【小説版】ヴァル・フ・ドルゴーム~チートスキル“仮面ライダー”とか異世界召喚3回目とかはどうでもよくて、俺みたいな陰キャでも勇者になれますか?~ 作:であであ
新緑の草原が、陽に照らされて輝く。深呼吸をすると、爽やかな空気が体中を駆け巡り、満ち満ちていくようだ。
勇也は今、異世界「ボーテミュイズン」の平原を歩いている。目の前には猫耳の生えた少女、猫獣人のバスティ。黒く細長い尻尾が上機嫌にくねくねと動いて、まるで勇也を導くかのよう。表情や話し方からそうは見えないが、尻尾の動きが今のバスティの機嫌を物語っている。
「そういえばアンタ、さっき誰とh―」
ふと振り返り、勇也に声をかけるバスティ。しかし、彼女の目に飛び込んだのは―
「家に帰りたい~っ!」
地面にうつ伏せで這いつくばり、ゴキブリよろしくカサカサと手足を高速移動させている勇也の姿だった。
「ベッドに寝転がってアニメ見たい~!モニターの無機質な明かりが恋しい~!自然光とか体が蒸発する~!」
先ほど、魔法による通信(らしきもの)でエルマに無理難題を押し付けられ、小心者の勇也の精神が崩壊してしまった。そんな無様な姿を見せられて、呆れない者などいない。バスティは、勇也の腕をグイと引っ張る。案外力任せに引っ張ってくるせいで、肩と肘の関節が逝きそうだ。
「ほら、立ちなさいよ!教会行くんでしょ!」
「うぅ……、ちょっと気が強めの獣人少女だ……」
勇也の中で、「獣人の少女は気が強い」と相場が決まっている。最近見たアニメでもそうだった。勇也の数少ないオタク友達に聞いても、十中八九首を縦に振ることだろう。その上で、「ありきたりだよね」と鼻で笑われそうだ。
渋々立ち上がる勇也。その目が潤んでいるのは精神崩壊か、それとも危うく関節が逝きかけた痛みか。しかし、勇也が立ち上がっても尚腕を強く握っているバスティを見て、勇也はハッとする。生まれて初めて、女の子に体を触ってもらえた。これが所謂、ボディタッチというものだ。しかも相手は、美人な猫獣人ときた。友人に教えたら、羨望と嫉妬が入り混じったドス黒い鼻血を吹きだして卒倒すること間違いなし。当の勇也とて、正常ではいられない。鼻息を荒くして、ともすれば飛びついてしまいそうな様相で手をワキワキさせている。
「もしかして、君がメインヒロイン……?」
「何言ってるのか分からないけど、余計な期待はしないことね」
軽蔑の視線でバスティは言う。どうやら、勇也の勘違いだったようだ。
時間は少し経って、ズンズンと歩を進めるバスティ。その後ろを、トボトボと着いて行くだけの勇也。蹲るほどではないが、まだ勇也のメンタルは回復していない。そのせいか、二人の距離は段々と開いていく。
「バ、バスティちゃん……?バスティさん……、はエルマちゃん……?エルマさんって知ってますか……?」
遠慮がちに、肩を竦めながら勇也は言う。エルマの得体は知れないが、彼女なら同郷のよしみで何か知っているかもしれないと思った。それか、この開いた距離をどうにか縮めるため彼女の足止めをしたかったのだろう。
ジッと見つめてくるバスティ、その表情が何を考えてのものなのか分からない。
「バ、バスティちゃんさん……?」
再び名前を呼ぶと、今度は伏し目がちになった。何か気に障るようなことを言ってしまっただろうかと勇也は杞憂する。彼は、そういうことを逐一気にしてしまう人間なのだ。
「……そんなに言い淀むなら呼び捨てでいいわよ。それと、敬語は禁止。余所余所しいの好きじゃないのよね」
しかし、バスティが気にしていたのはそうではなかったようだ。「ちゃん」と「さん」、敬称を継承させたまま、あえて勇也はバスティをそう呼んでいた。同時に、この世界にも敬称の概念があるのだと気付く。
「あ、う、うん……、そのつもり、だったんだけど俺も、その……」
「なによ?」
腰に手を当て、呆れ気味のバスティ。それに、勇也はボソボソと―
「せ、正式に許可を貰わないと、不快感を与えてしまうかな~と……」
「考え過ぎよ」
しかし、もう一度言うが勇也はそういうことを気にしてしまう人間なのだ。自分がしたことによって、相手の気分を害していないか不安になる。反対に、相手の言い方に少しでも棘があると、自分に非があったのではないかと落ち込む。これが正常ではないということを勇也は知りつつも、それでもやめられない。そういう意味で、どうやらバスティは健全側の人物だった。
