土曜日の朝の陽光は、雲の隙間から差し込むように控えめだった。どこか緊張感をまとった空気が、静かにトリニティ自治区を包み込んでいる。
シオリは、制服の襟元をきちんと整え、鏡の前で小さく息を吐いた。
自信は良し、体調良し、髪型も良し……完璧だ。
「よし……」
静かに自分に言い聞かせると……
ガブリ
メロンパンクリームを塗りたくったトーストにかじりついた。
(うんまい)
じんわりと甘みが広がる………これ以上の感想はない。
確実に私はレポーターにも芸能人にもなれないだろう…なんなら動画配信者すらダメかもしれない。
モグモグごくん
何度か咀嚼し飲み込むと、次は淹れたてのコーヒーを啜る。
(にんがい…けどこれだよね)
彼女もれっきとしたトリニティ生。ハスミからの入れ知恵もあり、紅茶を嗜むのだが…朝はどうしてもコーヒーに軍配があがる。
「ふぃ~」
(泥水を啜ってるって?実際に泥水を啜った事あるから言わせてもらうけど、比べちゃだめだよ)
誰に言うともなく心の中で呟いてから、ふと背後で気配を感じて振り返る。
「おはよう…お姉ちゃん…」
ダイニングのドアに寄りかかるようにして、コハルが腕を組んでいた。その顔はどこか疲労感に満ちており、うっすらと目元にくまを宿している…制服の左肩はずり落ち、白く滑らかな肌を無防備に晒している。
「おはよ、コハル。ちゃんと眠れた?」
「…うん」
「嘘おっしゃい、徹夜したでしょ?お姉ちゃんにそんなウソは通用しないよ」
「ほ、本当にねたもん!四、五時間ぐらい…」
「そういうのを“眠れてない”って言うんじゃないかな?」
ふふっと笑いながら、シオリはトーストの残りを口に運び、マグカップを傾ける。その余裕ある様子に、コハルはぼんやりとした目で姉を見つめる。
「お姉ちゃん、なんでそんなに余裕そうなの……今日ってテストだよ?」
「余裕?ぜんぜん、内心バクバクだよ」
「うそ!緊張してる人は、そんなインフルエンサーみたいなモーニングなんてできないもん!」
「別に朝ごはん食べてるだけだよ?」
「ぬぅ…それが余裕の表れでしょぉ…」
コハルは疲れた顔のまま、椅子にぐでんと腰を下ろす。そして自分の制服の肩を直そうとして、思い出したように言った。
「お腹減った…」
コハルはテーブルにうつ伏せるように肘をつき、ぐにゃりと顔を傾けて呟いた。わずかにかかった髪の隙間から、眠そうな瞳がこぼれる。まぶたは重く、唇の端にはうっすらと焦りが滲んでいた。
どこか幼さの残るその呟きに、シオリは小さく吹き出す。
「ふふふ、テストは朝飯前でもお腹はそうはいかないみたいだね」
その一言に、コハルの表情がぴくりと変わる。ゆっくりと顔を上げ、じと目でシオリを睨みつけると、ぼそりとつぶやいた。
「………やっぱいらない」
「えぇぇ!?」
「お姉ちゃんのその余裕顔と余裕発言が、今いちばん胃に悪いって気づいたの…」
「まってまってまって!そんな道端に落ちてる空マガジンを見るような目で見ないでよ!?」
シオリは両手をばたばたと振って抗議する。だがコハルは目を伏せ、肩を落とし、さらに疲労感を強めたようにテーブル上のトースト用チョコ瓶を見つめた。
「……チョコだけ舐めていい?」
「ダメ!ちゃんと炭水化物とってからじゃないと頭回んないよ!」
そう言いながら、シオリはパンをトースターに放り込み、笑みを浮かべて続けた。
「たっぷり塗ってあげるから、お食べなさい!」
「ありがとうございます……」
「あ。食べさせてあげようか?」
「そ、それはいいから!!!」
「え~?昔は結構やってたじゃん」
「今は! もう高校生!そんな年じゃないっ!!」
「そっかぁ~」
むふんと腕を組み、顔をそらすコハル。
その横顔はまだ眠気の影を引きずっていたが、ほんのわずかに、緊張の糸がゆるんでいた。
