「えーと……もしかして揶揄われてます?」
通信機越しのホシグマの声は明らかに困惑していた。
「んなわけないでしょ」
「ですよね」
スワイヤーは盛大にため息をついた。
今から数分前、龍門市街を巡回中の近衛局員から、緊急無線が入った。
急を要する報告であるのは分かるが、その内容があまりにも意味不明だったのだ。
——龍門市街地の病院にて、終末期の感染者を抱えた赤と青の全身タイツの男が飛び込んできた。近くを巡回していた近衛局員が制圧を開始したものの劣勢に立たされているので応援を要請する。
情報量が多すぎて何を言っているのか分からない。
くだらないことに無線を使うなと怒鳴りつけてやりたくなったが、どうも冗談で言っているわけでもないらしい。
仕方なくホシグマに応援へ向かうように連絡を取った次第である。
「とりあえず四小隊体制で急行します」
「市民の安全を最優先に。……ホントか知らないけど、対象は糸を操るアーツを使うそうよ」
「了解」
通信終了。
スワイヤーは端末をデスクに放り投げ、椅子の背もたれに体を預ける。
デスクに積み上げられた書類の山を蹴飛ばしてやりたくなった。ついこの間レユニオン事変が収束したばかりだというのに、近衛局の業務は減るどころか増える一方だ。
「ここのところおかしな話ばかりだわ」
頭の後ろで手を組みながらスワイヤーは呟いた。
半月ほど前、空飛ぶサーフボードに乗った男が市街地で小規模な爆破を繰り返し、ここ一週間で市民の行方不明者数が不自然に増加している。
犯人どころか解決の糸口すら見つからない。
「*龍門スラング*。あのバカ龍はどこほっつき歩いてんだか!」
憎たらしいがそれなりに有能な同僚は、レユニオン事変が収束してすぐ放浪の旅に出てしまった。そのしわ寄せがどこに来ているかは言うまでもない。
バカンスに行きたい。シエスタか、ドッソレスでもいい。
いつ来るかも分からぬ休暇に思いを馳せながら、スワイヤーはデスクに鎮座する書類の山に手を伸ばした。
◆◆◆
ホシグマはスワイヤーの指示のもと、現場の病院に急行した。
病院の周囲には非常線が張られ、先に到着していた近衛局員がホシグマの方へと走ってきた。
「状況は?」
「は、病院内の市民は避難が完了しています。現在、近衛局と被疑者は五階で交戦中です」
「こちらの被害は」
「三名、いずれも軽傷です」
ホシグマは頷き、同行する局員に素早く指示を飛ばす」
「三番隊、四番隊は裏口から回り込め。一番隊と二番隊は私の後に続き、正面玄関から突入する。市民の保護を最優先に!」
近衛局員たちが散開。
ホシグマも相棒の般若を構えて正面玄関から病院内へ飛び込んだ。
一階のエントランスに人気はなく、上の方からかすかに戦闘中と思しき音が聞こえてくる。
激しい戦闘があったらしく、そこかしこの椅子がひっくり返り、照明や壁にも傷跡が残っていた。
壁にへばりついた長椅子がホシグマの目に留まる。
「これは……?」
奇妙な光景だった。壁の天井近くの高さに革張りの長椅子が固定されている。よく見るとそれは糸の塊のようだった。蜘蛛に捕えられた昆虫を彷彿とさせる。
無線でスワイヤーが、敵は糸を操るアーツを用いると言っていたことを思い出した。
「上官、これは何でしょうか……?」
そばにいた局員が不安げに問うてくる。
「わからない。が、油断はできない。総員、五階へ急ぐぞ」
◆◆◆
ホシグマが五階に到着すると、数名の近衛局員と、赤と青の全身タイツが戦闘を繰り広げていた。
フロア中に局員の怒号が響き渡っている。
「おいどこを撃ってる! ちゃんと狙え!」
「くそ、すばしっこい野郎だ!」
「誰かこの糸を取ってくれ!」
近衛局の攻撃を、全身タイツの男がひらりひらりとかわし続ける。
男は壁や天井を曲芸のように縦横無尽に走り回り、手のあたりから糸を飛ばして近衛局員の攻撃を妨害している。
見たことのない戦闘スタイルに、ホシグマの緊張が高まる。
増援の到着に気付いた一人が、安堵の表情を浮かべる。
「ホシグマ上官! 来てくださったのですね!」
「状況は把握している。総員、戦闘態勢!」
掛け声と共に局員が散開、謎の男に狙いを定めた。
