下江家のリビングに声にならない叫びがこだました。
「はぁ!?今のなし反則!死刑ぇ!!」
ソファのクッションに、オレンジ色のコントローラーがぼふんと勢いよく投げつけられる。
その気品のかけらもない姿を横目に、イチカは呆れ顔でサイダーを一口、静かに喉を濡らした。
「いや、普通にプレイしていただけっすけど…」
「うるさいなー!」
「そんな『クルセイダー』みたいなイントネーションで言われても…」
今日は休日、言葉の意味的にも物理的にも羽を伸ばすため二人は下江家でゲームに興じていたのだが…シオリはイチカにこっぴどく負けを重ねており、神経をピリつかせていた。
休む為に、真剣になる…これでは意味がない。
「というかさ!このゲーム初めてだよね?なんでそんな上手いのさ」
シオリが眉を吊り上げて詰め寄ると、イチカは気まずそうに肩をすくめた。
「えっ?いやぁ…なんとなくっすけど…」
「なんとなくで、私の五年と一ヶ月が一瞬で壊されるの割と癪なんだけど」
「五年!?や、やりこんでるなぁ…」
二人がプレイしていたのは対戦型のレースゲーム。
箱庭型のステージを一定時間走り回り、自分のマシンを強化し、レースに挑み勝利を目指すといった内容だ。
古いゲームなのでグラフィックが美しいだとか、処理が早いだとかは無い。しかし、唯一無二のゲーム性と完成されたシステムが根強い人気を誇り、今なお所謂『神ゲー』として愛され、遊ばれ続けている。
ただし、その操作性が少し癖のあるものであり、真の爽快感や確実な勝利を得るにはとにかく"慣れ"と"経験"がものを言う…ハズだった。
だがイチカは、今日初めてこのゲームに触れ、わずか一時間で基本の操作性を会得。
さらには先人のプレイヤーたちが研究を重ね編み出してきた『技』の繰り出し方も理解してしまった。
この調子でプレイを重ねていけば、シオリの技量を軽く超えるだろうとすら思わせるポテンシャルを発揮していた。
「…スゥ…」
サイダーで喉を潤しつつ、シオリは深く息を吸い込んだ。
「シオリって思ったよりゲーマーだったんだ」
イチカが感心した様に言う。
友人の新たな一面が見れてどこか満足げだ。
「まぁね…中学時代に伊達にボッチやってないから」
自慢げとも、どこか投げやりともとれる口調でそう返すに、イチカは思わず眉をひそめた。
「反応に困るっす…というかゲームはボッチに限らずだれでもやるっすよ…」
シオリの中学時代…一体どんな様子だったのだろうか…とビスケットを咥えたまま、イチカはぼんやりと思考を巡らせる。
どこかで聞いた話によれば、高一の頃はほぼ妹のコハルそっくりでどこか内気な様子だったらしいが、今の彼女はコレ。
だとすれば、姉の変貌ぶりを見るに、妹の将来も相当に振れ幅があるのだろう。
ふと、未来が少しだけ楽しみになった瞬間である。
「モッカイ!モッカイやろう!!」
勢いよく立ち上がったシオリは、イチカの腹部に頭を押し付けながら駄々をこねる。
「分かったっす!分かったから…!くすぐったいからっ!」
「よしきたっ!」
満面の笑みでコントローラーを握り直すシオリ。
再び姿勢を整えたかと思えばーーイチカの膝にぽすんと頭をのせ画面の方へと視線を向けた。
「えっ?いや」
イチカは戸惑いを隠せずに声を上げる。当たり前だなんの断りもなく膝枕を使われたのだ、相手が友人だとしても驚くものだろう。
シオリはまるで枕を試す様に、首を捻ったり、角度を調整しながらピッタリとフィットする位置を探している。
人の膝を完全モノとして扱っていた。
「…んっと」
「いや、何サラッと膝に頭乗せてるんすか」
「えっ?これなら邪魔かな〜って思って、ゲームの中じゃなくて現実で妨害すれば勝てるかなと」
「五年間プレイした人間としてのプライドは無いんすか?」
「…」
問い詰めるイチカに、シオリはくわえていたスティックタイプのチョコレートクッキーを口先でゆらゆら揺らしながら考える。
ゲームのポップなBGMがスピーカーから流れ続けている中、30秒近く沈黙が続いた。
「ないね」
曇りが一切ない目でキッパリと答えたシオリに、イチカはため息混じりに呟いた。
「あえて言うっす、カスっすね」
