ダンジョンロボ(仮)   作:トシアキウス

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二日目の終わり

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 待合室に複数運び込まれた巨大モニターに、安否不明者のリストが映っている。氏名、性別、年齢、探索機種、探索階層、情報量は一人一行分だが、一画面ではとても表示しきれない。何ページもあるので目当ての画面が来るまで辛抱強く待たねばならない。五十音順のそれを見逃したらまた一周するまで待ち直しだ。モニターはここの協会の所属者だけのものと全国版のものとがあり、人が多く集まっているのは全国版のほうであった。

 何となれば三層探索者には他県同士でも三層で落ち合って定期的にパーティを組むといった者が結構いる。同じダンジョンの探索者と人間関係でしくじっても他のダンジョンの探索者とは上手くやれる。万年二層の元仲間と遠方の三層探索者とでは、同胞扱いしやすいのは後者の方といえるだろう。

 

 せっかちな探索者が片っ端からスマホで電話をかけている。救助へ行くの行かないのと仲間同士で揉める者もいる。リストに己の名前を見つけて職員に文句を言いに行く者、平常通り報酬を受け取ろうして手続きのもたつきに苛立っている者、更には昨日と同じ名物おじさんがここぞとばかりに明細を大声で読み上げて、しかも繰り返している。警備員の制止の声も入り交じり、待合室は喧々囂々というような有様であった。

 柿本さんも電話に出ていた。

「……うん。だいじょぶ。今協会。わかった。うん。無事だから。怪我もないよ。だから後でね母さん。家帰ったらかけ直すから、もう切るよ」

 おそらく家族からであろう。通話を終えた彼女はため息を吐いてスマホを下ろしたが、他の探索者のようにモニターを凝視することはなかった。

「安否の確認は、大丈夫なんですか」

「ソロだからね。知り合いもいるけど、知り合いなだけだよ。そんなに親しいわけじゃない、っと」

 スマホが再び振動した。画面を見ると、柿本さんはなんともいえない顔をした。

「こいつがいたか」

(ねえ)さん姐さん姐さん! 無事っすか? 埋まってないすか? 水責めガボガボやられてないすか?』

 電話の向こうの女性は相当な大声らしく、先ほどの通話と違い俺にもはっきりと聞き取れた。

『美しすぎるそのお顔がドロドロぐっちゃんぐっちゃんちゃんも、それはそれでウヘヘヘヘ……ってぇ、電話に出んならもともと無事、今日はオフってことっすよね? オナニー中だったらごめんなさい。かくいうあたしも最中でしてね。お詫びにナマのあえぎご――』

「死ねよ」

 柿本さんがスマホを切り、気まずそうに俺を見た。

「ちょっと気違いな後輩でね。教育に悪いから忘れてくれると助かるよ。教育に悪いから」

 二度も言うからには大事なことらしい。俺は忘れてモニターを再び見ることにした。

 

 刻々と更新されるこの名簿は、見方を変えれば個人情報の大盤振る舞いでもある。特に全国版のそれは膨大なプロ探索者の簡易情報を垂れ流している。間違いなく不謹慎であるが、何かの役に立つかもしれない。

 御年七十五歳かつテクニカ乗りの五層探索者なんてとんでもない人物がいたり、俺と同じ中卒であろう十七歳の三層探索者もいる。性別欄が男(女)や女(男)という性転換アイテム使用者の中には、探索者になるという理由でグループを脱退した元男性アイドルで現女性探索者の名前もあった。

 

 通話は着信拒否したがテキストのメッセージは止まらなかったらしく。結構な時間をかけてようやく気違いな後輩さんを黙らせた柿本さんが切り出した。

「そのうちここに一般人、安否不明者の身内なんかが来るだろうから、邪魔しないようボクらはお暇しようじゃないか。良かったら送って行くけど、どうかな?」

 少し悩んだが聞きたいこともあったので、お言葉に甘えることにした。

 

 柿本さんと二人で閑散とした駐車場を歩く。

「知ってるかい? この駐車場は深層探索者と協会職員だけ、無料で駐車できちまうんだ」

 高収入高支出の探索者を狙い撃ちに地価を吊り上げられているせいもあるが、協会のこうしたやり口は深層探索者以外、すなわち大多数の探索者には不評であった。ダンジョンで一泊以上するのならタクシーを使った方が安く付く。広大な駐車場はがらがらな一方、無料駐輪場はバイクでいつも埋まっている。雪の積もる冬場でもそうらしい。

 駐車料金もタクシー代も探索者にとっては必要経費として納得できる額ではある。しかし足下を見た姿勢自体が鼻につく。お値段以上の苛立ちが齎されるということで盛んに抗議活動が行なわれ、そのたびにそんな暇があるならダンジョンに潜れと解散させられている。

 

 深層探索者のものであろう色々な高級車を通り過ぎ、昭和のスーパーカーすら何台か見かけたが、柿本さんの車はいうと、軽自動車であった。木田技研工業のサポートカーである。

 ちなみにシラサギといえば一般人にとってはバイクメーカーであって自動車メーカーではないが、一応オフロード四輪車(ATV)も作っている。しかしATVは公道を走れないので、自動車選びに関してはシラサギおじさんも妥協せざるを得ない。

