「ようやく着きましたね、ここが私たちの…」
「はい、合宿場…です。事前に本館とかなり距離があると聞いていましたが…まさか車両を使うレベルとは思ってませんでした」
ヒフミが息を整えながら辺りを見渡す。軽く汗ばんだ額を袖でぬぐい、肩で小さく息をつく。
「学園にユニバーサル・キャリア*1が普及していて良かったです…」
キヴォトスの学園キャンパスは、とにかく広い。トリニティに限らず、どこも徒歩での移動には向いていない。
そのため、生徒たちは専用の移動用車両を自由に利用できる。言ってしまえば、これも学園生活の一環だ。
「ヒフミちゃん運転がお上手でしたね、どこで習得を?」
ハナコが小首をかしげながら、穏やかな口調で尋ねる。移動中のスムーズなハンドルさばきが印象的だったらしい。
「えっ?あぁ…まぁ色々と、あはは…」
ヒフミは目を泳がせ、歯切れの悪い返事をする。明らかに何かをはぐらかしていた。
「中は思ったより綺麗だな」
アズサが荷物を玄関の床に下ろしながら、あたりを見渡す。
「なんか凄く懐かしいセリフですね…それ」
と、ヒフミがぼそっと呟いた。
「そうなのか?」
「いえ、気しなくて大丈夫です…まぁその無料のゲームで…はい」
なぜか語尾が小さくなっていく。おそらく誰かにしか伝わらないネタだったのだろう。
コハルだけは小さく「あぁ…」と頷いたが、ヒフミにその反応は伝わっていなかった。
一同が談笑しながら奥へ進むと、ベッドが並んだ部屋にたどり着いた。
「でも確かに、外観だけ見た時はちょっと不安でしたよね。ツタだらけで、窓ガラスも割れてるのかと思ってました…」
ハナコが思い出すように言う。
「使われていない別館と聞いて、全裸で床に雑魚寝も覚悟していましたが…」
「うん…ベッド、意外とふかふかでびっくり」
コハルはさっそく一つのベッドに腰を下ろし、両手で弾力を確かめている。
「……悔しいけど、ちょっと家のよりいいかも…でもやっぱり自分のベッドがいいわね」
「あ、コハルちゃん、もしかして枕とか毛布にこだわりがあってそれじゃないと寝られないタイプですか?」
「はぁ?寝れるわよ!正義実現委員会ではどこでも寝れるように訓練を受けてるんだから!バカにしないで!」
「ば、バカにしたわけじゃないのですが…」
ヒフミが荷物を置きながら、苦笑する。
「確かに良いベッドです…これなら安心して裸で寝られますね」
ハナコがさらりと、まるで「今日はいい天気ですね」とでも言うような自然さで爆弾発言を放つ。
「なんでさっきから裸で寝る気しかない訳!?ちゃんと服を着なさいよ!」
コハルが跳ね起きるように反応し、ツッコミのボリュームも全開になる。
「だって、せっかくの柔らかさですし。布の感触より、肌で味わったほうが──」
「ここはそう言う趣味を出す場じゃないのよ、変態!!」
コハルが勢いよく叫び、床を一歩強く踏み鳴らす。
「では趣味ではなく勉強として…」
「ダメッ!エッチなのは死刑よ!!!」
バッと前に出て、より力強く伸ばした人差し指でハナコを指し、「忠告」の名のもとに叫ぶ。
「勉強とか言って…お姉ちゃんに変な事吹き込んだら許さないんだから!!」
「あら?どうしてそこでシオリちゃんが出てくるんですか?」
ハナコが小首を傾げて、無垢な顔で問い返す。
「とぼけないで…!アンタ…お姉ちゃんの事情を知ってるんでしょ…!!」
「……さぁ?」
と、意味深に微笑むハナコ。
「…ッ…とにかく!そう言う事だから!」
顔を赤くしながら、コハルは決然とした声で言い放った。
「そう言えば……アズサちゃんはどこに……?」
ヒフミがふと周囲を見渡す。だが、ついさっきまで確かに一緒にいたはずの少女の姿は、どこにも見当たらない。
「あら? さっきまでいたのに……」
ハナコも不思議そうに首をかしげる。
そのときだった。
──バンッ!
