曽米さんの『世界史』愛が強すぎる!   作:公私混同侍

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華麗なる一族? 前編

 

シルバーウィークが終わってからの数週間は、本当に慌ただしかった。

連休明け早々に小テストがあり、その対策に追われたかと思えば、すぐに十月の中間テストがやってくる。

気が休まる暇もないとはまさにこのことだった。

それでも今回は、思っていたよりずっと手応えがあった。

山登りの日以降、不思議と集中力が増した気がする。

机に向かうたび、目の前には白いワンピース姿の伊藤と、山頂でセシル・ローズポーズを決める曽米さんの写真が並んでいて、それが妙なプレッシャーになっていたのかもしれない。

 

――この二人に呆れられない程度には頑張ろう。

 

そんなことを無意識に考えていた気がする。

結果として、小テストも中間テストも無事に乗り切れた。

返却された答案を見て、僕は胸を撫で下ろす。

突出して良いわけではない。

でも、少なくとも悲鳴を上げるような点数ではなかった。

特に社会科目以外の教科は、以前の僕なら考えられないくらい安定していた。

たぶん曽米さんの歴史講義と伊藤の教え方が、なんだかんだで頭に染みついていたんだろう。

安堵すると同時に、学校全体は次の大きなイベントへ向けて一気に浮き足立っていた。

文化祭だ。

廊下ではクラス企画の話し合いがそこかしこで行われ、教室にはどこかそわそわした空気が漂っている。

勉強から解放されたばかりの僕にとって、その空気はやけに眩しく感じられた。

そんなある日の昼休み。

僕はいつものように昼食のため席を移動しようとして、曽米さんが一つだけ違和感に気づく。

大堤君がいないことに。

 

「あれぇ?」

 

思わず辺りを見回す。

でもやっぱり姿はなかった。

その理由はすぐにわかった。

 

「風邪を引いたらしいよ」

 

僕は悟られないようあっさり言う。

けれどその口調に、曽米さんはまるで信じていない。

実際、僕たちは知っている。

今日は人気シリーズの新作ゲーム発売日だった。

そして大堤君には、一年の頃から“どうしても休みたい日には仮病を使う”という悪癖がある。

以前、本人がどこか誇らしげに語っていたのを覚えている。

 

『学び舎なんてもの、一日くらい休んでも人生は変わりますまい。それより初日プレイの方が肝要ですぞ』

 

あの時は半分冗談だと思っていたけれど、どうやら本気だったらしい。

仕方なく僕たちは三人――僕と曽米さん、それから伊藤で昼食を取ることになった。

いつもの場所で弁当を広げる。

大堤君がいないだけで、妙に静かだった。

あの堅苦しい人材がいないと、空気の締まり方が違う。

そんなことを思ってると、ふいに影が差した。

顔を上げると、日向さんだった。

 

「大堤君、休み?」

 

彼女がお弁当を抱えたまま尋ねる。

僕が返事をするより先に、曽米さんがにやりと笑った。

 

「あれれ?ピョートル君がいない日を狙ってたんでしょ?」

 

日向さんの眉がぴくりと動く。

曽米さんは楽しそうに続けた。

 

「柚乃、ああいうオタク全開の男の子、苦手だもんね」

 

その瞬間。

なぜかその言葉が、僕の胸にぐさっと刺さった。

 

……あれ?

 

おかしい。

言われたのは大堤君のはずだ。

なのに、妙にダメージを受けている。

たぶん僕の中にも、どこか後ろめたさがあるんだろう。

自分ではそこまで“オタク”だと思っていない。

でもゲームも漫画も好きだし、歴史の話だって最近は楽しめるようになってきた。

そういう自分の一部を、まとめて否定されたような気がしてしまったのだ。

日向さんはというと、曽米さんの言葉を強く否定しなかった。

 

「別にそういうわけじゃ……」

 

と口ごもる。

その歯切れの悪さが、逆に図星っぽく見えてしまう。

僕の気持ちはさらに沈んだ。

そんな空気を察したのか、伊藤が静かに口を開いた。

 

「大堤を擁護するつもりはないが」

 

その声はいつも通り落ち着いている。

 

「オタクという言葉で一括りにするのはどうなんだろうな」

 

