曽米さんの『世界史』愛が強すぎる!   作:公私混同侍

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世紀末の教室

 

夏休みが明け、文化祭が目前に迫っていた。僕のクラスは始動が遅かったせいか、クラス全員があくせくと動き回っている。

クラスの出店準備が本格化し、僕は伊藤と二人で作業することが増えた。

今日は、店の看板に使う板にペンキを塗っている。

伊藤は無口だけど、手際がよく、僕も黙々と作業を続けていた。

 

ふと、伊藤がペンキを塗る手を止め、僕に視線を向ける。

 

「獅子御、この前、曽米と二人で図書館に行かなかったか?」

 

その問いに、僕は一瞬、手が止まった。

図書館…曽米さんに誘われて、歴史の話を僕が一方的に聞いていたあの日のことだ。

まさか見られていたとは思わなかった。

 

僕は少し戸惑いながらも、正直に答えた。

 

「うん、行ったよ。曽米さんに世界史のこと、もっと教えてもらいたくて…」

 

正直に答えたつもりだったけど、言葉にしてみると少し照れくさかった。

 

伊藤は僕の言葉を聞くと、目を細めて少しだけため息をついた。

 

「君の中で、どういった理由で曽米の存在が大きくなったのかはわからない。でも、それが本当に君の未来のためになるのか?」

 

彼女の声は冷静だったけれど、その言葉には重みがあった。

 

「世界史が社会の役に立つ場面なんて、限られている。それなら多くの科目を広く浅く勉強をした方が選択肢も多くなるはずだ」

 

反論できなかった。

伊藤の言うことは正論だし、僕自身、そんなことはわかっていた。

曽米さんの影響で世界史にのめり込んでいるけど、それが将来にどう繋がるのかなんて考えたこともなかった。

確かに、世界史が直接役に立つ場面は少ないかもしれない。

でも、それでも…曽米さんと話す時間が楽しいという気持ちは揺らがなかった。

 

「ごめん、言い過ぎたよ」

 

伊藤は、僕の反応を見てか、少しだけ表情を和らげた。

 

「でも忘れないで。伊藤枢の中で、獅子御理知弥という男の存在が大きくなっていることを」

 

僕は驚いて顔を上げた。

伊藤は僕を見ずに、淡々とペンキを塗り続けていた。

一瞬、彼女の横顔がほんの少し寂しそうに見えたのは、気のせいだろうか。

 

胸の奥が、少しだけ熱くなった。

伊藤が言いたかったのは、曽米さんだけじゃなく、もっと広く色んなものを見てほしいってことなんだろう。

伊藤はいつも冷静で理屈っぽいけど、本当はすごく優しいんだと思う。

 

僕は何も言えず、ただ静かにペンキを塗り続けた。

板の上に広がっていく鮮やかな色を見ながら、心の中でそっと呟いた。

――僕は、どうしたいんだろう。

 

答えはまだ見つからなかったけど、少なくとも、伊藤の言葉は胸に残り続けた。

 

―――

 

文化祭の日、僕は伊藤と一緒にクラスの出店で店番をしていた。

わたあめを機械で作り、来校者に手渡す。

甘い匂いが漂い、笑顔で受け取る子供たちの姿を見ていると、少しだけ誇らしい気持ちになった。

 

伊藤はいつも通り、黙々とお金の受け渡しをしている。

無駄な会話はしないけど、仕事は正確で早い。

僕はわたあめを作りながら、彼女の横顔をちらりと見た。

なんだかんだで、伊藤とはこうやって息が合うんだよな。

 

しばらくして、那智君と日向さんに店番を交代することになった。

 

「お疲れ」

 

伊藤がお金の管理を二人に任せ、店番を終える。

僕もエプロンを外して、曽米さんを探したけど、姿が見当たらなかった。

一緒に出店を回りたかったんだけどな…。

 

仕方なく、一人で世界史の参考書でも読んで時間を潰そうと、教室の隅に座り込んだ。

その時、影が差し込んできた。

顔を上げると、伊藤が立っていた。

 