「で、そのエルマって人は何族なの?」
改めて、バスティが問うてくる。ということは、勇也の読みは外れ、バスティは彼女を知らないようだ。勇也は、先ほどの会話を思い出して悩ましげに言う。
「エルフ族って言ってた。神官をやってるって」
「エルフで神官……?」
勇也の言葉に、バスティは微かに眉を顰めた。しかしその微細な変化に、当の勇也は気づかない。
「それでアンタは、この世界に召喚?されてきたってことね」
「そうそう。って、そんな簡単に受け入れられないんだけど……」
口にされると、現状が改めて現実味を帯びてきて勇也は肩を落とす。事故って異世界転移など、テンプレートが過ぎるだろう。しかしテンプレートにもほどがあるにも関わらず、「テンプレートすぎだろ」なんて文句を垂れるほどの余裕は、それが自分事となった瞬間に霧散する。何の夢か、冗談か。冗談であってくれ。いや、冗談でトラックに轢かれてたまるか。
「アタシだって、異世界人と会ったのはこれが初めてよ。でも、いくつか伝承は聞いたりしてるから、本当だったんだ~って感じね」
「にしては、小慣れてる感じだけど……」
初めて勇也に遭遇したバスティは、特別驚いた様子もなく、かといって物珍しそうに繁々と見つめてくる様子もなかった。勇也の世界で言えば、歴史上の人物がいきなり現代にやって来るようなものだろうか。自分だったら、驚きのあまり二度見をかました後にそそくさと逃げ出すな、と勇也は思う。だったらこの反応はバスティの性格故なのか、それともこの世界には他にも勇也と同じような存在がいるのか。考えたところで、憶測の域を出ないのだが。
すると、これまでより心なしか明るい声音を宿したバスティの声が聞こえる。
「ねぇ、アンタがいた世界ってどんななの?アタシ、気になるわ」
先ほどまで勇也を見ていた冷ややかな視線とは打って変わって、その瞳はいくらか期待の光を宿しているように見える。その期待に応えようとして、勇也は自分がこれまでいた世界を追憶する。
「俺がいた世界……」
追憶して、思わず復唱してしまった。それは、あまり良い思い出に恵まれなかったからに他ならない。光の差さない、暗くジメッとした自室は物で散乱している。だが明るければよいというものでもなく、強い日差しは日々デジタルデバイスで眼球を酷使している勇也には刺激が強すぎる。また、クラスの一軍たちが放つ陽キャの光は、勇也のなけなしのプライドを浄化しにかかる。唯一それを回復できる場所と言えば、オタクの群生地たる名ばかりの生物部室だ。ここもまた、薄暗くてジメッとしている。到底、バスティの期待には応えられそうになかった。
「ま、まぁ……、いいとこだったんじゃない……?うん……、ははっ」
「何で目が泳いでるのよ?」
さすがは獣人、洞察力は勇也が極力抑えた瞳の揺らぎを逃さない。そして、かつての世界を思い出し、改めて勇也は深いため息をつく。客観的に見れば、光の裏に隠れた影に満ちた世界。だが勇也にとっては、居心地のよい場所だった。
「ったく、情けないわねぇ」
肩を落とす勇也に、バスティは溜息交じりに呆れて言う。
「そんなアンタに、いいもん見せてあげるわよ」
「……秋葉原の駅前とか?」
「何言ってんのかわかんないけど」
ふと、バスティを見やる勇也。彼女は腰に手を当てながら、勇也ではなく正面を見据えている。その横顔は強気ながらも朗らかであり、深緑の瞳は光をたたえている。バスティの言葉に釣られ、勇也も彼女と同じ方向を向く。刹那、眼前の光景に瞠目し、勇也の表情にパッと華が咲く。
遥か先まで続く新緑の平原は、これまで勇也とバスティが歩いてきた道だ。大きな湖と聳える山々―崖上で見たのと同じだが、いつ見ても新鮮に美しい。そして、絶対的に異なるのは中央に聳える樹木だ。天を貫き、樹幹と思われる部分は遥か雲の上の上で、その姿は見えない。いつまでも色褪せることのない興奮をもたらしてくれる光景に、勇也は思わず息を飲む。
