曽米さんの『世界史』愛が強すぎる!   作:公私混同侍

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聖海高校1年生編
曽米妃美華とライオンハート


 

――僕は、陰キャだ。

誰かにそう言われたことがあるわけじゃない。けれど、なんとなく自分でそう思うんだ。

教室の片隅、窓際の席。日差しが差し込む午後の授業は、眠気を誘う。先生の声は遠く、黒板の文字がかすんで見えた。

目の前のノートには、意味を成さない落書きが広がっている。

 

聖海高校一年、獅子御理知弥(ししごりちや)。

名前はやたらと立派だけど、実際の僕は地味で、平凡で、特に取り柄もない。

運動神経は悪く、勉強も良くて平均点。部活には入っておらず、放課後はゲームと漫画が相棒だ。

友達がいないわけじゃないけど、特別仲が良いわけでもない。だから、誰かと一緒に帰ることもほとんどない。

 

――そして、中間テストの結果が返ってきた日、僕は一つの危機に直面した。

 

「……どうしよう」

 

声が漏れた。

世界史のテスト。赤点ギリギリ、あと一問間違えていたら補習確定だった。

他の教科は、いつも通りの平均点。でも、世界史だけは、ひどかった。

ページの隅に、赤ペンで「もう少し頑張りましょう」と書かれている。いや、頑張りようがなかったんだ。そもそも、内容が頭に入ってこなかったんだから。

 

教室では、テスト返却の後に始まるいつもの光景が広がっていた。

友達同士で点数を見せ合ったり、答案を覗き込んで笑い合ったり、満足げに腕を組んでうなずいている人もいる。

その中に、曽米妃美華(そごめひみか)さんの姿があった。

長い黒髪を後ろでまとめた曽米さんは、テスト用紙を手に取ると、一切中身を確認せずに四つに折り、鞄の中へと放り込んだ。

その仕草には迷いがなく、点数に興味すらないように見えた。

僕とは違って、あの人は頭が良くて、しかも目立っている。

クラスの中でも華やかで、男子たちが遠巻きに見ているのを知っている。

――そう、僕とは正反対の存在だ。

 

(あの人みたいな優等生なら、世界史なんて余裕なんだろうな)

 

僕はテスト用紙をぐしゃりと鞄に押し込み、ため息をついた。

……赤点だけは避けたい。補習なんて、絶対に嫌だ。

その一心で、僕は放課後、本屋へと足を向けた。

 

学校からの帰り道、僕は駅前の本屋に立ち寄った。

店内は放課後の学生たちでにぎわっている。立ち読みしている制服姿の高校生や、参考書コーナーで真剣な表情を浮かべる受験生たちの姿が目に入った。

僕が向かったのは、世界史の参考書が並ぶ棚だ。

 

(……どれを買えばいいんだ?)

 

目の前にずらりと並ぶ参考書。どれも難しそうなタイトルが並んでいる。

表紙には、古代文明の遺跡や歴史的人物の肖像画が描かれていた。

適当に一冊を手に取り、パラパラとページをめくる。

――全然、わからない。

見慣れないカタカナの名前が並び、頭がくらくらしてきた。

 

「なに、迷ってるの?」

 

突然、横から声をかけられ、僕は驚いて本を落としそうになった。

振り向くと、そこには曽米さんが立っていた。

学校で目立っていたあの曽米さんが、僕を見下ろしている。

長い黒髪を一つにまとめ、制服のスカートが軽く揺れていた。

 

「え、曽米さん……?」

 

「ふーん、世界史の参考書を見てるんだ。意外ね、あなたも歴史に興味があるなんて」

 

曽米さんは僕の手元を覗き込み、にやりと笑った。

その瞳は、まるでおもちゃを見つけた子供のように輝いていた。

 

「い、いや、その……」

 

言葉に詰まる僕をよそに、曽米さんは勢いよくまくし立てる。

 

「まさか、同士がいたなんてね!嬉しい……そう、獅子心王リチャード一世君!」

 

「えっ、()()()?リチャード……?」

 

突然、知らない名前で呼ばれて、思わず聞き返してしまった。

 

「ちがーう!リチャード一世、獅子心王。獅子王だとスウェーデン王国国王グスタフ・アドルフになっちゃうからね。あなたの名字、『獅子御(ししご)』って読むでしょ?獅子の心=ライオンハート、つまりリチャード一世!」

 

曽米さんは勝ち誇ったように胸を張った。

 

――なんだ、その理屈。

 

「これもきっと歴史という運命に、私たちは導かれたの!うん、間違いない!」

 

キラキラと瞳を輝かせながら、曽米は自分の世界に浸っている。

 

僕の返事なんて待っていないらしい。

 

「さあ、一緒に世界史を極めよう!まずは、この本がおすすめ!」

 

そう言って、曽米は迷いなく一冊の参考書を手に取った。

タイトルには『類人猿でもわかる世界の歴史』と書かれている。

 

(……ちょっと待て、話が勝手に進んでるんだけど)

 

僕が赤点を回避するために参考書を探しているとは、夢にも思っていないらしい。

 

曽米さんの勢いに圧倒され、断る隙さえ見つけられなかった。

 

「リチャード君って、どの時代が好き?やっぱり中世ヨーロッパ?それとも古代ローマ?」

 

キラキラと期待に満ちた瞳が僕を射抜いてくる。

 

(歴史に興味なんてなかったのに……どうしてこうなった?)

