【安価・ダイス】ワイ、キャスバルに転生してしまう 作:むにゃ枕
01.離別
人々の怒号と叫び声。見たことのない緊張した表情を浮かべる母。幼い自分と兄を囲んでいる大人たちの卑しさ。それをセイラ・マスは生涯忘れないだろう。
父、ジオン・ズム・ダイクンは稀代の思想家だった。しかし、幼いアルテイシアにとっては、単に家に帰ってきては彼女を困らせるおじさんでしかなかった。
酒の臭いをプンプンさせ、無精ヒゲをアルテイシアの柔らかい頬に当ててくるだけの男。幼い彼女は、薄っすら父を嫌っていた。
そんなアルテイシアと違って兄は聡明だった。酒の臭いを漂わせる父に眉を顰めるものの、上手く父をあしらっていた。
「アルテイシア。お父さんはいつも難しいことを考えているんだ。どうすれば良いか分からないんだよ……」
「おとうさま、おさけくさい。おかあさまがいい」
「そうか。悲しいなぁ。愛しているぞアルテイシア」
「いや。おとうさまあっちにいって」
酔った父は、常に悲観的だった。乱暴な愛情表現は、アルテイシアにとって理解できないものだった。それも有って彼女は父に懐かなかった。母と兄と猫のルシファ。それだけが、幼いアルテイシアの小さな世界の住人であった。
それだけで完結していた小さな世界は、父が死んだことで壊れてしまった。棺に横たわった父を見ても、アルテイシアは幼さゆえに何も感じなかった。
喪服を着せられ、厳かな場に連れられる。単に窮屈でストレスだ。葬儀という儀式の意味も幼いアルテイシアには分からない。
普段とは違う場に、彼女は泣き出していた。参列者はそんなアルテイシアの様子を見てヒソヒソと陰口を叩く。
その空気に当てられ、アルテイシアは泣き止むことが出来なかった。
「アルテイシア。大丈夫だ。お兄ちゃんもお母様もいる」
「……うん」
兄は、アルテイシアを抱擁しながら優しくその頭を撫でた。兄の喪服が台無しになることも構わずにアルテイシアはその胸に縋り付いた。彼女の世界は文字通り張り裂けそうだった。
サスロ・ザビが爆殺され、ムンゾの街は騒然としていた。連邦に対するデモ活動に端を生じた暴動は、収拾が取れなくなり略奪へと変わっていった。
ギレン・ザビは、この暴徒を上手くコントロールしていた。その怒りの矛先をダイクン派に向けたのだ。
ダイクン派の筆頭であったラル家。その邸内にアルテイシアはいた。頼れる兄と大好きな母親がいれば、アルテイシアはどこに居ても良かった。
「貴方方のお父様はザビ家に殺されたのです!!」
「ジンバさん、そんな話を妹の前でしないでください」
うるさく怒鳴る老人に、アルテイシアは怯えていた。それを見たキャスバルが、ジンバを睨みつける。
「キャスバル様、これは真実なのです。貴方方は真実を知らなければならない! それがダイクン家の遺児たる貴方方の使命なのです」
「ジンバさん。僕は妹を怖がらせたくない。少し静かにしてもらえませんか?」
一触即発という空気が漂う。老人と子供だ。体格差は大きい。争いになればジンバの方が勝つのは明白だった。
「父さん。アルテイシア様が怖がっているのは本当だ。喧嘩はよしてくれ」
「む。そうだな」
「キャスバル様もそれで良いかな?」
「ああ。構わない。ありがとう。助かったよ」
ジンバの息子ランバが双方を宥め、この諍いはそれ以上にはならなかった。しかし、キャスバルは明らかにジンバ・ラルという人物に見切りを付けたようだった。
キャスバルは、ジンバや他の人物の目を気にしながらランバに紙片を渡した。そこには日付と場所だけが記されていた。キャスバルは、ランバに余人を交えず会いたいというメッセージだった。
ラル邸の奥まった部屋。今は物置となっている場所で2人は会っていた。
「待っていたランバ。端的に話そう。今の状況はかなり不味い。僕は良いからアルテイシアだけでも逃げられないのか?」
「手は尽くします」
「そうか。ありがとう。妹を頼む」
キャスバルが空けられる時間はそれほど長くない。会話は短いものとなった。
