大覇星祭が始まる十日ほど前、夜の学園都市でのこと
外では薄紫の街灯が静かに瞬き、風が高層ビルの間をゆっくりと抜けていく。
結絆のマジックシアターの地下施設に、二人の影が並んでいた。
「......お兄様」
不安そうな声が室内に響く。
「もうそろそろ、向き合った方がいいと思うのよねぇ」
食蜂操祈は、その視線を端末に向けたまま、静かに言った。
「......外装代脳(エクステリア)のこと、だねえ」
操祈の問いに応じたのは、兄である食蜂結絆。
結絆にしては珍しく、頭を押さえて悩んでいる。
彼は操祈の隣に立ち、端末に映る脳のスキャン画像を見下ろす。
「懐かしいねえ......『才人工房』。俺たちがたくさんの出会いと別れを経験した場所......」
「......そうよねぇ。......特にあの日のことは忘れられないわぁ」
操祈は顔を伏せ、かすかに唇を噛んだ。
「......外装代脳。操祈の大脳皮質から作った巨大な人工脳で、接続さえすれば誰でも心理掌握を使えるって代物。元々才人工房は偉人を作るのを目標にしていたけど、偉人を洗脳する方向に舵を切ったのは馬鹿げていたよねえ。」
皮肉げに吐き捨てるように、結絆は言った。
「外装代脳の維持にかかるお金も勿体ないしぃ、壊せるなら壊しておきたいのにぃ......」
「エクステリアが、操祈の脳と一部接続した状態で稼働した時点で......もう切り離せなかった。あれを完全に壊せば、操祈の精神にもダメージが出る。場合によっては、操祈の人格そのものが壊れるかもしれないからねえ」
「だから......」
操祈は自分の胸元を押さえ、かすかに肩を震わせた。
「......お兄様。あれが存在してる限り、誰かに使われる危険があるってわかってるのにぃ......怖いの。あれを悪用する人間が出てくるのが......」
「......わかってるよお」
結絆は操祈の肩に手を置いた。
その手は優しく、しかし確かな意志を持っていた。
「だから俺たちは、あれを『封印』した。あくまでアクセス不能な状態で、ここの最深部に保管してるからねえ」
「でも、それって......『いずれ誰かに見つかる』ってことよねぇ?」
「そうだねえ。......だからこそ、俺たちは覚悟しておかないといけない」
結絆は視線を操祈から端末に戻す。
画面には、人の何倍もの大きさのある巨大な脳が映し出されていた。
まるで生きているかのようなそれは、今もなお操祈の脳とつながっている。
「......もしも、あれを誰かが悪用しようとするなら、お兄様はどうするのぉ?」
操祈は、震えながら結絆に尋ねる。
「いくつか策は考えてるけど......どれもリスクがあるからねえ......」
その言葉に、操祈は悩ましい表情を浮かべた。
「......お兄様。最悪の場合は......」
「はあ......操祈を犠牲にしないための策だからねえ」
操祈が全てを言い終える前に結絆はそれを遮った。
外装代脳。
それは才人工房の負の遺産の一つである。
だが、兄妹の想いが一つである限り、きっとその影にも抗える。
結絆たちは、そう信じていたのだった。
時が少しだけ流れた。
地下の制御室にはまだ二人の兄妹が残り、制御端末の画面に映る人工脳の図像が静かに脈動していた。
風も音もない密閉された空間のなかで、ふと、結絆が苦笑交じりに口を開いた。
「......ねえ、操祈。あいつらが外装代脳を作った本当の理由、知ってるかい?」
操祈は顔を上げ、兄の横顔を見つめた。
「私の『心理掌握』を利用するため......じゃ、なかったの?」
「それも、そうなんだけどお。......だけどねえ、もっと根本的な『恐怖』があったんだよお、奴らには」
結絆の声音が少しだけ低くなる。
まるで、冷えた硝子に指先を這わせるような、静かで乾いた響きだった。
「俺を制御するための道具。それが、外装代脳のもうひとつの顔だったんだよお」
操祈は息をのんだ。
「......お兄様を、制御......?」
