73
気色のよくない発言だが、河合青年が感じたという温もりは幻覚ではない。テクニカの機体は熱を帯びていた。
HP 55/85
MP 115/131
フレームHP 1192/1500
機体MP 334/720
視界の右下に黒々とした小さな切創があった。透過装甲キャノピーのその部分だけマナ供給が遮断されて機能しなくなり、スマホの液晶漏れのようになっている。ぼこぼこに凹んだ程度ではそうならないので、その傷は相当深い。自動車のフロントガラスの罅のようなもので、戦闘する分には左程問題なく、リペアできなくもないが、パーツ交換が推奨されるダメージである。
二十三のスキル核の全断割が僅かに遅れ、消失間際の一瞬間、灼熱の斬撃波に触られていた。河合青年の全身全霊、その刃は確かに届いていたということだ。
無論修理費は請求する。キャノピー全交換ではないとはいえ、結構な額である。
『この、傷は……』
にもかかわらずその傷を発見した河合青年の呟きには、恍惚の色があった。武者ガンヘッドが傷跡をなぞろうと指を伸ばしかけたので引きはがし、さっさと膝立ちの姿勢をとらせる。
『僕は先生に傷を残せたんだ。僕の全力全開は、一矢報いる一撃だったと、ウッ、そういうことなんですね』
たしかにそうだがなんだろう、彼の発言を素直に肯定したくない。
「紙一重でしょうね」
勝敗以外の含みはあるが、この類いの人間は嘘にやたらと敏感だ。嘘発見器に引っかからぬような発言を心掛けねばならない。
ともあれこれで戦闘は終了した。河合青年に戦意はなく、花沢さんも黙っている。となればもはや二人は敵ではない。探索者同士なら、助け合いの精神は重要だろう。
「そちらのマナが溜まるまで、しばらくここで護衛します」
『ありがとう助かります……ところで今度二層で大規模レイド戦が予定されてるんですが、二層仕様へのカスタムとオーバーホールは一週間あれば十分ですよね? 無理そうでしたら僕の行きつけのショップに融通を利かせます。資金があれでしたら賠償金マシマシで。だからあの、良かったら勝先生、僕と一緒に関ヶ原を――』
「――黙って」
『えっ』
制止する。押し黙らせて押し黙る。誘いが鬱陶しいのでなく、周辺に、ひどくよくない気配を感知したのである。花沢さんではない。彼女は豹変した恋人と二人乗りをしたくないのか、未だに怯えて息を殺している。
外部スピーカーをオフにして、オープン回線で静かに告げた。
「ともかくじっとして下さい、花沢さんも」
気配の主は広間の外から現れた。
六本足をそれぞれ互い違いに動かして前進する。前後にリズムをとっているが、触角も頭も胴体もほとんど上下に揺らさない。鎌状に大型化した前足の背からγの字のように伸びた
頭は逆三角形で、胴体は細長く平べったい。腕は草刈り鎌というより農家さんの使う稲刈り鎌だろう。ノコギリ刃に似たトゲが内側に生えている。
『エア、マンティス……!?』
巨大カマキリである。一層二層の昆虫モンスターといえばアント系だが、それらとはスケールも重厚感もまるで違う。体高およそ十メートル、横方向はその倍くらいあるだろう。
『ゃ……』
花沢さんが悲鳴を押し殺した。
『三層のやばいやつがなぜここに? 一層だぞ』
「昨日二層のベースキャンプに、オーガの
『待ってくれ。よりにもよって糞ヤバカマキリだ。三層中堅でもパーティ推奨なんですよ? マナ枯渇は……』
「息苦しくはなさそうですね。はぐれらしく低濃度マナに適応済みか」
『あの、僕らこれから食われて死ぬのに、どうしてそんなに落ち着いて』
「カマキリの餌認知は動体のみです。このまま達磨さん転んだでスルーできるかどうかだが」
『虫博士みたいなことを……』
