【悲報】下江姉、エッチを知らない   作:スラバヤサトゥ

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お疲れ様です。よろしくお願いします。


消えた姉

耳元でけたたましく電子音が鳴り響く。

ぼやけた視界のまま、シオリは右手を伸ばし、枕元を手探りで探って元凶のスマホをつかみ、無言で止めた。

今回は自分でも優しく止めた方だと思う。妹のコハル曰く、部屋に入ったら、私のベッドから真反対の壁にスマホが刺さっていたこともあったらしい。

 

(……あと五分……いや十分……もう一時間ぐらい)

 

そう言わんばかりに毛布へ顔をうずめる。

 

――が、違和感。

 

唇に触れる毛布の柔らかさ。指先でつまんだときの毛並み。どちらも、私のベッドのモノでもない。ここ最近自分が合宿場で使っているものとも微妙に違う。

 

すん、と鼻を鳴らす。

洗剤とは別の、やわらかくて少し甘い匂いが入り込んできた。

 

落ち着く匂いだ。どこかで嗅いだことのある香り。

自分…ではない、コハル…でもない。誰だろう。

 

「……ん……?」

 

唸りながら、そろそろと毛布から顔を出す。

まぶたをこすり、重たい視界をこじ開けると――

 

見慣れない天井。

 

「……んあ……? ……!?」

 

一瞬で目が覚めた。

 

跳ね起き、きょろきょろと部屋を見回す。

整えられた室内。自分のものではない家具。

数秒遅れて記憶が追いつく。

 

――泊まったんだ。

 

どたどたと廊下を走り、勢いよく扉を開け放つ。

 

「イチ゛カちゃん!!!」

 

「ん? あぁ、起きたっすか? おはよーっす」

 

キッチンにはエプロン姿のイチカがいた。

手元のフライパンの上で卵がじゅわりと音を立てている。香ばしい匂いが部屋いっぱいに広がっていた。

 

「おはよう……! い、今何時!?」

 

「アラーム鳴らしてたのに、画面見てないんすか? 六時半っすよ」

 

「……ふぅ……良かった……。てか、そうだ……泊めてもらってたんだ……。ごめん、すぐ支度して出てくから!」

 

「まぁまぁ落ち着いて。朝ごはんぐらい食べてってよ」

 

「あ、うん……ごめん、ありがと」

 

シオリは胸に手を当てて深呼吸する。

まだ心臓がばくばくしている。

 

イチカはちらりと振り返り、じっとシオリの姿を観察するように目を開いた。

そして、ふっ…と鼻で笑う。

 

「……それにしても凄い格好っすね。ブラの紐はずれてるわ、翼は毛羽立ってるわ……パンツ見えそうっすよ」

 

「えぁッ!? ……うぅ……洗面所借りる……!」

 

慌てて裾を押さえ、翼をぱたぱた整えながら洗面所へ駆け込む。

 

「っす~。あるもの好きに使ってくれていいから」

 

「さんきゅ!」

 

スクランブルエッグを皿へふわりと移しながら、イチカは気楽に答えた。

が、ふと手を止める。

 

(めちゃくちゃガキっぽいパンツだったなぁ~)

 

 

 

「ん。イチカちゃん、醤油ある?」

 

「はい、これっす」

 

テーブル越しに小瓶を渡す。

 

「さんきゅ~」

 

シオリは遠慮なく、ぽたぽた、とスクランブルエッグに醤油を垂らした。

黄色の上に濃い色がじわりと広がる。

フォークですくい、そのままぱくり。

 

「んん……おいし」

 

次の瞬間には、トーストにかぶりついている。

サクッという音が小気味よく響き、バターの香りがふわりと立つ。

そして、コップ一杯の牛乳をぐいっと一気に飲み干した。

 

「……急ぎすぎじゃないっすか?」

 

イチカは呆れ半分、心配半分でその様子を眺める。

別にこの後すぐ任務だって訳でもないのに、逐一の行動が素早い。

 

「コハルが寂しがるからね~」

 

牛乳の口ひげをつけたまま言う。

 

「ふぅん。シスコンって本当に存在したんすねぇ」

 

「シス……なに? 悪役みたいな?」

 

シオリは首を傾げる。語感だけで判断している顔だ。そのまま何事もなかったようにレタスをフォークで5枚抜きにした。

 

