曽米さんの『世界史』愛が強すぎる!   作:公私混同侍

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雪中のロミオとジュリエット

 

十二月に入り、寒さが本格的になってきた。

 

期末テストを控えているとはいえ、僕はつい世界史以外の授業でうたた寝することが増えてしまっていた。暖房が効きすぎているせいもあるし、クラスの雰囲気も緩く、平和な日々が続いていたからだ。

 

ところが、雪が降った日の朝、事件は起こった。

 

遅刻する生徒がちらほら出る中、僕はいつも通り靴入れに手を伸ばそうとした――その瞬間だった。

 

正門前で、曽米さんが跪いている。

 

え?

 

驚いて目を凝らすと、彼女は恰幅のいい先生――通称「髭長先生」の前で、まるで忠誠を誓う騎士のようなポーズを取っていた。

 

「イエス様、お許しください。もう二度と遅刻はしませんから!」

 

先生は腕を組み、ため息をついている。

 

「……私はキリストではない。早く教室に行きなさい」

 

それだけ言って、彼女を促した。

 

僕はポカンとしながら、その光景を見つめる。曽米さんが遅刻なんて珍しい。それに……なぜ跪く?

 

ふと、先生の顎髭に目を向けた。縦に伸びる白髭が、降り積もった雪で更に白く染まっている。

 

――いや、まさか。

 

まさかとは思うけど、曽米さん……寒さのあまり幻覚でも見てるんじゃないか?

 

「ちょ、ちょっと曽米さん!」

 

僕は慌てて彼女のもとに駆け寄った。

 

曽米さんの頭と肩にうっすらと積もった雪を、僕は慌てて手で払い落とした。

 

「曽米さん、こんなところでじっとしてたら凍えちゃうよ。早く暖房の効いた教室に入ろう!」

 

そう言って彼女の腕を引っ張ると、曽米さんはどこか遠い目をしたまま、ぼそりと呟いた。

 

「リチャード君はいいよね。真面目だし、誰にでも優しいし、眠れる獅子だし……」

 

――最後、皮肉混じってない?

 

授業中にうたた寝している僕を、いつも小突いてくるのは曽米さんだ。それを考えると、「眠れる獅子」とか言われても素直に喜べない。

 

「そ、そんなことより……風邪引いたら学校に来られなくなっちゃうし……曽米さんの世界史の話が聞けなくなるのは、嫌なんだ。だから……」

 

僕がそう言うと、曽米さんは突如、手を胸の前で組み、芝居がかった声を上げた。

 

「おお……神の使徒よ、私に慈悲を与え給え。然るに教皇様へ足を向けて眠ることは許されず、頭を垂れることしか、今の私にはできない……」

 

……また始まった。

 

まるで中世ヨーロッパの騎士みたいな言い回しに、僕はどう返せばいいか一瞬迷う。その隣で、髭長先生が重いため息をついた。

 

――先生、僕も同じ気持ちです。

 

それでも、このまま彼女を放っておくわけにはいかない。

 

「曽米さん、頼むからちゃんと立って!ほら、行こう!」

 

半ば引きずるようにして、僕は彼女を教室へ連れて行こうとした。

 

しかし、曽米さんは頑なにその場から動こうとしない。

降り積もる雪の中、僕の袖を握りしめたまま、彼女はふいにこんなことを言い出した。

 

「リチャード君、私が瀕死の病人になったら嫌いになる?」

 

――は?

 

あまりにも唐突な質問に、僕は呆気に取られてしまう。曽米さんは何を言い出すんだ?

 

「嫌いになんかならないよ」

 

僕は、静かに言葉を継ぐ。

 

「曽米さんが歴史の話を楽しそうに話す姿を、僕はずっと見ていたいんだ。だから曽米さんがどんな状況にいたとしても、僕はずっと曽米さんの隣にいる」

 

言った瞬間、曽米さんの顔がふっと赤く染まる。

 

――えっ、僕、今何かすごいこと言った!?

 

気づいたときには遅かった。曽米さんは顔を伏せ、頬を手で押さえている。僕が慌てて弁解しようとしたそのとき、先生が苛立った声を上げた。

 

「曽米はいつまでそこにいるつもりだ?私だって暇ではないのだ。いい加減にしないと――」

 

「三日で許してくれますか?」

 

「なに……?」

 

先生が怪訝そうに眉をひそめる。曽米さんは真剣な表情で、じっと先生を見上げていた。

 

「三日間、この場で頭を垂れ続けないと許してくれないんですよね?」

 

……えっ?そんな話だったっけ?

