曽米さんの『世界史』愛が強すぎる!   作:公私混同侍

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口は災いの元

 

十一月も終わりに近づき、朝の空気はすっかり冷たくなっていた。

そんなある日のことだった。

朝起きた時から、僕はずっと歯の痛みに悩まされていた。

最初は気のせいかと思った。

冷たい空気でしみただけかもしれない。

そう思っていたのだが、時間が経つにつれて違和感ははっきりした痛みに変わっていく。

授業中も気になって仕方がない。

先生の説明を聞きながら、僕は何度も舌で奥歯を触っていた。

痛い。

やっぱり痛い。

少し触れるだけでも鈍い痛みが走る。

数分後にはまた確認する。

そしてまた痛む。

そんなことを繰り返しているうちに授業内容はほとんど頭に入らなかった。

黒板を見ていても意識は歯の方へ向いてしまう。

 

「これはまずいかもしれない……」

 

そう思いながらも、結局午前中の授業を乗り切った。

そして昼休み。

いつものように曽米さん、伊藤、大堤君と机を寄せて弁当を広げる。

しかし僕は弁当箱の蓋を開けたまま箸が止まっていた。

食べたい気持ちはある。

でも噛むと痛そうだった。

そんな僕の様子を見ていた伊藤がすぐに異変に気付いた。

 

「箸が進んでない」

 

鋭い。

さすが伊藤だ。

 

「歯が痛むのか?」

 

僕は苦笑しながら頷いた。

 

「まあ……ちょっと」

 

すると大堤君が心配そうな顔をした。

 

「虫歯は放置すると命を脅かすらしいですぞ」

 

「そんな大げさな……」

 

と言いかけたものの、自信がない。

確かに最近歯医者へ行っていなかった。

最近偏食気味で、自分に甘かったツケが回ってきたのだろう。

僕は小さくため息をついた。

すると。

 

「リチャード君」

 

曽米さんが優しく声をかけてきた。

僕は少しだけ期待した。

なんだかんだ言っても特別な人だ。

きっと心配してくれるのだろう。

そう思った。

本当に思った。

 

「全部歯抜いちゃえば?」

 

「……は?」

 

「それなら虫歯に怯えることもないよね」

 

名案でしょ?

と言わんばかりの笑顔だった。

僕はしばらく固まった。

理解が追いつかなかった。

虫歯対策として、ゴキブリを駆除するために家ごと燃やすような理論である。

 

「リチャード君、ほら」

 

曽米さんは楽しそうに続ける。

 

「原因を根本から取り除けば解決じゃん」

 

「それを言い出したら人類の問題は大体は解決すると思うが?」

 

伊藤がさりげなくフォローしてくれた。

痛みと呆れで頭がくらくらする。

そして思わず口から漏れた。

 

「ルイ……」

 

すると曽米さんの目が輝いた。

まずい。

歴史用語に反応した。

 

「ルイ十四世がどうかしたの!?」

 

食いつきが異常に早い。

 

「ねぇ、リチャード君!」

 

僕の肩を掴む。

 

「答えてよ!」

 

ぐらぐら揺さぶられる。

痛い。

歯も痛い。

頭も揺れる。

 

「ち、違う……」

 

「太陽王の話!?」

 

「違う!」

 

「じゃあやっぱり歯を全部抜くの!?」

 

「違うって!」

 

僕は必死に抵抗した。

だが口を開くたびに歯が痛む。

もはや拷問だった。

そんな惨状を見かねたのか、伊藤が冷静に口を開く。

 

「口を開ける度に痛むのなら、放課後に歯医者へ行くんだ」

 

正論だった。

心に染みる。

伊藤はさらに曽米さんへ視線を向ける。

 

「曽米の誘導尋問に従って苦しむのは獅子御だ」

 

「えー」

 

曽米さんは不満そうに頬を膨らませた。

 

「まだルイ十四世の可能性が残ってるのに」

 

「残ってない」

 

伊藤が即答する。

僕も心の中で全力で同意した。

大堤君はそんなやり取りを見ながら、

 

「やはり歯は大事ですなぁ」

 

と妙にしみじみ頷いていた。

僕はようやく一口だけ弁当を食べる。

そして奥歯に走った痛みに顔をしかめた。

昼休みが始まってからというもの、僕の歯の痛みは一向に治まる気配を見せなかった。

歯の痛みに耐えながら弁当をつついている僕をよそに、曽米さんはすっかり歴史講座モードに入っていた。

 

「ルイ十四世ね、医師に勧められて歯を抜いたんだけど――」

 

