アリサが宇宙へ行きます。
マジックシアターの執務室。
淡い照明が静かな部屋を包む中、食蜂結絆は端末の前に座り、指先を忙しなく動かしていた。
その瞳に映るのは、次々と浮かび上がるレポートや機密ファイルの数々。
いずれも通常のアクセス権では到底閲覧不可能なものばかりである。
「......やっぱり、普通の人間じゃないよねえ」
結絆はため息混じりにそう呟くと、画面に浮かぶ人物の名を見つめた。
レディリー=タングルロード。
オービット・ポータル社の若き女社長にして、エンデュミオン計画の総責任者。
その姿や口調は洗練された才媛そのものであったが、結絆の調査によれば、その真の姿はまったく異なる。
統括理事会の権限とドリームの情報網を使って調べ上げたデータの断片は、驚くべき事実を物語っていた。
レディリー=タングルロードは、千年近くも前から生き続けている不老不死の魔術師。
己の命を終わらせる方法を探し続け、数え切れぬほどの文明と時代を渡ってきた存在である。
「“不死の呪い”か......。生き続けるってのも、良いことばかりじゃないってわけだねえ。まあ、俺も人のことは言えないかもしれないけど」
その目的の果てに、レディリーがたどり着いたのが、宇宙エレベーターであるエンデュミオン。
それは希望の象徴であると同時に、彼女にとっては自らの死に場所であり、最期を迎えるための舞台装置でもあったのだ。
結絆はさらに深くデータを掘り進める。
すると、もう一つの名前が浮かび上がった。
鳴護アリサ。
歌姫として急速に注目を集めている少女だが、その素性はまったくの空白だ。
3年前までの記録が存在せず、彼女自身も過去の記憶を持っていない。
「アリサ......君は、やっぱり普通の人じゃない......?」
オリオン号事件――3年前、軌道エレベーターをめぐって起きた未曽有の事故。
その中で、乗客たちは死の恐怖に晒されながらも、生きたいと願った。
その願いによって奇跡的に誕生した存在、それが鳴護アリサである。
人々の願いが生んだ、存在するはずのない命。
だが、端末に記されたその記録を読み終えた結絆は、ゆっくりと画面を閉じ、窓の外に視線を向けた。
夕陽がゆるやかに沈み、学園都市のビル群が赤く染まっていく。
「たとえどんな生まれ方をしていようと......君が一人の人間であることに、変わりはないよお」
ぽつりと呟かれた言葉は、誰にも聞こえなかったが、確かな思いが込められていた。
アリサの歌が人々の心に響き、希望を与えているのは、彼女が人の願いから生まれた存在だからではない。
彼女自身が持つ心、優しさ、そして何より歌を届けたいという思いの強さこそが、奇蹟のような力を持っているのだ。
結絆は静かに立ち上がり、端末をオフにした。
「アリサ......君は、ただ歌い続ければいい。君の声は、誰かを幸せにできる......本物の奇蹟なんだからねえ」
彼の口元には、どこか安堵を含んだ微笑が浮かんでいた。
その夜、マジックシアターの屋上では、アリサが星空を見上げていた。
彼女は結絆の姿を見つけると、そっと手を振る。
結絆もまた、それに応えて手を上げた。
たとえ真実がどれほど不可思議であろうと。
今ここにいるアリサが、誰かの心を動かす存在であることに、疑いはなかった。
夜のマジックシアター。
静まり返った館内の奥、柔らかな間接照明に包まれた結絆の私室には、穏やかな空気が漂っていた。
ソファに座る結絆の隣で、アリサは手にした缶ジュースをそっと口に運ぶ。
炭酸のはじける音が、静けさの中に心地よく響く。
「あの......結絆くん」
「おや?どしたのかなあ」
アリサは缶を両手で持ったまま、少しだけ視線を落とす。
「明日、いよいよエンデュミオンで歌うの。嬉しいはずなのに、どうしよう......ずっと胸がドキドキしてて、なんだか眠れそうにないよ」
「そっかあ......」
結絆は穏やかな目で彼女を見つめながら、手元のコップを傾ける。
「......緊張してるんだねえ」
「うん......だって、あんなに大きなステージで、しかも宇宙エレベーターで歌うなんて。失敗したらどうしようって、そればっかり考えちゃって......」
その声はわずかに震えていた。
アリサの手元も、かすかに震えている。
それでも彼女は、明日そのステージに立つ覚悟を決めているのだ。
それが分かるからこそ、結絆はそっと微笑んだ。
「アリサ、君は今まで、たくさんの人の前で歌ってきたよねえ」
「......うん。でも、明日は今までとは違う。世界中から注目される場所で、誰かの希望になれるような歌を届けなきゃいけない。......そんな気がして」
「君の歌は、もうとっくに皆の希望になってるよお」
その言葉に、アリサは一瞬目を見開いた。