「えっ……知らないんすか? えっと……あれっすよ、妹が好きすぎる姉って意味…まぁその逆もなんすけど…

 

「おぉ!」

 

ぱぁっと顔が明るくなる。

 

「私にピッタリだね!」

 

ふんす…と自慢げに胸を張るシオリを見て、イチカはこめかみに指を当てる。

 

「頭痛いっす」

 

「大丈夫?」

 

「誰のせいだと思ってるんすか」

 

「ん~私か」

 

悪びれもせず、シオリはトーストをもう一口かじる。

もきゅ、もきゅ、と小さな咀嚼音。

「うまい」と何度もつぶやいている。

 

「詰まらせないでよ?」

 

「分かってる分かってる。それに、早く戻ってあっちでの勉強の準備しないといけないしね」

 

イチカは頬杖をつきながら、その顔を眺める。

 

委員会でよく見る、軽くて、明るくて、少し抜けてる相方。

いつもの調子だ。起きたばっかりの彼女だけを見れば、通常より騒がしかった。

昨日、路上で声を震わせていた姿とは、まるで別人みたいだ。

 

(いつものシオリ……外面だけは…っすけど)

 

胸の奥に、ひっかかりが残る。

短パンのポケットの底。

太腿に触れる、硬い感触。

 

折りたたまれた一枚の紙。

 

昨夜――カバンからひらりと落ちた、あの手紙。

 

薄い生地越しでも、形ははっきりと分かる。

そこにあると分かっているだけで、重い。

 

『――ティーパーティー』

 

あの無機質な文面が、頭の中で反芻される。

 

集め、評価し、退学とする。

保証する。

選択だと、言い放つ。

 

選択?

 

どこがだ。

 

脅しだろ、あんなもの。いい感じの道具みたいに使いやがって。

 

さて、押入れの中のフルメタルジャケットの備蓄はどれほどだろうか。

いつか使うと思って中々捨てられなかった、威力過剰で発禁になった強装弾を消費するタイミングが来たのかもしれない。

誰が相手でも良い。喉元に銃口を突きつけて、ゼロ距離でフルオートをぶっ放してやる。

 

 

ぎゅ、と指先に力が入る。

 

 

「……イチカちゃん?」

 

「……あ、なんでもないっす」

 

慌てて視線を戻す。

 

シオリは怪訝そうに首を傾げるが、すぐに朝食へ意識を戻した。

フォークで卵を切り分ける、いつも通りの仕草。

 

イチカは迷う。

 

今、聞くべきか。

知らないふりをするべきか。

 

(“第三者の目に触れることは想定しておりません”……っすか)

 

見せるな、抱えろ、黙れ。

そう命じられて、律儀に従っていたのか。

 

……ありえる。

 

シオリがどんな思想で動いているか、全部は知らない。

けれど、ひとつだけ分かる。

 

コイツは、一人で抱える。

笑って、冗談を言って、平気な顔をして。――そして、限界まで自分を削る。

 

理由は?『姉だから』とか言うんだろうなって……ふざけるのも大概にしろ…って言葉はこういう時に使うのだろう。

 

胸の奥が、じわじわと熱くなる。

怒りか、焦りか、恐怖か。

多分、全部だ。

初めてできた、対等な友人だ。

 

守ってやる対象でも、庇う後輩でもない。

並んで立てる相手。気兼ねなく触れ合える大事な存在。

 

こんな、ふざけた文章ひとつで壊れてもらっては困る。

 

壊させない。

 

(聞くしかないっすよね)

 

逃がさない。

イチカはゆっくりと背筋を伸ばす。

呼吸を整える。

 

声が震えないように。

 

「……シオリ」

 

冗談も軽口もない。

呼ばれた瞬間、シオリの手が止まる。

フォークが皿に触れたまま、音を立てずに止まった。

 

「イチカちゃん?」

 

イチカの喉が、ひとつ鳴る。

ポケットから、折りたたまれた紙を取り出す。

そしてゆっくりと、隠していたものを、暴くみたいに、白い紙をテーブルの上に置いた。

 

 

「……何なんすか? コレ」

 

声は静かだった。

 

怒鳴らない。責めない。

けれど、逃げ場は与えない響き。

 

イチカの目は大きく開き、真正面からシオリを射抜いている。

シオリの喉が、小さく上下した。

 

「……どこで」

 