「そう。俺は『才人工房』が生んだ怪物。才能も、適性も、成長率も......何もかもが規格外だったらしい。おまけに、レベル5にまで到達した上に、自分の生理も精神も完璧に制御できる“自己制御(セルフマスター)”なんて能力まで持ってたからねえ」
結絆は肩をすくめて、冗談めかして言ったが、どこか哀しみが滲んでいた。
「......力がありすぎる存在ってのは、結局、恐怖の対象になるんだよお。自分たちの手に負えない存在が、いつか反旗を翻すんじゃないかって思ってたんだろねえ」
「......最低」
操祈の声が震えていた。
怒りではなく、悲しみからくるものだった。
「じゃあ、私の能力を使って......お兄様を洗脳しようとしてたってことぉ?」
「そうだねえ。あいつらは、外装代脳を使って俺を完全に制御しようとしたらしいけどねえ......」
操祈は拳を握り締める。
だが結絆は、それを制するように小さく笑った。
「まあ、結局その計画も、初期の段階で気づけたから関与していた研究員は全員始末したよお」
茶化すように言って、結絆はふっと目を細めた。
「操祈の脳に不自然な箇所があると思って調べたら、すぐに引っかかった。通常のシナプス反応じゃ説明のつかない信号が......それを辿ったら、あの外装代脳だったってわけだねえ」
操祈は口元を押さえ、目を伏せた。
「......じゃあ、その時点でもう......」
「エクステリアが存在してることも、俺を抑え込もうとしてたことも、全部知ったよお。......あの時は正直、笑ったねえ。『制御』なんていうおこがましい真似をしようとしてる奴らが、俺の思考に一ミリも干渉できてなかったからねえ」
「でも、奴らは私の脳を使ってた。許せないわよぉ......!」
「だから、消した。研究資料も、関係者も、データベースも、すべて。エクステリア本体だけは壊せなかったけど、それ以外は......俺の手で、全部終わらせた」
その言葉を聞いて、操祈はそっと目を閉じた。
そして、ぽつりと呟く。
「......なんで、もっと早く言ってくれなかったのかしらぁ?」
「操祈に言ったら、きっと傷つくだろうなって思っちゃってねえ......まあ、結局こうして話すことになったから意味はなかったかもしれない」
二人は視線を合わせ、同時に小さくため息をついた。
「......あーあ、なんでこう、俺たちは、変な研究者にばかり狙われるんだろうねえ」
苦笑まじりの言葉が交わされる。
過去の傷は簡単には消えない。
それでも、仲間と協力すれば、きっと乗り越えられる。
更に時間がたって、マジックシアターの地下、最深部にある制御室。
冷たい蛍光灯の光の下、複雑なコードがモニターに連なり、異常な通信ログが高速で流れていた。
その中に混じっていたのは、かつて存在を抹消したはずの男の“痕跡”だった。
「......木原幻生。まだ、生きてたんだねえ」
食蜂結絆の低い呟きが、静寂を裂いた。
指先でコンソールを滑らせると、通信の内容が可視化される。
「お兄様......それって......」
傍らに立つ食蜂操祈が、不安げな眼差しを向けた。
「うん。間違いない。奴のアクセスした履歴が残ってる。どうやら外装代脳に細工して、よからぬことを企んでるみたいだねえ」
結絆は顔をしかめ、遠い記憶を辿るように目を閉じた。
木原幻生は、これまでに絶対能力者を生み出そうとしてたくさんの犠牲者を出している。
結絆も一度、大量の体晶を投与されて死にかけており、一方通行に関しても、一歩間違えれば大量殺人を犯していたかもしれない。
「しぶといにもほどがあるねえ。......正直、俺たちの情報網をもってしても、行方が掴めなかったのは奴くらいだよ。あいつは表舞台になかなか出てこないし、用心深いから厄介だねえ」
操祈は唇を噛みしめた。
「あいつがここにアクセスしてきたってことは、外装代脳の全機能を掌握して何かしらの方法で絶対能力者を作ろうって考えているんだろうねえ」
「お兄様......」
操祈の手が震えた。
忌まわしい過去。
振り払ってもなお、しつこくまとわりつく悪意の亡霊である。
