チンチロリン――。
松虫が鳴いている。
そりゃそうだ、夏だもの。
……と言っても、松虫は別に夏限定の虫ではないと最近知った。
「……」
合宿場。庭へと続くテラスの階段に腰を下ろし、膝の上に愛銃を抱える。
金属のひんやりとした感触が、火照った肌に心地よかった。
「はぁ……」
庭には乾燥途中の服が夜風に揺れている。
眠れん。
ハナコちゃんに指摘された通り、尿意のせいもあるが、今晩はまた違う理由がある。
元の生活……本来なら、今宵は夜警当番の時間。
指定された地区の治安を守る為。朝まで歩く大事なお仕事。
もちろんその日は特別欠席として、睡眠時間を貰えるから意外と人気。
体がそのリズムを覚えてしまっているのか、完全に任務モードのままだった。
しかも、部屋の豆電球が絶妙に明るい。
夜空の下、街の光が雲に反射し、月明かりがぼんやりと地面を照らす。
目がだんだんと暗闇に慣れ、輪郭が浮かび上がってくる。普段ならこの人体の構造に感謝なのだが、今は…いらない。オフにするスイッチとかはないのだろうか?
「今、何時だろ……」
ポケットの中のスマホに手を伸ばす――が、すぐに止めた。
ここで画面を見てしまえば、確実に沼に落ちて寝れない。
「くっそ……あーもう……このままじゃ日中に寝ちゃうって……!私は今寝たいって言ってるでしょうが……」
思わず声が漏れる。
言葉づかいが少し荒くなるのは、疲れている証拠だ。時々…ほんの時々だが、こう…知り合いの前で使えないワードが口から飛び出そうになる。
「ふぅ…」
シオリは目を閉じ、柱に背を預けた。
(あ、そうだ……)
頭の翼を軽く動かし、ふわりと目元を覆う。
まぶたの上から射し込む光を遮ると、世界は一瞬で闇に沈んだ。
(あぁ……これ、いいかも。なんで今までやらなかったんだろ)
翼は実に便利だ。
爆風の衝撃を軽減したり、破片を防いだり。
眼球めがけて飛んできた5.56ミリ弾を防いだ時は痛みと羽の損傷がひどかったが、それでも自分を守ってくれた。まぁその後の手入れは大変だったし、先輩からは「無茶しすぎです!」なんて言われたけど…多分またやると思う。ゴメンなさい。
あと日差しが強いときには日よけ代わりにもなる。
改めてみると使う場面のほとんどが戦闘行動中だと気づくと委員会の任務に染まりきってしまった自分を少し笑いたくなった。
「すぅ……はぁ……」
生ぬるい空気が肺に入る。
決しておいしい空気ではないが、兵員輸送車の中…あれよりは断然マシ。
イヤな記憶が脳裏をよぎったが視界の問題は解決した。
だが次に襲ってくるのは、心のざわめきだった。
(結局……退学って話、ほんとなのかなぁ……)
その二文字が胸の中をくるくると回り続ける。
ハスミ先輩には相談した。
あの時、真剣な表情で「なんとかする」と言ってくれた。
真っ直ぐな瞳は、今も脳裏に焼き付いて離れない。綺麗な赤い瞳だった。私も赤っぽいけれど断然先輩の方が綺麗だ。私のはちょっと…発酵したブドウジュースみたいな色してるし。
先輩のおかげで、気持ちは軽くなったけど…完全には消えない。
扉越しに聞いた“退学”という単語。
『きっと空耳だ、勘違いだよ…寝ぼけてたし』そう自分に言い聞かせるが、耳が拾った現実はどうしても胸の奥に残る。
(もし勘違いだったら……ハスミ先輩に何かお返しというか…何かを持ってかないとなぁ…)
ピカデリー通りのケーキ屋…そこら辺りの新作を持って行ったらいいかもしれない。
(でも、あの人今ダイエット中だからなぁ……って言っても甘いモノ以外に何も思いつかないのがなぁ…)
同期や後輩だったら簡単なのだが、先輩となるとまた何だか変わってくる。
(てか、私もダイエットしますみたいな話になってたけど……結局なんもしてないなぁ…カップうどん控えたぐらいだよなぁ…)
自嘲気味に笑う。
まぁ、ケーキの事を考えられるぐらいには余裕ができた。
(………結局、コハルには伝えてないしなぁ…)
ケーキを思い浮かべた次にこれだ、感情のジェットコースターは暴走気味。
「うぅ…ん…」
あのとき、先輩に話すため妹を退席させた。強制、というよりお願いに近い形で。
この話はコハルにとってはノイズだろうから。
あの子は素直に従ってくれた。けれど、あとからの質問攻めがすごかった。
「ねぇお姉ちゃん?なんの…話だったの?」
「えっと…?委員会の偉い人しか知っちゃだめなタイプの話?」
