ノルウェーで目を覚ます話   作:goldMg

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ノルウェーで目を覚ます話2

 

 

「──うぷっ」

 

『落ち着きましたか?』

 

「…………」

 

 ソウルワールド? とやらでは、何も吐き出すことはなかった。それどころか俺の体は灰色の半透明な姿になって幽体離脱している。本当の俺はフィーネと手を繋いでいた。

 

「死んだのに……俺は何で……?」

 

『それこそが、闇の時代の終わりを告げる鐘の音なのです』

 

「…………」

 

『黄金の世界に不死がもたらされることで律が乱れ、神の世界に不死がもたらされることで吹き溜まりが訪れるように──闇の世もまた、不死によって終わりを迎えるのです』

 

「……直せないんですか?」

 

『これは時間の問題でしかありません』

 

 寿命だと言っている。

 それは分かった。

 つまり俺は、そんな世界で何かを求められている。今のところ何かをする気は無いけど……無理だ。

 ミオリちゃんを助けたい。

 それは絶対の約束。

 だけど世界がどうとか不死がどうとか、そんなことを言われても困る。俺は所詮、ただの高校生。

 フィーネは俺が選ばれた人間のように言うが、俺はジャン負けですら勝つことができない男なんだ。

 

『今はそれで構いません──ですがいずれ、分かっていただけると嬉しいです』

 

「…………ん?」

 

『はい?』

 

「あの、今は何すればいいんですか?」

 

『────』

 

 彼女が指差したのは、オッサンの死体。

 その隣に青くキラキラしたものが。

 なんだろうか。

 

『まずは取り込んでください』

 

「ええと……うわっ!」

 

 近付いてみると、青いキラキラが身体の中に吸い込まれた。何これ、こわっ……俺、死ぬ? 

 

『それはソウル、魂の外殻』

 

「つまり?」

 

『人間性やダークソウルを覆って保護しているモノです』

 

「つまり?」

 

『取り込むことで、あなたの中にソウルは蓄積されます』

 

「つまり?」

 

『ソウルを用いることで、あなたの魂が強化されます』

 

「……不思議なアメ、的な?」

 

 ゲームにはあまり詳しくないけど、そういうことだろうか。

 

『うふふ、そうですね』

 

「つ、使うってのは?」

 

『そちらを』

 

「…………暖炉」

 

『ええ、灰を取り込んでください』

 

「はい!?」

 

『ええ、灰です』

 

「いやそうじゃ無くて! 聞き返したんです!」

 

『…………ああ、失礼しました。肝心なことをお伝えし忘れていました』

 

「え?」

 

『ケイスケ様、ご自分が命を散らした時にどのようにして蘇るかご理解されていますか?』

 

「……い、いや、わかんないっす」

 

 そんなの、知る訳がない。

 どうやってだ。

 

『あの灰の中から現れるのです』

 

「ええっ!」

 

 何だそれは、どういう生態なんだ俺は。

 灰から現れるって……それじゃあ俺って灰なの? 

 

『あなたは、灰の不死人なのです』

 

「灰の不死人」

 

『灰より生まれ、灰こそが帰るべき場所になったのです』

 

 まじで灰らしい。そう言われてもイマイチ想像しづらいというか……どんな感じで現れるのだろうか。ビデオで撮れないだろうか。

 

『撮れるでしょうが……その為には特殊な道具を使うか、死ななければなりません』

 

「う……」

 

 それは嫌だ。

 死ぬのはごめんだ。

 あんな痛み、2度と──

 

「──ミオリちゃん」

 

 そうだ、あの子も銃で撃たれて死んで…………え? じゃあミオリちゃんも? 

 

『お察しの通り、その方もまた灰の不死人です』

 

「…………」

 

『おそらく、別の篝火から這い出たのでしょう』

 

「……灰だけに?」

 

『…………うふふ、ふふふふ』

 

 身体を揺らして笑い始めた。

 ツボが浅い……

 

『ふふふ…………ふぅ……では』

 

 では、と。

 灰を飲め、と。

 

『……』

 

 ニッコリと微笑んでいる。

 ……灰って、飲めるのか? 普通に咽せるだけでは? 

 だけど、さっきからヘンテコなことを起こしている彼女の言うことが嘘とも思えない。

 ……まだ全部は信じてないけどな。

 ともあれ、まずはやってみることにした。

 灰を掴んで、口に押し付け──

 

『ケイスケ様? な、何をされているのですか……?』

 

「え? ──ぶふぉえぇっ!」

 

 肺が口の中に入って、思いっきり咽せた。

 飲めねえよコレ! 無理だよ! 

 

「ええっほ! うぇっほ!」

 

『あ……あ…………』

 

 何でそこでオロオロし出すんだよ! 

 俺が変なことしたみたいじゃねえか! 

 

「ええっほ! えっほ! えふっ! ……」

 

『あの……何故灰を口に……』

 

「ええ!? 取り込めって言ったじゃん!」

 

『いえ、ですからダークリングを──』

 

「分からんて! そんなん分からん!」

 

 ダークリングとかオニオンリングとかよう分からんて! 手取り足取り教えてくれ! 頼む! 

 

「フィーネ先生! 俺、何もわかんないんですって!」

 

『先生……』

 

「もう本当、一から百まで全部教えてくれないと何にもわかんない!」

 

『先生…………』

 

「フィーネ先生、お願いします!」

 

『先生…………むふ』

 

 ええい! いちいち可愛いのやめてくれ! 恋しそうになるだろうが! 

 

 

 ──────

 

 

「おお……おお…………!」

 

 灰をダークリングに突っ込んで、そのソウル? とかいうのを感じ取る練習を行った。

 確かに、突っ込んだ手が何かを掻き回しているような感覚がある。

 

『灰を媒介に、魂へ馴染ませるのです』

 

「わかる……わかるよ、先生!」

 

 パンを捏ねるのと似たような感覚だ。

 だけど、コレを魂に馴染ませるとどうなるんだ? 

