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ドロップ品の換金は、ダンジョン内の買取エリアでまとめて預け、査定の後、地上の出金窓口で代金を受け取るという流れで行うのが基本である。
なにせドロップ品は多種多様、大小様々で、受肉モンスターの巨大な死体を探索者が持ち帰ることもある。大量のドロップ品を抱えた探索者をいちいち窓口に並ばせるのは現実的ではない。地上にも換金窓口はあるものの、そこは主に希少品、レアアイテム売却のために使われる。水玉やスタミナポーションを持ち込んだら苦笑いされるだろう。
買取受付はドライブスルー方式とでもいうのか、機体に乗ったままできるようになっている。ライセンスのやり取りなんかは慣れないうちは降りて直接行うべきだといわれているが、せっかくなので降りずにやるのを試してみる。
受付小屋に寄る前に無線機の電源を入れ、探索者ライセンスを取り出して探索機用のロングストラップを取り付ける。無線の周波数は受付小屋の看板に書いてある。ライセンスのほうはハッチを開けてストラップだけを外に出し、機体の手で引っ張り上げる。
「換金お願いします」
そう通信を入れながら、マニピュレータにぶら下げたライセンスを窓口に近づけた。係員は慣れた様子でストラップからライセンスを取り外すと手続きを始めた。
「すいません、アイテムボックスに死骸が、ゴブリンが一体あるんですが」
と俺が言い足すと、通常のドロップ置き場とは別にもう一カ所、解体場を指示された。
ライセンスを返してもらうと案内された場所へ向かう。無線もそこ用の周波数に変えた。ドロップ置き場自体は駐機場とほぼ変わらないが、様々なドロップ品ケースが並べられ、インカムをつけた担当の係員が立っている。
『相葉さんですね。弁当箱のほうは開けて、そうですね、このあたりに並べていただけますか』
「あの、水玉の大きめのはどうしましょう。結構重いですよ」
『でしたらこちらに。はい、ありがとうございます』
外部スピーカーと肉声とではこのような細かいやり取りは難しい。無線機を使うのはそのためだ。
係員が魔石を数えながらケースに移す。ポーションアンプルも同様だ。品名とその数をタブレットに入力し、ケースを水玉の付近にまとめると、
『確認お願いします。魔石が――』
と入力内容を読み上げてゆく。
「大丈夫です。間違いありません」
『では、こちらのアイテムボックスに収納いたします。弁当箱とアンプルケースは回収していただいても結構です』
協会マークのあるアタッシュケースを係員が置いて開く。ドロップ品を収納して地上まで輸送するためのアイテムボックスだ。小容量だが規格は俺の使うものと変わらない。一番普及しているタイプである。容量が違ってもコストダウンのためにガワが流用されている。
収納までの待ち時間に少し雑談をした。今日が初めてのダンジョンアタックだと言ったら大げさに驚かれたが、おそらくルーキー向けのよいしょだろう。気持ちよくなってもらうための、そういうマニュアルがあると聞く。営業努力というやつだ。
次はゴブリンを出すため解体場に行く。今度はアイテムボックスを出すので機体から降りる。解体場には死骸が人目に触れぬようちょっとした仕切りがあり、血液が染み込まぬようにか、つるつるの舗装がされていた。
ここの担当者はむきむきだが色白のおじさんだ。解体に使うであろう改造テクニカ、テクニカ屠殺仕様とでもいうような機体の足に腰掛けていた。色白なのはダンジョンで働いていると日に当たらないからであろう。
「ゴブリンですが、どのあたりで展開しますか」
「おう坊主、損傷の具合によるがばらしたいからあの辺りに……って坊主?」
「童顔なんですよ」
「いやいやいや騙されんぞ。学生
「すみません、嘘です。学園生でもないです」
「学園生じゃない? ってことはあれか、例の中卒ルーキーか」
「例のとは」
「花沢の嬢ちゃんが騒いでたぞ。受付の。いつまで経っても帰ってこない、死んだんじゃないかってな」
心配をかけてしまったが、騒がれてしまってもいる。花沢さんは個人情報保護といったルールより、己の善意を優先する人間なのだろう。
「一層なのに大げさですね。そんなに長くダイブしたつもりもありませんが」
「普通ならな。初日は別だ。初アタックで深入りしたルーキーは大抵ミミズにやられてるって、そういうパターンなんだよ」
「なるほど、確かにウォーターワームには勉強させてもらいました。あのモンスターって皮膚に目があるんですよね?」
「なにいってんだお前。いやまあ確かにそうではあるが」
きょとんとされた。
この白マッチョさんはモンスターの体いじりのプロだ。色々と話を伺いたいところだが、仕事の邪魔をするのはよくない。話を早めに切り上げると、空のアイテムボックスを持って解体場を出た。
跪いたテクニカを見上げると、アタック中は気にならなかったが随分と汚れていた。洞窟内で散々にどったんばったんしたのである。戦車のプラモデルのように埃と土にまみれている。
「洗おう」
ドロップ品の査定には時間がかかるので、その間に洗機と補給を済ませるのである。
まずはエアシャワーによる予洗いだ。機体に乗ったまま、機体についた汚れやごみを風圧で大まかに吹き飛ばす。こびり付いた泥は各種ブラシか、泥落としの鉄ベラでこそげる。落としたごみは箒とちりとりで片付ける。備品はいずれも探索機サイズだ。使用後は使用者が掃除するよう注意書きがブースの内外にしつこく張ってある。『来たときよりも美しく』という観光地みたいな標語もある。
