隻眼ウマ娘(中二に非ず)   作:アンノーン

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第2話

以前は普通に見えていたらしい。

私はトイレの鏡に映る自分の、瞳孔の開ききった右目をそっと撫でながらお医者さんの話を思い返した。

 

「転倒時、強打した後頭部に加わった非常に大きな衝撃が原因だと思われます」

 

そう聞いた時の皆の表情は、正しく…絶望と言った感じだった。

幸い息の止まっていた時間は非常に短かったため他の脳機能に後遺症は残らなかったらしいが、激しく強打し出血していた後頭部は無事ではなく、視界を司る部分にはダメージがあったと。

話を聞くだけでもそれは正しく重傷で、なるほど脳ならば集中治療もなにもしようがないな、なんて私は冷静にそれを聞いていた。

最初に泣き出したのは母親だった。

先生もごめんなさい、という言葉を呟き俯いたまま小さく震えて動かなくなってしまった。

診断を聞く前にひーちゃんを帰らせたのは、どうやらお医者さんなりの配慮だったらしい。

確かにこの場にいたら、誰よりも混乱してしまいそうだ。

短いかかわり合いの中でもそう感じるほどに、彼女はたーちゃんを大事に思っていた。

 

この様子だとレースはもう出来ないなぁ、なんて私は思った。

距離感をつかめない。

右側の周辺視野が使えない。

レースにおいて、目が見えないことの不利益はきっと想像以上だろう。

ただ、それをなんとなくラッキーだと思ってしまう自分もいた。

私はやっぱり元々ウマ娘じゃなかったんだろう。

走りたい、なんて思わなくて…むしろ、めんどくさい運動をしなくてよくなった事を嬉しく思ってしまった。

たーちゃんには、申し訳ないけど。

たまにジョギングくらいならするよ、とそう自分の中に…いるわけもないたーちゃんに心の声で謝った。

 

お医者さんの診療の後先生は、母親に退学の話をしていた。

本当に、申し訳なさそうな顔をしながら。

元々の私の成績の話。

強豪校ゆえの、いわゆる肩たたきの話。

まだ猶予はあると言いながらも、私の状態を見て…恐らくもう無理だろうと。

私を、私の家族を思って話していた。

母親は震える声で、「少しだけ考える時間をください」なんて言っていた。

まあ、私としては全然退学でいいんだけどなぁ…なんて思いながら、私はただ二人の会話を聞いていた。

 

「ねぇ、たーちゃんはどうしたい?」

 

鏡の自分に、声をかける。

何も映らない、瞳孔の開ききった右目に。

この体は全て私の意志のままに動く。

 

私の体だ。

それなのに、この右目だけは私の思った通りに行かない。

それがまるで、全てを私に受け渡し切った彼女が唯一自分のものとして持っていったかのような…そんな気がして。

 

「…なんて、ね」

 

当然返答はなかった。

そりゃあ、目に口が出来て喋り出すわけもない。

我ながらポエミーなことを考えたものだ。

私は鼻を鳴らしてトイレを出た。

 

何故か少し、右目が熱を持ったような気がした。

 

〇〇〇●●●

 

まだまだ課題は多い。

こういう胸のしこりは後に尾を引く。

精神衛生のためにも、さっさと解決すべきだ。

自室の机を漁りながら、私は呟く。

 

「さてさて…都合よく友人関係ノートなんてのがあったりしないかな〜」

 

数日間の経過観察の後に、右目以外は本当に問題ないと診断された私は遂に学園の寮に戻ることになった。

母親は未だに退学を決めかねているらしい。

寮の同室のひーちゃんが迎えに来てくれて、私を部屋まで案内してくれた。

目のことは、まだ伝えていない。

ひーちゃんは素直に私の退院を喜んでいた。

道すがらすれ違う、たーちゃんの学友だったらしい少女たちも、私を見るととても嬉しそうな顔で声をかけてくれた。

 

少しだけ、胸が痛くなった。

 