 それにしたって木田技研製を選んだのは意外であった。一般人のイメージとして、シラサギ愛好者は木田を優等生呼ばわりで敵視しているというのがある。

「木田の探索機は気に入らないけど、車は普段使いするものだ。ボクだって使いやすさと安全性を優先するよ」

 軽自動車には初心者マークが付いていた。少し不安だがサポートカーなら安全装置が充実している。それに今の俺にはレベル7のステータスもある。多少の事故なら問題ないだろう。

 

 

 

48

 親父の車とは車内のにおいがまるで違う。女子の部屋のそれを化粧品の香料で薄く覆ったような感じである。

 こんな変態的な思考に及んでしまうのは、会話がなくて手持ち無沙汰なせいだろう。

 柿本さんは音楽やラジオを流さないタイプらしい。カーナビに住所を入力すると運転に集中してしまった。時々ハンドルに前のめりの姿勢になりつつも、ぴったりというくらい左寄せし、スピードメーターは法定速度以上には回らず、方向指示器のタイミングもやや早めだ。しっかりと身を乗り出して安全確認する度に、ふわりという髪の匂いが鼻を撫でた。

 軽自動車をゴスロリドレスの女性が運転し、助手席に物々しいボディアーマーの少年が乗っている。傍から見ればどうだろう。後者だけならああ探索者かとすぐわかるが、前者を含めれば少し混乱した後、個性的なお姉さんに送り迎えしてもらっているのだなと納得するかもしれない。

 赤信号で横並びとなった車に乗る女の子が、こちらを指差していた。平日だが小学生高学年くらいである。肌つやとニット帽の下は禿頭なのを見るに、病院帰りなのかもしれない。手を振ってみると、向こうは慌てたように振り返した。柿本さんも気が付いて、片手を空けてふりふりした。女の子の顔が赤らんだ。女王もといお姫様のような服装の美女である。フリルもある。女の子にとってその姿は、男の子にとってのギンギラギンのヒーロースーツみたいなもので、憧れといえるだろう。

 信号が青になってしばらく進む。空気が少し和らいだので、話を切り出すには良さそうなタイミングだ。

「あの、三層のことなんですが」

「あのさ、あの女が言ってたことだけど」

 話し出すのは同時であった。きまりが悪くて互いに一旦口を噤む。そうこうしているうちに右折が来て、回りの車両も増えてきた。今の柿本さんでは喋りながら運転するのは難しいかもしれない。

 カーナビにコンビニが表示されると、

「ちょっと寄ってこっか」

 そう言って道を逸れた。

 

 

 コンビニの駐車場で体を伸ばす。見上げる空は同じだが、こういう生活感のある場所だと、娑婆の空気をあらためて吸ったような心地がする。

「ステータスオープン」

 

 MP 26/94

 

 なんとなくMPを確認してみた。ダンジョン内で30まで回復し、たった今1使った。もう3は、花沢さんと対峙したときに消費したのであろう。探索機と同じで地上でのステータス行使は待機状態にあるだけでもMPを消耗する。身構えているときには行使せず、実際に動いている間だけ行使するといったふうに、もしもの時に備えて効率の良い仕方を訓練すべきかもしれない。

 

 自動ドアのチャイム音が鳴った。

「ステータスを見ていたのかい?」

 柿本さんは両手に包みを持っていた。

「地上での消耗度合いを確かめたくて。やはりまだオンオフには慣れませんね」

「MPイコール弾数みたいなものだからね。余裕を見て少しずつ慣れていくしかないさ。MPポーションはクソ高弾薬費ともいえるし……だからさ、それでその、さっきはさ。あのっ、助けられたよありがとね! お礼といったら安すぎるけど、チキンでよかったかい」

「ありがとうございます。いただきます」

 ファミリーなチキンを下さいと念を送ってみる。柿本さんがぴくりと反応した。

「こいつ直接脳内に……! って今の何? ほんとに言った?」

「気当たりの応用です」

 元は長透貫という心法の術技で、それに言語を乗せている。師範や高弟の人たちと、これでよく脳内当てをして遊んでいた。受け取る側にもある程度の練度がなくては通じないが、さすがは深層探索者である。はっきり言葉として通じるほど、第六感が磨かれている。

「地上でも相変わらずビックリドッキリマンだね、少年は」

 こんなのしっかり修行した大人なら誰でもできるだろうが、ダンジョンアタックとは関係ない技術なので、柿本さんにとっては珍しいのかもしれない。

 

 コンビニのチキンは暖かくてスパイシーで少しご飯が欲しくなるが、あえてご飯を抜いた味の濃さが、買い食いにおける贅沢というものだろう。中学生の頃が思い出された。喋りながらちびちびかじり、みんな食べ終えるくらいの時間までなら、コンビニ前にたむろする不良学生とは見なされない。そういった暗黙のルールがあった。