「あの時すっごく目が泳いでたし、汗が…ハンカチ貸すけど…あ、お姉ちゃんは自分のもってるか…」
「な、なんか泣いてない!?ちょちょちょ!お姉ちゃん?め、珍しいってそんな事言ってる場合じゃない…!」
それら全てに、いつものテンションで「大丈夫」だ答えた。
――先生の対応はいつもの感じ。でも普段よりもっと優しい気がした。
「シオリ。詳しくは聞かないけど…何かあったら言ってね?ほんの小さい事でも全然いいからね」
「あ、自販機だ。なにか飲みたい?やっぱり紅茶なのかな…ってごめん決めつけはよくないね…」
最初は遠慮したけど、流石に笑顔が眩しくて、断るのは逆に失礼かなぁ…って事でブラックコーヒーをおごって貰う事にした。自販機の紅茶はあんまり好きじゃない。ミルクティーは美味しいと思うけどアレはミルクティーとしてじゃなくてまたなんか別の飲み物として評価してる。
やっぱあの時ブラックコーヒーじゃなくて炭酸の何かにしとけば良かった。泥水…とまでは言わないけど好んで飲むタイプのモノじゃないや。
砂糖がめいっぱい入った奴はかなり好きだけど、アレはコーヒーと言って良いのかな。
(やっぱり……話すべきかな。でも……)
コハルは強い。多分…ってか確実に私より。
でも、変に「テストだめだったら退学」だなんて伝えたら流石に動揺する。
せっかくノリにのってきて成績も向上してるあの子には確実に悪影響。
(退学が違ってたら……ただのデマを広めたことになるし……それじゃ、モモッターのフェイクニュース作る人と変わらないよ……)
シオリはうなじをかいた。
夜風が髪を撫でる。
(思い切って、ヒフミちゃんか先生に聞く? でもなぁ…)
……ふと、目を開いた。
(いや、待てよ?)
思考の中に、ひとつの答えが浮かぶ。
(あれじゃん。そもそも合格すればいいんでしょ?合格すれば落第やらそのもし退学があったとしても全部粉砕できるよね)
ほんの少しだけ口角が上がる。
(あ~もう、なんでずっとマイナスに考えてたんだか…簡単な話じゃん)
胸の奥が熱くなってきた。
「あ~はぁ~そうじゃんそうじゃん!」
今が深夜なのを忘れて大きく叫ぶ。
一瞬だが虫の鳴き声がやんだ気がした。
慌てて手で口を塞ぐが多分手遅れだ…一応、皆が寝ているベッドルームは今いる庭と真反対にあるし、近くには人が寝ていそうな建物はない。寮も校舎も、住宅ももっと行かないとないハズだ。
「よし………なんだか眠くなってきた…!」
心の重しが除かれたのか、叫び疲れたのかは分からないが瞼が重くなってくる。
睡魔を歓迎したのは風邪をひいて以来だ。
「さて、戻りますか…ここで寝てもいいけど…やっぱベッドだよねぇ。あのベッド絶対家のより良い奴だから今のうちに使っとかないと」
夜の空気をひと口吸い込み、シオリは小さく笑って部屋へと戻る…その時だ。
庭と街路を区切っている植木…それがガサリと音を立てた。
「ッ…!」
反射的に体が動いた。
SMGを構えるよりも早く、右手が拳銃を引き抜く。
45口径。神の口径。
三点ドットのアイアンサイトの向こうには、すでに人型の影。
暗いが分かる。この距離なら外さない。
今撃てば確実にやれるが、いきなり撃つのは能無しがやる事、まずは警告だ。
「動くな。何者?」
「……おっと…怪しいモノではないですよ」
「無理があるよ。流石に」
「ふふふ、そうくると思って言ってみました」
「…チッ」
「武器は携帯していますが、抜く気はありません。ご安心を」
「…ふぅん」
シオリは呆れと警戒…そして怒りの感情を抱きつつ、SMGのスリングを肩にかけ、右手に拳銃を、左手は腰にぶら下げていたハンディライトに伸ばし、その影に照射した。
「っ…!はぁ…それ軍用ですよね?一体何ルーメンあるんだか、いきなり人に向けるのは如何なものかと私は思いますけども」
強烈な光を浴び、影がわずかによろめく。
目を細め、顔を背けたその姿が、光の中に浮かび上がった。
純白の制服。
金の装飾が施されたベレー帽。
「…あぁ。その制服!…ティーパーティーの人?」
「えぇ…そうです。まぁ少し特殊な部署ですけどね。夜分遅くにすみませんね、下江シオリ補佐?」
ベレー帽の角度を整え、にへらと下手くそな笑みを浮かべながら軽く一礼する少女。
シオリは眠気か苛立ちか分からない表情のまま、『ドーモ』と首を小さく縦に振った。
「当然のように名前を知ってるのは、流石って感じですね。あと別に補佐は着けなくていいですよ、正式な役職じゃないので」
