20
目が覚める。目覚ましの設定時間の五分前、体内時計の調子は良好だ。
「ステータスオープン」
HP 44/44
MP 42/43
起き抜けのステータスオープンは睡眠の充足度を把握するのに有用だ。HPMPの回復量が半分以上なら六時間以上、完全回復なら八時間以上、ぐっすり眠れたことがわかる。
「おはよう父さん」
と一声かけてから、顔を洗ってジャージに着替えると、軽くストレッチして家を出た。ゴミ出しも兼ねたジョギングだ。
結構離れたところにあるごみステーションで、辺りはまだ薄暗いが人と出くわした。この倉庫街には俺と同じような格納庫物件が数棟あるので、おそらくそこの住人だろう。
「っはようざいまーす」
「うぃーす」
ひとまず挨拶だけ交わす。探索者同士かもしれないが井戸端をするような仲でもない。向こうも眠たげにただ返事をしただけで、寝間着であろうくたびれたジャージに手を突っ込んでぼりぼり体を掻いている。おじさんだった。めくれて見えた白いお腹がぽよんとしていた。ごみ袋も大きかった。ピザの箱がちらりと見えた。
探索者にしては不摂生そうな体付きであるが、ベテランならあり得なくもないだろう。体格を維持しつつ死なずにいられるのは、むしろそれだけの腕があるとみて良いかもしれない。
ジョギングしつつ考え事をする。今日の探索、これからの予定についてだ。
実のところ俺の機体ステータスは同調率のおかげでレベル1の時点で既に、平均的な探索者のレベル10相当はあった。二層で活動する探索者のレベル帯はレベル5からレベル15なので、機体ステータスだけでいうなら二層でも通用するといえるだろう。
あくまで機体ステータスだけだ。生身での最大MPは低いままであり、スキルも一つでLv.1だ。10レベルの探索者と同じようには戦えない。
しかしそれを踏まえたうえで、現時点での二層挑戦は可能かどうかと問われれば、可能であると言い切れた。これは強がりではない。あらためて調べたうえでの客観的な結論である。
行くか行かないか、行こうと思えば行けるのだ。
「だが行かない」
昨晩位牌と向き合って考えを巡らした末に、俺はそう決断していた。
一層はダンジョンのチュートリアルだといわれている。ただ通り過ぎてしまうにはもったいない。考えようによっては命の危険のほとんどない、安全な階層である。単なる経験値や資金稼ぎで終わらせずに、ダンジョンの歩き方、俺に合った仕方を構築するのに有効活用しておきたかった。
一層での目標を設定する。まずはレベルだ。ルーキー向けの冊子に従い、レベル5になるまで二層へは行かないことにした。レベル5は新しいスキルを覚えるレベルなので区切りとしてはわかりやすい。ちなみに以降はレベル10、レベル15、レベル20、というふうに、5レベル刻みでスキルが増える。
レベル5になったら小ダンジョンに挑戦する。ステータス強化薬やスキルオーブを得られる小ダンジョンの攻略は、探索者として上を目指すなら必須である。一層のうちに生身での戦いに慣れておかねばならない。
レベル5以上で小ダンジョン攻略、それが一層のクリア条件である。ただし、新卒ルーキーの集団攻略に巻き込まれてレベル上げが捗らないとなれば、諦めて二層へ向かうことにする。その場合は条件未達成で、俺の記憶の中だけだが敗北として記録される。罰もある。ソイレントプレート、板飯オンリー期間の延長だ。二層到達祝いのごちそうも今年の誕生日ケーキも抜きになる。それだけでは危機感が足りないだろうから、エンコ詰め訓練10日間、全指制覇も足しておく。
あえて一層にとどまりレベル上げするといえば、日和った石橋叩きに思われるだろう。けれどもクリア条件自体は結構厳しめといえなくもない。なにせ実質的なタイムリミットは一週間ほどで、その頃には一層が新卒集団で飽和するのである。
自身に課す試練の内容はひとまずは以上とする。そんなふうに俺は、ジョギングを終える頃には考えをまとめていた。
