曽米さんの『世界史』愛が強すぎる!   作:公私混同侍

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ヒミコの館 後編

 

曽米さんは両手で水晶玉を包み込んだまま、じっと目を閉じていた。

テントの中は静まり返っている。

揺れる蝋燭の火。

骨格標本の不気味な影。

そして曽米さんの妙に真剣な横顔。

雰囲気だけなら完全に本物の占い師だった。

いや、むしろ本物より怪しい。

やがて。

曽米さんがゆっくりと目を見開く。

 

「見える……」

 

低い声だった。

 

「見えるぞ……」

 

その言い回しだけで既に胡散臭い。

僕は思わず身構えてしまう。

すると曽米さんは、水晶を覗き込んだまま僕を指差した。

 

「リチャード君の背後に見える……」

 

一瞬、変な霊でも出てくるのかと思った。

 

「この方は――宇宙大将軍?」

 

「……宇宙……大将軍?」

 

僕は素で聞き返してしまった。

完全に意味が分からない。

急にスケールが銀河規模になった。

僕は世界史ネタだと気づけず、「絶対ふざけてるだろ」と本気で思った。

というか、もう占いでも何でもない。

しかし曽米さんは笑わなかった。

むしろ、先ほどまでの茶化した雰囲気が嘘みたいに真剣な表情をしている。

 

「名ばかりでなく、実が伴わなければ人はついてこず、壁にぶつかっても誰も助けてはくれない。獅子の心を持ったの王になりたくば――」

 

静かな声だった。

 

「もっともっと世界史を勉強しなされ」

 

その瞬間。

僕は妙に言葉を失ってしまった。

さっきまで“宇宙大将軍”とか言っていた人とは思えないくらい、急に核心を突くことを言い始めたからだ。

僕は今でも、自分に自信があるわけじゃない。

世界史だって、曽米さんや伊藤に比べればまだまだだ。

影が薄いのも昔から変わらない。

だからこそ、“名ばかりでは駄目”という言葉が、変に胸へ刺さった。

気づけば僕は小さく頭を下げていた。

 

「……ありがとうございます」

 

言った後で我に返る。

何を真面目に感謝してるんだ僕は。

さっきまで宇宙大将軍だったんだぞ?

この時間は一体何なんだ。

僕は混乱したまま、水晶玉を見つめる。

すると隣で伊藤が深々とため息をついた。

 

「もう行くぞ」

 

完全に呆れ切った声だった。

 

「こんな茶番、付き合ってられない」

 

伊藤は踵を返そうとする。

けれど。

曽米さんが静かに言葉を投げた。

 

「そこの者」

 

空気が変わる。

 

「本当にこのままで良いのか?」

 

伊藤の足が止まった。

テントの中が妙に静かになる。

伊藤は振り返らないまま、低く返す。

 

「……どういう意味だ?」

 

その声には、さっきまでとは違う硬さがあった。

曽米さんは水晶玉から目を離さない。

 

「自分を偽り続けていたら、他者からの真の評価は得られない」

 

蝋燭の火が揺れる。

 

「ありのままの姿を晒すことで、見える景色もある」

 

その言葉を聞いた瞬間。

伊藤が絶句した。

僕は思わず伊藤を見る。

さっきまで冷静だった横顔が、明らかに揺らいでいた。

唇がわずかに震えている。

目を見開いたまま、何も言えない。

その姿を見て、僕の胸がざわつく。

伊藤は以前、僕に聞いた。

 

――女子生徒と同じような格好で学校生活を送ると言ったら。

 

あの言葉。

あの真剣な表情。

全部が頭の中で繋がっていく。

僕は急に、この薄暗いテントの空気が息苦しく感じ始めていた。

テントの中に重たい沈黙が落ちる。

揺れる蝋燭の火だけが、ぼんやりと僕たちの顔を照らしていた。

伊藤はまだ立ち止まったままだ。

背中越しでも分かる。

空気が張り詰めている。

僕は曽米さんと伊藤を交互に見ることしかできなかった。

さっきまで文化祭の出し物として笑っていられた空間が、いつの間にか別物になっている。

曽米さんは静かに水晶玉を撫でながら、再び口を開いた。

 

「アダムとイヴの逸話を知っているよね?」

 

唐突だった。

けれど、曽米さんは構わず続ける。

 

「イヴは知恵を得た代償として、多くの苦しみを背負うことになった」

 

薄暗い空間の中、曽米さんの声だけが妙に響く。

 

「女として生きるということは、痛みと哀しみが伴うということ」

 

僕は意味が分からず瞬きをした。

どうして急に聖書の話になるんだ。

しかも、“女として生きる”?