未だに距離はあるけれども、複眼にある黒い点がこちらを向いている気がする。偽瞳孔なので視線と関係ないはずだが、
「やはりモンスターだな。地上生物の知識は当てにならない。はっきりではないが視られている。触角を生命感知のレーダーとして、併用でもしているのか?」
おそらく近付けば完全に認知されるだろう。
『軽探索機は餌でしかないのに、今さら情報なんてデータベースにあったでしょう?』
「実物の観察は重要ですよ河合さん。敵を知り己を知れば云云かんぬん勝ち目が見えるというやつです」
『先生が今日初めて僕の名を……!』
みんな大好き孫子の言葉を持ち出したものの、反応されたのは別な言葉であった。だがこれはこれで言うことを聞かせるのに使える。
「蒼也さん」
『うっ』
「俺が囮になります。蒼也さんはマナが回復次第、花沢さんを連れて退却して下さい」
『そんな……死ぬるべきは僕らですよ。先生は犠牲になっちゃいけない。襲撃なんて馬鹿げたことを始めたなら、責任をとるのは、ぼ、僕らじゃなきゃ駄目じゃないか』
『そ、そんな……ソウ君は頭がおかしくなってしまったの?』
蒼也さんも花沢さんも、声が震えていた。
「道義的是非はともあれ、その行為に意味は無い。活きのよい餌でなくては囮は務まません。瞬殺されるだけです」
『時間稼ぎにもならないか……ははっ』
武者ガンヘッドがマナ切れで、花沢さんはもはやルーキーと大して変わりない準探索者だ。選択肢は一つしかない。
「メインルートなら三層救援の中探索機が通り掛かるはずです。援軍を連れて戻って来て下さいよ、蒼也さん」
発言自体は嘘ではないが、自己犠牲精神の発露でもない。戦わなければ生き残れない状況で、足手まといは邪魔になる。
『そうよソウ君ロジカルよ。勝君の言うとおりになさい』
『わかり、ました』
話しているうちにエアマンティスが進路をこちらに向けた。視線も集束している。確信を持たず先制攻撃はしないが、ひとまず近付いてみることにしたのであろう。
蒼也さんが糞ヤバカマキリと言った通り、エアマンティスは三層探索者基準でも強敵である。一層における強敵のウォーターワームと違い明確な弱点があるわけでもない。硬く素早く力が強いと、単純にスペックが高いうえに、使用スキルも厄介だ。レベル一桁がノーマル同然の軽探索機で挑むなど、正気の沙汰ではない。
マンアント軍団はともかく、生身対ゴブリンも河合花沢コンビの襲撃も大した消耗なしにやり過ごせてしまった。ダンジョンに意志があり運命に干渉できるというのなら、それが不満なのだろう。天文学的確率でしかありえない不運を今度はぶつけてきた。ハードルの代わりに城壁を設置するようなものである。
「乗り越えてやるさ」
田中次郎のような偉大な探索者に俺はなる。親父の夢を親父に代わって叶えるのだ。そうでなければ生きている意味が無い。田中次郎ならできたぞと
俺はテクニカを飛翔させた。
74
エアマンティスは天井間際まで飛翔したテクニカに身体を向けると、前脚を顔の両脇で折りたたむように持ち上げて、羽を大きく広げた。
「食らい付いてきたな」
威嚇体勢である。本来は細い体躯であるにもかかわらず、ぎょっとするほど大きく見える。小さい昆虫なら愛嬌もあるだろうが、巨大モンスターがやると凶悪さしかない。ぐわりと広げた顎の鋭さと複雑さがよく見える。人体は無論、探索機の装甲も容易に咀嚼できるだろう。
はち切れんばかりに膨らんだ腹部を仰け反らせてもいる。昆虫のカマキリならば柔らかくぷにぷにしているであろうそこは、岩肌のように硬質で、芋虫よりも甲殻類に近い。刃の通りや体内構造を考えれば急所とはならないだろう。他の外骨格に比べて柔かろうが効率が悪い。ウォーターワームの巨体と同様、幾度も切りつけなければ致命傷にはならないし、半透明の薄い後翅はともかく、硬く分厚い前翅で防御されやすくもある。
