夜の街は静かで、街灯が並ぶ遊歩道を照らしていた。
マジックシアターへ向かう道すがら、食事を終えた結絆とアリサは肩を並べて歩いていた。
「今日はほんとに楽しかったです。結絆さんと過ごせて、なんだか......夢みたい」
「そう言ってもらえると嬉しいねえ、俺も楽しかったよお。君の笑顔、いい夜にしてくれるねえ」
アリサが照れたように笑い、結絆もそれに応じて目元を緩める。
だがその平穏は、突如として破られた。
「......ウンディーネ、盃の象徴」
水の中から少女の声が響いた瞬間、周囲の水が荒れ狂い結絆とアリサを襲う。
結絆は、水の原典の力でそれを完全に無効化する。
そして、様子をうかがっていると、結絆の前にフードを被った三人の人物が現れた。
夜の闇と同化するような衣服に身を包み、その手には杖や箒が握られている。
アリサが立ち止まり、声にならない息を呑む。
「な、何......?」
少女の一人が続けて魔術を発動しようとした、その瞬間だった。
「......やれやれ。せっかくいい気分だったのに、こういうのは興ざめだよお」
結絆がため息をつきながら、片手をポケットに入れたまま、もう一方の手をわずかに上げる。
「ねえ、君達──名前も名乗らずに、夜道で女の子を脅すってのは、礼儀としてどうかなあ?」
「ナイト気取り?すぐに終わらせ......」
だが、最後まで言い終えることはなかった。
風も音も、殺気すらもない。
ただ一瞬、結絆の手がブレる。
次の瞬間、三人の魔術師たちは地面に倒れていた。
全員、白目を剥いて意識を失っている。
アリサは呆然と結絆を見上げた。
「......ゆ、結絆さん......今、何を......?」
「うーん、ちょっとだけ攻撃しただけだよお。普通の人の目には見えないぐらいの速さでねえ」
柔らかく微笑むその表情には、殺気も怒気もない。
ただ、どこか人ならざるものを垣間見せるような、絶対的な力の気配があった。
だがその緊張もまた、すぐに破られる。
「はぁ、僕の命令を待てと言ったはずなんだけどね......」
煙草の煙を吐きながら、結絆たちの前に背の高い青年が姿を現した。
「おや、ステイル、また学園都市に来てたのかい?」
ステイルは片膝をつき、倒れた三人の様子を確認しながら、深く息を吐いた。
「イギリス清教からエンデュミオンの調査を頼まれてね。そして、結絆さん......彼女らは僕の弟子だ。命令を聞かず勝手に君たちを襲ってしまったみたいでね。まずは、この場で心から謝罪する。」
「......へえ、君の弟子ってわけかあ」
そして、結絆は腕を組み、自分の中の仮説を確かめるために問いかけた。
「で、なんでアリサを狙ったのかなあ。まさか......アリサが聖人かもしれないってことかい?」
その言葉に、アリサが目を丸くする。
ステイルはしばらく沈黙し、そしてゆっくりと頷いた。
「......流石ですね。鳴護アリサは、歌によって人々の意識に影響を与える存在だ。でも、それだけじゃない。彼女の持つ魂の性質、魔術的素養、身体構造、その全てを鑑定した結果、可能性が見えてきた」
「聖人......?」
アリサの声が震える。
「でも、私は......ただ歌ってるだけで......そんな......」
「君は何も悪くないよ」
ステイルが静かに言葉を重ねる。
「だが、君がもし“科学サイドに保護された聖人”であると知られれば......それは魔術サイドと科学サイドの双方にとって、戦争の火種になるかもしれない。」
「............」
結絆の眼差しが鋭くなる。
「つまり、君の弟子達はそれを恐れて、先に潰そうとした......そういうわけかなあ?」
「いや、多分、僕を驚かせたかったからだろうね。でも、僕自身は結絆さんに敵意はない。むしろ、あなたのような者が彼女の傍にいてくれることは、むしろ歓迎すべきことだとさえ思っている」
ステイルはローブの裾を整えながら、深く一礼する。
「この件は、僕が責任を持って処理する。弟子達にも、厳しく言い聞かせるつもりだ。......僕達が鳴護アリサに危害を加えることは、もう二度とない」
アリサはまだ震える肩を抱えていたが、結絆の隣に立つその姿は、確かに安心しているようにも見えた。
「なるほどねえ、ステイル。その言葉、信じているよお。君がそう言うなら、俺もそれ以上は追及するつもりはないよお」
「......本当にすまないね」