 

返答に困った僕は、曽米さんに引きずられるようにして、レジへと向かった。

 

本屋を出てからも、曽米さんの勢いは止まらなかった。

 

「リチャード君、あの参考書、絶対に役立つから!テスト勉強だけじゃなくて、もっと深い歴史の世界に触れられるんだから!」

 

まるで勝手に仲間認定された僕は、曽米さんに引きずられるようにして商店街を歩いていた。

 

手にはさっき買った参考書――『類人猿でもわかる世界の歴史』。

 

本当は、もっと簡単そうで実用的な入門書が欲しかったんだけど、曽米さんの勢いに押されてこれを選んでしまった。

分厚くて重いこの本を、僕はしばらく使いこなせる気がしない。

 

「ねえ、リチャード君は知ってる?獅子心王リチャード一世は十字軍遠征でめちゃくちゃ活躍したんだよ!でもね、敵国のサラディンとの対決では、ただの戦争相手ってだけじゃなくて、互いにリスペクトし合っていたんだよねぇ!」

 

曽米の瞳が輝いている。

僕は曽米さんの話を聞きながら、頭の中で「リチャード一世」と「サラディン」という名前を必死に覚えようとした。

中間テストで赤点ギリギリを取った僕には、どちらも聞き慣れない名前だ。次の期末テストに出てくるのかもしれない。

 

「特にね、リチャード一世は例え敵だったとしても、優秀であれば部下として登用しちゃうぐらい心の広い人だったんだって」

 

「……そう、なんだ」

 

曽米さんは手振りを交えながら、興奮した様子で語り続けた。

僕は曽米さんの表情を横目で見ながら、内心、驚いていた。

テストの点数を気にせずに鞄にしまっていた曽米が、こんなに情熱的に話すなんて想像もしていなかったからだ。

僕が今まで出会ったことのないタイプの人間だった。

 

(――歴史って、そんな面白い話があるのか?)

 ふと、そんなことを思った。

 

今までは、ただ暗記するだけの退屈な科目だと思っていたのに、曽米さんの話を聞いていると、物語のように感じられた。

 

――少しだけ、興味が湧いた。

 

翌朝、教室に入ると、すぐに曽米さんが駆け寄ってきた。

 

「おはよう、リチャード君!」

 

朝から元気な声に、クラスの数人がこちらを振り返った。

 

「リチャード君」なんて呼ばれているのが僕だと気づいた瞬間、教室がざわついた。

 

「……お、おはよう、曽米さん」

 

僕は周りの視線を気にしながら、小さく返事をした。

 

「昨日の参考書、読んだ?リチャード一世の章、最高に面白いよね!」

 

「いや、まだ……」

 

正直、あの分厚い本を開く勇気が出なかった。

だが、曽米さんの目は輝き続けている。

 

「もう、リチャード君ったら!でも大丈夫、私が面白さを全部教えてあげるから!」

 

そう言って、曽米さんは自分の席に戻ることなく、僕の机の前に立ったまま話し始めた。

 

「サラディンとリチャード一世の一騎打ちの場面があるんだけどね、実際には直接戦ってないの!だけど、兵法の駆け引きがめちゃくちゃ熱いの!リチャード君はどっちが勝つと思う?」

 

「え、えっと……リチャード、かな?」

 

なんとなく、自分と同じ名前だから言ってみた。

すると、曽米は満面の笑みを浮かべて、勢いよく頷いた。

 

「さすがリチャード君!やっぱりリチャード一世は強いの!でも、サラディンの策も見事でね……」

 

――終わらない。

 

授業が始まるまで、曽米さんの熱い世界史講座は続いた。

 

(……これから、毎日こんな感じなのか?)

 

半ば呆然としながらも、昨日よりほんの少しだけ、世界史が面白いかもしれないと思った僕がいた。

 

―――

 

放課後、僕は図書室にいた。

部活には入っていないから、ここが僕の居場所みたいなものだ。

周りにはパラパラと参考書をめくる音と、静かな時間が流れている。

 

机の上には今日出された宿題と、明日の小テストの範囲が載った現代文の教科書。

漢字練習用のノートに何度も文字をなぞっているうちに、少し飽きてきた。

 

…休憩するか。

 

ペンを置き、ふと視界に入ったのは、昨日、曽米さんに押し切られるようにして買った世界史の参考書だった。

表紙のデザインがどこか堅苦しくて、僕にはあまり馴染みのないものだ。

けれど、あの時の曽米さんの楽しそうな顔を思い出して、なんとなく手を伸ばした。

 

パラパラとページをめくっていると、あるページに目が止まる。

太字で書かれた言葉が視界に飛び込んできた。

 

『私はあなたの意見には反対だ。しかし、あなたが発言する権利は命をかけて守る』

 

…なんだこれ?