玄関のドアを開けながら、シオリは肩にかけた鞄のベルトを引き直す。
SMGのセーフティをもう一度確認し、靴をつま先で揃えながら、ちらりとコハルの方を振り返った。
「よし、出発だねー……あ、その前に」
「ん?」
玄関先。靴を履き終え、立ち上がろうとしたコハルの前に、シオリがするりと近づいた。
「今日のおまじない、忘れてた」
「お、おまじな……」
言い終える前に、ふっとシオリは少しかがみ、コハルの頬に――
ちいさく、ほんの一瞬だけ――キスを落とした。
「……!?」
「よしっ、これで完璧だね」
何事もなかったかのように明るく言って、シオリはくるりと踵を返す。玄関のドアを開けて、外の曇り空を見上げながら、鼻歌交じりに靴音を鳴らした。
どうやら今日の曲のチョイスは陽気なウェスタンミュージックらしい。
相変わらずの謎選曲だが、今はそんなことどうでもいい。
「お、おおおお……お姉ちゃん……」
取り残されたコハルは、まるで頭に大型ボンネットトレーラーのクラクションを直接鳴らされたような顔をして、その場で硬直していた。
顔は一瞬で真っ赤。目をぱちくりさせ、唇が何かを言おうとして、まとまらない。
翼が勝手に暴れている、感情が良く出ていた。
「え、えっ?なに今の?ほっぺ?キス?今のほんとに……!?ちょ、えっ、お姉ちゃん!?」
「ん?あれ?何か変なことした?」
「したよ!?初めてだよ!?あれ、私たちキスなんてしたこと――うわぁぁぁ!!」
「え?小さいころしたと思うだけど…まぁあれだよ!幸運の魔法みたいなヤツ、よくあるじゃん?」
「お、落ち着け私!これはただの!ただのスキンシップ!姉妹あるある!家族ならする!ハグとかと同じっ…でも今のは近すぎ…⁈」
そう言いながら顔を真っ赤にしたまま、なんとか立ち上がり、バッグを肩にかけるコハル。
「うーん、雨降るかな?」
そんな妹をわき目に、呑気に空のコンディションをうかがうシオリ。
朝の曇り空の下、二人の影が並んで伸びていく。緊張と照れが入り混じる特別な一日が、始まろうとしていた。
「おはようございます~」
ヒフミが教室の扉を開けると、すでに数名が席についていた。
教室の後方寄り、窓際の席に腰かけていたのはアズサ、自分で作った勉強用のノートと睨めっこ中。
その隣にはハナコが、アズサの事を細目で眺め、笑みを浮かべている。
「あら、おはようございます、ヒフミちゃん」
「む、ヒフミか。おはよう」
「おはようございます。……今日ですね…!」
「あぁ…今日が『Dday』だ、使える知識を全て投入するつもりでいる」
アズサはノートを一度閉じ、そっとカバンの中へとしまった。
「あら?もういいのですか?」
「この段階で焦って詰め込んでも、逆に混乱するだけだから」
「なるほど!」
ヒフミは笑顔で親指を立て、アズサにエールを送る。
そのとき――
「……あっ、シオリちゃん、コハルちゃん!」
教室の入口から、二人並んで入ってくる姿が見えた。
「おはよう、ヒフミちゃん!」
シオリが片手を軽く上げ、ヒフミに笑顔を向ける。
「おはようございます!えっと…調子の方は…」
ヒフミが少しだけ不安げに尋ねると、シオリはどやっと笑みを深くし、腰に片手を当てる。そして、もう片方の手で軽く指をパチンと鳴らした。
「いけるよ」
「さすがシオリちゃん……!」
ヒフミが目を丸くする一方で、その後ろからぬるっと現れたコハルが椅子にへたり込むように座り込んだ。
「わ、私だっていけるもん…ちょっとさっきのアレが尾を引いているだけでぇ…」
「コハル?」
シオリが問い返すと、コハルは顔を真っ赤にして「な、なんでもない!」と慌てて目をそらす。
「ほら、コハル。緊張をエネルギーに変えるんだよ。『焦りは気づき、緊張は集中力』って言うでしょ?」
「知らない…」