結絆はアリサの肩にそっと手を置いた。
「怖かったろうけど......大丈夫だよお。君は俺が守る。誰が相手だろうと、関係ないからねえ」
「......うん、ありがとう......結絆さん」
ステイルはふと、結絆とアリサを見つめたまま、静かに言った。
「......君のような人間が、彼女の側にいること。それが、今の世界には必要なのかもしれないな」
夜の風が、ゆるやかに流れていった。
戦火の予兆と、希望の光が交差する中で新たな運命が静かに動き出そうとしていた。
マジックシアターの一室にあるソファでは、落ち着いた照明の中で四人が腰を下ろしていた。
ステイルたちとの一件を終え、結絆とアリサは無事に帰還した。
すでに部屋には、操祈と当麻が先に到着しており、二人の帰りを心配して待っていたのだった。
「ったく......何があったかと思えば、魔術師の襲撃かよ。大丈夫だったのか、アリサ?」
当麻が真っ先に声をかけた。
彼の目はいつになく真剣で、心からの心配が滲んでいた。
ちなみに、当麻は結絆のことは全く心配していない。
「うん、大丈夫......結絆くんが、すぐに守ってくれたから......」
アリサはうつむき加減に微笑んだ。
その表情にはまだ少し不安が残っていたが、結絆の隣に座る彼女からは確かな安心感も伝わってきた。
操祈がふわりと微笑む。
「ほんっと......お兄様って、かわいい子に対しては甘いわよねぇ」
「うーん、褒めてるのかどうか微妙だけど......ありがとねえ」
結絆は気怠げに肩をすくめながら、アリサの様子を横目で確認する。
彼女が少し落ち着いたことを見て、ようやく話を切り出すタイミングを計った。
その沈黙を破ったのは、アリサの方だった。
「......あのね、結絆さん、操祈ちゃん、当麻くん。私......言わなきゃって思ってたことがあるの」
その言葉に、三人は自然とアリサに視線を向けた。アリサは深く息を吸い、ゆっくりと言葉を紡ぐ。
「私......三年より前の記憶がないの。名前も、生まれも、どこで何をしてたかも、全然思い出せなくて。でも......」
手のひらを胸に当て、アリサは静かに続ける。
「でもね、私の歌......時々、奇蹟みたいなことを起こすって言われるんだ。災害に巻き込まれそうになっても助かったり、誰かの病気が軽くなったり......私自身も、何度も奇跡的に助かってきたの」
それは、恐れと困惑の混じった告白だった。
自分でも理解できない力が、自分の中にあるかもしれない。
その事実が、アリサの心を少しずつ蝕んでいた。
「もしかしたら、さっきあの人が言ってたみたいに......私、本当に“聖人”なのかもしれない。でも......もし、私の歌に何か変な力があったら、みんなに迷惑をかけるかもしれないって......怖くて......」
その言葉が途切れた瞬間、当麻が静かに右手を上げた。
「アリサ、俺の右手には幻想殺しって力があるんだ」
「......幻想殺し?」
「ああ。魔術でも超能力でも、どんな異能の力でも、この右手で触れれば全部打ち消せる」
当麻の目が真っすぐにアリサを見つめる。
「もし、お前の歌が奇蹟の力なんだとしたら......俺が触れれば、その力は消える。でもな、それでも――」
当麻は少し笑って、言葉を続けた。
「お前の歌は、俺の心にちゃんと届いてる。感動するんだ。泣きそうになるくらいに。幻想殺しがある俺にも届いてるってことは、それは奇蹟の力なんかじゃなくてお前自身の本物の力だってことなんだよ」
アリサは、目を見開いて当麻を見つめた。
目の奥に、涙の光が浮かぶ。
操祈も、ふわりと優しく頷く。
「奇蹟があったってなくったって、アリサちゃんの歌はね、すっごく素敵なのよぉ。だから皆、アリサちゃんのこと応援してるの。力の正体なんて、どうでもいいってくらいに、ねぇ?」
「そうそう、君がどういった存在かっていうことより、君がどんな歌を届けてくれるかの方が大事なんだよお」
結絆も柔らかな口調で続けた。
彼の瞳はどこまでも静かで、真剣だった。
「俺は君の歌を初めて聴いたとき、本当に心が震えた。ああ、この子の歌をもっと多くの人に届けたいって思ったんだよお。魔術とか、聖人とか、そういうの抜きにしてねえ」
アリサの瞳から、一粒の涙が頬を伝った。
でも、それは悲しみの涙ではない。
「みんな、ありがとう......!」
その言葉とともに、アリサは小さな笑顔を浮かべた。