エアシャワールームを出ると、ミラーパネルで機体の姿を確認する。だいぶ綺麗になった。機体清掃はこれだけで済ませるという探索者は多い。俺もいずれ億劫がってそうなるだろうが、今回は水洗いもやってみることにした。
各種武装を取り外し、鍵付きの巨大ガンロッカーに入れておく。ガンロッカーの中には真っ黒い粘土状のマスキングパテがあった。固定武器の砲口や環境測定センサー、インテークやスラスターの内部といった濡れては困る部分は、これをぺたぺたと貼り付けることで保護できる。何度も使い回されているからか、砂礫やごみでぶつぶつしている。どうにも怪しいが無料で使える共用物だ。気になるなら自前のを持ち込めということだろう。幸い、俺のテクニカには繊細な箇所はなく、インテークとスラスターもホースを突っ込んでじゃばじゃばするのでもなければ故障はしない。多少気を遣う程度で大丈夫だ。
機体をシャワーの水に打たせながら、使用水量、使用時間は有限なので手早く洗う。ブラシと泥落としの鉄ベラはこちらにも備品として置いてあった。がっしょがっしょと柄付きブラシで背中を洗い、関節部分は曲げ伸ばしながら念入りに洗浄する。探索機の頭部はほぼ飾りだが、飾りだからこそしっかり洗う。人形は顔が命、ロボットも顔が命だ。オイルの涙腺でも仕込まない限り、愛機の顔の汚れは杜撰さのバロメータだ。柔らかめのブラシで洗顔し、自慢の角もしっかり磨く。人間が入浴するように洗機ができるのは、人型ロボットの利点の一つといえるだろう。
水もしたたるいいマシンとなってシャワールームを出ると、隣接する乾燥用のエアシャワールームに移動する。今度は温風だ。コックピットの中の俺までじんわりと暖まる感覚が心地良い。
乾燥を終えて装備を回収すると、ミラーパネルに映した機体はぴかぴかだった。塗膜が新しく滑らかなので汚れ落ちが良いのだろう。洗機前の見窄らしさはもはやない、と思いきや、よく見ると装甲の表面に細かい擦り傷がいくつもあった。ゴブリンを練習台にして装甲受けを修得した、そのときのものだろう。無事なところが綺麗な分、自動車の十円傷のようにひどく目立ってしまっている。
「おのれゴブリン」
とぼやきつつも自業自得であった。
ちなみに俺の利用した無料洗機ブースの隣には、有料の洗機ブースがある。そこには三助仕様のテクニカと生身の洗機係員が待機していて、洗剤や高圧洗浄機で機体を隅々まで洗い、拭き上げもしてくれる。三層以降で活動する探索者は主にここを利用しているらしい。
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探索機はフレームの損傷を回復魔法によって回復できる。これは通常の機械にはない特徴である。ダンジョン内では動力源のマナを自給できることも踏まえれば、まさしく
けれども探索機の運用の始まった当初は、フレームHPの回復には大がかりな設備が必要だった。回復魔法スキルがあれば設備なしで同じ事ができるものの、回復魔法スキル所持者はレアスキルというだけあって探索者全体の一割にも満たず、MPを消費するため使用可能な回数が限られているのもあって、運用インフラに組み込むのは現実的とはいえなかった。
だが今は違う。
田中次郎財団開発の支援探索機、修理ロボ。この機種の誕生によって、探索機の運用コストは飛躍的に改善された。
回復魔法スキルの再現、かつて大型設備が必要であったそれが集約・小型化され、固定装備のマジックアイテムとして、ドラム缶に似たずんぐりむっくりした胴体に収まっている。スキル持ちでなくても回復魔法が使え、しかも使用者のMPを消費しない。マナが供給される限り、何度でも回復できる。
テクニカは国内レベルの傑作機といえるが、修理ロボは世界レベルの傑作機である。なにせ運用インフラそのものだ。修理ロボのあるところが探索機の運用基地となる。
ちなみに修理ロボというのは正式名称で、海外でもそのままSHŪRI ROBOで通じる。命名者の財団創設者田中次郎氏によると、小洒落た名前は逆にダサいとのことらしい。ちなみにこの田中次郎氏は伝説的な探索者であり、現代のリビングストンとも呼ばれている。親父と俺が尊敬し、憧れる人物だ。
探索者田中次郎の偉業については独り言でも早口で語れるが、今は修理と補給が優先だ。待機場で手持ち無沙汰にしている修理ロボに近付いて通信を入れる。
「修理と補給お願いします」
『はーい。一万円になりまーす』
財布を出す。ダンジョン内では現金取引が基本だ。電子決済は使えないし、後払いは行方不明で回収不能のおそれがある。誠意は言葉ではなく金額とはよくいったもので、探索者は支援要請やトラブルに備えて、すべからく実弾を装備しておかねばならない。
「今ポーチで渡します」
万札を入れた取引用のポーチにロングストラップをつけ、ライセンスのときと同様にハッチから引っ張り出して手渡しする。
『確認しました-、返しまーす。じゃあコネクタカバー開けてもらえますかー』
コックピットの足元の蓋を開けてロックを外し、機体股間部のカバーを開けてコネクターを露出した。テクニカの直結用コネクターは股間にある。破損しやすいので人間が反射的に庇う位置に配置されているのである。
『直結しちゃいますね-。がっちゃこーん』
修理ロボがケーブルをテクニカに接続する。のんびりしたお姉さんの声だ。親父くらいの年代の人にとって直結という語はネットスラングであるらしい。常連客が多そうな人だが、ボイスチェンジャーを使っている可能性も、ネットと同様にあるだろう。
『楽にしてくださいね-。回復はじめまーす。さん、にい、いち、スタートぉ』