かすれた声。

ほんのわずかに、呼吸が浅い。

困ったような、少しだけ諦めたような、引きつった笑みを浮かべる。

 

「落ちてたっす。持ち歩いてたんすか?」

 

「……補習部の誰かに……見られたら、マズいから」

 

視線を逸らす。

 

「こんなの持ってたら……」

 

自嘲気味の笑い。

軽く言ったつもりなのだろう。

けれど、その指先は白くなるほど握られている。

 

「……意図的に不合格になれって書いてあったっすよね」

 

空気が止まる。

本当に、止まる。

シオリの笑みが、ほんの一瞬だけ固まった…しかし次の瞬間、また貼り付けたように戻る。

 

「しっかり……読んでるじゃん。書類は最後まで読むの大切だよね」

 

軽い口調で返す。

けれど、目は笑っていない。瞳が赤黒く濁っていく。

 

「退学って、何すか……?」

 

「……エデン条約がらみの話だよ」

 

小さく息を吐く。

 

「補習部の中に、不穏分子がいるらしい……条約締結の障害になる可能性がある、とかなんとか」

 

淡々と説明する声だ。まるで他人事みたいに。

 

「やっぱり、おかしいと思ったんすよ」

 

イチカは低く言う。

 

「ただの成績不振者の集まりにしては、大袈裟すぎるって。」

 

「……」

 

沈黙…重い。

こんなに気まずい空気になったのは初めてだ。

 

「他の誰かに話したんすか」

 

「話せる訳ないじゃん……!」

 

一瞬だけ、語尾が強くなるがすぐに弱まる。

 

「なんなら、イチカちゃんにも知られたくなかったし……」

 

その一言が、イチカの胸を刺す。

 

「じゃあ、どうする気だったんすか!」

 

声が、抑えきれずに上ずる。

シオリの肩がびくりと揺れる。

 

「分からないよ、そんなの!!!」

 

爆ぜた。

 

「コハルの未来を奪いたくないし……!」

 

息が乱れる。

 

「条約を壊そうとしてる人だとしても……一度仲良くなったみんなの人生を破壊するだなんて、できない!!!」

 

言葉が溢れ、ガタンと勢いよくシオリは立ち上がった。

 

「もちろん、私だって……私自身だって大事……!」

 

声が震える。

 

「わかんない……なんでこうなったのか……知らないよ……クソッ!!」

 

肩も翼も足も…全身が震えている。

貼り付けた笑顔は、もうどこにもない。

剥き出しの、迷いと恐怖。

 

シオリはテーブルの上で拳を握りながら「はぁ…はぁ…」と息を整える。

 

「ねぇ……イチカちゃん……」

 

かちかちと歯がぶつかる音が鳴る。

 

「私、学園に対して……何かしたかなぁ……私は、ただ普通に委員会活動をしてただけで…そ…そりゃあ戦闘で街に被害がでた事はあったけど…」

 

そこで声が途切れる。

 

「いや、シオリは絶対に悪くないっすよ!!」

 

即答だった。

迷いなく、強く。悪いだなんて事は絶対にない。絶対にだ。

 

テーブルが大きく揺れに揺れる。

シオリの目が大きく開かれる…………その肯定が、逆に決壊を早めたようだった。

 

「うぅ……」

 

唇を噛んで、視線を落とす。

次の瞬間、シオリはイチカの手から手紙を無理やり奪い取り、ラックに置いてあった愛銃と雑嚢を肩にかけ、玄関を目指す。

 

「私、もう行くよ……!泊めてくれてありがと…」

 

顔をかくし、逃げるように。

 

「ちょっと、まだ話は――」

 

イチカが手を伸ばす。

だが、届かない。

 

ついにシオリは振り向かなかった。

 

「ごめんっ…」

 

小さく、それだけ伝え、ドアノブに手をかける。

 

「今は……無理」

 

声は、もう泣きそうだった。

 

扉が開き、朝の光が差し込む。

そして――ばたん、と乾いた音を立てて、閉まった。

 

イチカの伸ばした手は、宙に浮いたまま。

ゆっくりと、拳に変わる。

 

「……クソっ…」

 

 

 

時計の針が十時を回った頃。

合宿所の教室には、いつもの朝とは比べものにならないほど重たい空気が沈んでいた。

 

身を寄せ合い、円を作るように集まった補習部の面々。

机の上の教材は開かれたまま。

誰も、ページをめくっていない。

 