後翅が震えて光を帯びた。次の瞬間その場から、エアマンティスの姿が掻き消える。
「速いがっ」
噴射加速である。エアマンティスの羽には探索機のスラスターのような推進能力が備わっていた。昆虫のカマキリは短距離直線飛行がせいぜいだが、エアマンティスはジェット機のように高速飛行する。いうなれば前翅が主翼で、後翅がジェットエンジンだ。後翅には推力偏向機能もある。
瞬き程度の時間で、色違いのスラスター光を散らせて巨大カマキリが眼前に迫っていた。けれども加速の始まる一瞬前、俺は既に天井を蹴っていた。エアマンティスは胸に構えた前脚ごと、顎を天井に突っ込んだ。
高機動探索機並みの速度はたしかに脅威である。空戦となれば敵わぬだろう。しかしここは空のある三層や地下世界の二層ではなく洞窟の一層だ。それなりの広間とはいえ三層基準なら閉所戦であり、ふざけた機動性といえどもオーバースペックでしかない。直線的な動きであれば、対処は容易い。
逆さまに張り付く体勢となったエアマンティスに、空中で身体を捻りヒリューズを向ける。
「勢い込めばそうなるさ」
土石をぼろぼろと落として天井から上半身を引き抜く時間が隙となる。ヒリューズを魔法発動体として用いてフォトンバレットを連射した。お尻から上半身の胸部へと順々に狙いをずらして放っていく。初弾は腹部には当たらずに、前翅がばたんと閉じて防がれるが、強度を確かめるためなので駄目元だ。光弾が光の破片となって散る。外骨格は強靭で、ゴブリンの血肉のように消失することはなかった。背中の硬そうな部分というのもあるが、俺のフォトンバレットでは威力が足りない。しかし二発当ててみた背板の出っ張りが、ほんの僅かに欠けていた。僅かながらでも削れるなら、一点に繰り返しフォトンバレットを集中させれば装甲を薄くできる。
エアマンティスが頭を上げる。トリガーを引いていた。その複眼にペイント弾が命中する。
「やはり魔力膜か」
塗料が水のように弾かれて定着しない。三層のモンスターは体表に薄い魔力障壁を張っていて、塗料による目潰しや、燃料や強酸や殺虫剤を浴びせかける液体攻撃が通用しない。キャノピークリーナーを常時起動しているようなもので、経験値やドロップを楽してズルしていただきするのをダンジョンは許さないということだろう。
真正面で向き合わぬよう尻の側へとスラスター移動する。エアマンティスも天井に張り付いたまま身体を回す。
カマキリの戦闘というのは基本的に攻撃イコール捕食である。鎌状の前脚で得物に組み付き、押さえ込み、顎でその身に食らい付く。前脚の腕力自体はかなりのものだが殺傷力を持つのはあくまでその口、顎であり、鎌は拘束用の補助武器に過ぎない。いかにも凶悪そうな鎌を振り回す動作は、牽制でしかないのである。人間で例えるならカマキリは鎌使いの切り裂きおじさんではなく、組技主体の噛み付きおじさんといったほうが正しいだろう。
ゆえにその攻撃方法は意外とワンパターンといえる。突進と鎌の可動範囲、それから腕力にさえ注意すれば、訓練された人間なら対処法はいくらでもある。間合いぎりぎりで斬り付けるなり、間合いの外から飛び道具を当てるなりすればダメージを重ねられる。
けれどもあくまでそれは、単なる巨大カマキリの格闘戦能力である。エアマンティスはダンジョンのモンスターだ。昆虫の常識は当てはまらない。
エアマンティスという名前は、エアギターといったパントマイムや、エア恋人にエアプレイといったロールプレイングが連想されるが、想像上の巨大カマキリが由来というわけではない。使用するスキルに由来する。