 

『方向性を定めるのです』

 

「方向性……」

 

『肉体の強度を増すのか、神の意思に近づきたいと願うのか、もっと走る力が欲しいのか』

 

「…………」

 

『なりたい姿、それを定めてください』

 

 俺がなりたい姿──それは、あの子を助けられる姿だ。

 その為にはまず、力が欲しい。

 なんかこう……パワフルな力。

 

「…………」

 

『そのまま──』

 

「………………!」

 

 彼女が俺に触れた瞬間、胸が熱くなった。

 ダークリングが熱を発していた。

 だけどそれは一瞬のことで、瞬きをしたらその熱は無くなった。

 きっと、何かやったんだ。

 多分だけど、方向性を定めた……? 

 

「……」

 

 上腕に力を入れる。

 だけど、ムッキムキになったとかはない。

 ハッタリか? 

 

『あの程度のソウルでは、魂の変化も少ないでしょう』

 

「じゃあ、あんまり変わらないってこと?」

 

『はい、ですが確かに魂は変わっていますよ』

 

「なんか怖いな……」

 

 それって、本当に俺なのだろうか。魂を変える前の俺と変えた後の俺が同一人物でない可能性も実はあったり……

 

『怖がらなくても大丈夫です、コレからもやる作業ですので』

 

「慣れろ的な話?」

 

『そうですね』

 

「はぁ……」

 

 厳しい先生だ。

 だけど、コレを続けたとして……俺は日本に帰れるのか? 

 

 

 ──────

 

 

『ヤダくん……』

 

「イインチョ! 大丈夫だったか!」

 

『訳わかんないよ……みんなおかしくなっちゃって……セナちゃんも、イイダくんも、先生もみんな……うう……』

 

 イインチョは泣いていた。

 周りがおかしくなっていく中で1人だけ正気を保つのは、さぞかし怖かっただろう。

 

『私もおかしくなっちゃうのかな……』

 

「大丈夫だよ、イインチョ」

 

『また、ゲームが一緒にしたい…………』

 

「ああ、一緒にしよう。だから……俺が日本に帰れるまで無事でいて欲しい」

 

『怖いよ……怖い……』

 

「イインチョ! 聞け! 良いから!」

 

『…………』

 

 涙で濡れたイインチョの顔。

 もしも俺がその場にいてやれたなら……だけど、そんな仮定は放っておけ。

 

「中井町のゲーセン、分かるよな?」

 

『ぐすっ…………ん……』

 

「また、あそこでマリカーをやろう」

 

『…………』

 

「な? だからさ、俺も頑張るからイインチョも頑張ってくれよ」

 

『…………うん、分かった』

 

「よし! じゃあ約束だ!」

 

『約束……うん……』

 

 こうしている間にも、世界は混乱に包まれている。

 いよいよフィーネの言っていることが現実味を帯びていた。

 

『大事な人なのですか?』

 

「……友達だよ」

 

『トモダチ……』

 

「フィーネさんにはいない?」

 

『…………』

 

「ああ、なんか……ごめん」

 

 フィーネにはどうやら友達はいないようだった。こんな美人なのに嘘だろ、と思わないでもないけど……逆に美人過ぎてとかだろう。

 

『ケイスケ様、まだやることはあります』

 

「やること?」

 

『最も大事なモノ──篝火です』

 

「…………暖炉のこと、篝火って呼ぶんだ」

 

『灰の不死人が依代とするモノ。コレがなければ、不死は復活できません』

 

「めっちゃ大事じゃん!」

 

 そんなこと、最初に説明してくれよ! 

 

『正確に言えば、決まった場所での復活ができなくなるということです』

 

 つまり、ここじゃないどこかで復活することもあるってこと? 

 

『はい、それこそ遠い星かもしれません』

 

「…………冗談ですよね?」

 

『……』

 

 ニッコリと笑った。

 

「よし分かった、大事なんだな? …………それで、何をどうしろと?」

 

『灰の不死人は篝火を通じて移動することもできます。なので、各地に篝火を作ってください』

 

「そんなこと言われても……どうやって? 火がついてなくても良いってこと?」

 

『いいえ、火と灰は必須です』

 

 じゃあ、仮に百個の篝火を作ったらどうやって維持するんだ。当然ながら、俺には一つだって篝火を維持するようなことはできない。そもそも火の付け方だって分からないし、篝火が正確には何を指しているのかすら分からない。

 

『────』

 

「あ、ちょっと!」

 

『はい?』

 

「火傷するって!」

 

『……ふふ、ありがとうございます』

 

「い、いや、普通のことだから……」

 

 美人から微笑みかけられるとすごい照れ臭い。

 

『ですが私は火守女、火によって傷付くことはありません』

 

「え──」

 

 驚くべきマジック。

 フィーネは俺の前で暖炉に手を突っ込み、何かを取り出した。

 それは、火かき棒……じゃなかった。

 

『これを』

 

「なにこれ」

 

『遠く古い証です』

 

 ねじくれ切った剣。

 彼女は暖炉の中からそれを取り出して手渡してきたのだ。

 

『それを灰に突き刺してケイスケ様の灰を移すことで、尽きぬ炎が宿った篝火ができます』

 

「え!?」

 

『?』

 

 今、すごいことを聞いた。

 消えない炎って……つまりそれって、永久機関なのでは? 

 コレ使えば、世界の電力が賄えるのでは? 

 

『どうされました?』

 

「コレ使ってお湯とか沸かせます?」

 

『んふっ』

 

「いや、真面目に」

 

『んふふ…………ええ、沸かせますよ』

 

「ええ! じゃあやっぱり!?」

 

 ショートで流れてきたのを見たことがあるだけだけど、何とかの法則によって永久機関はできないらしい。それが、この剣を使えばできるようになるのだ。ノーベル賞を絶対に貰えるということだ。

 すげえ……フィーネ、すげえ! 

