学園都市某所
とある建物の前で、食蜂操祈は静かに佇んでいた。
照明に照らされた重厚なセキュリティゲート。
要人が集まることもあってか、厳重な防備が敷かれている。
操祈は、スカートの裾を軽く払うと、小さく呟いた。
「本当は......お兄様と一緒にやる予定だったのにぃ......」
寂しげな声音が夜風に溶ける。
だが、その琥珀色の瞳には、決して揺らがない強い意志が宿っていた。
木原幻生
学園都市最悪の科学者集団「木原一族」にして、裏で無数の悪辣な実験を操った老獪な男。
操祈は兄である結絆と共に、いつか奴を討つと誓っていた。
だが今、結絆は......。
操祈は首を小さく振った。
迷っている暇はない。
幻生が研究者会議にお忍びで参加するという情報を掴んだ以上、ここで仕留めなければならない。
操祈は微笑んだ。
普段と変わらぬ、柔らかく可憐な笑顔。
セキュリティーゲート付近には、多数の警備員が配置されていた。
だが、次の瞬間、ゲート前に立っていた警備員たちが、無言で動き出した。
操祈が発動した心理掌握(メンタルアウト)による操作。
警備員たちは何事もなかったかのように扉を開き、操祈を中へと通した。
「ここからが本番よねぇ......危険力が増してるわぁ」
操祈はそう呟きながら、建物の中へと足を踏み入れた。
建物の内装はシンプルで、無機質な白を基調とした廊下が続いている。
要所要所にセキュリティカメラが設置されているが、それらも操祈の能力で監視機能を徐々に無力化していく。
ここまでは順調だった。
そして、エレベーターで目的の階へ......
静かに足音を忍ばせ、目的の会議室へと向かう。
そして......
操祈は扉の前で立ち止まった。
中から微かに人の話し声が聞こえる。
間違いない。
「......お兄様、私だけでもやれるってところを見ていてほしいわぁ......」
操祈は、扉に手をかけた。
会議室は広く、長い楕円形のテーブルを中心に、数人の研究者らしき人物が座っていた。
その中央、誰よりも目立つ位置に──木原幻生がいた。
白髪に皺だらけの顔、薄笑いを浮かべた姿。
操祈はその姿を目にした瞬間、内心の怒りを押さえきれなかった。
この男が、どれだけ多くの命を弄び、破壊してきたか。
操祈はすぐさま動いた。
ふわりと髪を揺らしながら、幻生に向かって能力を放つ。
精神の奥底に入り込み、操作する。
そうすれば、抵抗などできないはずだった。
だが......
「──ッ!?」
次の瞬間、操祈は強烈な拒絶反応を受け、思わず数歩後退した。
脳を突き刺すような異様な感覚。
まるで、幻生の精神そのものが鉄壁の鎧に包まれているかのようだった。
「どうなってるのよぉ......」
操祈は顔を青ざめる。
自身の《心理掌握》が通じなかった。
それどころか、弾き飛ばされた。
テーブル越しに、木原幻生はゆっくりと顔を上げた。
「......あちゃあ、ドリームに居場所を突き止められてしまったね。ところで、君のお兄さんは一緒じゃないのかい?」
その目には、まるで老獪な蛇のような冷たさと嗜虐が宿っていた。
「わかってて聞いてるのかしらぁ......」
操祈は今、自分が思っていた以上に厄介な存在に手を出してしまったことを悟った。
だが、ここで退くわけにはいかない。
重苦しい沈黙が、会議室を満たした。
操祈は、目の前にいる木原幻生を睨みつけたまま、考えを巡らせる。
心理掌握が通じない以上、正面からの勝負は分が悪い。
そして、奴が丸腰であるとは考えにくい。
一瞬でも油断すれば、命を奪われかねない。
操祈は、乾いた笑みを浮かべた。
「ねぇ、木原幻生......。エクステリアのリミッター解除コード、見逃してくれるならぁ、教えてあげてもいいわよぉ?」
だが、幻生は肩を震わせ、からからと嗤った。
「精神系の能力者の言うことは信用できないんだよね」
