曽米さんの『世界史』愛が強すぎる!   作:公私混同侍

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コピー機の魔術師

 

体育祭まで、あと二週間。

放課後の図書室には僕と曽米がいる。

一年生の時から始まった「世界史講義」はもはや日常の一部になっていた。

 

窓から差し込む夕陽。

静かな空気。

ページをめくる音だけが時折響く。

僕の前には世界史のノートと問題集。

そして向かいには曽米さん。

最初は“勉強を教えてもらう”という感覚だったはずなのに、最近ではこうして一緒にいる時間そのものが当たり前になりつつあった。

……とはいえ。

勉強内容は世界史限定だけど。

僕は問題集から顔を上げ、ふと去年の体育祭を思い出した。

 

「前回の騎馬戦、覚えてる?」

 

曽米さんは「ん?」と顔を上げる。

 

「曽米さんの奇策で勝てたんだよ」

 

あの時は本当に驚いた。

まさか天候まで利用するとは思わなかった。

 

「その後は策を見破られて、あっさり負けちゃったけど」

 

すると曽米さんは、どこか照れくさそうに笑う。

 

「えへへ」

 

その笑い方が少し子供っぽい。

 

「あれは当日の天気を見て思いついただけだから」

 

そして机に頬杖をつきながら続けた。

 

「今回は根本的な部分から作戦を練らないと、勝ち抜くには難しいよねぇ」

 

完全に参謀の顔だった。

僕は苦笑しながら言う。

 

「いや、曽米さんが騎馬戦やるわけじゃないから……」

 

すると。

曽米さんの表情が、ほんの少しだけ曇った。

 

「……私がいたら」

 

小さな声だった。

 

「リチャード君の邪魔になるってこと?」

 

僕は思わず動揺する。

 

「ち、違うよ!」

 

声が裏返った。

図書室なのに。

慌てて周囲を見回すが、幸い誰もこちらを気にしていない。

僕は小声になりながら続けた。

 

「僕はただ……」

 

言葉がうまくまとまらない。

でも、誤解されたままなのは嫌だった。

 

「曽米さんがそばにいてくれるだけで嬉しいから」

 

言った瞬間。

しまった、と思った。

何を言ってるんだ僕は。

あまりにも恥ずかしすぎる。

案の定、曽米さんは目をぱちぱち瞬かせた後、みるみる顔を赤くしていく。

耳まで赤い。

僕の心臓が一気に跳ね上がる。

 

「ご、ごめん……!」

 

僕は慌てて俯いた。

 

「また変なこと言っちゃって――」

 

すると。

曽米さんが小さく呟く。

 

「……別に変じゃないよ」

 

その声は、図書室の静けさに溶けるくらい小さかった。

けれど。

僕の耳には、妙にはっきり聞こえてしまった。

僕は顔を上げられない。

曽米さんも黙ったままだ。

僕は心臓の音を誤魔化すように咳払いした。

図書室は静かだ。

窓の外から聞こえる運動部の掛け声だけが、やけに遠く感じる。

曽米さんはまだ少し頬を赤くしている。

その姿を見ていると、さっきの言葉の続きをどうしても言いたくなってしまった。

今なら。

今なら言える気がした。

僕は意を決して口を開く。

 

「曽米さん……もし騎馬戦で優勝したら、僕と――」

 

しかし。

曽米さんは途中で不思議そうに首を傾げた。

 

「リチャード君、忘れちゃった?」

 

「……え?」

 

僕は間抜けな声を漏らす。

その瞬間。

脳裏に、一年前の記憶が蘇った。

 

――『私、告白される時、偉人の名言をアレンジしたものじゃないと、答えたくないんだ』

 

――『その偉人を私が当てられたら、付き合うって決めてるの』

 

完全に忘れてた。

僕は顔から血の気が引いていくのを感じた。

そうだ。

曽米さん相手に普通の告白なんて通用するわけがない。

世界史を絡めないと、スタートラインにすら立てないんだった。

僕が固まっていると、曽米さんは呆れたようにため息をつく。

 

「はぁ……」

 

そして教科書を閉じ、説教モードへ入った。

 

「リチャード君、それじゃダメだよ」

 

完全に先生の口調だった。

 

「歴史から学ばない者は、同じ失敗を繰り返すんだから」

 

僕は何も言い返せない。

というか、今の状況にピッタリすぎる。

曽米さんはびしっと僕を指差した。

 

「つまりリチャード君は、私という難攻不落の要塞へ正面突破しようとしたわけ!」

 

「難攻不落って……」

 

