度は爆速の類だったのでしょうか。
メキメキと他の技術を吸収してしまうスポンジのような才能。ごく稀にそういった才能の原石が現れるということも、俺は知っています。
かつての父ちゃんの同僚がそうでした。指導者の助言を瞬く間に吸収し、その力を携えて実戦の舞台で大活躍。
そんなスポンジマンな彼は何度壁にぶつかろうとも、新たな技術で活路を見出し、挫折すら乗り越えてしまいます。
まるで、それが当たり前とでも言わんばかりの涼やかな表情で。何故それが出来ないのかと言わんばかりの堂々とした態度で。
『いや、速くねぇっすよ。この歳でジャンプがバンバン跳べるやつなんて山ほどいるじゃねえっすか。この前なんてチビ共がジャンプ跳んでましたからね、自信失くしちゃいますよ本当に』
『まだ始めてから1年も経ってないのに?』
『年数なんて関係ないっす』
なのでまあ、ユキチャン先輩にとっての俺の成長速度が爆速であったとしても、俺は特別自分の才能を誇ることはありません。
かつての圧倒的な才能を見てしまった、そして憧れとするフィギュアスケーターの素晴らしい演技に比べたら俺は初心者も良いところですし。何よりこの程度の才能で誇り、満足してしまうのは、自分の成長や才能に見切りをつけてしまうようでなんか嫌なんです。
『まだまだ俺には超えなきゃいけない壁があって、到達しなきゃいけない最終地点がある。
そこを越えた時、漸くフィギュアスケートが上手くなったって、自分で自分を認められるような……そんな気がするんすよね……』
『いやだからそういう意味じゃないってば』
憧れ、恋焦がれたフィギュアスケーターの華麗な放物線。
そこを越えられないのなら、俺は一生フィギュアスケートを始めた本意を果たすことは出来ないでしょう。
そして、それは俺にとっては何とも屈辱的で、悔しくて、発狂したくなる程悔しいものなのです。
だからこそ、俺はこの程度の才能や努力で納得したりはしません。もっと頑張れば、望む未来に近付くことが出来るかもしれない。その可能性が俺には残されているのに、こんな成長速度や技術で納得できる訳が無いのです。
……まあ、なにはともあれ。ユキチャン先輩が俺の目の前でツッコミを入れ始めたこの状況はヒジョーに不味いので、コホンと咳払いをした後話題を無理矢理変えるべく口を開きます。
『まあ、色んなスポーツと遊びやってきたからさ、それが上手い具合に馴染んでるんじゃね?知らんけども』
『へー……』
『父ちゃんが前言ってたんだよ、こー……ね、コネコネコネクションがなんとかって』
『絶対なんか聞き間違ってると思う』
依然として釈然としない様子のユキチャン先輩をどうにかする術を、今の俺は持ち合わせていません。
なので、ここは練習の時間を口実に一旦離脱して瞳ちゃん先生の元に行こうと思います。
これ以上ツッコミが文字通り頭に突き刺さるのは御免ですからね。練習を見てくれた礼は頭を下げることで果たし、俺は個人レッスンを受けるべく瞳ちゃん先生の元へ向かうのでした。
『瞳ちゃーんせーんせー!!今日はなにするのー!?』
『2回転トウループ』
『……』
『今日は趣向を変えて、2回転トウループ(無慈悲)』
逝くわ。
※
さて、以前試して盛大に失敗した過去が示すように、俺のダブルアクセルは雑魚ぴ以外の何者でもありません。
陸上で成功しているという事実こそあれど、俺自身が戦うフィールドは氷の上。その舞台で、なんなら本番で跳ぶことが出来なければいくら4回転を覚えたとしても『跳べた』ということにはならないのです。
そして、俺には氷上でダブルアクセルを跳べるようになる前にやらなければならないこと、覚えなければならない技も山ほどあります。なので、本来ならばこうした氷に乗れない学校での時間こそ、自分のジャンプやスピン、振付の動画を見て修正点を考えたり、ようつべで上手い人の映像を食い入るように眺めて良い点や技を取り入れるなど、滑る以外の糧になる作業をしたかったのですが……
『倉見!業間休み中にスマホを堂々と開くな!!(鬼教官)』
『く、倉見くん。……これはなんの点数計算かな?(担任)』
『お前PC室出禁確定な(全ギレ教頭)』
まあご覧の通り、スマホは業間休み中に没収され、自分のプログラムの点数がどれくらいか調べてたら担任に変な目で見られ、ようつべは後ろから現れた教頭先生に見つかり、こってり絞られました。
曰く、少年は外で汗水垂らしてスポーツやってるか、図書室で学生の本分を全うせよとのことらしく、俺にフィギュアスケートの事で頭を使う作業をなんとしてもさせないという鋼の意思を学校側から感じます。
まあフツーに学校で映像を見ようとした俺が悪いんスけどね。
スマホとかPCとかチンケなこと言ってないで視聴覚室ジャックすれば良かったと後悔しながら、俺は現状に匙を投げて机に突っ伏していたのでした。
「……く、倉見くん?」
しっかしまあ、こういう時に限って常時襲いかかってくる煽りフレンズ達は場の空気を読んで俺を煽ることなく。
代わりに手を差し伸べてくれたのは、俺にとってフィギュアスケートの女神様的な存在。
特に最近はよくフィギュアスケート以外のことでも話すようになった隣の席のクラスメイト。結束いのりさんが心配そうな表情で声を掛けてくれたのでした。
「だ、大丈夫……?」
「……ふっ、結束さん。俺は今自分の成長速度に謀反を起こそうと己の内に潜む第六天魔王の寺に攻め入っているのさ……しばらく待ってくれ」
「む……むほん?だ、だいろくてんまおう……って、なに?」
「謀反は裏切り、第六天魔王は……とにかく怖い存在さ!」
「……!*1」
「す、すごい……!」とでも言いたげに結束さんが目を輝かせていますが、その第六天魔王の正体がタダの雑魚ぴな内なる俺って知ったらどんな顔に豹変するんでしょうか。
そもそも俺って第六天魔王どころかそこら辺で稲作嗜んでる農民ポジですからね。
どうして雑魚ぴな俺を第六天魔王に見立てたのか、そこが分からない。
「よし、
「……もういいの?」
「うん。敗走して土民にやられた。多分六条河原かどっかで斬首でしょ」
「やられちゃったの!?」
「謀反失敗だな。んで、どしたん結束さん」
さて、おふざけは大概にして現実を直視しましょう。
先程まで教科書とにらめっこしつつ、時々虚空を見上げて笑みを零していた結束さん。どうにも会話できそうな雰囲気ではなかったので、脳内で謀反を起こしていたのですが、気付いたら忍者よろしく結束さん登場です。
嬉しいです、ニンニン。
「え……えっと、フィギュアスケート……」
「お?」
「もっと、お話したいなって……だめ?」
なのでまあ、ここでおふざけに浸っている暇なんてないんですよね。
この機を逃したら、今度話せんのは1時間後くらいになるでしょう。
しかも10分程度で終わり。そしたら今度はまーた机と睨めっこか外で野郎とスポーツです。
当然、俺のダチにフィギュアスケートを嗜んでいる奴はいないのでフィギュアスケートの話なんて出来るはずもありません。大抵煽られてます。
なのでまあ、結束さんとの話は貴重なんです。
持ち物に例えるなら、家の鍵。
失くしたらブルーになりますし、忘れたら急いで取りに帰りますし、持っていれば心の底から安心できるもの。
俺にとっての結束さんと、結束さんとの会話はそのような大切なものなのです。
「おう!いいぜ、任せろ!!」
故に俺は、結束さんに導かれるようにフィギュアスケートの話をします。
時々俺も結束さんもフィギュアスケートの話になると、ひどく早口になりますし、しっちゃかめっちゃかな会話もしますし、時間を忘れて先生に注意されたりしますが全ッ然悪い気はしないんですよね。
むしろ対価がそれなら喜んで受けて立っちゃいます。
オラッ!ちょっと強めの注意、来いよオラッ!みたいな気分ですね。
へへっ、ヤンキー万歳。
「何から話す?最近の俺?最近の結束さん?それとも、瞳ちゃん先生?」
「さ、さんたく……えっと、じゃあ瞳……ちゃん、先生?」
「あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛!!゛゛」
「!?!?!?」
まあヤンキーは急に発狂したり泣き出したりして、ダチを困らせたりしないんですけどね。
縦しんば大きな声を上げるとしても、もちっと格好の付く言葉で敵に刃向かっていくと思います。
泣きながら発狂する変態ヤンキーが何処にいるというのか。
あるわけねえだろンなもん。
※
そもそも俺が泣き喚く原因になったのは、昨日の練習でした。
ユキチャン先輩の優しさ、いつも通りの瞳ちゃん先生との日常に触れて元気を注入した俺。さあ、今日こそ振付の練習で瞳ちゃん先生に満点を貰うぞと意気込んでいた最中、事件は起こったのです。
「2回転トウループ」
「……」
「今日は趣向を変えて、2回転トウループ(無慈悲)」
やっとこさ振付が様になり、ステップシークエンスに必要な技術を吸収しながらジャンプの練習もしてきた俺にとっては非情が過ぎる一言。
「今日は趣向を変えて、2回転トウループ」。
それは、1回転トウループすら儘ならない俺への死刑宣告にも等しいそれなのでした。
……逝くか?(自問)
…………おう、逝くか。(自答)
「よーっし!逝ってきまー!!」
「はい、その前にもう1回トウループの基礎を確認しようね」
勢いの儘に飛び出さんとした俺の肩を瞳ちゃん先生が掴みます。
なんでしょう、まだ逝く時ではないと茶を濁すつもりでしょうか。
とはいえ、2回転トウループなんてハイレベルなジャンプを跳ぶことが確定している以上、どっちみち俺が発狂しながら逝くこともセットで確定しているんです。
ならば、逝くタイミング位好きに選ばせてあげるってのがせめてもの優しさだとは思いませんかね?