 

「すげえ! フィーネ先生、すげえや!」

 

『そ、そうですか?』

 

「ああ! コレで火力発電所を作れば大儲けだ!」

 

『…………』

 

「そうすれば、人の文明の終わりとか言うのも止められるよな!?」

 

『…………いいえ……いいえ、決してそれは出来ないのです』

 

 フィーネは、少しだけ悲しそうだった。

 

『このままでは……やがて世界は爛れ、膿に埋め尽くされた世界に至るでしょう。そうなればもはや世界に種火は無くなり、真に終わった世界となるのみなのです』

 

「……」

 

『だからどうか、闇のお方』

 

 ──選択をしないという選択肢だけは選ばぬよう。

 

 

 ──────

 

 

『私はあなたの火守女。篝火のそばから離れることは──』

 

 つまり、道中は俺一人で進む必要があるということだった。シンプルに怖かったので、出る前に一回だけ『がんばれがんばれ♡』ってしてもらった。恐る恐ると三人家族の家から出て、まず視界に入ったもの。

 

「空が……」

 

 赤い空。

 炎の赤とは違う。

 夕焼けの赤とも違う。

 ドロっとした、粘性のドギツイ赤だった。

 お世辞にも長い時間見ていたいとは言えない。

 

 そして、立ち止まって空ばっか見ているわけにもいかない。おっさんの持っていた木の棒を構えながら、ビクビクしながら進んでいった。人通りも少なく、なんなら家だってまばらにしか無い──そんな村? 町? 

 そして──

 

「あの子は……」

 

「………………」

 

 あの家の女の子。

 逃げたはずが、戻ってきたのか。

 ヨロヨロとした足取りでこちらに向かってくる。

 確かにあそこは安全だ。

 案内しようと近づいた。

 

「ア……ア……」

 

「っ!」

 

 虚な瞳の彼女には、すでにあの綺麗な顔立ちの面影はなかった。それでも、服装や身長からして、あの子なのは間違いなかった。本能なのか、身を守ろうとしてのことか、殴りかかってきたので避ける。すると、勢いで体が流れていったが振り返ってまたこちらを追ってくる。

 

「…………」

 

 やらないといけないのか。

 俺は、また人を殺さないといけないのか。

 ──なんてことだ。

 俺は気付いた。

 俺の中の行動に、殺すって選択肢が自然と出てきていた。

 

「ああああ!」

 

 叫んで、走った。

 自分が醜い怪物になったことが嫌で。

 声を出していれば忘れられると思って。

 そして──

 

「っ!?」

 

『お帰りなさいませ』

 

「──はぁっ……はぁっ……っ! ……くそっ!」

 

 声に反応して寄ってきた亡者たちのせいで身動きが取れなくなって、殴り殺された。本当に辛かった。恐怖で震える身体を抱きしめる。

 細い腕じゃあそこまで力が出ないから、殺されるまでかなり殴られた。本当に……心が砕けそうだ。こんなんでやっていける気がしない。

 しかも死んだから木の棒を………………? 

 

「何で木の棒持ってんの」

 

 俺は確かにあの通りで死んだんだけど……あの時、木の棒って落としてたよな? いや、それ以前に死んだんだから木の棒は持って帰ってきてない。だから、俺が今この棒を持ってることがおかしい。

 

『その木の棒は、あなたの持ち物です』

 

「?」

 

『持ち物は、ただ持っているだけではなくて貴方が勝ち取った物。魂と繋がり、ダークソウルに格納されます』

 

「なんだそりゃ」

 

『もちろん、捨てることもできますよ。意思を持って行えば』

 

 そんな都合のいい便利な機能があるのかよ。

 それじゃあ、金庫とかダークソウルに入れて死ねばとんでもない大怪盗になれるじゃん。やらないけど。

 

「めっちゃでかい物も入るんですか?」

 

『おっしゃりたいことはわかります。ですが、お勧めはしません』

 

「なんで?」

 

『死ねば死ぬほどに魂は少しずつ磨耗します。一度ソウルという殻を脱ぎ捨てて灰に戻りますから。もちろん最新の記憶は上から重なるので保持されますが……死に過ぎれば、古い記憶は磨耗によって消滅します』

 

「………………は?」

 

 それは、とんでもない事実だった。

 生き返れることがメリットにもならないくらいの大デメリット。何で黙ってたのかを糾弾したくなる。

 つまり、俺はここまでに何回か死んでるけどすでに古い記憶が……? 

 

『数回ではそこまで気にする必要はありません、恐らく失われたのも本当に一瞬の記憶などでしょう』

 

「だけど、死に続ければ俺の家族の記憶とかも無くなるんじゃないんですか?」

 

『…………はい』

 

「マジかよ……」

 

 頭を抱えた。

 つまり、俺が何者かを示すモノが消えていく可能性もあるってこった。自分で自分のことがわからなくなる。話に聞く認知症のようなものだろうか。

 

「対策は?」

 

『…………おそらく、この時代では全て失われているでしょう』

 

「嘘だろ……昔ならあったん?」

 

『はい、火の時代であれば』

 

「何? 火? 石器時代?」

 

『いいえ、火の時代です。私も実際に見たわけではありませんが……その時代には多くの神秘があったそうです』

 

「…………」

 

 つまり、俺は不死だけど死ねば死ぬほどに記憶が薄れていく時限爆弾付きの出来損ないということだ。不死って言葉だけならまだ魅力もないことはないけど、そんなことも言ってられない。

 俺はこの狂った世界で、なるべくなら死なないようにしないといけない。

 …………死ぬことを少しだけ受け入れている自分が嫌になるな。

 殺すことが選択肢に出てくるのも嫌だし、自分がどんどん良くない方向に変わっているのがわかるのも嫌だ。

 

「フィーネ先生」

 

『…………はい』

 

「不死人ってのは、他にもいるんですよね?」

 

『ええ、ミオリという方もそうでしょう』

 

「じゃあ……俺以外の不死が火とか闇とかをなんかする可能性もあるんでしょ?」

 

『……その通りです』

 

「仮にそうなった場合、俺はどうなるんですか?」

 

『王が選んだ世界の中で生きていくことになるでしょう』

 

「そっか…………」

 

 それもアリだな、と少しだけ思う。

 そもそもコレまでだって人が作った国の人が作ったルールの中で、人の子として生まれてきたのだから。

 恐らく俺は、その王様とやらの世界でも特に何も思わずに生きていくんだろうな。

 

「まあ、ミオリちゃんを助けるまでは少なくとも止まらないよ」

 