幻生、操祈の言葉に微塵の期待も抱いていなかった。
むしろ、最初から操祈を“狩る”つもりでいるのだ。
操祈が身構えた瞬間、幻生が懐から取り出した装置が小さく点滅した。
次の瞬間、幻生の纏う雰囲気が変わった。
《レベルアッパー》
かつて学園都市に広まった、能力を一時的に引き上げるかわりに、使用者を昏睡状態にする危険なツール。
幻生は、それを応用して多種多様な能力を一時的に取り込み、自身の武器にしていた。
「君のお兄さんの多重能力の方式を応用してるんだけどね。今回は面白そうなのを何人か拉致、いや保護して力を拝借しているよ。」
操祈の背後に、突如として重力が生まれる。
全身を押しつぶすような圧力──《重力操作》。
「ぐっ!」
操祈は必死に身体をねじり、重力の範囲から逃れる。
だが、休む暇など与えられない。
次は、空気を斬り裂く鋭い風の刃が操祈を襲う。
操祈は遮蔽物に隠れるが、刃が頬をかすり、血が出る。
その直後、今度は床から鋼鉄の槍が突き出してきた。
「殺意が高すぎるわよぉ......!」
操祈は廊下へと飛び出し、必死に逃げる。
幻生はゆっくりと彼女を追いながら、また別の能力を発動させた。
無数の小型無人機が周囲に出現し、レーザーを放ち始める。
「くぅ、どれだけ能力持ってるのよぉ......!」
操祈は歯噛みしながら、非常階段へと向かって駆け出した。
自分の心理掌握が効かない以上、今ここでの勝負は分が悪すぎる。
一旦、逃げるしかない。
決断した操祈は、非常階段のドアを蹴り破り、幻生から距離をとった。
幻生はそれを見送りながら、ふう、と一つ溜息をついた。
「......逃げられちゃったね。しょうがない。完全な出力は出せないけど、御坂ネットワークにウイルスを打ち込もうか」
そう言うと、幻生は懐から取り出した黒いリモコン型のスイッチを握りしめた。
カチッ。
その瞬間、都市全体を包む見えない情報の海──ミサカネットワークに、異常が走った。
幻生がスイッチを押したことによって、捕らえられた妹達の脳にウイルスが注入されたのである。
その場にいた誰よりも早く、その異変に反応したのは打ち止めだった。
「ミサカミサカミサカミサカ......ビビビビビビビビ」
打ち止めは、妹達の中でも特殊な立ち位置にあり、ミサカネットワーク内での権限も大きい。
幻生の打ち込んだウイルスは妹達を経由して打ち止めの意識を乗っ取り、他の妹達にも干渉し始めた。
「」
「──う......あ......」
「お姉様!?大丈夫ですの!?」
隣にいた白井黒子が心配そうに声をかけるが、美琴は苦しそうにしている。
「黒子......逃げて......能力の......制御が......」
「くっ......お姉様、助けを呼んできますの。」
黒子は美琴が少し表情を緩めたのを見て、その場を離脱した。
その直後、美琴の身体から、淡い光がにじみ出した。
次の瞬間──。
美琴の意識は、完全に消えた。
代わりに現れたのは、純粋な破壊衝動だけだった。
「──ッ!!」
空気が一変した。
轟音とともに、美琴の身体を中心に、尋常ではない規模の電磁フィールドが発生する。
紫電をまとった稲妻の鎧。
地面が裂け、周囲の建物の窓ガラスが爆音と共に砕け散った。
恐ろしい光景だった。
まるで、生ける雷神が降臨したかのような。
それを遠目に見た操祈は、あまりの異様さに足を止めた。
「なに......よぉ、これぇ......?」
ミサカネットワークの異常。
それに伴う、美琴の暴走。
あまりにも突然すぎる。
そして、これが幻生の仕掛けたものであるということも、操祈には直感でわかった。
「お兄様ぁ......どうしたらいいのよぉ......」
操祈は、激しく胸を掻き毟るような焦燥感に駆られながら、稲妻を纏って暴走する美琴をただ、呆然と見つめるしかなかった。
雷鳴が地を裂き、紫電が空を焦がしていた。
