「じゃあ私こっちだからさ、後でね」
「うん」
階段を駆け上がって行く姉の背中を見守り、自分も教室へ…と行きたいところだが今日はダメ。
あんな、『わんわん、わおーん』してる格好で人前に出たらどうなる…その瞬間から変態認定されるに決まってる。
そんな事になったらあの人の輝かしいキャリアと未来が……あぁ考えたくもない。
「……行くわよ私…!」
シオリが階を上がってから数分後、コハルは良く言えば尾行、悪く言えばストーキングを開始した。
姉の事を付けるのは中学生の頃からちょくちょくしていたので同じようにすればいいだけだ。
もうすぐ授業が始まるが…キヴォトスでの学習はBDがメイン、今みなくても勝手にストックされるので最悪、後日消化すればいい。まぁ放置すれば単位は無しだ。
教職員による講義と板書をノートに写す文化などこの地からは消え去った…とまでは言わないがもう拝める機会はそうそう来ないだろう。
ペーパー主義のトリニティでさえBDを導入しているが…まぁこれは連邦生徒会から「使え」とお達しでもあったのかもしれない。
コハルは、たたたと軽快に靴底を鳴らし、二年生のクラスがある二階へと駆けあがる。
その間にカバンからどこで使う予定だったのかも分からないサングラスを意味も無くかけた。
変装にしては心もとなすぎる安物の黒いグラサンだ。
そもそも二階に一年生は来てはいけないルールなど無いが…バレてはいけないと言う彼女なりの思考なのだろう。
二階に足を踏み入れた今、コハルの脳内には姉と見たスパイ映画のBGMが流れる。
正直、興味の無い作品だったが耳に残るメロディだったのでコハルの脳内ジュークボックスに即日ラインナップされた。
(…別に悪い事してる訳じゃないのにドキドキする…)
BGMのボリュームが勝手に上がる。
姉は映画好きだ。
サイトにレビューを投稿したり、感想を動画にしたりなどはしないどこにでもいそうな映画好き。
見るジャンルは多岐に渡る…アクションにSF、パニックモノにホラーから子供向けまで。
が、恋愛モノは見ない…本人曰く「なんでコレがメインなの?恋愛ってアクションのおまけじゃないの?」だそうだ。
所謂、濡れ場…と言われる場面でも姉は表情を一切変えない…どころかつまらなそうにする。
『大人なお姉ちゃんはこんなモノでは動じない』と横で顔面紅潮させながら思っていたコハルだが、最近になってそもそも何が起きているのか理解していなかったのだと分かった。
「えっと…確かお姉ちゃんは2年3組…」
右往左往しながら姉の教室を目指す。手元には簡易的な地図…トリニティはマンモス校だ、広さはそこらのショッピングモールとほとんど差異が無い。
上級生達の視線をかわしながらついに辿りついた姉がいる教室。
廊下の端、角をひとつ曲がったところ――誰にも気づかれない位置から、ひょこっと顔を覗かせる。
教室の中。シオリは、窓際の席に座っていた。
所謂、主人公席って奴だ、誰しも一度ぐらいは憧れるだろう。ロマンだけではなく、良い景色と良い風通し…そして何とは言わないがバレにくいと、実用面でも素晴らしい立地だ。
そんな席で朝日が差し込む中、ノートを整え、筆箱の中身を確認する姿。
憧れの姉だが…あの黒い首輪さえなければ、カンペキだった。
首元、ちらりと覗くその異様なアクセサリーは、やはりどう見ても“普通”じゃない。けれど、それに気づいているのかいないのか――本人は気にする様子もなく、淡々と朝の支度を続けていた。
(でも……)
そのとき、隣の席の女子が、ふいに声をかけた。
コハルの耳にもしっかりとその内容が入ってくる。
聴力はかなり良い方だ。
「……ねぇ、シオリ」
「ん?」
「…その黒いヤツ…」
視線は、当然、首元に。