『そうですか』

 

 死なないのだから、絶対にあの子を助けることはできる。だけど、気掛かりなのはもしもミオリちゃんが酷い目にあっていたらということだ。

 ……不安だ。

 やっぱりすぐに出よう。

 

「行ってきます」

 

『!』

 

「?」

 

『…………い、行ってらっしゃい?』

 

 さっきは覚悟が足りなかった。

 

「──よしっ!」

 

 だから深呼吸と一緒に覚悟を決めた。木の棒を握りしめて、家から出る。

 それでも……覚悟をしたつもりでもやっぱり変わらない。

 殺すのも、殺されるのも、嫌だ。出来るなら安全に、怖いことには近づかないようにしていたい。

 そんな甘ったれた事を考えていながら…………ミオリちゃんの顔が離れない。一緒にショートを見ていて、笑いをこぼした時の顔が。美味しそうにご飯を食べる姿が。

 思い出されるんだ。

 また会いたい。

 あの子に会いたい。

 たった1ヶ月だったけど……いいや、時間なんて関係ない。今、俺が会いたいって思う気持ちは本物なんだ。

 ミオリちゃんに会いに行く。

 そんでもって、イインチョともまたゲームをする。

 その二つが最優先だ。

 

 絶対に、二人とまた会いたいんだ。

 

 

 ──────

 

 

「くそっ……」

 

 今度は慎重に進み、道を徘徊している亡者たちを刺激しないように隠れながら進む。あの女の子のことは一旦忘れることにした。亡者になってるってことはもう死んでるし、心配するだけ無駄だ。

 ……チクッと刺さるような気持ちがあったけど、それはもう諦めた。

 

 相変わらず文字は読めない。

 小学校から今に至るまで英語の勉強したのにまともに使えない俺が一ヶ月で新規言語を学ぶなんて無理な話なので気にはしてないけど、ものすごく不便だ。

 スマホの充電はしている。フィーネのいる場所、もといあの一家のハウスに充電器と発電機があったから。

 充電器はいつでも取り出せるようにダークソウルに格納してあるし……いや、本当にすごいわコレ。

 ただ、回線が安定しない。

 よく分かんないけど、なんかあるんだろう。

 嫌なのは、ミオリちゃんが電話をかけてくれたのに回線のせいで繋がらないことがありそうってことだ。

 

 場所はメモしてるし、位置関係も地図のスクショで保存しておいた。とりあえず辿り着けないことはない。

 主要な道を進めば辿り着けるんだからな。

 ……ただ、その道のりがだいぶ遠い。

 なんなら、このノルウェーとかいう国は全部が全部田舎みたいな国である。俺が目を覚ます家も庭は広めだし、家から出れば周りを丘が囲んでいる。地図アプリを見ても、次の街まで一本道があるのみで、この街を出ればしばらくは家すらほぼない。

 良いぐらいの距離を稼いだら螺旋剣をぶっさす為の暖炉を見つけなきゃいけないな。幸いなことに、入った多くの家に暖炉がある。

 やっぱ寒いからかなあ。

 日本はあんなクソ暑かったのにノルウェーはすげえや。

 

「──斧だ」

 

 同じ街の中、とある一軒家で見つけた物。

 それは恐らく木を切る為の斧だった。最初の家で見つからなかったのは多分、鍵がかけられた倉庫に入っていたのだと思う。直せる人もいないから、無闇に壊すことはできない。その時は諦めたけど、この家はどうやら木を切っている途中にご主人がやられたようだ。横に、お爺さんの死体があった。

 酷い損壊、何度も何度も殴られたのだろう。

 

「…………っ……」

 

 吐き気もやや襲ってきたが、今回は堪えた。

 あの日、ホテルから見下ろした亡者が持っていたものと似ている。

 片手で振るうには少々重いけど、両手なら使えそうだ。

 

「木の棒は……まだ捨てたくないな」

 

 驚くべきことが起こった。

 

「…………!? ……! …………ど、どこだ!?」

 

 斧を握った次の瞬間、木の棒が消え失せた。

 あの時、ミオリちゃんが腕の中からいなくなったみたいに。

 足元を探しても、身体を弄っても見つからない。

 

 ──フィーネの言葉が思い出された。

 

「ダーク……ソウル……」

 

 右手をダークリングの中へ突っ込む。

 ドロリとした中身に気持ち悪さを感じながら、念じる。

 ──木の棒どこ? ここ? 

 

「!」

 

 ズルルンと引き摺り出せる感覚。

 というか、青く半透明な木の棒は俺の肉体を貫通して現れた。俺の身体ってもしかして木の棒より柔らかい? 豆腐みたいなものになっちゃったのかしら。

 

「出せた…………出せたぞ! 先生!」

 

 興奮して叫んだけど、フィーネはここにはいない。隣の家から亡者がやってきただけだった。血の付いた口元。

 

「ガ……アア……」

 

「ああおわわわわ! 待て待て待て待て! 斧! 斧! 斧!」

 

 今度は斧が消えたので、同じようにして斧を取り出す。

 一回やり方を理解すれば、意外と楽に行うことができた。

 

「…………っ」

 

 咄嗟に斧を取り出した。

 だから、やることは一つだけ。

 だけど……無理だった。

 

「はぁ……はぁ……はぁ……く……殺せねえよ……!」

 

 逃げ込んだのは別の民家の敷地。

 亡者の動きは全く速くない。

 だけど、無理だった。

 俺には殺せない。

 あの人は人間性を失っているだけだ。倒れ伏していた斧の持ち主と違い、まだ助かる可能性がある。

 それなのに殺すなんて……だけど、されるがまま殺されるのも無理だ。

 逃げるしかできなかった。

 

 だって、人を殺すのって……ダメじゃん。

 

「……次だ、次!」

 

 次に試したのは、食糧をダークソウルの中にしまえるのかという検証。不死人のくせに腹が減る不便な身体だけど、減るものは減るので民家からちょいちょい食べられそうなものを掻っ払っている。

 完全に火事場泥棒のやり口で、まだ生きている家主がいることもある。そういう時は当然、命からがら逃げ出している。言葉が通じないから交渉もできないし、コレに関しては仕方ない。