彼はちらりと曽米さんを見る。

 

「そういう曽米も歴史オタクだろうに」

 

その指摘はもっともだった。

僕は内心、少しだけ救われた気がした。

けれどそこで日向さんが追撃する。

 

「まぁ似たり寄ったりよね。妃美華と大堤君って」

 

さらりと言い放ち、続けた。

 

「唯一違うのは性別ぐらいだし」

 

その一言に、曽米さんの目がすっと細くなる。

 

「なぁにぃ?それは聞き捨てならんな」

 

妙に芝居がかった口調だった。

そして曽米さんは得意げに人差し指を立てる。

 

「裸の妻を馬に跨がらせ、公衆の面前へ晒すことに興奮する男と」

 

一拍置いて、

 

「路地裏からその女の裸を覗き見ようとする男が一緒みたいではないか?」

 

……何の話だろう。

いや、たぶんまた世界史だ。

そう思った次の瞬間、伊藤と日向さんがほぼ同時に叫んだ。

 

『どっちも変態だろ!』

 

完璧なハモりだった。

その勢いに周囲の何人かが振り返る。

僕はそのやり取りを見ながら、さらに沈んでいた。

オタク。

変態。

なんだかその二つが僕の中で勝手に結びついてしまう。

別に僕はどっちでもない……はずだ。

たぶん。

きっと。

そう自分に言い聞かせながら、僕は黙々と弁当の卵焼きを口に運んだ。

なんだか今日は、いつもより少しだけ味が薄く感じた。

沈んだ空気を変えようとしたのか、それとも本当にただ話題を思いついただけなのか。

僕が卵焼きをもそもそ食べていると、不意に日向さんが口を開いた。

 

「そういえば最近、新しい家族ができたの」

 

その言葉に、僕は顔を上げた。

新しい家族。

なんだろう。

そういう言い方をされると、真っ先に思い浮かぶのは弟か妹だ。

けれど日向さんは僕たちと同い年の高校二年生だ。もし本当に兄弟姉妹が増えたのだとしたら、かなり歳が離れていることになる。

少し意外だった。

そんな僕の隣で、曽米さんはいつもの調子で食いつく。

 

「へぇー、柚乃に姉妹ができたんだ。良かったじゃん」

 

ずいぶんあっさり断定する。

でも、僕もなんとなくその方向で考えていた。

家族、と聞いて連想するのはやっぱり人間だ。

ただ、やっぱり引っかかる。

日向さんが今さらそんな話を、こんな軽いテンションでするだろうか。

僕が違和感を覚えていると、日向さんは制服のポケットを探り始めた。

そして一枚の写真を取り出す。

それを見た瞬間、すべての疑問が吹き飛んだ。

写真に写っていたのは、小さな小さなハムスターだった。

ふわふわの毛並み。

まだあどけない丸い顔。

ちょこんとした前足。

手のひらにすっぽり収まりそうなくらい小さい。

思わず声が漏れる。

 

「ハムスターの赤ちゃん?」

 

日向さんが嬉しそうに頷く。

 

「うん。ついこの前産まれたの」

 

なるほど。

そういうことか。

確かにこれは“新しい家族”だ。

というか、すごく可愛い。

写真越しでも伝わる破壊力だった。

隣で伊藤が静かに言う。

 

「獅子御が勘違いするのも当然だ。日向は自身の家族のように振る舞っていたからな」

 

その指摘に、日向さんは少し照れたように笑った。

 

「あはは、ごめんね」

 

そして写真を見つめながら、ふっと頬を緩める。

 

「赤ちゃんがあまりにも可愛いもんだから、舌たらずになっちゃった」

 

その表情は本当に優しかった。

普段はどちらかといえば落ち着いていて、少しクールな印象の日向さんだけれど、こういう顔もするんだなと思う。

それだけ可愛がっているんだろう。

和やかな空気が流れた、その時だった。

 

ごそごそ。

 

嫌な音が聞こえる。

見ると、曽米さんがなぜか制服のポケットをまさぐっていた。

僕はぴくりと肩を震わせる。

嫌な予感しかしない。

曽米さんは意味ありげに微笑んだ。

 

「私の家族もみんなに紹介しなきゃ」

 

その言葉を聞いた瞬間、僕と伊藤はほぼ同時に顔を見合わせた。

同じ予感を抱いたのがはっきりわかる。

 

――また何か仕込んでくる。

 

絶対そうだ。

問題は、今回はどんな方向で来るかだ。

古代文明か。

帝国主義か。

それとも突然の王朝ネタか。

僕が身構えていると、曽米さんは一枚のカラー写真を取り出した。

それを僕たちへ差し出す。

 

……あれ?