先生と学校内で遭遇した時は、目のことを聞いてきそうになったので慌てて止めた。

目のことと退学のことは秘密にしておいて欲しいと告げた時の先生の顔は、とても苦しそうなものだった。

 

その時また、少しだけ胸が痛くなった。

 

部屋に着いたあとは、「1人になる時間が欲しい」と言って少し無理やりひーちゃんを外に追い出した。

それは、退学前の身辺整理の為。

誰にどこまで、何を伝えるべきか。

 

その結果何が見つかるのか。私に何をもたらすのか。

この時の私は何も知らず、ただタスクをこなす為に呑気に机を漁っていた。

そして、今。

私は、机の中からひとつの日記帳を見つけた。

 

表紙には名前と、小さく「トレセン成長録」とだけ書いてあったそれは、まるで覆い隠すように大量のプリントと物の下に潰されていた。

 

「ふふ、漫画のタイトルみたい」

 

それを手に取った時、右目が少しだけ熱を持った気がした。

なんとなく、これを見れば全てわかるような。

彼女と通じ合えるような、そんな気がした。

私はペらりと、その一枚目をめくった。

 

右目に灯る激情が、それを静かに見ていた。

 

〇〇〇〇〇〇

 

■月‪■‬日

この度、中央トレセン学園に入学決定!

今日から日記をつけます!

私がいつか重賞ウマ娘になって大スターになったら、この日記を自伝として出版します、これでウハウハ間違いなし!

明日は寮に行く日!ドキドキ…同室、どんな子かな?

 

 

■月■日

寮に入りました!

さすが天下のトレセン学園…学校施設が全部でかい!

そうそう、同室の子、ヒズリリベルちゃんとも仲良くなりました!ちっちゃくて、可愛い子です!

でも、ここに来たからにはライバル…負ける気は無いよ!!

 

 

■月■日

明日はは初めての登校日…ワクワクして眠れないので、どうせなら日記をいっぱい書いちゃいましょう!

ひーちゃんと昨日勝負服の見せ合いっこをしました!

と言っても勝負服なんでまだ持ってるわけないから紙に書いた落書きですけどね!

ひーちゃんの衣装はフリフリいっぱいでカワイー感じ!

でも、私は見逃してないよ?

その衣装にこっそり、私が似合うって言ってたお花の飾り入れてたの。

お花が好きだから入れただけ!って言ってたけど絶対私に言われたから入れたでしょ〜!

 

 

■月■日

 

悔しい!

負けたこと無かったのに!

みんな速いなー。

でも、次は勝つよ!

初日の模擬レースで負けたくらいでへこたれるようじゃ、重賞ウマ娘になれないからね!

明日から本気出す、ってね!!!

 

 

■月■日

今日も模擬レースに負けちゃった!

でも前より少しいい場所で走れた気がする!

日々成長、まだまだ皆と差はなし!

今のうちに成長して本番に備えるぞー!

 

 

■月■日

ウワサで聞いたけど、強い子達はもうトレーナー付き始めたみたい。憧れちゃうなぁ…私に全力で、私の全てを引き出してくれるようなそんなトレーナー。

私にもできないかな。

 

 

■月■日

クラスの子が1人、居なくなっちゃった。

次は私かも…なんて一瞬怖がったりもしたけど。

負けない!しょげない!何ともない!

走りたいって気持ちなら負けない!

速くなりたい!

強くなりたい!

きっと、皆そう思ってるけど。

私の想いがいちばん強い!

 

たぶんね。

 

 

■月■日

クラスの中でもトレーナー付きが増えてきた。

私にはまだ居ない。

模擬レースも勝ててない。

悔しい。

悔しい。

もっと速くなりたい。

もっと強くなりたい。

もっと可愛く、もっとかっこよく。

だから今日も自主練頑張った!

自分偉い!偉いぞー!

 

 

■月■日

自主練見かけた先生がたまに練習に付き合ってくれることになった!これはもう、実質トレーナーなのでは?

