「あぁ〜平和だなぁ〜」
天気はいいし、気温も丁度いい。
朝から一度も機関銃の金切り声もしないし、ウェディングベルも鳴らない。
そんな、ここがキヴォトスと思えないくらいの平穏な午後をシオリはトリニティスクエアのベンチでカフェモカを片手に、その静けさを満喫していた。
不穏な予感を一切感じさせない爽やかな風に彼女は桃色の髪を靡かせる。
どでかい時計塔の秒針をぼんやりと目で追ったり、行き交う生徒の姿を眺め…カバンから取り出したワイヤレスイヤホンを右耳だけ付けた。
そして、少し古めの陽気なカントリー音楽を流せばどうだ、なんともノスタルジッキーな気分になれる。
この感覚を説明しろと言われても、翼で目元を隠して逃亡するかもしれないが…なんとなく青春を感じる。
暑いのは嫌いだが夏は好きだ。
「毎日こんなんだったらいいのになぁ〜いやでも、それだと仕事がなくなる…けどその方が良かったりして…?」
目を細め、腕を組みながら『むぅ』と唸る。
正義実現の最終目的が“平和“なら、自分の失業は成功の証なのか?
「…」
まずい、これはもう夜寝れないコース。
ほどほどのところで区切りをつけ、容器を空にした。
ベンチから勢いよく立ち上がり、カップ片手にゴミ箱へ駆け寄る。
「ちゃんと分別しないとね〜」
蓋とカップを外し、それぞれの投入口に放り込んだ……その瞬間だった。
ドカァァァァン
鼓膜をつんざく爆音が、広場に響き渡る。
シオリは思わず目を丸くし、そのままゴミ箱に食いつくようにして中を覗き込んだ。
「えぇ?そんな勢いよく入れたつもりなかったんだけど!?」
恐る恐るゴミ箱の蓋を押し込み、中を確認する…が特に変わった様子はない。
ただ普通にゴミ達が積み上がっているだけだ。
側から見ればゴミ箱に頭を突っ込もうとしている頭のおかしい正実の生徒…と思われかねない。
シオリは一歩下がり、腕を組んでその場に立ち尽くした。
「じゃ、じゃあなんの音?」
そう呟いた時、胸元に付けた無線機が電子音を響かせる。
表情を変えず、それをフックから外し、口元へと運ぶ。
『学園中央区画に展開中の正実委員に通達!コード415、それもレッドだ!至急、第七教材用弾薬庫へ急行せよ!」
声の主までは判別できないが、怒号まじりの通達が無線機から飛び出す。
その内容に、シオリの眉がわずかに動いた。
『415』ーー正義実現委員会で使用される無線コードのひとつ。
意味は『暴力、喧嘩、銃撃』
使用頻度が高いモノであり、普段なら『はぁ、またか』とため息混じりに腰を上げるところだが、今回は異常があった。
ーーレッド。
コードの後に付け足された、色指定の警告。
りんごに信号機、そして委員会のパーソナルカラーでもあるあの「赤」だ。
「こりゃぁ…やっべぇや」
委員会における色分けは三段階。
緑・黄・赤の三種構成。
緑はちょっとしたボヤ騒ぎ。言い争いや限定スイーツを巡る争いなんかはこの色だ。
正実からしたらハエにぶつかられた程度の案件。現場付近の委員が鼻歌混じりに出動できるレベル。ほぼ何もないのと同じ、平和。
緑と言われた場合、ガッツポーズをする生徒もいるとかいないとか。
黄色は注意レベル。
戦闘が起きそうな予感がある場合、この色になる。
委員会において一番スタンダードなカテゴリであり、『415』などの数字だけで通達が来た場合は暗黙の了解で黄色扱いになる。
ーーそして赤。
それは“緊急出動要請“を意味する。
いま、何をしていようと、即座に現場へ急行すべし。
靴擦れしようが、転ぼうが、構わず走れ…それが赤の重み。
今回のように「415」と「赤」を組み合わせた場合こうなる。
テロまたは大規模銃撃戦。
「……」
シオリの表情は穏やかだった。
しかし、その額にはいつの間にか、幾つもの汗が滲んでいる。
再び、地響きのような爆発音が響いた。
振り返ると校舎の方から煙が上がっている。見渡せば逃げてくる生徒、そして走っている黒セーラーの仲間達。
その光景を見てハッと現実に戻る。
ベンチに置いていた、愛銃のスリングを肩にかけ無線の指示通り、急行すべく行動を開始した…その時だった。
「お姉ちゃーん!」
聞き慣れた声が、空気を裂いて飛び込んでくる。
反射的に顔を向けると、案の定、コハルが全速力でこちらに向かってくるのが見えた。
ギギギと靴底を擦らせながら減速し、滑るようにしてシオリの目の前で止まる。一瞬ドリフトをしているようにも見えた。
「お、お姉ちゃん聞いた!?無線!」
ゼェゼェと息を切らしながら、額に汗を垂らし、コハルは必死に訴える。
「うん、聞いたよ。まさに私たちは急行すべき位置にいる」
「なら早くいこ!被害が広まっちゃうわよ!」
コハルは勢いよくシオリの手を引っ張り、走り出そうとしたーーその時だった、またしても無線機が唸る。
「またか…」
追加の情報か、それとも同じ内容の再送か?