暴走した御坂美琴は、かろうじて人の姿を留めていながら、その存在感は怪物そのものだった。
彼女の周囲を囲む紫電の鎧は次第に分厚さを増し、吐き出される雷撃は都市を丸ごと薙ぎ払う勢いだ。
「チッ......本当にシャレになってねぇぞ!」
黒子から事情を聴いて駆けつけた上条当麻は、右手を構えながら必死に美琴へと向かって走る。
彼の《幻想殺し》は確かに美琴の電撃を無効化できた。
しかし、それだけでは足りなかった。
暴走した美琴は、電撃だけでなく、砕けたガレキや街灯、自動車までもを磁力で操り、容赦なく当麻たちに投げつけてくるのだ。
その巨大なコンクリートの塊を、帆風潤子が寸前で受け止めた。
「っ......きりがありませんね......!」
彼女の天衣装着(ランペイジドレス)で強化された肉体ならば持ちこたえられる。
しかし、帆風だけの力では暴走した美琴に食らいつくことはできない。
「悠里さん、お願いします!」
「了解!」
悠里千夜が幽体連理(アストラル・バディ)で帆風の身体をさらに強化する。
弓箭姉妹もすぐに散開し、それぞれの能力で飛び交うガレキを砕いたり、逸らしたりしていく。
「ちょっとでも止まりなさいよお......」
蜜蟻愛愉は能力を使おうと試みるが、暴走中の美琴には効果がなかった。
2万人の妹達の演算能力を取り込んだ今、彼女に心理穿孔(メンタルスティンガー)は通用しない。
「ちぃっ......!」
当麻は美琴の放った雷撃を次々と右手で打ち消しながら、距離を詰めようとするが
、その動きを察知した美琴は、さらに電磁力を強化し、広範囲に高密度のプラズマを発生させた。
「危ねぇ!!」
当麻は反射的に飛び退く。
その時だった。
「なんかやべー感じだな!!!」
轟くような声とともに、空から文字通り舞い降りた男──削板軍覇が乱入してきた。
「アイツは、まだ来ねーか、」
その拳には、並々ならぬ力がこもっていた。
軍覇は、吹き荒れる雷撃を真正面から受け止めながら、巨岩をも砕く打撃でガレキを破壊していく。
「頼りになるわねえ、根性バカさん」
蜜蟻が笑いながら援護に回り、帆風も軍覇に続いて前線を押し上げる。
──しかし、時間が経つにつれ、美琴の暴走は加速していった。
空気がピリピリと震える。
雷撃はもはや単なる稲妻ではない。
一点を焼き払う超高温のプラズマ弾、地面をえぐる磁気嵐、周囲を破壊し尽くす電磁爆発。
当麻が電撃を打ち消しても、次々に襲い来る物理的な攻撃までは防ぎきれない。
その度に、ドリームのメンバーや削板がカバーに入るが──負傷者も出始めていた。
「ぐっ......黒子ちゃん、下がってください!」
弓箭猟虎が白井黒子を庇い、宙に吹き飛ばされながらも地面に受け身を取る。
後方支援組が皆の手当てを続けるが、次第に状況は悪化していく。
「ちくしょう......これが御坂美琴なのかよ......」
当麻は歯を食いしばる。
普段はツンデレだが、皆に優しい少女──そんな美琴の姿は、そこにはなかった。
あるのはただ、破壊と暴走の化身。
紫電に包まれた美琴が、今度は周囲に大量の鉄骨を浮かせる。
一斉に、当麻たちへ向けて射出される。
「皆さん、よけてください!」
帆風は数本を叩き落とすが、すべては防ぎきれない。
軍覇もかなりの数を拳で叩き落としたが、肩に一本を食らい、苦悶の表情を浮かべた。
「ここで倒れたら親友に顔向けできないからな......ハァァァァァァァァッ!!」
肩をさすりながらも、軍覇は叫び前へ出る。
「みんな......耐えてくれ!!」
当麻は叫びながら、美琴へと再び走る。
幻想殺しで、美琴の暴走を止めるために。
しかし、暴走した美琴もまた、それを許すつもりなどない。
今度は、超広範囲にわたる雷撃の雨を放とうとしていた。
「やばい......ッ!」
誰もがそう思った。
圧倒的な力の奔流。
絶対的な破壊の予兆。
このままでは、誰かが死ぬ──!