 慣れ親しんだペースで食べる俺とは違い、柿本さんはさっさと食べ終えてしまい、

「あっ」

 と気まずそうに包み紙を丸めた。

「先ほど車の中で、花沢さんのことでしょうか、何か言おうとされてましたが」

 間を持たせるには俺が急いで食べるより、聞き役に回るのが良いだろう。元より会話をするために車をここに停めたのである。

「……基本的に個人情報のお漏らしは不名誉だ。なんでもかんでもコンプライアンス、私事だろうと公人扱いされるのが探索者というものだ」

 ダンジョンを職場とみなして拡大解釈すればそうなるだろう。探索者も協会職員も受付嬢も同僚である。職場以外の人間についてはどんな噂話をしようとかまわないが、職場で得た同僚の個人情報を他者に漏らすのは、明々白々なコンプラ違反であるという。そういうふうに俺は習った。

「だがそれはあくまでボクの都合だ。あの女に絡まれた以上、ある程度の事情は、少年も知っておいたほうがいいだろう」

 回りくどい物言いは大人としての振る舞いで、あくまでこれは本来違反行為だと前置きしたのだろう。

「……さてどう話したものか。君にも教えよう花沢佐奈の『中卒探索者』への執着の理由を……というふうに悲しい過去語りをするのもアレだね。ぶっちゃけ共感してないし、ボクはあの女が嫌いだ。喧嘩するほど仲が良いなんてきっしょい百合豚みたいな思い込みは止してくれよ? ボクとあの女は侮り合い蔑み合ってる。ガチな方の仲悪さだ」

 生き生きと口喧嘩していたがゆえに、傍目で勘違いされてさんざん言われたことがあるのだろう。百合豚という言葉の意味はわからないが、うんざりした口調であった。

「一々悩まされるのも癪だし面倒だからぱぱっと言おう。あの女は中卒探索者の弟を亡くしていて、少年に目を付けたのは死んだ弟と同じ中卒探索者だから。つまり少年はメンヘラ受付嬢の妄執に巻き込まれたってわけさ。以上。災難だったね」

 引っ張った割には身も蓋もない言い方であった。

 

 

 

49

 花沢さんの弟である花沢聖琉は、元は探索者学園の生徒であったという。

「入学時の検査で同調率70%以上をたたき出したらしい。中学のときも糞ジョック……スポーツマンとしてイケイケだったそうだ。しかも上級だから実家も太い。頭の出来は知らないがね、探索機適正にも運動神経にも金回りにも恵まれてるとなれば、探索者候補生としてはスーパーエリートだ。入学すぐに頭角を現して、レベル0にもかかわらず十傑候補になったらしい。なんせ初期同調率70台、並みのエリートの60台から一回り上だ。その年の入学者の中では学園トップ、全国基準でも十位以内には入ってたんじゃないかな」

 探索者学園においては初期同調率の高さは入学時のクラスカーストの高さに等しいといわれている。もの凄い有望株だったというわけだ。

「中卒探索者だということは、学園を退学したんですよね?」

「適正長者で上級子息、でかい面もできるし回りもひとまずちやほやする。当然、他の学生にしてみれば面白くない。同級生はもちろん、それ以上に上級生がだ。一年のくせに十傑候補としてしゃしゃり出てきたんだ。席次に影響がなく卒業は別とはいえ、スポンサーの数は限られているし、生徒会の権力だってそうだ。こいつうざいから潰そうぜ、と結託するには十分な理由さ。大方、花沢聖琉は決闘を挑まれて敗北でもしたんだろう。負けた方が退学するのを条件に、対戦相手は多分同級生かな? 裏工作込みならそっちのほうがハメやすい」

 決闘で退学やら裏工作やら、現代の学園らしからぬ物騒な単語が出てきた。

「探索者学園というところはね、少年。学舎である以上に、探索者志望者が奨ダン金を得るために己の価値をアピールする、そのための場所なのさ。出資側も猫を被った面接なんかより、実力で示されたほうがやりやすいだろう? いわゆる実力至上主義の競争社会、それが探索者学園だ。閉鎖的という但し書きはつくし、ランク付けやら謎のポイント通貨やらと社会実験も兼ねてるがね」

「出る杭とはいえ、よってたかってハメ潰して問題にはならないんですか?」

「その程度で潰れるようならそれまでさ。学生社会で生き残れない人間が、ダンジョンでこの先生きのこれるとは思わないと、そう判断されている。とはいえやり過ぎなのは否めないけどね。実力主義と自己責任の名の下に、裏では暴行、恐喝、いやがらせに男女問わずの強姦、あと売春かな? 証拠を隠して口裏を合わせれば校則違反にならないし、学生ランクイコール発言力だ」

 一般出身の探索者が学園生を敬遠するのも当然であった。潰し合いや犯罪ばかり達者になって、学生なら勉強しろと言いたくなるだろう。税金の使い方もそうだがそれ以上に油断ならぬ人格者に育ってしまっている。

「蠱毒の中で互いを蹴落とし合っていれば、地元名士程度の権威には怯まないし、上級のあしらい方にも慣れている。もしこれが一般学生なら上級生も手心を加えたろうがね。花沢聖琉は上級子息で、金がある。自分たちは少しでも多く出資してもらうため必死に競争しているというのに、向こうは学生気分で――いや学生なんだけどね、ただ名誉が欲しいがために席次を荒らす。そんな相手なら退学させたところで罪悪感は少ないし、他の一般学生にとっても、むしろ正義の行いに見えたろう。金持ちの上級国民はお呼びじゃないってさ」