伊藤へ向けられている言葉なのは分かる。

でも、その意味が上手く飲み込めない。

僕は困惑したまま伊藤を見る。

すると。

伊藤はゆっくりと振り返った。

その横顔には、さっきまでの動揺がまだ残っている。

けれど同時に。

それ以上に強い何かが宿っていた。

伊藤は曽米さんを真っすぐ見据え、静かに言い返す。

 

「君に言われずとも」

 

低い声だった。

けれど、不思議なくらい芯が通っている。

 

「覚悟なら、とうにできている」

 

僕は息を呑んだ。

その言葉があまりにも重かったからだ。

軽い冗談でも。

感情的な反発でもない。

本当に覚悟を決めた人間の声だった。

その瞬間、僕はようやく理解する。

伊藤はただ“興味本位”で言っていたわけじゃない。

制服の話も。

ありのままの姿の話も。

全部。

全部、伊藤の中では本気だったんだ。

テントの中に再び静寂が訪れる。

僕だけが、その空気についていけていなかった。

ただ。

伊藤の横顔から、どうしても目を離せなかった。

重たい沈黙を破るように、突然テントの外が騒がしくなった。

 

「お、お待ちくだされ!」

 

大堤君の焦った声が聞こえる。

 

「なりませぬぞ!あいにく先客がおられますゆえ――」

 

その直後。

別の声が被さった。

女性の声だ。

 

「覗くぐらいいいでしょ?」

 

どこか呆れたような、それでいて押しの強い口調。

聞き覚えがある。

僕が反応する間もなく、入口の布がばさっと開いた。

外から光が差し込み、一瞬だけ暗闇が揺らぐ。

 

「ここかしら?」

 

入ってきた人物が周囲を見回す。

 

「数撃ちゃ当たるって評判の占い師がいるって噂の――」

 

そこで僕は、その顔を見て思わず声を上げた。

 

「ナイチンゲール先生?」

 

しまった、と思った時にはもう遅かった。

保健医の内地先生が、じとっとした目でこちらを見る。

 

「あら、獅子御君に伊藤君じゃない」

 

「伊藤君」という言葉に僕はつい反応してしまう。

内地先生は伊藤が女性であることを知らないからだ。

そしてすぐにため息をついた。

 

「というかナイチンゲールって呼び方、やめて頂戴って言ったわよね?」

 

「す、すみません!」

 

僕は反射的に頭を下げる。

またやってしまった。

内地先生は保健室でやたら献身的に面倒を見てくれるせいで、一部生徒から半ば冗談で“ナイチンゲール先生”と呼ばれている。

でも本人はその呼び名をあまり気に入っていない。

以前も「養護教諭と看護師は別物なの」と真顔で訂正されたばかりだった。

内地先生は呆れたように肩をすくめる。

 

「それより……」

 

そう言ってから、薄暗いテントの奥へ視線を向けた。

水晶玉。

蝋燭。

骨格標本。

そして占い師姿の曽米さん。

内地先生は「あー……」と微妙な顔になる。

 

「占い師って曽米さんのことだったのね」

 

ちょっとガッカリしていた。

どうやらもっと本格的な何かを想像していたらしい。

いや、十分本格的ではあるんだけど、方向性が怪しすぎる。

すると曽米さんが、水晶玉を撫でながらゆっくり口を開いた。

 

「アダムとイヴの次は天使がやってきたか」

 

また妙に雰囲気のある言い回しだ。

 

「今日は中々騒がしい一日だが、まぁよい」

 

僕は心の中で即座にツッコむ。

 

――今日しかやってないじゃん。

さも毎日この預言所を開いてるみたいに言わないでほしい。

曽米さんは続ける。

 

「内地先生は婚期を占いに来たのかね?」

 

「ぶっ」

 

危うく吹き出しかけた。

直球すぎる。

しかも教師相手に。

内地先生は呆れた顔で額を押さえる。

 

「勝手に婚期を占わないで頂戴……」

 

そこまではいつもの調子だった。

けれど次の瞬間、少しだけ遠い目をする。

 

「……けれど、図星ではあるのよね」

 

その言葉に、僕と伊藤は同時に固まった。

まさか認めるとは思わなかった。

曽米さんだけが「ふっ」と意味深に笑っている。

そしてテントの空気は、再び妙な方向へ進み始めていた。

内地先生が困ったように笑った、その直後だった。

曽米さんが突然、水晶玉へ両手をかざす。

 

「見える……」

 

いや、まだ了承取ってないよね?

