隻眼ウマ娘(中二に非ず) 作:アンノーン
この時期の選抜レースはもはやあまり見る意味はない。
なぜか。
理由は単純なもので、少しばかり残酷なものだ。
たいていの強いウマ娘はもう売り切れてしまっているから。
ただ、それだけの事。
例えば、欲をかいて有力バにばかり声をかけて回った向こう見ずの新人トレーナーからすれば、埃をかぶった
例えば、チーム結成のためにあと一人数合わせの欲しい中堅トレーナーからすれば、輪を乱さない無難なメンバーを探すちょうどいいセール商品のカゴなのかもしれない。
しかしながら、そのどちらにも当てはまらない男からすればここはまさしく砂漠だ。
来る価値も、見る意味もない荒れ地。
ではなぜ男は、ここに足を運んだのか。
『前にそろそろ担当を増やしてみたいって言ってたよな?』
全く、あの荒くれ担当バは何を見つけたのやら。
胸の中でぼやきながら、男は過ぎていくいくつかのレースを胸の高鳴りの一つもなく見つめていた。
もうじき夕方、選抜レースも終わりが近づいてきた。
それはつまり、担当トレーナーのいるウマ娘たちにとっての個別練の時間の終わりを意味する。
まさか個別錬の時間をさぼる為の言い訳…ではないはずだ。
そんなもの、彼女が言うはずもない。
男は頭によぎったありえない妄想を、強く首を振って弾き飛ばした。
「そうは言ったってこう、何もないとなぁ」
ナカヤマフェスタは何も言いはしなかった。
ただ、見ればわかると。
しかしながら、彼女を誰よりも信じる男をして、その意見には首をかしげざるを得なかった。
ぽつぽつと
男はこの時期の、この景色があまり好きではなかった。
ウマ娘たちの笑顔は、きっと長くは続かないのだろうから。
男はせめて、彼女らが何にも気づかないほどに間抜けであることを、またはとにかく走れればいいようなイノシシ娘であることを願った。
「夢がねぇ…いや、夢を踏みにじる話だ」
「俺もお前も、嫌というほどそれを見たはずだろ」
「なあ、お前はいったい誰に…何を見出したんだ?」
最後の選抜レースがそろそろ始まる。
いつの間にやら空は茜色を超えて藍色になり始め、遠くから個別錬を終えたウマ娘たちが歩いて来るのが、男の目に映った。
「あ、あのウマ娘…噂の…」
男の興味はもはや奥の新人ウマ娘のほうに傾きつつあった。
アップを始めた最後のレースのメンバーにも、男の惹かれた記憶のある者はいない。
男からすれば、それは「つまらない」以外の何物でもなかった。
きっと男の担当バがその光景を見れば、にやりと意地悪く笑ったことだろう。
まだまだだな、と。
勝負師は最後まで勝負を捨てないものだ。
まだそこに戦える者がいるというのに、投了だなんてもったいないじゃないか。
〇〇〇●●●
「うし!笑顔笑顔!」
前のレースが終わり、さらに人が減った。
否が応でも理解させられてしまう。
私は…私たちは、期待されてないのだと。
まあ、仕方ないか。
数日間の先生との練習の末に私が身に着けたもの、それは。
「よし、大丈夫!私はまっすぐ走れる!いけるぞー!」
ただ、走れるようになった。
それだけだ。
字面は幼稚園生である。
私的には大きな進歩なんだけどなぁ。
私の期限を鑑みるに、走れる選抜レースはあと三回といったところ。
週に一回の選抜レース。
あとたった三回で結果を出さなければ、私は退学になる。
「…あはは、ビビっちゃうね」
小さく震える左手を、私は右手で強く握りしめた。
夕暮れ時、だんだん暗くなっていく空を見上げて私は小さく息を吐いて呟いた。
「悔しいなぁ」
幼稚園児ですらもできることが一苦労な自分自身が、情けなかった。
そしてそれ以上に、あんなにも必死だった少女を、誰も認めてあげられなかったんだと実感したことが悲しかった。
私の今の拙い走りのことは、まだ先生以外誰も知らない。
だから期待されていないのは過去の…たーちゃんとしての、私。
目を閉じ、くしゃくしゃの日記を思い出す。
どんなの気持ちだっただろう。
プライドを折られ、不安に駆られて走る日々は。
レースをするたびに減っていく見物人は。
どうしても勝てないとわかってしまう実力差、その絶望感はどれほどのものだったのだろうか。