でも先生はあくまで基礎的な教育のためにお仕事してるから、専門的な部分はそんなに詳しくないんだって。

確かに、授業の先生とトレーナーさんって別だった気がする。

でもありがとう!先生!

私は先生のお陰でもっと成長できます!

 

 

■月■日

いっぱい練習しました!

疲れたから今日は早めに寝よう…なんてったって、明日は今月最後の公式模擬レース!

先生との練習の成果を出す時だー!

 

 

■月■日

勝てなかった

 

 

■月■日

悔しい。

また負けた。

私は誰よりも速くなりたい。

どうすればいいんだろう。

どうすればもっと強くなれるんだろう。

勝ちたい。

勝ちたい。

勝ちたい。

 

 

■月■日

同じ模擬レースの子が、言ってた。

退学なんて嫌だよね、でももう走るのも怖くなってきちゃったって。

ちょっとだけわかっちゃった自分が、嫌だった。

私は、誰よりも走るのが好き!

だから、走るのが怖いなんて有り得ない!

私が走るのは退学が嫌だからじゃない!

走りたいから、走るんだ!!!!!

 

 

■月■日

自己ベストだった。

負けた。

惨敗。

 

 

■月■日

もう1回負けた。

次こそ。

 

 

■月■日

もう1回負けた。

次は勝つ。

ひーちゃんにトレーナーが付いた。

私は、まだ。

 

 

■月■日

悔しい!!!!!!!!!

なんで私だけって思ったことが、恥ずかしい!!!

みんな頑張ってる。

私が選ばれないのは、私が勝てないせい。

私が勝てないのは、私が弱いせい。

周りのせいにするな。

私は、勝つ。

勝ちに来たんだ。

 

 

■月■日

自己分析の仕方をトレーナーに教わった。

ひーちゃんに無理言って、取り次いでもらった。

担当でもないのに、面倒かけて悪いとは思う。

でも、羞恥心で、レースには勝てないから。

私は勝ちたい。

だから、教えてもらった。

今日からは日記にそれを記すことにする。

 

 

■月■日

馬場 良

風 やや強め

少し体のぶれている感覚を何度か感じた。

特にカーブ。

意識したい。

あとは───────

 

 

 

 

■月■日

馬場 良

風 弱め

スタミナ不足を感じた。

終盤の伸びで引き離された。

あそこからさらに伸びるには───────

 

 

 

 

■月■日

何の成果も出せなかったじゃないか!

悔しい!

悔しい!

勝ちたい!

 

勝ちたいのに。

こんなに、勝ちたいのに、なんで?

どうして勝てない。

どうして勝たせてくれない。

 

勝てない私に、価値はない。

 

 

■月■日

今日は───────────────

 

●●●●●●

 

私は勢いよく日記を閉じた。

最後の一文を見た私の全身に、鳥肌がたった。

恐ろしいとすら感じた。

 

涙で所々滲み、紙もくしゃりと変形した、そんな日記。

そこには彼女の苦悩と、努力と、希望が。

命が、書き込まれていた。

どんな気持ちで。

どんな熱量で、この言葉を書いたんだろう。

 

右目が、熱い。

 

きっと、本当に誰よりも勝ちたいと願っていたんだろう。

子供っぽいだとか、そんな感想すらもどこかに消し去ってしまうほど、この日記たちの文字列には、強烈な気持ちが込められていた。

それは、まさしく激情と呼ぶにふさわしい。

 

悔しくて、手を握りしめて泣きながら書いたであろう日には文字が汚かったり、少し紙に穴が空いていたり。

気持ちの沈んだ日は一文で雑に終わらせていたり。

希望を見つけた日は、興奮を書きなぐっていたり。

 

そこには彼女の熱が、火傷しそうなほどの感情が。

命の轍が、あった。

 

思い出す。

震えた、母親。

その小さな背中を。

 

恐ろしい。

自分が何者になってしまったのか。

自分が誰から、何を奪ってしまったのか。

少女は死んだ。

きっともう、声を出すことは無い。

この体が熱を発することはあっても、誰かと心を通わせることは無い。

 