野太い声のおじさんを想像したせいか少し身構えてしまった。抵抗してしまっては回復が始まらない。力を抜いて流れ込むものを受け入れる。計器の針がぐいと動いて停止する。
『回復おしまい-、続けて補給いきまーす……完了でーす』
フレームHP 1500/1500
機体MP 720/720
「ありがとうございました」
『毎度でーす』
お姉さん(?)の修理ロボから離れると、ストレッチスペースに移動して機体の動作確認を行う。ラジオ体操だ。日本人なら誰しも覚えている振り付けであり、全身を刺激できる。動かして違和感があれば、そこが異常ありとわかる。見回せば他のスペースの探索機も同じようにラジオ体操をやっている。
ルーキー向けの軽探索機であるテクニカやガンヘッドはもちろん、三層以降で活動しているであろう中探索機もちらほら見える。
戦車を人型にしたかのようないかにも米国製らしい重装甲は、ゲイエム社製中探索機、フリゲートだ。
鋭角的なシルエットがエッジ装甲で物理的にも尖っている、四菱セイバーMk-Ⅴ。
パーソナルカラーであろうか、紫色のシラサギ・ヴェルサス。
フリゲートは割と見るが、セイバーMk-Ⅴなんかは去年出たばかりの新型だ。ヴェルサスもわずかな期間で生産終了した機種なので珍しい。気合の入った見た目からして何やらこだわりがあるのかもしれない。
無骨なロボットだろうがヒロイックなロボットだろうが、おんなじ動き、ラジオ体操をやっている。シュールな光景だが整備の手間を省くために必要なことであった。
同じラジオ体操なので眺めているとよくわかる。軽探索機と中探索機では動きの滑らかさがまるで違う。機体性能以上に、練度と同調率の差があるのだろう。
今はまだぎこちない中探索機なんてものは見かけないが、もう数日もすれば学園卒業者、新卒ルーキーがアタックを開始する頃合いだ。見栄や過信でいきなり中探索機を使う者も表れるだろう。そういったにわか中探索機乗りは大抵、浅層における燃費の悪さに悩まされて軽探索機に乗り換えるか、先へ先へと進んだ末、ろくにレベルを上げぬまま第三層に乗り込んで帰らぬ人となる。
そうしてそんな彼らを愚かだと、笑う立場に俺はいない。「俺ならやれる」と彼らも俺も思っている。彼らのように金があれば、俺だって中探索機に乗ったかもしれなかった。
ふと視線を感じて見返すと、紫色のヴェルサスが顔をこちらに向けていた。ひとまずどーもと会釈する。外部スピーカーで声をかけるのは不躾だ。ここは世間話の場ではない。ヴェルサスも会釈を返すと、何事もなかったかのようにラジオ体操を再開した。第二体操だった。
「なんだったんだ?」
カラーリングのお洒落さからしてパイロットは女性っぽいが、ユニコーンヘッドが気になったとも思えない。
動作確認が終わる。フレームに違和感はなく、装甲の脱落もない。家で行う整備は関節のグリスを足すくらいで大丈夫だろう。半ばメンテナンスフリーといえるのが、探索機の良いところであった。たとえ装甲が脱落しやすくなったところで、ロシア製の青い万能テープを巻けば解決だ。
ストレッチスペースを出て駐機場へ向かうため歩いていると、修理ロボのお姉さん(?)の声がした。外部スピーカーだ。
「スレーブくんスレーブくん、そこなスレーブくーん。マナくーださーいな」
修理ロボがちょこちょこ手振りして呼び止めたのは、軽探索機より更に一回り小さい機体だ。箱形の胴体に手足をくっつけただけといった見た目で、頭部と思わしきものはない。手足にしても棒切れみたいに細く、装甲はフレーム保護のためだけなのか、申し訳程度の厚みしかない。そうしてその見た目通り、よたよたと頼りない足取りで修理ロボに近付いて行く。
スレーブMk-21、そのMk-数から察せられる通り、英国製の機体である。探索機と呼んでいいかわからないが、分類としては一応、修理ロボと同じ支援探索機になる。
その能力はマナ補給に特化している。英国製らしく、特化しすぎている。
修理ロボなんかはあれはあれでバランスが良く、ポテンシャルを含めればその性能はテクニカ並みにあり、浅層での自衛くらいならそつなくこなす。
スレーブは違う。走ることすらままならない。
マナエンジンを起動させるために探索機としての体裁を最低限整えたといわんばかりのその設計は、そもそも戦闘を前提としていないのである。
ゲート周辺をうろついてマナを吸い、ため込んだマナを他の機体に供給する。マナ濃度を下げることでモンスター避けの副次効果をもたらす。
歩いて貯める。貯めて渡す。渡したらまた歩く。延々とそうさせるためだけに生まれた機体である。
修理ロボが修理と補給を行えば、当然修理ロボのマナが減る。減った分のマナを補填するのがスレーブの仕事である。集めたマナで過剰な分はアリアドネシステム――特殊ケーブルを通して地上へとマナを送るシステム。これによりダンジョンは発
スレーブたちには無限に仕事があるのもあって、彼らのパイロットはマナ奴隷と呼ばれている。探索者協会がスレーブライダーという呼び名を流行らせようとしたこともあったが、既にマナ奴隷で定着していて駄目だった。
マナ奴隷の仕事、ひたすらにマナを求めて歩くだけの仕事の時給は意外と高いが、一般人は余程のコネがなければマナ奴隷にはなれない。マナ奴隷は主に探索者学園の生徒のアルバイトであったり、何らかの事情で引退せざるを得なかった元探索者、資金繰りに困った浅層探索者の悪あがき、歩兵探索者の副業であったりと、探索者業界のセーフティーネットのようなものである。