エアマンティスが両前脚の鎌を振るう。
「来たか」
テクニカの急降下したすぐ後ろを、×の字の斬撃波が通り過ぎた。空閃スキルである。続けてエアマンティスが羽を開いてスラスター光をともす。突撃の前兆だ。地表すれすれの水平飛行は速度が乗るがそれだけでは足りない。寸前で猫のように身をひねりつつ地を蹴った。反動で身体が軋む。
エアマンティスの背が見えた。擦れ違っていた。鎌を振り切って地面へと、長大で深々とした斬撃痕を刻みつけていた。鎌に空閃を纏い、当てる瞬間に斬撃波を開放したのである。いうなれば蒼也さんの使っていた纏空閃と延空閃の併用だ。人間並みに空閃スキルを使いこなしている。エアマンティスはカマキリと違い、遠近中の斬撃能力があるわけだ。組み付きと噛み付きに切り裂きと斬撃飛ばし、それから戦闘機めいた機動性が加われば、もはや完全戦闘生物といえる。
しかも空閃スキルとの相性は人体よりも良い。前脚の折りたたみ構造は連続で斬撃を放ちやすい。胸の前で鎌を構えるその仕草は、祈るようであるとともにボクシングの構えのようでもある。ボクサーの手数で斬撃を繰り出すと思えば、正面に立つのは無謀だろう。近距離では常に回り込むような位置取りを心掛けねばならないが、向こうは複眼だ。常に視界に捉えられていると考えた方が良い。
地を蹴られる地上のほうが小回りは利くものの、それは向こうも同様だ。伸びる斬撃が頭上を薙いだと思えば、横回転する斬撃が来る。更に続けざま、足払いの水平斬撃だ。回避空間はほぼ無く、更に塗り潰すかのように両鎌にスキルを纏う。俺は虚空にブレードを振るった。
斬線を走らせるというには、向こうと比較してあまりに遅い剣速だが、置くように当てる分にはその結果は変わりない。放たれた空閃を無効化し、回避空間をこじ開けた。蒼也さんとの戦闘経験がなければこんなことはできなかった。多少結構気持ち悪い人になってしまったが、命の恩人といえなくもない。
エアマンティスの空閃を見切って躱す。無効化する。機体を転換するついでにヒリューズを胸部に向け、フォトンバレットを放つ。慣性モーメントは無駄にしない。
無駄にすればその途端に被弾する。中距離とも近距離ともつかぬ間合いを保ち、猛攻を凌ぎながら、向こうの隙とこちらの最適動作をかみ合わせてフォトンバレットを当て続けた。フォトンバレットが命中してもエアマンティスは微動するばかりでのけぞりもしない。ダメージと見なしていないのであろう。だがそちらのほうが都合が良い。胸部正面の外骨格は着実に削れている。
空閃が途絶えたので大きく跳び退く。スラスター光は小さいが、やはり両鎌の挟み込みが空を切った。カマキリ本来の組み付きだ。速度自体は向こうが格段に上であるが、先読みして一拍早く行動すれば、接近戦における速度の不利はほぼなくなる。無論その瞬間に限りであるが、至近距離、コンマ以下やりとりでは単純な速度よりも
とはいえ、と内心で呟いた。
MP 45/131
機体MP 155/720
フォトンバレットで外骨格を削りきり致命傷を叩き込むには、MPは隙を見て補給できるが、マナ残量がどう考えても足りない。フォトンバレット一発あたり機体MPを16消費する。スラスターを節約しているが機体駆動分を含めれば、今あるMPを使い切るまえにマナ切れとなるだろう。
賭に出るか逃げに徹するか、そろそろ蒼也さんの武者ガンヘッドもパワーダウンから回復する頃合いだが、援護を求めるには技量がやや足りない。エアマンティスが相手では、多少のステータス差はほぼ意味がないのである。無駄死にするだけだ。
