※捏造あり※ 鬼族に関する捏造昔話あります。
あらすじ→ホロウで倒れた悠真は緊急入院することに。そこへ毎日蒼角がお見舞いにやってきて、とあることを話し出す。
しろい、しろい、かべ。
くさい、くさい、くすりのにおい。
ながいろうかをあるいてあるいて
ドアをあければあまいにおい
ハルマサと、あまいにおい。
「――いらっしゃい、蒼角ちゃん」
浅羽悠真が緊急入院してから一週間近くが経った。
最初の数日こそ緊迫感があったものの、今は病状も落ち着いてベッドの上で起き上がれるようになっている。
ホロウでの咳と出血の原因は、明確にはわかっていない。
体が弱っていたところへいつもよりもエーテル浸蝕が早く進み不運にも倒れてしまった、というところではあるだろうが、彼の病気自体が進行していると断言できなくもない。
「ってなわけで朝から検査検査の連続でさぁ、もう僕ってばヘトヘト~。蒼角ちゃんは?」
「わたしはね、今日はお仕事すっごくがんばったよ! ウェイトトレーニングもマシマシだったし、ホロウも入ったし、あと苦手なおべんきょーもいっぱいした!」
「だから面会時間ギリギリに来たのかぁ」
「うん、入れなかったらどうしようって思って急いで来たの! あーあ、どうしてメンカイ時間って、早く終わっちゃうの?」
「そりゃあ入院患者の寝る時間はとっても早いからね」
「そうなんだぁ」
そこで「あ」と気が付いたように蒼角は手に持っていた大きな袋を悠真へずいっと差し出す。中にはいくつかのアイテムが入っていた。
「これねー、ナギねえが持ってくようにって!」
「何? 食べ物? またあんぱんが増えたな」
「あとこっちのはボスがねぇ、暇だろうから握力を鍛える修行をしろ、って!」
「ハンドグリップか。……ってこれH.A.N.D.のマーク入ってる。無駄に高いやつでしょ」
「あとこれはね、ハルマサがシドーしてるコーハイたちから!」
「うわぁ、報告書じゃん。病室でまで見なきゃいけないわけ? 僕以外に暇な奴いないの?」
あーあ、と悠真はベッドに倒れ込む。
それを見ながら蒼角は食べ物を脇のテーブルの上に積み重ねた。
今までに持ってきた食べ物は全てそこに置いてある。
悠真はどれも手を付けていないようだった。
「食べたくならないの?」
「ならないね~。ほら、甘いのばっかりじゃん」
悠真が指を差す。
あんぱん、チョコ、クッキーに、ゼリー、りんごに桃……エトセトラ。
さすがにフルーツは腐る心配がある為、変色しそうな桃などは先日から蒼角が食べている。
毎日、毎日、仕事後や休憩時間にやってきては話をし、悠真の食べないものを食べていく蒼角。
今日も今日とて桃をかじり、伝う汁にあたふたしながら、ぺろりといくつか平らげる。
「桃、美味しかったよ?」
「そっか、それは良かったね」
「蒼角だったらここにある食べ物、一日でぜーんぶ食べちゃうなぁ」
「そりゃ蒼角ちゃんだからでしょ」
悠真と蒼角しかいない個室に、ハハハッと笑い声が上がる。
蒼角はふと部屋の中を見回した。
白い壁と天井。
冷たい柵の無機質なベッド。
いくつもぶら下がる点滴のパックと管。
笑う悠真。
「……あまいの、嫌い?」
「え?」
「甘いもの、ハルマサは嫌い?」
「……あー、いや、苦手なだけだよ」
「苦手と、嫌いは違うの?」
「うーん、そうだね。違うかな」
上半身を再度起こし、ベッドの向こう側の壁を見る悠真。
それはどこか遠くの記憶を見つめているようで、蒼角は彼の横顔を静かに見ていた。
「昔は甘いものが好きだったんだよなぁ」
「そうなの?」
「でもたくさんの苦い味に慣れちゃって、ああ、それもまー悪くないか、みたいになったっていうか」
「苦い味は、苦いよ? 甘いと幸せにならない?」
「……んー、夢のような幸せに浸っても、現実に戻されるのが怖くなったんだ」
「………」
「僕の現実は、苦い味だから。それならいっそそこにずっといた方がいいじゃないってね」
蒼角は悠真の首元を見つめる。
チョーカーで飾られていない首。
注射痕のある首。