ジョギングの後は格納庫で日課の素振りと形稽古を行う。使うのは木剣や模擬ナイフではなく本身である。屋外では通報される行為でも格納庫なら問題ない。無駄に広い格納庫はプライベート体育館にもなる。いくら騒いでも近隣に迷惑をかけずに済む。もし親父が健在ならチャンバラを楽しんだり、学校の友人を呼んで遊んだりしただろう。
ソイレントプレートで朝食を済ませた。相変わらず味気ない人の餌だが活力にはなる。歯磨きや手洗いなどの後、身だしなみを整えると、ボディーアーマーを身につけ、片手剣とバックラーを腰に下げた。
探索者が武器を持って外出する際は、テロ防止の観点から、武装していると見てわかるように装備するのが推奨されている。鞄の中にしまったりすれば却ってテロを疑われ、正当な理由無く隠し持っているとして、銃刀法違反で連行されてしまう。コートなどを羽織るのは冬場以外禁止されているので、ダンジョン産の変態チックな露出装備であろうと周囲に見せつけて歩かねばならない。
故に探索者は人混みでもよく目立つ。特殊部隊かファンタジーのコスプレしている危険人物だ。わかりやすいので、チンピラやぶつかりおじさんも避けて通る。絡んでくるのは度胸試しの中高生か、反ダンジョン思想をこじらせたちょっとあれな人くらいであるが、いわゆるプロ市民、それを仕事あるいは生き甲斐としてやっている人々が春先は増えるので、この時期はトラブル避けのため、大半の探索者は公共交通機関の利用を避けている。
定期タクシーの来る時間に合わせてテクニカをアイテムボックスに収納すれば、支度は完了だ。
「行ってきます」と親父に声をかけて家を出た。もちろん返事は何もない。
21
道すがら警備の人に朝の挨拶をして、入場手続きのために受付に向かう。昨日は時間をずらして来たが、今日はピークの時間帯だ。どの窓口も長い行列が伸びている。受付嬢というのは探索者協会においても花形であるようで、綺麗なお姉さんばかりだった。
清楚そうなお姉さんに、
「――さん、どうかご自愛くださいませ。でないと私、泣いちゃいますから」
と、名指しで無事を祈られた筋肉剥き出し肩パッドのモヒカンおじさんが、照れくさそうに「おう」とだけ返してそそくさと去って行く。
「ちゃんと帰ってきなさいよ。怪我なんてしたら許さないんだからね」
きらきらしたプレートアーマーのお兄さんにそう言い放ち、ツインテールをなびかせて顔を背ける活発そうなお姉さんもいる。
清楚お姉さんも活発お姉さんも浅層向けのボディアーマー装備の探索者の番になると打って変わって、
「終わりましたので次の方どうぞ」
「次」
というふうに流れ作業で送り出していた。露骨であるが探索者の世界は実力主義だ。コンプライアンスを云々されそうな態度であるが、奮起を促すために協会はあえて放置しているのかもわからない。
個性豊かな受付担当者の中に、黒一点が混じっている。黒というには肌色混じりで少し薄い。田中さんである。おじさん受付にしては行列の長さは他と変わらない。深層探索者向けの寸劇がない分待ち時間が短いのと、受付嬢につれない態度をとられるのを嫌がった浅層探索者が集中したからであろう。
ここはルーキーらしく俺も田中さんの行列に加わろうとしたところ、窓口ではなくロビーで待ち受けていたであろう花沢さんに見つかってしまった。
「来たわね」
出たわね。
彼女のお節介にどう対処するかは昨夜のうちに決めていた。余計な会話に持ち込ませず、はっきりとこちら側の意見だけを言うのである。
考えを実際に文章にしてみた際、頭の中の内容を正確に書き出せなかったにもかかわらず、字面の論理性故に、出来上がった文章こそが本当の考えだと思い込んでしまうことが多々ある。
頭ではなく口でものを考える。口にした言葉に思考が引きずられる。この状態に陥るのはネット掲示板中毒者や井戸端
俺のようなコミュ障は特にそうだ。支離滅裂な勢いだけで言い負かされても、あれよあれよという間に、なぜだか納得してしまう。相槌であろうとイエスと口にしたのだから肯定しなければならないと、愚かな責任感とでもいうような無意識の働きによって、自縄自縛に陥るのである。