 

普通の家族写真だった。

曽米さんを真ん中にして、その両脇に両親らしき男女が並んでいる。

どこかの観光地で撮ったような、ごく自然な記念写真だ。

僕は内心ほっとする。

なんだ、普通じゃないか。

けれど隣を見ると、伊藤の顔が妙に歪んでいた。

まるで何かを必死に堪えているような表情。

どうしたんだろう。

僕はもう一度、じっと写真を見る。

そこで違和感に気づいた。

 

……あれ?

 

曽米さんはいつも通りだ。

でも両親の顔が、どうにも不自然だった。

輪郭や髪型は日本人らしいのに、顔だけが妙に彫りが深い。

鼻筋がやたら高く、目元もくっきりしすぎている。

まるで画像加工アプリで“外国人風フィルター”でもかけたみたいだった。

一瞬で理解する。

ああ、これもネタだ。

でも理解したうえで、僕はあえて乗ることにした。

 

「知らなかったよ」

 

わざと真顔を作る。

 

「曽米さん、日本人じゃなかったんだ」

 

すると曽米さんは待ってましたと言わんばかりに肩を震わせた。

 

「ごめんね……ずっと黙ってて」

 

声までしおらしい。

そして目元を押さえながら、

 

「私、生まれた時に捨てられたらしくて……今の両親に育てられたんだ……ぐすっ」

 

完全に作り話だった。

泣き真似までしている。

しかも涙は一滴も出ていない。

演技が雑だ。

日向さんは呆れたように半眼になり、伊藤はもはや何も言わない。

ツッコむ気力すら失ったらしい。

僕もさすがに苦笑するしかなかった。

というか、ふと思う。

その設定、もし本当にご両親の前で言ったらどうするんだろう。

「何勝手なこと言ってるの」では済まない気がする。

そんな僕の心配をよそに、曽米さんはまだしくしくと嘘泣きを続けていた。

 

「異国の血が流れてるから、私、世界史に惹かれちゃうのかな……」

 

それっぽい理由まで付け足している。

芸が細かいのか雑なのかよくわからない。

僕は弁当箱を閉じながら、しみじみ思った。

この人の頭の中は、本当にどうなっているんだろう。

曽米さんの雑な嘘泣きが続く中、教室にはなんとも言えない沈黙が落ちていた。

日向さんは半眼のまま写真を見つめているし、伊藤は完全に「付き合う価値なし」と判断したのか、黙々と弁当を食べている。

このまま自然消滅するのが一番賢い対応なんだろう。

たぶん。

 

でも、その空気がどうにも落ち着かなかった。

曽米さんに出会ってから、こういう沈黙が苦手になった。

気まずさに耐えきれなくなる。

するとふと、伊藤と目が合った。

その瞬間、彼女はほんのわずかに目を細めた。

その視線ははっきりと語っている。

 

――絶対に触れるな。

 

これ以上面倒を広げるな。

たしかにその通りだと思う。

でも、もう遅かった。

僕は気まずさをどうにかしたくて、つい口を開いてしまう。

 

「えっと……」

 

僕は写真の女性の方を指さした。

外国人風に加工されたその顔は、どこかで見たことがあるような気がする。

 

「こ、この人……マザー・テレサに似てるね」

 

言った瞬間、曽米さんの嘘泣きがぴたりと止まった。

そして何事もなかったかのように、けろっとした顔で答える。

 

「でしょ?」

 

切り替えが早すぎる。

さっきまでの涙はどこへ行ったんだ。

その豹変ぶりに軽く引きつつも、少なくとも沈黙は破れた。

すると日向さんが呆れた声を出す。

 

「マザーって言葉だけでこんな写真作ったの?」

 

そのツッコミはもっともだった。

僕も内心そう思っていた。

曽米さんは得意げに胸を張る。

 