そこんとこ、瞳ちゃんたそ先生はどう思っているんでしょうね?
「瞳ちゃん先生。男には、死地を自分で選ぶ権利があると思うんだ。そう、例えば……発狂するタイミングとか」
「無闇矢鱈に傷を作るなって約束したよね?」
「……」
「し た よ ね ?」
はひ。
「だ、大体!ここで2回転トウループってのがおかしいと思います!瞳ちゃん先生は今日までの俺のこと、本当にちゃんと見てました!?俺、まだトウループのGOE+0!!産まれたての小鹿!!ぺーぺー!!」
「傍から見てペーペーじゃないから提案したんだけど……」
「……?」
「だって遥人君、曲かけ練習の振付とプログラム。最近はミスなしで出来るようになってきたじゃない」
瞳ちゃん先生の視線がバチッと俺を捉えます。
嘘や道化を徹底的に排除した真剣な眼差し。その目に晒された俺は言葉を失い、自己評価陳列作業を途中で中断してしまいました。
おかげで今の俺の両手は行き場を失って、Why?とでも言わんばかりのポーズを取ってしまっており、周囲の視線が背後からめがっさ突き刺さってきます。
おいどうしてくれんだこれ。
「1回転ルッツ+1回転トウループのコンビネーションジャンプ。2つのジャンプのうち、どちらかでも失敗したら大幅に減点されてしまうジャンプを遥人君は間違えない。
現時点での
知ってる知ってる。
だって1回転トウループしか跳んでないもん。
ついでにセカンドジャンプが3回転になったら着氷率悪い意味でエグいことになるのも知ってますよ?
つまり俺、まだまだ下手くそってことです。
瞳ちゃん先生は俺のことをなんだと思っているのか。
「……俺、1回転トウループしか跳んでないんですけど」
「うん、知ってる」
「1回転トウループしか!跳んでないんスけどォ!!」
「聴こえてないわけじゃないからね?ちゃんと聞いてるから少し声のボリュームを落として」
「目立つから」と瞳ちゃん先生が至って冷静に制しますが、相対する俺はショージキ気が気ではありません。
いくら瞳ちゃん先生の言葉と言えども、まだまだ2回転トウループは早いと思います。
だったらダブルアクセルに挑むなよ馬鹿野郎と突っ込まれるとは思いますが、無闇矢鱈な挑戦をして瞳ちゃん先生に怒られたからこそ俺は叫んでいるんです。
現在の俺のトウループはまだまだ発展途上。そのような段階で2回転トウループに挑むのは危険だと、思い直したからこその思考だと考えていただきたい。
多分、結束さんだって今の俺の惨状を見たらまだ2回転トウループは早いって言うと思います。なんなら、俺の頭ン中の結束さんだってたどたどしく『じき……しょう、そう?だよ!』と言うと思います。
いや多分本物の結束さん時期尚早だなんて言葉使わんけど。そうじゃなくても俺の頭ン中にガチモンの結束さんはいないんですけど。
「と、とにかく。瞳ちゃん先生は俺を持ち上げすぎです。セカンドジャンプの着氷率がなんだってんですか?そもそも1回転トウループは瞳ちゃん先生に教えてもらった初めてのジャンプ!つまり基礎!ミスれるわけが無い!今の俺にとっては簡単な……!!」
「簡単な?」
「あ……あっす。すいません調子乗りました。簡単なジャンプなんて何一つないっすよね、へへっ……自販機で頭冷やしてきます」
「待って待って、怒ってる訳じゃないから」
想像の中ですら警鐘を鳴らしてくる現状の俺に何を期待しているのか。
その答えは瞳ちゃん先生が持っていて、完璧にその気持ちを推し量ることは出来ません。
言っちゃ悪いですが、俺は瞳ちゃん先生と出会って間もない凡夫。人の心を読むことなど夢のまた夢ですし、他の人が抱く想像を超えるようなこともできません。
そういうのが出来るのは一部の才能を余すことなく使うことの出来る天才にのみ与えられた特権です。この前テレビでやってたかみ……かみ、えっと……聞き慣れない苗字でまた忘れ……カミカミなんちゃらとか多分そういう奴だと思います、多分。
あの歳であんなフィギュアスケートできるとか凄いを通り越してぶっ壊れてるでしょ。
きっと彼女にはちゃんとした才能があって、その上で努力を怠らず、その結果が彼女を遠い何処かに導いたんだと思います。
これから彼女は多くの経験を糧に、他人の期待をオールウェイズ超えてくるのだという一種の確信が、映像の向こう側でコーラを一気飲みしていた俺にはありました。
「今の遥人君にとって、1回転トウループは簡単なジャンプなんだよね?」
「……まあ、それは」
「じゃあ、教える前は?」
「……こんなジャンプ跳べるわけないだろ!アホ!ボケ!って思ってました」
「でも今は簡単なジャンプになった。それはどうして?」
「……練習したからですケド」
「そうね」
まあ、そんな考えを持っている俺からしたら瞳ちゃん先生の期待も、俺の現状も、未来の俺が描く成長曲線も不安以外の何物でもないんですよね。
今はまだ良いです。順調に課題を消化し、憧れに近付けています。瞳ちゃん先生の教えもあって、多くのことを学べています。
ですが、この課題を達成し、着実に段階を踏んだ時。現状2回転アクセルで足踏みをしている俺は、本当に憧れが足を踏み入れたであろう領域に至ることが出来るのでしょうか。
勿論、超えたい気持ちは何時だって持っています。死ぬまでこの憧れを追求します。その放物線に魅せられたあの瞬間から、俺はもう憧れのようなフィギュアスケートをすると、そう決めているんです。
だけど、心と実力は別です。
や、別って言うと語弊がありますよね。これも段階を踏むんです。
強い心意気を以て、その気持ちで技を突き詰めて、身体を動かして実力を底上げしていく。
何をするにも先ずは心から。そして、技を突き詰め、体力を身に付け、初めて実力が己の内に宿る。
そうして人は目指したものに近付いていくものだと。俺は随分前、父ちゃんに教えてもらいました。
つまり父ちゃんの受け売りですね、はい。
だけども、間違っているとは思っていません。きちんと納得した上で、この言葉は俺の胸に刻み込まれています。
何かを目指す時、父ちゃんの言葉が常に脳裏を掠めます。
常に全力でやれているか。全力の心を以て、技と体を鍛え、実力を身につけられているのか。
何度も何度も問いかける、俺の大切な『ことば』です。
心がいくら強くても、その気持ちで技を突き詰められなければ意味がありません。
身体的な技術が追いつかず、実力が底上げされないからです。
そして、その循環が現状チグハグ、心だけ強い空回りな俺。
このまま頑張っても、憧れのフィギュアスケーターにはなれないんじゃないかと、不安になるのは至極真っ当な心情だと思うわけです。
「1回転トウループの難易度が低いと思える程、しっかりと積み重ねてきた。他の1回転もそう。ループもフリップもルッツも、個別レッスンや曲かけ練習を通して、見違える程に上手くなったね」
「……」
「遥人君は覚えるのが速いだけでしっかりと積み重ねられてるよ。アクセルジャンプも含めて、遥人君の1回転は遥人君が思う以上に上手に降りることが出来てる。
次の段階に進んでもおかしくはないって、私は思うな」
それでも、そんな気持ちを他所に俺を褒め讃えるのは瞳ちゃん先生です。
や、やたら俺のことを褒めるでねえですか瞳ちゃん先生。
俺としては、2回転アクセルを跳ぶためにも先ずは基礎から。シングルアクセルの練習からの振り付け練習に洒落こみたい所なんですが、俺に選択権ってまだ残ってますかね?
あるならちょっとスケジュール変えたいと思うんですけど──ちょっと待って。今メモ帳になんか書いた?今メモ帳になんか書く必要あります?
「ひ、ひーちゃん先生……そのメモ帳になに書いてんすか?」
「スケジュール」
「今!変更する!スケジュール!ありますかッ!!」
「遥人君の。後、なんで遥人君が昔呼ばれてた私の渾名を知ってるの?」
「え、ひーちゃんって呼ばれてたの?ひーちゃん先生」
「……*2」
「無言でなんか書くのヤメロォ!!」
拒否権はねーのか拒否権はッ!!
そもそもの話、瞳ちゃん先生は俺の何をそこまで買っているんでしょうか。
覚えるのが速いのは技がまだまだ簡単なものだから。動きがいいのは昔から色んな遊びでそこそこ身体を動かしてきたからです。
それ以外は特にこれと言った特技はありません。精々父ちゃんとやってきたキャッチボールが得意な位です。
つまり、俺にフィギュアスケーターとしての天賦はありません!