そう思って無視しかけたが、中身は全くの別物だった。
『通達!311案件発生!場所は西のミヒャエル公園、噴水前!一人でいい、対応してくれ!』
「……」
「……」
姉妹の視線が静かに交錯する。
『コード311』それは、わいせつ行為や公序良俗など、教育指導が必要な“地味に厄介“な案件…相手の頭がぶっ飛んでいる事が多いため、中々対応に手こずる。
銃撃戦と並走するにはあまりにも温度差がある話だった。
「ミヒャエル公園…近い。私が行く」
コハルが言い出しながら手を離し、そっと方向転換し一歩前にでた。
「一人で大丈夫?」
「もう新人じゃないもん!」
その目にはまっすぐな自信が宿っていた。
シオリはふっと微笑み、そっと妹のはねた髪の毛をなおす。
「そっか、コハルはもうエリートだね」
「もうっ…」
照れくさそうに目を閉じ、軽く唇を尖らせる。
コハルの頭を撫でながら無線機に向かって、シオリが報告を入れる。
『こちらシオリ。311案件には、委員一名を単独で向かわせました』
『了解、感謝する。415の赤案件は既に交戦を開始した、至急現場に来てくれ』
『了解、すぐ向かいます』
シオリは手短に返し、無線機を胸元に戻す。
再び二人の視線が交わる。
お互いに小さく頷きあい、そして静かに、固く握った拳を合わせる。
それは姉妹の合図であり、同じ正義を信じる相棒としての敬意でもあった。
二人は別の方角へと走り出した。
乾いた銃声がこだまし、火薬と煙の匂いが鼻を刺す。
爆発の余韻が空気を震わせ、瓦礫と悲鳴が入り交じる。
包帯を巻かれた正実の生徒たちが、壁にもたれたり、地面にうずくまったりして呻いていた。
鞄に桃色の十字が刻まれた鞄を背負った衛生兵が手当てを施している。
そんな中に駆けつけたシオリの目が、事態の異常さを物語る光景をとらえる。
思わず顔がこわばった。
「大丈夫…!?」
慌てて駆け寄より膝をついたのは脚を抑えて座り込んでいる委員の前だった。
膝から下が赤く染まっているが、彼女はそれを気にする様子もなく、棒付きキャンデーを口に咥えたまま苦笑した。
「あぁ…シオリか…ははっ…これが大丈夫に見えるとはいいコンタクトをつんでるね」
冗談めかして言うが、呼吸は浅く、汗が滲んでいる。
それでも気丈にふるまっているのが、逆に心配だった。
「……奴さんはやり手?」
シオリが問うと、ため息をついて頷いた。
「あぁ…投入された戦力の六割が戦闘不能だ、相手は弾薬庫内に立てこもってるよ」
サラッと語られた惨状に、シオリはごくりと唾を飲み込む。
目線を煙が漏れ出している弾薬庫の重厚な扉の方へと向けながら、恐る恐る尋ねた。
「…相手は何人?」
「…」
その質問に、一瞬目をそらし、そして小さく肩をすくめる。
「聞いて驚くなよ…?」
「う、うん」
「一人だ」
「………ひとりぃ!?」
思わず、声が裏返る。
その素っ頓狂な声が現場に響いたが、すぐに銃声にかき消された。
シオリの反応に委員は苦笑しながら、キャンデーをくわえ直す。
「驚くなって言ったのに…」
シオリは固まったまま、弾薬庫の方を再び見た。
一人でこれだけの正実の戦力を跳ね返したって事?いくら有利な防衛側だといっても色々限度ってモノがあるのに。しかも短時間で…そんな恐ろしい相手が弾薬庫に立てこもり……?一体だれがそんなバケモノを目覚めさせたんだか。
「つ、ツルギ先輩を呼べば…」
一筋の希望に縋るように名前を出すと、同僚は即座に首を横に振った。
「あの人は出撃制限かけられてるから来ないよ…」
「せ、制限って…そんなゲームじゃないんだから…」
「いやマジで。先週に無断出撃したから副委員長に釘さされてるんだよ…今はお留守番中」
「あぁ…」
バケモノにはバケモノをぶつけろ理論…それが事実か試す絶好の機会であった訳だが…ハスミ先輩の命令なら仕方ない。
まぁ確かにツルギ先輩を投入したら、立て籠もり犯との交戦以上に被害がでるかもしれない…ティーパーティーからありがたーいお言葉が来るような気がした。
その時だった。