おはようの挨拶はしない。テレビCMであいさつは魔法だといっている。魔法とは呪的なものだ。常に善なるものではない。前置きの挨拶で会話が成立してしまえば、言葉の洪水でぽぽぽぽーんと押し切られかねない。
先制攻撃で言うべきことだけを口にする。
「昨日仰ったことですが――」
お断りしますと言おうとしたとき、背後に気配を感じて避けた。
両肩をつかむべく下ろされた両腕が空を切る。スキンシップしたがりの女性教師が、俺の前でよく見せていた仕草である。あの先生は逆セクハラがしつこかった。
「後ろに立つなということかな? まるで超A級スナイパーじゃないか」
花沢さんより少し若い、大学生くらいの青年である。装備はボディアーマーで、腰に刀を大小二本差ししている。
「君が相葉勝君だね。話は
握手の手を差し出されたが、俺は視線だけをその手に当てた。見た感じ剣術家というほどではないが、鍛錬は積まれている。探索者なら必要十分といえるだろう。
河合青年は俺の気のない態度に肩をすくめると、
「言っておくが僕は君より二年先輩だ。学園なら三年生と一年生になる。こないだまで中学生だったからかな、君はまだわかっちゃいないだろうけど、年功序列は絶対だよ。探索者の世界は体育会系なんだからさ。レッスン
「それなら防音室ね。貸し出し予定を見ておくわ」
「予約がいるようなら後日ですね。というわけで、今日は軽めのアタックをしよう。一層の基地まわりの探索だ。探索者手帳を見せてくれ」
と、手のひらを伸ばしてくいくいする。花沢さんもそうだがどうしてかこちらのステータスを知りたがっている。
「ロッテを組むんだ。互いのステータスは、把握しなくちゃ駄目だろう?」
お口の恋人の方ではなく、戦闘機戦術の方のロッテであろう。
ロッテ戦術とはひどく大ざっぱにいうと、長機が攻撃を担当して僚機が援護を担当するというふうに、コンビを組んで連携する戦法である。二機一組をロッテ、分隊とし、ロッテ二組、二機+二機の四機編隊をシュヴァルム、小隊とする。航空自衛隊や米空軍では二機編隊をエレメント、四機編隊をフライトと呼んでいるが、日本の探索者学園では軍事と区別するためか、あえてドイツ式の古い呼び方が用いられている。
単機行動を避けて常に連携できるよう二機行動を心掛ける。戦闘機の編隊戦術における基本は、探索機のダンジョンアタックにおいても有効ではあった。はい、二人組つくってーから始まるので、学園でも教えやすくはあったろう。
一般出身の探索者は二機で組むことをただコンビを組むと言い、三機以上ならパーティを組むと言う。時折自衛隊あがりの探索者がエレメントという専門用語を癖で使ってしまうくらいである。
なのでロッテやシュヴァルムといった気取った言い方をする探索者がいれば、それが学園卒業生だとすぐにわかる。あるいは軍事オタクの可能性もなくもない。
「大丈夫。指導の予定は佐奈さんと相談して組んである。まずは一層の前半でダンジョンアタックの基礎と探索機の基礎を身につけよう。基礎は何より重要だ。期間はうん、三ヶ月ほどかな? じっくり、しっかり、みっちりやろう。基礎はどんなに固めても固めすぎるということはないんだ。なにせ君はほら、学園どころか高校も出てないだろう? 体も出来上がってないし、欠けてるものだらけだ。一層の後半に進むのは危険すぎる。まずは前半だけで三ヶ月の基礎固めだ。そう、三ヶ月だ。三ヶ月間は一層の中間点、それ以上進むのは許可しない。僕にも僕の探索があるからめったに来れるわけではないがね。監督は佐奈さんにしてもらおう。若いんだ、焦る必要はないさ。何事もこつこつと、努力は絶対裏切らない。貯金と一緒だよ。ちょっとずつでいいんだ。実績も実力もちょっとずつ、確実に蓄えていくのが一番の近道さ。僕だってそうさ、そうしている。結婚資金をさ、毎月、二年間、少しずつ貯めていて、そろそろ目標額にいきそうなんだ」
おや、と思った。少し高圧的な物言いをするのは先輩風を吹かせたからだと思ったが、どうやら別な理由らしい。
河合青年は一旦言葉を切ると、花沢さんの方をちらりと見た。
合点がいった。恋敵として警戒されていたのである。
まあ仕方ない。花沢さんは恋多き女性と聞く。若い男と秋波を送り合っていないか疑うのは、彼氏として当然の反応だろう。