余計な期待は失望のきっかけになるから気をつけろぉ!!
「だから、なんて言うのはおかしいかもしれないけど。騙されたと思って、先ずは1回。2回転トウループの練習してみない?」
「いや、でも……うーん……」
「因みに憧れの人は特集組まれた時に、10歳で3回転トウループを跳べたとか言ってたけど……」
「逝きます。見ててください、瞳先生ッ!!」
「じゃあ先ずはトウループの基礎を確認しよっか。その後に1回お手本見せるから、慌てないで着実に覚えていこうね」
「ラジャー!」
まあ憧れのようなフィギュアスケーターになるって決めた奴が2回転トウループでウジウジなんてしてられねえよな!!なッ!!!(ヤケ)
ここは一丁、瞳ちゃん先生お墨付きのトウループを見せてやるぞってことで、意気込んだ俺は早速2回転トウループ習得に向けてのレッスンを始めるのでした。
「フハハハハ!!!トウループのコツは右足の軸!!後ろに伸ばす左足!!スケーティングの速度!!左足のトウピックを氷にブチ当てて速度を止める意識!!そして──その反動で!!跳ぶゥ!!!」
「変なこと言いながら6ステップ刻むの癖になってるよー」
「ぬ゛ごし゛ゃ゛ッ゛!゛!゛!゛*3」
「あ、惜しい。回転数足りてる」
え?結果がどうでしたって?
プロトタイプは完成したって感じですかね?ほら、ゲームの中ボスをHP1まで追い込んだ的な……そ、そんな感じだと思います。多分。
「無理!エグい!!死んじゃう!!」
「ヘルメットする?」
「選択肢それだけですか!?」
「もう少し回数重ねてみよっか。空中姿勢と軸の意識、忘れずにね」
1回って約束でしょ!?
誰か助けて!!
※
「と、まあそんなことがあって……俺は瞳ちゃん先生を最近褒めて落とす鬼のような人だと思うようになったんだ」
「……」
「あり、結束さん?」
積み重ねた過去が消えることはありません。
何をやっても、やらかしても、その全てがリセットされることなど有り得ず、明日の自分に悪霊の如くまとわりついてきちゃいます。
それは俺とて同じ。
限界までジャンプ練習*4。個別レッスンでのチキチキ☆トウループ作戦*5。貸切練習後にこっそりトウループを跳ぼうとして瞳ちゃん先生に怒られる*6。
それらの要素は積もり積もって絡み合い、明日の俺に甚大な被害を与えます。
端的に換言すると疲れました。
今日は貸切ないんで早いとこ1日終わらせてベッドでスヤァしたいですね、ぐーぐー。
「に、2回転!?」
「おーん」
「今2回転トウループやってるの!?」
「まあ転んだ後に氷の上で2回転してたんだけどな初見さん」
「すごい……!じっしつ4回転だ……!!」
じ、実質なんて言葉使えんのか、結束さんお前……。
まあそれはそれとして実質4回転なわけねえだろシバくぞこら。
「すごい!始めたばっかなのに、もう2回転……!!」
「すごいのか?むしろこの歳で2回転トウループ跳ぶつもりで転んで2回転&発狂して瞳ちゃん先生に怒られるのはダメだと思うんだが……」
「すごいよ!2回転……私も跳びたい……!!」
「そ、そうなのか……」
氷上で前転した後に三点倒立しかけた挙句、その姿勢で発狂しててもダメじゃないんやな。
後でユキチャン先輩に弁明しとこ。
まあそれはそれとして。
「俺の2回転トウループは、タダの2回転トウループじゃない」
「……!*7」
「練習に練習を重ね、お手本のように跳んだ俺だけのトウループ」
「ど、どんなトウループなの……!?」
俺の2回転トウループ、というのは過言を通り越して明後日の方向で5回転トウループ跳んでる位有り得ない話なのですが。
先ずは2回転トウループ、着氷だけはなんとか出来ました。
プロトタイプとか言ってましたよね?その話です。ド派手な転倒から時間をかけてお手本を確認、修正。
その作業を繰り返し、ようやく頭の中で着氷までの形を描くことが出来た俺は無事に2回転トウループを降りる事が出来たのです。
その努力の結晶は、誰に馬鹿にすることの出来ない俺だけの栄誉。
その栄誉、誉れ高き結晶の名は──
「瞳ちゃんトウループだ」
「え?」
「瞳ちゃん先生の2回転トウループ。
略して瞳ちゃんトウループ」
「…………。
……え?」
「フッ……瞳ちゃんトウループ!」
そう、瞳ちゃんトウループです。
瞳ちゃん先生のトウループのお手本を何回も見て、転んで、見て、転んで、たまに発狂して、俺の貴重な1日を費やした渾身の2回転トウループ。
この技を瞳ちゃんトウループと呼ばずしてなんと呼ぶのか。
俺が憧れのようなフィギュアスケーターになれた暁には、この瞳ちゃんトウループで全日本の氷上に栄光の刃跡を刻み付けてみせる予定です。
まあ、いつになるかは分からないんですけどね。
全日本よ、震えて眠れ。
「は……倉見くん」
「ん?」
「そんな名前付けたら先生に怒られちゃうよ……」
「大丈夫、全日本も瞳ちゃん先生も震えて眠ることに快楽を見出せる筈だ。ヘーキヘーキ」
「えぇ……」
お前は震えんな。
なんでガクブルしとんねん。
「だ、だめ……やっぱりやめた方がいいよ、は……倉見くん」
「は……くらみ?」
「そ、そうだ!えっと……どうせ名前をつけるなら倉見君の名前を使ったらいいんじゃないかな?えっと……は、はる……はる……」
「遥人君って呼んでくれ。ハルくんでも良いぞ」
「なんで急に!?」
「だって恥ずかしそうにしてるから、許可したら呼びやすくなるかなって。……で、俺の名前を付けたトウループがなんだって?」
「えっと……その。……は、……は、遥人くんトウループ……とか?」
「遥人君トウループ」
「…………。
……ご、ごめん。わすれて……」
何がごめんなのか分かりませんが、結束さんが両手で顔を隠しながらそう言います。
まあ、俺のトウループに名前を付けてくれたのはくれるのは有難いですが震えたり、赤面しながらそんな事言われても困っちゃうんですよね。
そこまで言う勇気があるなら虚勢でもなんでも張って、俺の醜態に張り手かますくらいのところまで突き抜けて欲しかった。
まあ、張り手されたら俺も張り手以外でやり返しますが。
お礼参りって奴です、素敵な響きですよね。
「分かった。じゃあ今度一緒にスケートリンク行こうぜ」
「え?」
「丹精込めて命名してくれた遥人君トウループ、結束さんにチェックしてもらおうかなって。それと、この前も誘ったけど……やっぱり俺が単純に結束さんと一緒にスケートやりたいんだ」
「……いっしょに?」
「あん時は途中で誘うのやめちゃったけど。
……ダメかな?」
冗談の類など欠片も持ち合わせていません。
その内フィギュアスケートを一緒にやるのも一興だと思っています。見聞きするよりも実際にやる方が楽しいというのは経験済みですし、きっと結束さんと一緒にスケートをやるのは、フィギュアスケートの話をする以上に楽しいものになるって、そんな予感がしますから。
とはいえ、このままでは一緒に遊べません。今のままでは転んで、発狂して、また転ぶ。その繰り返しでは結束さんに迷惑をかけるだけで、俺は楽しくても結束さんが楽しめないでしょう。
なので、先ずは俺がスケート巧者にならなければなりません。
仮に俺が誘ったとして、先導した奴がトウループ飛ぼうとして転倒。氷の上で2回転とかマジで笑えないっすからね。
むしろ結束さんに手を差し伸べられる位でなければ。
……え、それ何年後の話になるんすか?
「やろうぜ、スケート。話すだけじゃなくて、実際に」
「……や、りたい」
「へ?──って、近い近い!」
「やりたい!いっしょにスケートしたい……!!」
「お、おう……!取り敢えず、予定を決めてからな……!」
先走んな。
もれなく俺が逝く。
「後、練習もあるから。もう少し上手くなってから、一緒にやろうぜ」
「うん!えっと、その……」
「その?」
「わ、私も……頑張るから!」
「頑張る?何を?」
「えっと、おか……さ……と、とにかく色々!」
だから先走るなってば。
俺が安定した滑りできるようになってからって言ってんねん。
危うく俺が死ぬやろがい!!
分かったら手ェ握んな!顔が近いんだよ!!
保健室の時もそうだったけど、少しは自分の顔の良さ自覚しろやオイ!!
ちょ、待っ……結束ァ!!
