「そう言えば、どうやら近くのアクアリウムで『ゴールドマグロ』なる希少なお魚の一般公開が始まったらしいですね」
ハナコがふと思い出したように口にすると、補習授業部の空気がわずかに動いた。
「あ、私も聞きましたその話!確か『幻の魚』とか言われてるとか」
ヒフミはすぐに反応し、目を輝かせて身を乗り出す。
こういう話題への食いつきの良さは、もはや条件反射に近い。
「どうやら、とある漁船が近海でたまたま釣り上げたとか……?せっかくなので見に行きたいと思ったら……」
言葉を濁しつつ、ハナコはスマホを操作する。
そして、ほんの少しだけ気まずそうな表情を浮かべながら、ヒフミへ画面を差し出した。
「アクアリウムの入場料と、マグロの鑑賞料金が別々みたいで……」
「……これは……中々ですね」
ヒフミの声が、自然と一段低くなる。
裕福なトリニティの生徒向けに設定されたゼロの数。画面に並んだ数字は、確かに“希少”の名にふさわしい主張をしていた。
「そんな値段なの……?」
「はい……『モモフレンズタウン』のシリーズを全巻、最新BDで揃えられるぐらいには……」
「もう伝える気ないわよね、それ」
やけに深刻そうな表情で語るヒフミに、体育座りで膝を抱えながらコハルは淡々と突っ込んだ。
この幼顔の部長はペロロを必須科目か何かと勘違いしているらしい…多少は話を理解できる自分にちょっとは感謝して欲しいところだ。
「ゴールドマグロ……あぁ、確か委員会で、アクアリウムでの警護任務の志願者を募ってたっけ」
「あ、そう言えば友達がやるって言ってたかも」
「マグロに……海か。そう言えば、どちらもちゃんと見たことないな」
「そ、そうなんですか!?」
トリニティ自治区には有名なビーチがいくつもある。
おかげで他の自治区よりも、海への距離は近いはずだ。
――けれど、考えてみれば。
縁がなければ、本当に縁がないまま過ごすものなのだろう。
『是非、実際の海を見てほしい』
そう思う反面、それを口にするのは少しだけお節介な気もして、ヒフミは言葉を飲み込んだ。
「マグロは美味しいし、海は綺麗だよ~。まぁ私はサーモン派だし、泳げないけど」
「上げて落とすの上手ですね……」
ハナコは小さく肩をすくめた。
話題はそのまま、特に目的もなく転がっていく。魚の話から海の話へ、気づけば映画、キャラクター、ぬいぐるみの話へと移り変わっていた。補習授業部の雑談は、いつもこんな調子だ。
意味があるようで、別に何もない。それがなんとなく心地いい。
「……ってことで、ここら辺がモモフレンズ入門としていいかもしれませんね!あ、このドラマシリーズだけは注意してください、スピンオフ映画のスピンオフなので…!」
「なるほど。分かった、気をつける」
ヒフミは自信満々にスマホの画面をアズサに見せていた。心なしか、テスト勉強の時よりも食いつきが良いかもしれない…先ほどからずっと翼を揺らしている。
「スピンオフ系としては最高傑作じゃないかな?あの映画。まぁ『忍ペロ』と『ペロロジラ』系列をスピンオフとしてカウントするとランキングも変わると思うけど」
「忍系は完全スピンオフスタートでしたが、今じゃモモフレから独立してますし…あ、でも忍ペロの初期三部作はカウントした方がいいかもしれませんねぇ…あと、ペロロジラは一応原作シリーズ扱いです!」
「え?あれそうだったの!?毛色が違いすぎて…」
モモフレファン…というよりオタク二人の会話がどんどんヒートアップしていき、ついにはアズサを突き放して、ゾーンに入ってしまった。
その様子にコハルは眉間にしわを寄せ、露骨に顔をしかめた。