「…獅子御、お化け屋敷に行かないか?」

 

意外な誘いに、一瞬言葉を失った。

伊藤が自分から誘うなんて、珍しい。

 

「お化け屋敷…?いいけど、伊藤が行きたいの?」

 

伊藤は少し視線を逸らしながら、小さな声で答えた。

 

「実は、お化けが苦手なんだ。でも、一人になった君がまた世界史の中に閉じこもろうとする姿を見ていたら、声をかけずにいられなかったんだ」

 

そう言う彼女の横顔は、なんだか寂しそうだった。

 

「男の格好した生徒二人でお化け屋敷に入っていったら、君に迷惑がかかるかもしれない。もし嫌なら、君の好きな場所に行っても構わないから」

 

言葉とは裏腹に、伊藤の瞳はどこか不安げで、僕がそばにいることを望んでいるように見えた。

 

僕は、少しだけ息を吐いた。

 

「伊藤にも怖いものがあるってわかっただけでも、お化け屋敷に行く甲斐があるんじゃないかな?」

 

そう言うと、伊藤は一瞬目を見開いたが、すぐに目を伏せた。

 

「僕は全然嫌じゃないよ。誰かに頼られるのは、やっぱり嬉しいから」

 

僕の言葉を聞いた伊藤の表情が、ほんの少しだけ和らいだ。

 

「…そうか。じゃあ、行こうか」

 

照れ隠しなのか、彼女は少し早足で歩き出した。

僕も急いで後を追う。

 

二人並んで歩く廊下は、文化祭の喧騒から離れて、静かだった。

伊藤は女性だが、男子生徒と同じタイプのズボンを履いている。男二人でお化け屋敷なんて、確かにちょっと変かもしれない。

でも、今はそれでもいいと思えた。

 

お化け屋敷の入り口に立った時、伊藤がふと立ち止まった。

 

「…やっぱり怖いな」

 

彼女が小さく呟いたのを聞いて、僕はクスリと笑ってしまった。

 

「大丈夫、僕がついてるから」

 

そう言って、僕は先に一歩踏み出した。

伊藤が後ろからついてくるのを感じながら、二人で暗い教室の中へと入っていった。

 

お化け屋敷の中は、思った以上に暗かった。

ぼんやりと赤い光が差し込み、不気味な影を作り出している。

僕は先頭を歩き、伊藤は僕の袖をしっかり掴んでいた。

 

「…大丈夫だよ、伊藤」

 

そう言って安心させようとした矢先、暗がりからミイラが飛び出してきた。

 

「うわっ!」

 

僕が驚くより先に、伊藤が小さな悲鳴を上げて僕の背中に隠れた。

それからも、ろくろ首や骸骨が至るところから現れ、伊藤はその度にビクッと震える。

袖を掴む力が強くなっていて、引っ張られて歩きにくい。

普段のクールな伊藤とは思えないほど怯えている姿が、少しだけ可愛く見えた。

 

暗い廊下を半ばまで進んだところで、不意に目の前に吸血鬼が現れた。

黒いマントを羽織り、顔には白いペイント、目の下に赤い涙のような装飾が施されている。

 

「貴様らを串刺しにしてやろうかぁ……」

 

低く唸るような声に、伊藤は絶叫して僕の背中に完全に隠れた。

 

でも、僕はその声に聞き覚えがあった。

どこかで聞いたことのあるような、特徴的なイントネーション…。

 

「……その声、もしかして曽米さん?」

 

そう言うと、吸血鬼はピタリと動きを止めた。

 

一瞬の沈黙の後、吸血鬼――いや、曽米さんが「ぐぬぬ……」と唸った。

 

「よくぞ、我を見破った。さすがは獅子の心を持つだけのことはある」

 

曽米さんはマントを大袈裟に翻し、ポーズを決めた。

 

「我が名はヴラド。竜の子とも形容される影の支配者なり」

 

相変わらず、曽米さんは何かになりきるのが上手い。

僕は少し呆れながらも、その熱量に感心してしまった。

 

