曽米さんの『世界史』愛が強すぎる!   作:公私混同侍

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奔走する策士、飛舞する軍師 その5

 

僕たちは横一列になってスタート位置についた。

僕の騎馬だけやたら高い。伊藤の目線が上を向いていたからだ。

僕の騎馬は大堤君を先頭に右後ろが末長先生、左後ろが宋金先生で構成されている。馬だけ見たら巨人連隊だ。

その目線の先には、決勝の相手クラスの騎馬がずらりと構えていた。

校庭を包む歓声もざわめきも、開始直前になると不思議と遠く聞こえる。

代わりに聞こえてくるのは、すぐ近くにいる馬役たちの荒い呼吸と、足元の土を踏みしめる音だった。

僕は騎馬の上から相手陣営を見る。

そして、思わず息を呑んだ。

……相手が、明らかに動揺していた。

 

目を丸くしている者。

口を半開きにして固まっている者。

指をさしながら何か叫んでいる者。

 

無理もない。

目の前には、額に「伊藤」と書かれた騎手たちが何人も並んでいる。

 

サングラスの伊藤。

口髭の伊藤。

坊主頭の伊藤。

眼帯の伊藤。

顔じゅう落書きされた伊藤。

 

どう考えても異様な光景だった。

その中心にいた那智君と目が合う。

那智君は険しい顔で僕たちを見渡していた。

距離があって声までは聞こえない。

けれど、口の動きだけではっきりわかった。

 

――本物の伊藤はどこだ?

 

僕は思わず口元が緩みそうになる。

やっぱり。

伊藤を真っ先に狙うつもりだったんだ。

それは那智君らしい判断でもあった。

要を潰せば勝てる。

だからまず大将首を獲る。

そのために伊藤を探している。

……でも。

今日の伊藤は、ひとりじゃない。

 

パンッ――!!

 

開始の号砲が校庭に鳴り響いた。

その瞬間だった。

僕たちは示し合わせたように、同時に腹の底から声を張り上げた。

 

『俺が伊藤枢だぁッッッ!!!』

 

地面が揺れるほどの大声だった。

自分でも喉が潰れそうなくらい叫んだ。

周囲から悲鳴とも歓声ともつかないどよめきが起こる。

そして僕たちの騎馬が、一斉に前へ飛び出した。

 

「うおおおおおっ!!」

 

土煙が舞う。

僕の体が上下に激しく揺れる。

馬役のみんなの足音が地面を叩き、前へ前へと押し出される。

怒涛の勢いで迫る僕たちに、那智君たちはほんの一瞬、反応が遅れた。

わずかな躊躇。

誰を狙うべきか迷った、その一瞬。

でもさすがだった。

すぐに隊列を立て直し、真正面からぶつかってくる。

騎馬と騎馬が激突した。

鈍い衝撃が体に響く。

肩が揺れる。

歯が鳴る。

 

「っ……!」

 

僕はとっさに鉢巻きを押さえた。

相手は強い。

体格も上。

運動能力も高い。

正面からぶつかれば、明らかに不利だった。

それでも――

僕たちのほうが、勢いがあった。

何より、みんな妙に楽しそうだった。

口髭をつけたまま笑っているやつ。

顔の落書きを汗で滲ませながら叫ぶやつ。

 

「俺が伊藤だ!」

「いや俺が伊藤だ!」

「こっちが本物だ!」

 

もう何の戦いかわからない。

それでも誰ひとり怯んでいなかった。

むしろこの不可解な状況そのものを楽しんでいるように見えた。

校庭のあちこちから悲鳴が上がる。

 

「えっ、誰!?」

「伊藤どこ!?」

「また伊藤いるぞ!」

「何人いるんだよ!?」

 

混乱の声。

驚きの声。

笑い声。

そして本気で伊藤を探す叫び。

それらが入り乱れて、校庭はまるで戦場みたいだった。

けれど、時間が経つにつれて、少しずつ戦況は変わっていく。

 

「取られた!」

 

誰かの声が響く。

赤い鉢巻きが宙を舞った。

またひとつ。

さらにもうひとつ。

相手も徐々に混乱から立ち直り、僕たちの動きを見切り始めていた。

仮装では、ずっとは誤魔化せない。

僕は騎馬の上で息をのみながら周囲を見渡した。

土煙の向こう。

叫び声の渦の中。

額に『伊藤』と書かれた仲間たちが、次々に敵へぶつかっていく。

でもその数は、確実に減り始めていた。

 

気づけば、校庭に残っていたのは僕と伊藤の騎馬だけだった。

さっきまで入り乱れていた仲間たちは、もういない。

額に「伊藤」と書かれた騎手たちは次々に討ち取られ、土の上に座り込んだり寝転んだりしている。

 

ヒゲの伊藤も。

眼鏡の伊藤も。

坊主頭の伊藤も。

 

みんな、戦いきった顔でこちらを見ていた。

息が苦しい。

喉が焼けるように熱い。

肩も足ももう限界だった。

けれど、不思議と悔しさはなかった。

勝ち負けなんて、もうどうでもよかった。

ここまで来たんだ。

 

