曽米さんの『世界史』愛が強すぎる!   作:公私混同侍

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多くの恋愛の問題は顔と金が解決する

 

図書館を飛び出した曽米さんを、僕は慌てて追いかけた。

 

夕日が照らす河川敷。

オレンジ色に染まった景色の中、僕たちは黙ったまま歩き続けた。

 

曽米さんは、僕のことなんて気にしていないかのように、一歩一歩、地面を踏みしめる。

 

さっきの言葉が、ずっと頭の中で反響していた。

 

――「可愛くて、話が全然入ってこなかった…」

 

…なんてこと言っちゃったんだ、僕は。

思い出すたびに顔が熱くなる。

でも、曽米さんは何も言わずに、ただ前を向いて歩いていた。

 

僕は黙って後をついていく。

どう声をかけたらいいか、わからなかった。

 

夕日に照らされた彼女の横顔は、いつもより儚く見えた。

でも、それを言葉にする勇気はなかった。

 

どれくらい歩いただろう。

曽米さんが急に立ち止まり、ゆっくりと振り返った。

 

「…リチャード君」

 

彼女の瞳は、夕日の光を受けてキラキラと輝いていた。

その瞳には、何か強い意志が宿っていた。

 

「全ての学問は歴史に通ずる。私はね、この言葉を信じてるんだ」

 

――…あれ?

どこかで聞いたことがあるような…。

 

でも、何かが違う気がした。

誰の言葉だったか、思い出せない。

 

曽米さんは、僕の反応を気にすることなく、

言葉を続けた。

 

「ピタゴラスは数学、アルキメデスは物理、ヴェルギリウスは文学、そして歴史はヘロドトス。昔の人たちは、学問の基礎を築いた偉人たちを、同じように尊敬していたんだよ」

 

その瞳は、どこか遠くを見つめていた。まるで、彼女の視界には僕が映っていないかのように。

 

「歴史を知れば、もっと勉強が楽しくなるんだよ。だって、過去の人たちが何を考え、どう生きたのかを知ることで、今の自分が、どうしてここにいるのか、少しだけわかる気がするから」

 

僕は、言葉を失った。

曽米さんが、こんなに真剣な顔で話すのを、初めて見たからだ。

 

「…人間には、苦手な科目なんて本来、ないはずなんだから」

 

その言葉は、あまりにも意味深で、僕には、すぐには理解できなかった。

 

でも、不思議と否定する気にはなれなかった。

曽米さんの言葉には、確かに“真理”が宿っている気がしたからだ。

 

曽米さんは、ふっと笑って、また前を向いて歩き出した。

 

その背中が、いつもより遠く感じた。

 

僕は、曽米さんの言葉を反芻しながら、その後ろ姿を追いかけて歩き続けた。

 

夕日が沈みかけた河川敷を歩きながら、どうしても気になっていたことを、僕は思い切って曽米さんに聞いた。

 

「曽米さんって、好きな人とか…いないの?」

 

自分でも驚くくらい、声が震えた。

けど、気になって仕方なかった。

 

学校では、曽米さんが何度も告白されているって噂があったし、彼氏がいるって話も耳にしていたから。

 

曽米さんは、僕の言葉に目を見開くと、一瞬だけ驚いた表情を見せた。

でもすぐに、ニカッと笑って、僕をからかうような目を向けてきた。

 

「フフ、リチャード君も男の子なんだね」

 

…正直、からかわれたのは悔しかったけど、それ以上に、その笑顔にドキッとした。

 

曽米さんは、僕の反応を楽しむように、ちょっといたずらっぽく言葉を続けた。

 

「何度か告白は受けたけど、全部断ってるんだ」

 

予想外の答えに、思わず息を呑んだ。

あんなに人気者なのに、誰とも付き合っていないなんて…。

 

内心、曽米さんの理想がものすごく高いんじゃないかと疑った。

でも、それを聞く勇気はなかった。

 

けれど、曽米さんは僕の疑問を察したのか、

少し照れくさそうにしながら、こう言った。

 

「私、告白される時、偉人の名言をアレンジしたものじゃないと、答えたくないんだ」

 

――…は?

一瞬、意味が理解できなかった。

 

「その偉人を私が当てられたら、付き合うって決めてるの」

 

その告白のルールに、僕は唖然とした。

いや、なんだそれ。

そんな条件、聞いたことないぞ。

 

でも、曽米さんは至って真剣な表情だった。

目がキラキラと輝いていて、まるでロマンチックなことを語っているかのように。

 

「例えばね――」

 

曽米さんは、急に立ち止まり、僕の方を振り返って微笑んだ。

 

「『私の人生に、あなたのいない人生はありえない』

これ、誰の名言をアレンジしたか、わかる?」

 

…え?