始まった。

僕は反論する気力もなく黙って聞く。

どうせ止めても止まらない。

 

「その時の治療がすごく大変でね、上顎の一部まで傷ついちゃったとか言われてるんだよ!しかも当時の医療技術だからね!」

 

僕は黙って聞いていた。

歯が痛いので余計な会話をする気力がない。

曽米さんは勢いそのままに次の人物へ移った。

 

「エリザベス一世も歯の問題で有名なんだよ!甘い物が大好きだったから虫歯が酷かったんだって!」

 

僕は黙って聞いていた。

その頃にはもう歴史の授業なのか昼食なのか分からなくなっていた。

さらに曽米さんは畳み掛ける。

 

「ジョージ・ワシントンも有名だよね!入れ歯の話とか!」

 

僕は黙って聞いていた。

むしろ話を聞いているだけで自分の歯が気になってくる。

すると大堤君が感心したように頷いた。

 

「ふむふむ」

 

眼鏡を押し上げる。

 

「逸話を聞いているだけで歯がキリキリしますな」

 

適当だ。

絶対に適当だ。

でも曽米さんは満足そうだった。

 

「でしょ?」

 

「ですな」

 

と言いながら大堤君は普通に弁当を食べている。

全くキリキリしていない。

一方の伊藤は完全に別世界だった。

黙々と弁当を食べている。

たぶん話の半分も聞いていない。

いや、聞かないようにしているのかもしれない。

そんな歴史と歯の講演会がしばらく続いた後、曽米さんがふと箸を止めた。

 

「あ」

 

何か思い出したような顔をする。

 

「そういえばもうすぐ()()()()があるよね?」

 

僕は一瞬理解できなかった。

三者会談?

政治の話?

時事問題?

すると大堤君が眼鏡をクイッと上げた。

 

「国際社会の時事は馴染みがないので、伊藤殿に聞いてみては?」

 

大堤君は普通に勘違いしている。

僕が考えていると、隣の伊藤が突然僕の腕を掴んだ。

ぐいっと引っ張られる。

 

「?」

 

伊藤の顔を見る。

伊藤は真顔だった。

嫌な予感を察知した時の顔だ。

そして曽米さんは期待に満ちた目で僕を見ている。

ああ。

そういうことか。

言い間違えている。

僕は口を開きかけた。

だが開くと痛い。

非常に痛い。

なので声は出さず、口の動きだけで伝えることにした。

 

(三者面談)

 

曽米さんは数秒ぽかんとした。

そして突然手を叩いた。

 

「ああ!」

 

満面の笑み。

 

「それだそれだ!」

 

僕は頷く。

ようやく伝わった。

これで終わりだと思った。

本当に思った。

 

「はい、ご褒美」

 

恐れていたことが起こる。

次の瞬間。

曽米さんは自分の弁当箱からミニトマトを一つ摘まみ上げる。

そして。

 

「え?」

 

僕が反応するより早く。

そのまま僕の口へ押し込んできた。

 

「むぐっ!?」

 

完全な不意打ちだった。

反射的に口を閉じてしまう。

そして。

顎が動いた。

噛んだ。

奥歯が。

虫歯疑惑のある奥歯が。

瞬間。

激痛。

脳天まで突き抜けるような痛みが走った。

僕の視界が白くなる。

 

「っ――!!」

 

声にならない悲鳴。

涙が一気に込み上げてくる。

しかしここで泣くのは悔しい。

僕は必死に耐えた。

結果。

涙目になった。

伊藤は即座に曽米さんを睨んだ。

 

「何をしている」

 

「え?」

 

曽米さんは本気で不思議そうだった。

 

「ご褒美だよ?」

 

「獅子御は歯が痛いと言っていただろう」

 

「だから栄養を補給してあげなきゃと思って」

 

理屈がめちゃくちゃだった。

大堤君はそんな僕を見ながら、

 

「これはもはや拷問ですな」

 

と神妙な顔で頷いていた。

今さら言うな。

僕は涙を堪えながら思った。

今日の放課後。

何があっても歯医者へ行こう。

そしてできるなら。

曽米さんからも少し距離を置こう。

少なくとも歯の治療が終わるまでは。

 

放課後、僕は学校を出るとそのまま歯医者へ向かった。

昼休みに伊藤から散々言われたこともあるし、何よりあの痛みを抱えたまま週末を迎えたくなかった。

診察の結果は幸運だった。

虫歯はまだ初期段階。

治療もその日のうちに終わり、先生からも、

 