ぎりぎりの攻防を続けながら、現状で最大威力の一撃を繰り出すにはどうするか並列思考していると、害意の乗った視線を感じた。30㎜ライフルの射線である。
「なっ!?」
援護射撃ではない。花沢さんの銃口はエアマンティスではなく俺を追うように揺れていた。
『佐奈――』
反応した蒼也さんの声と同時に発砲する。銃声が届く前に機体の動作を切り替える。テクニカの腕の付け根のあった空間を弾丸が通り過ぎ、ダメージリスクの計算が後追いで意識に上った。
『――さん?』
回避行動の歯車は無論ずれる。エアマンティスの空閃は既に放たれている。テクニカの左脚の膝下を、斬撃波が薙いだ。HPの計器の針が150以上がくんと回る。切断であった。左膝から下が欠損した。
ぞっとするような感覚があったが止まるわけにはいかない。スラスターで機体に回転力を与えつつ、ヒリューズを投げつける。エアマンティスは反射的に鎌に纏った空閃で、ヒリューズを真っ二つにした。その一瞬の隙にブレードを右手に持ち替え、左手と左脚で地を押し出すと、右肩とバックパックを地面に引っかけ更に加速し、転がるような高速移動でその場を逃れた。昨日ホワイトアント集団との格闘戦で修得した非二足歩行である。こんな形で活かしたくなかった経験だ。
「あの
俺の油断に他ならないが思わず悪態をつくと、それに反応するように花沢さんの声が響く。
『釣り餌は食いつかなきゃでしょ!』
『貴様! 何をしたのかわかって――』
『ますわよ! 証拠が消えてぇ、囮ができる! だったらウィンウィン、貯金はとっても大事でしょ!?』
『金のため?』
『あと名誉! なかったことにできるんだから!』
『っざけるな』
『男だったら女性のために死ねばいい! 性欲猿の本望でしょうに!』
距離は空けた。しかし左膝下が失われ、左手をついた膝立ちの姿勢である。もはや二本足では立てない。欠損を前提とした機動戦術を組み立てる暇はなさそうであった。エアマンティスがこちらを向いて羽を広げる。
刺し違える覚悟を決めかけたときであった。エアマンティスの背に向けて三日月の斬撃波が放たれる。
『責任はとる!』
己の空閃を追うように武者ガンヘッドが空歩とスラスターで急加速する。その右手には脇差しがあった。エアマンティスは武者ガンヘッドの空閃をひょいと避けると、どちらを先に仕留めるか迷うようなそぶりを見せた。
『たとえ命と引き替えようとも!』
武者ガンヘッドが躍りかかる。エアマンティスはテクニカから武者ガンヘッドへと振り向くと、その鎌を振動させた。
「蒼也さん駄目だ!」
『僕が相手だ糞カマキリ! どうせお前もメスだろう!』
互いに空閃スキルを纏い、脇差しと鎌が斬り結んだ。
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かみ合った刃から斬撃波が開放される。脇差しから一、鎌からは左右それぞれ四ずつと、九条の斬線が同時に閃き互いに届く。エアマンティスの胸部に浅い斜めの亀裂が生じ、武者ガンヘッドの上半身が微塵に刻まれ飛び散った。
通信が途絶える。一瞬のことであった。
空閃スキルの多重発動である。こうなるから俺は直接打ち合わなかった。ばらばらに地面に散った残骸の断面は鮮やかで、ポーションケースもアイテムボックスクレードルもばらけずにくっついている。感応増幅レバーも転がっていた。握ったままの左手は前腕の半ばで断ち切られていた。
威力も手数も劣ったうえで、真っ向勝負をした結果である。胸から上の一切を切り飛ばされたガンヘッドが、音を立てて前のめりに倒れ込み、土埃を上げた。
「蒼也さん!」
『ソウくん!?』
外部スピーカーでの声かけは駄目元であったが、立ち上がる影があった。
