よろしくお願いします。
「どうしたんすか、こんな場所で……って、その様子だと……」
イチカは言葉を途中で切り、シオリの姿をじっと見つめた。
頭のてっぺんから、煤に汚れたパーカー、擦り切れた袖口、そして靴先まで。
一通り視線を走らせると、小さく息を吐き、どこか面白そうに口元を緩める。
「うん。私たちも、美食研究会を追ってたんだよね」
「あー……なるほど。どうりで、ご自慢のパーカーがこんがり焦げてるわけっすねぇ」
イチカはシオリのパーカーの裾をつまみ、ひらりと持ち上げた。
弾丸との摩擦で焼け切れた繊維。ほころび、穿たれた穴。散々な有様だった。
ばさばさと布を揺らすと、中から潰れた弾丸が零れ落ち、乾いた金属音を立てて地面に散らばる。
「……こりゃまた」
軽く眉を上げ、イチカは顔を近づける。
「私は補習合宿中だって聞いてたんすけど?」
探るような声色。
下から覗き込むように見つめられ、普段は伏せがちなイチカの瞳が、街灯を反射してきらりと光った。
「い、いや……そうなんだけど……その……色々あって……」
シオリは視線を泳がせ、早口になる。
「町に出て……その途中でハスミ先輩に会って……たまたま美食研究会が……」
「あははっ!」
イチカは堪えきれず、声を上げて笑った。
「慌てすぎっすよ。別に怒ったり、どっかにちくったりなんてしないっすから」
肩をすくめる。
「ちょっと夜に抜け出そう、なんて誰でも考えることっすよ」
「あへへ……そっか」
肩の力が抜けたのか、シオリは照れたように笑った。
「それはそうと……」
イチカの視線が、シオリの背中へと移る。
コハルは恥ずかしそうに、頭を下げ顔を隠す。
「どうしたんすか? おんぶなんかして」
「あーね。追ってる途中で、足が痛くなったんだって」
「……シオリがバカみたいな速度出すからっすよ」
呆れた調子で言いながら、イチカはコハルを見る。
「ついてく側のことも、考えてほしいっすよね? コハルちゃん」
「あっ……はい……」
コハルは小さく頷き、シオリの肩をぎゅっと掴んだ。
「追うので、精一杯……ではありました……」
「ほら、言われてるっすよ」
「ごめーん……」
シオリは申し訳なさそうに眉を下げる。
「靴擦れっすか?」
「分からないです……なんか、足がジンジンして……」
「ローファーっすもんね。誰かと違って」
イチカは唇を噛み、シオリの足元に視線を落とした。
彼女が履いているのは、ミリタリーメーカー【カゼヤマ】製のコンバットスニーカー。
軍用品らしい耐久性を保ちつつ、学園生活にも溶け込むようデザインされた第三世代モデル。
正実の黒いセーラに合わせた、ブラックカラー。
「仕方ないじゃん! ローファー、きついんだもん!」
「みんなは、それを我慢して履いてるんすよ」
「一年生の時は履いてたよ?でも先輩たちのを見てると、変えてもいいのかな〜って思って……
変えたら何も言われなくて……パーカーも、最初はちょっとビクビクしてたけど、結局何もなくて……」
「万引きしてバレなくて、だんだん大胆になる悪ガキみたいな言い分っすね」
「……スミマセン」
シオリは素直に項垂れた。
その背中で、コハルはこっそりと息を吐く。
「まぁ、元気そうで良かったっすよ」
「うん。私も……イチカちゃんの顔、見れて嬉しいや」
二人が小さく頷き合った、その時。
イチカの赤いスマホが短く鳴った。
「ん、私っすね」
端末を耳に当てる。
「はい、イチカっす。……なるほど、思ったより早かったっすね。あぁ……委員長が……この後は……了解っす。お疲れ様です。おやすみなさい」
通話を切る。
「なに?」