 

僕が疑問を抱いていると、先生の顔がぴくりと引きつる。

 

「三日も居座るつもりなの?」

 

僕が思わず口を挟むと、先生が低い声で問い詰めた。

 

「お前の目的は何だ?嫌がらせか?」

 

曽米さんは真剣そのもので、まるで中世の異端審問にでもかけられているかのような雰囲気を醸し出していた。

 

雪は降り積もるばかりで、まるでこの場の温度がさらに下がったように感じた。

 

「ねぇ、リチャード君」

 

雪の降る中、曽米さんがぼそっとつぶやく。

 

「もし私が死んだら、私の死亡診断書はリチャード君がもらってね?」

 

……は?

 

僕は思わず彼女の顔を覗き込んだ。冗談かと思ったけど、曽米さんの表情はいつになく真剣だ。

 

「えっ?死亡診断書って他人の僕でももらえるの?……というか縁起でもないこと言わないで、急がないと凍死しちゃうから」

 

そう言いながら彼女の腕を引っ張ろうとした、その瞬間だった。

 

「もういい!バカバカしい!」

 

先生が堪忍袋の緒を切ったように叫ぶと、雪まみれの曽米さんを勢いよく抱え上げた。

 

「ぐっ……」

 

腹部を圧迫された曽米さんが、うめき声を上げる。そして――

 

「うう……」

 

力なく先生の腕の中でぐったりしてしまった。

 

「うわっ!曽米さん、大丈夫?」

 

僕が慌てて駆け寄ると、先生は険しい顔で「保健室に連れて行く!」と言い残し、そのまま曽米さんを担いで歩き出す。

 

……ああ、これはさすがにまずかったな。

 

僕は肩を落としながら教室へ戻ることにした。

 

―数分後、教室―

 

「獅子御!お前も一緒になって何をやっていたんだ!」

 

教室に入るなり、担任の先生に怒鳴られた。

 

「えっ、僕、別に何も……」

 

「遅刻は遅刻だ!余計なことをしていた分、さらに始末が悪い!」

 

「ええ……」

 

結局、僕まで遅刻扱いされてしまった。

 

なんだか釈然としないけど……まあ、曽米さんが無事なら、それでいいか。

 

―――

 

昼休み、教室の扉がガラリと開いた。

 

「……ん?」

 

振り向くと、そこに立っていたのは曽米さんだった。

 

「曽米さん!もう体調は大丈夫――」

 

言い終わる前に、彼女は僕の目を真っ直ぐに見つめ、ひと呼吸置いてから、静かに口を開いた。

 

「To be, or not to be」

 

……え?

 

曽米さんはシェイクスピアの名台詞をキメ顔で言い放つと、そのまま踵を返し、足早に教室を去っていった。

 

「ちょ、ちょっと!?曽米さん!?」

 

僕が呼び止める間もなく、彼女の背中は廊下の向こうへと消えていった。

 

なんだったんだ、今の……?

 

唖然とする僕の背後で、クラスメートたちがざわめく。

 

「……え、なに?あの演出」

「いや、意味深すぎだろ……」

「リチャード、お前なんかした?」

 

いや、したつもりはないんだけど……。

 

僕はただ、曽米さんが無事かどうか確認したかっただけなんだけど……。

 

とりあえず、『生きるべきか死ぬべきか』って迷うほどの状態ではなさそうだということはわかった。

 




①眠れる獅子
西欧の列強諸国は、日清戦争で敗れるまで清に対して畏怖の念を抱いていた。実力はあるものの、十分に力を発揮できないことの例えとしても用いられる。

②カノッサの屈辱
中世ヨーロッパで皇帝と教皇の間で「聖職叙任権(司教や大司教を任命する権利)」を巡り論争になる。神聖ローマ帝国皇帝ハインリヒ4世は、教皇グレゴリウス7世の怒りを買い破門された。
焦ったハインリヒ4世は、グレゴリウス7世に許しを請うため、真冬の雪の中、裸足に粗末な服を着て3日間も城門の前で許しを請い続けた。

③瀕死の病人
当時衰退していたオスマン帝国を指して「ヨーロッパの瀕死の病人」と呼んだ。19世紀のオスマン帝国は財政難、軍事力の低下、民族独立運動の激化に伴い衰退の一途を辿っていた。第1次世界大戦では同盟国側で参戦。敗戦と同時にオスマン帝国の名は消滅。トルコ共和国として生まれ変わることになる。

④神聖ローマ帝国の死亡証明書
三十年戦争で結ばれた「ウェストファリア条約」により国家は実質的に解体され、同条約は「死亡証明書(死亡診断書)」と揶揄された。

⑤シェイクスピア
イギリスの劇作家。
「ハムレット」「リア王」「ジュリアス・シーザー」などの作品を手かげ、今もなお多くのファンを獲得し続けている。
言葉を表現する力、創造するセンス持ち合わせ、言語学にも多大な功績を残した。
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