せめて――

 

「あの鉢巻きだけは……!」

 

僕は荒い息のまま、伊藤を見る。

伊藤も小さく頷いた。

言葉はいらなかった。

狙うのはひとつ。

那智君の鉢巻き。

僕と伊藤の騎馬が左右に分かれ、ゆっくりと那智君を挟み込む。

那智君の騎馬もこちらを警戒して動きを変えた。

そしてその瞬間、馬役の那智君が僕たちの顔を見て目を見開いた。

 

「うぉっ――」

 

次の瞬間、大声が飛ぶ。

 

「よく見たらやっぱりリチャードと伊藤じゃねぇか!」

 

今さら!?

 

僕は思わずずっこけそうになった。

でも確かに、ここまで残っている時点で、もう隠し通せるわけがなかった。

僕を支える大堤君が前を見据えたまま低く言う。

 

「このまま黙って敗れるつもりはありませんぞ」

 

その声にはまだ力があった。

 

「一矢報いて、同志の仇取らせてもらいましょうぞ」

 

「うん……!」

 

僕も鉢巻きを押さえながら身を乗り出す。

するとそのとき。

那智君の騎馬の横から、ひょこっと見慣れた顔が現れた。

末長先生だった。

額に汗を浮かべ、息も絶え絶えで顔を上げる。

 

「ぜぇ……ぜぇ……ナッチ……ちょっとは手加減できへんのかいな……」

 

那智君が目を剥いた。

 

「ゲッ!?監督じゃないッスか!?」

 

驚きのあまり声が裏返っていた。

 

「こんなとこでヒトラーみたいなつけ髭つけてまで何してんスか!?」

 

末長先生は肩で息をしながら、即座に言い返す。

 

「誰がヒトラーやねん!」

 

校庭に響き渡る大声だった。

 

「これスターリンのコスプレやっちゅーねん!」

 

そこにさらに、反対側からもうひとつ顔がにゅっと出てきた。

宋金先生だった。

顔じゅうに描かれた黒い点が汗で滲み、もはや何を表現したのかわからない。

薄く伸びた斑点が顔面を覆っていて、かなり迫力がある。

宋金先生は那智君を指差して言った。

 

「曽米から聞いてるゾ。貴様がヒトラーの異名を持つアゴヒゲだナ?」

 

「成績を下げられたくなかったら、潔く降伏しロ」

 

その瞬間だった。

那智君の騎手も馬役も、一斉に宋金先生の顔を見た。

そして、

 

「ヒエッ」

「キモっ」

「怖っ……」

 

あまりにも率直な悲鳴が飛び交った。

那智君は騎手を支え直しながら、

 

「あのさぁ宋金先生、異名とあだ名が逆だし……」

 

さらに叫ぶ。

 

「ていうかオレはヒトラーでもねぇから!」

 

アゴヒゲは否定しないの?

そのやり取りに、校庭のあちこちから笑いが起こる。

相手も味方も関係なく、空気が一瞬だけ緩んだ。

 

――その一瞬だった。

 

伊藤が動いた。

僕が那智君の正面に意識を引きつけている間に、伊藤の騎馬が静かに背後へ回り込んでいた。

誰も気づいていない。

いや、気づけなかった。

伊藤は騎馬の上から、ゆっくり腕を伸ばす。

まるで風に触れるみたいに静かに。

指先が那智君の騎手の鉢巻きへ届く。

 

そして――

 

するり、と。

鉢巻きが抜き取られた。

 

「……あ」

 

那智君の声が漏れる。

伊藤は鉢巻きを手にしたまま、静かに告げた。

 

「悪く思うな、那智」

 

サングラスの奥で目が細められる。

 

「これも作戦なんだ」

 

その瞬間、僕たちの側から歓声が爆発した。

 

「うおおおおお!!」

「取ったぁぁぁ!!」

 

末長先生が拳を振り上げる。

宋金先生も雄叫びを上げる。

大堤君も叫んでいた。

けれど、その直後。

 

「っ……もう無理や……」

 

末長先生がその場にへたり込んだ。

 

「あぁ……限界ダ……」

 

宋金先生も崩れ落ちる。

馬役が崩れたことで、僕の騎馬も一気に傾いた。

 

「あっ――」

 

支えを失った僕は、そのまま土の上へ落ちた。

背中に衝撃が走る。

空がぐるりと回る。

土ぼこりが舞い上がった。

僕は仰向けになったまま空を見上げた。

真っ青な空だった。

しばらくして、終了の笛が鳴る。

結局、僕のクラスは全滅――優勝は那智君たちのクラスだった。

僕たちは負けた。

だけど。

僕の手の届くところで、伊藤がまだ那智君の鉢巻きを握っていた。

その姿を見て、僕は土の上で笑ってしまった。

負けたはずなのに。

どうしてだろう。

悔しいより先に、

――すごく、楽しかった。

 