「美研、確保されたっす。仕事は終わり。あとは『シャーレ』が引き継ぐらしいっすよ。政治的配慮っすかね」
「シャーレ……」
「連邦生徒会の、なんでも屋みたいな部署っす。大人の『先生』がやってるとか。確か、ハスミ先輩が会ってきたって」
「あー……その、さ」
シオリが、少し気まずそうに言葉を選ぶ。
「その『先生』の指揮下で、美食研究会を追ってたんだよね……私たち」
「……え?」
イチカは一瞬きょとんとする。
「引き継ぐってことは、そりゃトリニティにいる訳っすけど……なんで、シオリたちが?」
「えっと……」
コハルが眉を傾けながら、こたえた。
「先生は、私たちの補習をやってるんです…」
「…………」
一拍の沈黙。
「……わざわざ外部の人間を呼んで…っすか?補習だけでそれは大袈裟じゃ……」
言葉を切り、シオリを見る。
「……んん」
イチカが顎に手を当て、何か考え込むような仕草をした、その時だった。
背後から、聞き覚えのある声が飛んでくる。
「コハルちゃん、シオリちゃん! ここにいましたか!」
ぱっと振り返ると、夜道の向こうから補習授業部の面々が小走りで近づいてきていた。
その中に、先生の姿はない、聞いていた通り、仕事でゲヘナとの学境の方へと行ったのだろう。
「あ、ヒフミちゃん。終わったの?」
「はい。美食研究会は、先生がゲヘナ風紀委員会に引き渡すみたいで……先に帰ってて欲しいって言われました」
「あら?」
ハナコがにやりと笑い、シオリの背中にしがみつくコハルを見る。
「コハルちゃんったら〜。お姉ちゃんに甘えん坊ですか♡」
「うっさい! 足が痛くて、仕方なくだから!」
「足が痛いのか?」
アズサが一歩前に出て、コハルの様子をうかがう。
「……多分、靴擦れ……」
「それは……帰ったら診ないといけませんね」
「負傷兵の応急処置ならまかせて」
「えっと……」
突然増えた顔ぶれに、イチカが困惑気味に声を漏らす。
「あぁ、イチカちゃん。紹介するよ。この人たちが、補習授業部の友達!」
「あ、どうも!阿慈谷ヒフミです!」
「白洲アズサ」
「正義実現委員会の仲正イチカっす。シオリのペアで一緒に仕事してたっす。よろしくっす」
「あら?」
「あ」
イチカとハナコの視線が、ぴたりと噛み合った。
「……勘弁してほしいっす……」
「うふふ♡」
「え? 知り合い?」
「水着徘徊……」
「「あぁ……」」
短すぎるやり取りに、下江姉妹は同時に納得したような声を重ねた。
「あんた、どれだけ委員会に迷惑かけてるのよ!」
「シオリちゃんも仲正さんにも、それはそれはとても温かい対応をしていただきました♡」
「体をくねらせるな!顔を赤くするな!死刑!」
「あはは……」
「コハル……」
補習授業部がわいわいと騒ぐ中、イチカは表情に笑顔を貼り付けたまま、彼女たちを眺めていた。
(トリニティ一の才女と呼ばれた変質者に……ティーパーティーのお気に入り……それに、免罪とはいえウチの委員を数十人戦闘不能にした転校生……さらにシャーレの大人、か……)
胸の内で整理しながら、イチカは視線をシオリへ向ける。
(……そして、この姉妹…)
「あぁ、シオリ。この後ちょっと時間あるっすか? 色々話したいことがあって」
「えぇ? あー……その……」
「シオリちゃん、行ってください。コハルちゃんは私が預かりますから」
「な、なんでハナコ、あんたなのよ!?」
「シオリちゃんと、背の高さが一番近いのは私ですよ?」
「…結構、真っ当な理由…」
シオリはちらりとイチカの方を見た。その視線に気がついたのか、イチカはふっと笑みを返す。
「……分かった。お願いしてもいいかな」
「はい♡」
シオリはそっと、コハルをハナコの背中に託した。
