曽米さんの『世界史』愛が強すぎる!   作:公私混同侍

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奔走する策士、飛舞する軍師 その1

 

体育祭当日。去年とは打って変わって、空には雲ひとつなかった。

グラウンドには強い日差しが降り注ぎ、白線がやけに眩しく見える。風もほとんど吹いておらず、校庭に立っているだけでじわじわと汗が滲んできた。それでも暴風と砂嵐で進行が乱れた去年よりはずっとマシだ。競技日程も驚くほど順調に進み、昼休みの時点で予定より少し早いくらいだった。

僕は教室で弁当を広げながら、午後に控えた騎馬戦のことを考えていた。

教室の中は熱気でむんとしている。あちこちで「次の競技どうする?」だの「リレーやばかった」だの騒ぐ声が飛び交っていた。

僕は向かい側でおにぎりを食べている伊藤に声をかける。

 

「今回も騎馬戦に参加するの?」

 

去年、伊藤は男子に混じって普通に騎馬戦へ参加していた。事情を知らない生徒から見れば、ただの小柄な男子生徒にしか見えないのだろう。

すると伊藤は、味噌汁の紙コップを机に置きながら淡々と言った。

 

「前回の騎馬戦が内外で評判だったらしく今年から騎馬が六騎から八騎に増えた。その影響で人数が足りないクラスが出ている。このクラスも例外じゃない。馬の人数がいても騎手が足りないならば四の五の言ってられないからな」

 

まるで徴兵制度について説明する軍人みたいな口調だった。

僕としては、伊藤が男子に混じって騎馬戦に出ること自体が少し心配だった。騎馬戦は思った以上に接触が激しい。去年も鉢巻きを奪い合う最中に転倒する騎馬がいくつかあった。

だが、そんな僕の心配をよそに、大堤君が呑気に笑った。

 

「伊藤殿は傍目から見てもオナゴには見えませんからな。戦場に立っていようともバレますまい」

 

その瞬間、教室の空気が一瞬だけ冷えた気がした。

伊藤がゆっくりと顔を上げ、大堤君をジロリと睨む。

ああ、終わった。

僕は心の中でそっと合掌した。

大堤君に悪気がないのは分かる。分かるのだが、だからといって許される発言ではない。そんなデリカシーのない言い方をされたら、どんな女の子だって怒るに決まっている。

しかし当の大堤君は、自分が地雷を踏み抜いたことに全く気づいていない顔でたくあんを噛んでいた。

僕はペットボトルのお茶を飲みながら、ふと教室の中を見回した。

騎馬戦前ということもあり、男子たちは妙に浮き足立っている。机を寄せて作戦会議をしている者もいれば、すでに鉢巻きを頭に巻いて気合い十分な者もいた。

その中で、ある人物がいないことに気づく。

 

「あれ……?」

 

僕は自然と教室の後方へ視線を向けた。朝は確かにいたはずだ。開会式の時も、曽米さんは「ローマ進軍!」とか叫びながら校庭を闊歩していたせいで、先生に注意されていた。しかし昼休みになってから、一度も姿を見ていない。

僕が周囲を探していると、伊藤がこちらをちらりと見た。

 

「『騎馬戦必勝のアイテムを取ってくる』と言ってから曽米の姿を見てないな」

 

見透かされた。

しかも“必勝アイテム”という単語に、不吉な予感しかしない。

あの人の場合、応援グッズでも作戦資料でもなく、本当に意味不明な物を持って帰ってくる可能性がある。以前も「これがあればテストに受かる」と言って持ってきたのは、なぜかマルクス・アウレリウス・アントニヌスの「自省録」だった。

すると大堤君が、どこか期待に満ちた顔で頷く。

 

「ヒミコ様の生家には虎の巻でもあるのでしょうなぁ。実に楽しみ」

 

いや、大堤君は少し警戒した方がいいと思う。

曽米さんの“楽しみ”は、大抵ろくでもない方向へ転がる。

僕は嫌な予感を振り払うように笑ってみせた。

 

「もしかして家で寝てたりして」

 

半分冗談だった。

曽米さんなら「昼食後に眠くなったのでシエスタです!」とか言いながら本当に帰宅しかねない。

だが伊藤は真顔のまま言った。

 

「そのまま明日まで目覚めなくてもいいんだがな」

 

言い方が辛辣すぎる。

しかも一切笑っていない。

僕が反応に困っていると、大堤君が乾いた笑いを漏らした。

 

「伊藤殿は口が達者でございますなぁ」

 

しかし伊藤は悪びれる様子もなく、静かにお茶を飲んでいた。

その姿は、まるで戦場で問題児の補給線が途絶えることを本気で願う軍師のようだった。

 

昼休みが終わると、校庭には再び騒がしい熱気が戻ってきた。

午後最初の競技は騎馬戦。各クラスの男子たちは鉢巻きを締め直し、気合いの入った声を上げている。僕も自分の鉢巻きを額に巻きながら、クラスの騎馬メンバーの近くへ向かった。