 一番先に行くべきなのは家じゃなくて店だと思うかもしれないが、店は亡者たちがイヤに多い。

 何処の店に行ってもたくさんいるし、そもそも大通りっていうのは群れを成した亡者たちが彷徨いていて通れたもんじゃない。大通りなのに。

 たまに亡者たちが一斉に群がっている場所があって、そういうのは大抵生きていた人間が見つかった時だ。

 

 つーわけで、試してみた。

 

「…………いけるじゃん」

 

 いけた。

 すごい。

 最初にやったのはパン。

 手に持ったパンを仕舞おうと念じると青白く半透明になって消えた。なんとなくだけど、ソウルに近い状態になってしまっているんじゃ無いかと思う。

 そんで本題は、一度ダークソウルの中に仕舞い込んだものは食えるのか問題。

 できるなら水ダウとかで検証してほしかったけど、残念ながらもはやインターネットは繋がらない。心配していた通りのことになってしまった。

 パンを取り出して見つめる。

 

「…………」

 

 俺、パンだよ。

 パン、俺だよ。

 

「あむっ」

 

 食べてみると普通にパンだった。

 うーん、特に変な事もないなあ……

 コレならいけそうか。

 つまり──

 

「コレも俺の。コレも俺の。コレもコレもコレも俺の」

 

 こうなる。

 一度入ると分かれば、ぜーんぶ入れちゃえ! ができるわけだ。怖いのは腐らないかって事だけど……そこら辺はもう少し先になればわかるし、手で持ってても腐るものは腐る。それなら少しでも余裕を持っておきたい。

 安定した食料があらって分かるだけでも心が落ち着くしな。

 それに、歯ブラシやら歯磨き粉やら衣服やらも中に入れることにした。必要なものは全部、中に入れてしまえ! 

 このままいけば、俺はミニマリスト? になれるかもしれない。

 

 

 ──────

 

 

「うおおん……」

 

 順調に思えた足取り。

 一つだけ問題が。

 俺は地図の見方がわからない。

 アプリに案内してもらったことしかないから、見つけた地図をどうやって使えば良いのかわからん。

 自分が今どこにいて、元々はどこにいたのかもわからなくなってしまった。

 一応、次の街にはたどり着いたけど……ここからどうしよう。

 

 フィ、フィーネせんせーい! 

 たすけてえー! 

 ケイスケは困ってまーす! 

 ここどこー! 

 

 叫びたいけど、叫んだら亡者が寄ってくる。

 無理だあ……と嘆きながら、流石に歩き回るのも疲れてきた。部活は所属してないから若干運動不足感だとは思ってたけど、やっぱり運動能力が足りない。

 なんなら、昨日は野宿だった。人生で野宿なんかしたの初めてだよ! 藁の束に突っ込んでなかったら凍死してたかもしれない! しかも、空がずっと赤いままだし! 

 つまり、俺は大して休めてないの! 屋根のあるところで寝たいの! 

 そろそろどこか休めるところが──そんな俺は、教会を見つけた。

 

 ──教会。

 

 なんの教会かは分からないけど、何故か引き寄せられた。俺はキリスト教ではない。

 とにかく何故か……その建物を見た瞬間から俺の身体はそこに向けて進み出していた。

 そして、扉を開けた。

 

『──おや』

 

「日本語……」

 

『ははは』

 

 そこにいたのは不思議な雰囲気を纏った男だった。

 神父ってやつ? 

 黒い服を纏い、聖母の形どられたステンドグラスに向けて祈りを捧げている最中。だけど、何故か日本語を話す。

 

『なるほど』

 

「…………」

 

 斧を取り出す。

 何故か、油断ならないと感じた。

 

『おやおや、面妖な』

 

「誰ですか、あんたは」

 

 こんなところに日本語を話す人間がいるわけがない。俺がいるからその仮定は既に破綻しているが、こんな教会なんぞに日本人がいるってのは殊更におかしい。

 

『終わりを迎えた世界にて不思議な力を操る少年がやってくる……啓示……ああ、神よ』

 

「…………」

 

『そうですね、私は貴方を待っていました』

 

「初対面ですよね!」

 

 親父は壇の上からこちらを優しく見ている。初対面の人間に対して向けるような視線では無い。親しい人間に向けるそれをいきなり向けられて、まず思うのは不気味だってこと。

 そんな関係じゃ無いはずだ。

 

『心配なさらずとも──私もまた、貴方と同じなのです』

 

 親父は、襟を大きく下に引く。

 

「ダークリング……!」

 

『ダークリング…………そうですか、これはそういう名前なのですね』

 

「俺を待ってたってのは!? 一体なんの話ですか!」

 

『そのままの話です』

 

「どの話!」

 

『頼み事をしたいと、それだけの話です』

 

「頼み事……!?」

 

『そんな大仰なものではありません。ただ……世界を救って欲しいというだけの話です』

 

 それは、大仰以外の何でもなかった。この世界で一番大層なお願いのうちの一つ。

 世界を救う。

 

「──それはあんたら宗教の仕事だろ!」

 

『手厳しいですね……では、もう少しミニマムな話をしましょう』

 

「?」

 

『ここから南西に向かった所にあるスーパーマーケット、そこにいる異形の怪物を倒していただきたい』

 

「怪物……亡者のことですか?」

 

『亡者というのは、身の丈が数mもあるような怪物で合っていますか?』

 

「!?」

 

 なんだそれ、少なくとも3m以上って……デカすぎだろ。

 倒すとか倒さないとか、そういう次元の話じゃなく無い? 

 

「無理……ですね」

 

『何故?』

 

「なぜ!? そんなの、あんたが倒せないのと同じ理由ですよ!」

 

『ですが、貴方はいくらでも蘇ることができるはずです……不死の勇者、そうでしょう?』

 

「!」

 

 なんで俺が灰の不死人だってことを知ってるんだ? 