「――でもねぇ、蒼角ちゃん」
「うん?」
「一人で甘いものを食べるのは苦手だけれど、君とならそれもいいかって思うんだ」
「どうして?」
「……幸せな時間も、現実の一部だって思い出せたからかな」
悠真の手が伸びてくる。
蒼角は椅子から腰を浮かし、それに頬を擦り寄せた。
「それにね、こないだ蒼角ちゃんとキスをした時に感じた甘さも、悪くないなって」
「!」
「ほら、あの時パンケーキとかアイスとか食べてたんでしょ?」
「わ、わわぁ……そうだねぇ」
「今は桃味だよね」
にこりと悠真が笑う。
蒼角は気が付いたようにそっと立ち上がり、ベッドに近づいた。
自身の角がぶつからないよう気を付けながら、
小さな唇を寄せる。
音もなくキスをすれば、
離れた蒼角は悠真の乾いた唇を見つめた。
「ハルマサはビョーニンだから、今はこれだけ」
「ん」
「元気になったら、いっぱいちゅーしてくれる?」
「そうだね~、してもいい?」
「うん」
「なら早く退院しなきゃなぁ」
悠真が笑う。少し困ったような表情をしながら。
蒼角は眉を下げた。
「大丈夫だよ、今日の検査結果が問題なかったらすぐ退院できるから」
「本当に?」
「本当に」
悠真の入院着の襟ぐりから、骨ばった鎖骨が覗く。
ふと、面会時間終了のアナウンスが聞こえてきた。
「ああ、もうこんな時間か」
ため息を吐く悠真。
うっすら開いた唇の隙間から、舌が覗いている。
蒼角の奥歯が、カチカチッと音を立てた。
「……わたし、たべたい」
「ん? お腹減ってんならそこのお菓子食べても――」
「ううん、わたし、
ハルマサを食べたい」
***
蒼角の発言に、悠真は一瞬訝し気な顔をする。
「……何て?」
そう訊いたものの、蒼角は無表情に悠真を見つめているだけ。
廊下から人の歩く音が聞こえてくる。
面会時間は過ぎた、帰る人たちの足音だ。
蒼角は口を開いた。
「昔話、が、あるの」
「昔話?」
「小さい頃よく眠る前に家族から聞いた、昔話」
蒼角は目を伏せ、思い出すように語った。
「鬼族は旧文明よりもむかーしむかしから、いっぱい戦ってきたの。強いことが鬼の誇りだから。強い鬼はね、戦いに勝った相手の心臓を食べるんだよ」
「………」
「それを聞いた時、わたし、すっごくこわかった。だって心臓食べちゃったら死んじゃうでしょって。勝った時にはもう相手が死んでることはその時わかってなかったんだ」
「うん」
「でもね、怖がるわたしに、家族はもうひとつ昔話をしてくれたの。食べてたのは敵だけじゃないんだよって。大切な人が死んでしまった時も、心臓を食べて強くなるんだって」
「………」
「大切な人の心臓を食べれば、その人とずっと一緒に生きていけるからって。昔々の鬼はそうやって生きてきたって」
「そう」
「だからね
だからわたし、
もしもハルマサが死んじゃうってなった時は、
あなたの心臓を食べたい」
笑うでもなく
泣くでもなく
ただ無表情に見える蒼角。
そこにどんな感情が混じり合っているのか外からはわからない。
そんな彼女を見つめ、悠真は結んでいた唇を開いた。
「――そっか、僕がもし死んじゃっても、僕は蒼角ちゃんと一生一緒にいられるのかぁ」
「こわいこと言ってごめんなさい。きっと人間は生き物の心臓をナマで食べたりしないよね」
「はは、そうだね~。でも、謝らなくていいよ」
とんとん、と悠真は膝の上を叩く。
蒼角は首を傾げながらもそこに近寄った。
「ここに座りな」
「いいの? 重たいよ?」
「重たくないよ」
そう言われると、蒼角はそっと悠真の膝の上に座った。
「蒼角ちゃん、ぎゅってしていい?」
「うん」
悠真の腕がぎゅっと蒼角を抱きしめる。
されるがままだった蒼角も、遅れて悠真の首に手を回した。
「ひとつ聞くけど、鬼族は今も心臓をよく食べるわけ?」
「えっ……ううん、そんなことないと思う」
「そうなんだ。じゃあ、蒼角ちゃんは食べるの怖くないの?」
「………」
「?」
「わたしが怖いのはね、ハルマサがエーテリアスになっちゃったり、体を燃やさなきゃいけなくなったりすること」