「まぁまぁイチカちゃんさ〜トリニティにはこんな格言があるのをご存知?」
「聞いてやってもいいっすよ」
「恋愛と戦争は手段を選ばなくて…いだダダダ!!」
シオリが言い切る前に行動にでた。シオリの頭をボールの様に扱い、膝と胸で上下から圧迫し、両腕で横から力強く抱きしめる。
徐々に力を上げていくにつれて、シオリの暴れ具合も激しくなっていったが、中々脱出できない。
「断りなく膝を使った罰っすよ!膝ってのはそう簡単に枕にしていいものじゃないっす!」
「いだい!いだい!謝るからぁ!ごめんってッ!!!」
「恋愛も戦争もした事のないオチビちゃんがよく言うっすね〜」
「身長あんま変わらないでしょ!もげる!頭もげちゃうッ!」
「大丈夫っすよ、戦車砲の直撃にも耐えられるシオリには生ぬるいでしょ」
「ごめ゛ん゛っ゛で!!!」
リビングに鈍い音が響いた。
シオリがクッションを思いっきり殴ったのだ。
圧迫から解放されたのち、再戦したのだが…またまたシオリは負けたためだ。
「やめてやるわこんなクソゲェ!」
「五年がパァになるけどいいんすか…」
「五年がなんじゃい!五年じゃ小学校卒業できんわ!」
「シオリがこんなに感情を爆発させてるの初めて見たっす…」
それを聞いて、シオリは自分でも少し冷静になったのか、ふっと苦笑する。
「私はイチカちゃんが感情を爆発させてるところ見たところないよ」
「見ない方がいい…というか見せたくないっす」
「そっかぁ…」
むすっとしながらシオリはテレビ台に歩み寄り、ゲーム機本体からレースゲームのディスクを取り出しパッケージにしまった。
他のソフトを入れ替えることはせず、ただしまうとトボトボとソファに戻りイチカの横にぽすんと腰を下ろした。
「ありゃ…終わりっすか?」
「誠に勝手ながら…これ以上続けると、明日からの私たちの関係性が大変よろしくないモノになりそうなので…」
「想像できるような…できないような」
部屋が静かになってから数十分。
お菓子の咀嚼音だけが響く。
「ごめん…せっかく来てくれたのに面白くないよねぇ…」
シオリは頭を抱え、俯く。
「てか、なんで女子高生が家に集まってゲームなんかしてるの?普通なら街に繰り出して、カフェで甘いものを注文して、写真撮って少しだけ食べてから二、三時間駄弁って肝心のスイーツは残して立ち去るのがJKなハズじゃ?」
「偏見混ざってるっすよ」
「……どうする…?今からどっか遊びに行く?」
「あぁ〜正直、今日外暑すぎて…あの中を歩く気にならないんすよねぇ」
「じゃあ……映画でも見ながら雑談でもする?」
「おっ、いいっすね」
シオリは軽く『おっけ』とだけ答えるとテレビのチャンネルを変え、映像配信のサブスプリクションを起動した。
画面には様々な作品が映るが、ここで彼女は手を止めた。
『何を見ようか』
考えてみれば、自分は一人で作品を楽しむタイプの人間…てことは私が知っているものは必然的に自分の趣味に偏るわけだ。
友人と見る用の映画なんか知らない。
イチカちゃん的は何がいいんだろうか…SF超大作を見るのは違うだろうし、怪獣映画は見るのに疲れる…恋愛モノは…そもそもいい作品を私が知らない。
何を見るのか中々決まらず、シオリがサブスクの海を漂っている中、イチカは画面を指差して呟いた。
「あ、それ見たいっす」
「え?あぁ…電車で戦闘したり、暴走するアクションコメディだけど…」
「気になってたけど仕事で劇場公開逃したんすよ」
「あぁ…あるあるだね。よし、これにしようか」
シオリは再生ボタンを押した。
配給会社の壮大なイントロが流れ出したところでイチカが口を開いた。
「シオリは、映画が趣味なんすよね?」
「え?まぁ人よりかは見るけど…趣味っていうほど立派な感じじゃないよ。ぼーっと見てるだけだし」
軽く笑いながら答える。
「なんか羨ましいっす、熱中できるものがあって」
「イチカちゃんは無いの?ほら夢中になれるやつ」
「悲しいことに、それが無いんすよね……。色々試してみたんすけど、大体の事をそれとなーくこなしちゃって作業的になるっていうか」
イチカの渋い顔にシオリはきょとんと小首をかしげる。
「え、なんでもこなせるってすごくない?天才肌ってやつ?」