そんな姉妹の様子に、ヒフミはぽかんと口を開けたまま一瞬思考停止したが、すぐに「う、うん、がんばりましょうねっ!」と空気を立て直すように笑った。
チャイムが鳴る直前、教室の扉が静かに開いた。
入ってきたのは、彼女たち補習授業部を担当する『シャーレの先生』だ。
手には試験用紙が入った封筒…今日のネクタイはシンプルなスカイブルーだ。
「――おはよう。みんな、よく来たね」
「もちろん来るさ、敵前逃亡は――」
「アズサちゃん?」
ハナコが微笑みながら、小声で釘を刺すように声をかける。
アズサは咳払いひとつ。
「…何でもない」
「ふふっ」
先生は軽く目を細めながら、一歩、教卓の前へと進んだ。
「…こほん――いよいよ第一次筆記試験、開始直前だよ」
声の調子が一段階だけ引き締まり、生徒たちの背筋が自然と伸びる。
「机に置いて良いのは鉛筆かシャーペン、消しゴムのみ…それ以外はカバンの中へ。スマートデバイスも電源を切って、しまっておいてね。OK?」
「はーい」「了解」と、返事が返ってくる。
先生はそれを聞きながら、確認するように視線を教室内へ走らせた。
「あれ?時計ってつけてて良いんでしたっけ?」
シオリが左手首の内側を見ながら、ふとしたように尋ねた。
「ああ、時計は大丈夫。ただし、スマートウォッチとか、ネットにつながるものはダメだよ」
「これ、アナログのやつだから大丈夫かな」
「うん、それなら問題ないよ。むしろ試験中は教室の時計見づらいから助かると思うな」
「よかったぁ~」
安堵したように、シオリは手元の時計をそっと撫でる。
それは、ピンクと白のカラーリングが印象的な、やや無骨なデザインの腕時計。
有名なミリタリーブランド『カゼヤマ』製の少数生産モデルで、彼女のような現場向きの仕事にも耐える頑丈な一品だった。
シオリはほっと息をついて、再び手元の筆記用具を確認する。
その隣でコハルも真似するように自分のシャーペンを整え、心なしか眉を下げていた。
「緊張していると思うけど……今までやってきたことは、みんなの中にちゃんと残ってる。慌てず、落ち着いて、深呼吸して……大丈夫。君たちなら、きっと乗り越えられるよ」
先生が、静かにそう声をかける。
その言葉に、シオリがにっこりと笑みを浮かべ、コハルが小さくうなずいた。アズサは黙って拳を握り、ハナコはその様子を柔らかく見守る。ヒフミはちょっと深呼吸して、自分に気合いを入れていた。
「じゃあ、配るね。封はまだ開けないこと。試験時間は90分。チャイムが鳴ったら、始めていいよ」
先生が封筒を破り、カサリと音を立てながら中の用紙を取り出す。
規定通りに印刷された試験問題が、一枚一枚丁寧に配られていく。
用紙が手元に届くと、誰もが無言になり、その時をじっと待った。
教室には、筆記用具のわずかなカタリという音と、誰かの小さな息遣いが微かに響く。
そして――
チャイムが鳴る。
「それでは、始めてください!」
先生の言葉を合図に、全員が一斉に問題用紙を開いた。
ペン先が走る音が、静かな緊張の空間に広がっていく。
──第一次試験が、いよいよ幕を開けた。
(……テストの封筒に封蝋ねぇ……地元とは大違いだなぁ)
先生は破いた封筒を眺めながら、心の中で呟いた。
──カリカリ、カリ……カツッ。
教室に響くのは、紙の上を走る鉛筆やシャーペンの音。
椅子を引く音もなければ、咳払い一つ聞こえない。
誰もが、目の前の問題用紙と真剣に向き合っていた。
(あっ……これ、補習でやったところです…!)
ヒフミは心の中で喜びを噛みしめながら、シャーペンを持つ手の動きを加速させた。
思わず、どこかの通信教育の漫画で見たようなセリフが浮かんでしまう。
(初級……いえ、基礎の基礎レベルの問題! もしかして、これは救済措置というやつ……!?)