「………」
「エーテリアスになったら、倒さなきゃいけないし。燃やさなきゃいけないってなったら、きっと悲しくて悔しくて苦しくて、一緒に火の中に入りたくなっちゃう」
「それは危ないなぁ」
「……わたしがハルマサを食べれば、誰にも取られないよ。わたしのものになる」
ぎゅ、と首に回した腕に力が入る。
悠真は苦しさを感じたが、黙ってそれを受け入れた。
「……でも、もしエーテリアスになっちゃいそうになったら、その前に食べなきゃだから、ハルマサとっても痛いかも」
「痛いだろうねぇ」
「……食べるの、やめた方がいい?」
「んー……でもエーテリアスになる苦しみに比べたらきっと大丈夫だよ」
「ほんと?」
「まあ、その時になってみないとわかんないけど~」
「そうだよねぇ」
「それよりも僕の弱り切った心臓で、蒼角ちゃんは強くなれるかな?」
「なれるよ、ハルマサ強いもん! それに、心臓だけじゃなくって頭の先から足の先までぜーんぶ食べちゃえばきっともっと強くなれるよ!」
「ハハハ、そっか。じゃあ蒼角ちゃんはいつか最強になっちゃうわけだ。もしかしたら雅課長より強くなるかも?」
「ボスより? じゃあわたし、カチョーになるの?」
「あははははは! 蒼角ちゃんが課長かあ! うんうん、いつかなるかもしれないねぇ」
悠真が笑っていると、蒼角の腕の力が緩み、小さな手が悠真の両頬を包んだ。
「……もっかいだけしていい?」
「ん?」
「ちゅー」
「うん。でも唇食べちゃわないでね」
「食べちゃうかも、味見」
「味見かぁ」
目を瞑った悠真に、蒼角はそっと口づけをする。
それから乾いた彼の唇に、優しく歯を立てた。
噛みつきはしない。
ただ歯から伝わる肉の感触に満足した後、
蒼角はぺろりと舐めて悠真の唇を湿らせた。
顔を離し、目を合わせる。
悠真の瞳に映る鬼の姿に、蒼角はぶるりと震えた。
「……蒼角ちゃんに食べてもらえるように綺麗な体でいないとね~」
「え? 綺麗な体?」
「ほら、病気が進行しすぎちゃったりしたらさぁ、薬漬けでボロボロになって美味しくなくなっちゃう気がしない?」
「そ……そっか!」
「僕もたゆまぬ努力が必要ってことだね~」
「蒼角も一緒に綺麗な体にしてあげる! お風呂で洗ってあげればいい!?」
「いやいや、洗ってあげるのはどちらかと言えば僕がしたいんだけど……」
いや冗談、と笑うと悠真はもう一度蒼角を抱きしめた。
「蒼角ちゃん、約束だよ」
「? うん」
「僕のいのちを君にあげる。だからそれまでは……僕の弱り切った肺を君の吐息で満たして。いつか君の胃を僕の心臓で満たすその時まで」
ぎゅううううう……と、強い圧迫感が蒼角を包む。
それと同時に、悠真が震えているのが伝わった。
訪れる死が怖いのか、
蒼角に食われるのが怖いのか。
それを判別することは蒼角にはまだできなかったが、
悠真の愛だけは疑わなかった。
――ガラララッ
「あれ!? 浅羽さん! 面会時間過ぎてますよ!」
急に開いた扉から看護師が一人入ってくる。
すでに離れていた悠真と蒼角は顔を見合わせて苦笑いした。
「すみませ~ん。ほらほら、蒼角ちゃん早くお帰り」
「看護師さんごめんなさい! それじゃーまた明日ねハルマサ!」
「うん、また明日」
パタパタパタ、と廊下で足音が響いた。
「蒼角ちゃん、毎日お見舞い来てますね~。いい子ですよね!」
「ふふ、とっても可愛い彼女でしょ?」
「ええ~? 彼女ってまた冗談を~。さ、寝る前のお薬こちらに置いておきますね。あ、浅羽さん、明日は朝の回診で先生から――」
退院予定日が決まりそうだという看護師の説明を聞きながら、悠真は適当に相槌を打ちつつ自分の手を見つめた。
(蒼角ちゃんのおかげで、僕はエーテリアスにならずに済むのか)
(この手で、誰かを殺したりしなくて済む)
(これで悪夢からも解放されるかな)
(僕を食べたい、だなんて最初はどういうことかと思ったけど)
(恐怖よりも安堵の方が上回った僕は……あの鬼の子と同じようにどこかおかしいのかもしれない)