(あわわわわ…)
気づかれてしまった…言われてしまった…正直、時間の問題だと思ってはいた…がいざ指摘されている所を見るとこっちまで感情が沸き立ってくる。目をそらしたいがそれをしては駄目だ。
シオリはクラスメイトの声に反応し、首元が良く見えるように襟をずらした。
「ああ、これ? ロックでしょ? 黒いし制服に合うと思って」
「……誰かに……脅されてるとか、そういうんじゃないよね?」
ぽつりとした問いかけは、あまりに優しく、そしてどこか切実だった。
「え? なにそれ、どういう意味?」
いつもの調子で笑い返す。その声に嘘はない――本当に、彼女はわかっていないのだ。
「シオリ…正義実現委員会だからって全部自分で抱え込まないでさ…人を頼るんだよ?」
耳をたて、姉のクラスメイトの声を聞いたコハルは廊下の影に潜んだまま、小さく唇を噛んだ。
姉が何かを隠しているわけじゃないのはわかっている。嘘もついていない。ただ、少し――いや、だいぶ、世間の常識からずれているだけ。
想像以上に同級生が優しさに満ち溢れていており一種の感動すら覚えた。
残念な事だがトリニティは陰湿な行為が多い…そんな下劣な行為の標的に姉がならなくて良かった。
(いや、お姉ちゃんの事だし逆にボコボコにするかも…)
もう一度教室を覗く。
笑顔な姉と困り顔の生徒…相手は明らかに違和感を覚えているだろうが、ここから最悪な事態になる…ように見えない。
(…はぁ…心配かけちゃダメだよ、お姉ちゃん……)
コハルは手を胸に当てる。そこから伝わる自分の鼓動は、どこか騒がしくて、不安げだった。
壁に寄りかかり、息を吸う。
教室からは笑い声。何も知らない姉と、その周囲。
(…ふぅ…まぁ…一旦は戻ってもよさそうね)
少し胸を撫で下ろし、踵を返そうとしたそのとき――
「――あら? 下江さんの妹さん、でしたっけ?」
背後から、やけに落ち着いた女性の声がした。
「……っ!?」
コハルの全身が一瞬で硬直する。
振り向くと、そこには二年生と思しき女生徒。腰まで伸びた清楚な黒髪と、知的な雰囲気を纏った眼鏡が印象的な上級生だった。委員会の腕章も見える――つまりは同僚で、姉の知り合いで、なにより「話しかけられてしまった相手」だ。
(あ…やば……この人、誰……!)
一瞬にして脳内がショートする。
「もしかして……シオリさんに何か用事が?」
丁寧な口調だが、目は鋭い。観察されている――そんな気配をひしひしと感じる。
「あ、あのっ……ちがっ、そっ……えっとっ……!」
口が滑らかに動かない。うまく言葉が出ない。頭の中では「何とか誤魔化せ!」という指令が飛び交うが、回路が全部ショートしている状態…誰か電気技師を呼んできてほしい。
(ど、どうしようどうしようどうしよう~~~!!!)
視線を泳がせながら、コハルは後ずさる。
顔の筋肉がぴくぴく痙攣しているのが分かった。
「えっと……べ、別に、お姉ちゃんには……っ! し、失礼しましたぁぁぁ!!」
最後の叫びは、もはや逃走宣言だった。
今、白い布を持っていたらどこかのバンドのライブ並みに振り回していただろう。
逃げるは恥だがなんとやら…この言葉を考えてくれた偉人には頭が上がらない…足でもなんでも舐めれる。
驚く上級生を残し、コハルはくるりと踵を返すと、全速力で階段へと向かった。サングラスが落ちそうになるのも構わず、足音を響かせて廊下を駆け抜ける。
頭と背中の翼は今までにないほどバサバサ動き、カバンは生き物のように跳ねる。一瞬つまずきそうになるが何とか体勢を立て直す事に成功した。
「わたし、なにやってんのぉぉぉ~~~!!」
思わず涙目で叫びながら、コハルは心の中でも叫んでいた。
(もう……一生、二階なんか来ないからっ……!)