ああはなるまいとまでは思わずとも、験を担ぐなら接触は避けるべきだともいわれている。学生や歩兵はともかく、それ以外は実力不足か、運のない人間だ。不運の伝染やとばっちりは迷信といわれようが恐ろしい。それに中には飲む打つ買うだけ積極的なその日暮らしのマナ奴隷もいる。非差別主義者がやかましかろうと、関わらぬメリットのほうが上回っている。
修理ロボに補給をしているスレーブを横切った。やたら新人に声をかけてくる類いのマナ奴隷は要注意だが、このスレーブは心なしかでれでれしているので、こちらに興味は持たないだろう。お姉さん(?)相手なので貢ぎ甲斐があるのかもしれない。
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駐機場で機体を降りてアイテムボックスに収納し、番号札を返せば、地下空洞とはおさらばだ。
ゲートに入り、ダンジョンと地上世界の境目を跨いだ途端、歩速がはっきり遅くなった。ステータスの効果が消えたのである。
マナの無い地上でステータスの力を行使するには、意識しつつMPを消費しなければならない。超人でいられるのはMPを消費している間だけで、MPが切れればただの人に戻ってしまう。探索機とほぼ同じだと考えるとわかりやすい。ダンジョン内では自動回復分のMPが、ステータス反映に回されているともいえる。
出金窓口で番号が呼ばれるまで、待合室でしばらく過ごす。他の探索者は雑談したりスマホを弄ったり、ぐったり突っ伏したりカップ自販機の飲み物を飲んだりと、待ち時間をただリラックスして過ごしているように見えるが、ステータスの効果が消えることで初めて身体の不調が表出することもあるので、これが案外重要な時間であった。
いきなり立ち上がったと思えば肩を回して首を傾げる若者や、痛そうに腰を押さえて歩き出すおじさんがいる。彼らの向かう先は医務室だ。ポーション治療は有料だが診察自体は無料なので、行っておいて損はない。
俺はというと置いてある雑誌を見て過ごすことにした。
最初に手にしたのは月刊ダイバー、いわゆるライト層向け、現役探索者からはダンジョンエアプ専門誌と貶されている雑誌だ。自分ではまず買わないが、ぱらぱらめくって見た感じ、一般人受けを意識しているだけあって結構面白い。元四層探索者の豪邸紹介や美味しいダンジョン飯レシピ、探索者の恋愛事情という読者投稿コーナーもあるが、今月号はルーキー特集で、水着姿の美男美女がグラビアを飾っている。彼彼女らは一応俺の同期にあたるが、嫉妬の気持ちよりも、大変だなぁ、すけべだなぁという感想が先にくる。フェミニズムは良いがマスキュリズムは女々しいと見なされるのか、女性の水着はまだ大人しいが、男のほうはどれほど尊厳を貶めても問題ないと、生き恥めいた水着もどきを着せられている。青少年が待合室で堂々とお下劣本を凝視するのは流石に憚られるので、棚に戻して別な雑誌を手に取った。
今度は戦機マガジン、硬派な探索機専門誌だ。写真多めで、探索機ポルノとも呼ばれている。今月号は米国三大メーカー特集だった。ゲイエム、ウォード、タライスラーのビッグスリーの探索機が、スペック表とともに載っている。パワーと装甲を両立したボンキュッボンのスタイルが米国製探索機の特徴だ。空力なんて女々しいものには頼らない。パワーで機体を制動する。女性的なラインは皆無、どこまでも雄々しいシルエットを見せつけている。
「えっちすぎる」
申し訳程度に写された女性パイロットでさえ、男性ホルモンを打ったように角張っていた。
番号が呼ばれたので窓口に向かう。番号札を提出してライセンスを照会すると、明細を受け取った。報酬は基本的に銀行振り込みだ。現金で受け取りたければ事前申請が要る。手持ちが心許ないなら協会内にATMがある。
すぐに次の人の番号が呼ばれたので、いそいそと窓口から離れる。
明細をこっそり見るかぞんざいに流し見るか堂々と見せつけるように確認するかは人それぞれだ。
「一十百千万十万百万、百二十二万とんで五百円!」
と大声で自分の稼ぎを読み上げている、ちょっと危うげなおじさんなんかもいる。ちらちらこちらを見られたって反応しようがない。誰もが無視しているとスンとなって待合室を出て行った。ひそひそ声がないのを見るに、名物おじさんの一人らしい。
さて俺の稼ぎだが、
「……結構いったな」
37万円ちょい。初日にしてはなかなかだ。ゴブリンの死体が約10万、水玉は5万ほどだったので、そのビギナーズラック分を抜いた実力分の報酬は22万円くらいになる。
「いや、そうでもないか」
探索者は収入も多いが支出も多い。補給と修理に毎回一万。探索機の日常整備は自分でできるが、整備工場でのオーバーホールはアタック頻度にもよるが最低月一くらいはやはり必要で、一回あたり車検以上の費用がかかる。武器弾薬も消耗品だ。探索機をはじめとした装備以外にも、保険料や税理士費用、必要な出費は多々あるが、何よりも家計を圧迫するのは家賃である。
アイテムボックスはマナバッテリー式で充マナできないダンジョン外では時間制限があるので、探索機を置いておくための格納庫、ガレージが要る。探索機はでかい。二足歩行ロボットなので背も高い。普通の貸倉庫や田舎の納屋などには入れられない。そもそも安全基準をクリアしないと不法所持になってしまう。野ざらしも法律で禁じられている。かさばる上に整備がうるさくかつ危険、専用の設備もいる。それらの条件を満たす物件となれば、貸料は貸工場よりずっと割高で、ひと月あたり最低でも100万円からになる。巨大ロボのある生活はいかにもロマンに満ちているが、狭い日本ではお金がかかるのである。学園卒業者の場合は、更に奨ダン金ローンの支払いも追加される。
