才人工房に新たな少女が加わった。
彼女の名はドリー。
年齢はおよそ12歳ほどだろうか。
ふわりと肩にかかる淡い栗色の髪と、屈託のない笑顔を持つ少女だった。
澄んだ瞳が印象的で、研究施設の黒い服をまとった姿はどこか儚げに見えた。
食蜂結絆は、その日初めてドリーと対面した。
彼女はどこか人懐っこい雰囲気を持っており、施設の中でもすぐに馴染んでいた。
結絆の前に来ると、小さな手を差し出して微笑む。
「はじめまして、ドリーです。これからよろしくお願いします。」
「はじめまして、ドリー。俺は食蜂結絆だよお。」
彼女の屈託のない笑顔を見て、結絆も自然と微笑んだ。
だが、その時は彼女の正体について結絆達は何も知らなかった。
数日後。
結絆は研究員達が交わす会話を耳にしてしまった。
「ドリーの調整は順調ですか?」
「はい、クローン体としての適応も問題ありません。ただ、オリジナルと比べて...」
"クローン体"
その単語が耳に残る。
結絆は驚き、そして戸惑った。
才人工房には様々な能力者が集められていたが、まさかクローン技術まで関わっているとは知らなかった。
それから結絆はドリーを観察するようになった。
彼女は無邪気で、普通の少女のように振る舞っていた。
だが、時折見せる寂しげな表情が、結絆の心に引っかかった。
ある日、ドリーと二人きりになったとき、結絆は何気なく問いかけた。
「ねえ、ドリーは、自分のことをどう思ってるの?」
ドリーは一瞬きょとんとした顔をしたが、すぐに微笑んだ。
「どうって...普通の女の子、だよ?」
その答えに、結絆は少しだけ胸を痛めた。
クローンであることを彼女自身が理解しているのか、あるいは知らされていないのかはわからない。
しかし、彼女が普通の女の子としてここにいることを望んでいるのなら、それを尊重しようと思った。
結絆は優しくドリーの頭を撫でる。
「そうだねえ。ドリーは普通の女の子だよお。」
それ以上は何も聞かなかった。
ただ、この小さな少女が少しでも幸せに過ごせるようにと願うばかりだった。
ドリーが才人工房に加わってある程度の月日が経った。
彼女は新しい環境にもすぐに馴染み、研究員や他の能力者達との関係も良好だった。
そして、そんな彼女と特に仲が良かったのは警策看取だった。
「ねえ、ドリー。そんな隅っこにいないで、こっちに来なよ」
警策が軽い調子で話しかけると、ドリーは一瞬驚いたような表情を浮かべたが、すぐに小さく頷いた。
操祈もまた、ドリーに関心を持っていた。
「ドリーちゃん、お話しましょぉ?好きなものとかあるのかしらぁ?」
ドリーは少し考えてから、「......甘いものが好き」と笑顔で答えた。
「いいわねえ!じゃあ、今度一緒にケーキでも食べに行かない?」
操祈は楽しそうに提案した。
こうして、警策や操祈との交流を通じて、ドリーは友情を築いていく。
その様子を見た結絆は、微笑みながら「みんなと仲良くなれているみたいだねえ」と呟いた。
ドリーは警策や操祈だけでなく、他の才人工房のメンバーとも少しずつ打ち解けていった。
蜜蟻愛愉は「ドリーちゃん、お菓子作りとか好き?」と尋ね、帆風潤子は「もしよかったら、一緒にトレーニングしませんか?」と誘ったこともあった。
また、弓箭猟虎と入鹿の姉妹とも関わる機会が増えた。
「えっと......ドリーさん......」
猟虎は最初こそ緊張しながらも、ドリーと一緒にいるうちに少しずつ自然に会話できるようになっていった。
一方で、入鹿は最初から明るく接していた。
「ねえねえ、ドリーってどんな能力が使えるの?」
こうした日々が続く中で、ドリーは「ここにいてもいいんだ」と思えるようになっていく。
結絆はそんなドリーの変化を見守りながら、「うんうん、これなら安心かなあ」と満足げに呟くのだった。
才人工房の談話室に、和やかな会話が広がっていた。
「へえ、ドリーは甘いものが好きなんだねえ?」
結絆が紅茶を片手に微笑む。
ドリーは照れたように頷きながら、ティーカップを両手で包み込んだ。
「うん。でも、あんまりたくさんは食べられないんだ......」
「そっかあ。でも、好きなものを少しずつ楽しむのもいいよねえ。」
操祈や蜜蟻も微笑みながら頷き、警策や帆風もその輪に加わっていた。
彼らはすっかりドリーを仲間として受け入れていた。
だが、そんな穏やかな時間は突然終わりを迎えた。
「ドリー?!」
ドリーがカップを手から滑らせ、ガタリとテーブルに突っ伏した。
