曽米さんの『世界史』愛が強すぎる!   作:公私混同侍

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夏祭り狂騒曲 後編

 

お店で焼きそばを受け取った僕は、割り箸で麺をつまみながら射的の屋台へ向かっていた。

ソースの濃い香りが鼻をくすぐる。味はちゃんと美味しいのに、さっきの気まずいやり取りのせいでいまいち集中できない。

人混みを縫うように歩きながら、僕は曽米さんのことを考えていた。

 

あのまま一人で射的をしているんだろうか。

それとも、もう飽きて別の屋台に行ってしまっただろうか。

せめて焼きそばを持っていけば、自然に話しかけるきっかけになるかもしれない。

「よかったら一口どう?」とか、そういう感じで。

さっきの失態を少しでも挽回したい。

 

そんなことを考えながら角を曲がった、その時だった。

射的屋台の前に妙な人だかりができているのが見えた。

ざわざわとした歓声と、どよめき。

僕はその光景を見た瞬間、嫌な予感がした。

 

……まただ。

 

理由は説明できないけれど、こういう時の直感はだいたい当たる。

 

「また曽米さんが一騒動起こしてる」

 

半ば確信しながら、僕は焼きそばを片手に人混みをかき分けた。

 

「すみません、ちょっと通してください」

 

ようやく最前列までたどり着いて、僕は思わず息を呑んだ。

そこには、片手でコルク銃を構えた曽米さんがいた。

片足をわずかに引き、身体を斜めに構え、銃口を真っ直ぐ景品棚へ向けている。

浴衣の袖がすっと垂れ、その横顔は真剣そのもの。

提灯の灯りに照らされたその姿は、不思議なくらい絵になっていた。

周囲から感嘆の声が次々と上がる。

 

「あの女の人、カッコいい!」

「ちょっと可愛くね?後で声かけようぜ」

「なんやあの星条旗柄の浴衣、どこで売っとんねん」

 

最後の声には、なぜだか妙な聞き覚えがあった。

というか、星条旗柄の浴衣って改めて言われるとすごいワードだ。

たしかに曽米さんの浴衣はかなり個性的だったけれど。

でも今はそんなことより――

 

僕の視線は、曽米さんが狙っている景品へと向かう。

棚の最上段。

そこには大きなクマのぬいぐるみが鎮座していた。

丸っこいフォルムに、つぶらな瞳。胸元には赤いリボンまでついている。

僕は少し意外に思った。

 

……へえ。

 

曽米さんにも、ああいうの欲しいって思うんだ。

いつも歴史の話ばかりしていて、海戦だの王朝だの疫病だの物騒な単語ばかり飛び出すから忘れそうになるけど、ちゃんと普通の女の子らしいところもあるんだな。

なんだか少し安心した。

そう思っていた、その次の瞬間。

曽米さんが低く、しかし力強い声で宣言した。

 

「今こそ我が掌中に!待っていろ、セオドア・ルーズベルトッ!」

 

僕は焼きそばを落としかけた。

……え?

セオドア・ルーズベルト?

クマの名前、それなの?

いや、待って。

たしかテディベアって、ルーズベルト大統領の愛称“テディ”が由来だったような……。

そんな歴史雑学を、こんな一瞬で思い出してしまうあたり、完全に曽米さんに毒されている気がする。

 

曽米さんは迷いなく引き金を引いた。

ぽんっ、と軽い音を立ててコルク玉が飛ぶ。

誰もが息を呑んで見守る中、その弾は一直線にクマへ向かい――

ぺしっ。

なんとも気の抜ける音を立ててぬいぐるみに当たり、軽く弾かれた。

クマはぴくりとも動かない。

どうやら、少し距離を取りすぎていたらしい。

静寂が落ちる。

そして次の瞬間、曽米さんは眉間にしわを寄せ、険しい顔で呟いた。

 

「……想定より射程が短いだと?」

 

そのあまりに真剣な分析に、僕は思わず吹き出しそうになるのを必死で堪えた。

 

曽米さんは微動だにしないクマのぬいぐるみをじっと見据えたまま、悔しそうに唇を噛んだ。

そして、小さく呟く。

 

「……コルク銃ではなくマスケット銃なら、いとも容易くヘッドショットできたのに」

 

僕は思わず目を瞬かせた。

 

いや、そこなの?