「二人とも…アズサが置いてけぼりになってるわよ。新規参入者には優しくしないと。はぁ…というかなんで、たかがぬいぐるみにこんな設定があるのよ……wikiが充実しすぎでしょ」
「最近は可愛いだけじゃダメなんだよ、コハル。確かに見た目は大事だよ?でもそれだけじゃ他に流れちゃう。なんだっけ…ブルーだかレッドだか忘れたけどオーシャンみたいなね?」
どこかハッキリしないが、シオリは淡々と、しかし妙に説得力のある口調で続ける。
「モモフレだけが持ってる“個性”を出すのが大事なの。共感を生んだり、考察がはかどったり……界隈が活発に動くことが大事なんだよ!ファンが動くと公式もしっかり応えてくれるからね。あ、wikiは読むだけで普通に一日溶けるとかあるよ。マジ更新してくれる人には感謝」
ヒフミは目をつむり、腕を組みながらうんうん深く頷く。
「シオリちゃんのような熱心なファン様のおかげで、グッズのラインナップが増えるんですよ…本当にありがたいです…頭があがりません」
「いやいや、ヒフミちゃんの方が貢献度的に上でしょうよ…!私、結構スルーするアイテムあるよ?特にコラボ系とか」
「そんな事ないですって!メインシリーズガチャの第三弾ありましたよね?私、あれのシークレット取り逃してますし……探してるんですけど、なかなか市場に出回ってなくてぇ…」
「あ、それならダブってるから、今度あげようか?しまってるだけじゃアレだし、ヒフミちゃんが持ってる方が良いよ」
「えぇ!?そんな………言い値で買います」
「お金取らないよ…?」
確かに界隈が活発にうごいてる…と呆れながらコハルは納得がちらりと周囲を見回した。
目を輝かせているアズサ、穏やかな表情で話を聞いている先生、そして――真剣な顔でペロロファンの二人を見つめているハナコ。
……真剣な顔のハナコ?
「え? 何。あんた、真面目にあの話聞いてたの?」
「えっ……あぁ……その……私もモモフレンズを知ろうかなぁ…と思いまして」
「ただでさえ変態なのに、それに加えて……あんなのを……?」
「コハルッ!ダメだよ、そんな酷いこと言っちゃ!」
「…ッ……あっ……その、ごめん、ハナコ……」
「うふふ。大丈夫ですよ」
柔らかく微笑むハナコに、コハルは気まずそうに、視線を逸らした。
さすがに、やってしまったと胸が痛んだらしい。それに、久しぶりにしっかりとシオリに怒られたため、少々ビクビクして涙目になっている。
そんな彼女の状態にシオリが気づいたのか、小さく微笑みながら、そっとコハルを自分の膝に座らせて、包み込むようにしながら頭を撫でた。
「もうコハル………ん?てか、ハナコちゃんもモモフレ興味あるの!?」
「え?あぁその……ヒフミちゃんもシオリちゃんも、アズサちゃんもコハルちゃんも、皆さんモモフレンズに熱心といいますか……」
「私は違うわよ!」
即座に否定するコハルをよそに、シオリはスマホを取り出した。
「コハル。この子の名前、分かる?」
画面に映っているのは、紺色の体に白いお腹、やけに胴の長い猫のキャラクターだった。
「え?『ウェーブキャット』でしょ。まだマシなやつ…」
「正解!」
「コハルちゃん、コハルちゃん!この方のお名前は分かりますか?」
次にヒフミが見せたのは、白い鳥のキャラクターだった。くちばしから舌がはみ出し、ウェスタンハットに鞭という出たち。
いわゆるペロロ…なのだが、いつも見るのと雰囲気が違い、売りのファンシーさが無い。
(やはりヒフミちゃんはペロロが好きなようですね……今のところ私も分かります。ウェーブキャットは確か枕が発売されていたはずです。この画像は、そういうコスプレ系のシリーズでしょうか)
「あぁ……『ヘンリー・ウォルトン・“インディアナ”・ペロロ・ジュニア』……あ、博士だっけ?」
(!?!?!?)