「これも新しい愛の形だよ」

 

一拍置いて、にやりと笑う。

 

「AIの方だけどね」

 

僕は思わず写真を見直した。

なるほど。

そういうことか。

最近話題になっている生成AI。

言葉を入力するだけで画像を作れるという話は聞いたことがあったけれど、実際に見るのは初めてだった。

しかも想像以上に自然だ。

ぱっと見では本物の家族写真にしか見えない。

ここまで精巧だと、普通に騙されそうになる。

 

「すごいな……」

 

思わず感嘆の声が漏れる。

 

「最近のAIってこんなことまでできるんだ」

 

僕が素直に驚いていると、曽米さんはどこか誇らしげに頷いた。

まるで自分が技術開発したかのような顔だ。

でもそこで、僕の視線は写真の男性の方へ移った。

こちらも見覚えがある。

絶対に何かの肖像画で見た。

でも思い出せない。

現代風のシャツなんて着ているせいで、余計に脳内データベースと一致しない。

僕は眉をひそめた。

 

「この人って……誰だっけ?」

 

その瞬間、曽米さんが本気でショックを受けたような顔をした。

 

「う、嘘でしょ、リチャード君?」

 

目を見開き、胸元を押さえる。

 

「この前、教えたばかりじゃん」

 

そこまで言われると、なおさら焦る。

えっと。

どこでだ。

最近教わった歴史人物。

世界史。

外国人。

父っぽい。

……ダメだ。

頭の中に無数の髭面が浮かんでは消える。

僕は助けを求めるように伊藤を見る。

すると彼女はため息混じりに、即答した。

 

「顔つきだけならケマル・パシャじゃないか?」

 

その名前が出た瞬間、曽米さんが「あっ」と声を漏らす。

完全に正解だった。

そして悔しそうに涙目になる。

どうやら本当は僕に当ててほしかったらしい。

僕は慌てて記憶を掘り起こす。

ケマル・パシャ。

ケマル。

トルコ。

近代化。

共和国。

あっ。

「お、思い出した!」

 

僕は勢いよく言った。

 

「トルコの父って呼ばれてるんだ!」

 

正確には“トルコ建国の父”。

ムスタファ・ケマル・アタテュルク。

以前、曽米さんがオスマン帝国崩壊後のトルコ共和国について熱弁していた時に出てきた人物だ。

言えた。

ギリギリ間に合った。

僕はほっと胸を撫で下ろす。

 

けれど次の瞬間。

ひゅっ、と何かが動いた。

気づいた時にはもう遅い。

僕の弁当箱から卵焼きが一つ消えていた。

見ると、曽米さんが僕の卵焼きを箸でつまみ、そのままぱくっと口へ運んでいる。

 

「……あ」

 

僕が間抜けな声を漏らす。

曽米さんはもぐもぐ咀嚼しながら、じとっとした目で僕を見た。

 

「遅い」

 

何が。

 

「伊藤ちゃんに頼った時点で減点」

 

理不尽だった。

僕は呆然と空になった卵焼きスペースを見つめる。

あれ、今日一番楽しみにしてたやつなのに。

隣で伊藤が小さく肩をすくめた。

 

「だから触れるなと」

 

その視線はそう言っている。

たしかに。

完全に僕の判断ミスだった。

日向さんはそんな僕を見て吹き出している。

 

「獅子御君が黙っていれば、卵焼きを食べそびれることはなかったのに」

 

その通りだ。

でももう遅い。

僕は失われた卵焼きの余韻を噛みしめながら、静かに思った。

次からは、どんなに気まずくても沈黙を選ぼう。

たぶんそれが一番平和だ。




①マザー・テレサ
カトリックの修道女。
インドでの貧困者や病人を献身的に支え続けた人物として知られる。慈善活動が世界的に評価され、ノーベル平和賞を受賞した。

②ケマル・パシャ
オスマン帝国の軍人、トルコ共和国初代大統領。
第一次世界大戦後の混乱に乗じて攻め込んできたギリシャ軍に対応するため、司令官として国難に立ち向かう(ギリシャ・トルコ戦争)。ギリシャの排除に成功し、トルコ共和国建国後大統領となり国家の近代化を推し進めた。
「トルコ建国の父」。

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