それでも、アルテイシアの身を自分よりも重く見ているキャスバルの姿に、ランバは思わず身を固くした。ランバは、部下の伝手を使い、彼らを逃がす算段を付けることを決めた。
ランバが計画のために、ラル邸を離れていた時に事件は起こった。キシリア・ザビがラル邸に襲来したのだ。ジンバにこの事態を打開する能力はない。
おどおどする老人を他所に、キャスバルは混乱に乗じ邸内から抜け出していた。そして、キシリアの車に潜り込もうとする。上手く護衛の隙を付き、車内に入ったまでは良かった。
「なんだ坊主?? 物盗りって感じじゃあねぇな……あ、お前はキャスバルか!?」
車内でキシリアの留守を守っていた男が、キャスバルを捕らえた。男は、キャスバルを丁重に扱った。しかし、決して逃すようなことはしなかった。
キャスバルは、そのままキシリアのもとへ連れていかれていく。
「これはこれは。とんだ悪戯坊やですね。キャスバル様」
「貴方がサスロにやったことを、してやったまでですよ」
ツカツカとキャスバルはキシリアに歩み寄った。そして、おもむろにその胸を揉んだ。
「そんな格好をして、男の中に混じりたいのか? 兄へのコンプレックスに歪んでも、所詮は女だ」
そう言い捨てたキャスバルに、ラル家の家令は元よりキシリアさえ、唖然とした。
「なんだ、何も言えないのか?」
「き、貴様ッ」
遅れて怒りのやってきたキシリアが、スナップを利かせた平手を打った。しかし、それはキャスバルの頬を掠めただけだった。
「言葉ではなく、暴力と。ザビ家は野蛮だな」
「お前がそれを言うかァ!!」
キシリアの平手がキャスバルの頬を甲高く打ち据えた。キャスバルは、一瞬顔を顰めたがそれだけだった。そして、そのまま家令に扉を開けさせ、部屋をあとにした。
キシリアは、キャスバルに対する苛立ちを抑えられなかった。
キシリアが去ったあとのラル邸で、キャスバルはランバと密会をしていた。密会と言っても、些細なものだ。ラル家の人間は烏合の衆であり、キャスバルが信頼できるのは、ランバの他にはいなかった。
「ランバ。ザビ家の手が早い。まだ手筈は整わないのか?」
「申し訳ありませんキャスバル様。まだしばらく掛かります」
「そうか。落胆しても仕方ないな。ランバ、お前は良くやっている」
「勿体なきお言葉。ベストを尽くします」
ランバ・ラルの脱出工作は、まだ途上だった。ザビ家の手は、思ったより長く、動きも早かった。
アルテイシアとキャスバル、そしてアストライアは、ジオン・ズム・ダイクンの正妻であるローゼルシアの元へと移されることとなった。
アストライアは塔に軟禁されることとなっていた。理由は、ローゼルシアの嫉妬である。
かねてからランバと通じていたキャスバルは、脱出のタイミングを悟っていた。
連邦軍部隊を買収したクラウレ・ハモンがアルテイシアとキャスバルを迎えに来る。偽装だったが、それは用をなした。
「貴方がハモンさん?」
「ええ。えらく呑み込みが良いのね」
「そうでなきゃダイクンの息子なんて、やってませんよ」
「あら。そう」
ガンタンクの正規乗員だった連邦兵は、縄で縛り付けられ転がっていた。ガンタンクを操縦するのはランバの部下だ。
「クランプ。貴方、優秀なのね」
「そりゃあ大尉に扱かれてますからね」
クランプの動かすガンタンクは、スルスルと街並みを抜けていった。連邦軍の車両はダイクン派により妨害され、ガンタンクを邪魔することが出来なかった。
目的地に到着すると、ハモンはラルに2人を渡した。
「お早いおつきで」
「クランプさんが優秀だったのよ」
「そりゃあ良かった」
キャスバルとアルテイシア。そしてジンバを乗せたコンテナはすんなりと旅客船に乗せられた。ルシファは、ケージに仕舞われ。一般客の猫として輸送されている。
与圧された輸送船のキャビン。その窓から、アルテイシアは景色を眺めていた。それは、彼女にとってはじめて見る宇宙だった。
「お兄ちゃん。お月様って大きいのね」
「ああ。そうだね」
キャスバルは、二度と踏むことのないだろうムンゾのコロニー群と、そこに残された母を案じ、アルテイシアにバレないよう、そっと目頭を押さえた。