そんなすぐ忘れてしまいそうな小さな決意と、赤くなった耳を隠すように、コハルはその場を去っていった。
中庭に暖かい風が吹き抜ける昼休み。ランチの匂いやざわめきがキャンパスを柔らかく包む中、コハルはひとり、屋外ベンチの端に腰掛けていた。
(……お姉ちゃん、今もつけてるのよね、あれ……)
視線を落としながらも、心は上階――二年の教室をさまよっている。
昼休みに再度尾行する案もよぎったが、朝の一件でメンタルがボロボロ。そんな体力も勇気も残っていなかった。
いっそあのままに…と思ったが流石にいつかトラブルが起きそうで中々怖い。
「ひとりでため込んでも仕方ないんだけどなぁ……」
呟くようにこぼしたその声に、ふいに影が重なった。
「ありゃ?お疲れ様っす、一人飯っすか?」
「え?」
コハルは目を丸くし、振り返る。
声の主はイチカだった。パンと牛乳を片手に、コハルの横に無遠慮に腰を下ろす。
「イチカ…先輩?」
「覚えてくれてたっすか~」
仲正イチカ先輩…委員会の先輩でお姉ちゃんの個人的な友達?最初はなんだかミステリアスな感じがして怖かったけど何回か話す内に良い人だって分かった。
まぁそもそもお姉ちゃんがフランクに話しかけている時点で悪い人ではないのは分かっていた。
良く分からないけど一年生からの人気が凄いらしい。
後、時々…イチカ先輩の私を見る視線に一瞬違和感を覚えるのだけれど…多分これは気のせいだと思う。
「そんな暗い顔して、どうしたの?シオリお姉ちゃんとケンカでもしたんすか?」
「……違うんです。あの、えっと……」
…委員会の人だしお姉ちゃんのお友達だし…先輩になら話してもいいかもしれない。
勇気を振り絞って声に出す。
「……悩みと言うか、相談というか」
コハルの発言にイチカは一瞬、眉をピクリとさせたが、笑顔と優しい声色で聞く。
「お姉ちゃんには相談できない事っすか?」
「…」
こくりと頷くコハル。
「ヨシッ!このイチカにまかせてっす!何でも聞くっすよ!」
「じゃじゃあ…」
コハルは声を潜めるようにして、姉の“首輪”事件を説明した。
昨夜押し入れでそれらしき物を見つけたこと、チョーカーのつもりで装着していること、朝の登校時に実際に着けて出てきたこと。そして――明らかにそれがチョーカーではないこと。
姉には言えないと聞き、なにかビッグな悩みかと思い内心身構えていたが、イチカはその内容を聞きながら途中で「ぷっ」と笑いかけた…が、コハルの表情の真剣さに気づいてすぐに顔を引き締めた。
「なるほどぉ…そう言えば昨日言ってたっすねぇ…けどまさかそんな事態になってるとは…首輪って…」
「はい……たぶん、変だって気づいてはいるんですけど……『黒だしロックだし制服に合う』とか言って……」
「結局、ホンモノは見つかってないんじゃないすか、変な所で真面目で変な所でいい加減だなぁ」
「…」
「そうっすね~確かに姉ちゃんがそんな恰好してるのは中々辛いかもしれないっすね」
「ま、まぁ」
イチカは顎に手を当ててしばらく考え込んだ。
「正直、最初はちょっと笑いそうになったけど…けっこうマズいかもっす」
「やっぱり……」
「だって、あの子天然だし、真面目すぎて止まるとこ知らないタイプだから。“周りに合わせる”って決めたら、突っ走っちゃうっすよ」
「わかります……本当に」
コハルは深く頷く。
どうやら先輩も姉の性質を分かっているらしい…でも流石に、『特定の知識について完全に無知』という事までは知らないだろう、いや知られていたらマズい。
天然…ではあるが、アレは天然を超越した何かだ。
最近姉に対する自分のイメージがどんどん崩壊してきてる気がする。
「でも、大丈夫。私がちゃんと何とかするっすよ。笑わないで、ちゃんと話してみるっす」
「ほ、本当ですか?」
「もちろん。どんな首輪だか見てないんで分からないっすが…それを『ロック』って言い切れるメンタルのほうが、ある意味尊敬するっすよ」
イチカは軽く笑ってから、今度は柔らかな口調で続ける。
「でも、それを辞めさせるには何か代わるモノを用意しないっとっすね…多分、『今まで通り無しで!』なんて戻れないっすよあのコ」
「あ、新しく委員会のチョーカーを用意するとか!」
「…うーん、それが出来たら最高なんすけど…一点モノの非売品だからなぁ…はぁあの天然ちゃんは一体どこにチョーカーを放ったのか…」