ティーカップが倒れ、紅茶が広がる。
操祈がすぐさま彼女の肩を揺さぶるが、返事はない。
「ちょっと、ドリー! しっかりして!」
結絆は即座に自己制御を発動し、ドリーの状態を探る。
血圧の低下、心拍の乱れ、体温の急激な低下――異常なまでに生命維持機能が衰えていた。
「これは......!」
結絆の表情が険しくなる。
「何が起こっているの......?」操祈が不安そうに呟く。
結絆はすぐさま橘博士を呼び、ドリーを研究所の医療施設へと運び込んだ。
橘博士がドリーの検査結果を確認し、深刻な表情で口を開く。
「......結絆くん、ドリーはクローンよ。」
「それは知ってるよ。でも、それと何の関係が?」
橘博士は画面を指さしながら続ける。
「クローン技術が未完成だった時代のものだから、身体の修復機能が正常に働いていない。細胞の劣化が通常よりも早く進行していて......このままだと、彼女の寿命はあとわずかしかない。」
沈黙が場を包む。
操祈が震える声で尋ねる。
「助ける方法はないの......?」
橘博士は目を伏せ、静かに首を横に振った。
「......現状では......難しいわね。」
「そんな......!」
蜜蟻が唇を噛み締め、帆風は拳を握り締める。
警策も言葉を失っていた。
結絆はドリーの顔を見つめる。
穏やかに眠るような表情だったが、その体は確実に死へと向かっている。
「......何とかするよお。」
結絆は呟いた。
「絶対に......ドリーを助ける方法を見つける。」
才人工房の一室。
規則的に点滅する心拍モニターの音だけが静寂の中に響いていた。
ドリーはベッドに横たわり、浅く、弱々しい呼吸を繰り返していた。
その額には薄っすらと汗が浮かび、肌の血色は失われつつある。
そんな彼女の手を、結絆は優しく握りしめていた。
「......戻っておいで、ドリー」
そう呟くと、結絆の能力《自己制御(セルフマスター)》が発動する。彼の脳はドリーの肉体のあらゆる機能を読み取り、わずかでも延命の可能性がある箇所を探りながら、彼女の身体を刺激するように能力を使っていく。
やがて、ドリーの指が微かに動いた。
瞼がゆっくりと持ち上がり、虚ろな瞳がぼんやりと結絆達を映し出す。
「......あ......ゆはん、さん......?」
「ドリー!」
操祈が駆け寄り、蜜蟻も涙をこぼしながらドリーの肩をそっと撫でた。
帆風と警策もベッドの横で固唾を飲んで見守っている。
しかし、その目はもう長くは持たないことを悟っていた。
「......ごめんなさい、せっかく......起こして、くれたのに......。もう......、ダメみたい......」
ドリーの声はか細く、まるで風に消えてしまいそうだった。
「そんなこと言わないで......! まだ話したいこと、たくさんあるのよぉ!」
操祈が泣きそうな声で訴える。
ドリーは薄く微笑んだ。
「わたし......みんなと、一緒に......水族館に行きたかったな......。それから......マジックショーも......。みんなで、もっと......盛り上がりたかった......」
その言葉に、誰もが言葉を失った。
ドリーの望みはただ、みんなと一緒に普通の時間を過ごすこと。
それだけだった。
結絆は強く拳を握りしめた。
才人工房の中で多くの研究対象が生まれ、そして消えていった。
ドリーもまた、その犠牲の一人でしかなかったのかもしれない。
しかし、それを許してしまっていいはずがない。
「ドリー......ごめん......。俺がもっと......何かしてやれたら......」
「......ううん......。結絆さんが......手を握ってくれてるだけで......すごく......嬉しい......ありがとう、結絆さん」
その言葉を最後に、ドリーの瞳から光が消えた。
結絆の手の中で、ドリーの指がそっと力を失い、心拍モニターが静かな音を響かせた。
室内に沈黙が落ちる。
操祈は涙を流し、蜜蟻も小さく嗚咽を漏らした。
帆風は目を伏せ、警策は唇を噛みしめていた。
結絆はゆっくりと立ち上がる。
ドリーの死を無駄にしないために。もうこれ以上、大切な人を失わないために。
才人工房の闇を変えることを、彼らは心に誓った。
ドリーや橘博士の死を経験して、結絆は力を求めるようになったという感じです。
一旦過去編は次回で終わろうと思います。