筆が滑りすぎて線がやや曲がったのを慌てて修正しながら、ヒフミはさらに心の声を膨らませる。
(ナギサ様からは結構恐ろしい事を言われましたけど……やっぱり優しい方なんですよ……ありがとうございます!だいす……何でもないです。集中、集中!)
頬をほんのり赤らめながらも、自分に言い聞かせるように再びペンを走らせる。
そんな彼女の隣、コハルはまだ最初のページの後半で、手を止めていた。
(えっと…これは…こうだっけ?)
こめかみに手を当て、そっと息を吐く。
一つ答えを書いたはいいが、それが本当に合っているのかどうか、自信が持てなかった。
──「わからない問題は後回し! できるヤツを確実に倒していく!弱いヤツを先に狙え!」
頭の中に中々ゲスイ事を言う声が響く…だが今は生死に関わる状況。
(今じゃそれが正義よ…!)
コハルは小さくうなずくと、問題用紙を一つ飛ばして次へと目を移した。
解ける問題から先にやる。勝ち筋を作るために、最初に撃つべきは“弱点”から。
(次は……これならいける!)
その姿を後方から静かに眺めていたのは、ハナコだった。
(ふふふ)
彼女は頬杖をつきながら、目を細めて補習授業部のメンバーたちの奮闘を見守っている。
カンニング……というわけではなさそうだ。
そもそも彼女は、今ペンすら握っていない。用紙はすでに裏返されていて、どうやらとっくに解き終わっているらしい。
残った時間を穏やかに楽しんでいる様子だ。
アズサは、マナー本に載ってそうな姿勢で座り、机に向かっていた。
鉛筆を握る手は微動だにせず、目線はまっすぐ問題用紙へ。
(……これは、二問目と関連してる。だったら、ここの条件は……)
静かに、そして正確に、文字と数字が並べられていく。
キリが良いところで、彼女はふと視線を上げると、映ったのはシオリだった。
彼女はといえば、首を小さく盾に揺らしながら、どこか楽しそうにペンを走らせていた。
(よしっ…これはOK…)
脳内で低く唸るように鳴り響く、戦場を想起させるテーマ音。
重厚で、鉄の焼けた匂いが立ち込めるような、そんな音楽。
(順調……ふっふーん、イチカちゃんさぁ…難易度高いとか言ってたけど楽勝じゃんか)
自信たっぷりに、ペン先を滑らせながら内心で鼻を鳴らす。
確かに面倒くさい問題も混ざってはいるが、読み解いてしまえばシオリにとっては想定内。
(これなら余裕、笑顔で補習部とサヨナラできそうかな)
──とか思っていたそのとき。
(……ん?)
一瞬、ペンの動きが止まる。
BGMも一旦フェードアウト
(最後の設問…あ、これちょっと厄介かも?)
問題文は長く、語彙の選び方もいやらしい。単語の意味を知っているだけでは足元をすくわれかねないタイプの設問だった。
(まずいな……ちょっとだけ本気出さないと……)
脳内で何かが切り替わる音がした。
(いや?でも、これも補習でやった応用パターン……落ち着いて読めば見える…)
眼差しが鋭くなり、表情が少し引き締まる。
いつもの抜けた雰囲気が薄れていく。
一度設問を読み飛ばし、全体を俯瞰。
どこが問われていて、どこが引っかけなのか。
情報を構造的に捉え、問題用紙の余白に図を描くようにペンを走らせる。
(ん…これは…)
シオリのペンが止まり、ほんの数秒間だけ沈黙が落ちる。
それは迷いではなく、勝利を確信した静けさだった。
(突破口、発見──ブレークスルーだね)
シオリは小さく笑い、空欄を埋める手に再び力を込めた。
その動きに合わせて、無意識に首が小さくリズムを刻む。
さきほどよりも大きく、確信に満ちた揺れだった。
試験から一夜明けた教室。
いつもと変わらぬ空気の中、先生が封筒を抱えて教壇に立ち、一度深く息を吐いた。
「――結果が届いたよ!」
その声に、少しだけ空気がざわつく。
「なんで、そんなにテンション高いのよ…」