 

「フィーネの知り合い……?」

 

『フィーネ……それは誰ですか?』

 

 違うらしい。

 嘘っぽいところも見られない。

 まあ、なんかずっと微笑んでるから嘘くさい顔はしてるけど。

 戦場カメラマンみたいな雰囲気はある。

 

『啓示です』

 

「刑事?」

 

『いえ、そちらのケイジではなく……預言と言った方がわかりますかね』

 

「……」

 

 なあに言ってんだこの不審者。

 アホか? 

 予言なんてあるわけねえだろ。

 

『きっと貴方こそ、この世界を救う者。定められた救世主なのです』

 

「…………」

 

 宗教ってのはコレだからいけねえ。

 うちの母親も一時期宗教にハマりかけて親父にぶん殴られてボコボコにされてたからな。結局その団体も摘発されて解散してたし。

 ゴミゴミゴミィ! 

 

「じゃあ、これで……」

 

 相手してらんねえよ。

 さいならー。

 

『──もし、協力していただけるのであればこの教会を拠点の一つとして活用いただいても構いません。それに、貴方の進みたい方向によっては……あの怪物を倒すことは必須になりますよ?』

 

「…………なんだって?」

 

『まあ、なにんせよお疲れでしょう? ひとまずはここで休みなさい』

 

「──」

 

 

 ──────

 

 

「なんだよこりゃあよ……」

 

 あの神父──クライスラーと名乗った──の話通りだった。

 ミオリちゃんのいる街に向かうためには、地図的には南西に進む必要がある。

 だから、教会で一晩を明かした後に更に道を進んだ。

 だけど……進むための道が無くなっていた。それは、アスファルトの舗装がなくなったとか山を通らないといけないとかそういう程度の話ではない。本当に、道がない。通るための足場が無い。一歩踏み外せば、間違いなくあの家からやり直しだ。

 

「っ」

 

 身慄いが一つ、襲ってくる。

 高所恐怖症でなくてもこんなところ、怖くて仕方ない。

 クライスラーに地図的な位置を教えてもらって、ここが今どこにいるかってことは理解した。だけど……地図を見ても、こんな崖は存在しない。

 というかこんなのはおかしい。

 住宅街があって、大通りがあって、いきなり道が途切れている。明らかに何かがあったのだ。

 空中に浮いている瓦礫。

 重力仕事しろと言いたくなるような異常な現象。

 つまり、この先には進めない。

 

 ──腕を伸ばした。

 

 この先、はるか先にミオリちゃんがいる。

 誓ったんだ。

 迎えに行くって。

 何があろうと。

 ……コレでは進めない。

 それはダメだ。

 絶対なんだから。

 

 そして、クライスラーが言ったこと。

 

『あの怪物を倒せば……おそらくは先へ進めるようになるでしょう』

 

「くそっ……」

 

 確かめなければならない。

 その言葉が本当か。

 この崖が続いているならば、沿って進んだらそのスーパーマーケットとやらにも辿り着けるはずだ。だから俺は、少し崖から離れながら歩みを進めた。地震とかあって崩れたらやってられない。

 この道ノリで初めて出会したのが、最悪なやつだった。

 

「ガウッ! ガウッ!」

 

「うわあああ!?」

 

 犬。

 それも、全身の毛が抜けた剥き出しの骨格が見える気持ち悪い犬。

 三匹だ。

 そんな犬が一斉に襲いかかってきた。

 犬ってのはキョーケン病ってのを宿してることがあるから噛みつかれちゃいけないって、イインチョが言っていた。だから、必死に逃げて家の屋根の上に登った。

 

「バウバウ!」

 

「グルアアア!」

 

「ひぃぃ……」

 

 絶対に仕留めます! みたいな牙の生え方……犬ってあんなに牙長かったっけ……

 少なくとも、真正面から戦いたいとは思えなかった。

 だけど、いつまでも離れる気配もない。こんなところで道草を食っているわけにもいかないので、なんとかするしかない。

 なんとかするってのはつまり、追い払うか……

 

「…………ふぅ」

 

 取り出したのは斧。

 この斧は木を切るためのものだ。

 オモチャじゃない。

 十分な強度がある。

 つまり……あの犬を倒すのだってできるだろう。

 そのためにはきっと、怪我を負うけど。

 

「っしょっと……うわわっ」

 

 屋根のスレートの上で足を滑らせそうになりながら、二階のベランダに登った。

 窓ガラスを割って中に入る。

 そこにいたのは、俯いていたお婆さんとお爺さん。

 並んで座り込んでいたけど、俺が窓ガラスを破って入ったから起き上がった。

 既に亡者になっていたから…………俺は……

 

「うええええ!」

 

 トイレに駆け込んだ。

 

 仕方なかった。

 俺は、生き延びなきゃいけない。

 だから、こうするしかないんだ。

 だけど……涙が止まらない。

 俺が来なければ、永遠に二人は手を繋いだまま夢の中にいられたかもしれない。だけど……この、身体の中に入ってくるソウルは……ああ、俺はなんて罪深いんだ……

 

 倒れ伏した二人から目を逸らし、一階に降りる。

 そこは静かなリビング。

 暖炉の火も消えた、命の明るさが失われた場所。かつては煌々とついていたのであろう、灰が暖炉の中にある。

 

「…………」

 

 掬うと、サラサラと手から流れ落ちる。

 俺を構成する、不死人の素。

 不思議な気持ちだった。

 それを、全身に振りかける。

 

「犬……」

 

 外は開けている。

 あんな場所で走り回られたら俺なんか何もできずに殺される。だけどここなら。人間が作り上げた家の中ならば。

 わざと玄関を開け放ち、奴らが入ってくるのを待った。

 犬ってのは鼻が良い。

 そのうち、俺の匂いを嗅ぎつけたのか鼻を鳴らしながら入ってくるのが分かった。少しだけ顔を出す。

 

「くんくん」

 

「くんくんくん」

 

「ぐるるる」

 

 三匹は、俺の匂いが正確には捉えられていないようだった。暖炉の前まで来て止まっている。

 そこ目掛けて──テレビをぶん投げた。

 

「……ぎゃんっ!?」

 

「!」

 

「!」

 