決死の覚悟で挑んだレースの、転がり落ちて行く視界に映ったはるか遠くの背中は。
「たーちゃんは、すごいなぁ」
私はこの、たった一度のレースに出ることすらも不安で震えているのに。
逃げたいとすら思うのに。
強くなりたいと上を見続けた少女の、なんと気高きことか。
私には到底、真似できない。
だからこそ。
「悔しいなぁ…」
何で誰も、彼女に期待してくれなかったんだろう。
私みたいな半端者よりも、ずっと素敵な少女だったのに。
やるせない。
私は見えない瞳を撫で、眠りについた少女を憐れんだ。
そんな情けない私だから彼女は声をかけたのだろう。
臆病者の私でなければきっと、こうはならなかった。
些細なきっかけで運命が大きく変わるだとか、私はそういうドラマチックでリアリティのない展開はあまり好きでなかったのだが…少なくとも。
「ねぇ、次のレース、負けてくれないかな」
その言葉は、体の震えを止めるには十分だった。
○○○○○○
そのウマ娘は計画的で、戦略的で、慎重だった。
彼女は客観視のできるウマ娘だった。
自身の実力。
時間の限界。
期待の低下。
そろそろ決めないとまずいと、彼女は冷静に分析していた。
故に、結果を出すための手段は選ばなかった。
「ねぇ、次のレース、負けてくれないかな」
彼女が目をつけたのは、1人のウマ娘だった。
記憶にあるいつもの様子とは少し異なる、臆病風に吹かれた少女。
違和感を感じながらも、彼女は的を少女に絞った。
御し易く、言いくるめやすい標的を冷静に分析し話しかけたその内容は…所謂、八百長の誘いだった。
「聞こえてる?返事してよ」
「…今、なんて言ったの?」
「はぁ〜?だからさ、負けてって言ってんの」
彼女は結果を出す必要があった。
実力に見合わぬ、大きな成果を。
しかしそれは彼女以外には何のメリットもない取り引きだった。
故に彼女は、レースの参加者から最も臆病な様子の少女を選んだのだ。
臆病な少女へ圧をかけるため意識的に高圧的な態度を取り、言うことを聞かせて八百長を強いる。
それこそが、彼女の導き出した勝つための最適なプランだった。
「アンタさ、前に大ケガしてた子でしょ?震えちゃって…カワイソーだね」
レースが怖いんだと、判断した。
少女は前の大怪我を再びすることを怖がってがっている。
それに、少女の
「でもさぁ〜?あんな大暴走またやってさ?巻き込まれたら私たちまで危ないよね…ねぇ知ってる?気づいてないかもだけど、一緒に走るみんなアンタに怯えてるよ」
「悪いと、思わないの?」
無言の少女に対し、彼女は次々に言葉を放った。
周りに聞こえないよう声量を意識して、悪どい顔もバレないよう顔を伏せながら。
彼女はとにかく、少女を追い詰めることを意識した。
故に気づかなかった。
目の前の少女の、開き切った瞳孔に。
○○○●●●
「だからさぁ〜?他のみんなのために、アンタはみんなを巻き込まない位置で走るべきだと思うのよね?」
それは、いきなり現れた異分子だった。
右目が燃えている。
そう錯覚するほどの熱を持った。
なんだ、なんだ。
この、右目に収まらず全身にまで広がる熱はなんだ。
私の心臓が叫んでいる。
こいつを倒せと。
「でもほら、アンタも頑張りたいでしょ?私、いいこと思いついちゃったんだよね!」
分からない。
彼女はクラスメイトの1人、確かそうだ。
そのはずだ。
じゃあ、この疼きはなんだ。
「レース開始と同時に全力で前に出る!どう?ペース配分とか得意とかどうでもいいからガン逃げして欲しいのよね〜」
彼女はクラスメイトで、メイクデビューが同じの同期。
それだけだ。
それだけのはずだ。
「後半はダレて負けちゃうかもだけど…もしできるなら逃げ切っちゃっても良いのよ!そうすれば他のみんなとは位置取りが違うから巻き込まない!あなたも頑張れて、みんなも安心!どう、名案だと思わない?」
じゃあ、なんだ。
「もしかしたらあなたに引っ張られてみんな掛かっちゃうかも、ね?」
半笑いのその声が、やけに不愉快だった。
…不愉快。
そうか、私は不愉快なんだな。
なるほど。
じゃあ、この疼きは?
