魔王になるのは、実は思っていたよりも簡単だった。
血縁などは絶対条件ではなく、はっきり言ってそう名乗ってしまえば、或いは既にある王位を掠奪してしまえば、それで私はその時から魔王なのだ。
難しいのは、それを周囲に認めさせること。詰まるところは、日々を淡々とこなし、国を守り、闘い続けることだ。
「ご主人様、午後2時より隣国の国王との会談がございます。そろそろご準備を。」
隣で控えているマリアがいつもの様に粛々と次の予定を教えてくれる。
時間は午前10時。私は今季の作物の不作に関して、補正予算の草案、備蓄物の出動案、輸入割合の見直し、そして何より…作物の取れ高報告と、市場に出回る数が不自然に合わないデータ、隣国から掠奪を受けていると言った被害報告に目を通していた。
如何にここが小国と言えど、大した学もなく、半分以上親のコネで魔王になっただけの小娘1人では国なんぞ動かせない。
前王の時代より務めてきた官僚達がまとめた資料を読むだけでも頭が重く、朝4時から始めても作業は決して捗ってはいなかった。
その資料でさえ、マリアが更に要点を分かりやすく纏めているのに…。
唐突だが、この魔界では正装の概念が薄い。
無いとは言わないが、身なりや振る舞いからその者を判断してコミュニケーションを進めるよりも、単純な暴力での解決の方が好まれる。
それゆえ、身支度の準備は問題無い。それでも会談にはそれなりに他の準備が要る。
交渉自体は両国の官僚間で既に進めてはいるが、国のトップ同士がそのことで実際に相対するということは、控えめに言って余り芳しくはない。
私は今回の不作に始まった問題を、その場での決断、或いは相手の魔王と直接戦うことも想定しなければならない。つまりはどちらが掠奪するか、と言うことも含めて。
首に巻いた白いマフラーにそっと手を添える。
その先端は大きく円を書くと、中空の空間が歪んでそこから槍の柄本が浮上してくる。
細腕でそれを手前に引き出すと、最早槍と言うよりも大斧と形容すべき長大な両刃が現れる。
実際、重さで叩き斬ることに長けたそれの刃先に目を凝らし、蛤刃に欠けが無いことを確認する。
よくよく研がれた職人技を目利きする程度には闘いにも慣れてきた。
槍を再び歪みの中に仕舞い込むと、次は同じ様に日本刀を取り出す。
しかしこちらは鞘を掴んで一瞬考え込むと、首を横に振りながら戻した。
「これは使わずに済ませよう。」
長物を確かめると、次は腰裏に手を回し、サイドベンツの中からチタンスライドの拳銃を取り出す。
この世界で魔力が込められていない武器に意味は殆どない。あくまでこれは御守りの様なもの。
武器を確認する数分間、マリアは変わらず傍に控えていた。
「こういうの、本当は使わずに済むと良いよね。」
「私共の力が至らず、申し訳ございません。」
彼女は心苦しそうに頭を下げる。
嫌味を言ってしまったなと後悔しながら、
「そんなことない。ここは魔界だよ?」
なんて、フォローにもならないことを言って誤魔化す。
「それに、私には過ぎた役目を果たさせる為に、みんなが、貴女がいつも全力で支えてくれている。だから…私もまだ背伸びさせてもらうね。」
そう告げて力強く笑みを作るのが精一杯。
マリアは何も告げずにお辞儀をすると、車の用意をしに部屋を出ていく。
私は彼女が呼びに戻るまでの間に、部屋の隅に飾ってある2本の木彫を見つめた。
「いってきます。」
そう呟いてから一度だけ目の下に指を添える。
午前11時前。マリアが戻ってきた。
2人で揃って部屋を後にし、玄関前に用意された古めかしい車の後ろに乗り込む。マリアが座る運転席に屋根は無い。
車はその見た目に反して、エンジン音もなく進み出す。
ロードノイズとそれなりの振動はあるものの、鼈甲色の木目内装、一見派手だが気品を感じられるアールデコ調のファブリックで包んだ柔らかなシートが気に入っている。
少なくとも無意識に瞼を落とし、目的地でマリアに起こしてもらわなければならない程には。
表舞台までの移動のこの数時間、正直に言えば無駄の塊だ。仮眠で終わらせるには勿体無さすぎる。
魔王の務めを果たす為には、この時間だって切り詰めて学ばなければいけない程に私は未熟だし、或いは溜まった仕事をここで挽回するべきだろう。
そもそも、もっと速い移動手段は幾らでもあるのだ。
ドラゴンを使うなり、なんなら魔力を使って自力で飛んでいくのでも良い。
けれどもマリアも、他の側近達も私の我儘な空間と眠りを許してくれている。本音がどうなのかは分からないけれども。
「……いってきます。」
車に揺さぶられながら眠りにつく私は、無意識にそう呟いていた。
「いってらっしゃい。」
無言で車に魔力を注いでいた、一緒に国王の前に立つ筈のマリアがそう答えたことは、私には分からないことだ。