零細ルーキーの赤字ラインはアタック一回あたり10万円ほどだとされている。俺の場合はかなり甘めに見積もったとしても12万くらいだろう。
となれば、22万から引いた10万円が、実力で得た利益になる。一日10万、月に二十日アタックすれば200万、年収にすれば2400万となるが、実態は皮算用どころの話ではない。
赤字ラインは整備費だけで、パーツ欠損などの修理費は含まれていない。人間の修理費、医療費もそうだ。探索者の医療費は八割負担で、怪我を癒やすヒールポーションは最低10万円からで、保険が利かない。いざというときのためのその蓄えに加え、機体のチューンナップ費用と、中探索機、三層以降で乗り換える機体を購入するための積み立て金も必要だ。
そもそも毎回22万の成果が得られるわけでもない。新卒ルーキーの集団がアタックを開始すれば得物の取り合いになるだろう。むしろ今こそが稼ぎ時で、その稼ぎ時で得た利益が、たった10万円なのである。赤字と黒字が繰り返されれば、一層での利益は年収換算すると一般的なサラリーマンくらいにとどまるだろう。
探索者の収入は、一層でサラリーマン、二層で勝ち組サラリーマン、三層からようやく経営者クラスになるといわれているが、機体のチューンナップや更新にかかる大金は、そこから捻出するのである。四層以降はそれこそ青天井だ。
したがって探索者は上を目指す限り自由になる金、遊ぶ金といったものはあまり残らない。しかし金が欲しいだけならば、三層あたりで上を目指すのを止める、いわゆる職業探索者になればいい。
探索者は夢を食べて生きていけるが、夢を食べるのをやめれば、人として幸せになれる。田中次郎言行録の一節である。
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明細を見ながら物思いに耽っていると、肩に触れようとする気配があったので思わず避けた。
「勝く、勝君! なんで避けるの? 失礼でしょ!」
「え、あっ、すみません」
花沢さんである。なぜか苛立っている様子だが、大げさにため息をつくと、俺の目を見据えた。
生みの母親のこともあって妙齢の女性は苦手だ。あの女も面会日に俺の目をじっと見つめながら「息子なのだからママのいうことを聞きなさい」と父との再婚の仲立ちを当然のように要求してきた。あからさまに目と目を合わせてくるのはある種の威圧でもあると俺は思っている。目は口ほどに饒舌だ。言葉の洪水を一方的に浴びせられたらたじろいでしまうのが普通の人だ。
とはいえ花沢さんは受付嬢で、
「ちょっとそれ貸しなさい」
花沢さんの手が素早く伸び、俺が反応を堪えたのとタイミングが合わさって、明細をするりと抜き取ってしまう。
「スタミナポーションがこんな、こんなに……水玉まで、ウォーターワームですって?」
初アタックにしては中々の成果だと自負しているが、
「駄目じゃない! こんな無茶して。あなたまだ子供よ? 子供なのよ?」
花沢さんは気に入らないらしい。成果を逆に叱られる。親父に褒められて育った俺としては、思わずむっとなってしまう。
「で、でも、ですが、自分は」
とにかく何か言い返そうとしたところ、
「言い訳しないで。私は大人として叱ってあげているの。あなたは聞かなきゃいけないの」
さばさば系というやつなのか、取り付く島もない。
「私言ったわよね? レベルが上がったらすぐ戻って来るようにって。ちゃんとマニュアルにもそう書いてあるわよね?」
言ってないが、彼女の中では言ったことになっているらしい。怖い。
「あ、あの、言われては、いませんが」
「言い訳するなと言った!」
「すみっ……」
謝りかけて口を噤む。こういう人にとっては、反射的な謝罪さえ言質になる。あの女から学んだことだ。ノーと言えない日本人でも、イエスと言わないことはできる。コミュ障なりのやり方だ。
謝罪が成立しなかったことで、互いにしばらく沈黙する。待合室が静かだった。さっと視線を走らせると、探索者たちはひそひそ声で話している。大半は面倒事に関わりたくないのだろうが、なかには「やべーよやべーよ」とにやにやして呟きながらスマホをいじる青年もいて、花沢さんが見咎めた。
「見世物じゃないんだけど、ねえ。あなた何? 掲示板にでも書き込んでるの? 個人情報ってわかってる?」
「うっ」
青年は怯んだが、探索者だけあって反骨心はちゃんとあり、「おまいう」と捨て台詞を残して立ち去った。
「意味がわからないわね」
花沢さんはため息をつくと、今度は手を差し出した。
「ん、出して」
「握手ですか」
容姿と同じく綺麗な手だが、直接的接触、美人局のそれには警戒しろと親父に教わっている。
「探索者手帳。レベルが上がったんでしょ? ステータス、確認してあげるから」
違った。要求したのはスキンシップではなく個人情報だった。
「なぜです」
「アドバイスをするのに必要だからよ。安心なさい。アドバイザー資格は持ってるから」
受付ならそうだろう。ダンジョンアドバイザー資格、探索者学園で取得できる謎資格の一つである。学園生は
「いや、あの、勘弁して下さい。そろそろ時間が、その、予定があるので」
「予定って?」
「勉強、ですかね。中卒なんで」
話を打ち切る口実でも、出任せではない。いつかは高卒資格くらいとろうと、少しずつだが勉強を進めている。
「勉強なら仕方ないわね」
「そうです、仕方ありません」
子供は勉強するものだという一般的な常識を持ち出すと、向こうからもやけに常識的な返事があった。学校の勉強なんて、探索者にとっては非常識であるにもかかわらずだ。なんだろう、ぞくぞくする。俺という個人ではなく、年下の子供という記号として見られている。そんな気配があった。