ちっちぇえ野郎だな、などとは俺は決して思わない。思う資格がない。彼の器が小さいなら、オープンなユニコーン男子と化した親父なんておちょこどころかミジンコ以下といえてしまう。親父の薫陶を受けた俺も同様である。
「君のステータスと同調率にもよるが、順調にいけば早くて半年後かな、ウォーターワームに挑めるのは。単独撃破は無理だとしてもロッテの長機はやってもらう。大丈夫、心配いらない。やつの弱点は火だ。ミミズだからさ、乾燥に弱いんだよ。ファイアボールのスキルがなくたって火炎放射器が売っている。おっと気付いたかい? つまり半年の修行期間は、火炎放射器を買う資金を貯めるためでもあったんだ。佐奈さんのようなダンジョンアドバイザーは、こういうプランニングもしてくれるのさ」
ですよねと河合青年が目配せすると、花沢さんはしたり顔で頷いた。俺がウォーターワームを討伐済みなことはなかったことにされていた。ど忘れというばかりでなく、俺から取り上げた明細も無くしたのかもわからない。そんなことになるくらい、受付嬢の仕事が忙しいのだろう。
22
基礎基本の重要性やらアドバイザーなるものの効能やらを問わず語りに語られたが、ここいらで一つ、こちらからも質問を挟んでみることにする。
知りたいことは一つだけだ。コミュ力強者相手に対話をしない、させない、成り立たせないの三原則には反するが、それさえわかれば二人の干渉に対する姿勢もはっきりさせられる。
俺は尋ねた。
「河合蒼也さん、あなたの探索階層はいくつですか」
好青年然とした笑顔がぎくりと強張った。
「……二層だが、それがどうした」
ダンジョン探索者にはオートレースや探索機競技のようにB級A級S級といった階級分けはない。レベルを尋ねるのもマナー違反になる。ならばどうやって実力の目安をつけるかというと、探索階層、現在どの階層で活動できているかを聞くのである。
到達階層ではない。その階層で探索するなりモンスターを倒すなりして成果を安定して持ち帰れなければ、探索階層とは見なされない。三層に進んでみたものの通用せずに逃げ帰り、普段は二層を探索しているなら、その探索者はあくまで二層探索者であって、三層探索者とは名乗れない。
一層は新人、二層なら半人前、三層でプロ探索者、四層以降が深層探索者であるとされている。収入や経歴は誤魔化せても探索階層は誤魔化せない。実力主義を前提とするなら、探索者間のカースト制度は学校のそれよりはっきりしているといえるだろう。
「僕の階層なんて君の指導には関係ない。重要なことじゃない」
何を言うかより誰が言うかとは、伝説的なプロ野球選手の名言だと親父に教わった覚えがあるが、なるほどこういうことかと実感した。
二年も探索者をやっていて、未だに二層で燻っている。随分のんびりしているなと思ったが、攻略速度以上に気になったのは、結婚資金とやらを機体のチューンに回せば今頃は三層、プロ探索者になれていたかもしれないのに、そうしていないことである。探索より所帯を持つのを優先するなら、俺とは決してかみ合わないだろう。俺は超スーパーグレートなダンジョン探索者になりたいのであって、健康で文化的な生活を営みたいわけではない。生きるためにダンジョンアタックするのではなく、ダンジョンアタックするために生きるのだ。
「初対面で探索階層を聞くなんていけない子だ。その辺りの不躾も念入りに指導してあげなくちゃあ駄目かもな。ああだが安心してくれ、佐奈さんに頼まれたんだ、僕は君を決して見捨てない。さて、そろそろ行こうか、ダンジョンへ。時間は有限だし厳しくするには人目もある。手帳確認も向こうでやろう。さっきはステータスを僕たち以外に見られたくなかったんだろう? 良い警戒心だ。ああそれから、受付に並ばなくたって大丈夫、手続きは佐奈さんがしてくれるさ」
花沢さんが一歩前に出て、片手を差し出した。
「出して、ライセンス。預かるから。じゃないと勝手にダイブできちゃうでしょう? これからはアドバイザーの私の許可無しではダンジョンには行かせません」