結絆の瞳は揺るぎなく、まるで彼女の中にある不安をすべて見透かすように優しく輝いていた。
「この前のライブ、凄かったよねえ。あの時、ステージの下にいた人たちの顔......みんな、君の歌を聴いて笑ってた。泣いてた。心を動かされてた。......あれが“奇蹟”じゃなくて、何だっていうのかなあ」
「......でも、それって......」
「君が特別な存在だからとかじゃない。君の歌が、君の気持ちが、ちゃんと届いてたからなんだよお」
結絆は空になったコップをテーブルに置き、肩の力を抜いて言った。
「緊張するのは当たり前だよお。誰だって、大きな舞台の前は震えるからねえ。でも、それだけ真剣に向き合ってるって証拠でもあるんだ」
アリサはゆっくりとコップを置いて、小さく笑った。
「......そっか。そうかもね。ありがとう、結絆くん」
「うんうん。君が全力で歌ってくれるなら、それでいい。俺は特等席で見守ってるから、思いっきりやっちゃいなよお」
その言葉に、アリサは目を細めて笑った。
「ふふっ。やっぱり、結絆くんがいてくれると、ほっとするな。......特等席、ちゃんと用意してあるからね?」
「もちろん。君のステージを、最前列で受け止めてあげるよお」
二人の間に流れる空気は、穏やかで、優しくて、そしてどこか心強かった。
窓の外では、星が静かに輝いていた。
まるで、明日という特別な日を祝福するかのように。
青空の彼方、高くそびえるエンデュミオン。
その頂に向かって昇るエレベーターの中、鳴護アリサは窓の外を見つめていた。
都市が小さくなっていく。
人々が蟻のように見える高さにまで来た時、アリサはそっと胸に手を当てる。
(大丈夫、結絆くんが言ってた。私は私のままでいいって)
彼女の唇がかすかに微笑む。
緊張はある。
けれども、それ以上に楽しみだ。
空の上から、すべての人へ歌を届ける。
それが、今の彼女の夢だった。
一方その頃、学園都市第七学区にある、ある高層ビルの最上階。
そこには、まるで異国の城を思わせる優雅な空間が広がっていた。
その奥、重厚なガラス越しに空を眺めていたのは、レディリー=タングルロード。
千年を生きる魔術師。美しくもどこか空虚な微笑みを浮かべるその横に、ひとりの青年が姿を現した。
「こんにちは、レディリーさん。優雅な一日をお過ごしのようだねえ」
食蜂結絆、統括理事会の一員にして、「ドリーム」のリーダー。
彼の声に、レディリーは振り返ると、変わらぬ笑みで応じた。
「まぁ、あなたが訪ねてくるなんて。エンデュミオンでのショーに向かわないで、こちらへ?」
「もちろん、向かうよお。でもその前に......少し、念押しをしに来たんだよお」
結絆はソファに腰を下ろし、じっとレディリーの瞳を見つめる。
「君が何者か、もう調べはついた。千年近く生き続ける、不死の呪いに囚われた魔術師――君は、その終焉の場としてエンデュミオンを作ったんだろう?」
レディリーの笑みが一瞬だけ揺らぐ。
「......ずいぶんと察しがいいのね。さすがは学園都市の生んだ怪物。いえ、別の時空から連れてこられた偉人って方が正しかったかしら」
「......君も、色々と知ってそうだねえ」
結絆はくすりと笑いながらも、その声音に一片の冗談もなかった。
「アリサを使って、君は何かの魔術を発動しようとしている。彼女の起源も調べさせてもらった。オリオン号の奇蹟、乗客たちの願いの集合体。......確かに君にとっては鍵かもしれない。でもねえ」
結絆は立ち上がる。
背後の窓から差し込む陽光が、彼の金髪を柔らかく照らしていた。
「アリサはアリサだよお。誰かの道具でも、君の終焉のための犠牲でもない。......もし君が、彼女や観客たちを巻き込むような魔術を発動させようとしたら......」
その声音が、空気ごと張り詰める。
「俺が、潰しに行くよお。容赦なく、ね」
しばしの沈黙の後、レディリーは軽く笑った。
「ふふっ、まったく。あなたって、本当に面倒な存在だわ。でも......今はまだ、ただの観客よ。舞台の準備が整うまでは......ね」
「だったら......そのまま座っててくれると助かるんだけどねえ」
結絆は手を振って部屋を後にした。
彼の背中に、レディリーは言葉をかける。
「アリサの歌は、本当に美しいわ。......だからこそ、終わりに相応しいのよ」
それに対する返答はなかった。
ただ、結絆の気配が静かに遠ざかっていく。
そして――
エンデュミオン、最上階。宇宙に限りなく近いステージで、アリサのライブが始まろうとしていた。
満員の観客たちが席に座り、天井に投影された星々が美しく輝く。
照明が落ち、舞台にスポットライトが射す。
「皆さん、こんばんは。鳴護アリサです」
その声が、宇宙へ響き渡るようにクリアに拡がった。
特等席。