「早めに来て正解でしたね」

 

と言われた。

僕は心の底から安堵した。

歯医者を出る頃には空も少し薄暗くなり始めている。

頬に残る麻酔の違和感を気にしながら、僕は大きく息を吐いた。

 

「助かった……」

 

もし曽米さんの言う通り全部抜くことになっていたらどうしようかと思った。

そんな馬鹿なことを考えながら歩き出そうとした時だった。

 

「オーイ!リチャード!」

 

聞き覚えのある声が飛んでくる。

僕は振り返った。

 

「ん?」

 

そこにいたのは制服姿の那智君だった。

 

「あれ、那智君?」

 

彼は今ちょうど歯医者に来たところらしい。

肩からサッカー部のバッグを提げている。

 

「どうしてここに?」

 

すると那智君は頭を掻きながら苦笑した。

 

「オレ、一ヶ月前ぐらいから虫歯でさ」

 

「えっ」

 

「ずっと我慢してたんだけどよ」

 

それは駄目だろう。

僕がそう思うより早く、那智君は続ける。

 

「ボールを蹴ろうとするたびに痛くてさ」

 

なるほど。

那智君はサッカー部の副キャプテンだ。

練習も試合もある。

責任感が強い性格だから、途中で抜けるのを避けていたのだろう。

 

「練習に穴開けたくなかったんだよな」

 

やっぱりそうだった。

僕は呆れ半分、感心半分で笑う。

 

「いや、それでも歯医者には行った方がいいよ」

 

「だよなぁ」

 

那智君も苦笑した。

どうやらチームメイトに同じことを言われたらしい。

そして何を思ったのか、急に顔をしかめた。

 

「なぁ、リチャード」

 

「ん?」

 

「お前も虫歯だったんだろ?」

 

「そうだけど」

 

「ヒミコに意味のわからねぇこと言われなかったか?」

 

僕は首を傾げた。

昼休みのやり取りを思い出す。

歯を全部抜けとは言われた。

ルイ十四世の話も聞かされた。

でも、それ以外に特別なことはなかった気がする。

 

「特には……」

 

すると那智君は露骨に不満そうな顔になった。

 

「マジかよ」

 

「何かあったの?」

 

那智君は深いため息を吐いた。

 

「聞いてくれよ」

 

嫌な予感しかしない。

 

「あの女さ」

 

この時点で犯人は確定していた。

 

「オレのこと指差して――」

 

那智君は曽米さんの真似をしながら声を張る。

 

「『(ちん)は虫歯なり!』」

 

僕は瞬きをした。

那智君は続ける。

 

「『朕は虫歯なり!』って連呼するんだぜ!?」

 

ああ。

なるほど。

 

「周りの奴らも変な目で見てくるしさ!」

 

那智君は心底納得いかない様子だった。

 

「まるでオレが自分で虫歯宣言してるみたいじゃねぇか!」

 

僕は黙った。

たぶん。

いや、間違いなく。

那智君はその言葉の意味を勘違いしている。

曽米さんが言いたかったのはおそらく――。

フランス国王ルイ十四世の有名な言葉、

『朕は国家なり』

をもじっただけだ。

虫歯のルイ十四世の話題から連想したのだろう。

つまり曽米さんの中では高度な歴史ジョークだった。

問題は。

そのジョークが全く高度ではなく、単に意味不明な発言になっていることだ。

僕は説明しようか迷った。

でも。

説明したところで、

 

「つまりオレはどこかの歯抜けの王様ってことか?」

 

となりそうな気がする。

そして曽米さんはさらに面白がる。

被害が拡大する未来しか見えない。

僕は結局、曖昧に笑うだけだった。

 

「まあ……曽米さんだから」

 

那智君は空を仰いだ。

 

「その一言で納得できるのが怖ぇよ」

 

僕も同意だった。

那智君の愚痴はまだ続いていた。

 

「しかもよ!」

 

彼は曽米さんの真似をしながら、また大げさな身振りで言う。

 

「『朕は虫歯なり!』だぜ!?『朕は虫歯なり!』って!」

 

周囲に人がいなくて本当に良かったと思う。

いや。

良くなかった。

僕はその時、全く気づいていなかったのだ。

僕たちの背後に人影が近づいていたことに。

 

「――那智君」

 

聞き覚えのある声だった。

僕と那智君が同時に振り返る。

そこに立っていたのは日向さんだった。

 

「あれ?」

 