僕がツッコむ暇もなく、曽米さんは勝手に占いを開始していた。

 

「見えるぞ……」

 

薄暗いテントの中。

揺れる蝋燭。

怪しげな音楽。

完全に空気へ飲まれたのか、内地先生もいつの間にか真面目な顔になっている。

そして。

 

「理想はそうね、年収一千万以上」

 

急に現実的だった。

 

「身長百八十は最低でも欲しいわ」

 

条件が高い。

 

「料理ができて、年下で――」

 

止まらない。

内地先生は完全に“理想の男性像発表会”を始めていた。

ここ結婚相談所じゃないんだけど。

僕は隣の伊藤を見る。

伊藤も半ば呆れたような顔をしていた。

というか、さっきまでの重たい空気が嘘みたいだ。

何なんだこの空間。

すると曽米さんが、水晶を覗き込みながら静かに口を開く。

 

「その条件での結婚は臥薪嘗胆……失敬、前途多難」

 

「うっ」

 

内地先生が露骨にダメージを受ける。

だが曽米さんは容赦しない。

 

「だが、妥協すれば身近に……」

 

内地先生が机へ身を乗り出す。

 

「妥協すれば?」

 

曽米さんはゆっくりと言った。

 

「日本史を教え」

 

僕と伊藤の脳裏に、同じ人物が浮かぶ。

 

「癖の強い喋り方をし」

 

確定だ。

 

「タコ焼きをこよなく愛する男が寄ってくるであろう」

 

末長先生だった。

どう考えても末長先生だった。

僕と伊藤は思わず顔を見合わせる。

しかし。

当の内地先生は、本気で分かっていないらしい。

 

「そんなソース顔の人、近くにいたかしら?」

 

しかもなぜか僕たちへ助けを求めてきた。

やめてほしい。

これを説明するのはかなり危険だ。

沈黙が流れる。

すると伊藤が、すっと目を細めた。

そして皮肉交じりに発音良く呟く。

 

「レ・ミゼラブル」

 

「え?」

 

内地先生が首を傾げる。

 

「レ・ミゼラブル?」

 

僕は思わず続けてしまった。

 

「ああ無情……」

 

言った瞬間、しまったと思った。

内地先生の眉がぴくりと動く。

 

「ちょっと」

 

嫌な予感しかしない声だった。

 

「それどういう意味?」

 

僕と伊藤は同時に視線を逸らす。

 

「先生をからかわないで教えなさいよ?」

 

内地先生がじりっと距離を詰めてくる。

 

「ねぇってば!」

 

もう駄目だ。

これは面倒な流れになる。

僕と伊藤は無言で頷き合う。

そして次の瞬間。

僕たちは一斉にテントを飛び出した。

 

「ちょ、待ちなさい!」

 

背後から内地先生の声が飛んでくる。

廊下へ出た僕たちは、そのまま全力で走った。

文化祭の喧騒の中を駆け抜けながら、僕は思う。

――今日は本当に、情報量が多すぎる。

 




①侯景
中国南北朝時代の武将。
南朝に対して反乱を起こすも、権謀の限りを尽くし苛烈な統治もあって部下に殺害された。
宇宙大将軍を自称した。

②旧約聖書
ユダヤ教の聖典。
古代イスラエルの神話や歴史をまとめた書物。
天地創造、アダムとイヴ、出エジプトなどの祖先の物語が記されている。
キリスト教(新約聖書)やイスラム教(コーラン)との間には多くのルーツを持つ。

③三国干渉
日清戦争で勝利した日本は「下関条約」により遼東半島を得た。しかし、日本の進出を警戒したロシア・ドイツ・フランスは外交圧力をかけ遼東半島を返還させることに成功する。
日本政府は国民の反発心を利用し、「臥薪嘗胆」をスローガンに掲げ、軍備拡張競争に参入することになった。

④レ・ミゼラブル
フランスの小説家ユーゴーによる歴史小説。
刑期を終え出所した主人公を軸に、激動のフランス革命期の人々を描いた物語。
日本では「ああ無情」というタイトルで出版された。
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