「…?なんか言いなさい…ょ、え、何その顔、な、何よッ!なんか文句あるワケ!?」
始め、声をかけられた時。
冷や水を頭からかけられたようだった。
緊張の奥にあった、微かな興奮が。
体の熱がすっと冷めていった。
指先まで冷たくなって、凍ったかとすら思った。
それは、彼女の愛したレースを侮辱する言葉だった。
それは、レースを愛した彼女を侮辱する言葉だった。
こんなの、只のおままごとだ。
頭の中に、そんな言葉が浮かんだ。
わかってる。
安い挑発だ。
乗る意味も無い。
ああ、でも。
狂ってしまうほどに、右目が痛い。
冷えた体の奥から、さっきよりもむしろ大きな熱が広がる。
怖がっている。
悲しんでいる。
泣いている。
妬んでいる。
羨んでいる。
蔑んでいる。
恥じている。
悔やんでいる。
そしてそれ以上に。
勝ちたいと、叫んでいる。
ああ。
そうか。
全身に広がるのこの熱は、怒りか。
「ははっ」
ああ、右目が疼く。
「たーちゃん、私たち、邪魔だから退いてろってさ」
──────どんなの気持ちだっただろう。プライドを折られ、不安に駆られて走る日々は。レースをするたびに減っていく見物人は。
「な、なに1人でぶつぶつ言ってんのよッ!」
そっか。
たーちゃんって、こんな気持ちだったんだ。
「ねぇ、その話」
ぶっ飛ばす。
「いいよ?乗ってあげても」
ぶっち切る。
「たださ、一つ約束してよ」
青い顔で震える女の目を覗き込んで、私は獣のように笑った。
「
私の走りで、
ブン殴る。
〇〇〇〇〇〇
静かだった。
さっきまでのひと悶着が嘘のように。
ターフの上は静かだった。
それは、ターフの外も。
トレーナーも、教官も、居合わせたウマ娘たちも。
誰もが静かにその時を待っていた。
『本日の最終レースが始まります』
『生徒はゲートにお集まりください』
『公式選抜 第11R 1800m 7人立て』
『1番 サイスーシエル』
『2番 ダイアレット』
『3番 トウルマイスター』
『4番 アイゼント』
『5番 ファーストプレイス』
『6番 ハイライン』
『7番 ニンブルターン』
アナウンスから、一拍置いて。
少女はゆっくりとゲートに入った。
最奥の、小さなゲートに。
『ピッ…出走』
そして、小さなブザー音と同時に全てのゲートが、開け放たれた。
あっけなく。
前触れもなく。
獣のレースが、始まった。
「出遅れっ…!」
誰かが小さく呟いた。
勢いよく飛び出したのは、7人ではなく6人だった。
6番のハイライン、出遅れ。
その表情は何故か恐怖に染まっていた。
それを横目に加速していく少女たち。
そしてそのうち一バが抜け出した。
「いいよっ!アイゼ、そのまま!」
この頃の選抜レースにはもはや大勢の観客はつかない。
胸を弾ませる実況も、声援も。
ただ、友人が。知人が。
小さな、小さな願いだけがそこにはあった。
それらを勇気に、少女たちは必死に駆けていた。
ただ、一人を除いて。
「おいおい、あのアイゼントって子大丈夫か」
…ろ
「逃げ馬か?にしてもありゃかかりすぎじゃないか…?できるだけ前に行きたいのはわかるが…」
…ろ
「…?いや、まて、違うぞ」
見ろ
「逃げさせられてる!7番が追ってきてるんだ!」
見ろ
「どんどん上げてくるッ…!アイゼ!がんばってッ!ああっ…!」
見ろ!見ろ!
「ニンブルターン…?あいつどこまでいく気だ、もう先頭に立ったじゃないか!?」
見ろ!!!!!!!!!!!!!!!!!