 

ヴォルテール? 誰だそれ?

いや、そもそも何でこんな大袈裟なことを言うんだ?

意見に反対なら黙ってりゃいいのに、命をかけるほどのことか?

…好きな人に向けた言葉なのか?それにしても大袈裟な気がするけど……。

 

「リチャード君!」

 

突然の声に、心臓が飛び跳ねた。

驚いて顔を上げると、そこには曽米さんが立っていた。

チア部に所属しているだけあって、長い髪を一つにまとめた姿が凛々しい。

 

慌てて参考書を閉じ、教科書の下に隠した。

けれど、曽米さんの涼しげな瞳が、それを見逃すはずがなかった。

 

「やっぱり、世界史に興味があるんだね!」

 

「え、いや…その、これは…」

 

「誤魔化さなくていいよ。リチャード君は特別だから!」

 

特別…? 僕が?

 

「リチャード君が世界史仲間になってくれるなら、特別扱いするっていう意味だよ!」

 

曽米さんは少し頬を赤らめて、そう言った。

僕はその様子に一瞬見惚れてしまったけど、すぐに我に返った。

 

「あ、ありがとう…?」

 

なんだ、この流れは。僕はただ、赤点を回避したいだけなのに。

 

曽米さんは、僕の戸惑いなんて気にせず、嬉しそうに続ける。

 

「ねぇ、どうして世界史に興味を持ったの?」

 

「いや、あの…そんな大層な理由じゃないよ。ただ、赤点ギリギリだったから…」

 

「ふーん…でも、きっかけは何だっていいんだよ。リチャード君には、内に秘めた可能性があるんだから!」

 

可能性? 僕に?

 

「リチャード君はね、私が好きなドイツ皇帝ヴィルヘルム二世の若き日の姿を彷彿とさせるような、内に秘めた可能性を感じるの」

 

「え? そのヴィルヘルム二世って人の…どこが?」

 

「顔」

 

「顔!?」

 

思わず声が大きくなってしまい、周りの生徒たちがこちらを一瞬だけ見た。

慌てて小声に戻して尋ねる。

 

「会ったことないのに?」

 

「写真を見たの! 若き日のヴィルヘルム二世はすごく凛々しくて、カッコいいの!」

 

それ、ただの面食いじゃないか?

けれど、曽米さんは目を輝かせて話している。

その表情を見て、僕はまた思った。

 

……この人は本当に心の底から歴史を愛しているんだな。

 

「ね、リチャード君。月曜日はチア部がお休みだから、これから図書室で一緒に勉強しない?」

 

「え…でも、僕なんて教えられることなんてないし…」

 

「いいのいいの。リチャード君と一緒に勉強するのが楽しいから!」

 

屈託のない笑顔に、僕は言葉を失った。

こんな風に、自分と一緒にいることを楽しそうにしてくれる人がいるなんて。

 

「それに、連絡先を交換しておいた方が、いつでも質問できるでしょ?」

 

「あ、うん…そうだね」

 

曽米さんが僕のスマホを手に取り、素早く自身のIDを入力する。

手際の良さに感心していると、ふと気づいた。

…今、めちゃくちゃ近い。

柔らかい髪の香りが鼻をくすぐり、心臓が跳ねる。

 

「はい、完了。これでいつでも連絡してね!」

 

「う、うん…ありがとう」

 

僕の手の中に戻ってきたスマホが、妙に温かく感じた。

連絡先を交換するなんて、人生で初めてだ。

曽米さんの楽しそうな笑顔が、頭から離れない。

 

僕はスマホを握りしめながら、胸の鼓動を抑えるのに必死だった。

それと同時に、こんな風に無邪気に笑う人のことを、もっと知りたいと思った。

 




①リチャード1世(イングランド王)
中世ヨーロッパの騎士の模範と讃えられ、十字軍の中心的役割を担う。宿敵サラディン率いるイスラム軍と激戦を繰り広げた。

②グスタフ・アドルフ(スウェーデン王国国王)
三十年戦争でプロテスタント(新教)側を率いた獅子王。

③サラディン
アイユーブ朝のスルタン。
イスラム世界の英雄であり十字軍の猛攻から聖地エルサレムを死守した。

④ヴォルテール
フランスの哲学者、啓蒙主義者。
プロイセン王国のフリードリヒ2世(大王)と親交があった。

⑤ヴィルヘルム2世(ドイツ帝国皇帝)
鉄血宰相ことビスマルクと対立し辞職に追い込む。自身が掲げた「世界政策」によりイギリス・フランスと敵対。第1次世界大戦の対立構図を作った。
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