「では……下江シオリ“様”で」
「うぃ…やめてください。結構色んな人に『様』付けされるけど、その度になんか肩がすくむんで…」
「貴女はそれ相応の立場という事ですよ…まぁ良いでしょう。では“さん”でいきます」
「助かります」
「ではお話――の前に。銃を下げていただけると助かります」
目を細めて微笑む少女。
銃口を向けられているとは思えないほど、余裕があった。
「私も抜きませんから」
そう言って、ショルダーホルスターに入ったシルバーカラーのM1900自動拳銃を見せる。
「……茶会さんには銃口向けたくないんで。変なことしないでくださいよ?言っておきますが、その時はその時ですから」
「流石、正実の“四翼”。話が早くて助かります」
「よん……って翼のこと? なにそれ」
「あなたのことですよ」
「……あぁ。制圧した不良に『その四枚羽、手羽先にしてやる』って言われたことならあるけど……あれそういう意味だったの!?てっきり容姿差別かと」
「キツイですね。相手はゲヘナでしたか?」
「……さぁ?どうでもいいよ、ならず者の学籍なんて」
「なるほど。あぁ…では自己紹介を…そうですね――“ブロンディ”とでも呼んでいただければ」
金色の髪を耳にかけ、微笑む。
「自己紹介でコードネームぅ?しかも金髪だからって……安直じゃない?酷いね」
「……好きな映画から取っただけです!そこはいいでしょうもう!本題に入りましょう」
「はいはい。で、なんでこんなところに?」
「あ、そうですよ。茶会さんがなんでこんなところに?補習はティーパーティーが監修しているとか、何とかは聞いた気がしますけど」
「えぇ、らしいですね。その茶会…しかも上から預かりものがありまして…それをお届けに参りました」
懐から取り出された一通の手紙。
封蝋が施され、やけに丁寧だ。
それを「どうぞ」とシオリに手渡した。
「私宛に?…わざわざご苦労な事を。内容は?」
「さぁ、そこまでは。開封厳禁とだけ。直属の上司も分かっていない様子で、なんでこの仕事を任せられたかも…はぁ分かりません…私の専門は破壊工作です。なのに使いッ走りだなんて、まったく」
「そっか…どうもね…って破壊工作!?」
「茶会と言っても仕事は色々あります。では…私はこれで、ここでの事はオフレコでお願いします」
「おっけー」
軽く返事をして、シオリが握手をしようと腰を浮かせた――その瞬間だった。
乾いた銃声が、夜の静寂を無慈悲に引き裂く。
ほぼ同時に、白い閃光が闇の庭を走った。
曳光弾。
五発に一発の割合で混じる赤い軌跡が、空気を焼き裂きながら何度も走る。
弾丸は一直線にブロンディのいた位置を捉えていたが、彼女は一瞬の迷いもなく身を翻し、茂みに飛び込んだ。
あの飛び込み方――間違いなく痛い。
枝も地面も容赦なく叩きつけられるはずだ。
……それでも。
悲鳴はなく、肉体が地面に叩きつけられる鈍い音も聞こえなかった。
受け身を取ったのだろう。
反射神経、判断力、そして覚悟。
あれは素人の動きじゃない。
「逃した」
短く吐き捨てる声と同時に、階段を駆け下りてくる足音。
姿を現したのは、ライフルを構えたアズサだった。
手慣れた動作でマガジンを交換し、レールに載せたライトを点灯。
鋭い白光が庭を舐めるように走り、植え込みや影の奥を容赦なく照らし出す。
「危ないところだった。侵入者にあそこまで接近させるなんて……何してるんだ?」
責めるようでいて、どこか淡々とした声。
「いきなり撃つのもどうかと思うけどなぁ、アズサちゃん。それに、本当に危なかったら――」
シオリは肩をすくめ、笑いながら自分の二の腕を軽く叩いた。
「とっくに私が潰してるよ」
「……確かに」
一拍置いて、アズサは頷く。
「知り合い?」
「……仕事関係、かな」
「そうか」
「アズサちゃんは巡回?」
「…うん」
「ちゃんと寝ないとダメだよ? 倒れられても困るからさ。ハナコちゃんも心配してたよ~?」
「……そうだね、じぁあ私は戻るー―「動かないで!!!」…む?」
甲高い声が、闇を震わせた。
「この…えっと…な、ならず者!!!!」
「この声……待って!コハル!私達だよ!」
「え…その声…」
暗闇の奥から現れたのは、ライフルを構えたコハルだった。
アズサの銃声を聞きつけ、飛び出してきたのだろう。
はだけたジャージ、足元はモコモコのスリッパ。