(……意外と安定してるし……匂いも、まぁ良い…………なんか悔しい)
「先生には、私が言っておきますね!もし……」
「朝帰りになりそうな場合は、モモトークで連絡してください♡」
「あ、朝帰りって……えっ……でもイチカ先輩だし、大丈夫だと思うけど……一回、お姉ちゃんを押し倒してたし……」
「ハナコさんが何を考えてるのかは知らないっすけど……じゃあ、シオリを借りるっすね」
イチカは、さりげなくシオリの腰に手を回す。
「優しくしてあげてくださいよ?」
「あなたより付き合い長いんで、心配いらないっすよ」
ハナコの笑顔に、イチカも笑顔で応えた。
「じゃあまた後でね」
「はい。また後で!」
夜の街へと溶けていく二人の背中を、ハナコはじっと見送っていた。
その横から、アズサが静かに声をかける。
「ハナコ。どうした、そんなに見つめて」
アズサの問いかけに、ハナコはほんの一拍、言葉を置いた。
夜風に前髪が揺れ、いつもなら隠れている表情が、ほんのわずかだけ露わになる。
「……いえ。仲が良くて、素晴らしいな……と思いまして」
柔らかな声音。
だが、その視線はまだ、遠ざかる二人の背中を追っていた。
「すごい、安直な感想ね……」
コハルは腕に力をこめ、少しだけむっとした様子で言う。
「……イチカ先輩とお姉ちゃんが一緒に仕事し始めたのって、ほぼ二人が二年生になってからだったはずよ?期間短いのに、あの距離感は……流石、コミュ強同士って感じね」
(でもプライベートでも会う委員会の人は、イチカ先輩以外にいない感じもするし…思ってたより、友達は少ない……?お姉ちゃんの交友関係知らないかも…)
ハナコはそれを聞きながら、ふっと目を閉じた。
長いまつ毛が影を落とし、口元に小さな笑みが浮かぶ。
「さて、戻りましょうか。帰りに、何か甘いものでも買っていきましょう。アズサちゃんが選んでください」
「む!……そうだな」
アズサは顎に指を当て、真剣な表情で考え込む。
「何がいいだろうか……悩むな」
「それで…話って?委員会で何かあった…?」
「まぁまぁ。落ち着いて。別になんも無いっすよ。ただ単に、シオリと話したかっただけっす」
「……話したかっただけ?」
「そうだけど。なんすか~?いやだったっすか?」
「いやいや、そんな事ないよ!なんかさ、コハルの次くらいに一緒にいると安心するな~イチカちゃんの隣は」
「………ずるいっすね~」
「なにが?」
「別に~」
「はぁ…」
「あ、そうだ。シオリ、お腹空いてるっすか?私は空いてるっす」
「?まぁ、小腹は少し」
シオリの反応にイチカはにひりと笑った。
「いい店があるんすよ」
「やってるっすか~?」
暖簾をくぐると同時に、間延びした声が店内に転がった。
夜も更けた路地裏のラーメン屋は、カウンター数席と奥の小さなテーブルだけの、こぢんまりとした造りだ。
傭兵バイトの生徒数人が談笑しながら麺をすすり、仕事終わりの獣人サラリーマンが尻尾を揺らしながら丼を抱えている。
「おぉ。イチカの姉御か、らっしゃい」
寸胴鍋の前に立つオートマタの店主が、顔も上げずに笑った。
「誰が姉御っすか……はぁ、二人っす」
イチカはため息混じりに言い、親指で背後を示す。
「ど、どうも」
一歩遅れて入ってきたシオリは、少しだけ背筋を伸ばして会釈した。
個人店特有の距離感と、常連ばかりの空気に、どうにも落ち着かない。
人付き合いはそれなりにできるが、こういう“踏み込む系”の店は、正直あまり得意ではなかった。
「おぉ、見たことない顔だな。また別の後輩か?」
店主はようやく顔を上げ、シオリを一瞥する。
「違うっす、同期っすよ同期」
即座にイチカが突っ込む。