「コンスタンティノープル並みに堅いよ?」

 

そんな誇らしげに言わないでほしい。

僕が頭を抱えていると、曽米さんは少しだけ口元を緩めた。

 

「でもまぁ」

 

その声音が柔らかくなる。

 

「ちゃんと挑もうとしてくれたのは、ちょっと嬉しかったけどね」

 

僕は思わず顔を上げた。

曽米さんは視線を逸らしながら、参考書の端を指で弄っている。

耳が少し赤い。

その姿を見た瞬間。

僕の胸がまた大きく跳ねた。

 

夕陽が沈み外は薄暗くなる。図書室は僕と曽米さんだけだ。

僕が未だに“偉人の言葉アレンジ告白”という高難易度ミッションについて頭を抱えていると、図書室の扉が静かに開いた。

一人の先生が入ってくる。

僕は反射的に姿勢を正した。

その先生は僕たちに目もくれず、何かを探すように図書室の中を見回している。

やがてコピー機を見つけると、そそくさと近づき、抱えていた大量のプリントをセットし始めた。

 

ガガガガ……。

 

静かな図書室に機械音が響く。

すると。

曽米さんの目が輝いた。

嫌な予感がする。

そして次の瞬間、曽米さんは席を立ち、その先生の元へ一直線に駆け寄っていった。

 

「出たな!」

 

図書室中へ響きそうな勢いだった。

 

「聖海高校のグーテンベルクこと、コピー機の魔術師!」

 

先生はピクリと眉を動かす。

糸のように細い目。

どこか鋭い雰囲気。

古文と漢文を担当する――宋金清明(そうがね きよあき)先生だ。

純粋な日本人らしいけれど、十五歳まで中国で暮らしていた影響で、日本語のイントネーションや言葉遣いが独特だった。

そして何より。

口がかなり悪い。

宋金先生はコピー機から顔を上げ、呆れたように言う。

 

「なんダ、曽米か」

 

低い声だった。

 

「先生のこと、そんな風に呼ぶの貴様だけだゾ」

 

そして細い目をさらに細める。

 

「舐めてんのカ?」

 

普通の生徒なら怯みそうな圧だった。

けれど曽米さんは全く動じない。

むしろ友達に話しかけるみたいな調子で続ける。

 

「そんなわけないじゃん」

 

軽い。

教師への態度とは思えないくらい軽い。

 

「でも先生って、いつもコピー機にいつもいるイメージなんだよねぇ」

 

確かに、たまに廊下でもコピー用紙の束を抱えて歩いている姿を見かける。

 

「いつもたくさんの用紙持ち歩いてるけど、授業で配ってたっけ?」

 

すると宋金先生は、コピーされた紙を揃えながら鼻を鳴らした。

 

「これは先生が日本語を勉強するために使うんダ」

 

「え?」

 

僕は思わず反応してしまう。

日本語を勉強?

宋金先生は日本語教師でもできそうなくらい古文知識が豊富なのに。

宋金先生はプリントを軽く叩き揃えながら続けた。

 

「貴様らみたいな生徒はノートがあるだロ」

 

「先生は要領悪いから紙に書かないと忘れるんダ」

 

その言い方は乱暴なのに、どこか自虐的だった。

曽米さんは「へぇ~」と感心したように頷く。

 

「でも先生、漢文の授業中に“日本語は難しくてわからン”ってよく言ってるよね」

 

宋金先生は真顔で返した。

 

「難しいに決まってるだロ」 

 

即答だった。

 

「同じ読み方なのに意味の違う漢字多すぎるんダ」

 

「それは確かに……」

 

僕は少し納得してしまう。

宋金先生は曽米さんの隣に立っていた僕に気づくと、コピー機から顔を上げた。細い目がぎろりとこちらを捉える。

 

「貴様は確か、『眠れる獅子』を声高に叫んでいた獅子御だったナ?」

 

したことない。

僕は即座に心の中で否定した。むしろ授業中にうたた寝していたことを、曽米さんが勝手に誇張しただけである。だが宋金先生に訂正を入れると話が長くなる。以前、「獅子とは本来群れで狩りをする生き物ダ」という雑学講義を二十分ほど聞かされたことがあった。僕は学習している。

 

「宋金先生、どうしてわざわざ図書室に来てまでコピーを使ってるんですか?職員室にもありましたよね?」

 

僕が話題を変えると、宋金先生はやれやれと言わんばかりに肩をすくめた。

 