 俺の初期同調率は89.3%だ。もし学園に入学したなら、俺も彼と同じようにハメられて退学し、死んだような目で、探索者学園は恐ろしいところだと語っていたかもしれない。

 学園の無法地帯のような環境では柿本さんも苦労したのであろう。花沢さんは彼女を底辺呼ばわりし、生意気だとも口にしていた。あるいは尊厳を損なわれることもあったかもしれない。

「おっと誤解しないでくれたまえ。学生時代のボクは席次争いや、犯罪紛いのガチいじめなんかに一切かかわっちゃいない。体は綺麗なままだよ。ぼっちだったし、席次も中の下、奨ダン金は最低ランクでぎりぎりさ」

 そこから成り上がったという自負があるためか、その言葉に卑下するような調子はない。

「学園の愚痴はそれこそ無限に出てくるがね、これでもボクは学園に感謝しているし、行ってよかったとも思っている。行かなきゃそもそも探索者になれなかった。奨ダン金は無利子で、学園で落ちこぼれさえしなければ得られるくらいに基準も緩い。一般家庭や貧困層出身者が、こんな簡単に真っ当な探索者になれる制度は他の国には存在しないよ。ヨーロッパは金持ち限定、途上国なんかは軍属ばかり、米国の探索者ですらほとんどがリボ払いの借金漬けで、経済奴隷といってもいい」

 リボ払いとは悪魔の発明だと親父が言っていた。日本の探索者がそれを活用せずに済んでいるのも、田中次郎のおかげである。奨ダン金の主な財源は彼の遺産、日本の消費電力の半分をまかなう田中次郎式永久機関の使用料だ。財団のものとはせずに国へその権利を譲渡していた。

「話が逸れたね。さて入学早々退学させられた花沢聖琉だが、彼は探索者になるのを諦めなかった。才能も金もある、天に二物を与えられたのだから当然だね。当時二層探索者だった彼の姉、花沢佐奈とパーティを組んで探索者デビューした。卑怯な手で学園を追放されたが同調率チートで姉と一緒に成り上がり、学園生が今さら詫びてももう遅い、パワー系上級国民としてぶっ殺してやる、なんてラノベ展開を望んだかはわからない。けれど探索者になった彼は、実際にそれが可能なくらいのポテンシャルがあった。初期ステガチャでも当たりを引いたらしい」

「知っているということは、ステータスを公表したんですか?」

「性懲りもないが、上級国民で、二層探索者とはいえあの女も保護者としてついていたからね。怖い物知らずの学生相手よりリスクは低い。秘匿より、退学者の汚名を返上することを優先したんだろう。協力したほうが得だってふうに、才能があるとわかれば回りの態度も変わってくる。それでボクにも噂が聞こえてきたわけさ。たしか早さが12で、スキルはアイテムボックスだったかな? 最上級の初期ステだ。そして一週間でウォーターワームを単独撃破し、一ヶ月で二層探索者になった」

 花沢さんとのパーティだ。俺とは違い安全マージンをとったうえでの攻略速度だろう。

「まさに大型ルーキーだ。このペースなら一年以内に三層探索者になれるかもしれないと期待されていた。期待されていたが、義経ゴブリンに負けて死んでしまった。あっけないが、探索者には良くある話さ」

 探索者花沢聖琉の話はこれで終わりだ。ここからは残された人間、彼の姉であり、パーティメンバーである花沢さんの話になる。

「当時、ボクは二層探索者だった。同級生のあの女より攻略ペースが早いか遅いか、そもそも意識していなかったからわからない。でもソロな分、少なくともボクの方がレベルでは上だったろう。自分でいうのもなんだけど、才能と実力、それから覚悟の違いだね。席次は関係ないというやつさ。とはいえ、だ。将来の深層探索者であるボクといえども、当時の実力では義経ゴブリンには敵わなかった。片腕と杖をやられて這々の体で退却したよ。あのまま追撃されてたら危なかったかもしれない。義経ゴブリンはさ、敗北者を鼻で笑って見逃すんだ。そのむかつく性質に助けられたともいえるね。帰還した後は当然協会に報告したよ。義経は年中出るとはいえ、ネームドクラスのモンスターだ。注意喚起は必要だ。そしてそれは、花沢聖琉の戦死する一週間くらい前のことだった」