決勝戦が終わると、さっきまでの熱気が嘘みたいに校庭にゆるやかな空気が流れ始めた。

土まみれになった騎手たちがあちこちで座り込み、倒れた騎馬を笑いながら起こしている。

歓声も拍手もまだ残っているけれど、もう戦いの音ではなかった。

僕は地面に座ったまま肩で息をしていた。

喉がからからで、肺が焼けるみたいに熱い。

そのとき、影が差した。

見上げると、日向さんがペットボトルの水を何本か抱えて立っていた。

 

「お疲れ様」

 

そう言って、僕たちに一本ずつ手渡してくれる。

そして僕たちの顔をぐるりと見回して、ふっと吹き出した。

 

「……って、よく見たらとんでもないコスプレ集団ね」

 

僕は自分の眼帯に触れる。

隣では伊藤がサングラスに猫ヒゲのままだった。

末長先生は眉毛と髭が半分剥がれている。

宋金先生は汗で顔の黒い点が流れ落ち、もはやホラーだった。

客観的に見れば完全に異様だった。

日向さんは呆れ半分、面白がるように言う。

 

「これも妃美華の発案なんでしょ?」

 

「……僕がすると思う?」

 

僕が答えると、伊藤も無言で頷いた。

否定できる人間はこの場にいなかった。

僕たちは日向さんから受け取った飲み物を一気に流し込む。

冷たい水が火照った体に染み渡っていく。

 

「生き返る……」

 

誰かが呟くと、あちこちで笑いが起きた。

敵も味方も関係なく、みんな疲れきっていた。

でも、その顔はどこか晴れやかだった。

互いに鉢巻きを奪い合っていた相手とも「惜しかったな」「やばかったな」と言い合いながら笑っている。

決着はついた。

でも、どちらが勝ったとか負けたとか、それ以上に残るものがある気がした。

その輪の少し外で、末長先生が悔しそうにペットボトルを握りしめていた。

 

「最悪や……」

 

大阪弁がいつもより低い。

 

「もうちょっとで内地先生の連絡先教えてもらえるとこやったのに……」

 

ものすごく悔しそうだった。

先生の悔しさの方向性だけ、最後までよくわからなかった。

その隣で宋金先生も険しい顔をしていた。

 

「チッ……」

 

珍しく本気で舌打ちしている。

 

「曽米を農奴にして、勉強を疎かにさせることで留年させる計画が水の泡ダ」

 

怖いことをさらっと言わないでほしい。

しかも計画的だった。

僕はペットボトルを持ったまま伊藤を見る。

伊藤も無言でこちらを見ていた。

たぶん、同じことを思っている。

……この先生たち、本当に大丈夫だろうか。

そのころ曽米さんはというと、少し離れた本部テントの前で完全に捕まっていた。

運営の先生。

相手クラスの男子たち。

そして腕を組んだ内地先生。

三方向から囲まれている。

 

「だから違うんだってば!」

「いや全然違わないだろ!」

「説明してもらえるかしら?」

 

曽米さんの声が校庭中に響いていた。

反論しているのか言い訳しているのか、もう聞き取れない。

でもたぶん、かなり怒られている。

僕はその様子を見て、そっと視線を逸らした。

 

「……行こうか」

 

伊藤が静かに言った。

 

「うん」

 

僕たちは顔を見合わせて頷いた。

そして誰にも気づかれないように、仲間たちと一緒にその場をそそくさと離れた。

向かった先は校舎脇の水道。

蛇口をひねると冷たい水が勢いよく流れ出る。

僕は鏡代わりの窓ガラスを見ながら顔を洗った。

黒いインクが水に溶けて流れていく。

頬の皺も。

額の「伊藤」も。

目元の汚れも。

眼帯を外し、水で濡れた顔を上げると、隣で伊藤も黙ってサングラスを外していた。

猫ヒゲが半分だけ残っていて、僕は思わず吹き出しそうになる。

 

「……何だ」

 

「いや」

 

僕は笑いを堪えながら首を振った。

 

「似合ってたよ」

 

伊藤は眉をひそめたあと、わずかにため息をついた。

水道に流れていく黒い水を見つめながら、僕は思う。

勝てなかった。

優勝も逃した。

怪我もした。

先生たちは乱入するし、みんな顔じゅう落書きだらけだし、最後まで滅茶苦茶だった。

 

でも――

 

こんな騎馬戦、きっと二度とない。

策士・曽米妃美華。

軍師・伊藤枢。

そして、それに巻き込まれた僕たちの騎馬戦は。

笑い声と土埃を残したまま、

こうして幕を閉じた。




①フリードリヒ・ヴィルヘルム1世(プロイセンの王)
プロイセン王国の前身である「プロイセンの王」の2代目。
国家財政の健全化と軍備の増強に心血を注ぐ。
長身の兵士を好み、組織された部隊を「巨人連隊」と名付け、自身は「軍隊王」と呼ばれた。
フリードリヒ2世(大王)は息子にあたる。
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