勢いよく扉が開き、ベッドルームの空気が一変する。現れたのは、みなが探していた張本人――アズサ。その手には、アサルトライフルがしっかりと構えられていた。
「えっ!? アズサちゃん!? なんでライフルを…?」
ヒフミが思わず声を上げる。
「む? ああ、偵察から戻ったところだったから」
アズサは当然のように答えながら、無表情のまま室内へと歩み入る。
「て、偵察って……なにを……?」
「ここはトリニティの中央区からはかなり離れている。だから狙撃の心配はまずないだろう」
アズサはライフルを軽く持ち直しながら、淡々と状況報告を続ける。
「別館周辺の道は狭く、段差も多い。さらに植木やブッシュも生い茂っていて、車両の進入は比較的困難だ。自然な流れで幅のある道へと誘導される構造になっているから、そこに地雷を設置して封鎖できる」
「えっ……えぇ……?」
「時間があればチェコの針鼠*2も設置したいな。あと、出入口が二か所あるのも高評価だ。一つを潰せば、もう一つから誘導して体育館に追い込める。そこから上階からの狙撃や、ダイナマイトをありったけ仕掛けて侵入者をミキサーにかける事もできるだろう」
あまりに現実離れした発言の連続に、室内は一瞬凍りつく。
アズサはようやくライフルを背中に回しながら、ふと視線を室内に向けた。
そこで目に入ったのは、整然と並べられたベッド。白いシーツが清潔に張られ、整った形がまるでモデルルームのようだ。
アズサはすっと歩み寄り、無言でその上に手を置いた。
「……む、ベッドか」
彼女はそのまま、真剣な表情でベッドを手のひらで押して弾力を確かめ始める。左右に軽く身体を揺らしながら、まるで武器を見るような集中力で何度か押し込んだ。
「こんな上質なベッドは……初めて見た。……これは……すごい……!」
ぽつりと漏らすその声には、心からの驚きと感嘆が滲んでいた。
「これだけのベッドを揃えておきながら、この施設を長らく放置していたのか……信じられない……」
「ア、アズサちゃん? その、戦闘は……予定されてないはずで…私たちは勉強しに来たわけで…」
ヒフミがおそるおそる声をかける。
「うん、もちろん分かってる。一週間の訓練…自由時間は無し、一切の油断は許されない過酷なトレーニング…まだ分からないが、督戦隊の展開も…」
「そこまでは無いですって!督戦隊って…レッドウィンターじゃないんですから!!」
勉強中に問題を飛ばしたら、後ろから撃たれるって事か…とヒフミが顔を引きつらせる。
「物資もしっかりと確保してきた。ジャージにその他の着替え、衛生面の諸々に食料だ…全て保存食にしている…一応を想定して寝袋もあるが…いらなかったな」
「…ぜ、前半は合宿のイメージ通りの荷物なのに、食料が出てきた所で何か雰囲気が変わったような…」
ヒフミが苦笑混じりにつぶやくと、その横でコハルが目を細めて頷く。
「私、このラインナップ……前に、委員会のキャンプに行くお姉ちゃんの荷物で見たことある…」
「流石の準備ですね」
ハナコが素直な感心を込めて、アズサの荷物に視線を向ける。
「当然だ。兵站こそ命。それを蔑ろにした連中は、皆、負けた。これは歴史が証明していることだ」
アズサは真剣な眼差しで言い切った。ベッドを前にしたあの感動のまなざしとは違う。
「合宿ですか…初めての経験です。同じ屋根の下…皆で食欲を満たし、睡眠欲を満たし…そして全員で欲する目標へと向かう…うんうん、良いですねぇ」
「………うん、そうだね。あ、でも勉強はきちんとする、第二次試験は確実にものにしたい…そのためにここに来た」
アズサは拳を強く握った。
「…迷惑はかけたくない」
「アズサちゃん……」
「……そう言えば、シオリはどうした…?逃亡兵にでもなったか?」
「変な事言わないで!ちょっと委員会の方に呼ばれてるだけだから!もう少しでこっちにくるわよ!……お姉ちゃんが逃げる訳ない…絶対に!」
「確かに…そうだね」
「では、活動はシオリちゃんが来てからという事で…トランプでもします?」
ハナコが笑顔で、扇子のようにトランプのカード手の中で広げる。
「……そんな修学旅行みたいなノリで良いんでしょうか…ま、まぁシオリちゃんが来てからと言うのは賛成ですが…」
ヒフミは苦笑いでため息をついた。
「す、すみません……一次試験に失敗して……」