「あっ!思い出した、串刺し公だ。確かヴラド三世って、ヴァンパイアのモデルなんだよね?」

 

僕がそう言うと、曽米さんの顔がパッと輝いた。

 

「よく勉強しておるな、感心感心」

 

その様子はまるで、先生が優等生を褒める時のようだった。

 

僕は曽米さんのなりきりぶりに微笑み、後ろを振り返った。

伊藤はまだ僕の背中に隠れたままで、顔が真っ青だった。

彼女がこんなに怖がりだなんて、今日初めて知った。

 

曽米さんは、意味深な笑みを浮かべながら続けた。

 

「一つ忠告しておこう。二人はこの先にある棺桶には絶対、触れてはならんぞ」

 

「棺桶…?」

 

嫌な予感がしたけれど、ここまで来たからには引き返せない。

 

「か、棺桶だって!?どうして学校にそんなものが……」

 

伊藤の声が震えている。

普段の彼女からは想像もつかないほど怯えた様子だった。

僕の袖を掴む手が、さらに強くなっている。

 

そんな伊藤の反応を見て、吸血鬼――いや、曽米さんは満足そうに不気味な笑みを浮かべた。

 

「ひとたび棺桶に触れれば呪いが解かれる。そう、ティムール様の呪いだぁ!」

 

曽米さんの声がやけに響く。

 

「さすればたちまちこの教室は、ワールシュタットと成り果てるだろう……ワッハッハッハ―――」

 

大袈裟に笑いながら、曽米さんはマントを翻した。

 

……ワールシュタット?

確かにあの戦場には死体の山が築かれたというけれど、お化け屋敷なんだから、それくらいあっても不思議じゃないんじゃないか?

僕は心の中でそう思った。

 

しかし、曽米さんの芝居は長くは続かなかった。

 

「誰だお前!?どこから入ってきたんだ?部外者はさっさと出てけ!」

 

突然、教室の隅からお化け屋敷を運営していた生徒が現れ、曽米さんの肩を掴んだ。

 

「え、ちょ、まだ我の出番が――」

 

曽米さんは抗議の声を上げたが、容赦なく引き摺られ、そのまま外へとつまみ出されていった。

 

「体が燃えるぅ……光を我に当てるなぁ……」

 

廊下の向こうから、曽米さんの悔しそうな声が微かに聞こえた。

 

僕は思わず吹き出しそうになったが、隣を見ると伊藤の顔が真っ青なままだった。

そして、まだ僕の手を握り続けている。

 

「…伊藤、大丈夫?」

 

僕が声をかけると、伊藤はハッとして手を離した。

 

「わ、悪い…ちょっと驚いただけだ」

 

言い訳がましいけど、顔はまだ怯えている。

 

「伊藤がこんなに怖がるなんて、やっぱり女の子なんだね」

 

僕が冗談めかして言うと、伊藤は少しだけ頬を赤らめた。

 

「…うるさい。絶対他の人たちには言うな」

 

そう言って、顔を背けたまま出口へと歩いていく。

その後ろ姿が、いつもより小さく見えたのは気のせいじゃないだろう。

 




①ヴラド3世
ワラキア公国(現ルーマニア)の君主。「串刺し公」と呼ばれ、オスマン帝国の侵略に抵抗した。ヴァンパイア(吸血鬼)のモデルとされる。

②ティムール
中央アジアを征服したティムール朝の創始者。チンギス・ハンの血を引いてはいなかったが、モンゴル帝国の継承者を自称し、大帝国を築く。
ソ連の調査隊がティムールの墓を暴いた2日後、ナチス・ドイツが独ソ不可侵条約を破り独ソ戦が始まったことから「ティムールの呪い」と恐れられた。

③ワールシュタットの戦い(レグニツァの戦い)
ヨーロッパに勢力を伸ばそうとしていたモンゴル(元)軍と、それを阻止しようとしたポーランド・ドイツ連合軍との戦い。連合軍は一方的に蹂躙され、多くの亡骸を築きあげたことからワールシュタット(死体の山)と呼ばれる。
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