「最近、後輩連れてくるからそう見えるだけっす。今日はたまたまっすよ」
「へぇ……」
店主は面白そうに鼻を鳴らした。
「じゃあ今日は姉御じゃない日か」
「だから誰が姉御っすか!」
イチカは頭をかきながらカウンターに腰を下ろし、慣れた手つきで水を取る。
シオリもその隣に、出来るだけ、間を空けずに腰掛けた。
「……トリニティに、こんなお店があるなんて」
「元々は中央区に店を構えてたんだがな。『トリニティの景観にラーメン屋は合いませんわ』って言われて、こっちに追いやられた」
店主は淡々と言い、鍋をかき混ぜる。
「ありがたいことに、客はついてきてくれたが……まぁ、そういうことだ」
「いろいろ大変ですね……」
「昔話はこのくらいでいいだろ。注文は?」
「いつものっす。シオリは?」
「え、えっと……じゃあ、それで……」
「あいよ」
(“いつもの”って、本当に使われるんだ……)
創作物の中でしか見た事なかったセリフを聞けて、シオリは小さく感動した。
相当通っているのだろう。後輩を連れてくる、という話も頷ける。
というか、つくづくこの友人は後輩から人気だなと思う。少し羨ましい…が、そりゃそうだ。ちゃんと委員会にいる先輩に懐くのは当然と言える。
「大丈夫っすよ、豚骨っす」
「あぁ……おっけ」
鍋から立ち上る湯気が、店内いっぱいに広がる。
濃いスープの匂いに、自然と腹が鳴りそうになるのを必死でこらえながら、シオリはふと隣を見る。
(……こういう場所にも、自然に馴染むんだなぁ)
任務中とは違う、少し気の抜けた綺麗な横顔。
それでも、不思議と頼もしさは変わらない。
「何ぼーっとしてるんすか?」
「いや。意外だな、って」
「何がっすか?」
「こんなお店を知ってるの。家、近いの?」
イチカは一瞬だけ目を逸らし、髪を耳にかけ、ヘアピンの位置を調整しながら笑った。
「近いかって言われたら、まぁ近いっすけど。プライベートで見つけたわけじゃないっすよ」
「仕事中?」
「夜警の帰りって、無性に腹減るんすよ。でもコンビニは違うし、自炊も面倒で……そんな時に、悪魔的な出会いをしちゃった訳っす、隠れた名店っすよ」
「“隠れた”は余計だ」
ほどなくして、どどんと丼が二つ、カウンターに置かれる。
「お待ち」
「おぉ……豪華」
「いただきまーす」
二人同時に箸を割る。
そしてレンゲを手に取り、スープを一口すすると、濃厚な味が舌に広がった。
「……うま」
「でしょ」
満足げに頷いたイチカは、勢いよく麺を持ち上げ、口に運ぶ。噛み、ある程度のみこんだその時、横でシオリが慎重に一本、一本ずつ麺を箸で持ち上げている事に気づく。
「……え?」
シオリは小さく口を開け、ちゅる、と一本だけ吸い込む。
噛みしめるように、ゆっくり。
「……おいしい」
「……」
イチカは、箸を止めたまま固まった。
「……それ、一本ずつ行くタイプっすか?」
「え? あ、うん……口、小さいから……」
「いや、そういう問題じゃなくて……」
目の前では、再び一本だけ麺が吸い込まれる。
ちゅる。
そして、チャーシューにがぶりつ……かず、はむりと少しだけかじり、再びスープの海に浮かべる。
「……冷めないっすか?」
「大丈夫……たぶん……」
(いや、なんかランチもけっこう、ちびちび食うなとは思ってたけど、まさかここまでとは…)
「ゆっくりいくんすね」
「うん。急ぐと、よくむせるから」
「……なるほど」
(可愛いけど、見てると落ち着かないっすね……小動物…いや小鳥っすかね…)
そんなことを考え、いつでも友人の背中を叩ける準備をしつつ、イチカは再び麺をすすった。
イチカは純粋に優しい先輩…であって欲しい。わかりません。