「ちょっと待ってよ、また増援!?」
天井に張り付いた男は、困惑した声で叫んだ。
局員が放ったボウガンの矢が男に向かって殺到する。
跳躍した男は空中で体を捻りながら矢をかわし、立て続けに糸を飛ばした。白い糸は瞬く間に近衛局員二人に絡みつき、その動きを封じる。
ホシグマは男を睨みつけ、叫んだ。
「龍門近衛局だ! そこの全身タイツ、お前は完全に包囲されている、抵抗はやめろ!」
全身タイツも負けじと叫び返した。
「全身タイツって何!? 僕はスパイダーマンだってば!」
飛んできた糸を般若で防ぎ、ホシグマは言葉を重ねる。
「両手を頭の後ろに回して、膝をつけ! 命は約束する」
「それ、ボウガン撃ちながら言われても信じられるセリフじゃないよね!」
立て続けに矢をはたき落としながら男が叫ぶ。
このままでは埒が開かない。ホシグマは般若を構えて男——スパイダーマンに向かって突進する。
「僕は闘牛士じゃないんだけどな!」
「…………っ!?」
ホシグマの膂力は近衛局でも随一。般若を使ったシールドバッシュの威力は並大抵の者では太刀打ちできるはずもない。
しかし目の前の男は、般若をあろうことか真正面から素手で受け止めてみせたのだ。
両者の力は拮抗している。少しでも力を抜けば押し負けてしまう。ホシグマは渾身の力で般若を押すが、びくともしない。
余裕のないホシグマはありったけの声で叫ぶ。
「援護射撃!!」
スパイダーマンの後方へ回り込んでいた近衛局員たちが一斉に引き金を引いた。
矢は狙い違わず標的の体を貫いた。
くぐもった悲鳴が上がり、拮抗していた力の天秤がわずかに傾く。
震える声で男が懇願する。
「頼むよ……友達を助けたいだけなんだ……!」
「何だと……?」
突如、悲鳴混じりの叫びがフロア中にこだまする。
「末期感染者だ! もう爆発する!!」
突如、スパイダーマンが飛び退く。勢い余ってホシグマは前につんのめった。
スパイダーマンは、矢の刺さった右脚を引きずりながら奥の病室へ飛び込んでいく。
「待てっ」
その後を追い、ホシグマも病室へと滑り込む。
「これは……!」
ホシグマは息を呑んだ。体が震えているのは錯覚ではないだろう。
病床には一人の男が横たわっていた。ボロボロの衣服が、彼の住処がスラム街であることを物語っている。
しかしそれは問題ではなかった。彼の皮膚からは幾つもの鉱石が突き出しており、淡く発光している。そしてその光は目に見えて強くなっていく。
鉱石病患者の末期症状だ。その末路はテラに生きる者なら誰しも知っている。
全身の鉱石が爆発して感染性の粉塵を撒き散らす。避けようのない残酷な結末。
ホシグマは病室の外に向かって声を張り上げる。
「全員退避! 病院内に誰一人入れるな!」
スパイダーマンは男の手を取り、励ましの声をかけ続けている。
「トレッド、大丈夫だよ。きっと良くなるさ」
「すまねぇな、スパイダーマン。巻き込んじまった」
「気にしないで。きっとすぐに医者が来るから」
ホシグマは足早にベッドの横に行き、スパイダーマンの肩を掴んだ。
「離してくれ……」
頭部を覆うマスクから絞り出すような声が漏れる。
「ここから離れるんだ。お前も巻き込まれる」
ホシグマの声に、スパイダーマンはただ首を横に振った。
トレッドと呼ばれた感染者が、ホシグマの方を向く。
「龍門近衛局だな。……お前らのことは嫌いだが、騒がせて悪かった。あんまりコイツを責めないでやってくれ。底抜けにお人好しな野郎なんだ、悪気があったわけじゃねぇ」
ホシグマは黙って唇を噛むと、スパイダーマンの無防備なうなじに手刀を振り下ろした。
気絶したスパイダーマンを肩に担ぎ、トレッドの目を真正面から見つめる。彼の体表の鉱石はひび割れ、今にも破裂しそうだった。
「何であろうと、この男は龍門の法で裁く。……情状酌量の余地はあるかもしれないが」
「ふん、どうだかな……」
ホシグマはくるりと背を向けると病室を飛び出した。一目散に階段を駆け降りる。
この日、龍門市街の病院で、感染者が一人死んだ。
翌日の龍門近衛局の発表によれば、幸運にも新たな感染は確認されなかったという。