視界の隅に、破壊された建物群と、宙を焦がす雷撃が見える。
学園都市は今、崩壊の淵にあった。
だが、食蜂結絆の視線は、ただ一つの場所に向けられていた。
「幻生が動いたか......さて、操祈がいるのは、あそこだねえ」
生き返った結絆は魂を見ることができるようになっており、親しい人間のおおよその位置を把握できる。
「幻生以外の敵は埋めておくから、結絆君は奴を倒してきなさい」
橘博士は結絆の肩に手を当てて、空間移動で共に操祈のもとへ飛ぶ。
美琴の暴走、木原幻生の陰謀、すべてを止めるために。
結絆たちは、幻生の前で倒れる操祈の姿を見つけた。
「操祈」
優しく呼びかけると、操祈はボロボロになった体を動かして結絆の方を向いた。
次の瞬間、瞳から溢れる涙が止まらなくなる。
「......お兄様ぁっ......!!」
震える肩、漏れる嗚咽。
結絆は優しく、操祈の頭を撫でた。
「心配かけたねえ。俺は、ちゃんと生きてるよお」
「......うん、うんっ......!」
しばらく抱き締めたあと、操祈は目を拭って顔を上げた。
その表情には、もう涙はなかった。
代わりに、鋭い意志が宿っている。
「お兄様、今は......御坂さんと、木原幻生、両方を止めないといけないのよぉ」
「わかってるよお、まずは、目の前の木原幻生を止める」
結絆はにこりと微笑む。
その奥に隠された覚悟は、誰よりも重いものだった。
「死んだ君がなんでここに来ているかは気になるけど、もう遅いねぇ。彼女の頭の中に入っていたリミッター解除コードはもう手に入っているからね。」
幻生は不敵な笑みを浮かべている。
「お兄様、ごめんなさい......」
操祈が気絶していた時に幻生は"リミッター解除コード"を手に入れたのだろう。
「美琴がこれ以上暴走すれば、この街は崩壊するよお。お前は死ぬことになるけど、それでもいいのかい?」
結絆は操祈の傷をいやしながら幻生に問いかける。
「はっはっは、何を言っているんだい?科学の発展に犠牲はつきものだろう?」
幻生は笑いながら"リミッター解除コード"を入力した。
その時だった......
「お......おお......おおおおおおおおおお」
幻生は呂律が回らなくなり、膝から崩れ落ちた。
「?」
操祈は、よくわからない様子で幻生を見ている。
「結絆君の方が、一枚上手だったみたいね......死んだときのこと、後で皆に説明するのよ。それと、捕らえられていた妹達は助けて病院に送っておいたわ。」
幻生が倒れたタイミングで、橘博士が結絆のもとへ合流した。
「さっすが、博士!説明はしっかりとするよお。皆を騙しちゃったから埋め合わせも考えておかないとねえ。それはそれとして、今からは美琴を助けに行くよお」
木原幻生が"リミッター解除コード"を入力した後に倒れた理由は、第百二十七話を見てもらったらわかると思います。
原作とは流れが違いますが、結果は同じなので、あまり気にしなくても大丈夫です。