「次のアタックはいつ? 明日?」
「あ、はい」
思考を逸らしたせいでつい反射的に答えてしまった。
「だったらちょうどいいわ。彼の予定が開いてるもの。勝くん、あなたのコーチとでもいうのかしら、先輩のパーティメンバーを斡旋してあげる。彼にお世話してもらいなさい」
知り合いを巻き込んだ囲い込みのようなものだろうか、少し隙を見せてしまうと、何やら怪しい段階に立ち至って来た。
「いえ、お手数をかけるわけには」
「遠慮なんていらないわよ」
「遠慮しますよ」
断るべく言葉を重ねようとしたが、
「それじゃあ明日の九時に受付ね。彼を待たせておくから。あ、それからアドバイザー申請もしておくわ。担当の専属契約ね。大丈夫よパーティ申請もこっちでしておくから勝くんは何もしなくていいわ。安心なさい」
「安心しません、だから遠慮するとさっきから、ちょ、まっ」
花沢さんは一方的に言うだけ言って去って行った。
どうしよう、と途方にくれる。彼女は俺が断ったのだと思ってはいないのだろう。自分で言って自分の言葉に納得する。思い込みが激しいにもほどがある。
それに明細も盗られたままだ。あれがないと確定申告のときに困る。税理士のおじさんに叱られてしまう。
見物人に視線を向けると逸らされた。手近なおじさんに聞いてみる。
「あの花沢さんて人、いつもあんなにやべーんですか?」
「いやーどうだろー。正直私もよく知らん」
他の人に聞いても似たような反応だった。
俺の背後では若い男性探索者らが、女性としての彼女を批評している。
「美人でも隠れメンヘラじゃなー。手ぇ出したらくっそ面倒そう」
「いや、たしかあの人彼氏持ちだぜ。ほら、例の元エリート君」
「彼氏持ちかよ、ならどうでもいいわ」
「ここの地区に元カレも何人かいたはずだよ。たしか同期と一個上だね」
となぜか女性の声が混ざる。
「うんこビッチやんけ。だったら今度はショタ狙いか」
どうもショタですと振り向いてみたくもあったが、大人たちの下世話な話に混ざるのは勇気がいるので止めておいた。
帰宅するため協会前でタクシーを探す。年齢故にバイクの免許が取れなくて交通費で出費がかさむが、こういうときはありがたい。今はアタッシュケースが重く感じる。ウォーターワームとの戦闘より花沢さんとのやり取りのほうが疲れたような気がしていた。
車内で仮眠できるなら免許はいらないかもしれないと、夢うつつの頭でそう思った。
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俺の借りているガレージは寂れた倉庫街にある。自宅を兼ねたいわゆるガレージハウスだが、お洒落さはまるでない。三四階建てほど高さの格納庫の脇にユニットハウスをただくっつけただけといった感じである。
俺の生まれたあたり、探索者バブルの頃、地価の安い土地に手当たり次第建てられたものの一つで、安普請なせいか同じ築年数のマンションなどと比べてだいぶくたびれている。
見た目も設備も古いが中は広い。アイテムボックス展開スペースに加え、中探索機を最大三機格納可能なほどだが、広さの割に賃料は安かった。
おそらくニーズに合わないのだろう。学園卒業者はシェア格納庫――大型格納庫をシェアして使う。アパートやマンションが併設されている場合が多い――を使うし、一般ルーキーは単機向けの簡易格納庫――屋外駐車場を展開スペースにしている――を利用することが多い。三層以降で活動する複数機持ちの探索者は、それこそもっと良い物件を選ぶ。
広さの割に安いといっても、シェアタイプや簡易タイプより高額だ。交通の便も悪いし治安もあまり良くはない。住み心地も同様で、取り柄といえば大きさだけだ。ならばなぜここを選んだのかというと、親父が見つけた物件だからだ。
秘密基地みたいで男のロマンをくすぐるらしい。親父の同類は結構いるらしく、こういった残念物件はしぶとく生き残っている。
格納庫の扉の鍵に異常が無いのを確認する。扉の落書きは同色の塗料で上塗りしてあるが、塗装が劣化しているせいで『猛人注意』の文字がうっすら浮き出ている。
扉は開けない。向かうのは居住部分の玄関だ。アイテムボックス展開スペースが内部にあるので格納庫の扉は基本的に使わない。鍵を確認したのは念のためだ。
「ただいま」
位牌に手を合わせるより前に、格納庫へ向かう。アイテムボックスがマナ切れで機能停止すると、異空間座標データとともに、収納したものが永遠に失われてしまう。物理的に破壊されても同様だ。アイテムボックスの利用には常にロストの危険が付きまとうので、大切なものほど収納したままにしてはいけない。マナ切れが近づけば警告音が鳴り使い捨て式の予備バッテリーが起動するが、機械なので万が一もある。
機体をアイテムボックスから出すと、乗り込んでハンガーに移動させた。
「整備は報告の後だな」
親父への報告だ。記念すべき初アタックだからこそ、語れることはなるべく全て語りたかった。
結構長く喋った気がする。文字数にすれば五万文字くらいになるだろう。
「心配してくれているのはわかる。ありがたいことだとも思う。けれどさ、初対面だよ? おかしくないかな、常識的に考えて。なんていうか押しが強いのかな。当たり前みたく兄弟みたいなノリで接してくるのは、正直きつい。父さんはどう思う? ああいう女の人。彼氏持ちで元カレいっぱいは恋愛対象外? ヒロイン面させんな? いや別に下心はないって。美人ではあるけどさ」