曽米さんは、僕にクイズを出すように、期待の目を向けてきた。

 

突然の質問に戸惑ったけど、頭の中に過去の授業がフラッシュバックした。

曽米さんの授業…いや、熱弁を聞いてきたからこそ、ピンとくるものがあった。

 

――これは、あの人だ。

 

「ナポレオン…だよね」

 

曽米さんの目が、驚きで見開かれた。

正解だったみたいだ。

 

「『我が辞書に不可能の文字はない』。それをアレンジしたんでしょ?」

 

僕がそう言うと、曽米さんは満足そうに微笑んだ。

 

「正解。リチャード君、やるじゃん」

 

その笑顔に、またドキッとした。

曽米さんに“褒められる”って、なんでこんなに嬉しいんだろう。

 

夕日の光が、彼女の横顔を優しく照らしていた。

その笑顔が、やけに眩しく見えた。

一歩後ろを歩く僕には、曽米さんの横顔も背中も、どこか遠い存在に見えて仕方なかった。

 

――僕にとって、曽米さんは特別だ。

 

けど、こんな気持ちを伝える勇気なんて、僕にはなかった。

曽米さんに嫌われたくない、距離を置かれたくない――

そんな思いが、僕を臆病にしていた。

 

ふと、曽米さんの歩く姿を見ているうちに、以前、学校の図書室で読んだ参考書の言葉がふいに浮かんだ。

 

あの時は何気なく読んだだけだったけど、今ならその意味が、痛いほどわかる気がした。

 

気づけば、僕は口を開いていた。

まるで、その偉人になったかのように。

 

「曽米さんが、僕以外の誰かを好きになることには反対だ。だけど、曽米さんが僕を好きになる権利は命をかけて守る」

 

言った瞬間、しまったと思った。

 

僕は何を言ってるんだ――。

顔が熱くなるのを感じた。

 

風が僕の言葉を運んだのか、曽米さんはハッとした顔で振り返った。

 

目が合った瞬間、曽米さんの顔が真っ赤に染まった。

さっきまでの自信に満ちた表情は消えていて、瞳が揺れているのが分かった。

 

ヤバい、何か怒らせたのか…?

 

僕は慌てて曽米さんに近づいた。

でも、何て声をかければいいか分からなかった。

 

すると、曽米さんは小さな声で呟いた。

 

「その偉人の名前…今は答えたくないかな」

 

その言葉が終わると同時に、曽米さんは僕の目を避けるように背を向け、そのまま走って行ってしまった。

 

僕はただ、その後ろ姿を見送ることしかできなかった。

 

胸がドキドキして、さっき言った言葉が頭の中で何度もリフレインした。

僕は、一体、何を言ってしまったんだろう。

 

――その夜。

 

布団に転がりながら、

僕はスマホを握りしめていた。

 

曽米さんの顔が、ずっと頭から離れなかった。

あの赤く染まった頬、揺れた瞳、そして、あの一言。

 

考えるほどに心臓がうるさいくらい鳴って、どうしようもなくなった僕は、勢いでメッセージを打った。

 

『今日も曽米さんの歴史講義、とてもためになったよ。また学校で会おう』

 

送信ボタンを押した瞬間、心臓が止まりそうになった。

ああ、何てカッコつけたんだ、僕は――。

 

返事は来ないかもしれない。

そう思って、諦めかけた時だった。

 

スマホが震えた。

曽米さんからの返信だった。

 

急いで画面を開くと、そこには、予想もしなかった言葉が並んでいた。

 

『現代の多くの恋愛が抱える問題は学歴や教養ではなく、顔と金が解決する』

 

――は?

 

一瞬、意味が理解できなかった。

あまりに唐突で、あまりにぶっ飛んだ内容だったから。

 

その言葉を見た瞬間、さっきまでの緊張感が一気に吹き飛んだ。

 

でも、それ以上に、どう返信していいか分からなかった。

 

曽米さんの言葉の意図が掴めなくて、僕はしばらくスマホを握りしめたまま、布団の上で固まってしまった。

 

結局、その夜は返信できずに終わった。

 

後で調べて分かったことだけど、あの言葉はビスマルクという偉人の名言をアレンジしたものらしい。

 

曽米さん、やっぱりすごいな…。

でも、どうしてあのタイミングで、あんなことを言ったんだろう。

 

謎が深まるばかりで、僕はますます、曽米さんに惹かれていった。




①我が辞書に不可能の文字はない
フランス帝国皇帝ナポレオン・ボナパルトの名言。
ナポレオン(1世)には甥のルイ・ナポレオン(3世)がおり、彼も後の皇帝となる。

②私はあなたの意見には反対だが、それを主張する権利は命をかけて守る
ヴォルテールの言葉とされているが、本人が言及したとされる文書は存在しない。

③ビスマルク
プロイセン王国及びドイツ帝国宰相。
「鉄血宰相」の由来は「現下の大問題は言論や多数決によってではなく、『鉄』と『血』によってのみ解決される」という演説から。
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