不安を抱えたままの心に、優しい光が差し込んでいく。
結絆、操祈、当麻の言葉が、彼女の心の靄を少しずつ晴らしていた。
奇蹟の力があろうとなかろうと、彼女の歌は人の心に届く。
それが真実であり、すべてだった。
マジックシアターの奥にある広々とした大浴場には、ほのかに檜の香りが漂っていた。
湯気の中、湯船に浸かる三人の少女の姿がある。
鳴護アリサ、食蜂操祈、そして蜜蟻愛愉。
夜も更け、観客も引けた後の静かな時間。
舞台での熱気とは打って変わって、ここには穏やかな空気が流れていた。
「ふぅ......やっぱり広いお風呂って最高だよね~」
肩まで湯に浸かってアリサがうっとりと呟くと、隣で金髪の長い髪を結い上げた操祈が、にこやかに頷いた。
「そうよねぇ、お肌もスベスベになるから気に入ってるわぁ。そうそう、アリサちゃん、今日のステージ、本当に素敵だったわよぉ」
「ありがとう、操祈ちゃん。そうだ......」
アリサは少し目線を落とし、ぽつりと口を開く。
「結絆さんって......どんな人なの?ううん、どんな人だと思ってるかな?」
その問いかけに、操祈は目をぱちりと瞬かせた。
湯けむり越しに視線が交わる。
蜜蟻も、微笑みながらアリサの方へ顔を向けた。
「ふふ、気になるのねえ、結絆クンのこと」
「え、えっと......そういうわけじゃ......ないんだけど......ちょっと、知りたくなって」
視線を泳がせるアリサを見て、操祈はくすっと笑うと、少し誇らしげに胸を張った。
「お兄様は強くて優しくて、いつもみんなのことを考えてくれてぇ、私が当麻と毎日過ごせてるのも......全部、お兄様のおかげなのよぉ」
「......そうなんだ」
アリサは少し意外そうに目を丸くする。
操祈の口ぶりからは、普段の少しわがままで奔放な彼女からは想像できない、深い信頼と愛情が感じられた。
「でも、結絆さんって、なんだか不思議な人だよね。いつも優しいけど、どこか......遠い感じもして」
その言葉に応えるように、蜜蟻が静かに口を開いた。
湯の中で揺れる髪が、湯気の中に幻想的に漂う。
「でもねえ......結絆クンは、私達にとって心の拠り所なのよお。どんなに辛くても、結絆クンの言葉があれば立ち上がれる。あの人は多くのものを背負っているけどお、その背中が、歩んできた道が、誰よりも優しさに満ちてるのよお」
「蜜蟻ちゃん......」
アリサはその言葉に胸を打たれると同時に、胸の奥に小さな棘のような違和感が生まれた。
結絆という人物の大きさを、二人の少女がどれほど深く受け止めているか。
それが痛いほど伝わってくる。
「それにぃ......」
操祈が悪戯っぽく笑って言葉を継いだ。
「お兄様って結構モテるのよねぇ?蜜蟻ちゃんもそうだけど、潤子ちゃんとか猟虎ちゃん、それに他の子達も、みんな兄様のこと大好きだしぃ......」
「えっ」
「結絆クンは、みんなの気持ちに向き合っているのよお」
操祈や蜜蟻の無邪気な言葉が、まるで湯船の底から突き上げてきた泡のように、アリサの胸に浮かび上がる。
驚きと――そして、否応なく広がるモヤモヤとした気持ち。
「それって、つまり......お、お付き合いしてるって意味......だよね?」
「ちゃんと一人ひとりを大事にしてるのよぉ」
「そ、そうなんだ......」
心のどこかで聞きたくなかった言葉だったのかもしれない。
だが、それを知ったことで、自分の中に芽生えていた何かが形を得るような気がした。
私、結絆さんのこと、そんなふうに見てたんだろうか。
あの優しさに、あの眼差しに、ただ感謝しているだけだと思っていた。
でも、気づけば目で追っていた。
言葉に耳を澄ませていた。
歌を届ける先に、あの人がいてほしいと願っていた。
「アリサちゃん?」
操祈の声に、はっとしてアリサは目を瞬かせた。
「だ、大丈夫......ちょっとびっくりしちゃって」
「ふふっ、お兄様ってそういう人なのよぉ。だからこそ、色んな人が惹かれるのかもねぇ」
「......うん、そうだね」
モヤモヤは完全には消えない。
それでも、結絆という存在をもっと知りたいと思った気持ちは今も胸の奥に確かにある。
湯気に包まれながら、三人の少女たちは穏やかな時間を過ごす。
マジックシアターの夜は、今日も静かに更けていく。
朝の学園都市第七学区
晴れやかな陽射しの中、通学路を歩く結絆と当麻の姿があった。