 自分が花沢聖琉ならどうしたか考える。

「もしや挑んだんですか、自分から」

「だろうね。遭遇するなり逃げに徹すれば、義経ゴブリンは襲ってこない。挑んで死ぬのは報酬に目の眩んだ探索者か、軽い気持ちで腕試しするような迂闊なやつさ」

 今日の俺のような人種であろう。

「そうしてある日突然、待合室で出くわしたあの女に言われたよ。あの子はあんたのせいで死んだんだって。ボクは思った。知らんがなって。さすがに口には出さなかったがね」

 せやなと声に出すのは不謹慎なので、俺も頷くだけにした。

「言い掛かりはつけられたが嫌がらせはされなかった。トラウマかイップスかは知らないが、あの女は弟を死なせてから活動を休止して、そのまま引退した。同級生とはいえ向こうはカースト上位でこっちはぼっち、もともと関わりが無かったからね、ボクはあの女の存在自体、すっかり忘れていた。再会したのは、あの女が受付嬢として復帰した一年くらい後のことだった。あの女はボクを敵視して絡んでくるようになった。とはいえボクもその頃には三層探索者、プロ探索者だ。学生時代とは違って言い返すくらいはできる。そういう立場だ。それが却って気に入らなかったんだろうね、顔を合わせる度に嫌味を言ったり、学生の頃の立場を持ち出して貶めたりする。だからかね、散々言い返したボクも口が悪くなってしまったよ。あえて良いとこ探しするなら、あの女のおかげでコミュ力が鍛えられたともいえるかもしれない」

 その軽い口振りからして、柿本さんにとっては大した因縁ではないのだろう。けれども花沢さんのあの様子には、並々ならぬ情念が感じられた。弟の死の原因だと言い掛かりをつけるにちょうど良い相手とはいえ、あそこまで過剰な反応を見せるものだろうかと、柿本さんにとっての花沢さんと花沢さんにとっての柿本さん、互いに向ける感情の天秤が、ひどく傾いているように思われてならなかった。

 

 

 

50

 車が家に着いた。

 散々お世話になったのだ。本来ならここで粗茶の一つでも出すべきだろうが、来客を想定していなかったので出せるようなものがない。格納庫にござを敷いて行動食の羊羹をお茶請けに、安物の抹茶を点てておもてなしとするわけにもいかないだろう。

 それに男の一人暮しである。妙齢の女性を知り合った初日に連れ込むというのはお互いにとってよろしくない。それはチャラ男の所業だと、親父にきつく戒められてもいる。

「へぇ、シェアでも簡易でもないんだね。趣きがある」

 くたびれた大きめの格納庫に、柿本さんはわくわくした様子であった。男相手とはいえ腕力で勝てるから警戒心が薄れているのだろうが、どうにも危うい。まずうちさぁハンガー開いてんだけど整備してかないと提案したら、ほいほい付いてきそうな感じもする。

「今日はありがとうございました。本当に色々とお世話になって」

「お礼を言うのはこちらのほうさ。君と会えなかったから、世界樹の崩壊に巻き込まれたかもしれないんだ」

「あくまでそれは偶然です。こちらが一方的にお世話になったことには変わりません。いずれあらためてお礼をさせて下さい」

「だったら今度ラーメンでも奢ってくれ。女一人じゃ行けないからね」

 ベースキャンプの自販機エリアでお大尽していたくらいだ。ラーメン女子をするのに恥ずかしいということはないだろう。連絡先は交換したが社交辞令に違いない。

「そういえばだ。少年はレベルが7になったようだけど、次のアタックは二層へ行くのかい?」

 レベルキャップに近付くほど、レベルが上がりにくくなる。たとえばレベル9からレベル10に上げるのに、一層にいたままでは何ヶ月もかかるだろう。三層以降ならともかく一層から二層へは、石橋を叩く必要はそんなにない。ゆえにレベルキャップからマイナス5、新しいスキルを覚えるレベル5が、一層を卒業する目安とされている。つまり俺は運良く今日のアタックで、卒業基準を満たしたわけだ。

 しかし今朝立てた予定を変更するつもりはない。

「明日小ダンジョンに挑戦して、それからになりますね。二層に移るのは」

「慎重というべきか早々無茶なというべきか、判断に困るけど、少年ならやれるだろうさ」

 生身でモンスターと戦うのである。探索機でのダンジョン探索とは勝手が違う。それこそロボットアニメとモンスターパニック映画くらいの違いがあるのは、小ダンジョン専門の歩兵探索者というプロフェッショナルがいることからも窺える。

「だが気をつけるんだよ。一層の小ダンジョンとはいえアント系ばかりとも限らないから」

「他の小型種? レアな虫系でも出るんですか?」

 一層の小型モンスターはアント系だけだと聞いている。

「いんやゴブリン。ごく稀だけどね。運悪く、宝箱のランクが上がるから運良くともいえるが、小ダンジョンでゴブリンと出くわして、生身のまま逃げ回るハメになったなんて事例が年に何度かあるらしい」

 ステータスのおかげで生身で戦えるといってもそれは基本的に小型モンスターが相手の場合である。六十四郎氏のように中型以上のモンスターを相手に立ち回るのは、普通はあり得ないこととされている。

「……少年、君は多分、()()()()側の人間だ」

 たしかに俺にはそれなりの才能も初期費用も恵まれた家庭環境もあったが、言葉の続きによると、そういう意味ではないらしい。

「良い探索者はダンジョンに好かれてしまう、かまわれるという。テイムモンスターに愛され系とかレア泥率で贔屓とかそういう意味じゃない。試練だよ。ダンジョンは目を付けた探索者に試練を与える。ネームドをけしかけたり地形変動に巻き込んだりとね。そして試練はダンジョンだけにとどまらない。人間相手の戦いすらも含まれる。そうなるよう人間の運命に干渉するとでもいうのかな、そういう力すらダンジョンは持っているのさ。いまボクはあえてオカルトめいた物言いをしたがね、そもそもダンジョン自体がファンタジーな存在だろう? 何があったって不思議じゃない。ボクら探索者が神社仏閣に縋るのも、机上の世界観は役立たないという科学的思考の結果ともいえるね」