「感の悪い生徒は嫌いだゾ。職員室のコピー機が壊れちまったんだヨ。誰かが濡れた用紙をセットしてたらしくて、中で詰まっちまったようダ」

 

なるほど、と僕は頷く。確かにコピー機は紙詰まりを起こすと厄介そうだ。すると横で聞いていた曽米さんが、得意げに人差し指を立てた。

 

「蔡倫だったら一から紙を作ってくれたのにね」

 

いや、紙を一から作るって効率悪すぎない?。

僕が心の中で突っ込む間もなく、宋金先生は額に青筋を浮かべた。

 

「その時代にコピー機はおろか活版印刷もないだロ!曽米の脳みそはコンクリート並みに凝り固まっているようだナ!」

 

怒鳴られているはずなのに、曽米さんはなぜか嬉しそうに頬を緩める。

 

「えへへ、褒めても無駄だよ。コンクリートなんて火薬があれば吹き飛ばせちゃうよ〜だ」

 

たぶん褒められてはいない。

というか、なんで曽米さんはそんなに嬉しそうなの。

コピー機が最後の一枚を吐き出すと、宋金先生は大量の用紙を乱暴に抱え込んだ。紙の束はかなりの重量らしく、先生の腕がわずかに沈む。

そして僕たちを見渡しながら、当然のように言った。

 

「何か言うことがあるだロ」

 

その言い方は、もはや質問ではなく誘導尋問だった。

すると曽米さんが、ぱっと顔を上げる。

 

「えー、方向音痴だから職員室まで案内しろってこと?しょうがないなぁ、確か上履きの中に羅針盤が……」

 

そう言って本当に上履きを脱ごうとし始めた。

何故そこに羅針盤が入る?

というか、今必要なのは羅針盤じゃなくて方位磁針では?

僕は脳内で訂正したが、ここで真面目に指摘したところで曽米さんの勢いが加速するだけだ。僕は賢明にも黙ることにした。

だが宋金先生は曽米さんの奇行を完全に視界から消し去ると、鋭く僕を睨んだ。

 

「オイ、獅子」

 

「えっ、僕のことですか?」

 

「貴様しかいないだロ。先生に何か言うことがあるんじゃないカ?」

 

どうやら正解を言うまで帰れないタイプのイベントらしい。

僕は少し考え、無難そうな答えを口にした。

 

「用紙持つの手伝いましょうか?」

 

すると宋金先生は満足げに鼻を鳴らす。

 

「獅子は気が利くナ。頭でっかちな曽米と違っテ」

 

その瞬間、上履きを半分脱いでいた曽米さんがぴたりと止まり、眼鏡をくいっと押し上げる動作をした。

 

「やれやれ、これだからプロレタリアートは……」

 

たぶん言いたいだけで使っている。

というか、教師のことを一介の学生風情がプロレタリアート呼ばわりしていいのだろうか。

僕がそんなことを考えていると、宋金先生は数秒ほど無言になった。そして次の瞬間から、まるで曽米さんという存在がこの世界に存在していないかのように振る舞い始めた。

 

「獅子、こっち持て」

 

「あ、はい」

 

完全無視である。

曽米さんは「むっ」と頬を膨らませていたが、宋金先生は一切視線を向けない。その後も宋金先生は僕たちが卒業の日を迎えるまで、曽米さんの存在そのものをなかったことにする徹底ぶりであった。

 




①コンスタンティノープル
現在のトルコの首都イスタンブールの旧名。
ビザンツ帝国(東ローマ帝国)の首都として1000年間君臨した城塞都市である。
皇帝コンスタンティヌス1世が都市の整備をしたことが由来。

②活版印刷
ドイツの印刷技師グーテンベルクが発明した技術。
貴族や聖職者ではない人々が安価で書物を手に入れることができるようになり、ルネサンスや宗教改革の原動力となった。

③蔡倫
後漢の宦官。
製紙法を改良し普及させた人物。
「火薬」「羅針盤」「活版印刷」をあわせて中国四大発明とも呼ばれる。

④火薬
中世の戦争の中心であった騎士や城壁などを用いた戦術や戦略に変革をもたらし、中世から近世への移り変わりを象徴する発明でもあった。

⑤羅針盤
磁石の性質を利用して方角知ることができ、大航海時代から植民地時代で存在感を発揮。
世界の一体化を促進する役目を果たした。

⑥プロレタリアート
自ら利益を生み出す手段を持たないが、自らの労働力を売ることで対価を得る人々を指した言葉。
「労働者階級」と呼ばれる。対義語は「ブルジョワジー(資本家階級)」。
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