私が、彼女の体を奪ってしまったのではないか。

 

私がいなければやはり彼女は彼女として目を覚ましたのではないか。

一度考え始めたら止まらないそんな思いが、頭の中を駆け巡る。

私が家族から彼女を奪った。

私が友人から彼女を奪った。

 

私が彼女から、彼女を奪った。

 

「気持ち悪い…」

 

私は吐き気を抑えるように口元を抑えて蹲った。

視界に映る、自分の手のひらの小さな一つの傷。

それはまるで私が奪ってしまった少女の熱の残滓のようで、私にはそれすらも恐ろしかった。

走れない。

走りたくない。

 

でも、この少女は、そんなことを言うのだろうか。

 

きっと、言わない。

 

少女がここまで積み上げてきた努力を、血を、涙を。

このままでは私が、その全てを塵にしてしまう。

私はそれがたまらなく恐ろしかった。

知人のふりをした。

友人のふりをした。

家族のふりをした。

誰も怒らない。

誰も気づかない。

 

私は恐ろしかった。

 

私は彼女のフリをする。

でもそれは決して、彼女ではなくて。

今のままでは、彼女の大事にしていたものすら捨て去ってしまえば。

もはや彼女はかけらすらも残らない。

そして、私もいなくなる。

残るのは、彼女の真似をする彼女ではない誰か。

 

人の命を盗んで、何も残さない。

二つの命で、がらくたを一つ生み出す。

それが私にはどうにもたまらなく、恐ろしかった。

 

何をすれば良いのだろう。

彼女をこの世界に残すには?

走れば良い。

私が私であるためには?

私…私は、なんなんだろう。

記憶もない。記録もない。

私なんてのは、存在しない。

私は、いらない。

私は走れない。

私は走りたくない。

彼女なら?

迷いなく走るだろう。

 

ああ、そうか。

 

私は、走るしかないんだ。

 

すとんと、胸に落ちた気がした。

静かに納得した。

私の運命は、あの日ベッドで目覚めた時点で決まっていたんだ。

私は、走らないならばこの世にはいてはならない存在なのだった。

 

ふと、退学のことを思い出した。

事故のこと、怪我のこと。

バレたらきっと誰しもが退学を勧める。

バレるわけにはいかない。

まだ、退学はできない。

でもそのためには、成果を出さないと。

 

そのためには、なにをすれば?

 

「元気に…普通に、走れるとアピールする」

 

ゆっくりと立ち上がり、私は机の日記を拾った。

遺体を扱うかのように、そっと。

いまだに、手は震えていた。

 

「…またね」

 

日記を優しく引き出しの中にしまった。

代わりに、仕舞ってあった小さな手鏡を手に取る。

そこには青白い少女の顔が映っていた。

 

「これじゃだめだ、怪我で精神が参ったと思われる」

 

私は鏡に、ニッと大きく笑って見せた。

みんなの知る、少女のように。

そして、私は自分に言い聞かせるように呟いた。

 

「私、走りたい!今にも走り始めたいくらい!次はどこのレースに出れるんだろう!ワクワクするよね?ひーちゃんにだって負けない!私は走って一位になる!私は元気!私は大丈夫!」

 

それはどこか狂気的で、その声だけがどこまでも明るかった。

楽器をチューニングして、音が馴染んでいくように少女の笑顔はだんだんと自然になり…最後には、その開いた右目の瞳孔に小さな違和感だけを残して。

 

天真爛漫は少女が、そこにいた。

 

「…ああ、そうだ」

 

先生に、周りに目のこと言わないよう口止めしないと。

 

少女の激情が染み渡り、別の1人の少女が生まれた。

名前は、ニンブルターン。

ウマ娘としてはゼロ歳で、走り方も何も知らない。

ただ、彼女は誰よりも明るく、誰よりも走ることを望んだ。

多くの秘密を抱えて、目を爛々と輝かせた少女は部屋を飛び出して行った。

 

「…あれは、確か今年入ってきた…ニンブルターン…?」

 

それを見つめる、目が一つ。

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