 スピリチュアルおば……お姉さんに変じたのかと少し焦ったが、言われてみればたしかにそうだ。ダンジョンはファンタジーな存在で、対抗するには地球産のファンタジーが必要であるともいえる。とはいえ科学的という形容を用いるのは却ってうさん臭い。怪しい壺を買うよりは戒名に金をかけたほうが無難だろう。

「……念のため言うがボクはカルトじゃないからね? 初詣は行くしクリスマスにはケーキを食べる。宗派も地元のちゃんとしたお寺だよ。選挙だって行くかどうかは半々だ」

 柿本さんは日本人教の日本人だと主張した。四層探索者なら外国人と接することもある。一般の職場と違って野球や宗教、政治的なスタンスははっきりさせておかねばならないのであろう。

 話が逸れかけたからか、柿本さんは小さく咳払いして深妙な調子に戻った。

「さて少年、君は今日、地形変動で二層へ押し出され、ネームドクラスの強敵とも対峙した。あるいはボクとの出会いすら、ダンジョンに仕組まれていたかもしれない」

 柿本さんがお守りをしてくれなければ、二層でああも自由に戦えなかった。義経ゴブリンと遭遇しても撤退を選んでいたかもしれない。

「アタック二回目でレベル7なんて普通は絶対ありえない。異常だよ。どれほど戦う才能に恵まれていようとね、エンカウントは有限だ。ルーキーが偶然義経ゴブリンと遭遇したうえに、偶然一緒にいた深層探索者が逃げ道を塞ぐことで、一騎討ちの状況が整う。確率的にみれば万に一つだ。けれどもその万に一つが割とよくあるのが、少年のような持ってる側の探索者だ。一層の小ダンジョンでのゴブリン出現すら、他の探索者にとっては小数点以下の確率だが、少年にとっては稀によくあることになるかもしれない。アタック二回目で義経の源氏装備一式を手に入れたくらいだからね」

 大丈夫、探索者協会の統計だよ、というふうに、データを鵜呑みにするのはよくないのであろう。

 

 深層探索者ともなれば同じく持ってる側、ダンジョンに好かれる才能のある側だと思ったが、柿本さんのこれまでの言い方では、彼女自身はそうではないらしい。

 疑念を顔に出すと、

「逆だよ少年。才能があるからこそ早死にする。試練はダンジョンの愛情表現だ。しつこいくらいに繰り返されるね。そして九死に一生が何度も続くわけじゃない。世間には誤解されているけど、深層探索者に天才といえるような傑物はほんの一握りさ。大半がボクのような凡才だ。凡才だからこそ生き残れた、生存者バイアスかもしれないがね」

 柿本さんは気付いていない様子だが、俺という人間を指して早死にすると言っているようなものだろう。とはいえそれは望むところだ。次々と強敵が現れるなら、レベルの上がりも早くなる。

「あるいは花沢聖琉もそうだったのかもしれない。あの女は弟と同じものを、君に感じたからこそ目を付けた。女の勘というやつかね。中卒探索者で、イケメンなのも一緒だ。そして同じくダンジョンがらみの悪運に恵まれている。まあそれで、あんなヒステリーを起こしちゃざまあないけど。今頃は田中さんにこってり絞られ……今はそんな暇ないか、小間使いじゃなければ謹慎かな」

 柿本さんはそこで話を切ると、「ん……」と手を組んで大きく伸ばした。フリルに扇がれ彼女の香りがこちらに来た。

「つい長話してしまったね。そろそろボクはお暇するよ。そうそう、さっき言ったほん一握りの深層探索者、ボクは少年がそれになれると確信している」

 無神経からではなく、早死に云々は信頼していたからこそ、あえて発言したらしい。

「君がボクと同じ深層探索者になる日を待ってるよ。そのときは今日のようにパーティを組もう。今度は対等でね。でもそうさな、それまではさすがに年月がかかるだろうから、まずは三層探索者に上がれたら、ボクをムラサキさんと呼ぶ権利をあげようじゃないか」

 名前呼びなんてはしたないと言っていたくらいである。深層探索者と気安く呼び合うには実力を示した上で、権利が必要なのであろう。

 

 

 

51

 今日は色々あったので、親父への報告は昨日の倍くらいの文字数になった。

「ファッションと一人称からして地雷女? いや、見た目はそうでもあれはあれでちゃんとした装備らしいよ。ミスリルファイバーを使っためちゃくちゃ高いやつ。それに話してみると普通だし。どんな個性的な女性でもお互いに下心がなければ上手くやれると言ったのは父さんだろ? ……うん、考えは変わらないよ。この先恋愛とかそういうのをするつもりはない。お祖父ちゃんとお祖母ちゃんの血はいとこの瑞羽(みずは)ちゃんと(しょう)君が残してくれるだろうし、あの女にはあいつらがいる。だったら人類という種の義務は、遺産を残せば果たしたことになるんじゃない? 僕は田中次郎リスペクトで行くよ。田中次郎もダンジョンに愛されて浮気しなかったから、あれだけの功績を残せたんだ。どうせなら僕も彼のように、行きつくところまで行ってみたい。父さんにはすまないけどさ、お墓を立派にするので手打ちとしてくれたまえ。っと、柿本さんの口調が移ったかな。ん?」

