二学期の中間テストが近づく頃、僕たちは昼休みに教室で集まって昼食をとっていた。和やかな雰囲気の中、那智君がサッカーの話をしていると、日向さんがちょっとぶっきらぼうに声をかけた。
「今度サッカーの練習試合あるんでしょ?応援に行くから、場所教えなさいよ」
素直になれないのか、言葉遣いが少しきつい。でも、顔は赤くなっている。
「ん?場所?なんでそんなこと、教える必要があるんだ?」
相変わらず鈍感な那智君に、日向さんはムッとしていた。もしかして、これがツンデレってやつなのか?
その時、曽米さんが唐突に口を挟んだ。
「サッカー選手ってみんなヨーロッパに行っちゃうんでしょ?」
何を知っているのかと思えば、また歴史絡みの知識なんだろう。案の定、彼女は得意げな顔をしていた。
「まあ、環境を変えた方がテクニックやスピードだけじゃなくて、メンタル面も鍛えられるって言うしな。オレもプロになったらスペインとかイングランドのような最高峰の舞台でプレーしてみてぇって思ってる」
那智君が目を輝かせて語る。その熱意は本物だ。
「日本のチームことをサムライブルーって言うんでしょ?名前の付け方がかっこいいよね!」
曽米さんは興奮気味に言った。歴史好きの彼女にとって、“サムライ”という単語がツボだったのだろう。
那智君はその影響を受けたのか、勢いよく言葉を続けた。
「サムライいかにも強そうだよな。それにスペインは……」
しかし、その時、伊藤が割り込んだ。
「まさか『無敵艦隊』なんて安易なネーミングじゃないだろう?」
無敵艦隊――。その単語を聞いた瞬間、僕の脳裏に浮かんだのは“アルマダ”という言葉だった。でも、那智君が慌てた様子で僕に目配せを送ってくる。
“絶対に言うな”ってことか。でも、それを言われると逆に言いたくなるのが人間の性ってものだ。
……言いたい。言いたくて仕方がない。
結局、僕は我慢できなかった。
「……アルマダ」
呟いた瞬間、那智君は頭を抱え、伊藤は「やっぱりそうだったか!」と納得顔。曽米さんは「無敵艦隊」という言葉だけに敏感に反応していた。
那智君は深いため息をつき、僕を肘で小突いた。
……ごめん、那智君。でも、我慢できなかったんだ。
僕はのり弁当のフタを開けて一口目を食べようとした時だった。
「おお……なんということだ……白き海が割れているではないか」
顔を上げると、曽米さんが僕のお弁当を覗き込んでいた。彼女の目はキラキラ輝いていて、まるで未知の世界を発見したかのような表情だ。
のり弁当の海苔がちょうど真ん中に寄ってしまって、両端のご飯が見えていただけなんだけど……。
「妃美華、人のお弁当を覗き込むなんて下品な真似はやめなさい。獅子御君もビシッと言ってやってよ」
日向さんが曽米さんを睨む。どうやら彼女は、曽米さんのこの手の言動に慣れていないらしい。いや、慣れていても戸惑うのが普通かもしれないけど。
さらに、伊藤が呆れたように溜め息をついた。
「曽米は黙って食事をする習慣がないのか?」
まあ、普通の感覚ならそう思うよな。でも、曽米さんはまるで聞いていない。彼女は僕の顔を覗き込むように見つめてくる。まるで、「さあ、答えを言ってみろ」と言わんばかりの期待に満ちた瞳で。
どうしてそんなに期待されているのかわからないけど、その視線に耐えられなかった僕は、とうとう呟いてしまった。
「……モーセ」
その瞬間、曽米さんの顔が輝いた。
「さすがはリチャード君!白き海を割って、迷える民を導く姿は、まさに王そのものだね!」
彼女は満足げにうなずき、まるで自分が言わせたことを誇っているかのようだった。
「二人だけでやれ!」
突然、那智君が食いかけのパンを置いて、不満げに声を上げた。どうやら、この意味不明なやりとりに付き合わされるのが嫌になったらしい。
僕は苦笑いを浮かべながら、割れた海苔を箸で戻してご飯を隠した。
……まさか、のり弁当でモーセの話になるとは思わなかった。
僕が弁当を食べ終えて、ようやく落ち着いたと思ったのも束の間だった。
曽米さんがニヤニヤしながら那智君と伊藤をからかい始めた。
「海を割るなんてありえなーい?現代人が天動説を信じちゃうくらいありえなーい?」
彼女は軽妙なリズムに乗せて、二人に揺さぶりをかける。わざとらしく驚いた表情をしてみせたり、肩をすくめたりして、まるでお笑いの一場面みたいだった。
那智君の眉がピクリと動く。
「……うるせぇ」
最初は小さな声だったが、曽米さんの煽りは止まらない。
「割れた海が閉じたら、のりの壁に挟まれたご飯たちが……ああ、哀れなる圧死……」
「曽米、いい加減にしないと那智が……」
伊藤の警告にも、曽米さんは耳を貸す気配はない。
那智君の苛立ちが頂点に達した瞬間、彼は手に持っていた食いかけのパンを、曽米さんの口に思い切り押し込んだ。
「神の裁きをくらえッ!」
曽米さんは「んぐっ!」と声を詰まらせ、バランスを崩して後ろに倒れた。教室の床に大の字に広がった彼女は、まるで戦場で討ち取られた戦士のようだった。
曽米さんの虚ろな目が天井を見つめている。口にはまだ那智のパンが半分くらい突き刺さっていて、状況のシュールさに僕は笑いをこらえられなかった。
そして、彼女は息絶え絶えに呟いた。
「あぐぁあおぅ(私が倒れようとも)……いゔぉおう(地球は回っている)……」
その言葉が教室に響いたちょうどその時、午後の始業のチャイムが鳴り響いた。
まるで劇の幕が下りるかのような絶妙なタイミングに、僕たちは一瞬、誰も何も言えなくなった。
那智君はため息をつきながら曽米さんを見下ろし、僕は笑いを必死に押し殺しながら弁当を片付け始めた。
……やっぱり、このメンバーとの昼休みは、予想がつかないことばかりだ。
①アルマダの海戦
「太陽の沈まぬ国」と謳われたスペイン帝国とイングランド王国の戦い。スペイン海軍の「無敵艦隊」を打ち破りイングランドの勝利に終わった。この海戦を契機にスペインの覇権は終焉へと向かっていく。
②モーセ
古代イスラエルの民族指導者。
エジプトのファラオ(王)に追われていたイスラエルの民(ヘブライ人)を脱出させるために、海を割って道を作ったとされる(出エジプト記)。
③ガリレオ・ガリレイ
イタリアを代表する天文学者。
カトリック教会は天動説を絶対視し、これに異を唱える地動説を主張したガリレオは裁判にかけられた。
有罪判決を受けた後、「それでも地球は回っている」という発言は本人のものではなく後の創作である。