その中心にいるのは――コハルだった。

 

「ど、どうしよう……お、お姉ちゃんが既読つけない……電話にも出ない……!」

 

震える指で、何度も発信ボタンを押す。

 

コール音。

 

無機質な電子音が、教室に虚しく響く。

 

切れる。

またかける。

メッセージを送る。

 

「……」

 

普段なら絶対に使わない、姉からギフトされたモモフレンズのスタンプを押してみる。

もしかしたら喰いついてくるかもしれない…そう思ったから。

 

しかし既読は、つかない。

 

「なんでよぉ……出てってば……ねぇ……お姉ちゃ……」

 

声が掠れる。

画面を握る小さな両手が、白くなるほど力んでいた。

 

「コハルちゃん。まずは落ち着きましょう。深呼吸です」

 

隣に座るハナコが、ゆっくりと背中を撫でる。

安心させるための、穏やかな手つきだった。

 

「えっと……あ! そうです、イチカさん……?でしたっけ? その方の家に泊まったんですよね?」

 

ヒフミが、ふと思い出したように声をあげた。

 

「連絡してみては……?」

 

コハルは無言で頷く。

震える指でモモトークを開きなおし、先輩の名前を探す。

登録している相手が少ないおかげで、すぐ見つける事ができた。

 

「イチカ先輩……イチカ先輩……」

 

打ち込む文字が、少しずつ滲む。

 

『姉が姿を見せないのですが、そちらにいますか?』

 

送信。

 

ぽん、と軽い音。それがやけに大きく響く。

コハルはスマホを胸元に抱え、画面を見つめたまま固まった。

 

既読。

 

その二文字を、待つ。

数秒。

数十秒。

やがて、通知が震えた。

 

『え。家を出てってからもう結構経ってるっすよ?』

 

コハルの呼吸が止まる。

 

続けて。

 

『そっちについてないんすか。多分一時間もあれば余裕な距離っすけど…』

 

教室の空気が、さらに冷える。

 

『こっちでも動いてみるっす』

 

その一文が、かろうじて救いだった。

 

「……いない、って……」

 

コハルの声が、小さく震える。

 

「逃亡兵か…」

 

ぽつり、アズサが言う。

悪意はなかった…がしかし、その言葉はこの場では鋭すぎた。

 

「お姉ちゃんは逃げない!」

 

コハルが顔を上げる。

涙で潤んだ目が、まっすぐに向く。

 

「絶対に……! ましてや勉強からだなんて……!」

 

教室が静まり返る。

 

「……ごめん」

 

小さな謝罪。

 

「ここに来る途中で何か……」

 

ヒフミが不安げに呟くが、すぐに自分の発言を否定する。

 

「いえ…シオリちゃんに限ってそんな事は……」

 

「無いとは言い切れません…」

 

(シオリちゃん…あなたは…)

 

ハナコの低い声。

現実的な一言が、希望を削る。

事故。

事件。

連れ去り。

言葉にしない想像が、空気を冷やす。

 

「探す……とは言っても、見当もつかないですね……」

 

合宿所周辺。

夜中に繰り出した、街中。

寄り道しそうな場所。

どれも、決定打にならない。

 

コハルは俯き、スマホを強く抱きしめる。

 

「お姉ちゃん……どこぉ……」

 

ぽつりと落ちた声は、幼い。

 

「みんな」

 

教室に、凛とした声が響いた。

一斉に顔が上がる。

 

先生だ。

 

いつもと変わらない落ち着いた表情。

だが、その目は真剣だった。

 

「連邦生徒会のアクセス権限を拝借して、シオリの位置をスマホのGPSから調べてみたよ」

 

タブレットを操作しながら放った一言に、補習部の空気が一瞬張り詰める。

 

「そ、そんな事が可能なんですか…!?」

 

「まぁね。厳密にいったらやっちゃいけない事なんだけど……前にもやってるから、一回も二回も変わらないよ。まぁ…シオリには申し訳ないんだけどね。あとリンちゃんにも…

 

「先生っ! いいから! はやくっ!!」

 

声が裏返る。

コハルは勢いよく立ち上がり、先生の元へ駆け寄った。

その衝撃で椅子が大きく軋み、後ろに倒れかける…が、咄嗟にアズサが片手でそれを押さえる。

 

「うん、落ち着いて」

 

先生は端末を操作しながら、静かに続ける。

 

「……えっと……この場所に覚えは、ある?」

 

コハルは画面を覗き込む。

地図上に示された、小さな光点。

見慣れた区画。

見慣れた通り。

指先が、震える。

 

「……家……だ」

 

その言葉に、教室の空気がわずかに揺れた。

 

一瞬の安堵。

胸に溜まっていた息が、誰からともなく零れる。

けれど同時に、別の感情が忍び込む。

 

どうして?