この世界に来てから落胆を包み隠すことなく曝け出している勇也だが、彼とて異世界に憧れがないわけではない。勇也は知っていた―広大な異世界を冒険して、道中で出会った仲間との絆を深めて、その帰結として勝ち取る勝利の喜びを。あくまでゲームの世界の話だったが、そのゲームこそ勇也がファンタジーの世界に足を踏み入れる要因だった。そしてその喜びを、今度は画面越しではなく自らの身を以って体験することが出来るとすれば、これほど望むことはない。
「……エルフって、耳長いんだよな」
沸々と、胸の奥から興奮が湧いてくる。
「美人が多いっていうし」
「まぁ、そうかしらね」
小さな声だが、そこには確かに熱い何かが宿っていて。
「獣人って、まんま獣に変身できるんだよな!?」
気づけば、羨望の眼差しをグイとバスティに近づけていた。今、勇也の一番身近にいる“歩くファンタジー”と言えば彼女である。そんなことを知る由もないバスティは、しかし勇也が放つ羨望の光の眩しさに目を覆いたくなる。
「そ、そういうのもいるわよ!アタシは出来ないけどぉ!」
「よし、教会に向かおう!今すぐ向かおう!大冒険が、俺を待ってる予感がする!否、待っているぅ!」
先ほどまでの落ち込みはどこへやら。拳を天に突き上げ、上機嫌に鼻息は荒く、勇也は異世界の平原を突き進んでいく。
「ったく、調子いいんだから……」
仕方ないと言うように嘆息したバスティも、そんな彼の後ろを着いていくのだった。
*****
「これが、教会……」
平原を道なりに進んだ先で見つけたそれを見上げ、勇也は思わず呟く。
「えぇ、間違いないわ。にしても、しばらく見ない間に随分とまぁ」
切り立つ崖の傍らに、ポツンと佇む石造りの小ぶりな建造物。その大部分は苔に覆われており、壁面が崩れたのか地面には大小さまざまな瓦礫が散乱している。退廃的で不気味な印象は、爽やかな平原の緑に囲まれていても不思議と変わらない。遠目に見れば、ここだけが一点の強い違和感として目が離せなくなるだろう。
同じく見上げるバスティは、可もなく不可もなくと言った表情で教会に足を踏み入れる。
聖堂内の有様は、教会を外から見た時に思い描くイメージと、良くも悪くも何ら遜色なかった。かつては整然と並んでいたであろう座席は、ボロボロに朽ち果て倒れている。最奥には祭壇らしきものがあるが、そこに続くカーペットは色褪せ鮮やかさは感じられず、大半が擦り切れている。まさに「廃墟」という言葉がぴったりにそこに、勇也は思わず身を縮こませる。
「なんか……、出そう」
なんか、とは当然幽霊などの類のものである。話題にするほど霊感が強いわけではなく、むしろ枕元に立たれていても気づかないくらい鈍感まである勇也だが、それらしい雰囲気を醸し出す場所に対しては、それなりに怖がったりする。
そして、直接言葉にはしなくても、勇也の言いたいことはバスティにも伝わったようで―
「大丈夫よ。そんな噂、一度も―」
―えぇぇん。えぇぇん。
バスティの言葉を遮り、何かの声が聖堂内に大きく反響する。どうやら、子供の泣き声のようだ。
―えぇぇん。えぇぇん。
「な、何……!?」
「ビビり過ぎよ。ただの子供じゃない」
大袈裟に肩を震わせる勇也に、鼻を鳴らすバスティは至って冷静だ。そして、傍らの座席の足元を覗き込むと、その声の主はいた。
一人の少年だ。小さく蹲り、肩を震わせて泣いている。蹲っているから、顔は見えないが。そんな少年に、バスティはそっと手を伸ばす。表情こそ興味なさげだが、恐らく面倒見がよいのであろうことは行動からわかる。
「いた。アンタ、こんなところで何し―」
しかし、少年の肩に触れたバスティの手が―スッと糸を引いた。粘度のある青いそれは、到底その少年から出たものとは思えない。眉を顰めるバスティ。
瞬間、少年の体がドロッと崩れる。液状になった少年が、バスティに飛び掛かる。それを、寸でのところで身を翻して避けるバスティ。猫獣人の反射神経は折り紙付きのようだ。
「バスティ、やりすぎだよ!」
「アタシじゃないわよ!」
助けるどころか近づこうともしなかった勇也の身勝手な非難に、バスティは牙を剥く。それから、改めて自分を襲った何者かの存在を見やる。濁った青色、湿った音を立てて地面を弾むその様は、弾力と粘度がある証左だ。
「モンスターだったのね……」
「もしかして……、スライム?」