「……んー、でも僕が食べられるよりもまずは蒼角ちゃんを食べたいなぁ~……なんて。いや、これ聞かれたら月城さんにめちゃくちゃ怒られそ」
一人になった病室で、悠真は布団を被った。
――唇に当たった硬い歯の感触を思い出しながら。
***
「――柳と火鍋を囲むのは、久しいな」
箸を手に取りながら、星見雅は言った。
鍋の湯気で眼鏡が曇ってしまった月城柳は「そうですね」と答える。
「蒼角は今日も悠真のところか」
「ええ。面会時間に間に合わない、と急いで行きました。課長と一緒に火鍋を食べることを伝えたので、このあと来るかもしれません」
「む、それでは食べながらゆるりと待つとするか」
ぐつぐつと煮えた具を、皿に取る。
雅はふぅ、ふぅ、と息を吹きかけて冷ますと、熱々のつゆを啜った。
「それにしても浅羽隊員が早くに職場復帰できるようで安心しました」
「ああ、あの時はもうダメかと思った」
「課長……」
「柳、お前もそうだろう。こんなことを言ってはいけないのはわかっているが、あの場で希望を持っていたのは蒼角だけだった。そして、誰より死と向き合っていた」
雅は目を伏せ、ホロウで悠真が倒れた時のことを思い返していた。
――あの日、地面に崩れ落ち、咳き込んだ悠真の口からは血が垂れていた。
ホロウを出てから救急車を待つ間は悠真を横向きに寝かせ、窒息しないよう動かさずに見守った。
蒼角はその間ずっと隣に座っていて、苦しそうにひゅーひゅーと息をする悠真の背中をそっと摩った。
もしかすると彼はこのまま命を落としてしまうかもしれない、
幼い蒼角にそんな現実が耐えられるのか、
――と柳は気が気ではなかったが、当の本人は何かを言うこともなく、涙を流すわけでもなく、じっとその場にいた。
少しして救急車が到着すると、悠真はすぐに運ばれて行った。
状況説明の為月城が救急車に同乗すると、H.A.N.D.へ報告に戻る為残された雅は蒼角の肩を抱き、救急車を見送った。
「……大丈夫か、蒼角」
雅の声が、一拍遅れて蒼角の耳に届く。
振り返ると、うん、と頷いた。
「ハルマサは、大丈夫だよね」
「………」
「わたしは、大丈夫だと思ってる」
「……そうか」
「まだ、心臓が生きてる音を立ててたから」
「生きてる音?」
「死にそうな心臓の音は、もっと、弱弱しくて、悲しい音を立てるから」
「………」
蒼角はもうすでに見えなくなった救急車の方向をじっと見ている。
その横顔を見て、雅は感嘆の息を漏らした。
「ボスは、ハルマサがエーテリアスになったら、切るの?」
「! ……断言はできないが、その時が来たら、切るのだろう」
「ナギねえも、そうするかな?」
「柳は……どうだろうか。しかし誰かに危害を加えることになれば、やはり、切るだろう」
「エーテリアスって、食べたらお腹壊すと思う?」
「?」
蒼角の透き通るような瞳が、雅をじっと見た。
「……エーテル物質を口にすることは、推奨しない」
「そっかぁ。じゃあ、わたし、人間のままハルマサを食べなきゃだ」
「えっ?」
気の抜けた声が、雅の口から発せられる。
「ボスもナギねえも止めるかもしれないけど、わたし、ハルマサを食べたい。人間のまま」
「蒼角」
「もしそうなったら、ハルマサはホロウの中でエーテリアスになって倒しちゃったって、報告してほしいな。誰かに知られたら、わたし、ここにいられなくなっちゃうでしょ? 人間は食べちゃだめだもん」
「………」
「ハルマサが好きだから、ハルマサの身体は最後までハルマサでいてほしい」
「……蒼角、本当にそれは死に際だけの話か? もしもお前が『生きている悠真』を食べようなどと考えれば、私は六課課長としてお前を止めねばならない」
ぎゅ、と妖刀を握り、雅は蒼角を見る。
「ボスのこと怖がらせちゃった? ごめんなさい、蒼角はだいじょーぶだよ。だってハルマサとはいっぱい遊んだりご飯たべたりぎゅーしたりしたいもん。生きてないと、全部意味ないよ」
「……そうか」
「蒼角も、そんな日がすぐに来ないこと祈ってるよ。ハルマサには……私と一緒に長生きしてほしいなぁ」