コハルが呆れたように小声でぼやく。
「いやぁ……この年になっても、人の試験の点数って気になるんだよね…ごめん…」
「先生が採点をされたのではないのですか?」
ハナコが首を傾げて尋ねる。
「うん、なんか『採点はこっちでやります』だってさ。私はノータッチだったよ」
「と、とりあえず皆さん、お疲れ様でしたっ!」
「お疲れ様!」
「えっと……100点満点中、60点以上で合格だそうです! 高得点じゃなくても、そのラインを超えていれば大丈夫です!」
それは思ったよりも緩めな合格基準だった。
確かに厄介な設問も混ざってはいたが、全体的には基礎レベル。
試験自体の難易度にしては、やけに優しい判定だった。
救済措置…確かにそう言えるかもしれない。
「では……結果発表をお願いします、先生!」
ヒフミの声に促され、先生がコクリと頷く。
「うん、じゃあいくよ――」
封筒の口を破り、一枚目を取り出す。
「ヒフミだね」
「は、はいっ!」
ヒフミ72点
結果:合格
「わぁっ……ありがとうございます! えっと…まぁ何とも言えない点数ですが……とにかく、良かったです!」
少し顔を赤くしながら、ヒフミが胸をなで下ろす。
「次……シオリだね」
「はいっ!」
シオリ93点
結果:合格
「ひゅ~っ、よっし!!」
勢いよくガッツポーズを決めるシオリ。
「シオリちゃん凄いです!高得点!」
「みんなで勉強したからかな~!」
シオリとヒフミは手を取り合って、お互いに笑顔で腕を上下させる。
出会ってからそう長くないが、親友のような振る舞いで喜び合った。
「次は…アズサだね」
「あぁ」
「えっと…」
アズサ35点
結果:不合格
「えぇぇぇ!?」
発表された数字に本人よりヒフミが一番驚いた。
「ちっ…紙一重だったか」
「いやいやいや、紙一重って言葉を辞書で引いてください!全然一重じゃないですって!? むしろ厚みありますよ!」
「合格点までたった25点の差だ」
「その25点がデカいんですって!!」
「具体的には?」
「えっ……あー……」
返答に詰まるヒフミの隣で、シオリがぽつりと呟く。
「……60キロ爆弾と250キロ爆弾ぐらい?」
「なるほど、デカいな」
アズサは妙に納得したように頷くが、ヒフミは頭を抱えて項垂れた。
「分からない……分からないですぅ……!」
「えっと…次いくね?コハルだ」
コハルは自分の名前に肩をびくつかせる。
コハル26点
結果:不合格
「なっ!?」
「コハルちゃん!?」
「コハルぅ!?」
教室に走る、驚愕と動揺の声。
まさかの点数に、ヒフミとシオリが同時に叫ぶ。
「えええ!? そ、その、力を隠してたんじゃ……!?」
ヒフミが信じられないものを見る目でコハルを見る。
「えっと…」
「一年生用の試験を受けたんですよね!? あっ、もしかして間違って二年生用を渡されてたとか!?」
「いやっ、その……」
コハルは目を泳がせながら小さく首を振る。
「こ、コハル……」
シオリが引きつった笑みを浮かべながら、妹をじっと見つめる。
いつもはほんわかとした優しさに包まれていたその視線が、今はどこか静かな圧を帯びていた。
コハルは思わず背筋を伸ばし、喉の奥が乾くのを感じる。
いままで姉の穏やかな視線しか受けてこなかった彼女にとって、これは未知の状況だった。
──失望された。
その最悪の可能性が、嵐のように脳内を駆け巡る。
次第に鳥肌が立ち、じわじわと額に汗が滲んでくる。
「あの、その……っ」
絞り出すように声を出すが、続く言葉が出てこない。
言い訳を並べても、逃げるような弁明になってしまいそうで。
それがまた、姉をがっかりさせるのではという不安に繋がる。
だが――
「……やっぱり夜ふかしは、ダメだよ?」
ふわりと、いつもの優しい声が落ちてくる。