 いつの間にか日が落ちて、部屋の中が真っ暗になっている。報告に夢中になったせいで、外界の情報を遮断してしまったらしい。

「油断だな」

 疲労は左程ではないので、親父と一緒にいる安心感で、気が抜けてしまったのだろう。夜目はきくのでそのまま湯飲みを片付けると、機体整備のため格納庫へと向かった。夕食はその後でいいだろう。

 

 ソイレントプレートを胃袋に押し込んだ後は、格納庫に戻って弾込めの時間だ。

 ヒリューズの弾倉を専用の台座に立て、ライフル弾より一回り大きい金属弾を押し込んで行く。弾倉一つで百発、それが幾つもあれば、結構な時間を食う。なので格納庫に置いたテレビを見ながら作業をする。

 

 今テレビが映しているのは探索機競技、一対一の対戦の映像だ。地上における探索機の稼働時間は短い。軽探索機の試合時間は三分ほどで、中探索機ともなれば相撲くらい短くなる。選手は皆レベル1だ。そうレギュレーションで決まっていて、元探索者でもあえてレベル1にまで落としている。

 差が付くのはスキルの数だ。厳選したスキルだけスキルレベル1を維持することで、ダブルスキル、トリプルスキルという風に、選手は手札を増やしている。とはいえスキル五つや六つ持ちというようなレベル詐欺が可能なわけではない。スキルレベル維持にはMPを消費して実際にスキルを使わねばならない。レベル1の最大MPの低さでは、MPポーション使用が前提でもトリプルスキル、スキル三つが常識的な限界とされている。

 そしてスキルの数がそのまま有利に繋がるわけでもない。試合中にスキルを使えばMPを消費して、ステータス行使の時間も短くなる。俺がゴブリンとの初戦闘でそうなったように、探索機同士がぶつかり合ったそのGを、生身で受けることになるのである。探索機競技は安全に配慮している。ゆえにパイロットのMPが0になった時点で試合は終了し、そのパイロットの敗北が決定する。

 試合終了の条件は、フレームHPが一定以上減少すること、機体MP切れによる機体停止、そしてパイロットMP切れでのステータス行使終了だ。

 使用探索機のレギュレーションは割と緩い。無差別クラスでは広告も兼ねてか最新鋭機を競技用に調整して使用することもある。とはいえマナエンジンのグレードは競技ごとに決まっている。出力重視にするか燃費重視にするか、あるいは容量、最大MP重視にするか、同じマナエンジンを限られた範囲で調整するのである。このエンジンは当たりだとかあのエンジンであのチームの調整は駄目だろうとか、競艇を想像すると分かりやすい。

 実際賭け事でもある。興行として成立させるためには、ギャンブルおじさんたちの資金援助が必要であった。もちろん胴元は国である。民営の探索機メーカーが多く絡むので必ずしもクリーンではないどころかまっくろくろすけだが、四大競技に次ぐ公営競技としてどうにか成り立たせている。かつて競馬が軍馬の改良を目的としたように、探索機競技も探索機の改良のため守り立てているというわけだ。

 制度も競馬を参考にしたのか、チームが厩舎、選手が騎手、機体が馬といった感じである。馬主はいない。機体はチームが所有し、賞金とスポンサーからの援助によってやりくりする。一強になりやすい環境であるが、選手や機体のランク付けによるハンディキャップやらスポンサーを含めたチームへのペナルティやらもあるので、運営の力技といった感じだがギャンブルとしてはまあまあ公平といえるかもしれない。選手の腕と機体性能以上に、チームの経営力と諜報力、それから政治力が重視されるといわれている。全日本選手権直前に有力チームの不祥事が発覚して出場中止になるのはもはや風物詩である。スポンサーの変更も頻繁だ。

 賭け事としての背景はともあれ、その試合映像は中々参考になる。限られた性能、限られた稼働時間、スキル使用回数に、同調率もリミッターがかけられている。レベルも性能も自由に上げられる探索者とは違い、選手たちは限られた条件の中で勝利のために研鑽している。機体動作はB級下位の選手ですら洗練されていて、S級ともなれば神技の連続である。

 けれどもこの探索機競技は、現役の探索者にはあまり人気はないらしい。腕があるのにダンジョンアタックではなく地上社会でちやほやされるのを選んだというような選手たちへの侮蔑もあるが、試合そのもの、戦闘スピードが探索者基準では遅すぎて、見ていてつまらないのである。動き自体は参考にならなくもないが、細かい技術を苦労して覚えたところで、レベルと性能を上げて殴った方が手っ取り早い。