「ね、ねえ、あれ曲がる気あるの!?」
「なんだあのスピード!?どんだけ勢いよく上がってきてんだ!?」
私を見ろ。
「体めちゃくちゃブレ…ッ!コケた!?」
私を恐れろ。
「なんだあいつ、めちゃくちゃなコース取りじゃないか…!!」
私を、焼き付けろ。
「立った…ケガは無いみたいだけど…ん?お、おいなんだあのイカれた加速!?」
二度と忘れるな。
「ぬ、抜いた!?はぁ!?コケてる間に抜かれたのに、もっかい走って抜き返した!?」
「さら加速した…!めちゃくちゃだよ、あの子…!」「待て待て待て…おい嘘だろ、そんなことって…」「周りが遅いからそう見えてるだけじゃ?」「…ッ!いやむしろ、ここまでのペース、異常に…」「まじか、今時こんなレース地方の平場でも見れないぞ…」
「あいつ、他全員が掛かってる中で、そいつら以上に速いってのか…?」
ああそうだ。
私は拙い。
その上臆病者で、卑屈だ。
だが、それでも。
「ああっ!アイゼが埋もれたっ!代わりにサイスーシエルが上がってっ…!」
私は勝つために、ここにいる。
「間に合うのか…!?いや、さすがに落ちてくるだろ!?」
「最終直線、1番と3番が上がってくるころ…おい!?なんなんだあの7番!!!」
「何、あれ…私が走っても、勝てたかな…?」
「なんであんなのが、まだ、選抜漏れしてんのよ…」
レースの勝敗というものはいつだって、明白で、確実で、徹底的に…冷血である。
敗者が味わうのは、何度目かもわからない屈辱の味。
どう頑張っても勝てない、という絶望。
どうしてこんな理不尽が、という怒り。
「なんでまだ伸びる…!」
全てを轢き潰す、身体のスペック差という名の暴力。
「ああ。ああっ!」
「嘘だっ!ウソ!」
最後の100mに差し掛かった時、後ろのウマ娘たちが堪らず声を張り上げた。
それは、甲高い、ヒステリーな涙声だった。
「待ってッ!待ってェッ!」
少女たちの何かが崩れていくのが、ターフの外からですら分かった。
振り返らない。
それでもなお。
ニンブルターンは、止まらない。
「なんで、なんでアタシばっかりッッッッッッ!」
『ピッ、1着 7番 ニンブルターン』
それはあっけなく終わった。
きっと今日、何人かは、走ることをやめるのだろう。
勝負に絶対はない。
でも、だからこそ。
決まった勝敗は、覆らない。
『最終レースが終了しました』
『生徒は速やかに先生のもとに集まってください』
『レースの総評を行います』
『1着、7番…………
呆然とコースを見つめる男の頭の上に、影がかかった。
見上げればそこには、いつの間にか来ていた
「な?面白かっただろ?」
気づけば呼吸を、忘れていた。
一言も発さず。
男はただ、最初から最後まで彼女を見てしまっていた。
ああ、認めよう。
見惚れていた。
粗削りで、荒々しくて、名前とまるで対局のような彼女に。
「ああ、ああ…そうだな…、面白、かった」
男はこの時確かに、惚れこんでしまった。
○○○●●●
鼻をすする声が、そこかしこから聞こえる。
肌を刺す大量の鋭い視線が痛い。
遠目から、おじさんたちが若干…いや、かなり引いた眼で見てきている。
汗をぬぐおうと手を動かしたら、横の子がびくっと震えて後ずさりした。
居心地が、悪いな。
これが勝者の景色なのか。
「…ぁ」
目があったのは、ハイライン。
怯えた目の彼女を見て、レース前の約束を思い出した。
「ねぇ、言われた通り「お疲れさん!…ってあれ、邪魔しちゃった?」…いいえ」
大したことじゃない。
ただ、私を覚えたか。
そう、聞きたかっただけだ。
「私に、何か用事ですか?」
「あ、ああ…初めまして、ニンブルターン…そうだな、なんていうかかなり今びっくりしてて言葉選びをミスるかもしれないんだけど…そう、俺はトレーナーで、今一人受け持ってるんだが、そうだな、うん」
「おい、トレーナー…?」
「コイツがそうで、じゃなくてそう、ああごめんちょっと深呼吸」
「…?」
「…ふぅ、よし…なあ、君」
「はい!」
「俺らと、一緒に走らないか?」
もうすぐ夏が始まる。
わかりやすく言えばそれは、メイクデビューの季節。
一歩半ほど遅れて、私はそのスタートラインに立ったらしい。
先を考えれば課題だらけ。
でも、一先ずは。
「はい、喜んで!」
この幸運を、喜ぶとしよう。
トレーナーと自己紹介をし合うウマ娘をじっと見つめ、ナカヤマフェスタは鼻を鳴らした。
“売れ残り”とは思えない足の速さを見せた、今まで強さが話題になったこともないウマ娘。
盛大に転げたせいか土にこそ汚れているものの、その体には。
汗の一粒すらも滲み出てはいなかった。