――火鍋屋の隅の席で、からんからん、と箸が落ちる音が響いた。
「……あっ、す、すみません」
柳は慌てて床から箸を拾い上げる。
気づいた店員がそれを受け取って新たな箸を柳に手渡した。
「む、どうした柳」
「い、いえ……そんなことを、話していたとは思わなくて」
「お前も知らない蒼角が、まだいるということだな」
「そうですね。どれだけ一緒に暮らしていても……あの子の心を全て理解してるわけではありません。もっと知りたいと、常々思ってはいますが……」
「誰にだって表に出しにくい本心がある。蒼角は自分で隠し事をするような性分ではないが、かといって全てを
「成長……」
「……柳、肉が硬くなりすぎてしまう。食べると良い」
「……そうですね」
二人は鍋に箸を差し入れた。
浮き上がる肉の表面を見つめ、今の会話を頭の中でかき混ぜる。
「
***
「ハルマサー、お見舞いの食べ物ぜーんぶ袋に詰めたよ!」
「ありがとね。じゃあそれ持って帰って一緒に食べよっか」
「やったー!」
――数日後、入院着だった悠真は退院する為私服に着替えた。
運ばれてきた際に着ていた仕事着は血や泥で汚れてしまっていたため廃棄し、蒼角に頼んで部屋から服を持ってきてもらったのだ。
雅も柳も今は勤務中だが、蒼角は午前のお休みを取って退院の手伝いをしに来た。
荷物を全てまとめると、一週間ちょっと世話になった個室を出て退院の手続きを済ませる。
二人で病院を出ると、うんと伸びをして空気を吸い込んだ。
「っはぁ~~~、やっぱ病院の中の空気は淀んでて滅入るな~。ようやく退院できてほっとしたよ」
「ハルマサ、お疲れ様!」
「んじゃ、タクシー拾って帰ろっか~」
「ねぇねぇ、わたし、朝ごはん買ってから行きたい」
「あれ? 食べてこなかったの?」
「えへへ、実は寝坊しちゃって……」
ぺろっと舌を出すと、蒼角は照れたように笑う。
「どうせ深夜ドラマでも見て夜更かししてたんでしょ?」
「ぎくっ! ……ど、どうしてわかったの!?」
「蒼角ちゃんのやりそうなことはわかりまーす」
「ええ~!? 深夜ドラマ見てるなんて言ったことなかったのに~!」
「月城さんに隠れて見てるわけ?」
「だって夜更かししてたらナギねえ怒るもん」
ぶー、と唇を尖らせる蒼角に、悠真は堪え切れずに笑った。
「じゃー今度うちに泊まりにおいでよ。一緒に見よ、深夜ドラマ」
「いいの!? やったー!」
「月城さんには言っちゃだめだよ」
「えへへっ、内緒ね~♪」
しーっ、と二人そろって人差し指を口に当てる。
そんなことをしているうちにタクシー乗り場までやってきた二人は、空車を一台拾った。
乗り込むと行先を伝え、車が動き出す。
「蒼角ちゃんは午後から仕事だもんね」
「うん、だからすぐ帰るよ! ハルマサはしっかり休んでね!」
「わかってるわかってる」
「でもお仕事明日からって言ってたけど……ほんとにだいじょーぶ?」
「大丈夫か大丈夫じゃないかで言えばぁ、休みたいのが本音?」
「わあ」
「でも行かないと仕事が溜まりに溜まって残業待ったなし」
「わあ!」
げんなりとする悠真に、蒼角はくすくすと笑った。
会話はそこで途切れ、悠真は道案内の為に少し身を乗り出して運転手に話しかけた。
蒼角は外を見ていたが、ふと悠真に手を握られて視線を落とす。
指の間を悠真の指先が撫で、形を確かめるようにしていた。
「んっ」
くすぐったくて、声が出そうになる。
そんな蒼角を横目でちらりと見て、悠真は笑った。
「蒼角ちゃん、朝ごはん何食べたい?」
「え……っとね、ハンバーガー! そういえばこないだ邪兎屋のお姉ちゃんに美味しいハンバーガーのお店教えてもらったよ!」
「え、仲良いの?」
タクシーの目的地を悠真の自宅付近から『美味しいハンバーガー屋さん』へ変更すると、車窓に流れる景色はまた新たなものへと変わっていった。
車内は静かになり、悠真も蒼角もその景色を見つめている。
二人の間には、ぎゅっと繋がれた手。
ようやく戻った日常に、二人は安堵した――。