 全力で投げた。

 この一撃で全員死ねという思いを込めたそれは、一体の顔面を捉えた。テレビごと吹き飛び、倒れた犬はピクピクと身体を痙攣させているが、まだ死んではいない。

 だけどもう動けないだろう。

 そして二匹は……

 

「やべっ!」

 

 こちらを見ている。

 慌てて階段を登った。

 

「グルアアアッ!」

 

 追いかけてくる足音。

 階段。

 地の利。

 重力。

 位置エネルギー。

 

「死ね!」

 

「ギャインッ!」

 

 追いつかれそうなタイミングで、一匹を蹴落とした。

 もんどり打って階段を転がり落ちる。だけどあれじゃあ致命的にはならないし、もう一匹が来ている。

 老人二人の寝室まで来た。

 いまだに倒れたままの死体。

 蹴躓きそうになりながら、迫ってくる犬を振り返って。

 

「うわあ!」

 

「ギャッ……」

 

 扉を勢いよく閉める。

 犬の首が扉と枠に挟まれた。

 

「ガウッ! ガウッ! ガウッ! ガウッ!」

 

「うああああ!?」

 

 それでもメチャクチャな力で噛みつこうと首を伸ばしてくる。脚で扉を抑え、斧を両手で握った。

 

「──うああああ!」

 

 首へ向けて斧を振り下ろす。

 1度目は皮を裂き、次は肉へ食い込む。

 筋張った肉を断ち、今度は骨へ。

 硬い背骨へ向けて何度も叩きつけた。

 

「…………」

 

「はぁ……はぁ……はぁ……」

 

 息が切れた。

 斧をしまい、惨状を見る。

 グロ画像そのものだ。

 首は半ばまで断たれ、ダランと今にも落ちそうに下を向いている。垂れた舌も、光のなくなった瞳も、死んでいることを如実に表していた。

 

「ふぅ…………うわっ!?」

 

 一息ついた瞬間、扉にかかった大きな負荷。

 弾き飛ばされ、尻餅をついた俺の視界に入ってきたのは──

 

「グルルアアア!」

 

「いっ……!」

 

 さっき蹴落とした犬だった。

 咄嗟に突き出した左腕に噛みつかれる。

 

「グルルルル! グルル!」

 

「ぐあああっ! ああああ!」

 

 噛み砕かんばかりの力。

 コレが犬の全力。

 マジで痛すぎてやばい。

 

「あああああああ!!!」

 

 何が何だかわからないまま、親指をクソ犬の目ん玉に突き込んだ。

 

「しね! しねえ! くそが! ああああ!」

 

「ギャウアアア!?」

 

 自分が何言っているのかもわからない。

 離れてのたうち回る犬が目に入った。

 とにかくこいつを……この害獣を殺さないといけない。

 

「おらあ!」

 

 思いっきり腹を蹴り飛ばし、木の棒を取り出す。

 血を流す頭部に向けて──

 

 

 ──────

 

 

「クソッ……いって……」

 

 ズキズキと痛む左腕。

 血も流れている。

 あのクソ犬の噛みつきは冗談抜きで死ぬかと思った。

 応急処置のやり方なんてわからないから、取り敢えず寝室のシーツを割いて巻く。

 服がなるべく汚れないようにしないとな。

 

「…………」

 

 この負傷を抱えたままこの先に進むのは、正直無謀だった。元からその怪物とかいうのを倒す気は無いけど、血の匂いで犬にたかられる可能性もある。

 そうなったら今度こそ、生きたまま食われることになるだろう。

 

「教会……行くか……」

 

 まだ協力するかどうかは決めていなかった。だけど、こうなればつべこべ言ってなんかいられない。亡者を倒したとはいえ、この家だって安全とは思えない。

 あそこに行くしか無い! 

 

『──おや』

 

「くっ……」

 

『怪我をしているようですね』

 

「…………」

 

『こちらへ来てください、治療をしなければ』

 

「え?」

 

『?』

 

「いや、その……いいんすか?」

 

『何がでしょう』

 

「協力するとか言ってないのに……」

 

『──ハハッ! ここは教会ですよ? 困っている方がいるのなら、助けるのは当然でしょう』

 

「…………」

 

 空いた口が塞がらないって言葉が本当のことなんだと、始めて知った。こんな人間が、世界にはいる。困っている人を見たら助けるのが当然なんて……信じられない人だと思った。

 

『まずは消毒を』

 

「──あいでええええ!」

 

 吹きかけられた消毒液。傷は一応洗っていたけど、そりゃあ必要だよなってこと。とんでもなくシみる。思わず叫び声を上げた。

 だけど、クライスラーは構わずに拭っていく。

 

「いででででででえええ!」

 

『男の子ならば、我慢なさい』

 

「ぐぅぅぅ……!」

 

 しかし、傷も浅くは無い。

 とんでもない痛みに襲われて、おしっこちびりそうだった。

 

『……酷い傷だ、一体何に襲われたのです?』

 

「野犬みたいな……三匹と」

 

『…………狂犬病が怖いですね』

 

「まあ……でも、病院やってないだろうし……」

 

『噛まれた後に心配しても仕方ない、か……罹っていないことを祈るしかありませんね』

 

 包帯まで巻いてもらった。

 

「あの……」

 

『はい?』

 

「ありがとうございます」

 

『気になさることではありませんよ。私も……まだ子供であるアナタにあんな願いを押し付けるのは……興奮して少しおかしくなっていました』

 

「……その事なんですけど」

 

『?』

 

 取り敢えず、頑張ってみることを伝えた。

 そして、拠点として活用したいとも。

 

『それは……いえ、そうですね。わかりました、協力をしましょう』

 

「はい!」

 

『何か欲しいものなどはありますか?』

 

「逆にクライスラーさんが欲しいものがあれば、言ってくれれば持ってきますよ」

 

『え?』

 

「まずは──」

 

『…………!?』

 

 ポイポイと食料を出していく。

 水と、保存が効きそうなやつ。

 缶詰とか。

 

『信じられない…………いや、これが救世主の力……』

 

「いや、その……救世主って言うような大したものじゃ……ダークソウルの中にしまってるだけなんで……」

 