そう言って、シオリは深々と頭を下げた。
その姿は、どこか肩をすぼめ、目も合わせようとせず、いつになく神妙な面持ちだった。
「一週間の合宿だそうですね……」
机越しに静かにそう告げたのは、正義実現委員会の副委員長、ハスミだった。
冷静かつ落ち着いた声で、淡々と状況を確認する。
「はい……」
シオリは俯いたまま、消え入りそうな声で返事をした。
言い訳も、弁明もできなかった。自分の努力不足が原因であることは、自分が一番よくわかっている。
しばしの沈黙――
だが、ハスミの返答は意外なほど穏やかだった。
「……まぁ、仕方ありませんね。そういうこともあります」
顔を上げると、そこにあったのは、怒りでも落胆でもなく、どこか柔らかな、しかし芯の通ったまなざしだった。
「こういった訓練合宿は、むしろ良い機会だと思います。学び直すにはちょうどいいし、何より――」
言葉を一度区切り、ハスミは机の上の資料から視線を外し、まっすぐにシオリを見た。
「コハルと一緒ですからね。支え合いながら、きっとやり遂げられるでしょう」
「……はいっ」
ようやく、シオリの顔にわずかながら安堵の色が浮かんだ。
「とにかく、体に気をつけてください。合宿は厳しいものになるかもしれませんが……元気に戻ってきて、また職務に復帰してください。これは命令です」
「……っ! はいっ!!」
ハスミの励ましに背筋を正し、シオリはしっかりと顔を上げて力強く返事をする。
その表情には、先ほどまでの沈んだ気配はすっかり消え、いつもの『下江シオリ』の顔へと戻った。
「ふふ。それでこそ、正義実現委員会の一員です」
ハスミがわずかに微笑みを浮かべると、シオリもどこか安心したように頷いた。だが、次の瞬間、彼女は不安げに口を開く。
「ありがとうございます……あの、その……合宿期間中って、私は委員会のメンバーから除外される扱いになるんですかね?」
その問いに込められていたのは、ただの確認ではない。
シオリの立場は今や“落第者”。試験に失敗し、勉強のために現場から一時的に離れる立場――
それは、正義を掲げ秩序を保つ立場としては、どこか後ろめたく感じてしまう。
彼女なりの責任感から、自分が今どういう立場にいるのか、正式に確認しておきたかったのだろう。
「……ああ、それはありません。あなたの委員会としての権限は、そのまま留保されています」
即答したハスミの言葉に、シオリは目を瞬かせた。
「えっ、でも……」
「確かにあなたは今、職務よりも学業に注力すべき状態ですが…」
ハスミは一呼吸置いて、視線を逸らすことなく続けた。
「補習授業部への編入は任務上の休養のようなもの。正義実現委員会からの正式な離脱ではありません」
「えっと、それって……」
「いわば“一時的な学業専念期間”です。委員としての権限は形式上そのまま保持され、あなたは“非現場要員”として待機している形になる。委員会での肩書きも、維持されます」
シオリはまだ不安そうな顔で、机の端を指先でつまむように触れた。
「でも、それってなんか……変じゃないですか? 合宿に送り出されてるのに、正義実現委員会の一員ってままだなんて……」
「変ではありません。もともと補習授業部は“臨時の教育支援制度”……と私は聞いています、初耳ですが」
ハスミは資料の一部をめくりながら、淡々と続けた。
「権限を完全に剥奪する理由がありませんし、そもそもあなたに非があるわけでもない」
「非はありますよぉ…風邪ひいちゃって…」
ぽりぽりと恥ずかしそうに頬をかくシオリ。
ハスミはその様子をみて、穏やかに微笑む。
「風邪なんてだれでもありますよ、何しろバカじゃない証拠じゃないですか」
「あはは…」
「日常業務からは外れますが――万が一、緊急の案件があった場合には、あなたに出動を求めることもあるかもしれないのでよろしくお願いしますね、あなたは重要な戦力なのですから………本当に」
「分かりました…!えっとコハルは…?」
「コハルは合格まで復帰できません」
「あぁ…どうして…」
「………試験の点数が…あなたより、その…言いませんけど…ね?」
「……ご配慮感謝します…へへ…」
目をそらし、わざとらしく笑う。
「あ、あと…権限が残るにはもう一つ理由が」
「?」
「……イチカが救護されないためにも、ですね」
その一言が添えられると、シオリはピクリと反応し、眉を引き締める。