そうとんでもないことを口走ったと思えば、いきなりくすくすと笑い出した。
「どうしたんです? 急に」
「あの子の事を思い出したの。ほら、勝君もあの子と一緒で、むっつりした感じでしょ? それがなんだかおかしくって」
「あいつの……もう、大丈夫なんですか?」
「吹っ切れてるから安心なさい。だいたいあなたは気を遣いすぎなのよ。あの子の思い出話くらい、してくれたっていいじゃない」
「ならいいんですが……」
俺を蚊帳の外にしてしみじみと語り合い、それから俺へと向き直る。
「ねえ勝君。これから私はあなたの保護者、お姉さん代わりをするわけだけれど、あんまり甘えちゃあ駄目よ? ソウ君は焼き餅焼きですもの」
「止して下さい昔の呼び方は。今はあなたの彼氏なんです。男扱いして下さいよ」
「してあげてるけど、あの子を思い出すとどうしてもね。彼氏の蒼也があの子の友達、幼なじみのソウ君に戻っちゃうのよ」
なんだこいつら、俺はいったいなにを見せられているんだと思った。指導してやると一方的な物言いで絡んできて、今度はいちゃついている。やりとりを観察していた周囲の人間も同じ気持ちだったようで、目を見開いた猫のような顔をしている。
ソウ君こと河合青年が咳払いする。
「佐奈さん、そろそろいいでしょう? 大人同士内輪の話をしたものだから、相葉君も所在なさげにしてますよ」
「ええそうね。さあ勝君、ライセンスを渡しなさい。ほら」
俺は言った。
「お断りします。自分はあなた方の指導を受けるつもりはありません。では」
「は?」
「うん?」
そのまま受付の列に並ぶため背を向ける。
「なんで? いま話を、こっちの話を聞いてたじゃない!」
「ちょ、おまっ、ちょ待てよ! 礼儀がないぞさすがにそれは」
反論はいろいろある。が、言わない。初身貫徹だ。会話をしないのが一番良い。
肩をつかもうとする河合青年の手をひょいと躱す。ボディアーマーの剣帯を引っ張ろうと花沢さんの手が伸びるが、寸前で歩幅を変えて振り切った。
視線を投げると、警備のおじさんが頷いてこちらへと歩き出した。揉め事になるかもしれないと事前に知らせておいて良かった。頭のおかしい受付嬢に絡まれているとも言ってある。女性優位を踏まえても、未成年のこちらの方が有利だろう。目撃者だっていっぱいいる。ほとんど喋らずにいたおかげもあって被害者として振る舞える。
「そこまでにしておきたまえよお二人さん。黙って見ていればまるでいかがわしい勧誘じゃないか。付きまといは迷惑行為のはずなんだが、あれかな? コンサル気取りの次はマルチか宗教でも始めるのかい?」
そう言い放ち割り入ったのは、警備のおじさんではなかった。
女性の声だ。話し始めは微かに震えていたものの、声の響きそのものは声優みたいに透き通っていた。その声には覚えがあった。昨日の待合室で花沢さんの男性遍歴を言いふらしていた声である。
「
花沢さんから、歯ぎしりの音がした。
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甲冑姿やら世紀末やらビキニアーマーやらに紛れて気にならなかったが、この柿本さんという女性も相当個性的な格好をしていた。
ゴスロリドレスというのだろうか、ファッションに詳しくないので分からないが、カチューシャがあってコルセットがあって手元を隠す袖があり、沢山のフリルがひらひらしている。町中で着て歩くには勇気が要りそうな服装に、負けないくらいには顔も体型も整っている。一見ではとんでもない美人ではあった。が、いざ注視するとどうも違和感がある。出るところは出て引っ込むところは引っ込み、はっとするような顔立ちに化粧もばっちり決めている。そんなふうに個々の要素を抜き出せば綺麗だが、それらが各々主張しすぎて調和し切れていない。なんというか、気合を入れすぎてくどくなったでもいうような、こなれていない感じがあった。妙齢の女性が少女少女した格好をしているのもその印象を後押ししている。