ハナコは目を瞬かせ、ヒフミのスマホとコハルの顔を交互に見比べる。
「正解です!!凄いですね!まさかフルネームで来るとは……!」
「お姉ちゃんにシリーズを全部見せられたから……」
「流石コハルだ!私は“ペロロ”であるとしか分からなかった!」
「こ、コハルちゃん…流石、シオリちゃんの妹さんですね」
アズサが目を輝かせ、翼を動かして賞賛する。
(コハルちゃんを私と同じ立場だと思っていた私が愚かでした…考えてみればです、あのお二人のトークに動揺を見せていない時点で、かなりの上澄み…相手を知っているからこそ嫌いと言える訳ですね…)
ハナコはささっと、スマホで先ほどのペロロを検索する。
出てきた情報によると『ペロロtheムービー』という大きなユニバースの中の『Indiana・Proro』というシリーズの主人公らしい。
素の状態にたった二つのアイテムを追加するだけで、そこまで変化があるとは思ってもいなかった。これは、ペロロ本人ではなくまた別人…いわゆる『スターシステム』で展開しているみたいだ。
一通り公式サイトは漁った気でいたが、それだけでは得れない情報がまだまだあるらしい。
やはり、映像媒体や書籍も目を通した方がいいのかもしれない。
「あぁもう…!二人に勘違いされるじゃない!」
コハルは深く息を吐き、俯いた。
もうだめだ、全員。
まぁ…姉もアズサも、えっちな情報で汚れるよりかは、モモフレに汚される方が断然マシかもしれない。
「勘違いって…何が?」
「い、言わせてもらうけど!こんな鳥なんか、別に好きじゃないし!」
「またまた〜『これ、続きないの?』とか言うくせに〜」
うりうり、とコハルを後ろから抱きしめて頭を撫でるシオリ。
ここまで嬉しくない、姉の抱擁があっただろうか。でもやっぱり心地良いのが悔しい。
「ストーリーに関心があるだけで、モモフレが好きな訳じゃない!」
「そういや、アズサちゃん体の調子はどう?」
ふとした雑談の延長のように、シオリが問いかける。
「?問題ないけど」
即答だった。淡々とした声色に、少しだけ眉をひそめてシオリは続ける。
「そっか。良かったよ、睡眠不足はガチで体調にクルからね、急に吐き気とかお腹にガスが溜まったりとかさ。ハナコちゃんが心配してたよ?」
「ハナコが?」
わずかに目を瞬かせたアズサに、ハナコが前へのり出て、いつもの柔らかな笑みを浮かべるが、眉は傾いており、心配が内から溢れている。
「アズサちゃんはもっとしっかり寝るべきですよ?」
「あぁ…朝はすまなかった。寝坊だなんて、普段は絶対ないのに…特に慣れない場所では…いや、もう違うかも」
言いかけて、アズサは小さく首を振った。
「とにかく、しっかりとベッドで毛布かぶってください。せっかくの最高級マットレスなんですから」
「あの時お姉ちゃんと一緒にいたのって見回りだったのね」
「まーた、トラップとか仕掛けてたんでしょ?」
シオリの疑いの目に、アズサは一瞬だけ言葉を詰まらせてから、素直に頷いた。
「うん…あ、心配はない!普通の生活で利用するような箇所には仕掛けてないから」
「なるほど…それならそれと言って欲しかったですが、わかりました。もう、心配してたんですから」
「ごめん…」
「まっ、アズサちゃんらしいねぇ」
場の空気が少し和らいだ、そのタイミングで、ヒフミがシオリの方をじっと見つめた。
「シオリちゃんは…もう少し休んでください」
「んえ」
気の抜けた声を出したシオリに、ヒフミは一度深呼吸してから、きっぱりと言い切る
「ハナコちゃんから聞きましたよ。シオリちゃんの体調が優れていないこと……決めました!今日から私たちが家事全般をしますので、休んでください!」
「いや、でも!」
「シオリちゃん?私たちは同い年ですよ?」
穏やかな声なのに、逃げ道が一切ない
「う…」
「……私、もう救護騎士団のベッドの上にいるお姉ちゃんなんか見たくないから…!」
さらに追い打ちをかけるように、コハルが涙目で上目遣いになり、震える声で続けた。
「……おっけ…」
ヒフミから放たれる圧倒的な重圧と、コハルの必殺の視線を同時に浴びては、さすがのシオリも短く肯定するしかなかった。
レース勝って喜ぶペロロ様も負けてブチギレるペロロ様好き。