「シオリですか?来てください!」
奥から自分の名前を呼ぶ声が響いた。
凛とした声だハスミ先輩だろう。
「呼ばれてるぞ~」
目をつむり、肩をすくめながら笑う。
「うん、行ってくる」
「んふ、無事にもどったら一杯やろう」
立ち上がるシオリに、冗談っぽくなげかける。
「ベタだね…う~ん、じゃあ…スターボックスのフラペチーノにしようかな、もちろんそっちの奢りね!」
「怪我人に奢らせるのか!?酷いヤツだよ全く!」
そう苦笑しながらもシオリに手を振り、見送った。
「来ましたか、シオリ」
静かな口調でそう言ったのは、現場指揮を執っていたハスミだった。制服の袖には火薬の灰がうっすらと付いている。後方に展開するスナイパーであるハスミもそのような姿になるとは、やはり戦火は激しいらしい。
「お疲れ様です、ハスミ先輩」
駆け寄ったシオリが軽く息を整えながら頭を下げる。周囲には破壊された建材や瓦礫が転がっており、まだ火薬の匂いが残っている。状況は、明らかにただ事ではない。
「早速ですが、話は…」
「聞きました。相手は一人だって……一体、何者なんです?」
肩をすくめつつ、目をぱちくりとさせながら問う。冗談のつもりはないが、どうしても信じがたかった。
「……“氷の魔女”です」
「はい?」
唐突に飛び出したファンタジー的な異名に、思わず素っ頓狂な声が漏れた。
「立てこもり犯、白洲アズサ。彼女には、そういった異名があります。冷徹的な雰囲気や見た目から着けられたのでしょう」
「白洲アズサ、氷の魔女……すみません、私はまったくピンと来ませんね」
シオリは首をひねりながら、自分の脳内にあるデータベースを検索する。だが、ヒットはゼロ。やはり知らない名前だ。
というか、「異名持ち」なんてそうそういない。知ってる限りでも、ツルギ先輩とかスズミちゃんくらいだ。
「まぁ、仕方ありません。何せ一つの学年に生徒が何百人もいますし、彼女は“転校生”でもありますから」
「転校生……」
珍しい単語だった。キヴォトスでは基本的に、入学した学園から移ることはほとんどない。
それでも移ってきたということは、それなりの理由があったのだろう。
転校生かぁ…人間関係の構築に失敗したとか、素行が問題視されたとか――今回の騒動とつながりそうな事情が山ほど浮かぶ。
「もともと、暴力行為の前歴が複数あり、監視対象になっていました」
「で、それが今回、盛大に爆発しちゃったと…」
シオリの呆れたような声に、ハスミは無言でうなずく。その表情は変わらないが、言葉の端々から、事態の深刻さが伝わってくる。
「とにかく、相手は危険人物です。早急に捕縛する必要があります」
「……なるほど」
シオリは口元に手を当て、しばらく考える素振りを見せた。耳を澄ませば、まだ遠くから断続的に銃声のような音が響いてくる。
「相手は弾薬庫内に立てこもっています。狭い場所での戦闘です。あなたの間合いですが……できますか?」
そう言って、ハスミが初めて真っすぐにシオリを見る。そこには責任と、信頼と、わずかな緊張があった。
シオリはその視線を受け止め、ふっと小さく笑った。
「ハスミ先輩、“できますか?”って聞かれるよりも、“やってください”って言われた方が、自分的にはやる気出ますよ!」
そう冗談まじりに言いながら、肩に下げていたSMGを覗き、そのボルトをカチンと軽く引いた。
金属の小気味いい音が、張りつめた空気にひときわはっきりと響いた。
「ふふっ。いいですね」
「えへへ」
「ですが調子に乗るのはやめてくださいね、相手の動きを見るに…
「素人が相手じゃないって訳ですね…はぁその能力をもう少しいい感じ使って欲しいなぁ…」
シオリは小さくそうぼやき、息を整えた。
「平和な一日だと思ったら…まさかの魔女狩りとはね…」
軽快な独り言とともに、シオリは身を翻す。動きは柔らかく、でもどこかでスイッチが入ったように、空気が切り替わる。
シオリは愛銃のストックを肩に押し付け、姿勢低く煙の立ち込める弾薬庫に突入した。
そろそろ、本編だと思います。