「ッ……!! わ、分かりました! もしもの時は、ちゃんと動けるようにしておきます!」
「頼りにしていますよ。……では、そろそろ行かないといけないのでは?」
「――あっ!」
時計を見て慌てるシオリ。そのままビシッと敬礼を決めると、軽く会釈を残して委員会室を後にした。
静けさが戻った委員会室。
ハスミは手元の資料をめくりながら、小さく呟いた。
「……ツルギ。出てきても良かったと思いますが」
その声に応じるように、部屋の隅――仕切りの向こうから影が一つ現れる。
委員長のツルギだ。
「……特に話すこともないしな」
「話すことしかないでしょう。あなたも、あなたでシオリのことを可愛がっているはずです」
「………否定はしないでおこう」
ツルギは肩を軽くすくめ、壁に寄りかかるように立った。
「……一つ、いいか?」
「なんでしょう?」
「よく、シオリの権限をそのまま残せたな。“お話上手”の茶会に勝てたのか?」
ハスミの手が、一瞬だけ止まる。
「勝ちと言えるかは分かりませんが……」
「ふうん……」
ツルギが静かに息を吐く。
「ティーパーティーから『補習部入りの時点で、すべての委員会権限を停止すべき』という通達がありました。名指しで、下江シオリの権限を取り上げるようにと」
ツルギの眉がぴくりと動いた。
「……それで、どうやって?」
「押し通しました。正面から、理詰めで」
淡々と語るハスミの声には、どこか微かな疲労がにじんでいた。
「“正義実現委員会の体制は、即応性を最優先とする”。その建前を前面に押し出して、シオリの委員としての能力は“緊急時の臨時措置”として留保する形にしたんです。補習部在籍中は実務からは外れますが、有事の際には即時招集できるように。……戦力維持のためでもありますし、正直、イチカが本気でまずいことになりかねませんからね……」
「……」
ツルギは黙って聞いていたが、ハスミは小さく息をつきながら、続ける。
「付け加えて…あなた方は学園の現状の秩序を投げ捨てるつもりか…と」
「……言ったな」
「えぇ…中々恐ろしい事をしたと自分でも思いますよ…おかげでお茶がすすみます…例の条約も近いですしね」
ハスミは大きめのため息をつき、紅茶を啜る。
「二年生の委員一人消えたところで戦力は変わらないと言われましたが…」
「アイツの今までの戦果を顔面に叩きつけたと」
「まぁ言ってしまえば。それにあの子が変な事をするとは思えません」
「傑作だな、ヴィクトリア勲章ものだ」
ツルギは腕を組みながらケヒッと笑った。
「流石にコハルの方はどうもできませんでしたけどね」
「こればかりは、仕方がない」
「早く教育を再開したいのですが…」
「アイツらは今、箱の中だ」
「ええ…」
紅い液体に反射した自分の顔を見つめながらハスミは口を開く。
「私は、上を疑うつもりはありません。けれど……不自然だとは思いませんか?」
「…そもそもシオリが補習部にいる事がか?」
ハスミはこくりと視線を合わせずに頷いた。
「コハルはまだしも……シオリは病欠で試験を受けられなかっただけのはずです。それなのに、“成績不振”扱いで、聞いたこともない『補習授業部』に編入される。……普通なら、追試の措置があるはずでしょう?…彼女は自分の努力不足だと言いたげな空気でいましたが…そんな事ない…」
「……私も資料を確認した。補習部で行われた一次試験だが、シオリはかなりの高得点を出していたじゃないか」
「そうなんです。それなのに、合格とは認められず――合宿送り。他の受験者を悪く言うつもりはありませんが、“連帯責任で不合格”など聞いたこともありませんよ」
「……普通なら、とっくに復職しているはずの成績だ…と言うわけか」
「はい。……何か、意図的に足止めされているようにすら感じます」
「ティーパーティー的にもココの戦力が整うのは喜ばしい事のハズだと思っていたが…もしかしたら違ったのかもしれない……いや、考えすぎか」
ツルギは低く呟き、視線を宙にさまよわせた。
「…まぁ、今は置いておこう…あくまでもウチは下部組織だ、もしもの場合以外はシビリアンの指示に従う」
「……ですね、首を長くして、姉妹の正式な帰還を待つとしましょう」
シオリ一人で何人分の戦力になるのやら。ドイツ軍のエースパイロットみたいな事になってそう。