「いやいや、これがむしろ厄介なんすよ」
渋い顔のまま続ける。
「そのおかげで、何事もやる気が出ないというかすぐ飽きるというか………ちょっと最近ギターを初めて見たんすけど」
「あぁ…マシロちゃんが言ってたよ”イチカ先輩すごい上手”だって」
「初めてから三日ぐらいの話なんすよそれ」
「えっ!?…あぁ……なるほどなぁ…そりゃゲームも上手い訳だ…」
シオリは何か納得したように何度か頷き、手元のリモコンを握り直し言う。
「目標がないと続かないタイプって事かな?」
「そう…かもっすね」
「うーん、まぁ私も趣味に目標なんてつけないタイプの人間だから偉いことは言えないけど…なんだろう、学園祭の時に披露できる様に…みたいなベタな理由だけでもまぁ変わるんじゃないかな」
眉を傾け、腕を組みながら自分の考えをつづる。
「マジでベタっすね」
「あはは…あと、いずれって言うとなんかぼんやりしてるけど、もっと続けようって思えるキッカケみたいなのがくると思うんだよね。なんか上からっぽくてごめんだけど」
シオリの言葉にイチカは顎を抑え小さく唸る。
「そうっすねぇ…………ギターは続けてみようかなぁ」
「いいじゃん、私聞きたいなぁ〜学園祭でギターなんてエモエモのエモじゃん!」
「そのエモエモのエモが何かはわからないっすけど…まぁシオリにはいずれ聴かせるっす」
「待つよ!そして最前列でイチカちゃんの名前が書かれた団扇ふるから!」
興奮したように腕を何度も上下させるシオリ。
「ファン一号が厄介ファンなの色々面倒っすね…」
イチカは笑いながら画面を見る。
そんな反応をみてシオリ目を見開く。
「ファン一号って…イチカちゃんのファンってもう既に結構いるんじゃない?」
ソファに体を沈め直しながら問いかけると、イチカは肩眉を上げ、隠れている瞳を現わしながら首を傾げた。
「えっ?そうなの?」
「うん、一年生の子達が”カッコいい”とか言ってるの聞いたよ!」
シオリの声には自信があるように見えた。
あどけないながらも、どこか誇らしげなその口調に小さく肩を動かしながら、笑う。
「いや、それはファンじゃなくてただの後輩っすよ」
手をひらひらと振って、気軽に否定する。
その仕草はどこまでも軽やかで、シオリを戸惑わせる。
「そういうもの?」
シオリは不思議そうに眉を寄せた
「そういうモノっすよ」
再び画面に目を戻したイチカの口元には、苦笑が浮かんでおり、シオリはどの感情か読み取る事ができなかった。
「そっかぁ…」
納得したような、しないような。
曖昧な声を漏らし、シオリも画面に再び注目した。
ちょうどテロリストが腰に構えた二丁の対物ライフルを乱射しているシーンだった。
すごい、筋肉だけでリコイルを抑え込んでる…もはやギャグ……いやこれできそうな人、二人知ってるや。
「あ、気になってたんすけど」
そして主人公が対物ライフルの弾を筋肉ではじき返したシーン…そこでイチカが口を開いた。
「ん?なに?」
シオリはイチカの方へ首をふり、聞き返したが、イチカは少し間を置き、表情を変えずに言葉を続ける。
「シオリは試験期間中に風邪をひいて見事に試験を受けなかったわけじゃないすか」
「ま、まぁそうだけど…いや普通に私も受ける気満々だったからね?普通にテスト勉強してたからね」
シオリは慌てて弁明するが、イチカはどこか納得していない様子で小さくため息をついた。
「…いやまぁそれは良いんすよ…責めてる訳もないし…けど…」
「け、けど…?」
何を言われるのか、心臓の速度を加速させながら身構える。
まさか、と思いながら口の中が渇くのを感じた。
「結局あれ、追試験は受けたんすか?」
その一言に、場の空気がぴたりと止まる。
シオリは瞬きも忘れて固まり、次の瞬間には乾いた笑いを浮かべてごまかそうと奮闘した。
「…」
「どーなんす?」
組んでいた足をほどき、ソファの上に四つん這いでジリジリと距離を詰めるイチカ。
本能的に体が動き、端へとお尻を動かすがすぐにひじ掛けがその行動を制限する。
「へへ」
「目をそらすな下江」
「いや……だってなんの通知も来てないから…」
苦し紛れの返答だった。