お茶を一口飲む。このままでは延々と喋り続けてしまいそうなので、このあたりで切り上げることにした。
目を瞑り、深呼吸して目を開ける。物言わぬ仏壇と遺影があった。父の息子の
手元のモニターに目をやりつつ、全身の装甲を叩いて回る。インパルスハンマー、打撃してその振動を測定、解析することにより異常を見抜く装置である。
探索機は人型ロボットだが、その構造は実のところ、胴体部以外はひどく単純だ。可動部付きのフレームに装甲を被せているだけである。基本的にシリンダーやモーターといった機械的動力は搭載されていない。ならばどうやって動いているのかというと、いわゆる念動力である。目に見えない巨大な手が、機体の手足を持ってぐいぐい曲げたり伸ばしたりすることで、機体を動かしている。手ではなく見えない糸、操り人形という例えもできる。ただしその手や糸が触れられるのはフレーム部分だけで、装甲や武器、他のあらゆる物質はすり抜けてしまう。
フレームの材質はマナカーボン、炭素繊維強化炭素複合材料の亜種である。正しくはマナカーボンカーボンというらしく、マナカーボンは
マナカーボンは念動力で駆動でき、回復魔法で再生する。丈夫で耐熱性もあり、元がプラスチックなので成形もしやすい。けれども強度そのものは装甲に用いられる金属には劣る。故に人体を鎧で守るように、フレームを装甲で守るのである。
いってしまえば、探索機は巨大なロボットプラモデルだ。マスターなグレードとかパーフェクトなグレードとかのプラモデルで、フレームはプラスチックそのまま、装甲は金属パーツに変えた感じだ。
そういったプラモデルをいじっているとはめ込みの甘い外装がぽろりと外れるように、探索機の装甲も歪んだり噛み合わせが悪くなるとぽろりしやすくなる。インパルスハンマーでチェックするのはそのためだ。
装甲のチェックを終えると関節調整に移った。関節の渋みのセッティングはわかりやすい違いが出る。
関節が硬いと動きが硬く遅くなるが、力が込めやすくなる。関節が緩いと動きがなめらかに素早くなるが、力が込めにくくなる。関節の渋みの度合いが力みの度合いとなるのである。
俺は反射神経とモーメントに頼る癖があるので全体的にやや緩めが好みだが、手首だけは硬めにしている。
関節調整は機体に乗って行う。機体にグリースガンを持たせて、関節にグリスをちまちま差しながら手足を曲げ伸ばしするのである。ちなみに中古機など、摩耗で関節がはじめから緩い場合は保護剤のマナマットバーニッシュを塗布して関節に
機体MP 698/720
あまり熱心に続けてもマナを食うばかりなので、ほどほどで切り上げた。
武器の手入れも済ませてウェポンラックに収めると、機体整備自体はこれで一応終了したが、
「っと、レコーダーを忘れてた」
はしごを伸ばし、後頭部の蓋を開ける。探索機の頭部はほぼ飾りだが、デッドウェイトのままではもったいないので、何かしらの武器や装置が組み込まれている。ガンヘッドなんかはその名の通り顔の代わりに砲口があり、テクニカはというと映像記録装置、ダイブレコーダーとそれのためのカメラアイがついている。
俺のテクニカもダイブレコーダー入りだ。記録媒体はレーザーディスク、大昔の媒体である。廃れていたがアナログであるという理由でベータビデオとともに復活した。直径30㎝とサイズは馬鹿でかいままだが、現代の最新技術により最大72時間録画可能になっている。
ディスクを交換して蓋を閉じる。今度こそ整備終了だ。記録映像は反省会に使ったあとで、ファーストアタックの思い出として保管しておく。ある程度まとまったら上映会だ。親父にも俺の勇姿をみせてやろう。
19
晩ご飯の時間になった。コップに水を入れ、棚から週刊誌くらいのサイズのプレートを引き出して食卓に置けば、夕食の支度は完了だ。
プレートのフィルムをぺりりと剥がすと、四つに仕切られた四色のペーストがみっちり詰まっている。色はそれぞれ赤茶色、オリーブグリーン、クリーム色、白色だ。仕切りはもう二つあり、そこにはガムとスプーンが入れてあった。
ソイレントプレート、完全栄養食である。合成食品会社が開発して世界的な食糧不足の折に普及した。名前の由来は昔に流行した元祖ともいえる完全食であるらしい。
安価でバランスの良い食事がとれて栄養計算もしやすいので、アスリートもプロテインと併用するなどして愛用している。米国の貧困層なんかはジャンクフードをやめてこれを常食させられるようになった結果、下手な富裕層より余程健康になったという。日本でもごく一部の学校給食がこれに切り替わったが食育と人権を鑑みて元に戻ったなんていう出来事があった。遠足の弁当に持ってきたクラスメイトもいた。
味は美味くも不味くもない。半端に再現するから違和感が気になるのだという逆転の発想で、既存の食物にあえて似せないようにしているらしい。
色ごとに味の違いは一応ある。赤茶色が肉っぽい味、オリーブグリーンが野菜っぽく、クリーム色がデザート味で、白色が穀物味だ。
肉味は鳥肉に似ているといえば似ているし、豚や牛だといわれればそういう気もする。野菜味の青臭さは、葉物でありながら根菜でもある。デザート味は甘ったるいようなそうでないような、酸味があるようなないような、名状しがたい清涼感さえある。穀物味は噛むと甘味がほのかに滲むが、嚥下すると後味は残らない。いずれも舌で直接味を感じるというよりも、似た味が想起された結果、これはおそらく肉やら野菜やら穀物やらだと、脳が錯覚してしまうのである。
色使いはくすんだ信号機カラーに白を足したといえばわかりやすい。
「いただきます」