そして変わらぬ笑顔。けれど、そこにひとつだけ、軽い"戒め"のような空気が混ざっていた。
「次は、一緒に勉強しようね?付きっ切りで見てあげるから」
「……はい」
コハルは小さくうなずいた。
視線をそらさず、まっすぐに姉の言葉を受け止める。
失望ではなかった。
だが、気を引き締めないといけない――
そんな「お姉ちゃんの圧」を、確かに感じていた。
その様子を見ていたヒフミが、ハナコにそっと耳打ちする。
「あれが…お姉ちゃんという存在なんですね…」
「ふふふ、いいですね。はかどります」
「何がです?」
「さぁ?」
「うぅ…合格できたのは私とシオリちゃんとハナコちゃん……となりますと二次試験が確定…」
ヒフミはがくんと肩を下ろす。
「あの、ヒフミ」
先生が妙に言いづらそうな顔で、最後の一枚をじっと見つめていた。
「はい?」
ハナコ2点
結果:不合格
「2点っ!?!?!?!?!?!?」
ヒフミの絶叫が教室にこだました。
反射的に机をバン!と叩いてしまい、コハルとシオリはビクリと肩を跳ねさせる。
「わ、わお……まさかのツーポイントシュート……」
シオリがボソリと呟くと、ヒフミが即座に食いつく。
「そんなカッコいいものじゃありませんよ!?2点ですか!?20点じゃなくて!?いや、20だとしても全くもってアウトなんですけど!え?え?え?」
混乱のあまり、語彙が崩壊していく。
「と、途中で寝落ちでもしたんです!?」
「いえ、目はしっかりと開けてましたよ?いや、正確には細目でいましたが…寝てはいません」
「ハナコちゃん…結構勉強できる感じあったけど…」
シオリが勉強中の情景を思い出しながら聞く。
「あぁ、確かにそう言う雰囲気があるみたいですね」
「ふ、雰囲気!?あ、あのもしかして、本番には超弱いとか…」
「特にそう言った事はないですね」
ハナコはけらーんと笑顔を浮かべ、無邪気に言った。
「では、シオリちゃん」
「えっと…なにかな、ハナコちゃん?」
「私、こんな点数なので……一緒に勉強してくれますか? 付きっ切りで♡」
そう言いながら、じわじわと距離を詰めるハナコ。
ほんの数十センチの距離で囁かれたその声に、シオリはきょとんと答えた。
「え?まぁ……いいけ──」
「ダメッッッ!!!」
鋭い声と共に、コハルが間に滑り込んできた。
手を大きく広げてシオリの前に立ちはだかり、ハナコとの間に完全防壁を築く。
「あんたとお姉ちゃんが二人っきりだなんて! 絶対に良からぬ事になる!!!」
コハルが顔を真っ赤にしながら、ばたばたと叫ぶ。
「あら、私はただ勉強を教えてもらおうと……」
ハナコが少し唇をとがらせ、やや不満そうな表情をするが、コハルは一切ひるまない。
「あんたが言う“勉強”は違うベンキョウになりそうなのよ!!!」
机をバンと叩いて、コハルが詰め寄る。
「はて……?」
とぼけた様子のハナコの目が細く笑う。
「シオリ、私も習っていいか?」
「うん、いいよ〜」
シオリはにこにこと笑いながら快くうなずいた。
だがその瞬間──
「アンタもダメッッッ!!!」
再びコハルの制止が飛ぶ。
「おっ、お姉ちゃんは私の!!」
「ふむ、なら奪う」
「はぁ!?」
「あら、アズサちゃんったら大胆ですね♡」
「あはは、私は道具じゃないんだけどなぁ~」
一方、傍らのヒフミはというと──
「あぁぁ……に、二次試験んんぅぅぅ……」
目をぐるぐる回しながら、完全に魂が抜けかけていた。
「ヒフミ!?気を確かに!!え、衛生兵を!!」
先生が悲鳴のように叫ぶが、当然そんな人材はこの教室にはいない。
和やか……というより混沌とした空気に包まれながら、補習部の面々は次なる試練へと進む。
(そう言えば二次試験以降は合宿……合宿?…つまり、職務復帰はお預け……あれ?)
シオリはごくりと唾をのんだ。
キスはえっちな行為じゃ無いですよ?たぶん