親父と行った繁華街で目撃した教頭先生とデートする佐久間先生(30代独身)のセーラー服姿がなぜか思い出された。そのとき親父はうわキツと言っていた。たしかに、教頭先生は既婚者だから浮気にはなるだろう。
「学生時代と変わりなく好き者なのは何よりだが、未成年相手に淫行紛いはいただけないな」
「……あんたには関係ないでしょ」
「なに、善良な一市民として、あるいは同期の桜のよしみとして、条例違反にならぬよう忠告してあげているのさ」
花沢さんが鼻で笑った。
「そうやって調子に乗れるタイミングを、狙い澄ましただけでしょうが。鬼の首でも取ったつもり? 相も変わらず陰険ですこと」
柿本さんが舌打ちした。
「……売り言葉に買い言葉はよろしくないなあ受付嬢。ボクは四層、深層探索者だぞ?」
「受付嬢だから何? ステレオタイプな選民
「普通の受付嬢には言わないさ。堅気が相手なら対等だ。でも君は違うだろう? 三層未満でリタイアした、敗北者じゃないか」
「敗北者、ですって……?」
「受付嬢になれたといっても、協会のお情けで、マナ奴隷の亜種みたいなものじゃないか。一方ボクは現役の深層探索者だ。稼ぎ頭に敬意を払えよ受付嬢。ボクに媚びろよ受付嬢。敬語で話せよ敗北者。ほーれぴろぴろー」
変顔をしてぶひゃひゃひゃひゃと汚い笑い声を上げる。容姿とは裏腹に品の無い所作であった。
「受付嬢程度の収入なら、上級の、扶養外れていないんだろ? 上級国民といってもファミリープランじゃね。正体見たりだお嬢様じゃあ、肩書きにびびってくれるのは学生だけさ。やらかしたらパパにお尻を拭ってもらうって? 毎度あり、国庫に貢献ありがとう。そのままパパの資産が尽きるまで学生ノリで頑張ってくれたまえ」
俯いてぷるぷる振るえる恋人を見かねて、河合青年が口を出す。
「おい、ちょっと、いい加減にしろ。黙って聞いていれば――」
「君こそ黙れよ万年二層」
「まっ……ちがっ、僕まだ二ね――」
「他の探索者ならまだしも、君は学園十傑だろう? 選ばれた側だろうに、何でまだ二層でぐだぐだしてるんだ。君らみたいのがいるから、学園出が舐められるんじゃないか」
どうやら図星であったようで、河合青年は口ごもった。
「こんな女にアドバイザーをやらせるからだ。慎重慎重安全安全基本基本でまだ早い。マニュアルのテンプレートに安全マージンを足したつもりでまともにアタックをやらせていない。探索者なら臆していないで冒険しなよ。憧れの幼なじみのお姉さん? そんな相手の言いなりになるのはたしかに心地良かろうが、周囲に落ちこぼれと見なされている自覚はあるのかい? この女の口車に乗って指導だのロッテを組んでやるだのと、後輩にいらぬ世話を焼いてばかりいるからレベルが上がらない。上がってもすぐ下がる。典型的な万年二層のパターンに、はまりこんでいるんだよ」
お説教であった。見物人のうち、ボディアーマー姿の幾人かが胸を押さえていた。身に覚えがあるらしい。
「人の男に素晴らしいアドバイスをありがとうございますわ、深層探索者様。そんなに親切にして下さるのは、もしかしてもしかすると、彼に気があるからかしら?」
花沢さんが復帰した。今度は別方向から攻めるらしい。河合青年はきょとんとすると、顔を赤らめた。
「はぁ? 君の手垢がついた男なんているかよ」
河合青年がしゅんとなった。
「誤解を招く発言で風評加害はやめたまえ。相互売淫は君らだけでやるといい。ボクを巻き込むな性病が移る。そっちは得意なんだろう、恋愛が」
「いかにも拗らせた口振りね。中学生ならともかく、その年でそう言うと、ねえ? あらごめんなさい。いない暦イコール年齢だったわね。痛っ、あいたたたた、あーイタイイタイ。持病の発作よごめんなさい。あんたを見てるとつい、ね? たしかあんたみたいなのを夢女子っていうのかしら、そちらの界隈だと。けどね、クリスマスも近いのだから、そろそろ選り好みもしていられないんじゃない? ご両親、悲しむわよ」
「はん! 選り好みする権利がボクにはあるんだ。拗らせではなく貞操観念といって欲しいね。そういう君も年齢を感じたからこそ、落ち着いたというと聞こえは良いがね、キープ君な言いなり彼ピで妥協することにしたんだろう? 小皺、見えてるよ」