しかし、どうにも拍子抜けしていた。

去年は曽米さんが「ファランクス」だの「三十年戦争」だの、よく分からない作戦を大量に持ち込んできたせいで、騎馬戦前はちょっとした軍議みたいになっていた。

だが今年は特に何もない。

まさか本当に普通に戦うのだろうか。

僕が少し残念に思っていると、背後から聞き慣れた声が飛んできた。

 

「リチャード君!」

 

僕は振り返る。

 

「曽米さん、どこ行ってたの?みんな心配して……ってそれ何?」

 

言葉の後半は、自然と小さくなった。

僕の視線は、曽米さんが背負っている巨大なリュックに釘付けになっていたからだ。

登山でもするのかと言いたくなるほど膨らんでいる。

曽米さんは得意げに胸を張った。

 

「持ってきたのさ!盛りだくさんの必勝アイテムをね!」

 

不穏な予感しかしない。

そしてその予感は、次の瞬間に現実となった。

曽米さんはリュックをごそごそ漁ると、中から巨大な毛玉みたいな物体を引っ張り出した。

 

「……それって、猫の着ぐるみ?」

 

僕は思わず真顔で聞き返していた。

しかもただの猫ではない。妙に毛並みが豪華だ。ふわふわしている。顔も無駄に愛嬌がある。

どう見てもペルシャ猫だった。

周囲の男子たちが一斉に固まる。

そんな中、曽米さんだけは平然としていた。

 

「そうだよ。これをリチャード君が着て騎馬戦に臨めば必勝間違いなし!」

 

何故そうなる。

僕の脳内では説明を求める声が乱舞していたが、曽米さんは一切説明する気がないらしい。

すると大堤君が目を輝かせた。

 

「おお……!まさか心理戦ですかな!?敵軍を油断させる巧妙な策略……!」

 

違う気がする。

いや、たぶん絶対違う。

一方、伊藤は露骨に眉をひそめていた。

 

「待て。視界が悪くなるだろう。それに転倒した場合、大堤たちにも危険が及ぶ。獅子御の動きも鈍くなる」

 

全面的に正論だった。

 

「そもそも暑くて騎馬戦どころではなくなる、それに熱中症になったらどうする?」

 

「大丈夫!猫は砂漠でも生きられるから!」

 

「ペルシャ猫は砂漠で野生生活してないだろ」

 

伊藤の即答が鋭い。

僕も心から同意した。

だが問題はそこではなかった。

 

「必勝」という単語に、周囲の男子たちが妙に反応してしまったのである。

 

「確かに目立つな……!」

「敵が動揺するかもしれないぞ!」

「一年の時にいたクラス、去年一回戦負けだし今回こそは勝ちたい……!」

 

なぜか空気が“アリ”寄りになっていく。

僕は嫌な汗をかき始めた。

 

「いや、ちょっと待っ――」

 

「獅子御!頼んだぞ!」

「クラスの勝利のためだ!」

「ペルシャ猫将軍!」

 

将軍に昇格してしまった。

気づけば僕は数人がかりで着ぐるみを押し付けられていた。

伊藤は最後まで止めようとしてくれていたが、多勢に無勢だった。

そして数分後。

僕は灼熱のグラウンドで、ペルシャ猫の着ぐるみを着たまま騎馬の上に乗っていた。

人生とは、時として意味が分からない方向へ進むものらしい。

 

開始の号砲が高らかに鳴り響いた。

グラウンドのあちこちで、一斉に騎馬が動き出す。砂埃が舞い、歓声が飛び交う。普通ならここで敵騎馬が一直線に突っ込んでくるはずだった。

 

しかし――。

 

「あれ?」

 

僕はペルシャ猫の頭部越しに、相手クラスの様子を見て違和感を覚えた。

来ない。

誰も突撃してこない。

敵騎馬たちは一定の距離を保ったまま、こちらを見てざわついているだけだった。

着ぐるみのせいで視界は狭いし暑いしで最悪なのだが、それでも異様な空気なのは分かる。

騎馬を支えている伊藤が低い声で言った。

 

「妙だ……これも曽米の仕業か?」

 

伊藤の声には本気の警戒感が滲んでいた。

去年、曽米さんの無茶な作戦に付き合わされた結果、「相手も奇策を警戒する」という悪しき前例ができてしまっているのかもしれない。

 

「左右から挟撃する気かもしれない。獅子御、周囲に気を配れ――」

 

だが伊藤の分析は、次の瞬間に女子たちの歓声でかき消された。

 

「あの猫の着ぐるみ、メチャクチャ可愛くない?」

「ウソ!?私、猫派だからあのクラス応援しちゃう!」

「騎馬戦に着ぐるみってルール違反じゃないの?」

 

観客席から黄色い声が飛び交う。

しかも困ったことに、その声はどんどん増えていった。

 

「ちょっと写真撮りたい!」

「何あれ反則級なんだけど!」

「猫が揺れてるの可愛い!」

 

僕は着ぐるみの中で遠い目になった。

何なんだこれは。

騎馬戦のはずだよな?