イチカは『うーん』と唸りつつ、頭をかく。
大体、4回ほどかいた所で手が止まった。
「たとえばさ……その“黒でロック”な見た目は残しつつ、もっと“正義実現委員会っぽい”アイテムに変えるのはどうっすか?」
「……それって、どんな?」
「……ドッグタグっすよ」
「どっぐ…?」
どっぐ…犬…首輪…ま、また犬か…と叫びそうになるが無理やり飲み込む。
知らない単語だったので先輩に聞き返した。
「タグには名前やIDが書いてあって、それっぽく仕立てれば装備品っぽくも見えるし、見た目もシャープ。あれならイメージに合うし、浮かないと思うっす」
「なるほど……!ってでも納得するかどうか…」
「一応、装備の一覧にあるから十分説得可能っす。確か…希望すれば好きに作れるんすよ。まぁ普通、チョーカーを希望にしてタグを配るべきなんだとは思うっすが…」
「なるほど……!」
コハルの瞳に光が宿る。
無意識に翼がパタパタ動く。
その様子を見たイチカは小さく笑った。
「急げば今日中に渡せるハズっす」
「で、でもお姉ちゃんに…その首輪を外してこっちにしてよ…なんて言えないです…」
「怖いんすか?」
「こ、怖いとかじゃくって…その、お姉ちゃんなりに考えた結果だから…それを否定するのは何とも…」
「…ふーん。なるほどなるほど……まぁそれは私が言って渡すっすよ。妹よりも同僚から言われた方がまだダメージ少ないだろうし」
「で、でも…それじゃイチカ先輩に任せっきりに…」
コハルは申し訳なそうにうずくまり視線をベンチの下に落とした。
「任せっきりじゃないっすよ?これから大事な仕事をしてもらわないと。血縁者がいればなんとかなるハズ」
そう言ってイチカはベンチから飛ぶように立ち上がり、コハルに向けてニヒっと笑った。
夕方の委員会室。シオリが書類整理をしていた。作業の手は慣れているのに、どこか落ち着きがなかった。
「お疲れっす~」
軽やかな声と共に、イチカがドアから顔を出した。
「あ、イチカちゃんお疲れ!」
シオリはいつものように明るく返すと、なにやらニヤニヤしながら席を立ち、イチカに近づく。
そのまま見せつけるような形で、誇らしげに自分の首を両方の人差し指で示した。
「じゃじゃ~ん!どう?」
「あぁ…どうって?」
「いいでしょ、ちゃんとつけてきたよ!」
彼女の首には、黒くてごつい金属のプレートがきらりと光る“首輪”がしっかりと巻かれていた。
イチカは一瞬言葉を失った。
(あぁ…なるほど、そりゃコハルちゃんもあぁなるっすね…)
内心で額に手を当てながら、イチカは無言で彼女を見つめた。
もし自分に姉がいたとしてだ、その人が誰がそう見ても首輪と言えるモノをつけて外を出歩いてたら…羞恥心が暴走してそのままヘイローが壊れるかもしれない。
シオリには悪いけどよくそんなモノを付けて歩き回れるな…と逆に関心してしまうまである。
今の彼女は炎だ、動く炎。本人は何も感じていないのに、周りだけがダメージを受ける。
これはすぐ鎮火するべきだろう…シオリの本人の為、皆の為…そしてコハルちゃんの為にだ。
(よしっ…ここは一つ芝居を…)
「はぁ…結局支給品のチョーカーは無かったんすね、まぁ仕方ないっすよね…時間たってるし」
肩をすくめながら、少し冷ややかな声で言った。
「そ、それは…」
シオリは一瞬たじろぎ、視線を泳がせる。
瞳孔が開いたり閉じたりを繰り返していた。
軽い笑顔の裏に、うっすらと自嘲の影が差す。
「なんすか、あれだけ“合わせないとダメ”って力説してたのに…代用品ってのはちょっと寂しいっすね…」
イチカの言葉に、シオリは胸の奥に小さな棘を感じた。
「あ、あぁ…うん」
冷静に考えたらそうだ、貰ったモノを無くした挙句、まったく別の物で補ってそれで皆と同じ位置に立ったつもりでいた。
なんて卑怯なヤツなんだ、なんて最低なヤツなのだろうか。
でも、皆んなにできるだけ合わせたくて…
ふいに、胸の奥にこみあげるものがあった。知らないうちに視界が滲んで、目の端を一筋の涙がすっと伝った。
「……わたし、……」
震える声で言葉を紡ごうとするも、思考がうまくまとまらない。誤魔化そうとした手が宙を泳ぎ、握った拳は力なくほどけた。