「わ、わかった!わかったから少し落ち着け!!俺が言うのもなんだが近い!声が大きい!」
「え……あ、ッ……ご、ごめんはる……倉見くん」
「いや、謝んなくていいよ──って。前もこんなやり取りしてたな」
「う、うん……」
「…………。
えっと、フツーに遥人って呼んでいいんだぞ?」
「わ、わすれて……!」
勝手に先走っていることに気付いて照れる結束さんはめちゃ可愛いですが、フィギュアスケートを嗜む俺にとっては気が気ではありません。
明日の友情が俺のフィギュアスケートの上手さに懸かっているからです。
ここで一丁上手な所見せて「す、すごい……!」と言わせるか、雑魚ぴな俺を見せて「そういうのが許されるのは小学生までだよねー!」と言われるかでは今後の関係に大きな差が出ますからね。
少なくとも今の俺では後者が必然。
許せ結束さん、今はまだその時ではないのだ。
「今の俺じゃ結束さんとフィギュアスケートは出来ない……なんてったって氷上でうつ伏せ2回転キメる下手っぴだからな。もう少し待ってくれ、多分もうちょいしたらなんとかなる筈だから……!」
「そうかな……2回転跳べてるなら、もう大丈夫な気が……」
「ダメッ!!結束さんとフィギュアスケートに妥協をしては……ダメ……!!」
しかし、男に二言はありません。
俺はやられキャラの中ボスでもなければ、そこら辺で道草食ってるような奴らでもないのです。
やると言ったらやる!やらないと言ってもなんだかんだやる!そうやってなんとか生きてきたんです。
その生き方を結束さんとの約束で曲げるなんてこたぁ有り得ません。
俺が憧れを諦めることと同じくらい、有り得ないことなんです。
「ふ……ふふふ」
「?……は、はる……はる、と君?」
「ふーっふっふっふ!!!!」
「遥人君!?」
一種の責任感のようなものが、俺の鼓動を鳴らします。
その鼓動の速さが、今後の俺にどのような影響を与えるかは分かりません。
分からないことだらけです。今後の俺のことも、瞳ちゃん先生の考えも、結束さんとの今後も。
だけど、心の何処かで鼓動のままに突き進めば上手くいくという予感もあって。
まあ、結局のところその心のままに突き進んでしまうんですよね。
だって俺──自分でも驚くくらい馬鹿で、どうしようもなくて、フィギュアスケートが大好きになっただけの発狂魔人ですから。
「さあ、今日も練習だ。今日の俺を超えなきゃ明日の俺が氷にシバかれちまう……結束さんとフィギュアスケートやる為にも頑張らなきゃな!」
「こ……転んじゃうってこと?」
「へへ、最近1回転ぶ度に自信をトウピックで削られているような気がするんだ……あ、痛いっ!削られちゃった……!!」
「だいじょうぶ……!?」
え、つまり何が言いたいのかって?
うーん……結束さんよ、震えて眠れ!ってことっすかね?
※
私が、倉見遥人という少年に初めて驚いたのは、何処までも輝き、透き通るような『目』だった。
緊張や懊悩の類が全く見えない、曇りのない瞳。その瞳には『憧れのようなフィギュアスケーターになりたい』という言葉を嘘ではなく、誠にしてみせるという強い気持ちが伺えた。
フィギュアスケートを始めるには少し遅めの年齢ではあるけど、小さな子どもであることには変わりない。フィギュアスケートという括りを抜きにしても、この年齢で
どれだけ壁に当たっても、ミスをしても、溢れ出る情熱を内に秘めずに行動と発狂で尽き果てるまで燃やし尽くす。それも、何日と止めることなくずっと、笑顔で。
どうしてそこまで、目標に対する熱意を何日も継続して燃やすことが出来るのかと──私は感心しつつも驚き、半ば呆れていたとも思う。
それほどまでに、遥人君の目は燃え滾っていたから。
「かの鴗鳥慎一郎先生の動画を見た俺は無敵!!あの高さのあるジャンプ!!魅せるチェックポーズ!!全部頭ン中に入ってるぜェ!!」
「出来るとは言ってない〜(煽り)」
「見ててくれ、動画の中のシンイチロー先生!!俺の2回転トウループ──あ、まって回転足り……ファァァァァァッ!!!」
そして、その瞳は今も燃えている。
憧れという高い目標に自分を届かせるために、今もなお熱く、強く。
●
小さな子どもが未来予想図に描く『〜になりたい』という夢を叶えられる子は、果たして何人いるのだろうかと考えたことがある。
現実的に
一つ一つの夢には、恐ろしい量の現実がそびえ立っている。
低い目線と視野だけでは分からない1寸先の闇。
子供はそういった闇を踏み抜いた時に現実を知り、大人になる。成れないものはなれないと、どれだけ頑張ってもダメなものはダメだと、そこまで頑張るようなものじゃなかったと、多くの言葉という名前の言い訳を覚えて、
その状況に陥った時、幼い頃に描いた未来予想図を愚直に信じられる子どもは少ない。初めて描いた夢を信じ続けることが出来ず、抱き締めずに手放してしまう。
当初は抱いていた筈の強い気持ちが、手放す頃には弱々しいものに変化してしまう。
実際、私がヘッドコーチを務めるルクス東山FSCでもそういう子はいた。
上手くいかないから、
現実を知った子ども達のそれぞれの理由は、私にとってはどうしようも出来ない言葉だ。
上手くいかないのは、その子に合った指導ができないから。
モノにならなさそうだと子どもや保護者が感じたのは、私がその子の可能性を引き出してあげられなかったから。
思ったよりつまらないのは、魅力的な指導が出来なかったから。
だからこそ、私は子どもたちの諦める選択肢に口を出すことができない。
自分の指導力不足を棚に上げて、心が折れてしまった子どもたちに何を言うことが出来るのだろうか。
何より、辞めるという選択を経て大人になろうとする子どもの『選択する』という成長を妨げるようなことはあってはならない。
それでも、辞めていく子の背中を見送る度に思うことはある。
上手くいかない時間は、どんなに上手なフィギュアスケーターにだってある。モノになるか、ならないかなんてその時になって初めて分かる事だ。思ったよりつまらないものの積み重ねこそ、『やってよかった』と思える最高の瞬間を掴む土台になる。
それを知らずに辞めていくのは、純粋に悲しかった。
何より、それを体験させてあげられない。選手としての日の出の瞬間を味合わせてあげられないヘッドコーチとしての自分の不甲斐なさが、憎かった。
「瞳先生?」
「!……ごめんね、少し考え事してて」
「……無理しないでくださいね?」
「ありがとう、雪ちゃん。私のことは心配しないで、今日も練習頑張ろっか」
「はい!」
スケートは、驚く程にお金がかかる。年齢を重ねれば重ねる程費用が跳ね上がり、続ける為にも上手くなる為にも金銭面の後押しがどうしても必要になる。
幼い頃から始めているか始めて居ないかで、相当技術の差が出る。大人になってから頂点を極めようとしても、先ず
上には上がいる。果てなど全く見えない、頂点など視界に入ったと思えばすぐに遠くへ逃げていく、魔境のような世界。
引退後、スケートを仕事にできる人は本当に少ない。セカンドキャリア構築のハードルは非常に高く、生半可な実績ではフィギュアスケートだけで食べていけない。
だからこそ、初めてスケートを始める子供にとっては敷居が高く、両親の説得も含めて気軽に飛び込める世界ではない。
これが華やかに見えるスケートの現実。
スケートを競技として見た時の、一種の闇の部分。
どのような競技や夢にもある闇を知ってもなお、必死に頑張り続けられる子はそういない。
多くの子どもは、現実を知り、自分を客観的に見て、その上で新しく作った夢を語る。
そして、叶えられそうになければ新たな目標を探す。
──身の丈というものを、自分で見積もって勝手に決めてしまう。
「あらまぁ、羨ましい程きめ細やかで親身な指導内容!ハル、ここなら健康と憧れの追求を両立出来るわね!」
「か、母ちゃん言い出しっぺの俺が言うのもなんだけどリンクって予想より寒いから健康にはむしろ良くないかも……ぶえっきし!!」
「まあ、誰かが噂してるのかしら……」
そんな事を考えていた最中、1人の男の子が目を輝かせてフィギュアスケートの世界に勇猛果敢に飛び込もうとしていた。
倉見遥人君。
フィギュアスケートは全くといっていいほどの未経験。スケートという名の付いたものをつい最近まで見たこともない男の子が、ルクス東山FSCの門戸を叩いた理由は単純に家から近かったことと、きっかけとなった1つの動画だった。
『──3回転アクセル!!この大舞台で得意のアクセル決めてきましたッ!!!』
『ブラケットの入りから着氷後のツイズルまで完璧ですね。彼だけにしか成し得ない、正しく極上の3回転半です』
オリンピックで日本のフィギュアスケートに金メダルをもたらした無敗の絶対王者。
その絶対王者に追い縋り、拘り続ける者が多く存在していた中で1人。
絶対王者を親友と称し、アクセルジャンプに拘り続けたフィギュアスケーターがいる。
そのフィギュアスケーターを憧れと見倣し、遥人君は家から近い大須リンクで活動するルクス東山FSCの門戸を叩いた。