「……まだまだ……僕は……これからだ」
青ざめた顔の青年は、残った右手で腰の柄をつかむと、切断されて血塗れの左肘で鞘を押さえて、どうにか抜刀した。
しかしそこに巨大な影がかかる。エアマンティスである。よたよたと日本刀を振り回す青年を、首を傾げて見下ろしている。
「……そうか……隻腕のバランスは……こう振れば……また一つ成長……」
脇腹からも大量の血が滲んでいる。出血で意識が朦朧としているのか、闇雲にゆっくり剣を振るっては独り言を呟いている。
俺は救援に飛び出せずにいた。この距離では敵のほうが近いので人質同然だ、フォトンバレットは光の破片で焼いてしまうと、言い訳は幾つも並べられるが、ようは河合蒼也という人間の生存を諦めていたのである。
衝撃的な光景に呆然としているよう己自身に見せかけつつ、並列思考では片足での機体動作を構築していた。人間は美味いからな、よく噛み付いて時間稼ぎになるだろうと、酷薄な内なる声が囁いていた。
エアマンティスが両前脚を伸ばす。鎌脚は畳んだまま、その側面で青年の身体をそっと挟んで持ち上げた。
祈るような仕草であった。しかし手つきは繊細であろうと巨体の膂力は大味だ。
「ぃぎ」
力自慢の子供がペットの文鳥を握りつぶすような圧迫により、骨がへし折れて吐血する。
「花沢さんのライフルなら腕の付け根を」
『私にソウ君をっ、誤射で人殺しさせる気!? 助けるならあんたが行って、あんたが責任とりなさいよ! ソウ君を惑わした!』
青年の悲鳴が上がる。エアマンティスの口が開く。花沢さんが息を飲む。
「さなさんたす――」
最後の言葉は嫌に軽い頭蓋骨の破裂音にかき消された。
大ざっぱな咀嚼であった。頭部を口に含んだまま続けて胴体に食らい付いたせいか、髪のついた頭の欠片や、脳味噌の切れ端がぼろぼろ落ちる。ボディアーマーは噛みにくそうで、顎の端に繊維が引っかかり、付け根で千切れ、刀を握ったままの腕がぶら下がっていた。前脚の使い方も器用とはいえない。足先まで恵方巻きのように丸々は食べきれず、腹筋あたりで取り落としてしまう。下半身が地面にぼとりと落ちた。
『イヤァアアア! 私のソウ君が!』
花沢さんの悲鳴とともに地を蹴った。機体動作を構築し、勝ち筋が組立ったのである。
「無駄死にじゃない! にはさせない!」
我ながら厚顔無恥ともいえる言葉を吐きながら、エアマンティスへと突撃した。
いわゆる火事場の馬鹿力には怪力と思考加速に加え、もう一つの要素がある。身体操作である。平常時の人間の筋肉と意識にはリミッターがかかっているが、身体の動かし方にもリミッターがかかっている。前者二つがハードウェアと例えるなら、後者はソフトウェアといえるだろう。
昔の達人が実践し、現代では井桁術理などで有名な超人的身体操作法だ。関節構造や体幹を十二分に活用することにより、細身の老人であろうとも驚くべき腕力や跳躍力を発揮するといわれている。
その超人的膂力は人類が文明化、二本足の野獣から服を着た動物に至る過程で退化させてしまったといわれる機能であるが、肉体というものはそう貶されるほどに単純馬鹿ではない。最効率、最も膂力を発揮できる身体操作法は、必ずしも最良ではない。なんとなれば冗長性に欠けるのである。転倒の際に手を内側に向けて地面につくと手首を痛めるように、僅かなミス、意表外のベクトルの僅かな違いでも過剰な負荷がかかってしまい負傷する。会心の一撃を放てたと思えば自分が骨折しているなんてこともある。非常にリスクの高い身体運用法といえよう。
しかしもはや形振り構ってはいられない。