僕は目を瞬かせる。

しかし次の瞬間、違和感に気づいた。

日向さんの顔が妙に赤い。

怒っているようにも見えるし、困惑しているようにも見える。

そして何より、視線が冷たい。

 

「日向さん?」

 

すると日向さんは腕を組みながら言った。

 

「那智君が最近、部活を抜け出してるって聞いたから心配して来てみれば……」

 

そこで言葉を切る。

視線が僕と那智君の間を往復した。

僕は悟った。

あっ。

勘違いしてる。

完全に勘違いしてる。

たぶん今の日向さんには、

 

『朕』

 

という単語の別の意味しか浮かんでいない。

そして那智君はさっきから大声で、

 

「朕は虫歯なり!」

 

を連呼していた。

最悪だ。

状況証拠だけなら完全にアウトだった。

僕は慌てて手を振る。

 

「ち、違うよ!」

 

歯が少し痛む。

でもそんなことを言っている場合ではない。

 

「日向さん!那智君が言いたかったのは――」

 

しかし説明が間に合わなかった。

日向さんは顔を真っ赤にしながら言った。

 

「獅子御君も同罪よ!」

 

「えっ!?」

 

「下品な会話を大声でしてるんだから!」

 

僕は絶句した。

やっぱりそう誤解していた。

日向さんは完全に別の意味で受け取っている。

那智君はまだ状況を理解していないらしい。

 

「は?」

 

と間抜けな声を出している。

そして日向さんは僕たちから顔を背けた。

 

「最低!」

 

そう言い残して駆け出す。

 

「あっ!」

 

僕は慌てて追いかけようとした。

 

「待って、日向さん!」

 

説明しなければ。

これは誤解だ。

そう叫ぼうとした瞬間――

ズキッ。

治療したばかりの歯が痛んだ。

思わず口元を押さえる。

 

「いっ……!」

 

声が出ない。

日向さんはそのまま角を曲がり、見えなくなってしまった。

静寂。

僕は立ち尽くした。

那智君も立ち尽くした。

数秒後。

那智君が首を傾げる。

 

「日向のやつ、何あんな怒ってんだ?」

 

僕は疲れたようにため息を吐いた。

 

「そりゃ怒るよ」

 

「なんで?」

 

「那智君が何度も『朕』を誇張して言ってたから」

 

那智君はぽかんとした。

そして数秒後。

ようやく理解したらしい。

 

「あっ……」

 

顔が固まる。

 

「……そういうこと?」

 

僕は無言で頷いた。

那智君は両手で頭を抱えた。

 

「うわぁぁぁ……」

 

サッカー部副キャプテンとは思えない情けない声だった。

 

「オレ、そんな意味で言ったんじゃねぇのに……」

 

「知ってる」

 

「ただ事実を言ってただけなのによぉ……」

 

「それもどうかと思うけど」

 

那智君はさらに頭を抱える。

 

「終わった……」

 

「ちゃんと説明すれば――」

 

「どう説明すりゃいいんだよぉ……」

 

夕暮れの歩道で男子高校生二人が頭を抱えている。

端から見ればかなり奇妙な光景だったと思う。

僕は空を見上げた。

そして心の中で思った。

――全部曽米さんのせいじゃないかな。

少なくとも発端は間違いなくそうだった。




①ルイ14世
フランス王国国王。
絶対王政による統治とヨーロッパでの継承問題に積極的に介入(南ネーデルラント継承戦争、プファルツ継承戦争)し、「太陽王」と渾名された。
「スペイン継承戦争」では孫をスペイン王に即位させ領土拡大を企図するが、肥大化を恐れたイギリスなどの対仏同盟に阻止される。
数々の戦争を引き起こしたことで、国家財政は破綻寸前まで追い込まれフランス革命の遠因となった。

②ヤルタ会談
アメリカのフランクリン・ルーズベルト、イギリスのウィンストン・チャーチル、ソ連のヨシフ・スターリンによる三者会談。
第2次世界大戦の戦後処理(国際連合の設立、ドイツの占領政策など)を協議した。
この協議に伴い、ソ連は日ソ中立条約を一方的に破棄し日本へ宣戦布告した。

③エリザベス1世
イングランド王国国王。
「太陽の沈まぬ国」と呼ばれたスペインに勝利(アルマダの海戦)。
プロテスタントの代表者としてローマ教会と決別するため、「統一法」や「国王至上法(首長法)」を制定し、イングランド国教会の最高権力者となった。

④朕は国家なり
ルイ14世の言葉。
絶対王政を端的に表した言葉であり、「私は国家そのものである」という意味。
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