曽米さんの『世界史』愛が強すぎる!   作:公私混同侍

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アメとワイングラス

 

梅雨の湿気が教室にまとわりつく、そんな日の昼休みだった。

窓の外では雨が途切れる気配もなく降り続いている。空気は重く、弁当の湯気すらどこかだらけて見えた。

 

僕はいつものメンバー――曽米さん、伊藤、大堤君と机を寄せて弁当を広げていた。

 

そのときだった。

大堤君が、やけに丁寧な動作で自分のバッグに手を入れる。

 

「ヒミコ様、今日は誕生日と伺っておりました。ワタクシ、僭越ながらこのようなものを……」

 

芝居がかった口調とともに差し出されたのは、小綺麗に包装された箱だった。リボンまできっちり結ばれているあたり、妙な本気度を感じる。

 

曽米さんは一瞬きょとんとした顔をしたあと、興味深そうにそれを受け取った。

 

「へえ、ありがと」

 

軽く礼を言いながら、箱を開ける。

 

中から現れたのは――ワイングラスだった。

透明度の高い、細い脚のついたそれは、明らかに“それ用”の代物だ。

それを見た伊藤が、すぐに口を開く。

 

「無粋かもしれないが、まだ曽米は未成年だろう。ワインはまだ早いと思うが」

 

正論だった。

僕も内心で完全に同意する。というか、どういうチョイスなんだこれは。誕生日プレゼントにしても方向性がズレている気がする。

 

普通なら、ここで曽米さんが苦笑いでもするところだと思った。

――が、違った。

彼女はグラスを手に取り、その縁を指でなぞる。

その姿に僕は、

 

「グラスの縁に何か付いてるの?」

 

そして、ぽつりと呟いた。

 

「ワイングラスの縁……グラスノフチ……グラスノスチ……」

 

嫌な連想の気配がした。

 

「ペレストロイカ……ソビエト……」

 

来た。

 

「うっ……頭が……!?」

 

曽米さんは突然こめかみを押さえ、うめき声を上げた。

机に肘をつき、苦しそうに顔を歪める。

いや、何がどう繋がった。

僕が内心でそう突っ込む間にも、状況はさらにカオスになっていく。

 

「ヒ、ヒミコ様!?ご気分が優れないのですか!?」

 

大堤君が慌てて身を乗り出す。さっきまでの優雅さはどこへやら、完全に取り乱している。

 

一方で伊藤はというと、ちらりと一瞥しただけで、

 

「……くだらない」

 

とでも言いたげな顔をして、淡々と弁当を口に運んでいた。完全に通常運転だ。

その温度差が余計に状況を際立たせる。

 

そして――曽米さんが、ふいに顔を上げた。

苦しげな表情のまま、まっすぐに僕を見る。

その目は、明らかに“助け”を求めていた。

 

……いや、待て。

(なんで僕なんだ)

 

そう思いつつも、視線を逸らすことができない。

曽米さんの様子を前に、僕は一瞬固まった。

 

――どうする。

 

思考を無理やり回転させる。とにかく何か、今この場で“それっぽい対処”をしないといけない気がした。理屈じゃない、空気の問題だ。

僕は無意識に自分のポケットをまさぐる。

ハンカチ、スマホ――そして。

 

(……あ)

 

指先に触れた小さな包み。

のど飴だ。

さっきまで何とも思っていなかったそれが、やけに頼もしく感じられた。僕はほとんど反射的にそれを取り出し、曽米さんに差し出す。

 

「これしか、曽米さんにあげられそうなものがないんだけど……」

 

自分でも情けないくらい、即席の対応だった。

その瞬間、横から妙な気配を感じる。

ちらりと見ると、大堤君がなぜか勝ち誇ったような顔をしていた。理由は分からないが、“プレゼントを渡した側としての余裕”みたいなものを醸し出している。

 

いや、今そこ張り合うところ?

 

そんな疑問を抱く間もなく、曽米さんがゆっくりと顔を上げた。

さっきまで苦しそうにしていたのが嘘みたいに、表情が変わっていく。

そして――満面の笑み。

 

「流石だね、リチャード君」

 

嫌な予感しかしない導入だった。

 

「飴と鞭を使い分けるなんて。まるで社会主義勢力を抑え込むための法律を制定する代わりに、社会保障制度を導入して国民の支持を得ようとしたビスマルクみたい」

 

……出た。

完全にそっちに繋がった。

僕はとりあえず、表情だけは崩さないように努める。

 

「は、はは……」

 

乾いた笑いが口から漏れた。

内心では、「ただののど飴なんだけどな」としか思っていないのに、話のスケールだけが無駄に膨れ上がっていく。

ふと横を見ると、大堤君の様子がおかしかった。

さっきまでの余裕はどこへやら、なぜかその場で地団駄を踏んでいる。

 

「くっ……!この私としたことが……!」

 

小声で何か悔しそうに呟いている。

 

……いや、本当に何の勝負だったんだ。

 