白ペーストを口に含んで赤ペーストにスプーンを刺す。舌で潰すように咀嚼したら水を飲む。再び白ペーストを掬うと、今度は緑ペーストを口にする。黄色ペーストはデザートだから他のを食べ終えるまで手はつけない。
このソイレントプレートはJ型だ。日本人向けで口内調味に対応している。ちなみに溝に目盛りがついているが、その目盛りまで水を注いでしばらく待てば、ちょうど良い具合に緩くなってお年寄りや病人でも食べやすくなるという気遣いだ。JⅡ型という肉味を魚味に変えたバリエーションもある。それから海外向けのは飲み物付きであったり、ペーストの色が原色に近かったりする。味も結構違うらしい。
親父に躾けられた通りに三角食べする。そういえば親父はこれを俺に食べさせたがらなかったが、食育は十五歳で完了したと見なして大目に見てくれるだろう。
親父が忙しいときは俺が家事をしていたので男料理くらいは作れる。けれども今は食べさせる相手もいないし、栄養バランスの計算をはじめとした諸々の手間を考えると、ソイレントプレートで済ませるのが一番効率が良い。常温で長期保存が可能なのでひと月分買い込んで棚一面に並べてある。
軍隊では食事の美味さが士気に影響するといわれているが、俺の場合は問題ない。夢を抱き続けるなら、士気は無限に向上するのだ。
「ごちそうさまでした」
咬合力維持用のガムを噛み終えれば、夕食は終了だ。空の容器をリサイクル用のごみ箱に放ると、腹ごなしの軽い運動をするため格納庫へ向かった。
家事も明日の準備も済ませた。あとは入浴して寝るだけだが、今日はまだやるべき事が残っている。
親父の残したハードディスクのムフフなデータを漁ることではない。あれらは生前冗談交じりに言われた通り、しっかり荼毘に付してある。
ウォーターワームを相手に無様を晒した、その罰を俺自身に与えねばならないのだ。
床に敷いたビニールシートの上で、全裸になって胡座を組む。俺の前には二本のポーションと、消毒済みのナイフが置いてあった。
ポーションはMP回復ポーションとヒールポーションだ。金銭換算したら15万円ほど、我ながら無駄遣いだとは思う。これからすることは他人からみれば無意味な行為であるだろうし、実際ほとんど無意味である。だが、俺には必要なことだ。
MP回復ポーションのアンプルをへし折ってぐいと飲む。
「ステータスオープン」
HP 30/44
MP 21/43
MP回復量は20で固定だ。2から22まで回復して、ステータスオープンで1消費したのだろう。
「っし、フー」
ごきごきと首を鳴らして強張りをなくすと、ナイフを逆手に持った。
身体を見る。
「足は駄目だな」
腿の傷は葉隠れでいうところの股抜き傷となり、メディアによる同性愛のゴリ押し、韓流ならぬゲイ流ムーブメントを経た昨今では、同性愛者の証と見なされてしまう。
「やはり肩か」
いざというときの気付けの練習にもなるだろう。俺はナイフを突き刺した。
「っ……!」
躊躇い傷にならぬよう、ほぼ全力であった。
目は瞑らない。むしろ見開く。脈は避けた。異物感と熱さがある。出血量が思いの外多く、それを認識すると痛みが実感を帯びてきた。
「くぁ……づ……ぎぃ」
痛い。クソ痛い。目茶苦茶痛い。だが痛いと、口には出さない。食いしばる。相葉勝は男の子だ。種違いの兄弟姉妹の長男だから耐えられる。ぶっちゃけあんまり関わりは無いし嫌いだが。同世代の身内は父方の従姉妹だけだ。思考が乱れる。防衛本能だろう。上級国民の担任にケツを掘られた3組の吉田君はこんな痛みを味わったのかと、それこそクソどうでもいい感想まで思い浮かぶ。さっさと済ませないとMP切れになってしまう。俺は柄を握り直した。傷口がごりっとなってまた痛い。
ナイフを抜いた。気合を入れて手の震えを止めてから、そっと床に下ろした。ヒールポーションのアンプルを片手で折り、親指でそれの口を押さえながら、傷口にぽたぽたと数滴垂らす。いわゆる
とろとろと胃の中に滑り落ちる感覚があって間もなく、肩の傷に光の粒が表れてそこを覆った。痛みが薄れ熱を帯びる。レベルアップに似た熱だった。
光が収まると、肩の傷は何事もなかったかのように消えていた。
「ステータスオープン」
HP 20/44
MP 5/43
ポーションの効果に要したMPはおそらく10ほどで、余計な5はステータスを行使するのに消費した。ちなみにダンジョン内ならヒールポーション使用にMPは要らない。地上だからMPを消費したのである。
HPが10も減少したのは、高い
ともあれ、これで己に対するけじめはつけた。片付けを始める。アンプルのごみを拾い、身体とナイフとシートの血を紙ウエスで拭き取る。ビニールシートを畳んでしまうと、脱いだ服を持って風呂場に向かう。着替えとタオルを出すのを忘れていた。全裸のまま部屋に取りに行ってまた戻る。
体を洗った後浴槽につかりながら、大人たちのする変態プレイの後片付けもこんな感じなのだろうかとふと思った。いずれも第三者から見れば不毛に過ぎる行為であり、そのくせ手間も金もかかる。
就寝は早めにする。布団にくるまり目を瞑れば、棍棒を振りかざすゴブリンや身をくねらせて叩きつけてくるウォーターワームの姿が、不意に浮かび上がってぞくりとした。
あの場面で一歩間違えれば俺は死んでいた。今こうしていることこそが夢であり、現実の自分は嬲られて現実逃避している最中だという、ぞっとする考えすら脳裏をよぎった。
しかし夢見心地の暗闇で打ち続くぞくぞくしたその感覚は、不思議と俺には心地良かった。明日が楽しみだった。俺が探索者を続けるかぎり、死線を行き来するこの感覚は何度だって味わえるのだ。