「なんか......今日はやけに騒がしいねえ」
結絆は軽く伸びをしながら、周囲の生徒たちが口々にある名前を話しているのを耳にしていた。
教室の前に近づくにつれ、その話題はますます加熱していく。
「ARISAってすごくない?本物のライブ見たかったなぁ」
「エンデュミオンで歌うって、マジか!?」
「歌、もう10回は聴いたかも。何か胸に響くんだよなあ......」
ライブでのアリサの歌声は、至る所で話題となり、瞬く間に広がっていた。
学園都市内の動画共有サイトではすでに何万回と再生されており、学園のあちこちでアリサの楽曲がスマホから流れている。
「ふふ、アリサも人気者になっちゃったねえ」
結絆はどこか嬉しそうに笑いながら自分の席に着いた。
クラスメイトたちも彼の姿を見つけるやいなや声をかけてくる。
「ねえねえ、結絆!あの鳴護アリサと知り合いなんでしょ?」
「裏山すぎるー!サインもらえたりするの?」
「てか、もしかして付き合ってるんじゃ......?」
「おやおやあ、そんなことないよお?仲が良いのは確かだけどねえ」
苦笑いしつつも、結絆は曖昧な笑みでやんわりと答える。
すると女子の一人が「あ~、その言い方一番気になるやつ!」と頬を膨らませた。
一方、当麻はというと、自分の席に着いた途端、机に突っ伏した。
「おや?当麻......どうしたのかなあ、その気怠そうな空気は」
「......なんでだろうな、朝からずっと眠くてさ。昨日の疲れが抜けてないっつーか......」
「なるほどねえ?」
そのとき、教室のドアが開き、小柄な教師・月詠小萌が教室に現れた。
「はいは~い、皆さんおはようございますなのですよ~。今日も元気にお勉強しましょうね~」
「おはようございまーす!」
教室中に明るい声が響く中、小萌先生は当麻の方をちらりと見て眉をひそめた。
「上条ちゃん、また机に突っ伏して......寝たら、補習ですよ~?」
「ヒィッ!?起きてます、起きてます!目、めっちゃ覚めました!」
途端に飛び起きる当麻。その焦りように、結絆は思わず吹き出した。
「ははっ、変わらないねえ当麻」
授業が始まり、ざわめきが落ち着いた頃。
結絆は休み時間に、ある人物と人気のない渡り廊下に向かっていた。
そこにいたのは――土御門元春。サングラスを外し、真剣な表情を浮かべている。
「......来たか、結絆」
「なにやら真面目な顔だねえ。舞夏との仲が進展したのかい?」
「本来ならそんな話をしたかったんだがにゃー」
軽口を交わす二人だったが、空気はすぐに引き締まる。
土御門が低い声で切り出した。
「......昨日、ステイルと会ったんだろ?」
「アリサが襲撃を受けた後にねえ。ステイル曰く、アリサが“聖人”かもしれないってねえ」
「その情報、こっちにも回ってきてるぜい。魔術サイドも科学サイドも、両方が一触即発になりかねない案件だ。下手をすれば、戦争だ」
結絆の金色の瞳が細められる。
その奥に、冷たい判断力と責任感が宿る。
「......つまり、アリサが戦争の火種になる可能性があるってことだよねえ」
「ああ。だが俺達は、そうさせるわけにはいかない。だから頼む、結絆。鳴護アリサが今後襲撃を受けるようなことがあれば、お前が対処してくれ」
その言葉は、結絆に対する信頼から来ているものだ。
お互い暗部組織のリーダーとして、そして友人として、元春は結絆のことを認めているのである。
結絆は小さく息を吐くと、目を閉じ、静かに頷いた。
「......もちろん、わかってるよお。アリサは俺が守る。奇蹟でも、聖人でも、それが何であってもねえ」
「任せたぜい」
その場を去っていく元春の背を見送りながら、結絆は空を見上げた。
アリサの歌には、人を動かす力がある。
だからこそ、その存在が、争いの火種にもなり得る。
だがそれを理由に、彼女の歌を奪わせるわけにはいかない。
「アリサ......君の歌は、君のものだからねえ」
結絆はそう心の中で呟いた。
どこか遠くで、誰かのスマホからアリサの歌が流れていた。
その音に耳を澄ませながら、結絆は静かに、しかし強く決意を新たにするのだった。
映画や漫画版ではアリサは奇蹟の力を使っていましたが、今回は結絆が魔術師達を圧倒したので使うことはありませんでした。
それとシャットアウラについてですが、彼女はしばらく出てきません......(立ち位置的に出すのが難しいです......)