【悲報】下江姉、エッチを知らない   作:スラバヤサトゥ

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よろしくお願いします。


妹の思い

下江コハル——

彼女の人生において、これほどの危機はかつてなかった。

 

赤点でもない。委員会での失敗でもない。

ましてや、自分自身の不祥事ですらない。

 

これは——姉、下江シオリの問題である。

 

だが、コハルのように姉を深く敬愛し、心から慕っている者にとって、

姉の問題はそのまま、自分の問題へと直結する。

 

姉妹とは、血のつながり以上に、運命を共にする存在なのだから。

 

そして今、姉が発したたったひと言が、コハルの内なる世界を震撼させた。

 

『エッチって……何?』

 

——その瞬間。

 

コハルの脳内には、全アラートが一斉に鳴り響いた。

地震速報に、出動命令の無線音…そして前みた映画に出てきたガイガーカウンターのガリガリ音。

 

《緊急事態発生》

《姉の無知、公共の場で露呈》

《沈黙は死を意味します》

 

あまりの衝撃に、思考の回路が混線する。

脳内では、小さな自分たちが議論を交わす妄想劇がはかどる。

 

そんな内心の大混乱をよそに、現実は容赦なく進行していく。

 

(…うぅ…どうすればぁ…)

 

思い返されるのは、かの押収品管理室での忌まわしき一日。

まだコハルが正義実現委員会に所属していた頃、押収品の管理係に任命されたその初日——

どんな仕事をすればいいか姉に相談し、軽く説明を受けたあとで、保管棚の中を確認していた時だった。

 

引き出しの中から、いかにもな装丁の“例の本”を発見。

 

姉・シオリがそれを手に取って、何の感情も込めず、すっとページを開いた。

 

そして放ったひと言——

 

『ふーん……なんか、手書きの擬音が多すぎて読みづらいかも』

 

その言葉に、背筋を冷たいものが駆け上がった。

 

内容ではなく“構成”への感想。

赤面も、動揺もなく、まるで料理本でも眺めているかのような涼しい顔。

それは、コハルの中の“姉像”を、根本から書き換えるには十分なインパクトだった。

だが、知ってしまった以上、目を逸らすことはできない。

 

コハルはその日から、姉の無垢を守るために、密かに活動を開始した。

 

話題をそれとなく逸らし、危険なワードが出ないように先回りし、

趣味の私物は一切姉の目に触れぬように徹底管理。趣味の本は二重三重のカバーリング、

万が一姉が部屋に入ってきても絶対に動揺しないよう、カモフラージュの研究も欠かさなかった。

 

その献身的な働きぶりは、まさに戦車部隊の進路を切り拓く工兵だ。

 

『コハル〜? これ、なんの道具か分かる?』

 

そう聞いてくる姉の、まっすぐで曇りひとつない赤い瞳。

 

その純粋無垢な視線に、真実をぶつけることなどできるはずもなく、

コハルはいつも、嘘はつかず、しかし核心にも触れず、器用にかわしてきた。

 

 

“姉の無垢は、私が守る”

 

——そんな使命感が、彼女を突き動かしていた。

 

だが。

 

今日、それが音を立てて崩れ去った。

 

よりにもよって、この場で。

 

よりにもよって、この人らの前で。

 

よりにもよって、その問いを……

 

『エッチって……何?』

 

あまりに根源的で、そして回避不能な質問をしてしまったのだ。

障害物を撤去する前に、突っ込む戦車。しかもその先には対戦車砲(浦和ハナコ)が待ち構えているわけだ。

そして忘れてはいけないのは、コハル自身もかなりのピンチである事。

カバンの中から“それ”を取り出してしまい、ハナコが目ざとく確認した“R18”の文字は、言い逃れの余地を完全に消し飛ばした。

 

(……そっちに関しては…押収品を入れっぱなしにしてただけだから…なんとかなるわよね…)

 

「ま…まだ舞える…!」

 

かすかな声で、しかし確かに、彼女はつぶやいた。

 

姉の無垢を守る戦いは、まだ終わってはいない。

私自身の尊厳を守る戦いも、終わってはいない。

 

ならば、立たねばならない。

 

コハルは震える膝に力を込め、ゆっくりと前に出た。

 

ここからが、本当の戦いだ。

その場の空気を凍らせた一言を、どうにかして無難に回収しなければならない。

 

——たとえ、どれほど無茶な理屈を並べることになろうとも。

——たとえ、周囲からの冷たい視線が突き刺さろうとも。

 

彼女は、ほんのわずかに前へ出た。

目を閉じ、深く息を吸い、意を決して口を開いた——

 

その瞬間だった。

 

「シオリちゃん……知りたい……ですか?」

 

横から差し込むような声が、それを遮った。

凛とした声。ふだんは飄々としたハナコとは思えない、妙に真面目な、まっすぐな語調。

 

あぁ…うん、これはヤバイ。

コハルの鳥肌が一気に立ちあがる。

 

自然な感じで止めるなんて無理だ、もうやるしかない。

 

「えっ?……まぁ、気になるかも」

 

シオリは小首を傾げ、無邪気な表情で答えた。

 

「……分かりました。では、ご飯を食べて、シャワーを浴びてから……じっくり、たっぷり……ご指導いたし——」

 

「このバカ!!!!!」

 

ドガッ!!