なぜ、家に?

連絡を絶ってまで?

 

「……帰った、だけ……?いやでも…」

 

ヒフミの声が、不安げに揺れる。

“だけ”と断定するには、あまりに状況が不自然だった。

 

コハルは唇を噛む。

 

「ごめん、皆……私……いったん帰る……」

 

振り返る。

目はまだ赤い。

けれど、その奥にあるのは焦りだけではない。

 

決意だ。

 

「なんで帰ったのか本人に聞く……けど」

 

言葉が詰まる。

指先が制服の裾をぎゅっと握る。

 

「けど?」

 

ハナコがやわらかく問い返す。

コハルは視線を泳がせたあと、もじもじと小さく言う。

 

「な、何があるか分からないから……ちょ、ちょっと一緒に来て欲しい……です……ごめん」

 

最後は、ほとんど消え入りそうな声だった。

頼ることに、慣れていない。

強がりが、まだ抜けきらない。

 

けれど――その場の全員が、迷わず頷いた。

 

「当然です」

 

ヒフミが胸に手を当てる。

 

「お友達ですから!」

 

「うふふ。点の位置が変な場所ではなくって良かったですね」

 

ハナコが軽く笑う。

空気を少しだけ和らげるための、いつもの調子だ。

 

「戦闘の可能性は?」

 

アズサがライフルに手をかけながら、静かに確認する。

 

「……ゼロじゃないわ」

 

コハルは、はっきりと答えると、アズサは無言で頷いた。

 

すると先生が一歩前に出る。

 

「ちょっとここからだと距離があるね……バスと電車を使って――」

 

「いや」

 

アズサが短く遮る。

全員の視線が向く。

 

「もっと良い方法がある」

 

「アズサちゃん?」

 

無言で、アズサはポケットから鍵を取り出した。

金属の小さな塊が、光を反射する。

それを、ヒフミの手のひらにぽんと乗せた。

 

「えっと……?」

 

「ガレージの車のキーだ。ヒフミ、運転を頼む」

 

「え……えぇ!!?

 

教室に響く素っ頓狂な声。

 

「車って……あのミニ?」

 

「うん」

 

アズサは淡々と頷く。

 

「ヒフミ。持ってるでしょ、免許」

 

「いやぁ持ってますけど!?」

 

思わず鍵を両手で握りしめるヒフミ。

顔が引きつっている。

 

「アズサちゃん、どこで鍵を……」

 

「車内……というか、上についてた日よけ? を開けたら落ちてきた」

 

「映画ですか!?」

 

「?」

 

アズサはヒフミの返しの内容を理解できていない様子だ。

 

「ヒフミッ……!」

 

コハルが一歩、ヒフミに近づく。

 

「っ……こ、コハルちゃん……」

 

「お願い……します」

 

上目遣いで懇願し、小さく頭を下げた。

 

「うぅぅぅ…」

 

ヒフミは思わず天井を仰ぐ。

 

一瞬だけ目を閉じる。

深呼吸。

心拍を整えるように、胸に手を当てる。

 

――大丈夫。

 

運転はできる。最近はやってなかったが…冷静に、落ち着いて。

 

(うん!)

 

そして、勢いよく鍵を掲げた。

 

「いきましょう!!アクセルベタ踏みです!」

 

「ヒフミ?」

 

すかさず先生が低く制止する。

 

「もっ…もちろん道交法は守りますけどね!!!」

 

言われて慌てて付け足す。

 

「途中でヴァルキューレにお世話にはなりたくないですからね…」

 

ハナコが頬に手を置きながら、困ったように呟いた。

 

「よし、じゃあ行こうか。家庭訪問だ」

 

全員が荷物を手に取る。

 

「…」

 

地図上の光点。

自分たちの家。

そこに、お姉ちゃんがいる…いるはずだ。

 

「……待ってて」

 




先生どこぉの姉版です。
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