関節の連動を一旦ばらけさせ、その時々ごとに最適動作を構築する。のみならず、肩で地を殴りながら膝で蹴るというように、身体の各部をそれぞれ独立して動かす。そこにスラスターの推力が加われば、恐ろしく奇怪な動きになる。バッタのように跳ねかけたと思えば、スラスターで機体を地面に押し付けて、その合力で押し出すように加速し、引っかけるような回転力の伝達で追加加速しながら軌道を曲げる。僅かでもずれがあれば一部に負担が集中し、オーバーライドしていないにもかかわらず、ごっそりフレームHPを削られるだろう。
「まずは速度を稼ぐ」
乱れ打ちされる空閃を掻い潜り、エアマンティスと擦れ違う。ブレードは振らない。まだ速度が乗り切っていない。それに加えて狙うべきは、向こうの噴射加速に合わせたカウンターである。
広間を縦横無尽に駆けながら直感を働かせる。数瞬後の未来を予測する。向こうの行動パターンは学習した。距離、姿勢、加速方向、羽を大きく広げて後翅に微かに光が灯る。絶好のヘッドオンが間も無く来る。だが同時に直感した。それでもまだ威力が足りない。チャンスは一度きりだ。これ以上はマナが切れる。ならばと更なる賭けに出た。
真正面、距離は十分あり、旋回による速度のロスも最小限に抑えた。エアマンティスが鎌を振動させ、スラスター光を噴射する。その一瞬前に、オーバーライドを発動して地を蹴った。×の字の重なった網の目状の斬撃波が視界で拡大して行く。スキル無効化のためブレードを振っては本命の威力が欠損する。この速度域でテクニカのスラスター出力では緊急回避も間に合わない。
俺はシート裏のレバーを引いていた。バックパックがパージされ、一瞬で軽量化したテクニカの軌道がずれ、加速力も僅かながら上昇した。それをコントロールして網の目を無傷ですり抜けると同時に、向こうの近接攻撃のタイミングをずらし、真正面の不意打ちを成り立たせる。ここまでは想定通り、ここからはぶっつけ本番の賭けとなる。
エアマンティスの姿が迫る。続けて準備してあったスキルを発動する。物理干渉力に特化させたデコイである。盾にしようというのではない。テクニカの背面、機体の凹凸に沿う形で、膜状に展開した。スラスター光をそのまま延ばした見た目である。デコイの膜に物理干渉力を持たせて、空歩スキルを代用しようというのである。しかしその使い方は六十四郎氏や蒼也さんとは違う。いや、発想の元は蒼也さんの使い方だ。空を足で蹴るのではなく肩で蹴る。それを突き詰めれば全身で蹴ることが可能なのではないかとふと考えた。デコイは空歩の代用に過ぎないが、デコイの自由度があるからこそ、機体の背面全体に足場を発生させることができる。総身の関節を独立稼動させて同時に蹴る。総身を脚と化す、いうなれば総身脚だ。それにオーバーライドの膂力を乗せれば、スラスターとは比べものにならぬほどの加速となる。
ブレードを寝かせ、その刀身に手を添えた突進の構えである。俺は総身で空を蹴った。元の速度に軽量化、オーバーライドの総身脚が加わって、トラックに撥ね飛ばされたような衝撃とともに音速を突破する。
刹那であった。エアマンティスの胸部、蒼也さんの付けた傷跡にブレードの刃が重なった。
突き抜ける。広間の岩壁が視界に広がり衝突する。独楽のように回転して衝撃を和らげて、停止した。
フレームHP 425/1500
機体MP 2/720
パワーダウンで機体が沈み、俺自身も吐血した。ブレードに添えた左マニピュレータも砕けている。
目の前に、緑の巨体が落ちてきた。胸部で断たれたエアマンティスの上半身である。顎を開閉して頭を左右に振り動かしながら、鎌で引っかけるように地面をしばらく這いずると、動かなくなった。
口を拭った指先が、レベルアップの光を放った。人一人見殺しにした成果である。