「陰キャブスだったくせに!」
「今は違うさ。ダンジョンで金も若さも美貌も得た。探索者ドリームってやつ? 学生の頃とは立場が逆転しちゃったわけだけど、どんな気持ち? ねぇねぇ今どんな気持ち?」
「整形女が調子に乗って!」
「済まない、言い過ぎたね。でも君も悪いんだよ。敗北者のくせに学園でのノリを引きずって、ボクを侮るから……そっちこそ調子に乗るなよ、使い古しの淫売が」
「このっ――」
女の人って怖い、と俺は思った。言い争いに金切り声が混じり出す。もはや『勝手に戦え!』といった様相を呈していた。河合青年が花沢さんだけを必死になだめている。怖いのか柿本さんには話しかけず、決して目を合わせない。現役の探索者だからこそ、深層探索者には目を付けられたくないのだろう。
俺は喧騒を背に窓口へ向かった。列ははけていた。
「田中さん、入場手続きお願いします」
え? あれを放っておいていいの? という視線を受け流して、ライセンスを差し出す。
「お願いします。ああそれから、どうやら花沢さんが何やら色々されているようですが、自分は一切関知しておりませんので、何らかの申請があったとしても受理しないよう願います」
「……本当に申し訳ありません、相葉さん」
「お気になさらないで下さい。できればですが、接触禁止にするよう頼めませんかね? 協会職員として心配して下さるのはありがたいのですが、過干渉はさすがにちょっと。こちらの情報の封鎖と、昨日の明細の再発行もお願いできますか? 花沢さんが持っている筈なんですが、あれがなくては税金の計算ができないんです」
「重ね重ね申し訳ありません。おっしゃる通りにいたします、いたしますが……」
「何か?」
「花沢ですが、あれは上級国民の娘でしてね」
「ああ、ファミリープランの。もしや協会に影響力があるんですか」
「ああいえ、違います。上級国民とはいえ、市井のそれに探索者協会が阿ることはありませんしあり得ません」
たしかにそうだ。協会には上級国民の資格を得た深層探索者も多数所属している。資産だけのそれとは違い、資産に加えて直接的な武力を持っている。何かあれば嬉々として報復に向かうだろう。金持ち喧嘩せずというが、上級国民同士はしょっちゅう喧嘩をしている。むしろ資格をとるのは、流血や殺人を前提とした喧嘩を合法化するためだといっても良い。そもそも真っ当な金持ちや上流階級は、外聞を気にするから上級国民になどならないのである。
「協会の方は問題ありません。ですが花沢当人が、上級国民らしいといいますか、その、緩いんですよ」
「倫理観が、ですね」
いわゆる無敵の人のような振る舞いをする。上級国民二世によくある傾向だ。問題を起こしても金で解決すること、あるいは解決できる立場に慣れたせいで、倫理的なブレーキの効きが弱まっている。やらずに後悔よりやって後悔とはいうが、ほんとにやる馬鹿がいるかというような行為でもチャレンジ精神を発揮する。上級国民二世が俺たちゃ無敵の未成年様だぜと嘯いていじめ窃盗強姦を繰り返した末、示談金と罰金で一家が破産するというのも珍しい話ではない。
そういえば花沢さんは俺がぼんぼんの上級国民呼ばわりされたときに少し眉を顰めていた。もしかするとあれは揶揄に心を痛めたのではなかったと、そう考えるのはさすがに邪推というものだろう。
「わかりました。警戒はしておきます」
とはいえ花沢さんも、これまで真っ当に生きて来たであろう大人である。無敵の未成年様のようであったら探索者にも受付嬢にもなれてはいない。多少の嫌がらせならともかく、河合青年をけしかけたりダンジョンアタック中に探索機で襲いかかってるなんてことはないだろう。協会に頼んで関わりを断つだけで充分だ。
花沢さんと柿本さんの口喧嘩はまだ続いている。ますます激しくなる喧騒に紛れて、俺はロビーを後にした。
田中さんと上手く話せたので、花沢さんの件は我ながら無難に解決できたと思う。見物人を横切るとぎょっとした目を向けられたが、そんなことよりダンジョンだ。
一層攻略のタイムリミットは一週間だ。人間関係など気にしてはいられない。