「ぐぬぬぬ……!しかし、憧れのようなフィギュアスケートが出来るようになるためには極寒の地での修行は不可欠……!!」
「遥人君?」
「目指せフィギュアスケーター!!瞳ちゃん先生!!これからよろしくお願いします!!」
「瞳ちゃん先生?」
当然、彼の目標は簡単なものではない。
遥人君の憧れは、疑いようもない天才だ。
オリンピアンにこそ縁がなかったが、絶対王者に常に肉薄し、王の引退後2年間は紛れもなく日本の男子フィギュアスケートを牽引する存在だった。
オリンピアンにだってなれた筈だった。欲しい色のメダルを奪い取る力すら、あのフィギュアスケーターにはあった。
夜闇を凌駕する朝陽になれた。
「──そっか。遥人君の憧れはあの人なんだ」
「ッス!!全日本選手権でのプログラム最高でしたッ!!」
「『朝日』でしょ?私もその人のプログラムは好きだったな」
「ッ……まさかの同志ッ!?」
話が逸れてしまったけど、とにかく遥人君の憧れはフィギュアスケートの動機になり得た。
彼の心は、その憧れのおかげで燃えるように熱い。その憧れが、遥人君の心を突き動かしている。その心のおかげで、遥人君と私は出会うことができた。そして今、やる気と本気の眼差しを引っ提げて、未知に挑もうとしている。
「分かった。そういう目標があるのなら、私も精一杯協力する」
「本当ですか!?」
「ええ、目標があるのなら大歓迎。先ずは基礎から着実に積み重ねて、いずれは憧れのフィギュアスケーターと同じようなプログラムを組めるように、一緒に頑張りましょう」
その姿を目にして、私がやらなければならないことは決まっている。
コーチとして、その火を絶やさず。もしその火が絶えてしまいそうになった時は、密かに薪を焚べられるような存在になること。
そして、その炎を私自身にも宿し。その炎を纏った松明で彼の行きたい道に導けるような人であること。
決心して必ずできるようなものではない。彼のことをもっと知らなければならない。様々な想いを共有できる、彼にとって信頼できる大人でなければならない。そして、彼にとっての信頼に値する『鍵』をこの先で必ず見つけなければならない。
進まなければ始まらない。そして、遥人君は不器用ながらも門戸を叩き、望む夢に向かい、私を頼ってくれた。
ならば私も進もう。成長期の子どもに必ず生じる爆発的な成長に負けないように、私も生徒に負けないくらい成長しよう。
「改めて、私の名前は高峰瞳。よろしくね、遥人君」
「はい!倉見遥人です!!よろしくお願いします、瞳ちゃん先生!!」
「うん、取り敢えず瞳ちゃん先生はやめよっか」
1度決心すれば、後は心が勝手に私を前向きにしてくれる。
遥人君の両親の存在には正直、目玉が飛び出てしまうほどに驚いたけれど。それは指導者である私が特筆して言うべきことでは無いし、気にする必要もない。
ヘッドコーチとしての立場がある以上、どの子に対しても丁寧に、親身に、平等に寄り添った指導をする。
それは遥人君と言えども変わりは無い。
丁寧に、親身に指導をする。遥人君という生徒を、大切に育てていく。
依然未熟なコーチではあるけど、せめて相対する男の子の真摯で純粋な眼差しには応えてあげたいと、そう願いながら初めての邂逅を終えた。
『ひょうたん無理!エグい!死んじゃうッ!!』
『上手くできてるよ?自信持って、次はスネークやってみよっか』
『す、スネーク!?蛇行するんすか!!おもちゃみたいに!!アナコンダみたいにッ!!!』
なんか思ってた子と違った。
⚫︎
まあ、そんな経緯もあり遥人君の指導に携わることになった私は、早速遥人君に対して驚いたことがある。
『ひょうたん、スネーク、バックのひょうたん。はい、フォアクロス』
『よっ!ほっ!そりゃ!うりゃ!!……へっへっへ!どーんなもんだい!!』
『……』
『フッ、固まる程感動しちゃったか。この愛弟子の成長速度に!!』
本当に、
フィギュアスケートに関わらず、基礎というものは同じ動作を何度も繰り返すことでようやく形になり、その形が多種多様な技を支える土台になる。
フィギュアスケートひとつを取っても、ジャンプに至るまでの過程。そしてプログラムを完走するために必要なのは、基礎のスケーティング。
この基礎が出来るようにならないと、先ず氷上で悶え苦しむだけで憧れのようなフィギュアスケートどころではなくなる。
なので、先ずは基礎の滑り方。
ひょうたん、スネーク、フォアクロス。T字ストップ。そして、ストロークにセミサークル。
段階を踏んでひとつずつ。初心者故の『できない』、『つまらない』という呪いのような言葉に苛まされないように接しようと試みたのだけれども。
『瞳ちゃん先生!!見てよ俺のフリーレッグ!!綺麗でしょ!?これもう憧れに到達してるっしょ!!フリーレッグだけ!!ガハハ──ぎゃああああ!!!数週間前に発生した股関節バーストがぁぁぁぁ!!!!』
遥人君は、日を追う事に1つずつ。
正しくスポンジのように技を吸収していった。
勿論、最初は出来ない。大抵転んで発狂して、悶えて、たまに泣きついてくる。膝下に擦り寄ってくるのは保護者の目もあるので本当にやめてほしい。
だけど、最後。
この1回で1度休憩、もしくは終了という本当に最後の1回。
本番で言うのなら、後半1.1倍の最後のジャンプ。
ここで遥人君は必ず
そして、掴んだものを離さない。大事に抱えるように技の肝を掴み、後日には
「……」
その時の遥人君の頭の中で何が起こっているのかは分からない。
分かっていることは最後の最後で遥人君は驚異的な集中力を発揮するということ。そして、疲労度が上がるにつれて口数も無駄な動きも失くなり、その技を覚える為に最適な動きをするということ。
遥人君が何かを掴む時は発狂や無駄な動きが一切ないのだ。
まるでお手本の良い所を
そして、1番の変化が。
『っしゃあ!!今日も最後に完成!!流石本番に強い男、俺!!』
『……』
『瞳ちゃん先生!!今の1回転アクセルにGOE何点付けます!?』
『……+1』
『ズコォ!!!』
最後の最後。
お手本を見て、学び、最後のチャンスを掴む時。
その一連の流れで見せる、『目』だ。
『遥人君、昔から何かを覚えたりするのが得意だったりした?』
『お?まぁ……お世辞にも覚えるのは得意じゃないよなぁ。自慢じゃないが今日の宿題がなんなのかとか、全部忘れちまったぜ!』
『それはちゃんと連絡帳に書きなさい』
遥人君に自覚はないと思う。
求める技の難易度が上がる度に『完成度を上げたい!』とごね、憧れをチラつかせて漸く技の習得に励む。
その姿に、自身の特異な才能の自覚は感じ取れない。恐らくではあるが、一日の最後で必ず教えられたことを掴むことの凄さも、この短期間で1回転ジャンプを揃えられたジャンプの天賦も、既に陸地で2回転アクセルを着地できているという異常性にも遥人君は気付いていない。
覚えることに対する速さを否定する。
何かと自分が褒められることに対して謙遜し、否定的になる。
故に、現在。
こうして、2回転トウループの練習を始めた数分後に私の膝に縋り付く遥人君が生まれてしまっている。
「ぬわああああん!ぬわああああん!!」
「あ、始まった」
「意識しなきゃいけない箇所が多すぎるよぉ!なんだよ2回転って!!これ編み出した奴誰だ!!ぶっ転がしてやる!!」
これで縋り付くだけならまだしも発狂しながら物騒な言葉まで使っているので余計な注目を集めてしまっている。
耳をすませば子どもたちの『発狂魔人……!』や『瞳ちゃん先生……!』やらの言葉が聞こえてくる。
取り敢えず離して欲しいけど、しがみつく力が強くて離れそうにない。
勘弁して欲しい。
「大丈夫。回転数は足りてるし、着氷までもう少しってところまで段階を踏めてるよ」
「エェ!?」
「タブレット見て。問題は空中での姿勢、ジャンプした後の身体。上半身と下半身の回転に歪みがあるから上手く回りきれてないの」
「えぇ……」
「回転を焦って上半身だけ速く回転させようとしてないかな。基本は、一回転トウループと同じ、空中姿勢と軸を意識。頭と上半身、下半身を同じタイミングで回すことを意識してみよっか」
「うぇい……」
遥人君の1回転ジャンプは、アクセル
その中のひとつが、トウループ。
単独でもコンビネーションのセカンドジャンプでも、名選手が多用する万能のジャンプ。
遥人君はこのトウループを1回転で、高さと幅が申し分ない自然な入りで跳ぶことが出来る。
余裕のある着氷、そして基本的には跳びにくいセカンドジャンプの着氷率が100パーセントであるということも加味して、最初に跳ばせる2回転ジャンプはトウループにしようと、心の中で決めていた。
勿論、遥人君の現時点での到達目標は2回転アクセルの着氷だ。
遥人君がアクセルジャンプに対して並々ならぬ想いを持っていることは理解している。
このまま順調に育てば2回転アクセルを跳ぶのは時間の問題で、いずれは2回転アクセル、そして3回転アクセルの
そして、アクセルジャンプに囚われすぎては『憧れのようなフィギュアスケーターになる』という遥人君の大きな目標を見失うことになるということも、分かっている。