イチカはその様子にニヤリと笑みを浮かべ、まるで待っていましたと言わんばかりに口を開いた。
「へぇ…風邪とはいえ、中々の事するっすねシオリちゃん。いやぁ~見る目が変わったっす~」
少し呆れたように、しかしどこか楽し気に言い放つ。
角に追い詰められたシオリは目をぐるぐると忙しなく動かす。
逃げ道を探すように周囲を見回すが、完全に袋の鼠だと悟った次の瞬間…もうひじ掛けを乗り越え、怪我をしてもいいから逃げようと体が動いた。
しかし逃すかとイチカがシオリの肩をソファに押し付ける。
勢いはあるが力加減にはどこか優しさがあった。
「そんなに気に食わないかなぁ!」
シオリの声は若干の怒気とともに、部屋に響く。
笑顔をくずさず、抵抗を試みるが…中々に友人の腕は頑丈だった。
「知ってるっすか?あのテスト、中々な難易度あったんすよ!」
息荒く詰め寄るイチカ。
シオリはその勢いに圧倒され、額にじわりと汗がにじむ。
「そりゃあ大変だ!ご苦労様!」
苦笑しながら、軽口を返すシオリ。
しかしその声にはどこか震えが混じっている。
「受けるっすよね?もちろん」
「受けるよ!受けるから、私の上からどけて欲しいなぁ~!」
ソファの上で抑え込まれたまま、シオリは苦し紛れに懇願する。
「私もなんでこんな事してるのかわからないっす!!!」
「じゃあどけて!」
「私もやめたいと思ってるっすよ!」
イチカは叫びながらも何故か手を離さない。
二人の間に妙な空気が流れた。
目を合わせたまま硬直する。
ガチャリ
不意に廊下につながるドアが開く音が聞こえ、二人はハッとその方向を見る。
「お姉ちゃん、玄関に知らない靴あったけど誰n……」
音の正体は帰宅したコハルだった。
しかし、その声は途中でピタリと止まる。
次の瞬間、彼女が抱えていたライフルとスマホが手から滑り落ち、床にガチャンと鈍い音を立てて落下した。
「ーーあ、コハルお帰り。いまイチカちゃん来てるからそれイチカちゃんの靴だね~」
視点が逆さまの状態で帰宅した妹にのんびりと声をかけるが…その声はコハルの耳に届いていない、というか思考がショートしている。
「あ、あ…あ…?ゑ…」
目を見開いたまま、姉と先輩を交互にみつめ、震える指をぷるぷると突き出す。
ホラー映画で暗闇の中に何かを見つけた登場人物のよう。
足はその場に接着剤で固定されたかのように、動かない。
「あ、コハルちゃんこれは…これは別にそう言う事じゃ…その!ね、ね?」
イチカが慌てて弁明するも、声はうわずり…説得力は皆無。
というかその姿勢のままで言われても、説得力は生まれる訳がない。
「し、シオリからも何か言って!」
「えっ?イチカちゃんに倒されただけだよ?」
「あのさぁ!!!」
イチカは声を荒げ、目を全開にさせる。
「ま、真昼間からそんなのダメ!!!!お、お姉ちゃんが下ってのは解釈一致だったけど!!!とにかくダメです!!!!」
感情のダムが決壊し、コハルの叫びが部屋に響いた。
お互いに冷静になった後、誤解は解けたが…コハルの脳にはその時の光景が焼き付き、どうしても意識してしまうようになったらしい。
暗い部屋に、茶器のこすれる乾いた音が静かに響いていた。
その空間で唯一ライトに照らされた壁の一角には、数人の生徒の顔写真が画鋲で止められたボードがあった。
その周辺には上から下まで文字で埋め尽くされた付箋が所狭しと張り付けられている。
写真と写真、写真から付箋というように、それぞれを繋ぐ色とりどりの糸が張り巡らされている。
名立たるあの組織に…個人名…まるで刑事ドラマの推理シーンのようだった。
そのボードの前に、影が一つ。
ガーデンチェアに深く腰掛け、じっとボードを見つめていた。
「……絞る事はできましたね…」
静かな声が部屋に落ちる。
「…」
その声に返すものはない。
「転校生…元ティーパーティー候補…犯罪関与疑惑………」
一枚一枚の写真を視線でなぞりながら、呟きが続く。
「そして…正実に対する人質…一枚で良かった気もしますが…念の為」
ここで紅茶をもう一啜り。小さな湯気が闇に溶けていく。
「燃えるゴミも、プラゴミも、生ゴミも…燃やせば同じです」
抑揚のない声に、ひそやかな決意が滲んでいた。
きな臭いのは嫌いです。