 

コハルの怒号とともに、強烈な突っ込みが炸裂。

吹き飛ぶハナコ。

彼女は肩口を抑えながら、楽しそうに小さく笑う。

 

「きゃんっ……あら、コハルちゃんったら……だ・い・た・ん♡」

 

「ちょっと来なさい!!!!」

 

コハルは容赦なくハナコの腕をつかみ、そのまま引きずるように教室を出ていった。

 

バタン、と扉が閉まる。

残された教室内は、ふたたび沈黙に包まれる。

 

「……」

 

「…?」

 

「あはは…」

 

ヒフミのぎこちない笑いが妙に響く。

 

「先生」

 

「っ…な、何かなシオリ」

 

「先生は…分かりますか?」

 

「……えっとぉ…」

 

「あ、私も知りたい。その『えっち』とはなんだ?」

 

ここにてアズサも参戦。

だらだらと汗を垂らす先生…そういう教育も…大人の責任なのかと唸るのだった。

 

——そのころ、廊下では。

 

ガタン!

 

コハルがハナコを壁に押しつけるように立たせ、腕を組んで睨みつけていた。

 

「……お姉ちゃんに吹き込むのはダメ!」

 

低く、静かな声だったが、その圧は重く、真剣な想いがにじみ出ていた。

 

ハナコはその様子を見て、小さく肩をすくめると、どこか困ったように微笑んだ。

 

「そんなぁ。私はただ、シオリちゃんの知的好奇心に真摯に向き合おうとしただけですよ?」

 

「…それをやめて!」

 

ハナコは一瞬、コハルの目をじっと見つめた。

ふぅ、と静かに息を吐き出す。その仕草には、驚きでも困惑でもない、淡い納得の色が混じっていた。

 

(……初めてお会いした時は流石に分かりませんでしたが…幾度かご一緒した時。何となく、そうかもしれないとは思っていましたが……やはり)

 

シオリはどこかフワッとしている所があるが、常識的…学力も十分…なにより、あのハスミさんの補佐もしていた生徒。

世間的には"普通"どころか"優秀な人間"の部類に分類されるだろう。

 

しかし、ふとした時に見せるピンポイントな話題に対する、反応の薄さと好奇心。

それは、一般人には気づかれないほどのわずかな齟齬にすぎなかったが——ハナコの鋭敏な観察眼は、それを確実に捉えていた。

 

(……コハルちゃんの反応的にも、ほぼ確実にシオリちゃんは所謂“無知”…まさか、そんな属性持ちの人が本当に存在するとは……!)

 

そして、面白いのは——妹のコハルの方が、スケベ寄りという事実である。

決して下品という意味ではなく、年頃の少女としてごく自然な関心。

本人の趣味がどの方向に偏っているかは分からないが、ある意味では全然健全。

 

その話題では姉妹の立場が逆転しているとも言えた。

 

(……人生、こういうこともあるんですねぇ……)

 

「……難しい問題ですね」

 

「な、何がよ?」

 

睨みつけながら問い返すコハル。

その瞳はかすかに震えている。必死さと、不安だ。

 

ハナコは一拍置き、唇に手を添えて考える素振りを見せた。

そして、どこか遠い目をしながら言葉を選んだ。

 

「このまま無知シチュを尊重するのも一興……ですが、真っ白で綺麗なハンカチを、自分なりの色で染め上げてみるのも……それはそれで…」

 

ふと、頭をよぎるのは、流行のゲーム。

ペンキを塗り合って陣地を取り合う、あのカラフルな世界。

人はなぜ「染める」ことに、こうも本能的な快楽を感じるのだろうか。

 

その言葉を聞いたコハルは、目を大きく見開いた。

 

「…最低っ…お姉ちゃんはおもちゃじゃないのよ…!!」

 

感情が溢れ、思わず怒鳴ってしまう。

ガラスがかすかに揺れ、滲んだ涙がその瞳に揺れていた。

ハナコはわずかに肩を震わせ、表情を引き締めると、ゆっくりと頭を下げた。

 

「っ……すみません。悪ノリが過ぎました。謝ります…ごめんなさい」

 

コハルの子供じみた罵倒と死刑宣告はいくたびか受けてきたが、それらの言葉に深い意味も重みもない。

しかし先ほどの彼女の叫びは…10トン爆弾並みだ。

 

しばらく沈黙が続いた。

コハルは目をそらし、拳を握ったままぽつりと呟いた。

 

「……私も……声、でかかった…ごめん」

 