 

距離感とか狙い方とかじゃなくて、武器のスペックに問題があるって結論なんだ。

しかも“ヘッドショット”って。

ぬいぐるみに対して使う言葉じゃない。

僕がどう反応していいか分からず固まっていると、射的屋の小太りな店主さんが腹を揺らしながら豪快に笑った。

 

「可愛らしいお嬢さんが物騒なこと言っちゃいかんよ。本物の銃なんて使ったら、ぬいぐるみが穴だらけになっちまう。ワッハッハッハ」

 

店主さんは自分の冗談がよほど面白かったらしく、しばらく肩を震わせていた。

でも僕には、何がそんなに面白いのかいまいち分からなかった。

しかし、冗談を言う相手が悪かった。すかさず曽米さんは反論する。

 

「むしろ大口径なマスケット弾なら、“穴だらけ”っていうより一撃で縫い目ごと裂けて綿が噴き出す可能性の方が高いよ。おじさん、知らないの?」

 

小太りの店主さんはお腹を掻きながら黙り込んでしまった。

……うん、やっぱり曽米さん(この人)はちょっと目を離すと危ない。

そんなことを考えていた時だった。

 

「凄い人だかり……なんの騒ぎかと思ったらやっぱり妃美華ね」

 

聞き慣れた呆れ混じりの声が背後から飛んできた。

振り返ると、日向さんがリンゴ飴を片手に立っていた。

飴の表面を提灯の光がつやつやと照らしている。どうやらちゃんと目当てのものを買えたらしい。

日向さんは人だかりの中心で銃を構える曽米さんを見て、やれやれと肩をすくめた。

そして、そのまま僕の方へじろりと視線を向ける。

 

「もう、せっかく二人っきりにしてあげたんだから、獅子御君がちゃんと監視してなきゃ駄目よ」

 

僕は一瞬、ぽかんとした。

 

監視。

 

普通そういう場面で使う言葉じゃない。

そこはせめて「エスコート」とか「リード」とか、もう少しこう……恋愛イベントっぽい単語を選んでほしい。

思わずツッコミたくなったけれど、口を開きかけてやめた。

……でも、あながち間違ってもいない気がする。

だって僕がちょっと目を離しただけで、曽米さんは射的会場の注目の的になった挙げ句、マスケット銃がどうとか物騒な発言をしている。

これを放置したら、そのうち店主さん相手に独立戦争の戦術講義でも始めかねない。

 

僕は焼きそばのパックを抱え直しながら、小さくため息をついた。

 

「……善処します」

 

すると日向さんがくすっと笑う。

 

「妃美華を扱えるの獅子御君しかいないんだから」

 

なんだか褒められているのかどうか分からない。

そのやり取りの間にも、曽米さんは次のコルク弾を装填しながら、険しい表情で呟いていた。

 

「風向きと重力を再計算しても、こんなコルク銃(おもちゃ)では……」

 

いや、ただの射的だよね?

そんなに本格的な弾道計算いる?

僕が「このお祭り、絶対に普通では終わらない」とぼんやり考えていた、その時だった。

不意に、ひやりとした空気が走った。

視線を上げる。

そして僕は凍りついた。

曽米さんが、いつの間にかこちらへコルク銃を向けていた。

しかも、その目は妙に据わっている。

 

「おのれ……かくなるうえは……」

 

低く絞り出すような声。

嫌な予感しかしない。

次の瞬間、曽米さんはきっと日向さんを睨み据えながら、高らかに宣言した。

 

「ハプスブルク家の犬がぁ!その頭に乗せたリンゴ、撃ち抜いてくれるわッ!」

 

場の空気が、一瞬で凍った。

 

……いやいやいやいや。

何を言ってるの。

というか誰がハプスブルク家の犬なの。

たぶんウィリアム・テルの話を言いたいんだろうけど、細かい設定がめちゃくちゃだ。

ツッコミどころが多すぎて処理が追いつかない。

でもそんなことを考えている暇はなかった。

曽米さんの指が、もう引き金にかかっている。

 

「待っ――」

 

僕が叫ぶのと同時に、隣の店主さんも顔色を変えた。

 

「お嬢ちゃん、やめ――!」

 

二人して飛び出したけれど、間に合わなかった。

ぽんっ。

乾いた音。

コルク弾が一直線に飛ぶ。

時間がやけにゆっくり流れた気がした。

その軌道の先にいたのは――日向さん。

 