「後もう少しだよ。今日完成させなくてもいい。地道にコツコツやっていこう」
「ねぇもう無理……」
「因みに憧れのフィギュアスケーターは、こんな所でへこたれるような人じゃなかったけど」
「……瞳ちゃん先生が、俺の憧れの何を知ってるってんですか?」
「現役時代」
「……」
「遥人君?」
「やってやろうじゃねえかオラァ!!!」
例に漏れず、憧れを餌に遥人君の目に炎を灯す。
憧れを餌にしてこれだけの元気が出るのならば、遥人君のやる気を心配する必要はない。
本当にやる気を失ってしまった子は、目標を仄めかしても心が揺さぶられない。
音を鳴らして折れてしまった心が修復されないまま、目標への歩みを止めてしまう。
反面、自発的ではなかろうと
目標に向けて元気良く、溢れ出るほどの情熱で虚空を切り裂かんと身体を空に放る。
「今日も練習頑張ってるよね、発狂魔人」
「発狂くん練習は真面目に頑張るもん。たまに変なこと叫んでるけど」
「みんな練習してるし、魔人も頑張ってたし、俺も頑張らなきゃ!」
その姿が、どれ程子供達の目に火を宿したか。
どれだけの子をやる気にさせたか。
その炎を、何人の子供達に伝播させたのか。
少なくとも自分のことで精一杯な遥人君には一生分からないことだろうと、私は遥人君の背中を見ながら笑みを零した。
「……憧れ、か」
遥人君の憧れ。
雁のように飛翔し、鷹に挑み続けた朝日のような存在。
彼の武器は、代名詞とされるアクセルジャンプ。
そして、綺麗で見とれてしまうほどに上手な
そのジャンプは、彼を慕っていた
そして、彼が至ることの出来なかった場所に立ち、欲しい色のメダルを胸に掲げた。
『……日本の方ですよね?』
『はい』
『良かった。その質問は、きっと日本の方じゃないと上手く伝わらないと思いますから』
その後のインタビューにて彼女が発した言葉は、その選手の本質を射抜いていた。
類稀な才覚を以て、アクセルジャンプの限界に挑み続ける勇気。
自身の成長に妥協をせずに技を限界まで突き詰めていく根気強さ。
期待に応えようと、──フィギュアスケーターとして死ぬ覚悟。
『先ず、私が最後に4回転フリップを選んだのは自分の1番勝負できると感じたジャンプだからです。
ずっと前から、フリップの練習をしてきました。尊敬する選手から、沢山褒められました。自他共に認めることが出来るジャンプだからこそ、このフリップを後半に持っていきました』
『……』
『その裏側では、彼の存在が何度も後押ししてくれていました。
苦しい時間も沢山ありました。けど、その時間の中で立ち止まる度に、彼が手を引き、狭い世界から何度も連れ出してくれました』
その全てを、数多くの光に晒される少女はちゃんと分かっていた。
フリップを降りた時の挑戦的かつ華やかな笑顔も、最初に投下した爆弾発言と共に魅せた人懐っこい笑顔も、その瞬間の彼女にはなく。
現実を理解し、それでも尚兄のように慕う憧れの全てを理解しようと努め、その結果を余すことなく、不備なく、真剣に届けようとする大人の姿が、そこには在った。
『だからこそ、私は彼に憧れました。
──私の中で絶対に譲れない好きがそこに生まれた。そのきっかけから生まれた集大成が、今日の4回転フリップです』
だからこそ、憧れを超えたフィギュアスケーターに成った。
その本質を理解し、それ以上の熱量で氷を愛した。その場所を愛し続けるから、努力することも短所を克服することも、長所を伸ばすことも、何もかもが苦にならない。
苦難を厭わないから、何処までも突き抜けていく。
突き抜けた先の舞台で、欲しい色のメダルを掴み取る権利を得たのだ。
『私は憧れを追いかけて、この先もフィギュアスケートに携わっていきます。
そして、フィギュアスケートに携わる者として自身の一挙一動に誇りを持てる人になります』
『!』
『そして、彼が私に
幼少の頃から強く、熱く、燃え滾るような心を以て、技を極めた天才。
遥人君の憧れは、決してアクセルジャンプだけの選手ではなかった。
一つ一つの要素に向き合ってきた。段階を踏み、自分に課した全ての条件を整え、アクセルジャンプの練習に踏み込んでいった。
そうして結果を残してきた自分自身に、揺るぎない誇りを感じていた。
「……」
遥人君は、アクセルジャンプの習得を憧れに近付く為の近道だと思っている節がある。
勿論、本人の代名詞は極上と称されたブラケットからのトリプルアクセルだ。
あのトリプルアクセルを超える3回転半を、少なくとも私は見たことがない。
軸、高さ、幅、着氷、跳躍に至るまでの独創的な入り。その全ての次元が他選手を凌駕するものであり、遥人君はその技に魅せられ、呑まれてしまったのだということも何となく理解できる。
けど。
魅せられ、呑まれたままアクセルジャンプだけを追いかけていては憧れのようなフィギュアスケーターにはなれない。
憧れのようなフィギュアスケートに必要なものは、アクセルジャンプだけではない。
ジャンプ、スピン、ステップ。全ての要素に全力を尽くし、フィギュアスケートを愛する気持ち。
その愛を、燃やし続ける覚悟。
それが、遥人君の目標へのヒントになると思う。
そして、それが出来れば遥人君はきっと──
「ぜぇ……ぜぇ……も、もう無理……エグい、もうええて……2回転トウループもうええて……」
「そんなことを言いながら2回転トウループの練習頑張ってるじゃん」
「へ、へへっ……今更後には引けねえよユキチャン先輩……あの鬼教官な瞳ちゃん先生直伝のトウループだぞ……絶対に覚えて、この技を『瞳ちゃんトウループ』として各放送局の映像に残してやるんだ……」
「う、うわぁ……(ドン引き)」
と。
最近は考えることが多くなってしまったと、嘆息を漏らしながら頭を片手で抑える。
教え、学び、失敗。その繰り返しで成功というゴールに辿り着く遥人君との個人レッスンも、そろそろ終わりに近付いていた。
個人レッスンの時間は1回60分。他生徒との兼ね合いもあるため、基本的に私が遥人君を見ることができるその時間に、貸切練習を合わせた数時間が私が遥人君に指導することの出来る時。
「今日完成させなくても大丈夫だよって瞳先生も言ってたでしょ?少し落ち着いて──ってもう居なくなってる!?」
「ぶぅおっはぁ!!」
「遥人君!?」
その中でも、マンツーマンで指導することの出来る個人レッスンは貴重だ。
グループレッスンとは違う、個々の特徴や進行度に合わせたスケジュールで効率良く生徒の成長を図ることが出来る。
勿論、生徒の成長速度はコーチの腕次第だ。生徒の才能によって、その速度が変わることはある。
しかし、コーチはそれを言い訳にしない。言い訳にする時間があるのなら、少しでも受け持った生徒に必要な事を考え、突き詰めていく。
突き詰めた道の先に、希望が生まれる。
コーチ業の大変さを幾度となく思い知らされても、多忙に心が折れそうになっても、生徒を思うと頑張れる。
「瞳先生……エグいっす。終わりが見えてこねえ……」
「終わりはあるよ。今は終わりに辿り着くための階段を作ってる最中だから、目の前に終わりが見えてこないってだけで」
「くそったれめ……俺自身の資質の問題ってことじゃねえか……」
とはいえ、私が依然として未熟なコーチであることには変わりない。選手とコーチの両面で活躍した父の偉大さを思い知らされる毎日だ。
そこを克服するには、突き詰めていくしかない。
選手時代がそうであったように、努力を重ねて知識と経験の両面で生徒に手を差し伸べることの出来る、
そして、何より。
今受け持った生徒に出来ること。現在を必死に生きていく他ないと、私は思う。
「そろそろ良い時間ね。どうする?明日にする?」
「……嫌ッス。まだやれます、ギリギリまでやれます」
「遥人君。今日2回転トウループが出来ないからって、あなたのこれからが終わる訳じゃない。明日になったって、半年かかったっていい。出来るようになるまで頑張っていいんだよ」
「けど……折角ここまで腹決めて練習したんです。今日、なにか掴んで帰りたい。今のままじゃ、終われないッス」
遥人君の目が、弱々しくも輝いたまま私を捉える。
現状を変えたいという意思。そして、それを越えられない悔しさが入り交じった目。
それを見る度に、現役時代を思い出す。
今日をこのままで終わらせたくないという強い思いと比例するように込み上げてくる悔しさ。
その悔しさを振り払うように練習し、無理を咎められた結果、練習に制限をかけられた苦い思い出。
行き場のなくなった悔しさが、視線と表情に現れる。限られた練習時間では打ち消すことの出来ない悔しさは、大人になった今でも記憶に残っている。
その目に浮かぶ思いの形を、理解している。
『出来ない』苦しさを、識っている。それでも抗いたい、戦って、『打ち勝ちたい』という願いを持っていることを識っている。
だからこそ、応えたい。
私は、今も尚燃え続ける視線の奥の想いに。
遥人君の
「遥人君は最後に必ず課題のコツを掴む」
「へ」
「その時、遥人君はお手本だけじゃない、
「……えっと、瞳先生?」