呟くバスティに、勇也も心当たりを口にする。その姿を見れば、結論を出すのは誰にだって難しくないだろう。
「えぇ。子供に化けてたんだわ」
「や、やっぱり初エンカはスライムって相場が決まってるんだ。流石の俺でも、あのくらいなら―」
「油断しないで」
「え?」
スライムと言えば、冒険の最序盤で経験値稼ぎに利用されるザコモンスターだ。マリオシリーズで言えば、1―1のクリボーに匹敵するザコ中のザコ。弱者故に弱い者虐めはしない主義の勇也だが、それくらいなら自分にもと微かに震える足で高をくくる。しかし、バスティから返ってきた言葉は予想外だった。
「スライムは触れた相手を取り込んで、その姿に化けることが出来るの」
「え、何それ聞いてない」
思わず、食い気味に反応してしまう。これまで勇也が画面上で遭遇してきたスライムには、そんな奇妙な特性は備わっていなかったはずだ。
「この世界では常識よ」
「……ってことは、さっきの少年の姿は」
バスティの真剣な表情に、勇也は思わず嫌な想像をしてしまう。きっと少年は、今日という日に自分が死ぬことなど微塵も考えたことはなかったはずだ。いつものように家を駆け足で出た少年は、遊び場にしているこの教会へと足を運んだ。だがしばらくして、そこにたまたまスライムが現れた。少年は、「スライムを見つけたら逃げるのよ」という母親の言いつけを守り、ちょっかいも出さずに逃げ出した。しかし、その足の速さをスライムが上回ってしまった。頭から飲み込まれた少年は、呼吸可能な穴をその粘度で押さえつけられる。目から、鼻から、口から、耳から―穴という穴からドロドロとした液状の何かが侵入し、少年の体内を蠢き犯す。水に溺れるよりも悍ましい最期に、果たして少年の心は何を思ったのだろう。いや、何かを思う暇など与えられなかったのかもしれない。やがて体内からドロドロに分解された少年は、スライムの一部となった。
「さっきアタシが触った時に取り込まれなかったのも奇跡みたいなものよ」
それは、猫獣人が持つ類稀なる瞬発力という祝福のなせる技だ。それが勇也であれば、一歩逃げ出す間もなく分解&スライムの中で第二の人生が始まることになっていたに違いない。そう考えると、背中に嫌な汗が滲んでくる。
しかし、ここで逃げ出すわけにはいかない。例え、恐ろしく予想だにしない特性を持っていたとしても、そこで諦める勇也ではないのだ。1―1のクリボーに躓くようなヘマは、勇也はしない。故に勇也は、眼前のモンスターに一念発起―
「今まで葬ってきたスライムは数知れず。歴戦の勇者ゆえ、この戦いは君に任せよう、バスティ!」
―できなかった。
威勢の良い表情が出来ているのは、座席の裏に隠れているからだ。ガタガタとバイブレーションを刻む勇也の体。その振動で、朽ち果てた座席にトドメを刺しそうになっている。1―1のクリボーを相手に、あと一歩近く勇気が足りなかった。いや、1―1のクリボーよりは間違いなく強いだろう。であれば、これが冒険の最序盤であれ逃げるのは仕方のないこと。むしろこれは逃げではなく、戦略的撤退だ。などと、勇也の心の中に言い訳が渦巻く。
「逃げるの早っ!」
至極当然のツッコミを入れるバスティに、スライムが飛びついてくる。一瞬でも接触すれば取り込まれるサドンデス勝負。驚異的な瞬発力を有するバスティには、スライムの飛びつきを躱すことなど造作もないだろう。実際、素人の勇也でさえもその姿を目で追うことが出来ている。しかしそんな光景とは対照的に、バスティの表情はどこか深刻だ。
「格闘専門のアタシとは、相性最悪なのよ!避けるのは簡単だけど、このままじゃ勝つことも出来ないわ!」
「じゃあ、相性がいいのは遠距離攻撃……」
「えぇ、魔法とかね。物理攻撃だと、それも取り込まれるわ」
避けながら会話をするバスティからは余裕を感じるが、格闘技を主体とする彼女にはスライムを攻撃する手立てがない。それ即ち、バスティはスライムに勝つことが出来ないということだ。避けることならできるが、それも永遠とは続かないだろう。唯一の有効手段は魔法だが、勇也はもちろんのこと、それを使う素振りを見せないバスティもその力を有していないことが分かる。
ここで、勇也は今更ながらふと思う。
―俺に与えられたチート能力ってなんだ?