結絆は目を開き、画面を指差す。
「......あいつはしつこいからねえ。そこで、逆転の発想で接続権を全部奴に渡してやろうと思うんだ」
「......ほへ?」
操祈が首をかしげる。
「つまり、奴が求める通り、外装代脳の全権限を渡す。そして、外装代脳と操祈の接続が断たれた後に“自壊コード”を打たせる。そうすれば、二つの問題を一気に解決できるよお」
操祈の瞳が揺れる。
「でも......“リミッター解除コード”を狙ってきそうなのよねぇ?それがなければ、エクステリアの全機能は使えない。私の脳の深層にしか記録されていないから、外部からの侵入じゃ引き出せないけど......」
「だから奴は、操祈を狙うはずだよお。最も、俺がいる限りは手出しはしてこないと思うけどねえ。」
静かな夜のマジックシアター。
結絆はため息をついていた。
「......嫌な予感がするんだよねえ」
指先がわずかに震えていた。
それは恐怖ではない。確信に近い直感。
木原幻生――あの狂人が、結絆の行動を“読み切っている”という気配。
「アイツはきっと、俺を......この学園都市で一番厄介な存在として見てる。だから、俺がいない瞬間に操祈だけを狙ってくる......そう考えるのが妥当だよねえ」
食蜂操祈。
最も信頼し、最も大切に思う妹。
だが――それでも。
「操祈は、幻生には勝てないよねえ」
口にした瞬間、心の中を冷たい罪悪感が満たしていく。
操祈は強い。痛みにも、過去にも、向き合おうとしている。
けれど幻生は、過去に何千という犠牲を“数値”としか扱わなかった怪物。
その狂気に触れた者として、結絆は理解していた。
操祈は、優しすぎる。
そして幻生は、人の皮をかぶった悪魔である。
なお、結絆が物理的に人の皮をかぶった悪魔であることは、今はおいておく。
「だからこそ......今のうちに、手を打っておくよお」
結絆は水の原典を使って、新たな術式を開発していた。
それは特定対象の認識構造を“条件付きで上書きする”極めて限定的な精神操作。
条件は一つ。
『結絆自身が何らかの要因で一時的に戦闘不能になった時』
それをトリガーとして、発動するこの術式は
「操祈の脳内に記録されたリミッター解除コードと自壊コードの“認識”を入れ替える。そして、本当のリミッター解除コードは俺の頭の中に入るようにする」
幻生が奪い取ると信じて疑わない“リミッター解除コード”は、術式発動後は実際には自壊コードに。
そして、真の解除コードは、操祈の脳内から消すことで、奴の手には届かない。
「それだけじゃだめだねえ......これまでの会話の記憶も全部、術式の発動と同時に消さないとねえ」
結絆は自嘲気味に笑った。
「騙すことになるねえ。操祈を」
自分の大切な妹を。
自分を信じてくれる大切な存在を。
「......最低だな、俺は」
掌が震える。
迷いや罪悪感が心の底から湧き上がる。
だが、その全てを飲み込んで、結絆は術式を組み込んだ。
術式はすでに、微細な信号として操祈の精神領域に流し込まれている。
何も知らない操祈は、よくわからないまま幻生を倒すだろう。
「もし......何も起きなければ、それでいい。俺がちゃんと戦えるなら、こんな術式は必要ない。全部、無駄で済む。でも」
何かがあったときに操祈を失うことは避けたい。
「“俺じゃないと止められない相手”を、操祈に押しつけるようなことは......したくないんだけどねえ」
結絆が考えを巡らせていると、ふと、背後で静かな足音がした。
「お兄様、どうしたの?こんな夜に」
いつも通りの微笑をたたえた操祈がそこにいた。
彼女は、今さっき仕掛けられた術式のことなど、何も知らない。
「んー、ちょっと考え事してたんだよお。明日は大覇星祭の開会式だから、準備はしっかりしておかないとねえ」
「ふふ、お兄様らしいわねぇ」
その言葉が、胸に刺さる。
「よし、明日は精一杯盛り上げるよお!」
エクステリアの話は、ややこしい部分が多いですよね。
結絆がいるので少しストーリーを変えてみた感じです。