しかも、その歓声の中には聞き覚えのある声まで混ざっていた。

 

「わっ、すごい!ネコちゃんだ!」

 

日向さんだった。

僕は思わずそちらを見てしまう。

日向さんは観客席からこちらに手を振っていた。純粋に楽しそうである。

すると相手クラスの騎手たちが、露骨に困った顔をし始めた。

 

「お、お前行けよ……」

「いや無理だろ、あれ倒したら悪役じゃん……」

「俺たちのクラスと関係のない女子たちまでめっちゃ睨んでるし……」

 

完全に空気がおかしくなっている。

しかもこちらのクラスメイトたちまで調子に乗り始めた。

 

「いけぇ!ペルシャ将軍!」

「猫軍団突撃だ!」

「我らがマスコット!」

 

僕はもう帰りたかった。

だが結局、相手クラスは最後まで積極的に攻めてこなかった。

着ぐるみ姿の僕を倒して女子から非難される未来を恐れたのか、それとも純粋に勢いを削がれたのかは分からない。

ただ結果だけを言えば、僕たちのクラスは驚くほど呆気なく勝利した。

試合終了の笛が鳴る頃には、僕は暑さで軽く意識が遠のきかけていた。

 

一回戦終了後、僕は騎馬から降ろされると、その場でぐったりしていた。

暑い。

とにかく暑い。

ペルシャ猫の着ぐるみは想像以上に保温性能が高かった。なぜ体育祭でこんな防寒具を装備しなければならないのか。僕の中で人類文明への疑問が芽生え始めていた。

そんな僕をよそに、曽米さんはどこか誇らしげだった。

 

「この高校の女子の七割は猫派なんだよね。まあ私はアケメネス朝ペルシアがエジプト王朝を倒した戦いを再現したかっただけなんだけど」

 

たぶんペルシウムの戦いのことだろう。

確か古代ペルシア軍が、エジプト人の猫信仰を利用したという逸話が残っている戦いだ。

つまり僕は、歴史再現のために猫にされたらしい。

大堤君は感極まった顔で頷いていた。

 

「おお……!単なる仮装ではなく、そこまで計算された戦術だったとは……!」

 

いや、結果的に成功しただけで、かなり危険な賭けだったと思う。

僕は着ぐるみの頭を半分脱ぎながら、ただ項垂れるしかなかった。

もう二度とこんな目に遭いたくない。

その一心だった。

すると隣で伊藤が腕を組みながら呟いた。

 

「猫より犬の方が扱いやすいと思うが?」

 

その言葉に曽米さんがぴくりと反応する。

 

「それってリチャード君を自分の意のままにしやすいってこと?」

 

一瞬で空気が変わった。

伊藤の顔がみるみる赤くなる。

 

「そ、そんなことは言っていない!曽米はそうやって恣意的に発言を切り取る性根の腐った女だ!」

 

語気が強い。

だが曽米さんは全く気にした様子もなく、胸を張った。

 

「私は猫派だけどね!」

 

そして次の瞬間。

曽米さんは、着ぐるみを脱ぎかけていた僕に勢いよく抱きついてきた。

 

「うわっ!?」

 

ふわふわした猫の毛皮越しに、曽米さんの体温が伝わってくる。

僕は完全に不意を突かれ、危うく後ろへひっくり返りそうになった。

 

「ちょ、曽米さん!?暑い暑い!」

 

「ペルシャ猫は抱き心地が重要なんだよ!」

 

意味が分からない。

一方、その光景を見た伊藤は完全に固まっていた。

数秒後。

 

「……離れろ」

 

低い声だった。

だが曽米さんは全く動じない。

 

「えー?」

 

「離れろと言っている!」

 

伊藤の声音には、もはや隠しきれない苛立ちが滲んでいた。

周囲の男子たちは、そのやり取りを静かに眺めていたが――やがて全員が同じような目で伊藤を見始めた。

 

冷たい。

とても冷たい視線だった。

 

「……」

 

「……」

 

「……」

 

言葉はない。

だが空気が語っている。

 

“嫉妬してるな”と。

 

伊藤はその視線に気づくと、更に顔を赤くしていた。




①ローマ進軍
ファシストの中心人物であったムッソリーニが政権獲得のために起こしたクーデター。

②マルクス・アウレリウス・アントニヌス
ローマ帝国皇帝。「五賢帝」の一人。
哲学者としての一面も持ち合わせ、「自省録」は現代にも通用する文言が数多くあり、自分自身を律するための心得が記されている。

③アケメネス朝ペルシア
現在のイランを中心とした大帝国。
エジプト、バビロニア、ギリシアなどを征服し、独自の文化と経済圏を発展させた。エジプトとの戦争ではエジプト人の猫への信仰心を利用し、盾にして戦い勝利を収めた(ペルシウムの戦い)。
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