数多ある異世界転生物作品の中で、転生された者たちは須らく何かしらのチート能力という祝福を与えられてるはずだ。死んだら時を戻す能力然り、転生者を現代に戻す文豪の力然り。しかし、勇也はそれが自分に与えられた心当たりはない。そして、彼にとって危機的状況にある今、それが実際に発現する兆しもない。これまで勇也がしてきたことと言えば、突然の異世界転移という壮大な外出にメンタルが砕かれ、ツンデレ猫獣人の背中を、地面に這いつくばるゴキブリよろしく追いかけて来たくらいだ。おまけに今は、ザコモンスター相手に座席を盾にして啖呵を切ったばかり。いじめっ子に立ち向かう勇気も、クラスの空気に歯向かう気概も、女子とのコミュニケーションもまともに取れない勇也に、目の前のザコモンスターを倒すことなど到底不可能だ。であれば、この先もずっと異界の地を這っていればいいのか?実際に行動に移していないだけで、元の世界での生き方とそう遜色ないかもしれないが。“異界の”と付くだけで、その地面が幾分かマシなものに思えてくる。その内、この世界で初めて観測されたゴキブリとして新たな名前を得るかもしれないし、あるかもわからない昆虫博物館に寄贈されるかも―
「危ないっ!」
頭に虫が湧きそうなほど懊悩する勇也に、バスティから鋭い声が届く。ふと意識を取り戻し、眼前にスライムが飛び掛かってきていることに気付いた時にはもう遅い。勇也という弱肉を貪らんとして、スライムが大口を開けている。勇也は、この感覚に心当たりがあった。まるで、数時間前にトラックと相対した時のような気分だ。
何だったんだ?何のための、異世界転移だったんだ?バスティに見せてもらった雄大な景色を前に心を躍らせ、あまつさえ自分の中に眠る勇者の可能性さえ見出したというのに。これほど呆気ない最期を迎えるなら、何故神は自分を異世界に召喚し給うたのか?これでは本当に、地面でカサカサ―
「『ヴズリーブ』!」
透き通る声が聖堂内に響いたと感じた時には、勇也の眼前にはスライムがいなくなっていた。それはグジグジに砕け、勇也の足元に散らばり今尚小さな火を上げている。
「魔法……!」
唖然とする勇也と、その光景に心当たりがあるバスティ。その時、聖堂内にコツコツと足音が反響する。
「お待ちしておりました、儚田勇也様」
「だ、誰……?」
声の方向に振り向いた勇也は、それを見て微かに瞠目した。黄金の刺繍が施されたミトラと、白いローブが風にはためく。雪の如く純白で艶やかな手が持っているのは、持ち主の背丈より長い木製の棒。先端は疑問符の記号のように湾曲し、その中心にはこれまたどういう原理か分からないが、純紅の珠が浮遊している。腰まで垂れる金糸の髪は、廃墟然とした聖堂内を照らすかの如く。そして何より勇也の目を惹いたのは、彼女の頭の左右から生えている長く尖った耳だ。優し気に細められた目でエルフ耳の少女は上品に微笑み、その喉から鈴の音を奏でる。
「神官、エルフ族のエルマと申します。貴方様を、召喚させていただきました」