髪はあちこち跳ねているが、目だけはやけにぱっちりしている。
一度は寝たものの、途中で起きた…そんな様子だ。顔のむくみ方から見て、銃声で叩き起こされた訳ではなさそう。まぁトイレとかだろうか。
「お姉ちゃん!とアズサ…!?え、何してたの?」
「侵入者に対処してた」
「あぁ…まぁ。ちょっとね、大丈夫だよ。凄いねコハル、流石だ」
シオリはコハルを安心させるように笑い、ふわりと頭を撫でる。
「う、うん!すぐに飛んできたわ!」
胸を張るコハルに、シオリはうんうんと頷いてから、言った。
「あーでも、セーフティを外してても良かったんじゃないかな?いつでも撃てるようにさ」
「へっ!?」
慌ててコハルがライフルを確認する。――案の定、セーフティはしっかりかかったままだ。
ぴゃっと、分かりやすく顔が赤くなり、翼が小刻みにはためく。
「もし私達じゃなかったら、撃てないとだめだったな」
「だね~。でもアズサちゃんはちょっと引き金が軽すぎるかな」
「む」
小さく不満げな声。
「ま、レトロタイプのボルトアクション式のライフルは若干だけど、セーフティの解除がめんどい節あると思から…うーんまぁ鍛錬だね」
そう言ってから、シオリは苦笑する。
「って言っても、私はずっとSMGだから偉い事言えないんだけど、ライフルなんて最後に触ったのいつだっけ……」
一拍置いて。
「まぁいいや!さっ…早く寝なさい!」
「あ…うん…」
「ほらほらアズサちゃんも」
シオリはがっと二人の肩をつかみ、そのまま寝室の方へと体を押した。
「お姉ちゃんは寝ないの?」
「あ~そこの薬莢をかたずけないと」
親指を向けた床には5.56ミリ弾の空薬莢が散らばっていた。
滑って転ぶ者が現れる可能性があるので早急にかたずけないといけないだろう。加えて環境にも悪い。一日でどれだけの弾薬が消費され、どれほどの空薬莢がリサイクルに回されているかは…現実逃避に思えるが、考えないでおこう。
「……アズサ、アンタねぇ」
「撃たないより、撃ったほうがいい」
「はぁ…」
二人の背中を見守りながら、シオリは手紙に視線を落とす。
ぺりぺりと封をはがし、中からこれまた滑らかな触り心地の紙を取り出す。
真っ白ではなクリームっぽい。いかにもティーパーティーって感じだ。
うん。確かに私宛…ばっちし「下江シオリ」の名前がある。
「さてさて…茶会さんは何を送ってきたのさ。高級茶葉とかかな…?全て港に放り投げてやる…なんて。へへ」
折られた紙を開き、そこにある言葉を読む。
「…………?」
文字を追った瞬間、思考が止まる。
拝啓
平素より本学園の運営にご理解、そして秩序維持のご協力を賜り、誠にありがとうございます。
さて、現在実施中の合宿ならびに補習課程につき、貴女に対し、あらかじめ明確にお伝えしておくべき事項がございます。
本合宿において、補習授業部所属生徒の中から一人でも不合格者が生じた場合、当該部に所属する生徒は全員、退学処分となります。
無論、貴女も例外ではございません。
そもそも、補習授業部として集められた生徒とは、エデン条約締結までの過程において、障害となり得る存在を選別したものでございます。
集め、評価し、そして退学とする。
その意図につきましては、聡明な貴女であれば、ご理解いただけるものと存じます。
もっとも、下江シオリ殿、ならびに下江コハル殿の身元につきましては、正義実現委員会副委員長より保証の申し出がございました。その申し出を信用し、貴女方姉妹の学籍については、本件に限り保全するものといたします。
率直に申し上げます。
意図的に不合格となり、補習授業部の他の生徒を本学園より退学させることを期待しております。
貴女、もしくは妹君。いずれがその役割を担われるかは問いません。
その場合、貴女および妹君の学籍、ならびに今後の処遇については、確実に保証いたします。
本書面は交渉を目的としたものではございません。
あくまで、貴女に与えられた選択であることをご理解ください。
貴女の正義による、賢明かつ冷静な判断を、心より期待しております。
敬具
――ティーパーティー
追記
本書の内容につきましては、貴女がご一読された時点で、目的はすでに果たされております。
第三者の目に触れることは想定しておりません。
恐れ入りますが、本書は適切な方法にて、速やかにご処分くださいませ。
爆発や発火はしませんのでご安心を。
今年もよろしくです。