いや、正確には。

日向さんが手に持っていた、真っ赤なリンゴ飴。

ぱしっ、と軽い音が響いた。

コルクは見事なまでにリンゴ飴のど真ん中を直撃した。

衝撃で飴がぐらりと揺れ、棒から半ば砕けるようにして地面へ転がり落ちる。

真っ赤な飴の破片が、石畳の上で鈍く光った。

しん、と周囲が静まり返る。

日向さんはその場で硬直していた。

目を見開き、砕けたリンゴ飴と曽米さんを交互に見つめている。

恐怖のあまり、本当に動けなくなっているみたいだった。

僕も息を呑んで立ち尽くす。

 

……当たった。

まさか本当に当てるなんて。

しかもリンゴ飴だけを。

曽米さんの射撃精度、さっきまでのクマ相手とは別人みたいじゃないか。

いや、そんなことに感心してる場合じゃない。

数秒の沈黙のあと。

日向さんの肩がぴくりと震えた。

 

「あ……」

 

低い声。

その表情が、ゆっくりと変わっていく。

呆然から理解へ。

理解から怒りへ。

そして――。

 

「あんたって女はぁぁぁ……!」

 

射的屋台じゅうに響き渡る怒声だった。

その迫力に、周囲のギャラリーが一斉に後ずさる。

僕は思わず身をすくめた。

提灯まで震えた気がする。

さすがの僕でも、今回は擁護できなかった。

どう考えても完全にアウトだ。

いくらウィリアム・テルごっこをしたかったとしても、人の持ち物を標的にするのは駄目に決まってる。

対する曽米さんは、コルク銃を持ったまま満足げに頷いていた。

 

「やはり距離さえ適正なら――」

 

「問題はそこじゃないでしょうがぁぁっ!」

 

日向さんの怒号が再び炸裂する。

その勢いにさすがの曽米さんも「むっ」とたじろいだ。

そこから先は、もう語るまでもない。

射的屋台の前で、曽米さんは日向さんに延々と説教され続けた。

 

「人に向かって撃たない!」

「リンゴ飴でもダメ!」

「あとハプスブルク家に謝りなさい!」

 

最後のひとつはよく分からなかったけれど、とにかく日向さんの怒りは収まらなかった。

僕はその隣で焼きそばを持ったまま小さく縮こまりながら、ただ思っていた。

……どうして僕たちのお祭りって、毎回こうなるんだろう。

 

―――

 

祭りの喧騒が少しずつ遠ざかっていく。

さっきまであれだけ賑やかだった境内も、帰り道に入ると嘘みたいに静かだった。背後からかすかに太鼓の余韻と人々の話し声が流れてくるけれど、それも夜風に溶けていく。

 

結局あのあと、日向さんの機嫌を取るために焼きそばを半分差し出したり、曽米さんが「これは先人たちが通った道だったのだ」と苦しい弁明をしたりして、なんとか場は収まった。

そして途中の分かれ道で、日向さんと別れた。

 

「じゃあ私はこっちだから……次は妃美華をちゃんと管理しておいてよね、獅子御君」

 

最後までそんなことを言い残しながら、日向さんは手を振って去っていった。

その背中が闇に溶けて見えなくなると、また僕と曽米さんの二人きりだ。

提灯の明かりも届かない住宅街の道を、僕たちは並んで歩く。

さっきまでの騒がしさが嘘みたいに静かで、浴衣の裾が擦れる音や草むらの虫の声がやけにはっきり聞こえた。

 

僕はちらりと隣を見る。

曽米さんは金魚袋を月明かりにかざすようにして見つめていた。

中ではドレイクとホーキンスがゆらゆらと泳いでいる。

そして、不意にぽつりと呟いた。

 

「本当はね、リチャード君と二人で来たかったんだ」

 

僕の足が止まりかけた。

 

「えっ……」

 

心臓がどくんと跳ねる。

いきなりすぎて頭が追いつかない。

それってつまり――。

いろんな期待が一瞬で膨らんだ。

けれど曽米さんは、こちらを見ないまま続ける。

 

「だってこの浴衣、リチャード君が気に入ってくれるか不安だったんだもん」

 

……。

……ああ。

そっちか。

僕は内心で盛大にずっこけた。

 

(そっちかよ)

 