「うっ……ごめん、イチカちゃん……私の自己満足が暴走しちゃったかも…」
その瞬間、イチカの閉じたまぶたの下…目の奥にあった軽い茶化しの色は、ふっと消えた。
「……いや、ちょっと言いすぎたっす」
イチカは静かに近づいて、そっと彼女の肩に手を置いた。シオリの瞳から零れる涙は、ほんの小さなものだったが、イチカにはそれがとても重く見えた。
やっばい、やっちった…思っていたより、遥かにシオリが脆かった。
フィジカル面はかなり強靭な彼女だが、メンタル面はそうはいかなかったようだ。
それか自分に芝居の才能があったかのどちらかだが…友人の目から汗を流させてしまった。
「えっと…シオリは、ちゃんと考えてたんすよね。自分なりに、委員会の一員としての形を、大事にしようとしてて……それって、すごく真面目で、立派なことだと思うっすよ」
「……でも、やっぱり変だったよね、これ……ご、ごついし」
シオリは首元をそっと手で隠すようにして言った。
イチカは一瞬考え込み、ポケットから二枚組の小さな黒色のプレートを取り出した。
それは――シンプルな形をしたドッグタグだった。
トリニティの紋章と正義実現委員会の紋章、そして小さくシオリの名前がピンク色で刻入され、その文字を囲うように優雅なラインがこれまたピンクで装飾されていた。
「実は、こんなのもあるんすよ。希望すれば作れるヤツ。あんまり知られてないけど、委員会用に備品としてあるんすよ、結構好きな感じにカスタマイズできるんすね~」
そう言って、そっとシオリの手に渡す。
「え?私こんなのがあるの知らなかったし…その、何も申請してないよ?」
「ま、まぁ…それはっすね…えーと…チョーカーじゃないっすけど、これも“仲間”って感じで、十分いいと思うっす」
「う、うん」
「…そもそもちょっとした装飾品の有無でお前は正実の一員じゃないなんて誰も言わないっすよ、それに一年のころから着けてなかったんすよね?もう大多数の人間には『シオリは着けてない』で通ってんすから大丈夫、大丈夫」
「私…き、気にしすぎたかなぁ?」
「まぁ……言っちゃうとそうっすね。と言うか、私らにはこれがあるじゃないっすか」
そう言って赤い腕章を引っ張るイチカ。
教育係や補佐官…選抜射手などに与えられる特別な物。
シオリは自分の腕章に手を重ねた…努力の証だ。
「えへへ…そうだね」
シオリはプレートを手に取り、光にかざした。
マットに塗装された板は光を吸収してしまい輝く事は無かったが、彼女の目にはキラキラして見えた。
「かわいい……ありがとう、イチカちゃん…」
涙はもう乾いていた。代わりに、穏やかで優しい笑みがそこにあった。
「礼ならコハルちゃんに言うっすよ」
ふと姉の顔に浮かぶ妹の表情。少しだけ呆れたような、それでも優しいまなざし。
「え?コハル?…そっか…コハルも気になってたんだね…あーあ、妹を心配させるなんて姉失格だぁ…」
「まぁまぁ…あ、それ色と装飾はコハルちゃんチョイスっすよ」
「ごめんイチカちゃん、ちょっとコハルの事抱きしめてくる」
この間僅か、0.4秒。
「まてまてまて。今、首のやつ付け替えようよ」
「あ、そうだね」
イチカにそう言われ、カチャカチャとバックルを慣れない手つきで外す。
「いてっ」と漏らしながら頑固な金具と格闘する事数秒…
「ふぅ…なんか首元がすっきりする」
(そりゃあ…人間がつけるモノじゃないっすからねぇ…)
「よしっ、ではありがたくっと!」
またもや慣れない手つきで今度はチェーンを繋げる作業だ。
「ど、どう?」
「うん、いいすっすね」
「はぁ…ホントにごめんねイチカちゃん…多大なるご迷惑を…」
シオリはイチカの手を取り、縦に優しく振る。
脳内で博士が何度も言う『本当に申し訳ない』
「大丈夫っすよ〜」
「ううん、何か返させて…そうしないと気がすまないから!」
「じゃあ…自販機でジュースとか?」
「ばっちこい!2本でも10本でもカモン!」
「お腹タプタプになるっす」
財布はどこだとデスクに目を向けた時、外したゴツイ輪っかが目に留まった。
シオリは黙り込み、パチパチパチと三回瞬きをして呟いた。
「…でも悪くないんだよなぁ…コレ」
「あはは…」
お互いに笑い合いながら、夕暮れの委員会室には、穏やかな空気が満ちていた。
お姉ちゃんが中々めんどい人間になってきた気が…しなくもない。