しかし、曽米さんの“発作”は、まだ終わっていなかった。

むしろ――悪化していた。

彼女は満面の笑みのまま、ゆっくりとこちらに顔を向ける。そして、大きく口を開けた。

 

……待っている。

どう見ても、“それ”を。

 

(いや、まさか……)

 

一瞬で意図を理解してしまった自分が怖い。

つまり、僕に――のど飴を口に入れろ、と。

教室の空気が妙に静まり返る。大堤君は固唾を呑み、伊藤は無言でこちらを見ている。

 

逃げ場は、なかった。

僕は無意識に唾を飲み込む。

 

「そ、それじゃ……」

 

震える指で飴をつまみ、ゆっくりと曽米さんの口元へ運ぶ。

距離が近い。

近すぎる。

心臓の音がやけにうるさい。

 

――その瞬間だった。

 

「曽米、どこまで獅子御に甘えるつもりだ」

 

低い声。

次の瞬間、僕の指先から飴が消えた。

 

「そこまでして食いたいならこうしてやる!」

 

伊藤だった。

いつもは冷静沈着な彼女が、このときばかりは露骨に感情をむき出しにしていた。

 

奪い取ったのど飴を、そのまま――

校庭へ向かって、思い切り放り投げた。

綺麗なフォームだった。

無駄のない軌道で、飴は一直線に窓の方へ飛んでいく。

……そして。

かすかに開いていた窓の隙間を、すり抜けるように外へ消えた。

一瞬、全員が固まる。

 

次の瞬間だった。

 

ガラッ、と窓が大きく開かれる音。

 

「――!」

 

曽米さんだった。

 

彼女は一切の躊躇いなく窓枠に足をかけ――

そのまま、飛び降りた。

 

「ちょっと曽米さん!?ここ二階だよ!?」

 

僕は反射的に叫ぶ。

でも、その声が届く前に、彼女の姿はもう視界から消えていた。

慌てて僕と大堤君はベランダから身を乗り出し、下を覗き込む。

 

――いた。

 

普通に立っていた。

いや、それどころか曽米さんは雨が降りしきる中、地面に落ちたのど飴を拾い上げると、まるで野生動物みたいな勢いで口に放り込んでいる。

もぐもぐと満足そうに頬張りながら、何事もなかったかのようにピンピンしていた。

 

(なんで無事なんだよ……)

 

理解が追いつかない。

後ろでは、教室がざわつき始めていた。

無理もない。

 

冷静に考えれば――いや、冷静じゃなくてもおかしい光景だ。

伊藤が華麗なフォームで何かを投げる。

その直後、曽米さんが窓から飛び降りる。

この二つの動きが、ほぼ同時に起きた。

 

結果として――

 

「……今、()()()()()()()()()?」

 

誰かのそんな声が聞こえた。

違う。

完全に違う。

でも、そう見えてしまってもおかしくないタイミングだった。

 

僕は頭を抱えたくなった。

こうして、この一連の出来事は尾ひれがつきに付きまくり――

やがて“聖海高校の窓外放出事件”として、学校中に広まることになる。

しかも、妙にドラマチックな解釈付きで。

……そして、それが後々まで語り継がれることになるなんて、このときの僕はまだ知らなかった。

 




①グラスノスチ
ソ連末期、徹底した情報統制や反政府思想の弾圧は行き詰まりを見せていた。ゴルバチョフは「情報公開」と国家の自由化を断行し政策転換を図る。しかし、皮肉にも国民の不満と政策の矛盾を露見させ、ソ連の崩壊という結末に繋がった。

②ペレストロイカ
ゴルバチョフは経済不安からの脱却と市場の自由化により国家の「再構築」を掲げ、グラスノスチ(情報公開)とペレストロイカ(再構築)によってソビエトの再建を目指した。外交では東西ドイツの統一、冷戦終結などの一定の成果を挙げたが、ソ連解体を防ぐことはできなかった。

③ソビエト社会主義共和国連邦(ソ連)
第1次世界大戦で協商国側で参戦したロシア帝国はドイツ軍を前に防戦を強いられていた。敗戦間近に発生した「二月革命」により300年続いたロマノフ朝が崩壊。「十月革命」でレーニン率いるボリシェヴィキが政権を握り、ソビエト社会主義共和国連邦が成立。
「ソビエト」は日本語で「会議」を意味する。

④社会主義者鎮圧法
ドイツ帝国宰相ビスマルクは皇帝ヴィルヘルム1世暗殺未遂事件を契機に社会主義運動の弾圧を推進。代わりに社会保障制度の導入することで労働者層の支持拡大を狙った。ところが過激な弾圧はかえって社会主義政党への同情を生み、政権基盤が不安定になるという皮肉な結果を招いた。

⑤プラハ窓外放出事件
ボヘミア(現在のチェコ)で新教抑圧に抗議するプロテスタント派の貴族がカトリック側の役人を窓から投げ落とした事件。「三十年戦争」の発端となった。因みに背景は全く違うが、窓から突き落とされる事件が現在に至るまで3回起きている。
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