どうやら日向さんを呼んだのは、第三者の目を通してこの独創的すぎる星条旗柄の浴衣の評価を確かめたかったかららしい。

一瞬でも変な期待をしてしまった自分が恥ずかしい。

 

いや、でも。

それでも「二人で来たかった」って言葉自体は本心なんだろう。

だったら、ちゃんと返さないと。

僕はひとつ深呼吸した。

さっきみたいに逃げ腰になるのはもう嫌だった。

最後くらい、ちゃんと。

 

「でも僕は楽しかったよ」

 

声が少し震える。

それでも続けた。

 

「曽米さんたちとのデート」

 

言い切った瞬間、顔が熱くなる。

自分で言っておいて、ものすごく恥ずかしい。

でも誤魔化さなかっただけマシだと思う。

僕は恐る恐る曽米さんの反応を窺った。

すると彼女はきょとんと目を丸くして、首を傾げた。

 

「デート?」

 

嫌な予感がする。

そして曽米さんは、心底不思議そうに言った。

 

「私、勉強会のつもりで来たんだけど」

……。

 

頭の中が真っ白になった。

勉強会?

どこが?

 

金魚すくいして、射的でリンゴ飴撃ち抜いて、焼きそば食べて、どこに勉強要素があったんだ。

いや、たしかに曽米さんはちょくちょく歴史ネタを挟んでいた。

でもあれを勉強会と呼ぶのは無理がある。

というか、じゃあデートって何なんだろう。

僕の中のデートの定義が、ぐらぐらと音を立てて崩れていく。

そんな混乱の真っ只中で、曽米さんがふいに空を見上げた。

月が静かに浮かんでいる。

彼女はどこか満足そうに微笑んで言った。

 

「こういう時、聞きたい曲って一つしかないよね?」

 

僕は完全に思考停止していた。

何も思いつかない。

必死にそれっぽいクラシック曲を探して、なんとか口にする。

 

「……ベートーヴェンの『歓喜の歌』……とか?」

 

すると曽米さんは、やれやれと言いたげに指を左右へ振った。

 

「チッチッチ」

 

そして唐突に指で銃の形を作る。

そのまま僕へ向けて、ねっとりとした発音で告げた。

 

「アイネ・クライネ・ナハト・ムジーク」

 

ぱんっ、と撃つ真似まで添えて。

言い終えると、曽米さんは満足げにくるりと踵を返した。

 

「じゃあまた明日ね、リチャード君」

 

「え、ちょ、待っ――」

 

呼び止める間もなく、彼女は夜道の向こうへ消えていった。

僕はぽつんとその場に取り残される。

頭の中には「アイネ・クライネ・ナハト・ムジーク」という単語だけがぐるぐる回っていた。

慌ててスマホを取り出して検索する。

表示された訳を見た瞬間、僕は固まった。

 

――「小さな夜の曲」。

 

夜。

この帰り道。

そしてさっきのあの意味深な言い方。

もしかして、何か含みがあったんじゃ……。

僕は顔を上げた。

もう曽米さんの姿はどこにもない。

問い質そうにも、遅すぎた。

ただ夜風だけが静かに吹き抜けていく。

……結局、今日も最後まで曽米さんの真意は分からないままだった。




①セオドア・ルーズベルト
アメリカ合衆国大統領。
日露戦争を仲介し「ポーツマス条約」締結に導く。後の大統領となるフランクリン・ルーズベルトは従兄弟にあたる。

②ハプスブルク
ヨーロッパに絶大な影響力を誇示した名家。
神聖ローマ帝国皇帝位を世襲し、オーストリア=ハンガリー帝国となってからも権威を保持し続けたが、ナショナリズムの高揚と第一次世界大戦の敗北により失墜した。

③ウィリアム・テル
スイスに存在したとされる独立運動の伝説的英雄。
ハプスブルク家の苛烈な統治に反抗し、独立闘争の指揮官として民たちを率いたとされる。

④ベートーヴェン
ドイツの作曲家。
「運命」「英雄」「交響曲第九番」など。
「交響曲第九番」は「第九」とも呼ばれ、「歓喜の歌」として知られる。

⑤アイネ・クライネ・ナハト・ムジーク
ドイツの音楽家モーツァルトが作曲。
直訳すると「小さな夜の音楽」。
愛する人のために演奏する代表的なセレナーデの1つ。
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