 競技そのものには興味が出ず、せいぜい新型のコマーシャルとして流し見るか、あるいは教科書やパワーポイントのように我慢して見続けるか、その程度のものでしかない。探索機競技ではシラサギ機も活躍しているので車内で柿本さんに話を振ってみたが、のろのろと焦れったいよねという感想だけで、野球の話に戻ってしまった。彼女と同学年と思わしき学園出身選手のゴシップを持ち出すべきだったかもしれない。

 

 そうこうしているうちに空弾倉は残り一つだ。ふと思い付くことがあったので、倉庫へ行って、とあるものを引っ張り出す。

「ないとは思うが念のため、だな」

 俺は弾倉にそれを込めた。

 

 

 入浴前にスキルの検証とステータスの慣らしを行う。残りMPは現在26、新たなスキルのデコイの消費は15なので、一回は試せるだろう。攻撃系ではないので地上で使っても問題ない。

 格納庫のアイテムボックス展開スペースに移動する。先ほどあらためて調べたところによれば、使用者のイメージ力次第で、応用がかなり利くらしい。とはいえ今回は初使用なので、スタンダードな分身を試してみる。

「デコイ」

 MPが抜ける感覚とともに、虚空に灰色の霧が発生し、そうかと思えば瞬時に塊となって輪郭を帯びて色付いた。

 

 俺の目の前には、いつも洗面所の鏡で見る顔があった。母親の血を受け継いだ忌々しい顔立ちだ。左右逆転していないせいか、少し印象が違って見える。服装は今の俺と同じ作業着だ。

「0.8秒。イメージを補填しやすいそのままの分身でこれか」

 戦闘中咄嗟に使うなら、一拍の溜めがいると考えたほうがいいだろう。

 探索機の操縦に似た魔力感覚があるので、それを伝い、動かしてみる。

「変身ポーズ、蟷螂拳、アヘ顔ダブルピース」

 さっ、さっ、さっ、と、分身が念じた通りにポーズを変える。間抜け面の後ろに回り込み、角度を変えて観察する。小突いたりはまだしない。分身が解けるからだ。

「しゃあっ」

 背後から鞭のようにしならせた上段回し蹴りを放つ。分身は振り向いて構えつつ跳び退いた。俺の念じた通りの動きだ。

 次はステップで間合いを詰めて足刀での股間蹴りだ。通常なら完全回避は間に合わない。何らかのガードが要る。しかし俺の足刀は空を切った。分身は予備動作もなしに真後ろへとスライドしていたのである。何となれば分身はあくまで幻影、物理法則を無視した動きができる。

「だったら次は空中浮遊」

 分身が座禅を組んでふわりと浮く。修行するぞの声が聞こえてきそうだ。

「手からビーム」

 手刀からフォトンセイバーのように光を放つ。

「続けてローリング、っと」

 俺ごとなぎ払いそうなので慌てて避ける。触れたら多分、分身が解けていたことだろう。

 ネット情報通りだった。デコイは遊べる。想像力と造形力次第では分身ではなく脳内ロボや脳内彼女すら顕現可能で、デコイユーザーたちによるSNSなんてのもあった。R18だったので俺は見なかったが、一般人にも盛況らしい。

 感覚からして、そろそろ効果時間切れが近い。だいたい一分といったところだ。最後に囮としての有用性を確かめてみる。

「切腹しろ」

 分身が手刀で腹を切り裂くと、鮮血とともに内蔵がこぼれ出た。

「腕を引きちぎれ」

 左手で右手を引っこ抜くようにぶちりともぐ。スプラッタだが骨の造形がやや甘い。

「四肢を腐り落とせ」

 手先から壊死したように黒ずんで、ぼろぼろと崩れ落ちると、首だけついた胴体がぼろりと床に転がり落ちる。中身の抜けた作業着がだらんと垂れているが、重力は見た目だけの再現だ。実際は床につかず、わずかに浮いている。

「じゃあな」

 と、再現した苦悶の顔に踵を落とす。綿を打ち抜くような感覚とともに、分身も分身が撒き散らした血痕も、跡形もなく消失した。

 踏み殺す動作に力を込めすぎたのか、足が少し痺れている。

「だが、使えるな」

 操作距離、大きさ、効果時間と物理干渉力は、スキルレベルと魔攻の値に応じた定量を割り当てることになるが、分身の造形精度とスキルの発動速度は想像力に依存する。追尾系の魔法が相手なら、追尾対象を分身に押し付ける効果もある。

 ロック外しだけならイメージが不十分な風船分身でも十分だが、精巧な分身なら、己の死体をでっち上げたり分身と同時に打ち掛かって相手を迷わせたりはもちろん、援軍を見せかけることすら可能となる。消費MP15はかなり大きいが、練習はできうる限りしておくべきだろう。使いようによっては恐ろしく有用なスキルだ。

 

 残りのMPはステータスの瞬間行使の練習で使い切った。

 風呂入って歯磨いてトイレ行って布団にもぐる。分身遊びが良いストレス解消になったのか、眠気はすぐに訪れた。

 夢見心地の中で、生身の俺が人間大の義経ゴブリンと斬り合っていた。勝ったり負けたりで、怪我をするたびポーションで身体を治して、何度も何度も繰り返した。いつの間にかすぐそばに父さんもいた。友達ができたと紹介したところで、僕の意識は沈んでいった。

 

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