「何処を見てる?」
コーチングとティーチングは、似て非なるもの。
そのどちらも指導するという根本は変わらない。大きく違うのはコーチが『教える』のか、選手に『気付かせる』のか。
この2つの指導方法は、今後の生徒の知識量や進行度、自主性、吸収力に大きな違いが出てくる。
片やその経験を以て、多くを生徒に語りかけて知識を授け。片や生徒に『気付き』を与え、考えさせ続けることで多少の時間がかかっても自主性を芽生えさせた上で、技を確実に自分のモノにするか。
然し、この2つの指導法は単純に『これがいい』と比較することができない。
教えることも気付かせることも、どちらも過不足があってはならないのだ。コーチング一辺倒の指導で自主性を身につけさせた所で、要素の習得に時間がかかりすぎれば本末転倒。とはいえ、幼少期からティーチング一辺倒の指導では『言われたことだけを忠実にこなすだけ』のフィギュアスケーターになってしまい、将来自主性や独創性の観点で苦労することになる。
どちらの指導法にもメリットとデメリットがある。そして、選手個々の個性や特徴によって、2つの指導法にも向き不向きがある。
確実で正しい指導法なんてものは、決してない。
『正しさ』という教科書のような何かに固執してはいけないのだ。
「大丈夫。あと1回、考えてから跳ぶだけの時間はある、ゆっくり考えて」
「……え、と」
「見えたもの。感じたもの。一瞬、いつもと違う何かはなかった?見方や触れ方だってそう。遥人君だけの感覚を、私にも聞かせて欲しいの」
選手個々の個性、特徴。その日の調子を見極め、選手の成長を促しつつ自主性をも身につけさせる。
ティーチングとコーチングのバランス調整を怠らない事は、その指導を行う上での必須条件だ。
そして、今。私は遥人君にコーチングをしようとしている。
私が今までの遥人君を見てきて、気付いたこと。
急激な成長曲線を描く遥人君が持っていて、他の子にはなかなか持ち合わせて居ない才気。
その特異な才能を
遥人君に、自分のことをちゃんと分かってもらう。
「……瞳ちゃん先生のお手本はめちゃ綺麗で」
「うん」
「そのままでも、ある程度やり方は分かるんだけど……それだと完全に掴むことはできないんです。だから、……その、最後らへんで、見方を……変えて」
顬に手を当てた遥人君が、絞り出すように言葉を紡ぐ。
ひとつひとつ、自分の今までを言語に変えようとしている。
それでいい。
思考を口に出すことは、恥ずかしいことじゃない。
夢も、未来も、希望も、言葉にして初めて掴むものに変わる。泡沫のまま掴んだ不明瞭は、いずれその手から離れる。
その代わり、明確なモノを掴んだ時。言葉にできた時。言語化した言葉は『自分のモノ』になる。
自分で掴んだ答えは、一生失わない。
借り物でない、自分だけの最強の手札になるから。
「1回転全部修めた時は……その。周りをちゃんと見なきゃって。今までのやり方とは180度やり方を変えなきゃって思ってて……」
しどろもどろになりながら、紡ぐ言葉。
自分ですら何を言っているのか分からないのかもしれない。言っては取り消して、取り消しては思い出して、思い出しては口にするの繰り返し。
「だから、その。……瞳ちゃん先生のお手本を、ぼかして見てた」
「……ぼかす?」
「そう、ぼかす……。あ……そう、ぼかすんだ。お手本だけじゃなくて、全体を見なきゃいけないから……そう、全体を見て。その過程で瞳ちゃん先生のお手本を……ちゃんと見るんだけど、焦点を合わせないっつーか……瞳ちゃん先生だけに焦点を合わせないで、ぼかして見てた……」
「……」
「お手本だけ見てると、上手く自分が跳んでる姿を想像できないから。自分の中で、それは分かってる。分かってるんだけど……焦って、形だけ見ようとして、確認もしないで先走って、ミスって。それが余計に頭ん中熱くさせて、勢いだけで練習を重ねちまって……」
それでも。
その『しどろもどろ』にしか存在しない、遥人君だけのキーワードを見つけると。
思い出したかのように続き、紡がれる言葉の中から新たなカギを見つけて、そのカギを使って新たな世界を拓く。
「最後。最後に遥人君はその目で、形を掴む。なんでだと思う?」
「最後……最後は、疲れて力が抜けるんだ。それで、……余計な力とか思考もできなくて、ぼーっと見て」
「うん」
「けど、そのせいなのかな。
──ああ、そうだ」
そして。
何かを掴んだ感触を得たのか、遥人君の目が大きく開かれた。
顬に手を当てて悩む素振りは見せていない。
初心に帰るように、悩みすらも霧散してしまったように。
当たり前のことを思い出したかの如く、あっけからんとした様子で私の目を見据え。
「瞳ちゃん先生の目から見える景色を想像してた」
「え?」
「あの速度から、すげー綺麗な姿勢で、キュッと拳を握ってさ。その姿勢から見える景色は、どんなもんかなって思いながら、技を視たんだ」
今、
「……ふふっ」
末恐ろしいなと、心から思う。
燃え盛るような熱も、絶やすことがない命の輝きも、紛うことなき天賦も、無自覚のままに磨き上げられた才能も。
そして、同い年の子とは一線を画す物の見方も。
フィギュアスケートを始めてそろそろ2ヶ月になる、この短期間での驚異的な成長能力を支える土台が、この末恐ろしさに凝縮されている。
日を追うごとに見違えていく、その姿が本当に恐ろしい。
「……そっか。視たんだ、私の景色」
「も、妄想ですよ!?と、盗撮とかエスパー的な事は一切してないんだからね!勘違いしないでよね!?」
「どんな景色だった?」
恐ろしいけど、嬉しい。
フィギュアスケートに熱を持ってくれていることが。
現状を何とかしようと躍起になってくれていることが。
ただの原石じゃない。どんな動機や才能であっても、それをフィギュアスケートに懸けてくれるあなたの手を取れたことが本当に嬉しくて、そこにコーチとしての生きがいを心から感じている。
「今から、2回転トウループのお手本を見せるよ」
「……瞳先生」
「遥人君が掴んだ『目の使い方』で、焼き付けてね」
どの子にも等しく、いずれは手を離す時が来る。
見違えるような成長を見せた時、選手としての岐路に立たされた時、別の道を見つけた時、生徒は自ら守られていた場所から離れ、一人で巣立つ。
遥人君も同じだ。
違う夢を見つけるかもしれない。夢を手放すかもしれない。渡り鳥のように私の手から、他の人の元へ旅立つことだって有り得る。
「……」
けど、今は。
氷上を燃え盛る熱さで愛し、真っ直ぐな瞳で憧れを見据え、私の手を信じて付いてきてくれている間は。
「──あ」
憧れと同じ道を辿る倉見遥人の。
先に待つ闇を照らす松明に、私が成ってみせる。
●
遥人君が習得の過程でたった一度、見せる瞳。
悠遠を見通すその目がお手本を捉えた時、遥人君の世界は一気に広がっていく。
その世界に、きっと際限はない。
上を見据える度に、上を下にしていく目。
それは誰もが持っている訳では無い、特別な目だ。
「瞳ちゃん先生!瞳ちゃん先生!」
「どうしたの?」
「今日の俺の2回転トウループ、瞳ちゃんトウループって名付けてもいい?」
「やめて」
時間は過ぎて、貸切練習終了後。
貸切練習の時間を無事に怪我なく消化することの出来た生徒達が各々の荷物を纏めて帰路に着く時間。
そこで、未だに2回転トウループのおさらいを陸地でしていた遥人君を総太くんに引っ張ってもらって、ようやく一息ついた数秒後。
どうやって着替えたんだと言わんばかりの速さで更衣室から出ていった遥人君は、あろうことか覚えた2回転トウループに独自の名前を付けていた。
素直にやめて欲しい。
「良いと思うんだけどな、瞳ちゃんトウループ」
「良いか悪いかの問題じゃないの。ブレーキ踏んで、遥人君」
「フッ……全日本と瞳ちゃん先生よ、震えて眠れぃ!!」
「…………」
「いぇあ……あ、ははっ。さーせん。ネーミングセンス……あ、違う?アクセルとブレーキを踏み違えるなって……?はい、わかりました……」
無言に弱い遥人君を無言で制し、一日を回想する。
今日の遥人君は2回転トウループの形を掴み、着氷させ。更に曲かけ練習で従来の振付を交えつつ、トウループを2回転で成功させた。
1つの成功から、大きく世界を広げていった。
これまた予想外の成長曲線であり、その爆発的な速度に呆れ交じりの感心を向けつつ、私は今後の遥人君の課題を脳内で纏める。
「じゃあね〜遥人くん」
「おう!またなそうたくん。今度は例の恋愛クソゲー持ってくるからよ、一緒に攻略しようぜ、それぞれ1ヒロインずつ!!」
「あはは、それ正気〜?」
これからの遥人君の課題は、ジャンプ、スピン、ステップの難易度を上げつつ、この特別な目を自在に操るための鍵を探すこと。
その目が持つ恩恵をどのような状況でも受けることが出来れば、遥人君の成長速度は更に伸びていく。
今回の2回転トウループも、結果だけ見れば降りることができた。
最後のお手本を、遥人君は自らが言語化した物の見方で『視』た。
悠遠を見通す瞳が、私の2回転トウループの何かを掴んだ。