廊下の静けさが、二人の間に気まずさを広げていく。

やがてコハルが、ぼそりと口を開いた。

 

「まぁ…アンタみたいなのと同意見ってのも、すごく癪なんだけど……そういうシチュが“良い”ってのは、まぁ分かる。分かっちゃうのが、悔しいけどっ…」

 

いつもだったらハナコ相手にこんな話題は出さないだろう…いや、誰が相手だろうと彼女から見て『エッチな話』は絶対にしない。

だが、この気まずい空気を打破するにはこうするしかないとコハルは判断したのだろう。

 

ハナコは驚き、申し訳なさそうにしながらの口元を緩める。

 

「…コハルちゃん」

 

「でも、実際…身近にそんな人がいたら…変に気まずくなるし、イヤな事は頭に浮かぶしで…あんなの創作の中で十分よ……」

 

「な、なるほど……」

 

ハナコは苦笑しながら頷く。

 

 

 

「その…」

 

ハナコがふと、廊下を歩きながら呟くように口を開いた。

 

「?」

 

コハルがちらりと横目で振り返る。

 

「コハルちゃんは…お姉さんにそのまま、何も知らないでいてほしいんですか?」

 

その問いに、廊下に響いていた二人の足音が、ぴたりと静まる。

 

「……できれば、そうしてほしい」

 

コハルは俯きながら、ぽつりと呟いた。

その声には、戸惑いと確かな願いが入り混じる。

 

ハナコはしばらく黙っていたが、やがてゆっくりと口を開く。

 

「シオリちゃんのことを安易に汚そうとするつもりはありませんよ…安易には」

 

「…うん」

 

その言葉に、コハルはわずかに表情を緩めた。

ようやく、ほんの少し分かり合えた気がした。

 

「一つ、お伺いしても?」

 

「えっ!?まぁ…」

 

ドキンと心臓と肩が跳ねる。

普段ならコハルがハナコに質問する側だからだ。

変態のくせして勉強を教えるのが上手い、しかし肝心のテストの結果は150万発ほど砲弾が撃ち込まれた西部戦線並みに酷い。

一体コイツは何なんだ。バカと天才と変態は紙一重とでも言うのか?

 

「コハルちゃんはなぜ……そこまで、お姉さんの純潔を求めるのか…と少し気になりまして」

 

「それは……イヤだから…

 

「同族嫌悪ですか?」

 

「炎天下のエンジン切った車内にぶち込むわよ」

 

「まぁまぁ、落ち着いてくださいコハルちゃん」

 

コハルは深く息を吸って、吐く。ふいに込み上げてきた思いが、抑えきれなかった。

 

「…お姉ちゃんが……変に知って…酷い目に遭うのがイヤだからよ!!!」

 

「……」

 

「…あの人の事だし…情報自体を深くは理解できないと思う…だからこそよっ…!」

 

コハルの声が、廊下に響く。

 

「お姉ちゃんは強いし……ちょっとやそっとのことじゃ動じないのは分かってる。……それでも不意に口に出して、何かトラブルに巻き込まれたり、悪意のある誰かに狙われたりしたらって思うと……怖い…だって…本とかでよくある話だし…お姉ちゃんも同じになっちゃうかもって…」

 

言葉が詰まり、少しだけ喉が震える。自分でもよくわからない感情に揺さぶられながら、コハルは必死に続けた。

ハナコ相手に何故ここまで話しているかも分からない。

 

「周りから変な目で見られて、バカにされたりする姿を見たくない……本人は能天気で気にしないと思うけど……私は耐えられないの……委員会の人達はそんな事、絶対ないのは言うまでもないけど…他は分からないし……」

 

「コハルちゃん…」

 

ハナコが静かに口を開いたが、それを制するように、コハルは続ける。

 

「でも……もし知っちゃったときは………それは…お姉ちゃんの人生だし…心配だけど尊重する…」

 

少しだけ笑みが浮かんだ。

 

「大丈夫…私がなんとかフォローして…頑張る!」

 

ハナコはそんなコハルを見つめながら、笑顔を崩さず、ただ優しく頷いた。

 

「まぁハナコ…」

 

ずいっと顔を近づける。

 

「変な事はしないでよ!!!」

 

「ふふふ、大丈夫ですよコハルちゃんの努力を無下にする気はありません」

 

「ほっ…」

 

「ですが…シオリちゃんの方から攻めてきた場合は一肌脱ごうかと♡」

 

「ちょっ⁈」

 

「ですからシオリちゃんの知的好奇心に寄り添おうとしているだけですよ」

 

「…ッ!やっぱ信用ならない!エッチ!バカ!死刑!!!あぁもう!アンタと二人っきりになった私がバカだったぁ…!」

 

 

 




コハルフィルタリングのブロック率は高いです(100%とは言っていない)

ハナコには勉強教えてもらってるし、姉とはまぁまぁ仲良さそうなんで警戒心が薄れてきているコハルです。全然死刑執行対象ですが。
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