最前列の中央に座る食蜂結絆は、静かに頷きながら彼女を見つめていた。
(楽しんでおいで、アリサ。君の歌が、そして君そのものが、この空に届きますように)
音楽が始まり、アリサの歌声が流れ出す。
それは、どこまでも澄んでいて、温かくて、確かに誰かの心に届くものだった。
結絆は目を閉じ、ゆっくりとその音を受け止めた。
アリサの歌声が宇宙に響き渡るように、エンデュミオン全体を包み込んでいた。
観客たちはその美しい旋律に魅了され、誰もが彼女の歌声に心を奪われている。
ステージに立つ彼女の姿はまさに“奇蹟”の具現だった。
しかし――その奇蹟の裏で、暗き術式が静かに進行していた。
観客席の一番上、特等席に座っていた結絆は、ある違和感に眉をひそめた。
彼の視線の先、遥か彼方の地平に――不自然な揺らぎがある。
(......魔方陣か。しかも、エンデュミオン全体を包む規模の。)
すぐに座席を立ち、通信端末を起動した。
「当麻、聞こえる?今すぐ動けるかい?」
『あぁ、今地上の待機スペースにいる。なんかヤバいこと起きそうなのか?』
「レディリー=タングルロード......やっぱり、動いたよお。奴はエンデュミオンを巨大な術式の発動装置に変えようとしてる」
言葉の緊張を察した当麻の声が強張った。
『マジかよ......!アリサは!?』
「今、あの塔の最上階で歌ってる。でも、術式の発動と同時に観客全員の生命力や精神力を引き金にされかねない。今はまだ動いてないけど......先に手を打つよお」
結絆は地上に戻り、当麻を連れて宇宙に戻ろうとする。
幻想殺しは結絆の能力の発動を無力化するので、手間がかかるのである。
「うおっ、びっくりした」
当麻は、いきなり現れた結絆に驚く。
「......当麻。地上の出入口はすでに封鎖されてる。正面から入るのは無理みたいだねえ......」
「じゃあどうやって中に......」
「空から行くよお」
結絆はにやりと笑って、手首の端末を操作した。
数秒後、上空から低くうなるエンジン音が聞こえ、細長い黒の機影が近づいてくる。
学園都市の最先端技術を結集して作られた、宇宙用軽装飛行機だった。
「まさか、お前これを......!」
「備えあれば憂いなし、ってやつだよお」
結絆と当麻は素早く乗り込み、シートベルトを締める。
機体は無音に近いほどの静けさで離陸し、上空へと舞い上がる。
機内のスクリーンに映し出されるエンデュミオン。
エンデュミオンの近くには巨大な魔法陣がいくつも浮かび、魔術的干渉が強まっているのが分かる。
「上空から侵入するルートは予め用意してあるんだけどねえ......問題は」
その言葉と同時に、警告音が鳴り響いた。
《迎撃システム作動。標的補足。排除モード起動。》
「......迎撃システム、やっぱり起動しちゃったかあ」
「ヤバくねぇかこれ!?ミサイルっぽいの飛んできてるぞ!?」
警告に続いて、エンデュミオンから数えきれないほどのミサイルが機体に向けて発射される。
機体は緊急回避モードに移行し、急旋回を開始。
しかし追尾ミサイルは容赦なく後を追ってきた。
「当麻、操縦は自動制御に切り替えて!俺が出るよお」
『出るって、お前まさか!?』
結絆は迷うことなく機体の外へと向かっていく。
そして真空を物ともせず、結絆は静かに一歩、宇宙空間へと踏み出す。
彼の手には、マスターソードが握られていた。
(やれやれ、迎撃システムまで自動とは。デブリを撃ち落とすには便利だけど、うっとおしいねえ)
次の瞬間、結絆は空間を裂くような高速移動で、迫りくるミサイルの前へと躍り出る。
そして、手にしたマスターソードを一閃
飛ぶ斬撃が迫るミサイル群を、砲塔ごと一刀両断した。
システム本体へと接続されたエネルギーラインも断ち切られ、エンデュミオンの迎撃機能が一時停止する。
機体内部から当麻が呆然と結絆を見つめていた。
『......お前、やっぱ規格外だな』
「よく言われるよお。さあ、行こうか。あの子を――アリサを守るために」
機体は静かに軌道を変え、エンデュミオンの外壁に設けられた非常用ハッチへと向かっていく。
一方その頃、アリサの歌は最高潮に達し、観客の心に深く届いていた。
彼女は知らない。
自分の周囲で、命を賭けた戦いが始まっていることを。
だが、彼女の歌は確かに誰かを動かしていた、たとえその生まれが奇蹟であろうと。
そして結絆は心に誓う。
(君の歌は、君自身のものだ。誰にも、それを利用させはしないよお)
舞台裏で交錯する運命の糸が、静かに動き出していた。
結絆は、筋肉などに酸素をためこんでいるので宇宙空間でも普通に動けます。
原作で神裂がやっていたことを、結絆にやらせた感じです。
結絆は分身の魔術が使えるので、アリサの歌を聴きながら当麻と行動していたという感じになってます。