そして、遥人君は着氷した。
最後の最後で、いつも通り形を掴んで見せたのだ。
『2回転トウループ、着氷』
『……瞳ちゃん先生』
『おめでとう。今のは、れっきとした2回転トウループだったよ』
しかしながら、言語化した筈の見方を貸切練習での遥人君は発揮することが出来なかった。
理由は分からない。着氷後の質問で、成功した自分がどのようにお手本を視ていたのかということも再度確認した。
答えは変わらなかった。余計な力や思考が抜かれ、お手本だけではない様々な情報を頭に叩き込もうとする見方。
本人の言う、お手本を透かして視る。そして、私が滑り、跳び、着氷するまでの景色を想像する。
自分なりの物の見方を理解することができていた。
それにも関わらず、遥人君の目は最後の一瞬を境に機能することはなかった。
そして、2回転アクセル以降久しく生まれていなかった壁が遥人君を阻んだ。
『瞳ちゃん先生、俺が最後に技を成功させる理由気付いたわ』
『本当に?』
『ピンポーン!正解は……確変とマグレ!!』
『……』
『確変とマグレ!!(2回目)』
貸切練習後の遥人君がそう言ってしまうのも無理はない。
元々が自分の特異性に気づくことの出来なかった子だ。遥人君からしてみたら、先生にやれと言われたジャンプをできるようにするために、促されるまま自分の物の見方を言語化して、その目でお手本を視て、視た流れで2回転トウループを跳んだらなんか上手く着氷してしまったというだけ。
恐らく、遥人君は私が何故物の見方を言語化しろと言ったのか。その理由もわかっていないと思う。
そして、自分の才能の正体にも気付くことが出来ていない。発揮している自分の力が素晴らしいものだと信じてすらいない。
ここまでの順調な成長曲線を描いておきながら、その曲線とは対象的な自己評価の下落ぶりは果たして誰に似たのか。
良く言えば謙虚、悪く言えば自分の実力を正しく推し量れない。
その才能と自己評価の低さに、私はかつてアイスダンスでカップルを組んだ1人のスケーターを思い出し、嘆息を漏らした。
「瞳ちゃん先生?」
「……今のはぼーっとしてた私が悪いけど。流石にみんなの前で瞳ちゃん先生って言うのはやめてくれないかな」
「保護者の目がキツイっすもんね。じゃあ次からはひーちゃん先生で」
「分かっているならもう言わない!」
「そんなの約束できないね……あっ、はい。控えます。控えるんで無言でメモ帳に何か書くのやめてください!誰か!助けて!!」
遥人君の壁を破るために、今本当に必要なもの。
それは現状、課題の量が膨大で不明瞭だ。
自分の力を言語化すること、明確になった力を正しく理解して自分のモノにする。その2つの作業の間に、今の遥人君が持てていないものがあるのかもしれない。
もしくは、更に段階を踏んだ先に掴むための鍵があるのか。
それは今の私でも分からない。
ここから先、松明を片手に暗闇を振り払い探していく他ない。
「んじゃ、そろそろ帰らなきゃ。瞳先生、さいなら」
「お疲れ様、遥人君。しっかり身体を休めてね」
「おうともさ!明後日の朝練も気合い入れていくぜ〜」
それでも、はっきり言えることがある。
そして、教えなければいけないことがある。
遥人君の答え。そして、現在地。
私にとっては譲ることの出来ない、大切なこと。
「遥人君」
「?」
「さっき遥人君は、失敗し続けたものを最後に成功させられる理由を確変とマグレって言ったけど。私はあなたの力を確変や偶然だなんて思ったこと、一度もないよ」
「……瞳ちゃん先生?」
「この短期間でここまで来るまで、練習をしっかりしてきた。1度もサボらないで、こっちが驚くくらい熱心に積み重ねてきてくれた。
私は、その努力を偶然の産物なんて安い言葉で絶対に片付けたりしない」
遥人君はフィギュアスケートを始めて日が浅い。
積み重ねた日付が浅いからこそ、どうしても低く自分を見積もってしまうことはある。
それに、偶然や確変だと思い込めば上手くいかない時に傷付かない。
『所詮自分はこんなものだ』と高を括れるから、心に裏切られることがない。
「偶然や奇跡で降りられるものじゃない。氷上にそんな魔法のようなものはない。あなたの熱量で積み重ねた過程と答えが、繰り出すジャンプに、スピンに、ステップに現れるの」
「……」
「怖がって跳べるジャンプはない、前にそう言ったよね?」
「はい」
「なら、もう1個約束」
しかし、傷付くことを恐れていたら前には進めない。
自分の力を見誤ったままでは、鍵を探す以前の問題になってしまう。
偶然やまぐれで片付ける位なら、いっそ胸を張ってしまえ。
『これができるんだ!』と、玉虫色の衣装を纏って何処までも突き進んで行けばいい。
それは決して恥ずべきことじゃない。
1歩を踏み出すだけで誇るべき、あなたの足跡だから。
「自分の力を怖がらないで。あなたの才能は、偶然でもまぐれでもない。れっきとした倉見遥人の武器なんだから」
「!」
「それじゃ、また明日から頑張ろうね」
遥人君の才能の正体。
覚えるのが速い、その理由。
そして、紛れもない遥人君の武器。
悠遠を見通すような目で追いかけた動作を、瞬間的に身体で模倣することの出来る器用という言葉を超える先天的な才能。
そして──幼少期、遥人君が
その2つの才能が複雑に渦巻き、生まれた遥人君の天賦。
「ストレッチと宿題は忘れずにね。明日宿題忘れてたら……分かるよね?」
「え……ええーっ!?な、なんか凄い良い事言ってくれてたのに!!なんでそんな話を遮るように宿題のはな……ちょ、待てぃ!!話を聞けーッ!!!!」
コーディネーション。
誇るべき、倉見遥人の
『よっ!お前さん、アイスダンスの高峰瞳だろ?』
『……はい、そうですけど』
『だはは、敬語要らねえよ。
それはそうと。俺、コードネーム『夜を追う朝日』なんだけど知ってる?』
『厨二病?随分遅い目覚めだと思うんだけど……』
『ズコォ!!!』
憧れに至ることは、代名詞を覚えることじゃない。
識っているからこそ、尚更思う。
あなたの憧れは、代名詞程度で語れるほどの人間ではないと。その場所に至ることは容易ではないと。
『で、なに?これから練習しなきゃいけないから暇じゃないんだけど……』
『よ、容赦ねえな……まあいいや。
瞳ちゃん、1周回って俺とデートしない?』
『何処を1周してるの?馬鹿なの?』
『ジョークジョーク。
──お前さ、今カップル居ないんだろ?』
それでも、その思いに反するかの如く。
倉見遥人というフィギュアスケーターが、いずれその場所に至るということを確信してしまっている。
至るだけでは飽き足らず、誰の手も届かない場所に飛び立ってしまう──そんな予感すら感じている。
飛び立った瞬間、遥人君が何処にいるのか分からない。
関わった人全てを置き去りにして、遥か先に行ってしまうかもしれない。
『俺、振付を覚える過程でアイスダンスの練習もやってたんだよ。んで、疲労が祟ってシンスプリント、親友に電話口で呆れられる、今日復帰、イマココ』
『あら大変。欲張った二刀流はやめて一刀を極めようね』
『ソーソー、だから俺のアイスダンスの技術がどれだけ追いついたのか確かめてみたくてなぁ……一応先生には許可貰ってるんで、後はアンタ次第』
『……お父さんから?』
けど、そんな未確定の未来を憂うよりも私にはやらなければいけないことがある。
未来を憂いて目先を見ず、足元に潜む危機に気付けないのはコーチとしての資質以前の問題だ。
そして何より、私が見なければいけない子は遥人君だけでは無い。
総太くんに雪ちゃん。多くの子供たちが、私の指導を頼ってくれている。
その子達のやる気に、瞳の内に宿らせた炎に応え、選手としての日の出を迎えるための導き手になること。
そして、皆が太陽の光の如く輝けるようなスケーターに成れるように、私自身が成長し、選手に寄り添えるコーチであること。
それが私の、ルクス東山FSCのヘッドコーチとしてやらなければいけないこと。
『ここまで言ったらもう分かるよな?俺のしたいことが、デートじゃないってこと……』
『まあスケート靴履いている時点で。というよりそれアイスダンス用の……』
『先ずは見た目からってね!てね!!』
『……』
『んだよその目、喧嘩売ってんのか?』
『売ってるように見える程後ろめたい考えをしてるってこと?』
『絶対シバく』
だからこそ。
やらなければならないことが分かっているからこそ、私が
特別扱いなんてしない。贔屓だってしない。その代わり、傍から見て熱量がないと思われるような指導は絶対にしない。
頭を使って、その子に合ったメニューを必死に考える。出来ることを最後まで、全力で教える。どの道に選手が行こうとも、その道を全力で応援する理解者で在る。
遥人君にも、それは変わらない。他の子と変わらない熱量で、変わらない強い気持ちで。
『ギャフンと言わせてやるよ。
──黙って手ェ取りな、瞳ちゃんセンセ』
『はいはい、ぎゃふんぎゃふん』
『そういう意味じゃねえ!』
何度も、何度も諦めずに遥人君に手を差し伸べよう。
あの日、彼が私に伸ばしてくれた暖かさのように。