『ダークソウル? 暗い魂ですか?』

 

「こうして手を中に入れられるじゃ無いですか」

 

『はい』

 

「それでダークソウルってのは…………あれ、なんだっけ」

 

『え』

 

「俺も聞いただけだからあんまり詳しくは覚えて無いんだよな……」

 

『す、すごく気になるんですけど……』

 

「…………あ、そうだ!」

 

 篝火──暖炉はこの教会に無いかを聞いてみた。

 

『何故そんなものを? 確かにありましたが』

 

「そこにコレを……」

 

『…………剣? それにしては随分と不可思議な形をしてますね』

 

「見せたほうが早いと思うんで」

 

『こちらです』

 

 教会の集会室。

 その横に廊下で繋がった小さな棟。

 案内されながら、疑問を一つぶつけてみる。

 

「なんでクライスラーさんしかいないんですか?」

 

『私もわかりません。私がここで目を覚ました時からこうでした──それこそ、神のご加護なのではないかと私は思っています』

 

「へえ」

 

 クライスラーも、日本で死んだと思ったらこの教会のとある部屋で目を覚ましたらしい。

 そこは、別棟の談話室。

 カーペットの敷かれた、居心地の良さそうな場所だった。

 

『ここですよ、私が目を覚ましたのは』

 

「……あの暖炉の前に座ってたんですか?」

 

『! ……ええ、そうです。まさかヤダさんも?』

 

「はい」

 

『…………』

 

 どうやら、俺たちは同じような境遇にあったらしい。そうなると、途端に仲間意識みたいなものが芽生えてくる。宗教そのものは胡散臭いけど、この人は少しだけ信用しても良い気がしていた。

 

「じゃあ、やりますね」

 

『どうぞ』

 

 フィーネから教わった通りに。

 螺旋剣を暖炉へ突き刺す。

 暖炉の内法縦寸法より大きいので当然、暖炉に斜め向きに突き刺すことになるけど、そこは気にしない。

 そして、俺の灰を……俺の灰……

 

「俺の灰ってなんだ」

 

 考える。

 先生は言っていた。

 灰とは俺を構成するもの。

 灰は不死人を成すものだと。

 実際、俺は灰を取り込んでいる。

 それならば──

 

 手を螺旋剣の石突に近付けると、胸の辺りが熱くなった。

 

『──火が』

 

 そう、まるで俺自身が微かに燃えているようだった。

 赤く肌が光っている。

 意識する。

 俺の灰──この火を螺旋剣に移す。

 すると、温かな炎が手から確かに生まれ出て剣を伝っていく。

 ボッ、という音と共に暖炉に火がついた。

 

『────ああ、美しい』

 

 振り向くと、クライスラーは泣いていた。

 胸の前で手を組み、跪いている。

 だけど、その眼差しは俺にだけじゃない気がした。

 前に向き直る。

 

『ケイスケ様』

 

「……フィーネ先生」

 

 恭しく頭を下げた先生。

 俺はバカだけど、恩人に失礼に接するような人間じゃない。

 返礼をした。

 

「火守女ってのは……凄いんですね」

 

 ゲームのキャラクターみたいにワープができるんだな。

 

『うふふ…………それで、そちらの方は?』

 

「この人はクライスラーさん、この教会を管理してる人──で合ってます?」

 

 クライスラーを見ると、感服しきった顔で涙を流したままだった。やがて、こうべを垂れる。

 

『聖女……蘇りの救世主……ああ、本当にこの世におわしたのですね……』

 

 信心深さがそのまま行動に現れていた。敬虔なことはおそらく宗教的には素晴らしいことなんだろうけど、会話ができないのは困る。

 

「クライスラーさん、すいません自己紹介を……」

 

『はい!』

 

 めちゃくちゃ嬉しそうに立ち上がった。

 しかもなんか、好きなおもちゃを買ってもらった幼稚園児くらい目が輝いてる……丁寧な対応とかそういうの超えてない? 

 

『私はフィーネ、火守女をしております』

 

『フィーネ様──私めはこの教会の管理をしております、クライスラーと申します』

 

『クライスラー様ですね? 覚えました』

 

『お二人とも──もしもご入用なことがございましたら、何なりとお申し付けください』

 

 恭しく、まるで執事であるかのように丁寧な仕草。

 

「そ、そんな丁寧にしなくても……」

 

『いいえ……先ほどのはまさに奇跡。この目であのような物を見てしまった以上は……』

 

 なんか勘違いされているような……

 

「あの……何度も言うけど俺は救世主とかそういうのじゃ……」

 

『…………』

 

 しかし無言で首を振るばかり。

 怖いよ、宗教……年上の男の人がこんな風に腰低くしてきたらやりづらい……

 

『──ケイスケ様、お怪我をされていらっしゃいますね』

 

「ああ、ちょっと犬にやられちゃって……」

 

『では、こちらへ』

 

「はい?」

 

 フィーネに誘われるまま、篝火のそばに一緒に座り込む。やべえ、良い匂いがして落ち着かない……こともない。火のそばにいると、自然とそこに目が吸い寄せられる。なんでだろう、俺が灰だからだろうか。

 

「何をすれば?」

 

『…………』

 

 ニコリと笑うと、俺の左腕の包帯を外し始めた。

 

「いや、さっきクライスラーさんに巻かれたばかりで…………えっ!?」

 

 治っていた。

 腕の咬傷が。

 出血もなく、瘡蓋もなく、跡形もなく消え失せている。

 目を擦ってもう一度見たけど、変わらない。

 やはり無くなっていた。

 

『それがこの篝火の力。ケイスケ様のわけ火であり、ケイスケ様の火種そのものでもあるのです』

 

「なるほど」

 

 なるほど分からない。だけどフィーネの言うことは大抵がわからないので、そのまま受け入れることにした。

 

「とにかく、篝火のところに行けば傷が治るんですね」

 

『そうですね』

 

「ふぅ……」

 

『眠たいのですか?』

 

「戦ったりしたから……そうかも……」

 

『では、お眠りください。ここは安全なようですから』

 

「…………」

 

 火を眺めていたら、段々と意識が薄れていった。

 

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